紅王子と侍女姫  114

 

 

穏やかな日常は瞬く間に過ぎ、日々春めいて来て、あっという間に春祭りの前日となった。

リグニス城で働く者たちも領主を筆頭に飾り付けや露店の準備を始め、ディアナは子供たちに配る焼き菓子を作り、それを紙袋に詰めていく。

双子が交代で連日猟師と山中で狩りに励んだお陰で、例年よりも多くの振舞い料理が出来上がる。料理長が仕込み終えた大鍋を食堂に運び、双子に味見をお願いすると、二人は頬を押さえて身悶えた。 

「すっげぇ、うまい!」 

「最高だよ! 明日の朝も食べたい!」 

双子騎士より味のお墨付きをもらった料理長は満面の笑みを浮かべ、取り分けておくと約束した。

 

「これは領民が喜びますねぇ。オウエン様とエディ様が顔を出せば、さらに盛り上がるでしょう。年頃の娘たちから、騎士様は祭りに顔を出すのかと問い合わせが舞い込んでますから」 

「見目良く、家柄良く、いや良過ぎるほどの貴族子息など、アラントルでは見かけることなどありませんからね。今のうちに目に焼き付けようとしているのでしょう」 

「夢よねぇ。物語りに出てくるような騎士様と手を取り合って踊れるかも知れない、夢!」 

ロンとラウルの呟きに、姉カーラがうっとりと頬を染める。

明日の春祭りには長姉のアリスンも家族と共に来る予定で、双子騎士に会うのをとても楽しみにしているという。賑やかになりそうだと、ディアナも微笑んだ。 

広場にはすでに多くの露店が立ち並び、明日の祭りを今か今かと待ちわびている。大勢の人が集い、今年も豊作でありますように、天災や事故が無く過ごせますようにと祭りを楽しむ。祭りの夜はランタンの下で老若男女が踊り、これがきっかけで良い仲となり結婚する者もいる。

双子騎士と少しでも会話し、ダンスが踊れるように夢見る娘は多いだろうとカーラが言う。 

「お二人が祭りに御出になられると、猟師や農家の跡取りが歯噛みするでしょうね」

「あっという間に娘たちがお二人が囲んで、賑やかな祭りになりそうですね」 

ロンたちの苦笑に双子が「俺たち、もてもて?」と首を傾げると、侍女たちから黄色い悲鳴が上がった。

  

 

祭りの当日は晴天に恵まれ、朝から澄み渡る空にディアナは目を細めた。

城から港までの街路樹に飾られた花飾りのビーズに陽の光が弾かれ、見ているだけで胸が躍る。祭り会場となる広場から楽し気な音曲が聞こえ始め、風に乗って子供たちの歓声が耳を擽る。昼前には腕自慢が集まっての催し物が開かれるため、露天商は気合を入れて最後の仕込みをしているだろう。 

「ディアナ嬢はどこから見る?」 

「城から出て、祭りに参加しても・・・いいのでしょうか」

「あっ、忘れてた」 

ディアナは王城から指示が来ない限り、リグニス城から出てはいけないはずだ。そう尋ねると、魔法導師から預かっている鳥伝で問い合わせて来るとオウエンが部屋を出て行った。オウエンの姿が見えなくなると、エディの表情が急に曇り出す。

 

「あの、エディ様。私は春祭りの間、城に残って掃除をしているのが常ですので、よろしければお二人でお楽しみ頂けたら、みんなも嬉しいと思います」 

護衛として来ているとはいえ、城に籠るディアナに付き合わせるのは申し訳ない。町のみんなも二人が顔を出すのを楽しみにしているし、もし二人が現れなかったら残念に思うだろう。第一、二人も祭りを楽しみにしていた。それを我慢させるのは申し訳ない。

だけどエディは首を横に振り、唇を突き出した。 

「城に残るなんて、寂しいこと言わないでよ。俺たちはディアナ嬢と一緒に参加するのを楽しみにしていたんだよ。でさ、あとで殿下に『いいでしょー! 羨ましいでしょー!』って言うつもりなんだ」 

「・・・・え?」 

「それと、絶対に何があっても守るから。今度こそは攫われないようディアナ嬢を護衛するから、安心して、一緒に祭りを楽しんで欲しいんだけど・・・・、駄目?」

 

祭りのために衣装も用意したんだと、いつの間に準備していたのか箱に入ったドレスを差し出される。蓋を開けると春らしい淡い色合いのドレスがあり、幅広の腰のリボンは濃い緑色で、それは双子騎士の衣装と同じ色だった。「俺たちとお揃いだよ」と笑うエディに苦笑してしまう。

戻って来たオウエンが「大丈夫だって」と言うと同時にエディに背を押され、ディアナは早速着替えることになった。  

 

双子騎士の肘に手を掛け、ディアナはラウルに見送られながら城を出る。緩やかな坂を下り、木々に飾られた花を愛でながら歩いていると、子供たちが歓声を上げながら広場に駆け込むのが見えた。 

「肉料理の匂いがする!」 

腹を刺激する匂いが二人の足を速め、背の高い双子に挟まれたディアナは殆ど担ぎ上げられているような状態で広場に到着した。双子騎士の登場に悲鳴のような歓声が上がり、何故か拍手までされてしまう。

すぐに露店に向かうのかと思ったが、双子は祭りの広場中央の人だかりに目を向けてディアナの腕を引っ張った。 

「ディアナ嬢、腕相撲してくるから、応援してね!」 

野太い歓声に沸く集団の中に、エディが飛び込んでいく。オウエンがディアナの肩を掴んで観客の集団に押し入り、「その次は俺を応援してね」と目を輝かせた。エディが参加すると知った女性陣の歓声が男たちの鼓膜を劈き、俄然やる気になった対戦者たちが鼻息も荒くエディを睥睨する。

おろおろするディアナを安心させるようにオウエンが肩を叩く。

 

「騎士団でも腕相撲大会があるんだ。俺たち、結構強いよ」 

「本来のお仕事に支障の無いよう、本当に・・・あの、気を付けて下さいませ」 

王宮騎士団である彼らの本来の仕事は王族を守ることだ。いくら二人が強いと言っても、山賊たちをいとも容易く縛り上げる男たちが相手では心配にもなる。万が一にでもアラントル領民が双子に怪我を負わすことなど無いよう、ディアナは必死に祈った。

 

順番が来て、エディが舞台に上がると女性陣から上がる歓声は悲鳴となり、その悲鳴にさらに人が集まり歓声と怒号と悲鳴で耳が痛い。対戦相手として現れたのは三十代後半の筋骨隆々とした浅黒い肌の男で、エディは相手の逞しい右腕を見て目を瞠り、しかし直ぐに眇めて唇を舐め上げた。 

舞台上に据え置かれた頑丈な机に肘を乗せ、審判の掛け声と共に二人の腕に力が入る。

頑丈な机がギシリと音を立てると同時に場は一瞬で静まり返り、舞台を見守る観客が息を止めて顔を赤らめる中、オウエンが「負けたら騎士団長にしばかれるぞぉ」と気の抜けた応援をした。

即座に「ぜっ、たい、に、やだー!」の叫びが上がり、直後、エディの手が対戦者の腕を叩き付ける。

地を揺るがすような歓声と共にエディの腕が審判によって持ち上げられると、今度はオウエンが舞台に上がった。女性陣から再び黄色い歓声が上がり、苛立ちも露わな二十代後半の男性がゆったりとオウエンに近付く。現役漁師の男は険しい表情でオウエンに何か話し掛けたようで、オウエンはそれに笑いながら頷いている。

オウエンの相手が去年の優勝者だと紹介されると、観客の男たちが「やっちまえー!」「折れーっ!」と物騒なことを叫び、女性たちから非難を浴びた。エディが「負けたら騎士団長にしばかれるぞぉ」とやり返すと、オウエンが小さく舌を出す。

審判の掛け声に双方の表情が変わり、観客たちも固唾をのんで見守る。がっちりと組まれた手はピクリとも動かず、拮抗した戦いが無言で続けられる。舞台上でも下でも無言の熱気に包まれ、息詰まる勝負がじりじりと続いた。

 

「エディ様、オウエン様の顔色が・・・」 

「ん、大丈夫だよ。オウエンは俺より強いから」

「そう、なのですか? ・・・・でも」 

そう言われても試合開始から一分を経過すると、息を詰めて見守っていた観客も我慢の限界と息を吐き出し、あちらこちらから応援の声が上がり出す。漁師仲間から「ルバード、何やってんだよ」と怒鳴り声が上がり、娘たちからは「騎士様、頑張ってーっ」と悲鳴が上がった。 

「・・・っ、ぐぅう!」 

苦しそうな呻き声と共に肘を上げたのは対戦者の方で、オウエンは詰めていた息を吐きながら片手を掲げた。オウエンは机に突っ伏して顔も上げられずにいる男の手を持ち上げると、勝手に握手をして舞台を降り、会場は地面が揺れんばかりの歓声に包まれた。

続けて試合をする気はないようで、双子はディアナを連れて早々に移動を始める。 

「オウエン、時間掛かったな。少し鈍ったか?」 

「いやあ、何から食べようか考えていたから」 

「それ、わかる! 何から食べようかぁ」 

笑い合う双子の横で、ディアナはただただ安堵の息を吐くしか出来ない。

領主主催の露店に顔を出した双子騎士は料理長自慢の煮込み料理とワインを堪能し、その後は財布を仕舞う暇もないほど次から次へと店を回り、腹を擦りながらも次の露店に向かう。 

 

昼を過ぎて、設えてあるベンチに腰掛けると双子の近くに人々が集まって来た。深窓の令嬢として有名な領主娘の姿に集まった年配の漁師たちが目を丸くし、双子には腕相撲大会の感想を述べる。すっかり顔馴染となった双子は肩や腕を叩かれ、漁師たちに明日の決勝にも出るよう約束させられていた。

年配者の一陣が去ると、次に集まって来たのは若い娘たちだ。淡く頬を染めた娘たちは王宮騎士団員である双子の強さを褒め称え、物怖じすることなく一緒に店をまわろうと誘いを掛ける。娘たちが作った輪の外側には若い男たちがいて、何を話しているのか、どう動くのかを窺っているようだ。

「もてる男はつらいよ」 

そう口端をゆるめた双子はディアナを領主たちのいる露店に連れて行き、賑やかな集団に取り囲まれたまま移動を始めた。人が集まり過ぎては何かあった時に対処出来ないから、少しだけ付き合って来ると双子は言う。ディアナの護衛は暫しロンが請け負うことになり「あまり飲み過ぎないように」と釘を刺されていた。

娘たちの目的は露店巡りではなく、夜に催されるダンスの申し込みだろう。それを阻止しようとしてか、若者たちが双子の足を止め、もう一度試合をしようと持ち掛けている。即座に娘たちの返討ちに遭い、怯みながらも双子を挟んで娘たちと若者たちが揉め始めた。さすがに騎士の腕を掴む者はおらず、双子はのんびりとした様子でディアナに手を振っている。

 

「ディアナが来るのは久し振りねぇ。・・・あら、初めてかしら?」 

「幼い頃に来た覚えがあります。今年も城で過ごそうと思っていたのですが、エディ様オウエン様に誘われまして足を運びました。このようにドレスの御用意も頂き、楽しんでおります」 

「とても素敵よ、ディアナ。ギルバード殿下も来られたら宜しかったのにね」 

露店手伝いをしていた姉カーラの柔らかな笑みに微笑み返しながら、ディアナはそっと胸を押さえた。

王子はまだ忙しいのだろうか。各々に返答した書状に対して、何か新たな動きがあったのだろうか。

もう面倒事は片付いたのだろうか。

・・・・アラントルには、また来てくれるのだろうか。

 

「まあまあ、双子騎士様はたいへんな人気ね。普段なら絶対にお会いする機会などない王都の貴族様と、もしかしたら手を取り合って踊れるかも知れないって、ここ数日は大変な騒ぎだったのよぉ。で、踊って下さるのかしら?」 

ディアナの警護もあるだろうけど、交代でなら踊ることも出来るわよね。そう尋ねる姉に曖昧な笑みを返したディアナは、姉の関心が双子に移り変わったことに安堵した。

王子を好きだと自覚してから、ずっと悩んでいることがある。

会えなくて淋しいと、それが王子を恋しく思うが故に生じる感情だと気付いた。頭痛とともに浮かぶ過去の風景に黒髪黒瞳の人物が現れることが多くなり、だけどはっきりと顔が見えない。互いに語っている内容も判らず、焦れた気持ちが日に日に大きく膨らんでいる。

自分は何を語り、何をして王子と歩む未来を決めることが出来たのだろう。

いまの、記憶がないままの自分でも、王子は好きだと言って下さるのだろうか。

このまま記憶が不明瞭なままでは護衛に就いている双子騎士にも迷惑だろうし、王子だっていつまでも待ってはいられないはずだ。王位継承権を持つ王太子殿下は今年二十一になられると聞く。エルドイド国の歴史を習うほど、自分が王太子妃になどなれる訳がないと眉が寄り、それでも王子の気持ちを信じたいと手紙を読み返してしまう。

出来ることなら、ギルバード王子の顔を見たい。直接、手紙の言葉を声に出して語って頂きたい。何度も手紙を広げては認められた文字を指でなぞり、抱き締められた感触を思い出す。長い腕と、大きな乾いた手だった。剣の鍛錬を繰り返した硬い手の平。真っ直ぐに見つめて来る黒曜石の双眸。一緒にいると高揚するが緊張はしなくなった。王城で過ごした半年は、どんな風に過ごしたのだろう。 

――――会わないまま三か月以上が経つが、今でも・・・・想っていて下さっているだろうか。

 

顔を上げると多くの女性に囲まれた双子騎士がいて、困ったような顔で笑っている。王都に住まう本来なら会う機会など皆無のはずの双子騎士と踊る機会を得たいと望む娘は多く、何人と踊れるか、順番はどうするかと男女入り混じって揉め始めた。 

ふと、規模はまるで違うが、祭りは舞踏会と同じようなものだろうかと考える。

双子のように、王子も多くの貴族息女に囲まれて一緒に踊って欲しいと請われることがあるだろう。他国の姫君たちと踊ることもあっただろう。垣間見た過去の記憶と思われる王城のあの大きな広間で、美しく装った令嬢と手を取り合い、楽しまれたのだろうか。

 

「・・・っ!」 

眉間に痛みを覚えると同時に、目の前が揺らいで見えた。また記憶が蘇るのだと思い、近くに座れそうな場所を探す。心配顔の姉に断りを入れて、露店裏の大木の根元に椅子を置いてもらい腰掛けた。ひとりになっては何かあった時に困ると言われ、ディアナの隣りに侍女が立つ。 

鈍い痛みに耐えながら目を閉じると、直ぐに過去らしき光景が瞼の裏に浮かんできた。

眩しい明かりが零れ落ちる大広間に驚き、周囲を見回すとディアナの両隣りには双子騎士がいた。

王宮だろうか、大広間には多くの人が行き交い、誰も皆着飾っている。視線を落とすと自分もふわりと広がる綺麗なドレスを着ていて、舞踏会に来ていると気付いた。ひどく緊張している自分は、隣に座るレオンにいろいろ教わりながら食事をしている。場面が変わったと思った瞬間、ディアナは何故か国王に手を取られて誰もいない大広間へと誘われた。きんっと耳鳴りがするほど緊張は増し、腰に回る力強い手にまさかと目を瞠る。大きなシャンデリアは蝋燭ではなく、魔道具が使われていると聞いた。だからあんなにも美しく輝き、眩しいのか――――。

 

驚くほど眩しい光を感じて現の瞼を開けると、ディアナの目の前にはフードを被った人物が立っていた。

ザシャやカイトのような衣装を着ている姿に、祭りに参加するディアナを気遣い、わざわざ王城から魔法導師が来てくれたのだと思った。

だけど次の瞬間、息を飲む。

足元に侍女が倒れているのが見え、こんな場所で気を失っている侍女の様子にディアナの顔は強張った。

即座に周りを見回す。ディアナがいる大木の周囲に、怪しげな人物と倒れた侍女以外はいない。今いる場所は露店から少し離れたひと気のない場所で、双子騎士の姿も見えない。ロンが時折振り返っているが、突然現れた人物や侍女の様子に驚くこともなく、穏やかな笑みを浮かべている。きっと『見えて』いないのだろう。乾いた咽喉に無理やり唾を飲み込むディアナの前で、フードを深く被った人物が口を開いた。

 

「突然で申し訳御座いませんが、御聞きしたいことが御座います。あなたは、エルドイド国の王太子であるギルバード殿下と、婚姻の約束をされましたか?」

 

長身で細身な男はディアナの名も立場も尋ねることなく、直截に問う。そこで気付いた。目の前の人物はエルドイド国の魔法導師ではなく、間違いなく王子の妃が決まることを良しとしない人物だと。

侍女が眠らされている状況から、ザシャやカイトのような魔法導師なのかも知れないと思った。魔法を操る彼から逃げることは難しいだろう。第一、侍女が眠っているのを置き去りには出来ない。双子騎士が気付いてくれたとしても、魔法導師を相手に剣が通用するのだろうか。袖から杖や皿を簡単に出すことが出来る魔法導師を相手に、騎士はどう立ち向かうのだろうか。万が一にでも王宮騎士団である双子騎士が傷付くなど、あってはならない。相手が何を考えて質問しているのか解からないが、何かされるなら、自分一人だけの方がいい。

不意に、王都で垣間見たエディの表情が過ぎる。

護衛していたのに助けられなかったと顔を顰めたエディの姿が頭に浮かび、自分に何かあっても駄目だと改めて思う。では自分に出来ることは何か。細く息を吸い込みながら、ディアナは出来るだけ時間を稼ごうと決めた。

 

「・・・その前に、あなたのお名前をお教え願えませんか?」 

ディアナを警護してくれている双子に危害を加えられるのも、騎士である彼らに守るべき者を守れずに口惜しい思いをさせるのも駄目だ。もっと駄目なのが、下手に大声を出して注意を集め、領民に何かされることだ。悔しいが、やはり城から出ずにいた方が良かったのかとさえ思えてしまう。どうやって時間を稼いだらいいのかと思案するディアナの前で、男は被っていたフードをずらして顔を出した。

 

「私はアギナ皇国より参りました王宮魔導士。名はウッツと申します」 

「・・・初めまして、ウッツ様」 

男は黒髪短髪で眼鏡を掛けていた。ディアナの問いに答える彼の表情からは何を考えているのか全く解からない。ディアナは震える足に力を入れて立ち上がり、腰を落として挨拶を返した。最初に思った通り、相手は魔法が使えるようだ。

 

「私はディアナ・リグニスと申します。エルドイド国アラントル領主であるリグニス侯爵家の三女です」

「はい、存じ上げております」

侍女を眠らせたのはウッツ様ですか? 彼女は眠っているだけですか? 怪我などしていませんか? 彼女は直ぐに目覚めますか?」 

「はい。私の用が済みましたら、すぐに目覚めます」 

「そうですか、それは安心しました。・・・ウッツ様の御用が何かは存じませんが、これだけは約束して下さい。ここには大勢の人がいます。祭りを楽しんでいる善良なエルドイド国の民です。どうか、祭りを楽しむ民たちの邪魔だけはなさらないで下さい。お願い致します」 

これだけは譲れないと真摯に願い出ると、ウッツなる人物は口を結んだまま静かに背後を振り返った。彼の視線を追うと、そこには未だ娘たちに囲まれている双子騎士の姿がある。

 

「あそこにおられるのは、王宮騎士団の騎士である、フリック伯爵家の御子息方。王宮騎士団長は彼らの叔父であり、副団長を務められておられるギルバード殿下が最も信頼を寄せている御方。甥である二人は殿下の護衛騎士が本来の職務。その二人があなたと共に行動されているというのは、ギルバード殿下が我が国でおっしゃていた未来の妃が、あなたであるという証拠だと、私はそう思っております」 

「そ、そうと決まった訳ではありません。詳細をお伝えすることが出来ませんが、い、いろいろありまして、それでエディ様とオウエン様がしばらくの間、アラントルに」

膝上で手を握り締めたディアナは必死に声を上げるが、彼はゆるく頭を横に振った。 

「どのような経緯があって護衛に就いているかは存じませんが、事実、彼らがこの地であなたの傍にいることが証明となりましょう。ギルバード殿下が描く未来の妃はあなたに相違ありません」

「で、ですが・・・それは」

「私の用件は、それを辞退して頂きたいということです」

ウッツは眉を僅かにも動かすことなく、ディアナを見下ろす。滔々と語る内容は断定的で、これ以上どう言えば伝わるのだろうと、ディアナは顔を顰めた。

 

「我がアギナ皇国皇女である、マルガレーテ・ローレ・ヴィルダー様は、ギルバード殿下との婚姻を切望されております。大国であればあるほど、王位継承権を持つ者の婚姻がどのような意味を持つか、殿下も御存知のはずです。自国のために婚姻という策を用いて強固な絆を結ぶのは当然のこと。・・・大陸一の強国であるエルドイド国の王太子妃が、自国の領主娘など有り得ません」 

 

乾いた咽喉にどうにか唾を飲み込んでディアナは口を開いた。だけど伝えたい言葉を象ることが出来ずに視線を彷徨わせたまま口を閉ざす。彼が語る内容に間違いはない。ディアナだけではなく、国民全員がそう思っているだろう。王子に相応しい結婚相手は他国の姫か大貴族の息女だろうと。 

 

「他国の姫君も、我が皇女と同じようにギルバード殿下との婚姻を強く御望みです。当然でしょう。この国は大陸一の強国です。どの国もギルバード殿下に自国の姫を嫁がせようと様々な努力をして来ました。それが何故、殿下は自国の、一領主の娘との婚姻を望まれるのか・・・・理解に苦します」

 

彼は王宮魔導士だと言っていた。魔法導師であるローヴたち同様、王に仕える立場なのだろう。

だからこそディアナに対し厳しく辛辣な口調なのだ。自国の更なる発展のため、自国の姫の幸せを願うからこそ、エルドイド国王太子との婚姻を結びたい。リグニス城に届けられた書簡の量を思い返せば、それは理解出来る。

だけど、そうですね、と頷くことも納得することも、今のディアナには出来ない。それは相手側の要望であり、当事者である王子が何を望んでいるのかは考えていない。国のために、より良い条件を持つ相手と婚姻を結ぶのは当然のことで、そこに個人の感情など必要ないと断言しているように感じた。

国を思うからこそ魔導士はアラントルまで足を運び、ギルバード王子との婚姻を望む。書簡では埒が明かないと、ここまで来た彼に何を言えばいいのか。不確かな立場のディアナは口を閉ざして息を詰めるしか出来ない。

 

「おや、理解出来ない? それはねぇ、殿下がディアナ嬢をとっても愛しちゃっているからだよ」 

「ディアナ嬢の心を射止めるため、ギルバード殿下がどれだけ頑張っていたか、知ったらきっと応援したくなるって。だから――――邪魔しないでくれる?」

 

重苦しい雰囲気を茶化すような声に顔を上げると、双子騎士がウッツに剣を向けているのが目に映る。驚いて思わず駆け寄ろうとすると腕を引かれ、振り返るとカリーナが微笑んでいた。

目を瞠るディアナを抱き締めながら、「もう、大丈夫ですよ」と背を摩る。その肩越しにはカイトが侍女を抱きかかえて運ぶのが見え、安心すると同時に体中から力が抜けそうになる。思わずカリーナにしがみ付くと、優しく抱き締められた。

 

「ディアナ嬢が城を出るのを、ひたすら待ち続けた、その執念と根性は認めましょう。ですがこれ以上、彼女に近付くことも声を掛けることも禁じます。これはエルドイド国王陛下、及び王太子殿下よりの命です。・・・・それでも、逆らいますか?」

 

微笑んでいるように見えるカリーナの口調は厳しく、その横に立つ双子は肩を竦めてディアナに笑い掛ける。ウッツはひとつ息を吐くとディアナと距離を取り、袖から出した杖を緩慢な動作で地面に置いた。

 

「ディアナ嬢、この周囲は結界に包まれておりますので、祭りに参加されている領民は誰も気付いておりません。それと侍女はカーラ様の許へお連れしました。少し貧血気味のようだから休ませて欲しいと伝えておきました。ディアナ嬢は双子と合流し、祭りを楽しんでいると伝えてあります」

 

戻って来たカイトの説明にディアナは頷きながら安堵の息を吐く。ウッツはエルドイドの魔法導師二人と護衛騎士二人を前にして、ただ黙って静かに佇んでいた。 

国内外から多く届けられた書簡から、どれだけ王子の婚約者に関心が寄せられているのかが窺い知れる。王子から直筆の書簡が届けられても納得出来ないと、王宮魔導士の彼が遣わされたのだろう。

富国強国であるエルドイド国の王位継承権を持つ王子を求める姫は多いはずだ。子の幸せを望み、親は出来るだけ豊かな相手と婚姻を結ぼうとする。それは貴族も領民も同じだ。互いに想い合って結婚する者もいるが、王族では有り得ないと誰もが知っている。

過去の自分に何があって、ギルバード王子からの求婚を受け入れたのは解からないままだが、王子からの手紙を手にした時から、その気持ちを受け止めたいと思うようになった自分がいる。

 

「あの、ウッツ様。皇女様のお気持ちを伝えに来られたのはわかりました。ですが、それは殿下に直接申し上げて下さい。いまの私の立場では・・・どう言えば御理解頂けるか、うまく話すことが出来ません」 

「ギルバード殿下が望まれているのは、やはりあなたなのですね」 

「わ、わたしの口からは何とも・・・」

 

記憶が戻らない今は、過去の自分がどういう経緯で王子と将来を誓い合ったのか見当もつかないし、妃に望まれていますと言うのも憚られる。

王子から頂いた言葉と王子に対する自分の気持ちを、王子を知る人たちの前で口にするのは難しい。というか、恥ずかし過ぎて絶対に口に出せない。口にすると、読み終えたと同時に耳元に感じた、あの濡れた音を思い出してしまうから。 

 

 

 

 

 

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