紅王子と侍女姫  10

  

 

「娘カーラと次期領主となるロン殿の結婚式へ、我が国の王太子殿下に御参列頂ける。このような名誉は二度とないことでしょう。今更ですが・・・・ディアナのためとはいえ、本当に宜しいのでしょうか?」 

カーラとロンの結婚式当日に、領主であり花嫁の父でもあるジョージが恐る恐る尋ねる。確かに今更だが、アラントル領主からの問いに侍従長が手を上げて答えた。

 

「王からディアナ嬢に関して、ある程度の裁量を任されています。ですから気になさらず領主はカーラ嬢の花嫁の父としてお過ごし下さい。そろそろ御家族や親族の皆様は出発の時間ですか?」 

レオンがそう尋ねると、領主は安堵の表情を浮かべて大きく頷いた。

ディアナに魔法がかけられているとはっきり判り、しかしこの場での解除は難しいという。王城に行き、瑠璃宮の魔法導師と共に話し合いが必要ということとなり、ディアナはアラントル領から王都へ向かうこととなった。

問題は姉の結婚式への参列が出来ないということだ。

王城に行ったとしても十年間もかけられ続けた魔法を簡単に解除出来る保証も、直ぐに戻れる保証もないと聞いた姉カーラとロンは頭を悩ませた。王子と侍従長から聞かされた内容に最初はひどく驚愕したが、確かに王城から戻って来た頃より彼女はドレスを厭い侍女として働くことに執着していたと思い出す。それが魔法だと言われても俄かには信じられないが、王城に行き問題が解決するというなら送り出してあげたい。心残りがないように挙式を済ませ、時間が掛かってもいいから以前の妹に戻れるように協力すると申し出た。

そして二人は急ぎ親族らに手紙を出した。諸事情により身内だけの挙式を早急に執り行うことを手紙に書き、そして式にはギルバード王子に御出席戴けると追記する。急な招待にも関わらず招待客は殆ど集まってくれることになり驚いたが、挙式にギルバード王子が参列するとあれば何をおいても参加しようとするだろう。何と言っても自国の王位継承権を持つ、未来の国王なのだから。

 

「・・・・ディアナ嬢は今、何を?」 

ギルバードが尋ねると、少し眉尻を下げた領主が苦笑を零す。これから教会へ向かう、その少し前だというのに馬車の前には長姉夫婦と領主奥方が最後の身嗜みを整えながら歓談しているだけ。先に教会へ向かう予定者の中にはディアナもいたはずだがと見回すも姿はない。困った顔を浮かべた領主が城に視線を投げ掛け、肩を竦めた。

 

「厨房で、披露宴用の最後の仕込みと指示出しで、忙しそうに動いています」 

厨房で姉のための料理を作ることに喜びを感じているのだろうと思うと、侍女として誇りを持ち働いている彼女を王城に連れ行くことに胸がちくりと痛む。ギルバードが城の奥を見つめながら唇を結び逡巡していると、レオンが溜息を吐き王子の背を強く押した。 

「何をお考えかは理解出来ますが、それでは解決出来ませんよ? 殿下の魔法力がディアナ嬢にいつまでも流れ続けるのも、いつまでも侍女として過ごさせるのも、早々に解消された方が宜しいでしょう?」

「・・・・・わかっている」 

姉達の結婚式に家族として、貴族子女として参列する。それが今の彼女を蒼褪めるほどに追い込むようなことなのだ。魔法になどかかっていなければ、ドレスに身を包み髪をゆるりと風に靡かせながら明るく笑みを零していただろう彼女を想像する。同時に、菜園で籠へ野菜を摘んでいる侍女服姿の彼女が脳裏に浮かび、ギルバードは眉を顰めた。

 

 

好天気に恵まれた昼ちょうど、真っ白なウェディングドレスに身を包んだ花嫁が、馬車に乗り手を振りながら教会へと向かう。急遽とはいえ領主娘の結婚式に、城下の沿道では大勢の領民が集まり歓声を上げて喜びに沸いた。初めて領地視察にいらした王太子殿下が、領主の娘の結婚式へ参列すると聞いた者たちが集まり、祭りの如く歓喜に包まれる。更に花婿は次期領主であるため、町のみんなが馬車を追い掛けるように教会に集まり、騒ぎは更に大きくなっていた。

一番大きな歓声が上がったのは、王子たちが乗る馬車が教会に到着した時だ。

四頭立ての馬車は黒地に金色の精緻な模様が描かれ、エルドイド国旗を靡かせている。馬車を挟むように並走する護衛騎士が騎馬する馬も飾り立てられ、馬上では体躯のよい双子騎士が濃翠の軍服に身を包み恭しく馬車を先導する。教会前に到着した馬車の扉を恭しく御者が開くと、侍従長であるレオンが黒の軍服に身を包み登場し、その後、濃藍の軍服に身を包んだ王太子殿下が現れた。

町中が揺れているのではないかと思うほどの歓声に王子は端正な顔に笑みを浮かべて片手を上げると、教会の中へと入っていった。視察時に王子を見た者や、挨拶をした者などがこぞって自慢話を始め、花嫁の登場以上に盛り上がる。 

女性に微笑みを惜しみなく向けるレオンを小声で叱責した後、ギルバードは祭壇近く親族が揃って座る席に、淡い色合いのドレスに身を包んだディアナの姿を見つけた。

長女夫妻と母親と共に教会の会衆席に座るディアナはプラチナブロンドの両サイドだけを編込み後ろで纏めており、肌の白さと髪色とドレスで、とても儚げに見える。

侍女服と違い、淡い色合いのドレスが彼女にとても似合い可愛らしさを引き立てているというのに、微かに笑みを浮かべるだけのその表情から、ギルバードは目が離せない。

視線を下げたままのディアナは会衆席の奥へ腰掛け、式の間も俯き続けていた。

 

  

城に戻り庭園側の広い場所で立食の披露宴が行われ、ギルバードは大勢の招待客と歓談することになるが、どうしてもディアナが気になり姿を追い続けた。彼女は隣国から来たという伯母や親族に挨拶を終えると静かに城の中へと消え、そのまま戻って来ない。

夕刻が近付き、テーブル上の料理が少なくなり、運ばれる新たなデザートや特産品のワインに皆が舌鼓を打つ頃、ギルバードは女性陣に囲まれ歓談しているレオンを捕まえた。

 

「・・・・レオン、悪いがあとは任せていいか?」

「領主にそのように伝えておきます。いいですか、殿下。女性の御心は難解で壊れやすいですよ? まずは心からの笑顔を見られるようにお努め下さいませ」 

それが何より難しいことだろう。正直、女性との付き合いが何よりも苦手なギルバードだ。しかし、自分から動かなければ何事も思うように進まないというのも判っている。ことを急ぐつもりはないが、出来るだけディアナと会話をして心を解さなければ魔法解除に障害が生じるのは解かっている。

ギルバードが食堂に足を向けると、彼女は侍女服に着替え厨房で菓子の仕上げをしていた。料理番が盛り付けをするのを横から指示し、ケーキにミントの葉や小花やリボンで飾り付けをする。仕事をしていた方が落ち着くのだろう。その表情は穏やかで、小さな笑みを浮かべているのが見えた。 

「ディアナ嬢、運ぶ前に少しサーブしてくれないか?」 

自分の声に驚いた顔で振り返ったが、台詞の内容に表情を緩ませ直ぐに用意をしてくれた。生クリームで飾り立てた皿を、「殿下用に特別です」と差し出してくれる。 

「どうぞ召し上って下さいませ。ただ今紅茶をお淹れ致します」 

料理番と侍女たちが出来上がった菓子を次々に運び出し、食堂の片隅でギルバードとディアナは二人きりとなった。ディアナが紅茶を淹れて差し出すと、ギルバードはそれを彼女の方へと押し出す。 

「君も座って休んでくれ。・・・・・少し話しがしたい」

 

 

ディアナは静かに頷き、王子の分の紅茶を用意して近くの椅子に腰掛ける。

何を言われるのだろうと緊張してしながら視線を紅茶のカップに落としたまま、王子からの言葉を待つ。不意に王子の手が動くと、その手は菓子へと真っ直ぐ伸びた。

生クリームたっぷりのブラックベリーを巻いたロールケーキ、クロテッドクリームやストロベリージャムを添えたスコーン、アップルハット、ドライフルーツをたっぷりと使ったパウンドケーキなどを少しずつサーブした皿にホイップした生クリームで飾り付けしたそれらが、目の前であっという間に消えていく様に、ディアナは心から驚いてしまう。

 

「全部、どれも美味い! 俺好みの甘さだ。うん」

「・・・・ありがとう御座います」 

召し上がって貰える姿を見るのが初めてだったディアナは、目の前で次々と消えていった菓子に目を瞠る。少しずつのサーブとはいえ、たっぷり二人前はあったのに綺麗に皿から消えていくことにただ驚くしかない。ストレートの紅茶を飲み干した王子に満足げな顔を向けられ、ディアナは背を正した。

 

「王城に行ってから、もし時間があれば作ってくれるだろうか。出来ることなら作っているところも見てみたいのだが、いいだろうか?」 

笑顔になると少しだけ幼く見える王子は、柔らかい笑みを浮かべて私を見つめてくる。王子から作れと言われれば、厭はない。どんなことを注文されても頷くしかない。 

「殿下からの御希望とあれば勿論で御座います」 

目を伏せて頭を下げると、ギルバードから唸り声が聞こえた。

驚いて顔を上げると、髪をガシガシと掻き毟りながら眉間に皺を寄せた顔が見える。 

「違う。強制的に作ってくれといっているのではなく、とても美味しいから是非作って欲しいとお願いをしているんだ。どんな風に作っているのか、俺自身も興味があるから」 

テーブルに肘を乗せ、ぐいっと王子の顔が近付いた。

その真面目な表情に驚き、そしてどれだけ甘いものがお好きなのだろうと、小さな苦笑が漏れそうになった。ディアナは素直に頷き、目を伏せる。王城に行くことに、もう否はない。すべきことを終えて、この地に戻り、普段通りの生活を送れたらいいだけだ。

まだ魔法という言葉に違和感があるが、王子からの言葉を否定するつもりはない。何をするのか解らないが、紙片に描かれた王子の表情が笑みに変わるようにと祈るだけ。 

 

結婚式が終わり、明日からディアナは王宮へ向うことになった。

ギルバードが行った魔法解除では過去の一部がディアナの脳裏に浮かんだだけで眩暈を起こし、解決には至らなかったため、魔法導師がいる王城で解除をすることになったためだ。

正直、ディアナは本当に魔法などこの世に存在するのか訝しんでいるが、王子からの命には従わなければならない。

長年かけられ続けた魔法を解除し、貴族子女らしい生活に戻るためには王城に行かなくてはならないと王子を含め、家族みんなに強く勧められてしまったが、未だに納得は出来ていない。現状の生活になんら文句も問題もないと思っているディアナだが、王子と自分のとの間に魔法が繋がっており、今後の影響を考えると早めに解除する必要があると説明されては頷くしかない。王子に係わる問題に、田舎領主の娘が何を言えようか。

 

それにギルバード王子に近づくと不思議な感覚になることも確かだ。

手を握られ入れられた水桶が突然冷たさを増したり、意味も解らず胸が締め付けられるように苦しくなることや、そして眩暈を伴う過去の残像。

信じなくてはならない現実に困惑はある。

だけどギルバード王子のため、自分が何か出来るのであれば頑張ろうと思うしかない。叔母の許へ行っていたという虚偽も不問にしてくださると言うのだ。

 

 

 

普段一緒に働いている侍女たちがはりきって早朝から湯を沸かし、ディアナを入浴させようとした。一人で洗えますと慌てるが、王子からの絶対命令だと髪から足先まで丁寧に洗い、普段は使わない香油や化粧までを施してしまう。

その上、姉が用意した真新しいドレスを着ることになり、慌てて首を横に振るがもちろん拒否の意見は却下され、侍女たちによる着付けが始まる。普通のデイドレスなのだが生地が上等な品で、身体の線に沿ったデザインのためコルセットが必要となった。普段は侍女服で過ごすディアナのためにと張り切る侍女達により、これでもかとコルセットを締め上げられ、ほっそりした腰を更に強調することになる。

ディアナが着たのは首元が縦襟状の淡い色合いの可愛らしいドレス。背中には胡桃ボタンが首から腰まで連なり、袖は肘から広がって落ちるシフォンになっており、ふんわり広がったドレープのスカートの上に掛かっている。

トランクの中にはイブニングドレスなどの用意もされていると説明を受けたが、自分が着る姿など想像すら出来ない。荷物の中に詰め込まれているのを見て、ただ怯えるだけだ。

 

「ディアナのドレスをたくさん用意したの。今回着る機会が出来て嬉しいわ」 

母と姉の嬉しそうな言葉に、ディアナは出来るだけ早く、魔法でも何でもいいから解除して、城に戻り侍女服に着替えたいと願うばかりだ。

王宮までは馬車で三日要するという。

玄関では王子らが乗って来た二台の馬車の横に新たに馬が用意されており、侍従長であるレオンが騎乗する予定だと聞いた。護衛騎士のオウエンは先に出立して今夜の宿を探しに行っており、もう一人の護衛騎士であるエディが御者と共に荷物を馬車へと運び入れる姿が見える。用意が整ったディアナが姿を見せると、流れるような足取りで侍従長のレオンが近づき、恭しく手を取ると妖艶な笑みを浮かべた顔を近付けて来た。

 

「これは、なんと可憐な。月の女神も雲に隠れたくなるほどの清廉さに、咲き始めた花のような初々しさ。ミスティ・ローズのドレスに包まれた可憐な御姿のディアナ嬢から目が離せません。貴女のその柔らかな頬に口付けたいと願う哀れな男に許しを下さいますか?」

「御許し下さい」 

即答で断るも、レオンはいつかのように諦めず「では、こちらはお許し下さい」とディアナの手の甲に唇を近付けようとする。必死に手を引こうとした時、背後から怒声が聞こえた。

 

「レオン・フローエ! 不埒な真似をして淫らに女性を口説こうとするな! それと出立の用意が出来たら、直ぐにその旨を伝えるようにと言っておいたはずだ!」 

ギルバードが二人の間に割って入り繋がれた手を外すと、レオンは自分の時とは違い、明らかに安堵の表情を浮かべるディアナをちらりと確認し肩を竦めた。

 

「貴族として普通の挨拶をさせて頂こうとしたまでのこと。ギルバード殿下がそこまで大声で激昂する意味が判りません。ほら、ディアナ嬢が怯えておられますよ?」

「え・・・?」 

彼女の安堵の表情を見ていたレオンだが、ギルバードはそれを知らず、背後のディアナに振り向くと慌てふためきながら真っ赤な顔で弁明を始めた。

 

「い、今のはレオンに対して怒鳴ったのであって、貴女に対して言ったのではないからな! レオンの、奴の名前を言っていたから、それは判るだろう?」 

急に王子が振り向いて問い質すように訪ねるから、その勢いにディアナも思わず頷いてしまう。そして王子と目が合ったと判り、慌てて顔を伏せた。 

「わ、判っておりますから、殿下がお気を遣われることは御座いません!」

 

余りにも近い距離での会話にディアナは慌ててしまう。しかし艶かしい笑みを浮かべた侍従長に近寄られ、あちこち触られるより、王子の大きな声の方がずっと恐くないと思えた。そう思うだけでも何故か安堵の気持ちに包まれるのだが、普段男性と関わることがないだけに自分のその感情が何処から湧いてくるのかが判らない。

その時玄関から見送りに来た母がハンカチで目を押さえながら、「ディアナ、頑張って治してくるのよ」と頬を撫でてくるが、本人は治す必要がどこにあるのか未だに判らないと曖昧な表情で頷くしか出来ない。母や姉、侍女長が順に抱き付き、「戻ったら一緒に舞踏会に参加しましょうね」と背を撫でてくれるが、返事が出来ず微笑むだけだ。父がディアナを真っ直ぐに見つめ、ゆっくりした口調で話す。 

「こちらの心配はせずに、殿下に任せて問題を解決できるよう努めてきなさい」 

問題解決の前にこの着慣れないドレスが問題ですなど、これから王宮に向う貴族子女が言ってはいけないだろうとディアナは口を閉ざす。しかし嫌だと言って逃げられる訳ではない。先を思うと顔が引き攣りそうになったが、それでも余計な心配は掛けまいと精一杯の笑顔を浮かべ、見送りのために揃ってくれた皆へ優雅な御辞儀をした。

 

 

 

 

 

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