紅王子と侍女姫  102

 

 

その悲鳴を無視して、ソファに腰掛ける。巨躰がふたつ、下肢をブラブラ揺らしながら浮いている光景に眉を寄せながらギルバードは嘆息を零した。

さて、目の前のコレはどうしようか。

アルフォンス王は好きにしろと言っていたが、まさか本当にエルドイドの王太子が他国の王諸共、城を破壊するわけにはいかない。同盟国からバールベイジとの間に何があったのかと問われ、説明出来るはずもない。だが、その前に下手するとアルフォンス王がペラペラと詳細をしゃべる最悪な可能性もある。

我が国の王子は自分の婚約者が襲われた報復にバールベイジ国の城を破壊したと、面白おかしく脚本した話を吹聴するかも知れない。もっと最悪なのは、か弱き女性を助け出すために他国に攻め入り、見事本懐を遂げた王子の物語にされ、色々脚色された芝居を各国で上演されるかも知れないのだ。あの王なら間違いなくやるだろう。息子弄りを心から楽しみ、それを唯一の趣味としている男だ。

ではどうするか。弄られる前に、揶揄される前に、さっさと片付けるに決まっている。

 

「バールベイジ王。これよりビクトリア・ビルド・バールベイジ王女殿下は罪人として扱い、我が国との同盟も解消する。正式な謝罪と賠償をバールベイジ王自らがエルドイド国に赴き行うよう伝える。貴国からの正式な謝罪と賠償金支払いが済むまでは、我が国とのあらゆる交易を断ずる。ロー・・・あー宰相はエルドイド王にそのように報告してくれ」

「御意」

ローヴが鷹揚に頷くと、王は最大限に開いた目をギルバードに向けて来る。背後のレオンに振り返ると、レオンは優雅な御辞儀を王に披露した。 

「ビクトリア王女がギルバード王太子殿下の婚約者を弑そうとした罪は明確です。各証拠も揃いました。これに関しては如何なる申し出も受け付けません。今後は貴国の対応いかんによって属国、または気付けば砂漠と化していた、なんてこともありますので、対応にはくれぐれもお気を付け下さいませ」

「そ、そんな・・・・」 

念願だったギルバードの魔法を目にすることが出来て満足なのだろう、レオンは王に恭しい態度で残酷な言葉を吐く。レオンの言葉に顔色を失い項垂れる王が哀れに思えるほどだ。他国の王を前に辛辣な言葉を吐けるレオンにも驚く。

宰相姿のローヴが書簡を宙に浮いたままの王へ差し出した。王が震える手を出して書簡を受け取ったところで床に降ろす。王は黙したまま書簡に目を落として署名し、悲しげな表情でビクトリアを見つめる。呆けた表情で浮かんでいる娘の姿に眉を寄せ、ギルバードに視線を移した。

「娘を・・・ビクトリアを本当に罪人として扱うのですか?」

「それだけのことをビクトリア王女はされているのですよ。親として、国王として、王女の行く末を痛むお気持ちは分かりますが、御了承下さい」

「で、ではせめて一国の王女に相応しい環境で、心安く過ごせるように、出来れば・・・」

「御安心下さい。王女がこれから滞在される場所に関して詳細を伝えることは出来かねますが、王女は僅かな苦しみもなく、罰を受けることになります。王の御懸念は一切無用で御座います」

宰相姿のローヴの説明に、王は蒼褪めながらも深い安堵の表情を見せた。

つまり、王女は魔法石に閉じ込めるか、銅像の如く固まらせるかのどちらかなのだろう。それは苦しむことなく罰を受けることになるだろうが、王女は少しも反省しないではないか。

ギルバードの視線を感じたのだろう、ローヴは肩を揺らして笑みを返してくる。今は問うべきではないと理解し、不精ながらも口を閉ざした。 

 

「ビクトリア王女と共に王女配下の魔法導師をエルドイド国に移動し、刑が決定次第、バールベイジ王へ御報告致します。その報告がなされるまで、自国を出ることなく御過ごし頂くよう願います」

宰相姿のローヴから告げられた言葉に、王は顔を歪める。まだ王女に掛けられた呪が効いているのか、親として心を痛めているのか、悲しげな顔で娘を見つめていたが、やがて諦めたかのように深く項垂れた。

釈然としない点もあるが、とにかく終わった。

早くエルドイドに戻り、解毒剤をディアナに飲ませたい。

気が急く思いでローヴを見ると、ローヴが王女の頭に杖を宛がい、瞬時にその姿が消えた。王から短い悲鳴が聞こえたが、説明はいらないだろう。目の前で王女が消えたことに王は困惑し、宰相姿のローヴを窺うように見上げている。もう一言もしゃべりたくないと、ギルバードは踵を返した。

部屋から出るとレオンが楽し気に話し掛けてくる。 

 

「殿下、フランツ殿が管理されている邸に、また王女の銅像が立ちますね。どうせなら足場を固定しちゃいますか? 木の近くに置いて、鳥の糞だらけになった王女を見に行きましょうね!」

「俺は二度と行かないぞ。あそこには叔父上もエレノアもいる」

「永遠にそのまま、という訳にもいきませんでしょう。殿下に御子が授かりましたら、特別恩赦で王女をバールベイジに送り返すといいですよ。その前に殿下が化け物に見える薬を飲ませましょうね」

「・・・よく覚えていたな。忘れずに飲ませておこう」  

王女をいつ解放するかはさておき、王女に幻覚薬を飲ませるのは良案だと思えた。

素晴らしい案を思い付いた有能なレオンに笑みを向けると、彼は途端に眉を寄せて難しい表情を浮かべる。正門を抜け移動の場へ向かいながら、ギルバードはレオンの様子に目を瞠った。 

「レオン、どうした。何か言いたいことがあるのか?」 

「・・・・解毒剤をお飲みになったディアナ譲が元に戻られ、改めてディアナ譲の御両親に挨拶に向かわれ、公式に王太子妃決定の発表を行い、お二人が婚姻されるまで、・・・あと幾度殿下が無様な姿を見せて下さるか楽しみで、そして私はいくつそれを見ることが出来るのだろうと懸念しておりました」 

「・・・おまえは俺の侍従長だよな?」 

ギルバードの問いに生真面目な顔を向け、「私は殿下の忠実なるしもべです」と背を正すレオンの姿に、全身から力が抜けてしまう。隣ではローヴが苦笑し続けており、王城に戻れば王にも笑われるのだろうなと、やるせなくなる。だがディアナが元の笑顔を取り戻してくれるなら、それでいいと拳を握った。

 

 

 

「お帰りなさいませ、ギルバード殿下」 

エルドイド国に戻ると、王宮入口で出迎えてくれた宰相がローヴの姿に目を丸くした。すぐにローヴと気付いた宰相はギルバードに向き直り、王が執務室で首を長くして待っていると促してくる。レオンがバールベイジ王の署名入り書簡を差し出すと、王の執務室に入る前に宰相が一読し目を細めた。執務室の扉を開けると山と積まれた書類の束が目に入り、その奥に金色の頭が覗く。

今度は何も飛んで来ないと安心するギルバードに、王から冷たい言葉が飛んで来た。 

「香水臭い・・・」

「・・・っ!」 

王の言葉に腕を持ち上げ袖の匂いを嗅ぐと、確かに香水の甘ったるい匂いがして、ぞっとした。

王女に近寄っていないのに、同じ空間にいただけで匂いが移ったのかと身体中を叩きまくる。急ぎ着替えたいが、まずは報告をしなくてはいけない。しかし一度気付くと、纏わり付くような香水の臭いに吐気が込み上げてくる。香水の臭いと共に王女の粘っこいねっとりとした視線を思い出し、ギルバードは我慢も限界と執務室を飛び出した。

近衛兵が驚く姿を視界に捉えながら東宮の自室の飛び込み、着ていた物全てを剥ぎ取るように脱ぐ。そのまま浴室に飛び込み、頭から水を浴びて石鹸を泡立てる。水が湯になる頃になると浴室に甘い匂いが立ち込め、ギルバードは悲鳴をあげながら必死に洗い続けた。

半刻後、濡れ髪状態で現れたギルバードに執務室は大爆笑に包まれる。王は爆笑のあまり椅子から転げ落ち、ギルバードを指さしながら引き攣った声を張り上げた。

「ギ、ギルバードっ! そ、そ、そんなに厭か、あの王女がっ」 

「当たり前です! ディアナにした仕打ちを抜きにしても、アレは・・・アレはどうしても生理的に受け付けないっ! どうせならバールベイジのどこかに王女入りの魔法石を捨てて来るべきだった」

「ひぃ、ひ・・・そ、そんなにぃ・・・っ」

離れた島邸とはいえ、自国の敷地にあの王女がいると思うだけで気分が悪いし、腹が立つ。そう言うと、王は床を叩いて笑い転げた。宰相とレオン、ローヴも王と同様で、今にも頽れそうだ。 

王女が呆けている間に幻覚剤を飲ませておきましょうとローヴが瑠璃宮に向かうのを、ギルバードは苦々しい思いで見送った。瑠璃宮の、今は亡き母の部屋にディアナはいる。魔法石に閉じ込められているとはいえ、ディアナがいる場所に王女が立ち入ると思うだけでも忌々しい。幻覚剤を飲ませたら直ぐにでも移動してくれるだろうと、今は頭を切り替えることにした。 

「王、バールベイジ王は娘である王女に精神を操られ、我が国からの再三の謝罪要求に耳を貸さなかったことが判明しました。その後、呪の元を断ち切り、王女を我が国にて懲役に科すことを納得して頂きました。賠償金などに関しては書面を御確認下さい」 

「なんだ、ギルバード。バールベイジを焦土に化すのは止めたのか。あの王の首を土産に持って帰って来るのかと思っていたが、土産が王女入りの魔法石だけとは、がっかりだ」 

「・・・その魔法石を王の寝室に飾りましょうか?」 

途端、心底厭そうな顔を見せる王に、ギルバードは僅かだが溜飲を下げることが出来た。

だが感情が抑えられずにバールベイジ王城の一部を破壊して来たことを告げると、王が子供のように目を輝かせるからがっかりしてしまう。そういえば魔法導師が言っていた。王は過去、母アネットを追いかけ回し、結果庭園の噴水などを破壊した過去があると。王が直接破壊した訳ではないが、多少の行き過ぎも感情表現の一部だと大らかに受け止めてくれるのは正直助かる。 

「初めて目にしました殿下の魔法に、私は生涯この方に尽くし続けようと、改めて侍従長の職に誇りを持ちました。ゆくゆくは殿下の御子様の教育係りとして、殿下の功績を語って差し上げたいと思います」 

真面目な口調で朗々と語るレオンに脱力すると同時に、微笑ましげに見つめる宰相の親馬鹿ぶりに寒気を覚え、ギルバードは深い溜め息を吐いた。 

 

 

残りの報告をレオンに任せ、瑠璃宮に向かう。 

まだ濡れている髪が夕暮れの風に冷やされ、急く気持ちが少しだけ落ち着く。だがそれは表層だけだ。

早歩きがいつしか駆け足になり、瑠璃宮の入り口で立ち止まった時には呼吸が乱れていた。もう解毒剤は出来ただろうか。ディアナはそれを飲んだだろうか。飲んで、直ぐに薬効は現れるのか、ディアナは自分に笑みを向けてくれるだろうか・・・・。 

胸を打つ拍動が周囲から音を遮断し、思い描きたくない想像が浮かび上がってくる。

部屋に入りギルバードと目が合った途端、ディアナが悲鳴を上げる。蒼褪め、少しでも遠ざかろうと逃げ出す。思わず差し出すギルバードの手にさえ怯え、近寄らないでと泣き叫ぶ。 

――――瑠璃宮の前で立ち竦む自分が情けない。

だけど想像通りに叫ばれたら・・・。そう思うだけで足が竦み、握った拳が震え出した。

 

「殿下、ディアナ嬢はあれからずっと眠っているそうです」 

「そう、か・・・。体調に問題はないのか?」 

立ち竦むギルバードの前にローヴがゆったりと現れた。バールベイジより持参した薬草を乾燥させるのに魔法は使えないと王女配下の魔法導師が言う。そのため解毒剤の完成には四、五日は要すると言われた。その言葉に愕然とするギルバードに、ローヴが追い打ちをかける。 

「私達がバールベイジに向かった後、目を覚ましたディアナ嬢は幾度も嘔吐されたそうで、著しく体力が低下しております。攫われていた間もバランス良い食事など与えられていなかったのでしょう。幻覚に怯え暴れることもあり、怪我をしないよう気が抜けないとカリーナが申しておりました」 

「・・・すぐに会えるか? 少しだけでもいい。顔を見るだけでもいいから」 

ギルバードの懇願に近い声色に、目を覚まさなければいいのですがと呟き、ローヴが部屋へ案内してくれた。後に続きながら胸中に焦燥感と口惜しさが増し、握った拳をさらに強く握る。しっかりしなくては思うほどに動悸は増し、情けないと唇を噛む。部屋に到着すると、ローヴが振り向いた。 

「どうか・・・驚かれませんように」 

その言葉だけで充分衝撃的に感じたが、室内に入り寝台で眠っているディアナを目にして、ギルバードの息が止まった。壁に設えた魔道具の灯りがディアナの頬を淡く浮かび上がらせる。蝋で出来た作り物のような顔は会えぬ間に驚くほど痩せこけ、乾いた唇が痛々しい。寝顔に苦悶の表情は滲んでいないが、とても哀しく思えた。見つめる内にディアナの顔がぼやけて見えてきて、涙が視界を歪ませたと知る。 

何度も吐き、痩せた腕を振り回すディアナが脳裏に浮かび、手を伸ばすが触れることが出来ない。彼女をここまで貶めた自分が口惜しく、ギルバードは震える手で顔を覆った。 

「殿下、いまこの部屋には強力な眠り香を焚いています。ディアナ嬢が深く眠っている間に、こちらを飲ませて頂けますか。高濃度の栄養剤です」 

顔から手を外し、ローヴに振り返る。長く留まっていると免疫がある魔法導師でも眠ってしまうという香は、ローヴの魔力で一時的に弱められている。だが時間の経過とともにディアナが目覚める可能性があるので、早目に飲ませて欲しいと言い残してローヴは退室した。 

 

テーブルに置かれた栄養剤を手に取り、ギルバードはディアナを見つめた。

前にもディアナは長い眠りに就いた。あの時は眠りで心を癒そうとしたディアナだが、今の眠りは香による強制的な眠りだ。起きていれば周囲のなにもかもに怯え、己を傷付けてしまう。

どうして・・・と、ギルバードは床に視線を落とした。自分はディアナを妻にと望んだだけだ。愛しい存在を幸せにしたいと願っただけだ。その愛しく守りたい存在が、ギルバードが原因で何度も傷付く。 

「それでも・・・ディアナ、君を離したくないんだ」

もう傷付けないと幾度も誓い、しかし現実はギルバードに厳しかった。守りたい、幸せにしたいと願うのに周囲の思惑に巻き込まれ、そのたびにディアナは振り回されて傷を負っているのが現実だ。

ギルバード自身が注目されることにも期待されることにも否はないし、もう既に慣れた。信頼出来る者たちと共に自国の民を守り、自国の発展に尽力出来る立場であることを誇りにしている。苦労もあるだろうが、その苦労を乗り越えた先には幸せも多いと信じている。その幸せをディアナと共に味わいたい。もうディアナなしの人生など有り得ない。

そう思い、願い、やっと頷きを返してくれたディアナが堕ちていくなど耐えられない。

項を持ち上げようとした時、短い髪に手が止まった。

ざんばらに切られた髪を目に胸の痛みが強くなり、目元と鼻が熱くなる。だが泣いていいのはディアナだけだ。泣く暇があるなら、早くディアナが無事に目覚めるよう努めたらいい

栄養剤を口に含み、ディアナの項に手を入れて頭を持ち上げる。触れた唇の渇いた感触に嗚咽が漏れそうになり、ギルバードは耐えるように強く目を瞑った。

 

 

 

バールベイジ王がエルドイド国を訪れたのは、ギルバードがバールベイジ王城を破壊してから五日後のことだった。ビクトリア王女にかけられた隷従の呪より解放され、少しずつ本来の王に戻ったらしい。

王女がいく度もエルドイド国に密偵を送り込んだことや、ギルバードの婚約者を攫い廃人にしようと画策、実行したことを受け取った書簡から知り、バールベイジでは連日会議が開かれたそうだ。兎にも角にもまずは王女の非礼を詫びようと貢物を山と積んだ馬車とともに訪れた。謁見の間に通されたバールベイジ王、宰相、公使の三人は即座に床に伏せるように蹲り、エルドイド王の訪室を待ち続ける。

やがて現れたエルドイド王は、ぶるぶると震える三つの巨体を目にして歩を止めるほど驚かされた。 

「バールベイジ王、・・・立たれよ」 

「いえっ、こ、このままでっ。どうぞ」 

ギルバード、ローヴ、レオンから詳細報告を受けているが、バールベイジ王の余りの変わりように、隣に立つ宰相に思わず振り返った。宰相も片眉を上げ、小さく頷きを返す。 

「・・・ごほん。バールベイジ王、我が国からの書簡を隅から隅までよく御読み頂けただろうか。我が息子、ギルバードの未来の嫁、未来の王太子妃、ゆくゆくは王妃になろう女性を、バールベイジ国の王女が誘拐し、拉致監禁し、毒物を飲ませたと御存じか?」

「・・・っ、・・・っ」 

床に蹲るバールベイジ王は見てわかるほどガタガタ震え、問いのひとつひとつに息を詰めながら大仰なほど頷いている。これでは話しにならないと不貞腐れ嘆息を零す王を諌めた宰相は、畏れ多いと首を横に振るバールベイジ王らを無理やり椅子に座らせた。 

「まず、王女は我が国で罪を償って頂くこととし、貴国との同盟関係は廃します」 

「は、はいっ」 

「次に、バールベイジ国はエルドイド国アラントル領、領主リグニス侯爵が息女誘拐による、領主への精神的慰謝料を一か月以内に支払うこと。これは直接ではなく、エルドイド王宮を経由して支払うこととします。リグニス領主にこれ以上の精神負担を強いる訳にはいきませんので」

「は、はいっ」

「続きまして、王女が数日間無断拝借した山小屋の使用料、及び山小屋改装の復旧費用、破壊した馬車の弁償費用、エルドイド国の瑠璃宮魔法導師出張費、解毒剤作製費用などは後日詳細を記した請求書を送付しますので、到着次第速やかに支払って頂きたい」 

「は? ・・・あ、はいっ」 

「ギルバード殿下が貴国の王城を破壊した分は、御請求頂けましたら即座に御支払い致しますが」 

「い、いえ、それは結構です! 我が娘ビクトリアが親である私をも謀り、王女の立場を利用して惑乱したことが原因です。殿下が御怒りになるのは尤もなことで、本当に、誠に申し訳なく・・・」

「そうですか。請求はなさらないということで宜しいのですね?」

「はいっ。本当に・・・誠に申し訳なく・・・」

言質はとったとばかりに守銭奴のようなことを堂々と言い放つ宰相に対し、バールベイジ王は蒼褪めたまま必死に謝罪を繰り返す。エルドイド王はすっかり興味を失い、立ち上がった。 

「同盟は廃するが、今後も友好な関係が続くよう、貴国の王太子に申し伝えてくれ」 

「・・・あ、ありがとう御座いますっ」

言外に今後の関係はバールベイジ王ではなく、次代の王とのみ持つという意味を含ませたのだが、バールベイジ王は今にも泣きそうな歪んだ顔でエルドイド王を見上げた。

「それと、バールベイジ国内の有力貴族息女も、一切担ぎ出さぬようにな。ギルバードの嫁はすでに決定している。誰を連れて来ようと無駄だと、周知徹底させてくれ」

「は・・・、はいぃ・・・」

僅かな望みもないのかと項垂れるバールベイジ王に背を向ける。ようやく謁見の間を離れることが出来たエルドイド王は肩を揺らし、「あとはディアナ譲が無事に目を覚ますだけだな」と微苦笑を零した。

 

 

 

まだ解毒剤は出来ないのかとギルバードが苛立ちを爆発させる寸前、魔法導師のカイトが訪れた。

薬草が乾燥し、待ち望んでいた解毒剤は無事に完成したと報告される。しかしギルバードが安堵する間もなく、まずは王女配下だった魔法導師の家族に飲ませ、その経過を見てからディアナに飲ませる予定だと言う。すでに家屋周囲に掛けられていた呪は解かれ、家族全員の健康状態を調べている最中で、病気の進行により治療を優先させる者もいたが、他に大きな問題ないと続ける。  

「・・・ディアナに早く飲ませたい」 

「最低でも三日は経過を見たいとザシャが申しております。魔法導師の家族は長期間服用していたので、解毒剤の効きや副作用など、ディアナ嬢に万が一のないよう詳しく調べる必要があります」 

ディアナのために作った解毒剤を、ディアナが一番最後に飲むことになる。万全を期すためだと理解出来ても、焦燥感は拭えない。 

あれからディアナは眠り続けている。眠っていた方が精神は安定しているとローヴが判断したため、眠り香を焚き続けているのだ。あとは日に一度、ギルバードが特製の栄養剤を飲ませるだけでディアナは眠り続ける。解毒剤を飲ませる前に髪の長さを元に戻すよう言ったが、本人の意思を無視して魔法をかけることは出来ないと言われ、短い髪のディアナを見つめ続けた。

 

「・・・時間がかなり経過しているが、元のディアナに戻るのか?」 

「それははっきりお答え出来ません」 

「そう、か・・・」 

ギルバードは項垂れそうになった頭を無理やり持ち上げた。いま一番大変なのはディアナであり、解毒剤を作っていた魔法導師であり、囚われていた魔法導師の家族だ。自分は待つしか出来ない。ならば腹を据えて待ってやろう。ディアナにかけた魔法を解くのに十年。再び出会ってまだ数か月だ。その数か月の間にディアナは様々な困難に遭い、それでもギルバードとの婚姻を承諾してくれたのだ。愛しいと思うのはディアナだけ。妃に望むのはディアナだけだ。他に欲しいものなどない。

 

「元のディアナに会えるまで、俺はいつまでも待つぞ。・・・だが俺に出来ることは少ない。いま出来ることは祈ることくらいだ。みんなの協力なしには、何ひとつ為し得ないと解かっている。瑠璃宮の導師たちの努力に、俺は何を返したらいいんだろう」 

ギルバードが思いを零すと、ローヴが大きく目を瞠り腕を伸ばして抱き締めて来た。決して王子の言葉に感動しているのではないと解かる震えはいつものことで、ギルバードも苦笑して抱き締め返す。

 

「何の気遣いも必要ありませんよ。殿下が、いまの殿下のままでおられることで充分です。それと殿下が御選びになられた妃がディアナ嬢であることも、私どもは嬉しくて堪らないのです。殿下はディアナ嬢に運命を感じて、十年前に魔法をかけたのかも知れないと、私はそう考えてしまいます」 

「・・・実は、俺もそう思ったことがある。まあ、ディアナには申し訳ないとは思うが」

「実際は申し訳ないどころじゃないですよね。ディアナ譲も、魔法を解いた後に、ここまで酷い目に遭うなど想像すら出来ないことでしょうから」 

 

背をバシバシ叩きながら笑うローヴに、ギルバードも笑い返すしかない。そしてローヴの肩を掴むと身を剥がし、深々と頭を下げた。 

「よろしく・・・、お願いします」 

その背を、ローヴにそっと撫でられ、ギルバードは唇を戦慄かせた。

 

 

 

 

 

 

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