紅王子と侍女姫  22

 

 

声を掛けて来た女性から醸し出される雰囲気と人を見下す視線は高位に立つ者が齎すものだ。ディアナは緊張しながら貴族息女らしい振る舞いを心掛けて丁寧に腰を落とし低頭した。上の立場の者から声を掛けられたのだから答える義務が生じる。しかしディアナが答えるために口を開こうとした時、女性に続けて話し掛けられた。

 

「貴女、もしかしてギルバード殿下が連れて来たという噂の姫なのかしら。ギルバード殿下の妃候補が東宮に居ると噂されているわ。殿下の妃候補の貴女は、どちらの国の姫君なのか訊いても良いかしら」

「いえ、私は殿下の妃候補などでは御座いません! 私は、アラントル領リグニス家が三女、ディアナ・リグニスと申します」

「ふぅん。知らない領地の名前ねぇ。ギルバード殿下が女性を王城に連れて来たと聞いていたから驚いていたけど・・・・、まあ違う意味で驚いてしまうわぁ」

 

優雅に足を進める彼女が低頭するディアナに近付いて来る。頭上で扇がパチンと音を立てたのが聞こえ、目の前には真っ赤なドレスの裾が揺れて見えた。ビロードの高価な靴が覗き、爪先がディアナに向けられているのが判る。

目の前の女性が誰かは判らないが、自分の立場では赦しも無く顔を上げることは出来ない。疲れ切った足が震えそうになるが、貴族息女らしく静かに低頭し続けた。

 

「どういう意図で田舎領主の娘を王城に連れて来たのか判らないけど、そんな地味な衣装を着た老婆のような髪の娘が妃候補じゃ、呆れてしまうわねぇ」

「いいえ、私は妃候補では御座いません」

「では何故、王城に連れ来られたの?」

 

目の前の女性が王城では高位な立場におられる方だとしても、簡単に話していい内容ではないことは承知している。叱責を覚悟で正直に話すしかない。

 

「それは殿下御自身にお尋ね下さいませ。私が口にすべきことでは御座いません」

「・・・・ギルバード殿下に私から尋ねよと申すの? この私に?」

「申し訳御座いません。私から申し上げて良いのか判りません」

 

はっと短く甲高い嗤いが聞こえると同時に、ディアナが低頭しているガゼボの柱に扇が叩き付けらえた。上手く伝えることが出来ずに相手を怒らせてしまったかとディアナが唇を噛み締めると、やはり頭上から苛立った声が響き出す。

 

「私は王弟が第二子、エレノア・フォン・アハルよ! 私が田舎領主の娘に口を開き尋ねているというのに、その物言いは至極無礼! 例えお前がギルバードの妃候補といえど、私は容赦などしないわよ!」

 

王弟の娘と聞き、ディアナはさらに深く頭を下げた。屈めた腰が悲鳴を上げそうだが、世情に疎いディアナと言えど王子の従妹であるエレノア姫の名前は知っている。その姫に何度も妃候補と言われ、必死に間違いを修正しようと口を開く。

 

「いいえ、エレノア姫様。私は本当に殿下の妃候補では」

「どうせ妃候補と言っても形だけでしょう? 候補が少ないより多い方が、国王陛下唯一の息子として見栄えがいいというだけ。婚約者として周囲が正式に認めているのは私だけですもの。未来の王妃となるのは、この私なのよ」

 

思わず顔を上げると、赤味がかった金髪をゆったりと結い上げた女性が自分を睨み付けていた。しかしディアナが眉を寄せて困惑した表情で見つめると、エレノア姫の真っ赤な紅を乗せた口角が持ち上がり、視界一面に真っ赤なドレスが揺れる。

 

「第一妃候補として推挙されているのは私なの。田舎領主の娘などに用はないわ。そうよ、あの汚らわしい魔法王子と結婚して王妃となるのは私。・・・血の穢れを我慢してあげるという私を、あの男は真っ黒な瞳に魔法を混ぜて睨み付けて来るけど、王妃になれるならそれも我慢してあげるわ」

「殿下は穢れてなどおりません!」

 

ディアナは思わず叫んでいた。ドレスの裾を強く強く握り締め、自分より遥かに高位な立場の人物に向かい真っ直ぐに目を見つめて口を開く。

 

「殿下は日々真摯に政務に携わっておられる、精白高潔な御方です! 殿下を貶めるような御言葉は、例え王弟の姫君様でも御慎み下さいませ」

 

心臓は早鐘を打ち、咽喉は乾き、頭の奥では警鐘が鳴り響くが、我慢が出来なかった。侍女として長く過ごしてきた自分が、家族にさえ敬語を使っていた自分が、王弟の娘だという女性に向かい彼女の言葉を否定するなど考えられないことだ。

だけど王子を嘲る言い方に、ディアナの何かが切れてしまった。

 

「殿下がどなた様をお選びになられるかは存じませんが、殿下を敬えない方が妃になるのは一国民として心から喜ぶことは出来ません」

「王城に巣食う魔法導師を親に持つ、穢れた血を持つ王子様よ? 田舎まではその噂も届いていないのかしら。あれを敬うなんて、出来る訳がないでしょう?」

「殿下を穢れたと言うのはお止め下さい!」

 

強く言い放つ自分に対し、エレノア姫が激昂するのがわかった。真っ赤な紅が歪み、扇を持つ手が震えながら持ち上がる。真っ直ぐに見据えたままのディアナの頬を熱さが襲うが、直ぐに顔を上げて姫の目を見つめた。

これ以上口を開いては駄目だと、直ぐに目を伏せて低頭すべきだとわかっている。

相手は王弟の姫君だ。この国に王妃がいない今、女性のトップは間違いなく彼女だ。

その女性に対して叱責まがいの言葉を吐き、更に敬えないと言い放った。家族ごと罰せられても仕方がない言葉を口にしてしまった。

だけど侍女も貴族も関係ないと、ディナアは強く姫を見据え続ける。

再びエレノア姫の手が上がる。発した言葉を翻す気はない。だが高貴な立場の方に言うべき言葉使いでないと承知しているディアナは、その叱責を黙って受けようと目を閉じる。二度目の熱さが頬を過ぎた後、顎に濡れた感触がした。

 

「王が戯れに手を出した結果がギルバードなのよ! それに対して敬えだなど、たかが田舎領主の娘であるお前如きが、私に指図するなど烏滸がましいわ!」

「エレノア姫、それ以上は王へと進言させて頂きますよ」

 

突然割って入った声は穏やかな声色で、ディアナが目を開けると見たことのある人物が二人の間に手を差し出して微笑みを見せる。激昂し紅潮した顔のエレノア姫を柔らかく嗜めると、背後にいる衛兵に姫を送るよう指示を出す。

憤りに唇を戦慄かせた姫がディアナと人物を睨み付け、そしてドレスの裾を持ち上げると踵を返して王城へと向かって行った。姫の後を衛兵が急ぎ追い掛ける様をディアナは息を詰まらせて見つめていたが、今頃になって手と足が震えているのを知り、強く目を瞑り手を握り締める。

 

「ディアナ嬢、双子騎士が心配されていましたよ。直ぐに殿下もこちらへ来られるでしょう。その前に頬の手当てをさせて頂けませんか」

「申し訳御座いません。・・・・殿下の大切な婚約者様に対し、大変失礼な態度を取りました私をどのように御処分なさっても構いません。私のような立場の者が姫様に物申すなど、大罪だと存じております」

 

頬の痛みより、自分が口した言葉で家族がどんな目に遭うのだろうと考えると、目の前が暗くなる。

自分でも自分の態度が信じられない。相手が相手だ。上手く唾を飲むことも出来ないくらい咽喉が乾き、出来ることならこの場に崩れ落ちたいくらいだ。

だけど王子がこの場に来るというなら、早くこの場を立ち去り、急ぎあの場所を探す方が先だ。

どんな罪に問われるか判らないから、それよりも早く魔法を解くための鍵を思い出さなければならない。時間は限られてしまった。

 

「手当は結構で御座います。私は急ぎしなければならないことがありますが、終わりましたら必ず罪を償わせて頂きます。ですから、どうか今はお見逃し下さいませ」

「しかし、その頬の傷は直ぐに診て貰った方がいいでしょう。それにエレノア姫のことは」

「申し訳御座いません、失礼致します!」 

逃げるように場を離れるディアナに、人物から声が掛かる。 

「ディアナ嬢! そのままでは傷が残りますよ」

 

心の傷の方が問題だと思いながら振り返り、声を掛けてくれた人物に頭を下げた。あとでどんな刑罰が待っていようと、王子との繋がりを解いて解放する方が先決だと足を急がせる。

同時にエレノア姫の言葉がディアナの脳裏に浮かび上がった。

 

真っ黒な瞳に魔法を混ぜて睨み付けて来る

魔法導師を親に持つ、穢れた血を持つ王子様

 

それは自分が耳にしてよい言葉だったのだろうか。魔法を使えるのは魔法導師だけのはず。魔法導師が王子の親だというエレノア姫の言葉が真実なら、王子の母親は魔力を持っていたということ。その魔力を使い王子は私に魔法をかけた。真っ黒な瞳に魔法を混ぜてという言葉が胸を痛いほどに締め付ける。それはディアナの足を速め、早く思い出せと催促するように苦しめてくる。

 

「私は・・・・・」

 

黒髪を揺らし、黒曜石のような瞳で自分を真っ直ぐに見つめる王子。

力強い腕で何度抱き締められたことだろう。大きな通る声が耳に残る。軽々と私を抱き上げ、自分を蔑むなと辛そうな顔で言い、申し訳なさそうに試しをされる王子。

ああ、穢れているのは自分の方だ。

清廉潔白な王子から目を逸らし、自分は侍女として過ごしたいと何度も願っていた。

長い間、自分の過ちに真摯に謝罪を繰り返していた王子から逃げ出したいと思った。

 

「私・・・・・」

 

家族が心配して説得を繰り返すたびに溜め息を吐き、それでも自分がしたいように過ごしていた十年間。畑や厨房や機織りをして、好きな侍女仕事をして過ごした十年間。

それは王子がかけた魔法せいだと判った今でも幸せだったとしか思えない。

野菜を収穫したり厨房で料理を作ったり、日々掃除や洗濯で自分が役に立っていると思い満足していた。だけど実際は自分の望むがまま過ごしていたに過ぎない。

家族の困惑にも涙にも背を向け、我を通していただけではないか。

父が困った顔をしても、姉がいろいろ進言しても、母が泣いても、それでも私は侍女としての仕事を止めなかった。そんな自分が東宮の客室で賓客のように扱われるべきではない。

早く鍵となる言葉を思い出し、王城から出なければ。

 

 

 

 

 

「・・・・・ここだわ」

 

十年も経つというのに見慣れた景色に驚かされる。当時六歳の自分が覚えている訳がない。王城から自領へ戻る間に殆ど忘れたはずの記憶のはず。

王子と何度も試しを繰り返したから、ここだと解かるだけだ。だけど思い出される当時のままの風景に、ディアナの胸が痛いほどに締め付けられる。 

ディアナは跪き、ドレスのポケットからリボンを出して胸に押し当てた。

息が切れるほどに走ったせいだろうか。

手の内がいやに熱く感じ、そっと開くと不思議なことにリボンが淡く輝いていた。色褪せ、くたびれた紐と化したリボンが徐々に当時の色合いに近付いていくように見える。

ふと何かの気配を感じてディアナが顔を上げると眩い日の光に目が細まり、その時、視界の端に何かが走り去るのが見えた。

手を翳して追うがあっという間に消えてしまい、そして目の前に座り込んだ少女がいるのに気付く。座り込んだ少女はぽかんと口を開け、走り去った何かを目で追っている。少女が自分だと気付き、手の内のリボンを握り締めると場面が変わった。

 

眩しい光が注ぐ中、ぐるりと低い茂みに囲まれた庭園で少年と少女が談笑しているのが見える。少女が近くの低木から葉をちぎり、噴水に葉で作った船を浮かべた。覗き込む少年が目を瞠り、噴水の水飛沫が二人の頭上で小さな虹を作る。黒髪の少年は瞳を輝かせて揺れる水面に浮く葉船に笑みを向けている。幾つか会話を交わしている内に不意に少年が立ち上がる。少女の私はその少年の顔を見上げながら、ゆっくりと口を開いた。

 

王子様の髪の色も目の色も、真っ黒なのね。さっき見た王様は明るい金色だったから、王子様のお母様が黒い色なのかな。目も黒いけど、でも・・・・」

 

そう話し掛けた時、少年は瞬時に身体を強張らせ顔を背けた。大きく見開かれた瞳が噴水を凝視し、きつく結ばれた唇が戦慄いているのが判る。ディアナが思わず身を乗り出すが、少女の私は少年の機微に気付くことなく、無邪気に微笑みながら言葉を紡ぎ続けた。

 

「王子様の目はお日様に当たると紅く見える」

 

そう言った途端、噴水の水飛沫が流れるほどの風が吹き、少女は目を瞑って俯いた。

しかし、目を閉じた私に向けられた少年の表情は________。

 

 

 

 

 

→ 次へ

 

← 前へ

 

メニュー