紅王子と侍女姫  19

 

 

部屋に戻り直ぐに入浴を済ませ、用意された夕食を終えたディアナは、少しだけ掃除をしようと布巾で暖炉の上を拭き出した時、部屋の扉がノックされる。慌てて布巾を隠して返事をすると、ギルバード王子の声が聞こえた。

 

「遅い時間に悪い。何か問題はないかと気になって」

「問題御座いません。恙無く過ごさせて頂いております。殿下は大変お忙しいと伺いました。御無理はなさいませんよう、お気を付け下さいませ」

 

躊躇なく扉を開けると、目を大きく見開いた王子が直ぐに横を向いた。耳朶から首が見て判るほどに赤くなり、ディアナは眉を寄せて戸惑ってしまう。

 

「殿下、御風邪でしょうか。お顔が赤いようで御座いますが」 

「いや! お、遅い時間に部屋に訪れるなど、失礼をした。ま、まだ忙しさが続くようで、なかなか時間が取れない。何かあれば双子に伝えるといいと伝えに来た!」

「御配慮頂き、嬉しく思います」

 

王子からの言葉にも素直にお礼が言える。それは昼間、久し振りに掃除をしたからだろう。王子に貴族の娘だと知られてからは控えていた侍女としての仕事。姉の結婚式後からは貴族息女らしいドレスを着て過ごしていたから、汚れてもいい服装で思い切り掃除した今、王子に対して申し訳なさはあるが、気持ちは楽になっている自分がいる。

忙しい王子に時間を取らせて魔法解除をするより、本来の仕事の方が優先すべきことだ。気遣いは嬉しいが、自分のことより政務の方が大事だとディアナは丁寧に低頭する。

 

「連れて来たのは俺だというのに悪いな。魔法を解くための時間は必ず作るから、のんびり過ごして欲しい。どこか行きたいところがあるなら案内させるが」

「いいえ、お気遣いなく。どうぞ御政務を優先されて下さいませ」

「あ、ああ・・・・」

 

落ち着いた様子のディアナは先日までの強張りが抜け落ち、柔らかな声で受け答えをしてくれている。

ただ、まだ早い時間だと思い部屋を訪ねると、既に入浴したようで夜着の上にガウンを羽織っただけの、しどけない姿で扉を開けられた。慌てて顔を背けたが、しっかりと見てしまった自分がどんな顔をしているのかと背中に厭な汗が流れる。

ディアナも不審がらずに扉を開けるなど、これが自分以外の男だったらどうするんだと心配になり、想像するだけでも胃が締め付けられる。いや、その前に自分の宮殿に招いた客だとしても、夜に女性の部屋を訪ねる自分も信じられないとギルバードは頭を抱えた。いつまでも部屋の入口にいる訳にもいかないが離れがたい自分もいる。

するとディアナがはっと声を漏らし、扉から一歩退いた。

 

「殿下を立たせたままで申し訳御座いません。どうぞ、お茶でもお淹れ致します」

 

慌てた声で入室を促されるが、こんな時間に女性の部屋に入る訳にはいかない。

時間帯も自分のしどけない姿も気にすることなく、普通に自分という男を部屋に招き入れようとするディアナに、動揺する様を見せたくないとギルバードは扉を閉めながら言い訳のような台詞で断った。

 

「いや、政務が残っているから結構だ。・・・・こ、こんな時間に失礼した」

「いいえ。私も出来るだけ思い出せるよう努めさせて頂きます」

「無理はしなくてもいいからな。無理をさせるために連れて来たんじゃない」

「殿下のお心遣いをとても嬉しく思います。ありがとう御座います」

「・・・・無理することなく、ゆっくりでいいからな・・・・」

 

扉から垣間見える儚げなディアナに手が伸びそうになる自分を必死に押さえ込む。

いったい自分はどうしたというのだろうか。

双子騎士に彼女の護衛を頼み、しばらく会えないと伝言もさせている。こんな時間に部屋を訪ねてまで会う必要はないはずなのに、たった一日会えないだけで足を運ぶ自分に困惑する。ゆっくり休むように伝えて扉を閉めるが、扉前から上手く足の向きを変えることが出来ないとギルバードは眉を顰めた。

 

どうにか執務室に戻るが、山と積まれた書類に深い溜め息が出る。隣室で少し仮眠しようとソファに転がり目を閉じると、浮かんで来るのはディアナの笑みだ。今日は何をして過ごしたのだろうか、少しは環境に慣れたのだろうかと頭の中をグルグル回る。

そこへレオンの「夜食の用意をしますか」の声に山積した書類がディアナの柔らかな笑みを押し出し、頭の中で雪崩を起こした。舌打ちして目を開けると、答えを待つレオンが自分を呆れたように見下ろしていて、再び溜め息が零れる。

 

「ふぅ。食べて少しでも書類を減らすか。いつ終わるか、見当もつかないがな」

「ディアナ嬢をいつまでも待たせるのも可哀想ですしね。私も殿下と二人きりで政務室に閉じ込められ続けていると、脱走して彼女を慰めに足を運びたくなります」

「・・・・行くなよ?」

「ええ、行きませんとも。私は殿下のように、夜に淑女の部屋を訪ねるような不埒な真似は致しません。で、夜食は召し上がられますか?」

「・・・・・・・」

 

仮眠しようとした身体を起こし、夜食を持って来いと伝えて執務室に戻る。レオンが意味ありげな笑みを残して退室した後、頭を抱えたギルバードは卓に額を押し付けて身悶えるしかない。

どうして奴が知っているんだと思うと同時に、こんな時間に訪れた自分をディアナはどう思っているのだろうと心臓が怖いほどに跳ねる。 

レオンが口にした不埒な真似という言葉に、彼女の表情を思い出す。

ディアナは変に思わなかっただろうか。部屋に招き入れようとしていたのだから、不審には思っていないだろう。いや、王子だから気を遣っていただけだろうか。心の中では妙な時間に訪れた王子を不審がっていたのかも知れない。彼女の繕った表情では真意が解からない。

 

「殿下、身悶えている暇があるなら、書類を一枚でも多く片づけて下さい」

「・・・・夜食を待っていたんだ。・・・って、その書類は何だ」

「書類です。明日までに至急だということです。今宰相より渡されました」 

もう、文句を言う気力も削がれたとギルバードは項垂れるしかない。

 

 

***

 

 

その後三日間、ディアナは双子騎士と共に騎士団休憩室の掃除に勤しんだ。

掃除を終えて見違えるほど綺麗になった休憩室に満足したのだろう、仄かに頬を上気させるディアナに双子騎士は笑みを浮かべる。

  

「陛下は山のような政務が終わりそうになくて、まだ魔法を解くための時間が取れないんだって。だからその間、掃除のお礼に何処か行きたい場所があるなら、城下街でも港でも湖でも、好きなところへ案内するよ。どこか行きたい場所の希望はある?」

「もし、よろしければ・・・・厩舎を見たいです」

  

王子が乗ってきた馬車を見た時から馬がずっと気になって世話をさせて貰っていた。立派な体躯と気品ある馬は領地では余り見ない種類だ。農耕馬が多い田舎では騎士が乗る馬も立派で目が奪われる。

自城にも、もちろん馬車用の馬はいる。町にも移動用馬車もある。だけど王子が乗って来た馬車の馬や、双子騎士が騎乗していた馬は別格だ。

希望通りに厩舎に案内され沢山の馬を前に、ディアナは感動に言葉を詰まらせた。

  

「なんて・・・・高貴な」

  

栗毛色の騎士専用の馬を前に目が奪われる。戸惑うことなく手を伸ばして首を撫でると、身体を近寄らせて気持ち良さそうに鼻を鳴らす馬にディアナは笑みを浮かべた。

  

「馬車用の白馬は別の厩舎だから、正直こっちは女性向きじゃないんだけど」

いいえ、とても、とても素晴らしい馬たちばかりです。こちらの馬に騎士様たちがお乗りになるのですね。殿下がお乗りになる馬もこちらに?」

「殿下の馬はこっちだよ。青毛で他の馬より大きい体躯だろう」

「・・・まあ、青毛の馬は初めて目にします。なんて・・・・」

  

案内された先に居た馬は、確かに他と比べると格段に体躯がいい。更に青毛の馬体には白紋も見当たらず、全身を艶やかなビロードで覆われているようだ。前髪から覗く濡れた黒瞳が静かにディアナを見つめているようで感動に全身が総毛立ち、目が離せなくなる。目の前に突然現れた自分に動じることもなく、ただ静かにそこに居る姿に近寄ることも触れることも出来ず、ディアナは呆然と立ち尽くしていた。

しばらくの間見つめ続けていると、オウエンが質問を投げ掛ける。

 

「ディアナ嬢は実家でも馬の世話をしていたの?」

「いえ、世話をする者は別におります。ただ侍女仕事を止めるよう言われた時、厩舎に逃げ込み馬の世話をしながら過ごしていましたので多少は慣れております。時間がある時に厩舎に足を運び、ブラシ掛けのコツや馬具の手入れ方法、装着を教えて頂きました」

「もしかして、馬に乗れちゃう?」

「はい。時々馬車用の馬を運動させたり、町に買い物に行く時に乗っておりました」

  

双子騎士が驚いた声を出すから、ディアナは言わなければ良かったかしらと俯いた。

貴族息女は騎乗せずに馬車に乗るのが普通なのだろうか。いや、確か女性用の馬術衣装もあると勉強したことがある。それならば騎乗する女性もいるのだろうと、恐る恐る顔を上げるとオウエンが笑顔を近付けて来た。

 

「午後から騎士団は城下の警護に行くんだ。その間は馬場が空くから、俺の馬に乗ってみる? 大人しい馬だから問題ないよ。まずは馬の顔を見てちょうだい」

「そんな! 騎士様の馬に乗るなど、恐れ多いことで御座います」

「殿下からディアナ嬢の気分転換になるなら何をしてもいいって言われているから問題ないよ。まあ、掃除していることは言わない方がいいかも知れないけどね」

 

それは言わないで欲しいと伝えると双子はもちろんと請け負ってくれた。ましてや侍女服で掃除をするなど、貴族らしからぬ自分の姿を見た王子の悲しげな顔を想像するだけで申し訳なくなる。

案内された先にはリグニス城で世話したことのある護衛騎士の馬がいて、覚えているかしらとディアナが近寄ると足で地面を掻き始めた。耳が前方向にピンと立ち、首を下げて来たのでディアナは安堵して首へと手を伸ばす。

 

「覚えて下さっているようで、嬉しいです」

「こいつは頭がいいから、ディアナ嬢がリグニス城で世話してくれたこと覚えているのかも。馬の世話まで出来るって、ディアナ嬢って本当にすごいな」

「オウエンの馬は可愛い女の子に弱いからねぇ。主に似てさぁ」

「言えてるかも! 俺も馬も可愛い女の子、好きだもん。エディも同じだろ?」

「もちろん。可愛い女の子に世話して貰って、オウエンの馬も俺の馬も幸せだよな」

 

馬の首を撫でながらエディの言葉に笑みを浮かべていいのか逡巡する。

貴族息女としてはもちろん、侍女としても本来逸脱した行為だ。畑や厨房、執事業務、家畜の世話、さらに厩舎にまで立ち入るなど手を出し過ぎだと、ラウルや侍女頭に何度も止められた。いくら仕事をしても足りない気がして、成長と共に出来ることが増えるとその分どんどん仕事量を増やしていた。何の苦労も苦痛もなく、侍女として働けることに幸せを感じていた。侍女仕事を続けたいと願うのは魔法のせいだと言われても、今はまだ理解するのが難しく、理解するのが辛い。

 

午後になり騎士団が町の視察に向かうと、休憩室からローヴと同じような法衣に似た衣装を着た女性が現れ、ディアナに微笑みながら近付いて来た。騎士団員が今までいた場所から姿を現した女性にディアナが驚いていると休憩室内に招き入れられ、馬術用衣装を持参したと告げられる。

  

「ローヴからディアナ嬢の世話を頼まれました。女性でなければ出来ないこともありますので、その際はどのようなことでも遠慮なく御相談下さいね」

「ありがとう御座います。馬術用の衣装は助かります」

 

長姉より少し上に見える女性は柔和な笑みを浮かべており、ローヴに感じた時と同じようにディアナの気持ちが温かくなる。ディアナが用意された衣装に着替え終えると、女性は袖口に侍女衣装を仕舞い込んだ。いったい魔法導師の衣装はどうなっているのだろうと目を瞠って注視していると柔らかく微笑まれ、何も言えなくなる。

 

双子騎士に誘われた先には、驚くほど広い馬場があった。

既に馬具を装着したオウエンの馬を撫でながら広い空と馬場を見回していると、騎乗したエディがさっそく駆け出す。ディアナも騎乗して駆け足を始めると心地よい風が耳をくすぐった。

徐々に速さを増して駆ける中、馬場から見える王城の大きさに胸が痛くなる。

エルドイド国の王城は街を見下ろす高台にあり、背後には堅固な山が聳え立つ。過去の戦争時の爪痕が僅かに残る城壁が大きな敷地を囲み、城下街や大きな港は豊かさに賑わい、近隣国の中では一番発展している強富国だと子供でも知っている。

その維持向上のため政務に励まれている王子との間に繋がれた魔法を解くべく王城に来た自分が、馬を駆って楽しんでいていいのだろうかとディアナは眉を顰めてしまう。

知らず手綱を握る手に力が入ったようで馬が駆け足の速度を落としていった。別の馬に乗ったオウエンが近寄り、どうかしたかと尋ねて来るからディアナは急いで首を振り、早足に切り替える。遠くに見える海原に目を細めて眺めていると、耳元に誰かの囁きが落とされた気がした。振り向くが誰もいないと判り首を傾げると、また声が聞こえて来る。今度ははっきりと女性の声で、それは着替えを用意してくれた人の声だと判った。

 

「殿下が馬場に向かわれております」

「え? 殿下が馬場に向かわれている? い、今ですか?」

 

ディアナが驚いて声を上げるとエディが手綱を引き、騎士団厩舎へ向きを変えて馬を駆らせた。オウエンに困惑した顔を向けると、聞こえて来た声は魔道具で伝えて来たものだろうと笑顔で教えてくれる。

 

「エディは迎えに行っただけだから、ディアナ嬢はそのままでいいよ。殿下が相手出来ない分、楽しんで貰うように言われているから問題はないよ。きっと政務のストレスを発散させるために馬を駆らせに来るんだろうから、どうせなら一緒に楽しんだら?」

  

のんびり馬を駆らせている自分を見て、王子はどう思うだろうか。一緒に楽しむなど申し訳なくて出来ないとディアナが困り果てていると、エディの楽しげな声が聞こえて来た。

 

「ディアナ嬢、殿下が来ましたよー」

  

エディの声に振り向くと目を見開いた王子が自分を注視していて、馬上で狼狽してしまう。巧みに馬を操り近寄って来る王子とは対照的に、離れて行く双子騎士を思わず目で追い掛けていると、戸惑ったような声が掛かる。

 

「邪魔を・・・・したか?」

「いっ、いいえ! ただ、殿下が御政務でお忙しい時に私ばかりがこのように楽しませて頂き、恐縮してしまい、あの・・・・私の方こそ殿下のお邪魔ではないでしょうか」

  

王子は政務の合間の休息に来たというのに、のんびり楽しんでいる私に呆れていないだろうか。思い切り馬を駆らせに来たのに邪魔にならないかと心配になる。

  

「邪魔じゃない。椅子に座ってばかりじゃ腰が痛くなるし、たまにはコイツも思い切り走りたいだろう。ディアナが馬に乗れるとは驚いたが、良ければ一緒に走らせないか?」

 

王子が騎乗しているのは青毛の馬だ。ディアナが顔を上げると楽しそうな王子の表情があり、そして間近でこの馬が走るところが見られると思わず頷いてしまう。

手綱を弾かせ駆け出した王子の後を、ディアナも追うように駆らせた。斜め前を走る青毛の動きに目を奪われ、後ろ脚が力強く土を蹴り駆る姿はとても美しいと注目していると、馬の背で前屈みになっている王子の髪が靡く様が視界に映る。

 

午後の日差しを受けた艶やかな髪が濃藍に揺れるのを、不思議な懐かしさを感じながら見つめていたディアナは、突然の頭痛に急ぎ手綱を強く握る。

馬に任せて走りながら痛みに目を瞑ると深い闇が訪れた。闇の中に浮上するのは、幼い自分と少年が王城の庭園で見つめ合っている場面だ。睨み付けるような顔がゆっくりと歪み、痛みを耐えるような表情へと変わりながら消えていった。同時に頭痛も消え、ディアナが目を開けると、そこは眩しい日が注ぐ馬場で馬は変わらずに走っている。

白昼夢のような光景に眉を顰めながら、ディアナはもう一度思い出そうと目を瞑る。

  

自分は王子に何を言ったのだろう。何を言って彼にあのような表情をさせたのだろう。

幾ら願っても考えても思い出せない過去にディアナは眉を顰めるしかない。繋がっているという魔法が王子にどんな影響を与えるのだろうか。出来ることなら、どんな影響も王子には与えたくない。世継ぎである王位継承者に対し、自分が出来ることは鍵となる言葉を思い出すこと。だけど・・・・どうやったら思い出せるのだろうか。 

 

 

 

 

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