紅王子と侍女姫  12

 

  

オウエンが領地境まで出迎えに来ており宿へと案内されたのだが、馬車から先に降りたギルバードがディアナに手を差し出すと、困惑した顔を浮かべているのに気付いた。差し出した手を見つめながら、胸元を押さえてどうしたらいいのかと戸惑っているように見える。 

「どうした? 城以外の場所に泊まることに緊張するのか? でも諦めて馬車から降りて欲しい。他に問題があるなら、あとで部屋で聞くから」

「いえ、あの、問題というか・・・」 

眉を顰めて彼女の顔を見ると、頬が赤く染まり恥ずかしそうにしているのがわかり、ギルバードは馬車に顔を突っ込んで、どんな問題が生じたのだと小声で問い掛けた。 

「コ・・・・コルセットがずれて押さえていませんと上手く歩けそうもありません。ですから殿下のお手を取ることも出来ませんので、場所を開けて頂けますか?」

 

自分がコルセットの紐を盛大に解いたため、それが緩みずれてしまったと判った瞬間、声無き悲鳴を上げたギルバードはディアナ以上に真っ赤になり、急ぎ馬車の扉を閉めた。扉に手を当て大きく頭を振り、浮かび上がってくる彼女の白い肌や目にした腰のくびれなどの不埒な考えを頭から叩き出そうとしていると、レオンが呆れたように声を掛けてくる。

 

「馬車の中で何があったか判りませんが、宿の前で不審な動きはお止め下さい」

「レッ! ・・・いや、あの、あのな、ディアナ嬢の気分がどうも優れないらしい。すぐに部屋へ移動させるから、彼女が泊まる部屋は何処か教えろ」

 

オウエンが二階の角部屋だと伝えると、御者に彼女の荷物を直ぐに運ぶように告げながら馬車の扉を開けた。胸元を押さたままのディアナが突然閉められ突然開いた扉に驚いているのがわかったが、ギルバードは騒がないで欲しいと伝え彼女の身体を引き寄せると横抱きに抱え上げた。

目を瞠ったまま身体を強張らせたディアナを抱き上げ、急いで二階の角部屋へ向うと、満面の笑みを浮かべたレオンが追い掛けて来る。それを無視して部屋に置かれたソファにディアナを降ろし、御者が持ってきたトランクを部屋の中央に置いた。 

「今夜はこの部屋に泊まる、からな! ま、まずは楽な服に着替えてくれ。あとで食事を部屋に運ばせるから、それまではゆっくり休むように!」 

また大声になってしまったと反省しながら部屋の扉を閉めると、笑顔のレオンとエディ、オウエンが立っていて、ギルバードは視線を逸らして唇を噛んだ。

 

「・・・・侍女服じゃないから、精神的に辛そうだったんだ」

「それで姫抱きでお運びしたと。そこまでされる必要性が少し解りませんが、お優しいことです、殿下。ところで馬車の中ではお二人きりで、ゆっくりじっくりとお話しが出来ましたでしょうか。邪魔をしてはいけないと覗くことを我慢し続けるのは辛かったです」

「馬車の中、二人きりですかぁ。ディアナ嬢はすごく可愛いから役得ですね、殿下」

 

にやけた顔のオウエンが顔を突き出してギルバードに笑みを向ける。怒りにも似た羞恥に身を焦がし場を離れようとすると、オウエンが「どこへ行かれるのですか」と自分達の部屋はここですと正面の扉を指差した。そのまま三人を中に押し込むと、ギルバードは出来るだけ声を抑えて叱責を始める。 

「ディ、ディアナ嬢は急に貴族子女として振舞うことになり、かなり疲労していたんだ。役得だとか浮かれて、お前たちみたいなお喋りなど一切していない!」 

頬を紅潮させ黒髪を掻きあげて言い切ったギルバードを見て、三人はきょとんと顔を付き合わせ、そして首を傾げると王子に問い掛けた。

 

「馬車の中、二人きりだったのに、何もお話なさっていないと?」

「そうだ! 互いにずっと外を見ていただけだ。何も話などしていない!」

「魔法のことも、王城で何をされるのかの説明もしていないのですか?」

「・・・・・あ」

 

唖然としたギルバードの表情を見て、レオンは額に手を宛がい大仰な嘆息を零す。

オウエンとエディは肩を揺らして笑いを我慢していたが、ギルバードが睨み付けても気にすることなく、もう堪えきれないと爆笑しながらソファを盛大に叩き出した。 

「す、すぐに説明しようとしたのだが、ディアナ嬢の気分が途中から悪くなり、それで休ませてやろうと・・・。 あ、明日はちゃんと話をするから大丈夫だ!」 

慌てるギルバードに対し、もう一度大きく聞えよがしの溜め息を零したレオンはゆるりと首を振った。そこへ一人の御者がレオンとオウエンの荷物を運び、もう一人が三人分の食事を運んできた。それに気付いたギルバードが「俺の荷物と食事は?」と尋ねると、にっこり笑みを浮かべたレオンが当たり前のように部屋の扉を指し示す。

 

「殿下の荷物も食事も、ディアナ嬢の部屋に置くよう指示しておきました」

「なっ、馬鹿な! そんなことは出来ない! 何を言ってる!?」

「多分そういうことになるだろうとは思っておりましたが、ディアナ嬢に急ぎ説明をして、ご納得頂けるよう、または王城への移動中に幾度かご自身でも解除出来るよう試して貰わなければなりません。それを一度もされていないと聞けば、早急に試して貰う他ないでしょう。全く世話が焼けますね」 

「殿下、まずは食事だけでもしてきなよ。ディアナ嬢だって初めての場所で一人きりの食事なんて可哀想じゃないですか。ほら、行った、行った」

「うう・・・・・」

 

ギルバードは何も言い返せないまま部屋から追い出され、馬車の中で本当に何一つ伝えていないことに今更ながら気が付いた。

あと二日。いや一日半で、王城に到着するというのにだ。

まずは食事を共にし、少しでもディアナの気分を落ち着かせてから話をしてみるしかない。肩を落として扉を開けると、そこには部屋に連れて来た時と同じまま微動だにせずソファに腰掛けているディアナが居て、ギルバードは首を傾げた。

 

「楽な衣装に着替え、それから食事をしてはどうだろうか。少し魔法に関して話したいことがあるので、一緒に食べようと思うのだが、いいだろうか?」

「は、はい。殿下が宜しいのでしたら御一緒させて頂きます」 

急に部屋に押し込まれ、ろくに説明もされなかったことで緊張しているのかと、テーブルに乗せられた食事を見下ろす。野菜がたっぷり入ったシチューからは美味しそうな湯気が立ち、木の実が入った数種のパンやサラダがあり、簡素ながら量は多い。そういえば腹が空いたとギルバードはディアナにも食事を摂るよう勧めた。しかしディアナが胸元を押さえたまま眉根を寄せて見上げてくるから、その表情にギルバードは動揺してしまう。 

「あ、シチューは苦手とか?」

「いえ・・・。あ、あの・・・また殿下のお手を煩わせてしまいますが、お願いがございます。本当に申し訳ないと思うのですが・・・・・」 

困った様子のディアナに何でもすると勢いよく迫ると、今度は泣きそうな顔を向けられた。 

「せ、背中の釦を外して頂けたらと・・・・」

 

そのまま俯いてしまったディアナを見て言葉を瞬時失ってしまう。ドレス背中の釦を外さなければ着替えることも食事のスプーンを持つことも難しいとわかるが、馬車の中とは違って沢山の蝋燭が灯された部屋の中、先ほどとは違う状況だと判るとひどく狼狽する自分を自覚する。しかしオロオロと戸惑っている間にディアナは顔を上げ、ギルバードの顔を見ると急に慌てて謝り出した。 

「申し訳御座いません! 大丈夫で御座います。苦しさはお蔭で解消されましたし、食事もスプーンがあれば問題なく口へ運べますから支障御座いません」

 

ディアナは食事を始めようとテーブルに手を伸ばしたのだが、その手を王子に掴まれ、顔を上げると怒ったように口を結んだ表情でじっと見つめられた。

手が離されると無言のままディアナの背に回り、王子の指が背中の胡桃釦をひとつずつ外していき、腰近くまで外したところで止まり、何も言わずに部屋から出て行かれてしまう。

手を煩わせてしまった謝罪とお礼を伝える間も無く部屋から出て行かれてしまい、戸惑いの目をテーブルに向けると王子の食事も用意されていた。お腹が空いているだろうに、きっと自分が侍女にさせるようなことを願い出たために気を悪くしたのではないかと、ディアナはトランクを開けて急いで着替えをする。姉から譲り受けた脱ぎ着しやすいドレスを出して急いで袖を通し、ディアナは廊下に飛び出た。

しかし廊下に王子の姿は無く、他の方々に尋ねたくても皆がどの部屋にいるのかも判らないと蒼褪めてしまう。

まさか一人で先に食事を始める訳にもいかず、着替え終えたのだと伝えようにも伝えられず、もしかして王子は階下に下りたのかと考え恐る恐る足を進めることにした。

 

 

 

 

 

「殿下、もういい加減に部屋に戻っても宜しいのではないですか? 女性の着替えとはいえ充分時間が経過してますし、ディアナ嬢だって殿下が戻らなきゃ食事だって出来ないでしょう。それに部屋に一人きりでは可哀想ですよ」 

オウエンが呆れた顔でそう言うと、そろそろと顔を上げたギルバードは小さく頷いた。 

「女性の着替えなど宿の女中を呼べばいいものを、一体いつになったら魔法を解くための話し合いが出来るのか不安になりますよ。ディアナ嬢が緊張なさらないように二人で話をされるのが一番でしょうが、王子が難しいとおっしゃるのでしたらお手伝いしましょうか?」

「いや・・・、ちゃんと自分から話して、それから試しを行う・・・・・」

「それでしたら早く行動して下さい。そこで愚図愚図されるのは面倒です」

 

レオンも呆れた表情でギルバードを見下ろし、いいから立って部屋に戻れと押し出した。

足取り重くギルバードが部屋からやっと出て行ったと思ったら、ものの数秒で戻って来るなり大きく開いた扉にしがみ付きながら、蒼褪めた顔で唇を戦慄かせて固まっている。

 

「あー。まだ着替えの途中でしたか? まさかばっちり見ちゃったとか?」

「それはもう責任を取って結婚しかありませんね」

「魔法を解く前にプロポーズをされるおつもりですか、ギルバード殿下」 

ケラケラと笑い声をあげる三人に、ギルバードはようやく意識を取り戻し渇いた咽喉に無理やり唾を飲み込むと、やっと大きな声で叫ぶことが出来た。 

「違う! ディアナが・・・・部屋にいないんだ!」

 

 

 

 

 

階下に降りたディアナは宿カウンターにいる従業員に尋ねようとしたが、王子たちがそのままの名前で泊まっているのか判らず、尋ねることが出来なくなった。一国の王子の食事にしては質素だったし、とても要人を泊めるような部屋とは思えない。下手な尋ね方をしてこれ以上迷惑を掛けることはしたくない考えると、どうしていいのか分からなくなった。 

自力で探せるだろうかと周囲を見回すと、宿に泊まるためにカウンターに足を運ぶ人たちとは別の流れに気付く。何だろうと後をついて行くと大勢の人たちが席に着き、祭りのような賑わいを呈しているのが見える。

この宿には大きな食堂も備わっており、玄関奥一階のそこでは仕事帰りだろう男性陣が酒を飲んだり食事をしたり、旅人が異国風の衣装に身を包んで会話を楽しんでいた。雑多な人々が様々に食事や酒を楽しんでいる様子を初めて目にしたディアナは唖然としてしまう。六歳から殆ど城の外に出ることなく侍女として仕事を続けていたため、こんなにも多くの人が行き交うところなど見たことが無く、周囲を不思議そうに見つめ続けた。

そこへ今まで食堂で食事をしていたらしい頬を染めた男性が二人、足元をふら付かせながらディアナに声を掛け、腕を掴み顔を覗き込む。 

「おや、お嬢さん。こんなところで何をしているのかなぁ? もしかして花売りか? いい服着て、すげぇ上玉だが、値段によっては一晩楽しませて貰うとするかな」

「いいえ、私は何も売っておりません」

「じゃあ、一緒に酒でも飲んで楽しむとするか!」

「いえっ! 私はおう・・・・、人を探している最中でして楽しんでいる場合ではないのです。大変申し訳ございませんが御手をお放しになって下さいませ」

「ずいぶん、ご丁寧な物言いをするなぁ。まあ、固いこと言わずに一杯くらい」

 

男達はそう言うと既に酒臭い息を吐きながらディアナの腕を双方から掴み上げ、彼女の抗いも気にせずに宿ロビーから外へと連れ出そうとした。ディアナは突然のことに驚きながら足を踏ん張るも、履き慣れないヒールは床板を滑り、宿玄関へと近付いてしまう。

自分は王子を探しに来ただけなのに、このまま外に連れて行かれたら王城に向うことが出来なくなるとディアナは蒼白になる。このままでは困ると考えたディアナが必死に止めて欲しいと震える声で懇願を繰り返すと、男の舌打ちが頭上から聞こえた。彼女の腕を掴んでいた男の手に力が入り余りの痛みに思わず顔を顰めた時、背後から声が聞こえ、男の手から力が抜ける。

 

「申し訳御座いませんが、我らの大切な姫君にどんな用が?」

「ちょっと俺たちと少ーし、お話しをしましょうかねー」 

ディアナが聞き覚えのある声に驚いて振り向こうとすると急に身体が抱き上げられ、何と思う間もなく、階段を上がっていく自分に気付く。階段下でレオンと護衛騎士たちが男達を引き連れて玄関から出て行くのが垣間見えたが、一体どうなったのか理解出来ずにディアナは気付けば部屋に戻っていてソファに腰掛けていた。

目を瞠ったまま顔を上げると息を切らした王子が自分を見下ろしていて、自分を抱えて階段を駆け上がったのはギルバード王子であると判り、ディアナは頭の中が真っ白になる。

 

「も・・・・申し訳・・・・・御座いませ・・・・・」

「・・・・部屋から出たのは、もしかしたら俺を探しに行ったのか?」 

ディアナがコクコクと頷くと、顔を逸らした王子が片腕で顔を隠し小さく「悪かった」と謝罪の言葉を漏らすのが聞こえた。その言葉に驚き蒼褪めたディアナは勢いよく立ち上がり、思い切り頭を下げる。

 

「わ、私こそ殿下に迷惑をお掛けし、申し訳御座いません! あのまま外に連れて行かれたら、きっと迷子になっていました。本当にどうしようかと思っていたところで」 

今更ながらに男の酒臭い息と強い腕の感触が甦り、気持ちの悪さと恐怖が背筋を這い上がる。あのまま男達に連れ去られていれば、迷子どころではない状況になっていただろうことは世間に疎いと自覚するディアナでも解かる。

同時に勝手に部屋を出てしまったがために王子に自分探しをさせたと動揺し、まずは落ち着こうと深く息を吐いた瞬間、顔に何かが覆い被さってきた。

強く引き寄せられ背が軋むほどに拘束されたディアナが、ギルバード王子に抱き締められていると判り、目を瞠ったまま固まってしまう。どうしていいのか判らず息を止めたままでいると、頭上から掠れた声が聞こえて来た。

 

「一人にして・・・・・悪かった。説明が足りない俺が悪い」

「い・・・・いいえ。殿下は助けて下さいました」

「いや、俺が悪い・・・・。十年前も俺が君に・・・・・」 

ディアナの頭上からくぐもった声が震えて耳に届けられる。自分の背に回された王子の腕からは微かに震えが感じられ、戸惑うしかない。王子の腕の隙間からテーブルの上に置きっ放しにされたままの食事が見え、そういえば食べる直前に自分がドレス釦を外して欲しいなど言わなければ面倒は起きなかったのにと、申し訳なさに胸が痛んだ。

 

「あの、殿下。まずはお食事を致しましょう? それから少しお話しをさせて下さい。殿下に伺いたいことが幾つか御座います。・・・・まずはお食事を」

「・・・・・」 

無言のまま、ゆるりとディアナの身体から王子の腕が離れた。少し俯き加減の黒髪から覗く王子の瞳が、昔見た少年のように傷付いているように見え、ディアナは脳裏に浮かんだ光景に眉を寄せる。 

―――― そうだ。あの時も見上げたのだ。地面に座ったままで強張った表情の少年を、そして握り締めた手が持つ珊瑚色のリボンを私は見上げていた。

 

「殿下・・・。誠に・・・・申し訳御座いませんでした」 

再び王子にそのような表情をさせたのは自分だ。そう思うと胸が苦しくなり、どうしていいのか判らなくなる。背から離れた彼の手がディアナの手を握り締めてきたので小さく握り返した。二人して暫く握り合った手を見つめていたが、急に王子の手が強張り、ディアナが顔を上げると大きく目を見開いた顔が自分を注視しているのが判る。 

「殿下? どうされましたか。お顔が赤くていらっしゃいますが」

「・・・っ! し、失礼をした!」

 

そう言うなり手を放し、飛び跳ねるように後ろに下がった王子は両手を挙げて真っ赤な顔をするから、ディアナまでもがつられて顔が熱くなってしまう。

ぎくしゃくしながらテーブルを挟んで座り食事を始めことにしたが、すっかり冷めてしまったシチューを口に運んでいるのに、何故か身体の内側から熱くなるのを感じ、困惑しながら食事を終えた。

 

「ディアナ嬢、あの後どうなったのかをレオンたちに聞いてくる。貴女は部屋から出ないで、入浴でもしてくれ。その後説明をして、幾つか試したいことがあるから協力して貰いたい。ああ、訊きたいことがあると言ったな。それも後で訊こう」

「はい、殿下。部屋から出ずにお待ちしております」 

ディアナの返事を聞き、ギルバードは廊下に出た。廊下にいた女中に部屋の食器を片付けるよう伝えてから正面の部屋扉をノックすると、既に戻っていたのだろう、直ぐに返事と共に扉が開いた。 

「ギル殿下、食事が済んだようですね。お話しはされましたか?」

「いや、お前達が連れて行った男共が気になってな。彼女には部屋から出ないよう伝えておいた。男共の話を聞いたら部屋に戻り、魔法に関しての試しをしたいとも話してある。で、あの男共はどうした?」 

ギルバードの台詞にエディが苦笑しながら肩を竦める。

 

「ちょっと脅したら脱兎の如く宿から逃げて行きましたよ。それよりもディアナ嬢は怖かったでしょうね。大丈夫でしたか? 食事はちゃんと食べてましたか?」

「ああ、食べ終わっている。そうか、あいつらは逃げたか・・・・・」 

ソファに腰掛け深く息を吐くと、彼女の腕を掴みあげていた粗野な男共の乱暴な行為が思い出され眉間に皺が寄った。少しでも階下に降りるのが遅かったら彼女はどうなっていたのかと考えるだけで苦いものが込み上げてくる。そして、自分が衝動的に彼女を抱き締めていたことを思い出し、ギルバードは思わず立ち上がった。

レオンが訝しげな顔で見上げてくるが、それどころじゃない。

男共に引き摺られるように連れ出されそうになり恐怖に身を竦ませていた彼女に、同じ男である自分が何をしたのかを思い出すと居た堪れなくなる。直ぐに部屋に戻り謝罪しようかと思ったが、自分は彼女に入浴を勧めて来たばかりであることを思い出し、今直ぐには戻れないとソファにへたり込む。今日一日、彼女を振り回し続けている自分の不甲斐無さと、魔法に関しての説明が全く出来ないでいることにがっかりと項垂れるが、今更だ。

思わず「不甲斐無い」と呟き顔を覆うと、レオンが肩に手を掛け顔を覗き込んで来た。

 

「殿下・・・・。何があったのか伺ったほうが宜しいでしょうかね。彼女にちゃんと説明が出来ますか。魔法解除は手伝えませんが、説明のお手伝いは出来ますよ」 

その言葉にギルバードはゆるりと首を振った。まずは心から謝罪して、それから今夜中に出来ることはしてみよう。それは自分でしなければならないことだと判っている。 

「大丈夫だ。手伝いはいらない。これは自分の為すべきことだと承知している」 

顔を上げたギルバードは瞳に力を入れて前を見据える。

まずは十年前のことを心から詫びよう。まずはそこから始めなければ何も進まない。彼女が侍女として過ごしていた十年間は魔法の言による束縛だったのだと理解して貰い、そして本来のあるべき姿に戻れるよう自分が努めるだけだ。

問題は魔法を解く際に、どのような作用があるか。十年もの長い間かけられ続けた魔法は、彼女へどんな負荷を齎すのか。慎重に行うよう、魔法導師に言われたことを思い出し、ギルバードは手を握り締める。

 

 

 

 

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