紅王子と侍女姫  116

 

 

「ディアナに何が・・・・え、王太子殿下!? 一体、どうして・・・?」

カリーナが大木周囲の結界を解くと、ロンとカーラが青い顔をして立っていた。 

祭り会場に突然王太子殿下付き侍従長であるレオンが現れ、続いて魔法導師までもが顔を出す。何と問う前に笑みだけ残して姿を消したのだから、焦燥は増すばかりだった。またディアナ絡みで何か起こったのかと、若い夫婦はレオンが消えた場所を見つめ続けた。やがて姿を現したのはレオンだけではなかった。初めて見る女魔法導師のほか、ギルバード王子までいる。驚きが過ぎた姉カーラは身体を震わせていた。

ディアナは姉夫婦に安心するよう笑みを見せ、騒ぎが起こる前に城へ戻ると伝える。

 

城に戻ると、執事のラウルが目を丸くして出迎えてくれた。双子騎士と出掛けたディアナが、王子と侍従長と魔法導師を連れて帰城したことに、何があったのかと蒼褪める。 

「いえいえ、私どもはディアナ嬢が祭りに参加されると聞いて足を運んだだけです。おかげで、春の女神と見紛う大変可愛らしいドレス姿を拝見することが出来ました」 

レオンの大仰なしぐさと話に、ラウルが目を瞬きながらも安堵の息を吐く。 

「ありがとう御座います。エディ様オウエン様がご用意下さった品です」 

双子が、ディアナのドレスは自分たちとお揃いなんだと胸を張ると、王子が目を剥いた。しかしレオンが「本当に、とても良くお似合いです」と褒め称えた瞬間、王子の顔が困ったように笑みを浮かべる。 

「うん・・・春らしくて、ディアナに良く似合う」 

「あ、ありがとう御座います」

 

王子の真っ直ぐな言葉に、視線を合わせることが出来ない。恋を自覚してから、王子に初めて会うのだ。戸惑いと緊張、治まらない動悸にどこに視線を持っていけばいいのか悩んでしまう。白昼夢のような記憶の断片の中に、王子の姿は微かにしか現れなかった。三月以上会えない日が続いたが、王子は突然現れ、ディアナを抱き締め、今は目の前で微笑んでいる。まだ夢を見ているようだ。 

強いほどの視線を感じ、顔を上げることが出来ない。

 

「さて、ディアナ嬢。本当に怪我などはないのですね?」 

「あっ、はい。ありません」 

ラウルが退室した応接室で、カリーナがディアナを痛ましそうに見つめて来る。 

双子が城から出る許可を取るために鳥伝を使った時、アラントル領に魔法の気配を感じたと言われ、急ぎ計画を練ったという。最初はディアナの傍を離れず警護し、しばらくしてから隙を作り相手を誘い出すと。離れた場所から注視していると、大木に寄り掛かるように休んでいたディアナの姿が霞み始め、やがて見えなくなった。祭り会場に潜んでいたカリーナたちに合図を送り、結界の中に潜り込んだ。 

「自領で行う祭りには現れるだろうと思っていたんだろうね。って言うか、ディアナ嬢が来なかったら、どうしたんだろう?」 

「城から出るまで、ずぅっとアラントル領で待機してたかも!」 

双子が互いの顔を見合わせて「やだねー!」と叫ぶ。 

ウッツは言葉だけでディアナを説得すると言っていたが、最終的には魔法を使うことも懸念して送られた可能性は否めない。カリーナは憤りながら、そう言い放った。確かに言葉で説得するのに王宮魔導士が来る必要はない。それも結界を張り、侍女を眠らせたのだ。ディアナが俯くと、王子に手を握られた。 

「もう心配はないから安心して欲しい」 

「はい。・・・大丈夫、です」 

 

僅かに眉を寄せたディアナを、ギルバードは痛ましい思いで見つめる。 

怖かっただろう、恐ろしかっただろう。過去アラントル領で二度目に亘って攫われたのち、毒物を飲まされたディアナは、ギルバードを目にして悲鳴を上げた。蒼褪め、瘧に罹ったように身体を震わせながら叫んだのだ。記憶がない分、訳が分からない今日の方が恐怖は強かったかも知れない。 

肩を竦ませて俯くディアナの様子に、ギルバードは激しい焦燥感を覚える。 

記憶を失ったディアナに再び恋してもらうため、週に一度アラントルに足を運んだ。時間の経過とともに妙な緊張感も解れ、一緒にお茶を楽しめるようになってきた。二人きりの散策もした。これなら上手くいけると高揚し、招かれた国々でつい口から零れてしまったギルバードの暴走に、アラントル領主には多大な迷惑を掛けてしまった。謝罪したいと思っても、ギルバードが顔を出すことで更に迷惑を掛ける可能性があると、王宮に軟禁される。

放った言葉に嘘偽りはないが、ディアナの両親に多大な迷惑を掛けたことは自覚した。やっと膨大な量の書簡と政務から解放され、ディアナに逢いに行こうとした直前、アラントルに魔法の波動を検知したと報告が上がる。城から出てからは、ディアナから少し距離を取ってカイトとカリーナに警護させた。 

それでも万が一の懸念がギルバードを苦しめ続け、やっと逢えた瞬間、ディアナから胸が爆発するのではないかと思うほどの衝撃を喰らう。

 

『ギルバード殿下は大変聡明で、エルドイド国の御為にと日々政務に励まれる、勤勉な御方です。とても慈悲深く、万人に笑みを向けられる高潔な御方です。殿下は精悍な御顔立ちで御立派な体躯の、とても凛々しい紳士ですから、多くの姫様が恋い焦がれるのも無理はないと思います。本当に誰に対しても優しく御親切で、いつも笑みを絶やさない御心の広い聖人のようなお人柄ですから、そのような御方の妃に望まれたいと願うのは当然だと思います』

 

なんてことだと、喜びの余りに咆哮したくなった。いくら己を戒めても、抱き締めてしまうのは仕方がないだろうと思う。記憶を失ったディアナが、今のギルバードを褒めてくれたのだ。天から宝玉が降って来たかのようだ。さらには胸に頬を摺り寄せ、甘えてくれた。気が遠くなるほど幸せだと思った。 

それなのに、祭り会場から離れた途端、ディアナはギルバードと視線を合わせなくなる。見も知らぬ男に対峙し、恐怖と疲れかと思ったが、ギルバード以外とは会話するし、目も合わせる。ギルバードが声を掛けると返事はするが、視線が彷徨う。 

・・・・もしかして、決定的に嫌われたのだろうか。 

自分の考えに視界が歪むほど落ち込むギルバードが肩を揺さぶられて顔を上げると、レオンが胡乱な目を向けていた。

 

「殿下、ディアナ嬢はここ最近、過去のことをいくつか思い出されているそうですよ」 

「え? ・・・ほんとう、か?」 

視線を落としたままのディアナが「はい」と頷く。 

「ディアナ嬢が見る『記憶』は時系列がバラバラだけど、ちゃんと実際にあったことばかりだよ。舞踏会とか、東宮図書室に行ったこととか」 

「街でパンを買ったことも思い出せたよね」  

「庭園で薔薇を摘んだこととか、ローズオイルを作ったことも」 

「少しずつだけど、ディアナ嬢は思い出しているよ、殿下」 

ギルバードは俯いたままのディアナに跪き、膝上で握られている手を掴み取る。驚いたように目を丸くするディアナの顔を見つめ、唾を飲み込んだ。 

「思い・・・出せているのか?」 

長い睫毛が瞬きする。艶やかな唇が僅かに開き、「はい」と鈴の音のような声を転がす。 

全身が総毛立ち、歓喜に胸が高鳴った。 

「少しずつ、ですが・・・」 

「そうかっ、・・・そうか!」 

目が潤むほど嬉しいことなど、ここ最近あっただろうか。日々押し寄せる書簡と積み重なる書類、連日の政務に疲弊していたが、ディアナの一言ですべて無に帰した。いつか思い出してくれるだろうと信じていた。信じていた甲斐があった。

 

「で、ですが全てを思い出せた訳ではなく、ところどころといった感じで・・・。解毒剤を飲んだことも、どうして王城に滞在していたかも、解からないままなのです」 

申し訳なさそうに項垂れるディアナの手を強く握る。どうしてそんな顔をするのだと、手を引き寄せながらギルバードは笑みを零した。 

「それでも・・・それでも充分嬉しいよ、ディアナ」 

これで確信が持てた。ディアナの記憶は消失したのではなく、一時的に眠っていただけだと。アラントルの穏やかな環境がディアナの心身を癒してくれたのだろう。自分が何の役にも立てなかったことを悔しいと思う気持ちもあるが、今はただ嬉しいと安堵の笑みが零れた。

 

「今回のことで、やはり警護の必要性があると確かめられました。リグニス領主には御面倒でも、このまま双子騎士をディアナ嬢のそばに配することが賢明ですね」 

「面倒なんかじゃないよね、ディアナ嬢」 

レオンの言に、双子がむっとして頬を膨らませる。その様子にディアナが頬を緩ませ、ギルバードの胸がチクリと痛んだ。本当なら自分こそが彼女のそばにいて、出来るなら片時も離れずに守りたい。いまだ上手い口説き文句など浮かんでないが、それでも出来るだけ少しでも近くで語り合ったり、目を合わせる機会を得たい。また週一度の逢瀬を繰り返すばかりでいいのだろうかと、眉が寄る。

 

「あの・・・ですが、王宮騎士団であるエディ様、オウエン様をいつまでもアラントルに滞在させていても宜しいのでしょうか」 

申し訳なさそうな表情でディアナが口を開く。レオンが顎に手を掛け、「ふむ」と真面目そうな声を漏らすのを耳にして、ギルバードは立ち上がった。 

「問題はない。ディアナに何かあってからでは遅いからな」 

「そうですよ、ディアナ嬢。今回と同じことが二度と起こらないとは限りません。王城内ならともかく、アラントルで何かあっても直ぐに駆け付けるのは難しいのですから」

 

カリーナも援護射撃とばかりに口添えをする。ディアナの魂を愛する魔法導師の中でも、カリーナが一番の信奉者かも知れない。さらにはギルバードを睨みながら、 

「また、同じような輩が来ないとも限りませんから、充分過ぎるほどの警戒が必要です!」 

と言い放った。居心地が悪いこと、この上ない。

 

「んんー。出来ましたら、ディアナ嬢には王城にてお過ごし頂くのが一番なのですが・・・。王城に滞在頂けたら記憶が戻るきっかけも多々ありましょうし、開発中の薬をお試し頂くのも手間が掛かりません。双子騎士の懸念も消えましょう」 

のんびりした口調でカイトが笑みを零す。ぱちくりと瞬きしたディアナと目が合い、ギルバードの口元が緩みそうになった。記憶を失い、心身を癒すためにアラントルの実家に戻ったディアナだが、今回のようなことを避けるために王城に来るというのは名案だ。また、ディアナと一緒に過ごすことが出来る。脳内に花が咲き乱れ出した時、ギルバードの心情を良く知るはずの者が待ったを掛けた。 

「その件に関しましてはディアナ嬢の御意志を尊重しましょう。急に王城に来るよう提案されても、即答出来ませんでしょう。来るか来ないかは、御両親や姉上様方と検討の上、御返答下さいね」 

「・・・・・・はい」 

戸惑った表情を浮かべながら、ディアナはレオンの提案に頷いた。しかしそれは、どこかほっとしているようにも見える。上手くすればディアナが王城に来るかも知れなかったのにと、ギルバードが唇を噛み締めていると、レオンに脇を突かれた。 

「殿下、少し宜しいでしょうか」

 

 

レオンに促されるまま、城を出て厩舎のある方へ移動する。人の気配がないことを確かめたレオンが、振り向きざま大仰な嘆息を零して頭に手を充てがった。 

「ごほんっ。今年になってから暴走著しい殿下に、御注進申し上げます」 

わざとらしい咳払いを数度落としたレオンが胡乱な視線を向けてくる。眉を顰めると呆れたような表情をして、もう一度咳払いをした。 

「ディアナ嬢の記憶が一部戻ったのは、アラントル領に戻ってからです。東宮庭園散策、ローズオイルの抽出、舞踏会で私と踊った素晴らしい過去を思い出したのは、心身共にリラックス出来る環境下にあるからではないでしょうか」 

そう思っていたことを滔々と述べられ、ギルバードはぐうの音も出ない。王宮に来て貰えるかもしれないと浮足立っていた、その足場があっという間に脆くも崩れ落ちる気がした。唇を真一文字に硬く閉ざしたギルバードの前で、レオンの口上は続く。

「そもそもディアナ嬢の記憶が戻ってもいないのに、『今度来る時は妃とともに訪れよう』などと暴走したのが原因でディアナ嬢は襲われたのですよ? それをご自身は御理解されておりますか? 大陸一の大国である殿下の周囲に人が集まり、集まった人々から多くの姫君を紹介されるなど想定内でしたでしょう。堪え性のない主を持った哀れな従者の気持ちを御理解頂けますか? 不用意な発言でリグニス領主には多大な迷惑を掛け、ディアナ嬢には城内に籠ってもらうこと丸三か月以上。地元の祭りに参加すると他国から来た男に襲われ、突然乱入した殿下に匂いを嗅がれる。未だ口説き文句のひとつも捻り出せず、していることは迷惑ばかりだと、御承知ですか?」 

「・・・っ、そ・・・それは」 

「御自身の欲望を優先させていると、ディアナ嬢の御心は離れて行きますよ」 

「・・・っ!」 

レオンの言葉に、息だけでなく心臓も止まりそうだと蒼褪める。

 

「で、では・・・現状維持が望ましいと・・・、レオンはそう言いたいのか?」 

「現状維持では話が進みません。殿下はディアナ嬢に惚れ直してもらいたのでしょう? 故郷で癒されたディアナ嬢のお心を再び手中に収めんと奮起されるのではないのですか? 政務においては優れた決断を下される殿下も、ディアナ嬢に関しては二の足を踏んでばかりで進歩が全く見られません。・・・あの場で殿下を非難なさると、ディアナ嬢は殿下に非はないとおっしゃることでしょう。そして王城に来ることを即決なさるでしょう。御自身のお気持ちを押し殺してでも」 

反論すべき言葉も思考も失い、ギルバードは項垂れた。

確かにあの場で王城に来る必要性を説かれたら、頷かざるを得ないだろう。家族に相談することも出来ずに、強制的な雰囲気にのまれて。そういうつもりは皆無だったかと問われると、違うと即座に首を振ることが出来ない。ディアナが王城に来ることを想像し、顔を緩ませてしまったのだから。

だけど再び危ない目に遭わせたくない。怪しい輩がディアナに近付くのは許せない。

しかし安全だからと、城内に閉じ籠っていてくれとも言い難い。記憶が戻りつつある今、何がディアナにとって最良なのか、直ぐに思い浮かばない自分が恨めしい。

どうしたらいいんだと呻くギルバードに、レオンが明るい声を掛けた。

 

「王城に、期間限定の行儀見習いとしての滞在を勧めてみるのはどうでしょう。さきほど魔法導師が言っていたように、王城に滞在頂けたら開発中の薬を試すにも都合がよく、失った記憶を触発する何かがあるかも知れません」

「・・・・・・・。はぁ?」

「失った記憶は王城滞在中のものですから、心身ともに癒された今、心穏やかにお過ごし頂けたら、見聞きした何かに記憶の鍵が反応するかも知れませんよ? どうです、ディアナ嬢が王城に来てくれたら殿下も嬉しいでしょう?」

「・・・・結局、ディアナを王城に呼ぶんじゃないか!」 

人を苦悩の坩堝に陥れておいて、出てきた答えはそれかと文句を言うと、レオンは垂れ目を細めて笑んでいた。

 

「我が妃にと希うほど愛しいディアナ嬢を前に、殿下は情けなくも右往左往するばかりで、実動がない。やっと動いたと思ったら他国での爆弾発言。その結果はどうでしたか? 問い合わせの書簡がアラントルに押し寄せ、その対応に瑠璃宮の魔法導師まで担ぎ出しましたね。領主や次期領主にも多大な迷惑をお掛けし、王城にもその余波が押し寄せる。対応に追われてディアナ嬢に三か月以上も逢えなくなり、その間ディアナ嬢を城内に閉じ込めざるを得ない状況に陥れる。――――殿下は馬鹿ですか? 大馬鹿ですか? さらには久し振りに逢った愛しい相手を口説くこともせずに呆けておられる。それでは私に辛辣に罵られても、殿下は甘受するしかありませんよねぇ?」

「・・・・・」

本当にディアナ嬢をご自身の妃にしたいと願うのでしたら、必周囲が納得出来るような行動を起こして下さい。いいですか? 山のような書簡が届けられることもなく、その書簡を瑠璃宮総出で調べることもなく、愛しい女性に逢えずに悶々と過ごすことのないよう、ご自身も少しは動いて下さい」 

「・・・・・はい」 

反論すべき気力も言葉もなく、ギルバードはふら付きながらディアナの許へ戻ることになる。

 

憔悴しきったギルバードの背後を歩くレオンは薄く口端を持ち上げつつ、リグニス領主への上手な説得を考え始めた。

年頭に招待された各国でギルバードが『妃はすでに決まった』と発言するのを止められなかったため、多大な迷惑を掛けてしまったが、人の好い領主及び領民は騒動が落ち着いた今、あまり気にはしていないようだ。エルドイド国の端に位置するアラントル領の領主は滅多に登城したことがなく、また登城する必要もないほど領地内には問題がない。上の娘はすでに嫁ぎ、次世代の領主も決まり、領民の自警団が充分な働きをしており、領地内は至って穏やかだ。

王太子が頻繁に顔を出しても驚いたのは最初だけで、王宮騎士団員である双子も今やすっかりとアラントル領民に受け入れられていると聞く。

問題なのは、奥手というには甚だ情けないヘタレ王太子殿下の、時に妙な方向に暴走する言動だけだ。

今まで女性に興味の欠片も持たなかったギルバードが、思い返せば領地視察の時から、ディアナ嬢には積極的だった。少し弄っただけで驚くほど真っ赤になり、見たこともなく狼狽え、ディアナ嬢に関すること全てに必死になっていた。

魔法で繋がっているから、それを解くために必要だから――――。

だからディアナ嬢が心安らかに過ごせるよう心配りをしているだけだと、誰に言い訳しているのか、ギルバードは必死に己を抑え込み続け、そして自覚した。ディアナ嬢を愛しいと自覚した王子は、しかし告白すらもまともに出来ず、それでもどうにか互いの想いが通じ合えたと喜んでいたのも束の間、愛しいディアナ嬢は攫われてしまう。やっと助け出せたと安堵すると同時に怯え叫ばれ、他国王族の前で城を破壊するほど激高した。

レオンとしては、初めて目の前で魔法の発動を見ることが出来て大満足したのだったが、手に入れた解毒剤の副作用で、ディアナ嬢から王城に来ることになった経緯と滞在中の出来事が全て消えてしまった。

もちろんギルバードが彼女を諦めることはなく、そこは流石あの国王の御子だと感嘆した。

ギルバードに近しい者にとっては、ディアナ・リグニスはすでにギルバードの隣に立つべき人間として認知されている。ギルバードの親である国王も同意見であり、だからこそ歯痒いのだ。

王子の、そのヘタレ具合が。

もう、いっそのことディアナ嬢を襲ってしまえとレオンは思う。

ある意味、教育係的なローヴやカリーナの目が光っていなければ、二人をどこかに閉じ込めて既成事実を無理やり作ることさえ厭わないとさえ考えていたが、なかなかに現実は難しい。

たった今、『期間限定の行儀見習い』を思い付いた自分を褒めながら、それを国王に伝えた時の顔を想像して、さらに顔が緩みそうになる。ディアナ嬢の記憶を取り戻すのが先か、改めて愛を受け入れてもらえるのが先か。どちらにしても、レオンの退屈は紛れる。

「楽しい日々が戻ってきますね」

「何か言ったか?」

ヘタレ王子が眉を寄せた顔で振り向く。レオンは「早くディアナ嬢の記憶が戻るとよろしいですね」と微笑みを返した。王子は足を止め、「ああ」と力強く頷く。その力強さが、ディアナ嬢を前にすると面白いほど萎んでいくのを目にするのが楽しみだと、レオンは静かに肩を揺らした。

 

 

 

 

 

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