紅王子と侍女姫  100

 

 

繋げた『道』を抜け、ザシャが手招く方へ足早に移動した。

バールベイジ城は真白い城壁に囲まれており、敷地内には大きな湖がある。湖から海へと続く水路が二つ見え、生活必需品はその水路を使って運搬されていると聞く。そこから忍び込むのかと訊くと、レオンが正々堂々城の正門から入りましょうと、抱えていた箱から書状を取り出した。

「エルドイド国の王太子殿下が足を運んだのですから、突然だろうと何だろうと正門から堂々と入るべきですよ。その方が王に会うのも楽でしょう。なんせ、王が可愛がっている姫が恋焦がれている王子の訪問です。殿下は、未来の息子となるかも知れない存在なのですから」

盛装にしておいて正解ですねと満足げな笑みを浮かべる侍従長に曖昧な頷きを返し、ギルバードは背後の魔法導師に振り向いた。目配せで理解したザシャとカイトは衣装を変え、杖を指輪に変化させる。

ローヴは楽しそうに杖を振り、宰相の顔と衣装に姿を変えた。

 

「では、バールベイジ王を弄りに行きましょうかねぇ」

「同盟国会議ではエルドイドに諂うような殊勝な態度を取る癖に、裏では何をしているか腹黒い面も多い狸王ですからね。ここは宰相として、ガンガン言ってやって下さい、ローヴ様」

「ザシャ、王女に飲ませる幻覚薬は持って来たか?」

「ええ、勿論です。最高の品が出来たと自負しております。これを飲んだ王女の目に、殿下がどのような化け物に映り、どのような恐慌状態になるのか今から楽しみでなりません」

「バールベイジの魔法導師も魔道具に入れているのですか?」

「はい。王女に強請られていた、三人を水晶に閉じ込めて連れて来ています。解毒剤の在り処がわかりましたら、取り敢えず出す予定です。解毒剤が本物かどうか、直ちに調べてさせるために」

「中で焦れているだろうね」

「ディアナ嬢にされたことを考えますと、このまま出さずともいいような気がしてきました」

「土の中に埋めたら、何か出て来ますかねぇ。王も一緒に埋めましょうか?」

「土壌が腐るだけですよ。それより魔除けの彫像として販売してはどうでしょう」

 

四人の暢気な会話と笑い声が耳に届き、ギルバードは手の平で項を擦った。こんな調子でいいのかと溜め息を吐きそうになるが、気負っても仕方がないと考え直す。

相手はあの王女の父親で強かな狸王だ。螺子のぶっ飛んだ娘を擁護し、謝罪要求をのらりくらりと躱しながら、己が身内の恥を知らずに求婚を迫っている。そんな厚顔無恥な輩に会うのだ。こんな軽口を叩ける強者が対峙した方が話も進むだろう。

「殿下はふんぞり返って、一国の王子らしく毅然としていて下さいね」

レオンにそう言われ、思わず眉が寄る。

「王子らしくって・・・一応、そうなのだが」

「ディアナ嬢が絡みますと、いきなり暴走される可能性があります。同盟国会議で培った対外用の仮面を被り、鷹揚な態度をお願いします。くれぐれも恋に溺れた愚かな男を演じませんよう、御注意を」

「・・・・」

返す言葉が見つからず、ギルバードは黙って項を掻いた。普段の自分がディアナにどんな風に見られているのか考え、寒気を覚える。急に抱き締め、抱き上げ、許可も取らずに唇を貪る男を、自国の王子として受け止めてくれていただろうか。急に咽喉が干上がった気がして、無理やり唾を飲み込む。

「で、では、正門に向かうぞ!」

カイトが袖から黒い箱を出して落とすと、それは瞬く間に四頭立ての白馬付き馬車に変わり、魔道具の御者が恭しく扉を開く。五人も乗り込めるのかと思ったが、中はゆったりとしていた。

「空間を少し捩じっておりますので」とカイトが笑う。

ほんの少し移動するだけで正門だというのに、凝った造りに苦笑いしか返せない。

 

 

 

「これはこれは、ギルバード王太子殿下っ! ようこそバールベイジ国へ。・・・しかしながら突然の来訪とは、我が国に何か火急の用事でも御座いましたか?」 

広々とした応接室に、文字通り飛び込んで来たバールベイジ王だが、ギルバードを見て穏やかな笑みを浮かべる。走るのは無理だろう体型で、それでも急いで足を運んだのが伝わって来る。全身から湯気が立ってもおかしくないほど赤らを帯びた顔で、それでも平静を装い向かいのソファにゆったりと腰掛けた。 

「・・・突然の訪問にも拘らず、快く通して頂き感謝申し上げます」 

「いえいえ。ですが、どのような用件で・・・、と御聞きしても宜しいでしょうか娘ビクトリアに関してでしょうか。ビクトリアはエルドイド国にて、殿下からの愛情をその身に受けて、穏やかに過ごしていると思っていたのですが」 

王は余程演技が上手いのか、それとも本心を口にしているのか。バールベイジ王は肉に埋もれた細い目を大きく広げてギルバードを不思議そうに見つめる。どう答えようかと思案していると、宰相姿のローヴが鷹揚な咳払いを零した。 

「バールベイジ国王陛下、貴国には何度も我が国より書簡を送っております。王女が我が国の民にした愚行について、幾度も謝罪を要求しているはず。しかしながら貴国からは書簡のみが届けられ、その内容は見当違いの謝罪ばかり。そこで、ギルバード殿下が直々に出向くことになったのです」 

穏やかな低い声で滔々と語られる宰相の言葉に、バールベイジ王は顎を引き、テーブル上を凝視する。沈黙する王を前に、誰も口を開かない。

黙って待つこと数分、肩を落とした王が恐る恐るといった態で顔を上げた。それでも直ぐに話すつもりはないようで、ギルバードと宰相、その後ろに立ち並ぶ侍従の顔を何度も行き来し、ローヴが足を組むのを目にして怯えたように肩を竦め、沈黙に耐え切れないとばかりに己が口を開いた。

 

「でも、ビクトリアは・・・、エルドイド国で・・・」 

窺うような視線にギルバードが眉を寄せると、王は額に浮かんだ汗を拭いながら太い咽喉を上下させた。王の隣に立つ側近が急ぎカップを持ち上げて恭しく王へ差し出すのを受け取りながら、ハンカチで汗を拭い、ギルバードへと視線を向ける。 

「娘は・・・ギルバード殿下と心が通い合い、エルドイド国に嫁ぐのが決まったと言っていました。ただ殿下に執拗に纏わり付く女がいて、その女性を殿下から引き離すために、殿下と協力してエルドイド国で秘密裏に行動すると・・・。女はエルドイド国の王をも誑かしているから、エルドイド国からどのような内容の書簡が来ても無視をしていいと言って・・・・」 

「・・・・はぁ?」 

王の口から零れる内容に、ギルバードを含めた全員が呆気にとられた。

視線を落とした王がカップとソーサーを鳴らしながら咽喉を潤し、だが渇きは癒えないとばかりに側近におかわりを求める。衝撃の内容にいち早く復活したのはローヴだ。今は宰相の姿だというのに全身を揺らし、笑いを堪えて身悶え始める。鼻で嗤い飛ばしたくなる話だが、真っ赤な顔で息を止めて身悶える中年男が横で身体を揺らすため、ただ呆れるしか出来ない。ギルバードが肘で突きながらローヴの笑いを止めようとする寸前、背後からレオンの大仰な咳払いが飛んで来た。 

「そのような荒唐無稽な話を、貴方は信じたのですね。バールベイジ国王陛下」 

「は、はい。その話を聞いた直後にギルバード殿下が娘に会いに来られましたので・・・。ビクトリアは女を捕えるための話がまとまったと、だから密やかにエルドイドの領地に向かわなければならないと出掛けました。殿下との・・・愛を成就させるために」 

「ひぃ・・・ひぎっ!」 

引き攣った笑い声をあげる主の足をテーブル下で踏みながら、ギルバードは舌を強く打った。

それは寒冷地に強い麦の視察の時のことだろう。確かに王女には会った。会ったことは間違いないが、その場には大臣もいたはずだ。どうしてあの肉塊と愛を成就させなきゃならない。香水臭い、ピンクの塊と何故ディアナを捕える密談をしなくてはいけないんだ!

 

「ギルバード殿下、アラントルでのことをお伝えした方が良いと思います」 

背後からレオンの声がするが、ギルバードはギリギリと歯噛みしながら王を睨み続けた。あまりにも馬鹿馬鹿しい話に呆れて声も出せずにいたが、愛を成就・・・の辺りから沸々と怒りが込み上げて破壊衝動が沸いて来る。まだ理性が効く内に話しを聞くぶきかと頷くと、レオンがギルバードの横に移動した。そしてテーブルに持参した書簡を広げ、幾度も訴え続けている王女の罪が記された文章を指差す。 

「はっきり申し上げましょう。我が国での王女の立場は、犯罪者です」 

「し、しかしっ」 

額に浮かばせる赤ら顔のバールベイジ王の反論をレオンは一瞥で押し留め、書簡を指で叩いた。 

「公には発表はされておりませんが、ビクトリア王女が害した女性はギルバード殿下の未来の花嫁です。それはエルドイド国王陛下も御認めになられております。ビクトリア王女は、その女性が書いた手紙を盗み、実家に帰省する途中で誘拐し、殿下が御付になった警護兵共々監禁し、そしてその警護兵を質にして女性に毒を飲ませようとしたのですよ。バールベイジ王は、それを御存知ですか?」 

「王女の悪事は、全て同行していた殿下配下の護衛騎士が目にしております」 

「王女配下の魔法導師も捕縛し、裏は洗いざらい調べ上げております」 

レオンの後を追うようにカイトとザシャが補足すると、バールベイジ王とその側近は顔色を変え、見てわかるほどに身体を震わせ始めた。王の視線はテーブル上や膝上を彷徨い続け、戦慄く口から息を吐けているのか心配になるほどだ。

静まり返った部屋に息を吸い込む音ばかりが響き、ローヴが隣で再び揺れ始めた。

「・・・現在、罪を犯したビクトリア王女がどのようにお過ごしか、お知りになりたいですか?」 

レオンの低く恫喝するような声色に、王の身体が大きく震えた。肉に埋もれた目が精一杯見開き、膝を凝視している。窺うように持ち上がった眼はひどく怯えているが、しかし何かしらの救いを求めているようにも見えた。

 

「む、娘は、殿下のお側で・・・心安らかに過ごしていると思っておりました。エルドイド国王からの謝罪要求の書簡も、その内、娘が言うように正式に婚姻を求めるものに変わるのだと・・・」

「そうではないと、お分かり頂けましたか? 王が信じていたことは全て王女の妄想であり、それに巻き込まれた殿下も殿下の婚約者も、大変迷惑しているのです。書簡に書かれていたことは全て事実ですので早急に謝罪して頂きたい!」

レオンがきっぱり言い捨てるが、救いを求める王の視線がギルバードに向けられる。まだ何か言うつもりかと眉を寄せると、王は項垂れながらも口を開いた。

「それでも、ビクトリアは殿下を心からお慕いしております! 私は、殿下に恋慕うが故に愚かなことをしてしまった娘を憐れでなりません。も、もちろん娘が迷惑を掛けた女性には大変申し訳なく思っております。・・・ですが、まだ正式な発表がされておりませんのでしたら娘が此度の罪を償った後、もう一度御考え直し頂けないでしょうか! ギルバード殿下の正妃には、ぜひ、我が娘ビクトリアを」

「ぶはっ!」

隣りに座るローヴが噴き出すのと、ギルバードが立ち上がるのは同時だった。 

ギルバードは自分が単細胞だと自覚している。他国に赴き、王と直接話し合う内容がディアナに関することだけに、頭に血が上ってまともな話し合いなど出来るはずもないと不安があった。だからこそ出来るだけ穏便に事が進めばいいと、ローヴとレオンに任せていた部分は大きい。

しかし理解を得られないばかりか、真逆な要求を持ち出され、憤るなという方が無理だ。

視界の端に宰相に扮したローヴが手を持ち上げたのが見えた直後、頭上からキラキラと輝く何かが降り注ぐのに驚く。床上に散らばるものに気付き、自身の感情の爆発が何をしたかを知り、ギルバードは一気に脱力した。やってしまったと、壁一面に広がる大きな窓ガラスの破片が床上に撒き散らされているのを目に、そう思った。バールベイジ王とその側近から悲鳴が上がるのを、ギルバードは舌を打ちながら聞く。 

 

「殿下。出来ましたら何かアクションを起こしてからにして下さい」 

「いや、悪い・・・。そんなつもりじゃなかったのだが」 

ローヴがのんびりと肩を竦め、再び持ち上げた手をゆるりと振った。目に見えない膜が消えるのを感じながら、ギルバードは王に視線を戻した。王と側近は縋るようにソファに掴まり、蒼褪めた顔を床に向けている。何が起きたか理解出来ないとばかりに目を瞠り、揺れる視線をギルバードに向けた。

「申し訳ない、窓ガラスを全て割ってしまったようだ。怪我はないだろうか?」 

「問題御座いませんでしょう。ガラスの欠片さえも降り注いではおりませんから」 

ローヴの背後で、ザシャが指輪を杖に変えて床に向けてガラスを片付け始め、カイトが窓ガラスを修復し始めると、レオンが盛大な笑みを浮かべて初めて目の前で繰り広げられる魔法に感嘆の声を漏らす。 

「ほぉ。床上のガラスを窓に戻される? 無から有は作れないと言うことですか?」 

「自然の力を借りてある程度のものを作り出すことは可能ですが、完全なる無から有を作り出すのは難しいですね。永遠の研究課題です」

「もちろん他では行いませんよ。職人の仕事を奪うことになりますから」 

ザシャが集めたガラスは一度光の粒となり、カイトが手を繰る動きに合わせるように窓ガラスへと戻っていく。レオンは満足気に頷いた後、ギルバードに顔を寄せながら周囲を憚ること無い声を上げた。 

「確か、この地は焦土に化す予定では? 修復など必要ないのではないでしょうか」 

引き攣った息を吸い込む音が聞こえ、ギルバードは泰然とソファに腰を下ろした。視線の先には顔色を蒼白く染めた王が震えており、その横では側近がソファの肘掛けに縋りながら固まっている。 

しばらくして窓ガラスの修復が終わるのを目にした王が震える息を吐き、掠れた声で問うてきた。 

「では、殿下は・・・どうあってもビクトリアを妃に召さないと」

「バールベイジ王・・・、まだ言うか」 

吐気を伴う眩暈を覚え、全身から力が抜ける。どうしてバールベイジの王もその娘も、人の話を理解しようとしないのか。螺子がぶっ飛んでいるとは思っていたが、螺子そのものの存在を知らないのだろう。よく、こんなのが王でいられるなと呆れてしまう。エルドイドと同じように世襲制の王国とはいえ、この国の行く末が心配になる。ふと、バールベイジ国には王子が多くいるはずだが、舞踏会や同盟会議では会ったことが無いなと思い出した。 

背後の侍従長に訊いてみようかと振り向いた時、レオンがわざとらしい咳払いを落とす。

「我が国と民に害をなしたビクトリア王女をギルバード殿下の妃にするなど、天変地異が起きても有り得ない話です。王女が本心より反省し、改心したとしても有り得ません。バールベイジ王がすべきことは、この書簡に目を通し、真摯な謝罪とともに速やかに印璽を押し、賠償金を即座に支払うことだけです」 

「し、支払いはします! だ、だがビクトリアはギルバード殿下に長く恋焦がれていた。ビクトリアは殿下の側に侍る努力をしていただけで、エルドイド国の民を害するつもりなど爪の先ほどもなかったはずです。ですから、どうか僅かでも、ビクトリアが殿下の御側にいてもいいとお考え頂きたい。田舎育ちの娘より、我が娘の方が身分も教養も正妃に相応しく」 

「―――っ!」

 

頭の奥で何かが鋭い音を立てて爆ぜた気がする。先ほどよりも遙かに強く御せない感情に、ギルバードの身体が戦慄いた。目の前が揺らぐと同時にテーブルが茶器共々粉砕する。ローヴに諭されたばかりだが、感情を抑える必要が何処にあると失笑した。

目の前の男はディアナを愚弄した。ギルバードが心から欲して、望んで、やっと未来を共に歩もうと誓い合ったばかりの愛しいディアナを蔑んだのだ。知らず立ち上がっていたようで、バールベイジ王が小さく見える。これが一国の王かと嗤ってしまう。他国の民を軽侮し、娘可愛さに血迷い、自国の民の苦労も知らずに領地を追い出し、薬草園を作った愚かな王。その暴挙は民の苦痛に繋がる。 

――――こんな愚者に翻弄され、ディアナは苦しんでいるのか。 

王へと突き出した掌の上で風が生まれ球体を模った。揺らぎ続ける視界は赤く染まり、強く噛んだ奥歯が軋みを響かせる。手を薙ぐと王がソファごと後ろへ倒れ、そのまま転がり続けるソファに何処かぶつけたのか、悲鳴が上がった。

しかしギルバードの耳には届かない。

大きな物音に異常を感じたのだろう、バールベイジ王城の衛兵が扉の向こうで王の名を呼ぶ声が聞こえる。煩わしいとばかりに眇めた視線を送ると、扉は大きく放たれ破壊した。

「う・・・うあ、ぁああっ」

情けない声の方向に視線を戻すと、背中の生地が裂けそうになるほど身を丸める王の姿がある。 

「バールベイジ王・・・、俺が望み選んだ妃を軽んじてもらっては困るな」 

「ひ、ひぃ・・・っ」

「エルドイド王もお認めになった令嬢を愚弄されるとは、もしやバールベイジ国は我が国に戦でもお申込みでしょうか? それと、王女が策を弄していた相手が、どの領主の娘か、その身分なども御承知の様子ですねぇ。バールベイジ王」

「い、いやっ! わ、私は・・・っ」

レオンからの問いに、バールベイジ王は瞬時に顔色を変えて視線を逸らす。その動作で充分理解出来た。王はギルバードが妃に選んだ相手を承知だったということだ。そして王女が何をするかも解っていて黙認していた。上手くいけば大国と最も親密な間柄となり、やがて王太子の祖父として外戚となれると目論んでいたのだろう。

ギルバードは感情の赴くまま、蹲る男を睨み付けた。苛立ちを含む眼光は王と共に転がったソファを破壊し、振り上げた拳から放たれた閃光は天井を破壊した。崩れ落ちる天井瓦礫が修繕したばかりの窓側の壁ごと破壊し、庭園に新たな作品を添える。

これでは出立前に王と宰相に言われた通りになるぞと思い至り、気を静めようと息を吸い込むが、床を這いずり情けない声を上げる男の存在に怒りが治まらない。

同行した魔法導師はレオンを瓦礫から防御するだけで、拡大する被害を食い止めようともせずにいる。ローヴに至っては未だ悠々とソファに腰掛けたままだ。時折落ちて来る天井部分や上階の家具を庭へ弾き飛ばし、新たな作品を創造しては笑みを浮かべている。

彼らの常と変らぬ様子を目にして、ギルバードはようやく頭が冷えてきた。

仰ぎ見ると招かれた建物の三階部分まで破壊したようで、白い雲がのんびり流れているのが見える。吹き飛んだ扉の向こうにあった部屋も被害に遭ったようで、まるで嵐が過ぎ去ったかのような有様になっていた。衛兵の姿はなく、振り向くとカイトが「即座に移動させました」と目を細める。安堵して礼を伝えたところで、耳障りな悲鳴が聞こえて来た。

 

「で、殿下っ! わ、我が国とエルドイド国は、ど、同盟を結んでおりますのにっ」

「だから何だっ! 胸糞悪いことを何度も聞かされて、俺の我慢も限界だ! ・・・まずは王の口から謝罪の言葉が聞きたい。そして、二度と王女を俺に勧めるな! また同じようなことを仕出かすなら、親子共々焼き豚にしてやるぞ!」

「殿下がそのようなことを言うなど・・・。も、もしや殿下に化けた魔法導師が、殿下と我が娘の恋路を邪魔立てする気か? エルドイド国を騙る、どこぞの国の回し者か!?」

「ぶほぉ!」

バールベイジ王のぶっ飛んだ発言にローヴがソファから転げ落ちて床上で痙攣し始めた。耳朶や項を赤く染め、背を戦慄かせる宰相の姿に、流石のレオンも眉を顰める。ローヴが化けているとはいえ、見た目は親であるセント・フォート公爵の姿なのだから尤もだろう。

破壊し尽くされた室内に縋るものもなく、腰を抜かして座り込む側近の肩を借りてどうにか立ち上がった王は、ギルバード達を指差し、大きな腹を突き出して声高に叫んだ。

「直ぐにエルドイド国に申し出るからな! 殿下を騙る不埒者がいると! どうせ小国に頼まれた卑しい魔術師なのだろう。我が娘がギルバード殿下に寵愛されていると知り、婚姻を阻むために寄越された輩だろう! しかし殿下の姿を似せても、私には」

「殿下、どうぞ思い切り破壊して下さい」

優雅なしぐさで御辞儀しながらも呆れたように溜め息を吐くレオンが、ギルバードに破壊しろと促す。場にそぐわぬ鷹揚な態度を取られた王は真っ赤な顔でレオンを睨み、大きく息を吸い込み糾弾しようとした。その寸前、レオンが王に向き直る。

「バールベイジ王、書簡にはエルドイド国王の印璽があります。以前ギルバード殿下が訪問したのは、寒冷地でも育つ麦の視察です。それは対応された大臣も御存知のはず。・・・非公式な訪問とはいえ、我が国の王位継承者を偽物呼ばわりするなど、名誉毀損で訴えられても仕方ありませんよね?」

「そ、それは偽造でもして・・・」

「エルドイド王の印璽を偽造? それは無理というもの。大陸一の魔法導師ローヴが、それを許しはしません。エルドイドの名を騙った時点でこの世から抹消されましょう」

「だが・・・それでは本当にギルバード殿下が魔法を・・・この部屋を破壊したのは、本物のギルバード殿下だとでも言うのか? エルドイド国の王位継承者が魔力を持つと?」

「ええ、その通りです」

 

殿下付き侍従長からの端的な返答に、バールベイジ王の顔が見てわかるほど引き攣り蒼褪めた。

はくはくと開閉する口から声は漏れず、レオンとギルバードの顔を行き来する。

「俺の魔力に関しては父であるエルドイド王も存じている。王には俺の婚約者を侮蔑し、愚弄したことを心から詫びて貰いたい。ああ、それからビクトリアが秘匿している解毒剤の在り処を知っているか? 知っているなら早急に教えて欲しい。早急に、だ!」

「で、では・・・、どうあってもビクトリアが殿下の妃になることはないと?」

今にも泣きそうな表情で、それでも食い下がる王に対し、ギルバードは無言で返答する。ローヴが庭園に積み上げた作品を黙したまま指差して砂に変えると、王は声無き悲鳴を上げて床に転がった。逃げようともがいているが、強張った手足が上手く動かないらしい。

それでも必死に言い募る王の姿に、ローヴが目を眇めて近付いた。

「ふむ・・・、隷従の呪がかけられておりますねぇ。たぶん、これでしょうか」

床上で転がる王の首元から、紐を引き摺り出す。輪になった紐には茶色の石が括り付けられていた。

引き千切るように取ると、それを目の前に翳しローヴが息を吹き掛ける。石から煙が立ち上ると同時に、それは姿を消した。

「いまのは何だったんだ? 呪いか?」

「ええ、特定個人を隷従させる類の魔法石ですね。王を意のままに操ろうとしたのでしょう」

「そんなことをする必要がある者とは? 一国の王を隷従させ、何をさせようとしたのでしょうか」

カイトとザシャの声に、ギルバードはじっと王を見下ろした。

この王を隷従させて何がしたいのか。エルドイド同様、長い歴史を持つ大国の王だ。ここ数十年、大きな戦も天災もなく、大陸の国々に問題は無かったはずだと振り返る。バールベイジ王に敵対する者か、王を意のままに操ろうと画策する者がこの首飾りを贈ったとしか考えられない。王を傀儡として何かを指示していたと考えると、答えは自ずと明らかになる。

「・・・・王女か?」

「その可能性は高いです。そもそもバールベイジ国の王城内には王女配下の魔法導師がいるだけですし、国王に近付き、魔法石の首飾りを贈ることが出来る者など限られておりましょう」

「エルドイド国の王子に恋焦がれた王女が、親である王を操り婚姻を結ばせようと奮闘する。王女を事あるごとに褒め称え、推奨し、エルドイドに益となる条約を結ぶ。可愛い可愛い王女の願いを叶えようと、王は必死に繰り返す。どうぞ王女を王子様の花嫁に」

「・・・・・」

見下ろすと、王は呆けたまま座り込み、ぽかんと開けた口から涎を垂らしていた。自分の娘に操られ、傀儡となった一国の王を前に、ギルバードは吐き気を覚える。

「・・・・ともかく、解毒剤の在り処だ。それさえ判れば、この国に用はない」

「今の状態では、場所を御存知でもお話下さらないでしょう。王女に話を伺った方がいいのでは?」

レオンの問いに、ギルバードは明確な吐気に襲われた。確かに王女に訊いた方が話は早いだろうが、また醜悪な肉塊と対峙すると思うだけで気分が悪くなる。魔法石から出すと同時に、ギルバードが化け物に見える薬を飲ませればいいと閃くが、それはレオンが却下した。

それでは解毒剤の在り処が解らないままになると。

「いいですか、殿下。ディアナ嬢の笑顔を取り戻すため、ディアナ嬢の御両親を安心させるため、何よりディアナ嬢と結婚したいと望むのでしたら、これくらい軽く片付けましょう」

レオンが語る『最高の提案』を耳にして、ギルバードは顔色を失い、床に膝をついた。

 

 



 

 

 

→ 次へ

 

← 前へ

 

メニュー