紅王子と侍女姫  17

 

 

ディアナは、自分の浅慮な言葉の数々を謝罪したいと伝えたが断られ、余計に王子を困らせてしまったと一層蒼褪め、どうしたらいいのか判らなくなる。

重ねた王子との手からは魔法老師の手の温かさとは違う、硬い手の感触と共に沁み込むような温かさが伝わって来た。それが気持ち良いと感じるのと同時に、やはり申し訳ないと思う気持ちが込み上げて来るのを止めようがない。何度も口にするたびに王子から強く叱責されてしまう。それが居た堪れないとディアナは唇を噛み締めた。

 

耳に何か小さな声が聞こえていると気付いたのは、握られた手の温かさに少し落ち着いてきた頃だ。囁きに近い声は高い場所から聞こえてくるのに、お腹に響くような頭に響くような不思議な感覚に捉われる。

頭の中に何枚もの紙片が舞い始め、過去の風景が広がり出す。王子が行った試しと同じ光景が広がるが、紙片はゆっくりと一枚一枚、時間を掛けて目の前に落ちて来る。

そのひとつには、王城の庭園から親の許へと連れられて行く自分がいて、乱れた髪と汚れたドレスで歩いていた。歩きながら振り返った私の目に、噴水の水飛沫が日の光に輝いているのが見える。次に目の前に落ちて来た紙片には、倒れた私が見上げている少年の顔。

顔を上げて次の紙片に手を伸ばす。

そこには少年が握り締める珊瑚色のリボンが揺れ、別の紙片には口を大きく開けて何かを叫ぶ少年がいた。怒りに歪んだ顔と悲痛な色を乗せる瞳が揺れて見える。少しずつ過去へ遡る様子に、ディアナは震える手を伸ばして次の紙片を掴んだ。

 

「・・・・っ」

 

冷たさと熱さの入り混じった罵倒。訳も判らず少年の顔を凝視する自分。何かを呟いた私がいる。私を見る少年の瞳に悲しみが浮かび、怒りへと変化してゆく。

 

「わ、私は・・・・な、にを」

 

少年とは思えない怒気を孕んだ瞳は真っ直ぐに当時の私に向けられている。凄まじい怒りと苛立ちに気付かない私の口を閉ざそうと、次の紙片へ手を伸ばす。だけどその紙片に描かれていたのは、髪を弄りながら笑みを浮かべる幼い自分がいるだけで、少年に何を言ったのかが判らないままだ。次の紙片には少年の顔をじっと見つめた私が何かを呟いている。同時に少年の表情が歪んだ。急ぎ次の紙片を手に取ると、穏やかな顔で私に話し掛けていた。

次の紙片にも、その次の紙片にも、描かれている王子の顔は穏やかで葉で作った船や草笛を楽しまれているのが見てわかる。

ゆっくりと舞い落ちて来る紙片に、もう手を伸ばす必要はない。

魔法にかかった原因は、自分自身だということがはっきり判ったから。

 

「な、にを・・・・。わたし、は・・・っ」

「ディアナ。もう終わった、大丈夫だ。目を開けて俺を見ろ」

 

声のする方に視線を向けると心配そうな表情の王子が私を見つめていた。

その表情に、自分がどう応えていいのかわからなくなる。判るのは、私が当時十歳の彼を傷付けたのだと、あれだけ激昂させたのは自分なのだということだ。

 

「ディアナ嬢、頭など痛むところはないですか? 今の試しで、今までと違う過去が見えましたか」

「・・・話している声はまったく聞こえませんでした。でも、今まで以上にゆっくりと、過去の細かな場面が・・・・いろいろ見えました」

「過去を垣間見て、御自身が殿下に何を言われたか、思い出されましたか?」

「い、いいえ! 違いますっ、殿下が何かされた訳では御座いません! 私が、私が何か言ったのです。私が言った言葉で殿下があのようなお顔をされてしまった! 私は何を言ったのですか? 申し訳御座いません! お許し下さい! お願いですから謝らせて下さい、私が悪いのですから・・・っ!」

「ディアナ、落ち着け! 違うと何度も言っている」

「私が・・・、私は・・・っ!」

 

頭の中は真っ白で謝罪の言葉しか浮かんでこない。一国の王子と同じソファに座っているのも痴がましい。だけどそれを口にするたびに王子は辛そうな表情をされる。では、如何したらいいのか。この場から出来ることなら逃げ出したい!

 

「ディアナ嬢。・・・・・失礼」

 

目の前に大きな手が覆われると同時に身体から力が抜け、ディアナは椅子に凭れ掛かる。苦しかった胸の締め付けが解かれたようで、詰まっていた息がゆっくりと吐けた。

 

「ローヴ、ディアナを強制的に寝かせたのか?」

「いいえ、彼女の気がかなり昂ぶっておられた上、過呼吸気味でしたので弛緩させて頂きました。ディアナ嬢、互いの言葉は思い出されなかったということでしょうか」

 

ローヴの声にディアナは目を閉じたまま頷いた。

 

「・・・それを思い出したら魔法は解けるのでしょうか。殿下は・・・・覚えておいでなのでしょうか。私が何を殿下に言ったのかを・・・・・・・」

「あ、ああ。俺は覚えている。しかし、ディアナ本人が思い出さなければ、魔法は解除出来ないらしい。ゆっくりでいい。無理はするな。・・・・・今日はここまでだ」

 

幼い自分が口にした言葉であんなにも王子を怒らせるなんて、一体私は何を口にしたのだろうか。消すことの出来ない過去をこんなにも悔やんだことはない。

 

「このまま、もう少し続けることは出来ないのでしょうか」 

早く解いた方がいいに決まっている。だけど自分が何を言ったのか知るのが怖い。

魔法を解除出来ないと何が困るというのだろう。

 

「もう、苦しくありません。・・・出来るだけ早く魔法を解いてしまいたいのです」

「それでも、今日はもう止めておきましょう。ディアナ嬢は王城に来たばかりですし、殿下も政務が御座いますよね。こちらばかりに煩っている場合では御座いませんよ」

 

その言葉にディアナは蒼褪めて息を呑んだ。忙しい王子の時間を自分ばかりの都合で押し付けようとしていたことを恥じ、ふら付く体を叱咤して立ち上がると、ギルバードに一人で歩けるかと聞かれた。これ以上迷惑は掛けたくないと、ディアナは微笑んで頷く。

 

「俺は少しローブと話があるから、先に戻っていてくれ。ゆっくり休むようにな」

「で・・・では、お言葉に甘えまして、私は先に休ませて頂きます。魔法導師長様、本日はお世話になりました。また明日、宜しくお願い致します」  

何ひとつ役に立てないまま終了したことに、ディアナは唇を噛んだ。

 

 

 

 

「お前から見て、ディアナにかけられた魔法はどうだ。解けそうか、ローヴ」

「すぐに、とは言えませんが出来るだけ早く解けるよう尽力致します。それよりも彼女の精神的負担が気になりますね。・・・・あれでは心が先に悲鳴をあげそうですよ。今にも壊れそうで、だけど必死に思い出そうと努めておられる」

 

ローヴが王子を見つめながらカップを持ち上げ、泰然とした態度で紅茶を啜った。

ギルバードもそれは理解しているが、今は魔法を解くことが彼女の負担を軽減するために必要だと信じている。しかし口下手な自分では、彼女をリラックスさせるための会話さえ出来ずに、また魔法をかけてしまいそうだとローヴが持つカップを見つめた。

 

「気持ちが強張ってますので、何か考えなければなりませんね。殿下が政務に励まれている間は、彼女が心地良く過ごせるように努めてみましょう」

「俺も出来るだけ彼女の許へ行けるようにするが、頼む」

 

真摯に頭を下げてくるギルバードに細い相貌を更に細めて、ローヴは笑みを零した。

そして、ふと小首を傾げて尋ねる。

 

「殿下が抱き上げて彼女をこちらへ連れて来たのは、この目で見ておりますので承知しております。その時、彼女は目を瞑っておりましたねぇ?」

「あ、ああ。・・・どうも、気が昂ぶっている時にディアナと目が合うと、魔法をかけてしまうようで。だから目を閉じて貰って謁見の間からここまで連れて来た」

「ほぉ、謁見の間でどんな気が昂ぶるようなことがあったのですかねぇ。・・・まあ、それはよろしいとして、では彼女はここから、どうやって、何処へ戻られるのでしょうか。王城内を歩くのは初めてですよね? しかも、ここは瑠璃宮ですよ」

「・・・あっ!」

 

面白いほどに顔色を変えたギルバードが、あっという間に部屋から出て行った。ローヴは王子の様子に笑いながらカップを置くと、テーブル上の手鏡を持ち上げ、手を翳してディアナの様子を探る。

瑠璃宮の回廊を貴族の娘らしく楚々として歩いている彼女は、やがて周囲を見回して足を止めた。何処に自分がいるのか、何処に行けばいいのか判らないのだろう。

瑠璃宮は造りからして他の宮とは違う。魔法を駆使する導師たちが住みよく、互いの影響を受けにくい構造を成しているために、普通は限られた者しか立ち入れない魔法がかけられている。今回は王子が彼女を抱き上げた状態だったため足を踏み入れることが出来たが、魔力を持たない彼女だけでは外に出ることは永遠に適わないだろう。

王子に迷惑を掛けたくないと自力で部屋を探す彼女が、迷子になるのは可哀想だ。

早く彼女を見つけ出せるよう、ローヴは王子へ合図を送ることにした。

 

ローヴが手鏡にゆっくりと息を吹きかける。

すると鏡に映るディアナの頭上に真紅の蝶が現れ、ギルバードの許へと移動を始めた。

蝶の案内により、互いが出会うのは時間の問題だろう。

だが、ディアナ自身にかけられた魔法は十年の月日を重ね、彼女の心の奥深い場所で複雑に絡み合っている。それを解くのは容易ではないとローヴは考察する。

 

ギルバードが突発的に放った魔法は、健康や人生の安寧を願う自然調和を基にした魔法とは成り立ちが大きく異なる。たぶん当時のギルバードは、衝動的に放った魔法で幼い彼女を弾き飛ばしただけのつもりだっただろう。それでも彼にとっては衝撃な出来事であり、だからこそ長い間彼女のリボンを持ち続け、秘かに謝罪を繰り返していた。

長い間、その時に口にした言葉にまで魔力があるとは思いもしなかったはず。

しかし現実は言葉による魔法もかけられていて、彼女はその通りに侍女として働き続けていたのだ。幼い真っ白な心にかけられた魔法は彼女の人格も変えていた。魔法を解き、王子との繋がりが解けたとしても、彼女の人格が元に戻る保証はない。それをギルバードがどう思うかが心配だとローヴは鏡の中の彼を見つめた。

 

ギルバード自身も母親の噂を鵜呑みにして心を閉ざし掛けたこともあったが、自分を見失うことはなかった。周囲からの軋轢と王子としての自分を持て余して小さな癇癪を起こすことはあったが、彼の姉や乳母の愛情、ローヴを含めた魔法導師の指導により成長する。

その後、彼自身の悩みであった自分の外見が両親の愛情ゆえの産物であると知り、それからは王子としてやるべきことに今まで以上に真摯に対応するようになった。

それ故に、今回のことも彼が一番苦悩しているのは承知している。

  

逆にディアナ自身は魔法の存在も知らず、何故侍女として暮らすことが許されないのかが理解しきれないまま王城に連れ来られている。魔法により王子と繋がっているから解かなければならないと、それは必要だと命令されているだけだ。

王子からの要請に応えなければならないと、王城にて貴族息女らしく振る舞うことに恐怖を覚えながらも必死に振る舞っている。魔法が解けたら城に戻って今まで通りの生活に戻れると信じて。

彼女の望む生活を王子が望んでいないと知っていても、今は求められる貴族息女を演じている。

 

「ああ、会えたようですね。・・・って、また抱き上げて」

 

ギルバードが焦ったようにディアナの腕を引き寄せ抱擁し、そのまま抱き上げる姿が手鏡に映る。生まれた時からギルバードを見ていたが、女性を抱き上げる彼は見たことがない。舞踏会などでダンスを含め女性と触れ合うことがあっても、その視線は常に背後関係に傾注しており、女性自身に興味を持つことなどなかったはずだ。

侍従長レオンが女性を口説くたびに眇めた視線を向けていたギルバードが、ディアナに対しては本人さえ自覚無しに積極的に行動している姿を目にして、珍しいものを見たとローヴはほくそ笑む。

無自覚であるがゆえに多少暴走気味だが、それに対してディアナは戸惑いながらも嫌悪は感じていないようだ。レオンからの報告にあったようにギルバードの彼女に対する心理状態は、魔法にかけてしまった罪悪感だけではないようにも思える。

見ている方が擽ったくなるほどで、レオンではないが突きたくなるのも理解出来た。

 

   

 

 「あ、あの・・・・降ろして下さいませ。先ほどから何度もでは、殿下が御疲れになってしまわれます。御政務も御座いますし、腕が疲労されては大変なことに・・・・」

「軽いと言っただろう。それに瑠璃宮だということを失念して君を放り出すような真似をしたのは俺だ。ここは魔法力のない者は入ることも出ることも基本出来ない構造になっている。・・・まあ、国王と俺は別だがな」

 

大股でずんずん歩いて行く王子の腕の中、軽いと言われてもディアナは自分の体重を把握している。

日々厨房で働き、畑仕事や掃除、洗濯している自分は体力をつけるためにしっかりと食事していたから、王子の言うように軽いなど決して言えない。誰かに抱き上げられるなどの経験も子供時分の父親だけで、ましてや自国の王子に抱き上げられるなど夢にも思わない。いや、夢だと思いたいとディアナは身を竦ませた。

部屋に戻ると丁寧に下され、だけど緊張で強張る足がふら付くと腕を掴まれ引き寄せられる。また抱き上げられたと思ったら今度はソファに下され、礼を言おうとして顔を上げると首まで真っ赤になった王子が 「失礼っ!」と退室してしまった。

御礼を伝えることも出来ずに失礼をしたのは私の方なのに、口を開く間もなく王子は部屋を出て行ってしまう。やはりお忙しい御身分なのだろう。

そんなに忙しい中、こんな自分に携わってくれている王子が望む魔法解除。

王子が言った言葉を私が思い出すことが解く鍵だと言われても、未だ思い出せない自分の言葉と、脳裏に浮かぶ王子の聞こえて来ない声に焦るばかりだ。同時に思い出したくないと、思い出すのが怖いと唇を噛む。脳裏に浮かんだ悲痛な色合いを混ぜ込んだ少年の瞳がディアナを責めているようで、今の王子に同じように見つめられたら怖いと震えてしまう。

それでも思い出さなければならない。 

それを王子が望んでいるのならば。

 

 

 

 

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