紅王子と侍女姫  124

 

 

「・・・え? わたし・・・で、御座いますか?」 

呆けていたディアナは目を瞬いた。ふたりの会話に自分の名が出ていたことは聞こえていたが、同盟国の姫や王子の姉上たち、レオンやローヴの視線が気になって内容を理解するまでは出来なかった。何をどう返答したらいいのか、ふたりが話していた内容を思い出そうとするが上手く出来ない。それでも何か言わなくてはと焦るディアナの目の前に、影が落ちた。

「・・・・ディアナ、駄目だろうか・・・」

思わず息が止まってしまうほど近くに現れたのは、黒曜石のごとき輝きを放つ髪と双眸。

どのくらい会っていなかったのか。濃紺の盛装がとてもお似合いだ。凛々しい姿を見つめていると、何故か王子の眉尻が下がっていく。ああ、どうしてそんなお顔を――――困惑すると同時に、何か問われていたことを思い出した。

ぼんやりと呆けた顔を晒していたことに、じわりと顔が熱くなる。いまの自分の頬は熟れたスグリのように真っ赤だろう。話の内容も流れも理解できないまま、駄目ではありませんと口を開く寸前、何故か王の背に隠されてしまった。

 

「王、何をされる! ・・・ディアナと話をさせて下さい」 

「同盟国への歓待もあと少しで終わる。ディアナ嬢を連れ出すのは、それからでも良いのではないか? お前には接待役として最後まで取り仕切る仕事があるだろう。ほら、いつまでも動かずにいる姫たちを連れて大広間に移動しろ」

「・・・・・では、仕切り役として言わせて頂きます。舞踏会の最後を締める挨拶と閉会の儀を、国王陛下にお願い致します」

王子がそう言うと、国王は不満そうな呻き声を出した。

「国王陛下の挨拶をもって同盟国会議の終了とします。レオン、国王を大広間へ丁重にお連れし、宰相に事の次第をおおまかに報告しろ。明日の午前中にはそれぞれの国へ出立するよう伝えて欲しい。ローヴはここの結界を解除して姫たちの誘導を。・・・・・ディアナ!」

「え・・・っ」

 

名を呼ばれると同時に手首を掴まれ、そのまま引っ張られる。急に視界が晴れて前のめりになる身体は、何故かくるりと反転して、あっという間に王子に抱き上げられていた。そして、驚くことも出来ずにいるうちに王子が走り出す。背後から悲鳴が聞こえたが、それもすぐに聞こえなくなった。何かを飛び越えるたびに大きく揺れ、声を掛けることも、目を開けていることも出来ない。

王子は何処へ行くのだろう。同盟国の姫たちとの話は終えたのだろうか。舞踏会場に戻らなくてもいいのだろうか。・・・・・どうして自分は王子に抱えられているのか。

考えることがあり過ぎて、ディアナの頭の中はぐちゃぐちゃだ。

舞踏会に出たことで、歓待すべき同盟国の姫たちの気分を害してしまった。

王子との婚姻を切望する姫たちの憤りは激しく、ただ立ち竦むしか出来ずにいた自分が情けない。王城に招かれてから多くを学ぶことは出来たが、他国の王族との直接対面はひどく緊張し、挨拶も碌に出来ずにいるうちに大事になってしまった。

結果、魔法導師のカイトだけでなく、王子の姉上たちにも多大な迷惑を掛けてしまった。

申し訳ないと心の中で頭を下げながら、王子に逢えた喜びに頬が紅潮する。逢えただけでなく、声を掛けてもらい、そして触れ合っていると胸が高鳴っている。

ああ――――、自分は本当に変わってしまった。

以前の自分は何かに感情を揺さぶられることなく、貴族息女であることを厭い、侍女として仕えることを至上の喜びとしていたはずだ。家族を含めた周りの人たちを悲しませていたとも知らず。 

ふと、いつか、オウエンに訊かれたことを思い出す。

『今の殿下を、どう思っているの?』

そう訊かれたのはディアナが半年余りの記憶を失い、アラントル領に戻ってからのこと。

頻繁に訪れていた王子の足が遠のき、それでも日常を繰り返していた或る日、オウエンに問われた。あの時は何と答えただろうかと考える。王子と会えずにいるとなにかが物足りなく感じ、そばにいると落ち着かない。未知の感情と、不意によみがえる記憶の断片に悩まされていた頃だ。

目を逸らして見えないように蓋をしたくせに、そっと覗いて驚いたりもしていた。そして、王子から届いた手紙に涙が溢れ、胸の痛みを再認識した。

王子に会えないのは寂しい。そう思うのは恋しいからなのだと自覚して、さらに胸の痛みは増した。

恋しいという感情はとても温かく、ひどく焦れったく、なんて苦しいのだろう。

 

「ふたりで話をしたいのもあるが、この後にディアナが喜ぶだろう、ちょっとした催しがあるんだ」

走り続けていた王子が足を止め、「ここは誰も来ない、特等席なんだぞ」と秘密ごとを打ち明けるように囁きを落とす。そっと降ろされたのは芝の上。そこには軽やかな水音を立てる噴水と、可愛らしい花壇がある。

途端、心の奥底近くで箱のようなものが、早く開けて欲しいとカタカタ動くイメージが浮かんだ。もしかして自分はここに来たことがあるのだろうかと眉を寄せたが、王子の大きな声にはっきりした形になりかけていた像は呆気なく霧散した。 

「ほらっ、上だ!」 

どおんっと、腹に響くような音とともに、白い火花が空いっぱいに広がる。 

「・・・・花火?」 

大きな花火がゆっくりと形を崩す前に、さらに大きな黄色の花が開く。こんなにも盛大な花火を目にしたのは初めてだ。赤、青、緑、ピンク、黄色、紫・・・・次から次へと咲き乱れる花火の美しさに、ディアナは瞬きするのも惜しいと微笑んだ。 

「これが舞踏会終焉の合図で、そして、ここからが見どころだ」 

夜空に咲き乱れる花火の競演を眺めているディアナに、王子が座るように促してきた。噴水のふちに二人して腰かけると同時に庭園の灯りがすべて消え、遠くから歓声が聞こえてきた。

「あっちを見ろ。あの噴水から・・・・」 

「まあっ!」 

思わず、感嘆の声が漏れる。大広間からほど近い場所にある大きな噴水から、空に届くのではないかと思えるほど高く水が上がった。同時にひと際大きな花火が打ちあがり、昼間かと思えるほど明るくなる。高く上がった水しぶきが花火の色に染まり、崩れ落ちてはすぐに高く噴き上がる様が素晴らしい。 

続いて小さな花火がいくつも上がり夜空を彩り、そしてまた大きな花火が打ち上がる。胸がどきどきして目を閉じることが出来ないほどだ。

 

「とても綺麗です。殿下、ありが・・・」 

礼を言おうとして振り向いたディアナは、目を見開いたまま動きを止めた。やわらかな笑みを浮かべた王子の視線が、華やかな夜空ではなく自分に向けられていたからだ。視線が合わさると、王子の瞳は蕩けるように笑む。 

「ああ、とても綺麗だ」 

王子の髪と頬が様々な色に彩られる。そして、瞳も―――――――― 

「・・・・っ」 

黒曜石の瞳に花火の赤が映り込み、まるで鮮やかに輝くルビーのように見えた。

その宝石を、自分は目にしたことがある。ここ最近だろうか。いや、もっと昔、幼いころだったように思う。両親と出掛けた先、王城の庭園の迷い込んだ先で出会った少年と何かを・・・葉で作った船だったと思う、それを水に浮かべ、得意げに笑って少年に振り向いた。そして・・・見たまま、思ったままを言葉にして―――――。   

「ディアナ、ど、どうした?」 

瞬きとともに、また色が変わる。 

どうして王子の瞳はこんなにも綺麗なのだろう。

どうして私は忘れていたのだろう。

誰かひとりだけを愛しいと、そう思う心を教え育ててくれた、大事な人の瞳を。

その瞳に触発されたように溢れ出す記憶の奔流。一気に蘇る過去に眩暈を覚え、眼を閉じたくなる。だけど愛しい人の顔を、輝く双玉を見ていたい。奥歯を噛み締めて瞼を開くが、溢れでるものが邪魔をする。鼻の奥が熱くて痛い。堪えようとすると視界が狭まってしまう。

 

「っ!! ディアナ、頭が痛いのか? 疲れていたのに無理をさせてしまったか? へ、部屋に戻るか? それともここにカリーナを呼んで」

「ち、ちが・・・っ。で、殿下・・・・」

歪んで見える視界を瞬きで修正しようとするが、どうしても出来ない。溢れ出すものが頬を伝い、顎から滴り落ちるのを感じた。心配そうな顔に、どこも痛くありません、ただ王子の瞳を見ていたいのですと伝えようと口を開く。

「い、いたくな・・・・め、を・・・、でん、か、のっ・・・」

だけど、しゃっくり上げる声は掠れて上手く伝えることが出来ない。

王子の瞳を見て、失った記憶が蘇ったことも伝えたい。それなのに咽喉の奥に何かが詰まっているかのように声が出ない。早く伝えたいと焦りが増す。大きく息を吸い、吐き出し、ぼろぼろと零れ続ける涙と格闘しながらディアナは必死に訴える。

「お、おも・・・、わた、わたし・・・っ」

「落ち着いてからでいい。大丈夫だから、泣かなくていいから」

具合が悪くなったわけでないのか。そう尋ねるやさしい声に頷くと、そうかと安堵の息が漏れ聞こえた。労わるように温かい手がゆっくりと何度も背と肩を擦る。その温かさに、ディアナは目を閉じて大きく静かに呼吸を繰り返す。

深呼吸を繰り返すうちに気持ちも落ち着き、涙も止まってくれた。大きく息を吐き目を開くと、未だ心配そうな顔が自分を見つめている。気遣うその瞳に、夜空に咲いた花の色が映り込んだ。

 

「殿下の髪と瞳の色が・・・・打ち上げられた花火で、紅く・・・・見えます。とても綺麗で・・・胸がいっぱいになって・・・・しまいます」

「ディ・・・・・、え?」

「あの時は、初めて殿下にお会いした時は、お日様の光に当たって紅く見えた・・・・そう言った覚えがあります。・・・でも、いまの殿下の瞳は、その時よりも綺麗で」

「ディアナ、もしかして・・・」 

 

大きく見開いた王子の瞳に、ディアナは大きく頷き返す。

胸が苦しい、咽喉の奥が熱い、やっと止まった涙がまた零れそうになる。

わかってくれただろうか、伝わっただろうか、届いただろうか。

見つめる先の人物は、ぴくりとも動かない。このままでは心臓が止まってしまう。指先がしびれるほど緊張する場に、大きな花火の打ち上げ音が響く。それがきっかけとなったのか、王子の身体から力が抜けていくのを感じた。 

「あの・・・・・初めて会った時の・・・・台詞、だ」 

その言葉に安堵したディアナから、堰を切ったように涙が溢れ出る。慌てたようにハンカチで頬を拭おうとする王子の手を掴み、両手で包み込んだディアナは、もう一度大きくしっかりと頷いた。

王子は咽喉を大きく動かした後、「この場所を・・・覚えているか」と尋ねてきた。唇が震えて声が出ないディアナは、握った手に力を込めて頷き返す。

目の前で大きく見開いていた瞳が、次の瞬間、くしゃりと歪む。

初めて会った時、私は王子を怒らせてしまった。そして王子に魔法を使わせ、十年もの間、ディアナは魔法による枷に縛られていた。だけど思い返せばそれは枷というより、目に見えない紐のように柔らかく、互いを結び付けていたように思える。視線を落とすと、王子の手首には見覚えのあるくすんだ色合いの紐が括り付けてあり、涙がさらに溢れてきた。

何度も泣いていては王子に失礼だ。早く落ち着かなければと深呼吸しようとして、周囲の静けさに気が付いた。いつの間にか花火の打ち上げは終わっていたようで、庭園は静まり返っている。

握り締めていた手が外され、追うように顔を上げると、王子と目が合う。今にも泣きそうな顔が近付き、ディアナの肩に落とされた。

 

「よかっ・・・・・ディアナ、本当に・・・・ディアナ」

「は、い。・・・・殿下」 

強く引き寄せられたディアナは、腕を伸ばして王子と同じくらい強く抱きしめる。 

記憶を失った前後の詳細は思い出せていないが、自城に籠っていた自分が王城に来た経緯や東宮での様々な出来事は思い出せた。初めて会った時のことを思い出したことは伝わったようだが、王子への想いも言葉にして伝えたい。きちんと顔を見て伝えたい。だけど今は、このまま抱き締めていて欲しいとディアナは願った。 

どのくらいそうしていたのだろう。

泣き濡れた頬が王子の盛装に擦れて痛いとディアナは笑んだ。王子の腕の中にいることを嬉しいと素直に思えた。息を吐いて身体から力を抜くと、王子の腕からも力が抜けていく。

 

「思い出したのは出会った頃のことだけか? ほかに何か思い出したことはないか?」 

囁くような問い掛けは震えていて、ああ、まだ伝えていなかったと思い出す。 

「ほとんどのことは思い出しました。急に思い出したので混乱している部分もありますが、東宮で過ごしたことは、すべて思い出しました・・・・」 

そうか、と吐息まじりの声が落ちる。その一言に胸が痛む。 

「たくさんの迷惑をお掛けしたこと、申し訳ないと思っております。ですが、それ以上に殿下を含め、皆様に感謝申し上げたいと・・・・そう思っております」 

思ったままを伝えると、王子が身体を揺らす。どうやら笑っているようだ。 

「・・・・・そうか。だが、迷惑を掛けたのは俺の方だ。ディアナが攫われたのも、記憶を失ったのも、他国の奴らに謂れのない謗りを受けたのも、すべて俺が悪い。・・・・黙って、聞いてくれるか?」 

首を振ろうとするディアナの頭を抱え込んだ王子が苦笑を漏らす。

 

「俺が悪いのは事実だ。ディアナを王族の面倒ごとに巻き込んだだけでなく、いろいろな意味で、ディアナを心身ともに翻弄した。俺は言葉も足りず、粗忽で粗暴だ。あ、乱暴者っていう意味じゃないぞ? 惚れた相手に対して、その・・・・レオンがいつも語るような上品な態度が取れない。猪突猛進だとよく言われるが、その通りだと自覚している。だけど、こうして・・・もう一度ディアナを抱き締めることが出来たことが本当に幸せで、だからこそ深く反省している」 

反省していると言う王子の声色が楽し気に聞こえ、ディアナは黙って聞くことにした。小さく揺れるのは王子が笑っているからだろう。

 

「十年間、ディアナの髪から奪った紐に謝り続けた。同時に、それは戒めになり、俺が成長するきっかけにもなってくれた。乱暴な態度で傲慢な言葉を吐き捨てるなど、相手が誰であってもしてはならないことだ。・・・・俺は自分を恥じ、それからは一層努力した。へこたれそうになったら紐を見て、当時の情けない自分を思い出して猛省したが・・・・・あの時に会った少女を探し出し、謝罪するという考えには至らなかった。もう一度、謝らせてくれ。ディアナ、本当に申し訳ないことをした。許して欲しい」 

そっと離れた王子が芝に膝をつき、深く頭を下げる。潤んだままの瞳に映るのは、許しを請う王子の姿。記憶を取り戻したディアナは、畏れることなく微笑み、「はい、許します」と答えた。顔を上げた王子と目が合うと、互いに安堵の息を吐く。

 

「改めてディアナに謝罪出来たこと、心から感謝する。記憶が無事に戻ったことにも感謝する。ああ、もう一度、盛大な花火を上げて祝いたいくらいだ!」

盛大な笑顔の王子がディアナの両手を掴み、痛いほど握り締める。その強さに思わず顔を顰めそうになる寸前、王子は突然、がっくりと項垂れた。

「・・・・魔法が解けたあと、ディアナが自領に戻ると聞いて俺はひどく狼狽えた。これで自領に戻れると、ほっとした顔のディアナを見て、それは嫌だと思った。魔法が解けたことは嬉しいが、これですべてが終わりだなんて、それは嫌だと・・・・ディアナが俺から離れるのは嫌だと思ったんだ」 

当時を思い返しているのか、王子の声は掠れていた。静まり返った夜の庭園、噴水の水音、仄かな灯りの下、ディアナは口を閉ざしたまま、王子を見つめる。 

「ディアナから目が離せない、離したくない。もっと話がしたい、アラントルに戻って欲しくない。ずっとそばに居て欲しい・・・・。この感情は何だと、何度も首を傾げた。やっと気付いて気持ちを伝えたが一方通行で・・・・・。ディアナに気持ちを伝えても、受け取ってもらえないのは解かっていた。それでも諦めようとは思えなかった。そばに居て欲しいと願ったのは、ディアナだけだから」

 

現在のエルドイド国となる前、悪徳な領主の元で民は長年重税に苦しみ続けていた。

ある年、大旱害に苦しむ民へ容赦なく増税を課した領主に、民はとうとう反旗を翻した。その時の主導者が初代の国王となり、その妻となったのが漁師の娘だったと王子は語る。王妃となった妻は元領主を反面教師に、同じ地に生きる者がみな幸せになるためには、王が幸せになることが一番だと言ったという。 

そして、その幸せを民と分かち合うこと。王は国を統べ、民を守り、そして得たものを分かち合う。同じ国に住まう者として、互いの意見を尊重し合う。

それが初代国王時代からの民との約定なのだと、王子は嬉しそうに笑う。

 

「前にも言った。俺は、俺が幸せになるために、ディアナを俺の妃にしたい。何度この手をすり抜けようとも、必ず、必ず手に入れるつもりだ」 

顔を上げた王子を見て、ディアナは目を瞠る。ちらちらと焔が揺れ動く瞳に、鼓動が跳ねる。ディアナを強く見つめたまま、王子はディアナの手の甲に唇を寄せた。 

「ディアナ・リグリス。どうかこの私、ギルバード・グレイ・エルドイドの伴侶となり、ともに歩んで欲しい。幸せにすると誓うから、どうかこの想いを受け取って欲しい」  

唇が触れた瞬間、花火が身体の中で爆ぜているように思えた。

嬉しくて嬉しすぎて、胸が熱くなって、上手く息を吸うことが出来ない。愛しいというこの感情は、どこから来るのだろう。王子のひと言、視線、唇の感触。何もかもが愛しすぎて苦しいほど・・・・いや、本当に苦しいと眉を寄せ、ディアナは息を止めていたことに気付く。

「も・・・・もう、殿下はお手に入れております。私の心は、殿下とともに歩むと誓った、あの時のままです。ですから・・・・」

「ディアナ、じゃあっ」 

「でも、幸せはふたりで一緒に掴みましょう? こうして、互いの手を掴むように」

両の手で包み込んだ王子の手を、ディアナはそっと引き寄せる。王子の手は大きく、両手で包み込んでも少しはみ出してしまう。それが可笑しいと、指先に口づけたのは無意識だった。くすくすと笑みを漏らしながら顔を上げたディアナは、指先を凝視する王子に気付き、我に返った。

 

「も、申し訳・・・・んくっ」

はしたないことをしてしまったと謝罪する間もなく、覆い被さる熱に唇を奪われる。宙を掻くようにもがく自分の手が見えた次の瞬間、水しぶきの音とともに視界が沈んだ。

「わっ悪いっ!」

即座に引き上げられる自分の身体がいやに重く感じ、ディアナは目を瞬く。視線を下げるとドレスの色が変わっていて、噴水に落ちて濡れたのだとわかった。よく見ると腰から上は髪までずぶ濡れだ。顔を上げると眉尻を下げた王子の両袖からも水が滴り落ちている。他は濡れていないようだと安堵すると同時に抱き締められ、ディアナは「殿下、濡れてしまいます!」と慌てた。 

「いや、俺は大丈夫だ。ディアナ、本当に悪い。お、押し倒すつもりじゃなかったんだが、・・・・俺は何ていうことを・・・っ」

くぐもって聞こえてくる王子の言葉に目を瞠る。そうか、いま自分は押し倒されたのかと、じわじわと羞恥が込み上げ、顔全体が熱を持つ。特に熱いのは唇だ。そういえば、王子とは何度も口づけた。触れ合うだけではなく、もっと深い口づけも・・・した、ことが・・・。

「・・・・っ!」

「ディアナ、顔が赤いぞ! か、風邪か!?」

勢いよく抱き上げられ、そのまま走り出そうとする王子にディアナは慌てた。

「殿下っ、だ、大丈夫です。それより、この姿で戻るのは・・・」

「あ・・・・・」

「ど、どうしましょう・・・・」

静かな夜、ふたりの溜め息は思いのほか、大きく響いた。

 

 

 

 

 

 

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