紅王子と侍女姫  16

 

 

謁見の間に足を踏み入れると正面の高座に深く腰掛けていた国王陛下が目を瞠り、隣に控える宰相が片眉を持ち上げるのが見えた。

ギルバードが何事かと眉根を寄せると、国王が楽しそうに口角を上げ嘲笑してくる。 

「お前が女性の手を握り歩く姿など、舞踏会でのダンス以外では初めてだな。もしや未来の王妃を連れ帰ったと、この場で私に紹介してくれるのだろうか」 

その言葉に視線を下げると、確かにディアナと手を繋いだままの自分に気付き、ギルバードは短い悲鳴を上げそうになった。急ぎ手を離すと、ディアナは優雅にドレスの裾を持ち上げ腰を折り、国王へと丁寧に頭を下げる。

「不肖の息子が面倒を掛け、申し訳ない。顔を上げよ」 

国王からの言葉に小さく頷きを返し、ディアナはゆっくりと顔を上げた。

 

「エルドイド国、国王陛下様。リグニス侯爵家が三女、ディアナ・リグニスで御座います。この度は王太子殿下始め、侍従長様並びに護衛騎士様に御足労頂き、王城へと御招き頂きましたこと、まずは深く謝罪を申し上げます。速やかに魔法解除が出来ますよう、精一杯尽力させて頂きます」

「ディアナ、だから謝るなと何度も言っているだろう! 悪いのは俺自身に問題があるのだから、君が謝る必要はないと言ったはずだ」

「あっ! 申し訳御座いません! 国王陛下様の御尊顔を拝し緊張して・・・。先ほど殿下と御約束したばかりだというのに、大変・・・、あの、申し訳御座いません」

「い、いや。きつい言い方になってしまい、・・・俺の方が悪かった」 

互いに眉を寄せながら謝罪しあう二人を見て、王が突然全身を震わせ、そして噴き出した。

宰相が諌めるが王の盛大な笑い声は止まらない。

ギルバードは真っ赤になって睨み付け、ディアナは蒼褪めた顔を伏せる。肩を揺らしながら激しく咽込み出した王は、しばらくして漸く息が整うと笑みを浮かべて二人を見比べた。

 

「ディアナ嬢、ギルバードの言う通りだ。悪いのは精神修行の出来ていない奴であり、そのために貴女にここまで足を運ばせてしまったことは誠に悪いと思っている。しかし魔法が解かれるまでは、そこの莫迦息子に付き合って欲しい」

「はい、承知しております。殿下のためにも一刻も早く魔法が解けるよう、どのようなことでも御遠慮なく御申し付け下さいませ。誠心誠意努めさせて戴きます」

 

国王を前に流暢に話すディアナだが、ギルバードが隣りにいる彼女に視線を落とすと、ドレスを持つ手が震え顔が強張っていることに気付いた。ドレスを厭い、自分にさえ目線を合わせず低頭することが多い彼女のこと、一国の王を前に尋常じゃないほどに緊張を強いられているのだと判る。

しかしギルバードが言ったことを心に留めているのだろう、遜った態度になりすぎぬよう精一杯に気を張っているのが伝わってくる。逆に気を遣わせ過ぎたと理解したギルバードは、彼女を急いでこの場から離した方がいいだろうと考えた。

 

「陛下、この後は魔法導師長に引き合わせるつもりです。到着したばかりで彼女も疲れておりましょう。謁見はこれにて終了とさせて頂きますので、御了承下さい」

「一度にいろいろと行い、彼女に無理をさせることの無いようにしろよ。レオン侍従長より報告を受けている。 ―――自分が発する言葉に責任を持て」

 

その言葉が胸に痛い。ギルバードは深く頷き、真摯な視線を父へと返す。

兎に角、今はディアナをこのままにはしておけない。

声を掛けて謁見の間から出るよう伝えたが、緊張が過ぎた彼女は浅い息を吐きながら強張ったままの笑みで自分を見上げて来た。手を掴むと指先までが冷たくなっており、深く落とした腰から力が抜け躓きそうになる。泣きそうな表情が垣間見えた瞬間、無意識に彼女を抱き上げていた。

悲鳴に似た彼女の抗いが耳に届いたが、ギルバードはそのまま足早に退室する。

 

ディアナを抱き上げたまま謁見の間を出て行った王子を、ぽかんと口を開けたまま見送った王と宰相は扉が閉まる音が消えるまで動けずにいた。

 

「・・・おい、今のギルバードを見たか? あいつ、本当に自分の嫁を見つけて来たのかも知れないな。もっとよくディアナ嬢の顔を見たいぞ。そうだ、今夜にでも晩餐を開くか!」

「レオンからの報告を聞きましたでしょう? 彼女は殿下からの魔法により貴族子女として過ごすことに罪悪感すら覚えていらっしゃるのですよ。華やかなドレスを着ることさえ申し訳ないと思っている、そんな娘の顔を国王が覗き込んだらショックで息が止まりかねません。もう暫く様子を見ましょう。ご覧になるなら魔法を解かれてから、晩餐でも舞踏会でも開き、じっくりと拝見させて頂きましょう」

「そうは言っても、いつ魔法が解けるか判らないじゃないか」 

面白くなさそうに顔を顰める王の横で宰相は嘆息を漏らした。

 

 

* 

 

 

抱きかかえられたディアナは息を詰まらせ、ギルバードの腕の中で弱々しく抗った。 

「殿下、あ、歩けます。どうぞ私を降ろして下さいませ」

「駄目だ。直ぐに瑠璃宮の魔法導師長に会わせ、そのあとは部屋でゆっくり休ませるから、ディアナは黙って俺の目を見ずにいろ」

 

強い口調に身を竦ませると、途端に足が止まり頭上から溜め息が聞こえて来た。しかし再び力強く進み出したため、ディアナは言われた通りに目を閉じて黙り込むしかない。

王子の言う通りに目を瞑ったままのディアナは、どこを歩いているのか判らない。

その上、時折鎧らしき音が聞こえたり、ヒールの音が聞こえて来ることに狼狽してしまう。きっと騎士や侍従や侍女がいる廊下を、自分は王子に抱き上げられたままで歩いているのだと考えるだけで畏れ多さに震えそうになる。魔法が解けないリスクはいったいどのようなものなのだろう。もし、王子の心や身体に害がないというなら、そのまま一刻も早く城に帰りたいとディアナは身を竦ませ続けた。

 

しばらくすると王子の足音が先ほどまでと変わって響き出した。周りに反響するような靴音へ変わり、思わずディアナが目を開けそうになった時、王子が口を開いた。  

「魔法導師長、ローヴはいるか? 扉を開いてくれ、手が離せない」

「おや。お帰りなさいませ、殿下」 

声を掛けられた男性は腰掛けていた椅子から立ち上がると、いつもは細めの目を大きく見開き、開かれた扉から入って来たギルバードを見つめた。

足を踏み入れた部屋は魔法導師長ローヴの部屋だ。

瑠璃宮内に設えた彼の部屋の中は雑多な物で溢れ返っており、テーブルの上には下手に触るとかぶれますよと幼少の頃から言われている物がごちゃごちゃと広がっている。フラスコからは何やら訳の解らない煙が立ち上り、隣のビーカーは得体の知れない液体が不気味な色合いで気泡を発している。テーブル横には青白い炎を揺らめかす杖のようなものが倒れずに立っていて、雑然としながらも清浄な空気がいつも心地良い。

 

「もしや殿下に抱き上げられたまま、目を閉じている女性が件の少女で御座いますか?」

「そうだ。ディアナ、目を開けていいぞ。足を下ろすが、ちゃんと立てるか?」

「はい、立てます。 ・・・・殿下には先日から何度も抱き上げて頂いておりますが、あの私・・・・、重くはないでしょうか? 腕はお疲れになっておりませんか?」 

ギルバードの腕から下ろされたディアナは、恥ずかしそうに気になっていたことを尋ねた。宿から王城へ来る間もずっと抱かれていたと聞けば、年頃の女性としては気になってしまう。そろりと顔を上げると、真面目な顔のギルバードが自分の腕を見て首を振った。

 

「ディアナは軽い。重いなんて思わないぞ。夜まで抱き続けても問題はない」

「・・・・・」 

王子からの返答にディアナは真っ赤になり、何と言っていいのか判らず俯くしかない。途端、引付けを起したような声が背後から聞こえ、振り向くとテーブルを思い切り叩きながら爆笑する男性に気付いた。

長い銀髪をゆるりと一纏めにした壮年の男性が顔を紅潮させ、しゃっくり上げながら息も絶え絶えに笑い転げている様に思わず注視していたが、ここは王城だ。王子の前でも笑いを続けるからには、きっと身分ある方に違いないとディアナは背を正して深く御辞儀をした。

 

「初めまして。ディアナ・リグニスで御座います」

「これは大変失礼を致しました。私はエルドイド国に従事しております魔法導師のローヴと申します。ディアナ嬢にかけられた魔法を解くお手伝いをさせて戴きます」

「ディアナ、ローヴは魔法導師たちの長でもある。子供の頃から俺の面倒を見てきた人物だから、安心していい。魔法に関しては近隣国一、詳しく長けた者だ」

「・・・・どうぞ、よろしくお願い致します」

 

ようやく笑い終えたローヴが息を整えながら緊張に強張る笑みを浮かべるディアナに椅子を勧め、茶を飲みながら柔らかな笑みを向けて来た。

細身で背の高い、父よりも少し年上に見えるローヴの穏やかな笑みにディアナは肩からすとんっと力が抜け、不思議なほど緊張が解けていくのを感じる。椅子に腰掛けるとローヴにお茶を渡され、素直に受け取ることが出来た。カモミールの香りに深く癒される心地になり、口に含むとふわりと眠気が押し寄せてくる。急に訪れた眠気に抗う気も起らず、ディアナは王子の前だというのに、とろりと微睡み始めた。

  

魔法導師長である彼は壮年の外見以上に歳を経ているが、それとは気付かせない穏やかな容貌でいつも飄々としている。この顔に騙され、何度苦汁を飲んだことだろうとギルバードは眇めた視線を向けるが、穏やかに振り向かれると途端に何も言えなくなる自分が口惜しい。

 

「あー・・・、ローヴ。出来るだけ時間を作って魔法解除が早く出来るよう努めるが、まず俺は何をしたらいいんだ」

「そうですね、殿下に用意して頂きたいのは覚悟だけ。感情コントロールが彼女に会ってからは少し暴走気味の様子。そのままでは魔法を解くことなど、出来ませんよ」

「・・・知っているなら話は早いが彼女をリグニス家から連れ出して既に二度、暴走して魔法をかけてしまった。一昼夜寝かせてしまったのと、声を出せなくしてしまった。どちらも今は解除されてはいるが」

 

おや、と目を瞠った魔法導師長ローヴが頤をゆるりと擦りながら一歩近付いて来る。これは至極マズイ雰囲気になったとギルバードが顔を背けた先に白い霧状の煙が現れ見る間に人の形に変わり、それはローヴとなった。顔を顰めると背後から肩を叩かれ、目の前のローヴが柔和な笑みを見せる。前後からローヴに挟まれ逃げ場を失くしたギルバードの額に手を翳し、穏やかな表情で迫って来た。

 

「殿下、それはどのように解除されましたか?」

「っ! レオンに・・・・言われて、童話の姫を起こすように・・・・く、口付けを。だが手の甲だ! それと額。どれも軽く唇を押し当てただけだ! それ以上は深く勘繰るなよ。どうせ俺の頭の中を覗いているんだろう?」

「見えるのは状況だけですよ。出来ましたら殿下自身からその時の心情を伺いたいですが、お聞かせ願えますでしょうかねぇ」

「み、見えているならいいだろう。そのまま、だ!」

「そう言われると、余計に勘繰りたくなるのが老人の楽しみなのですがねぇ。・・・まあ、了解致しました。感情の暴走による魔法解除は、彼女の身体へ接触して解除する、ですか。ふむ・・・・」

 

ギルバードは『身体へ接触』の言葉に酷く動揺する自分を落ち着かせようと何度も深呼吸をした。それもただの接触ではない。手を握っても抱き締めても解けなかった魔法が、手と額に口付けたことによって消滅したなど、思い出すだけで羞恥にのた打ち回りそうになる。

 

王子と魔法導師長の声が遙か遠くから聞こえるようで、会話の内容が頭の中に入ってこない。ぼんやりしたまま椅子に腰掛けていたディアナに顔を向けた魔法導師長がにっこりと笑みを浮かべる。なんて穏やかな笑みなのだろうと、ディアナが笑みを返すと視界の端に大きく目を見開き、自分を注視する王子の顔が見えた。手を強く握り締め、背筋を伸ばして立っていらっしゃる姿は王子太子としての気品に溢れ、だけどジワジワと赤く染まり出す頬はここ数日何度も目にした見慣れたものだ。やはり熱でもあるのかしらと思った時、ようやく王子だけが立ったままであることに気付き、ディアナは呆けている場合じゃないと蒼褪めた。

 

「申し訳御座いません! 私だけが座り、殿下を立たせたままでいるなんて!」 

椅子から滑り落ちるように床に膝をつき、急ぎ低頭しようとしたところで肩を掴まれ阻まれる。顔を上げると眉間に深い皺を寄せた王子が居て、心臓が早鐘を打つ。 

「女性が椅子に座るのは普通のことだ。いいから・・・・座ってくれ」

「あ・・・。はい」 

また王子に気遣いをさせてしまったとディアナは申し訳なさに胸が詰まる。

魔法により侍女として過ごしていた自分を治そうと、王子は忙しい時間を割いて付き合って下さっているのだ。自分は貴族息女らしく、それらしい振る舞いをしなくてはいけない。

だけど長年身体に浸み込んだ侍女としての立ち振る舞いや心構えを押し殺し、貴族息女らしく振る舞うのは正直とても辛い。だけど、ここは高貴な身分の方々が国のために従事されたり、王や王子が住まう王城。本来なら田舎領主の末娘が顔を出せる場所ではない。自分がここにいるのは酷く場違いなのだが、王子との間に繋がったままの魔法が解けるまではどんなことがあっても逃げ出す訳にはいかない。

ディアナは息を整えると、ドレスの裾を広げて椅子に腰掛ける。王子を立たせたままであることに胃の奥がキリキリと鈍い痛みを訴えるが、貴族息女らしくしようと顔を上げて正面を見据える。顔を上げると魔法導師長のローヴと目が合う。この方にもこれからたくさんお世話を掛けるのだと、ディアナは精一杯、貴族息女らしい笑みを浮かべた。

 

「魔法導師長ローヴ様にまで御手数をお掛けすることになりますが、よろしくお願い致します。魔法を解くためでしたら、どのようなことでも御指示下さいませ」 

ディアナの言葉に少し寂しげな表情を見せるローヴが「では早速」と正面の椅子に腰掛け、手を握った。温和な笑みと乾いた大きな温もりに包まれ、ディアナは小さく息を吐く。

 

「殿下と幼少の頃にお会いしたのは覚えておいでとのこと、その際に何をお話されたか御記憶にありますか? それが鍵であり、魔法を解く術でもありますので」 

戸惑う瞳で老師を見る。記憶にないと判れば、目の前の男性をがっかりさせてしまうかも知れない。でも嘘はつけない。ディアナは正直に首を横に振るしかなかった。

 

「それでは貴女の過去を探らせて頂きます。身体を楽にして目を閉じて・・・。殿下、隣に腰掛けて手を繋いで下さい。一度に魔法が彼女に流れないよう補助致します」 

ローヴが立ち上がり、椅子を移動させてギルバードが隣りに腰掛ける。瞳を戸惑わせるディアナの手を持ち上げると包み込むように握り、共に静かに瞼を閉じた。

 

途端、頭の中いっぱいに広がる幾度目かの不可思議な光景にディアナの身体が強張った。頭痛を伴う深い闇が広がりそうな予感に襲われ、知らず眉根が寄り顔を顰めてしまう。握った手からディアナの動揺が伝わり、ギルバードが手を握り直しながら声を掛けた。

 

「大丈夫だ。今日はローヴがいる。一度に全てを思い出さずともいいから」

「いえ、大丈夫です。どうぞ魔法が解けるまで、最後まで行って下さい。いつまでも殿下に御負担を掛け続ける訳には参りませんから、途中で御止にならずに」

 「ディアナ!」 

自分の名を呼ぶ鋭い声と共に手が離され、肩を強く掴まれる。

驚いて目を開けると黒曜石の瞳が力強く自分を捉えていた。

 

「負担を掛けているのは俺の方だと何度言ったらわかる! 一方的に魔法をかけ、お前に負担を強いているのは俺の方だ。お前が侍女の仕事をしているのも、それを当たり前だと思い込んでいるのも俺のせいだ! 貴族らしく過ごすことに嫌悪を感じるのも俺のせいで! だからお前は黙って」

「殿下っ!」 

ローヴの声と共に、パシンッと乾いた高い音が耳元で響き、肩を掴んでいた王子の手が弾かれたように離れた。自分を見つめる瞳の奥に、一瞬紅い虹彩が見えたような気がしたが、王子が勢いよく立ち上がりディアナから離れ、腕で顔を隠したので解らなくなる。

 

「・・・す、すまない。だが、ディアナも負担など口にするな。謝罪の言葉も必要ない。本当に悪いのは俺の方だと何度も伝えている。だからこそ王城にまで連れて来たんだ。魔法は必ず解くから、謝らないで鷹揚に構えていろ」

「申し訳御座いません! そのようなつもりではないのですが、でも御無礼ばかりを申し上げておりました。お願いですから、今の私の態度に関しては謝罪をさせて下さい」

「だから謝罪が欲しい訳ではないと、何度言えば」

「でも、私、同じことばかりを繰り返して・・・! どうしたらいいか」

「はいはい、二人とも。謝罪はあとにして、もう一度お互いの手を繋いで下さいね」 

ローヴの言葉に二人は口を閉ざし、もう一度手を繋いだ。 

 

 

 

 

→ 次へ

 

← 前へ

 

メニュー