紅王子と侍女姫  24

 

しかし瑠璃宮へ入る前にギルバードは近くのガゼボに足を向けた。

設えてある椅子にディアナを下ろし彼女の正面に跪く。しゃっくり上げるディアナが蒼白の面持ちで立ち上がろうとするから、手を掴み立たないで欲しいと懇願した。

 

「思い出して、それで泣いているのか。怖かっただろうな。何度謝っても取り戻せないほどの年月が経過しているが、それでも謝罪をさせて欲しい」

「殿下が謝ることはありません! 謝るのは私の方です! 私などに殿下が跪くなどお止め下さい。怖いなど思っておりません。泣いているのは・・・自分が恥ずかしいからです」

 

頭を下げようとしたギルバードにディアナが大きな声を上げた。悲痛に歪んだ顔が正面にあり、その瞳から大粒の涙が溢れては滴り落ちる。ひどく震える手がギルバードの手の内にあり、視線を落とすとハンカチに包まれた紐が淡く輝いていた。過去、幾度も額に押し当て自分を律するために謝罪の言葉を口にしていた時も同じように淡く輝いていたのを思い出す。

 

「恥ずかしいのは俺の方だ。ディアナの、幼い少女の言葉に感情を爆発させるなど、精神の鍛錬がなっていない証拠だ。その結果、君を長い間魔法で束縛し続けていた」

「いえ! 殿下、違います。思い出して解かったのです。殿下を傷付けたのは私なのだと。殿下の御心を傷付けるなど・・・・いっそ、消えてしまいたい!」

 

叫ぶようなディアナからの言葉にギルバードは目を瞠った。

掴んだ彼女の手に力が入り、立ち上がろうとしているのが判る。それは駄目だと掴んだ手を抑え込むと、どうあっても立ち上がることは敵わないと判ったのだろう。ディアナは肩から力を抜き、深く俯くと背を震わせながら再び嗚咽を漏らし出した。

 

何故そう思うのだろう。傷付けたのは自分だと、消えてしまいたいなど。

何故彼女がそう話し、謝りたいと思うのか。

全身を震わせて泣き続ける彼女の肩をそっと抱き、ギルバードは困惑しながら引き寄せた。すっかり解けてしまった髪にキスを落として彼女の頭を胸に抱え込み、震え続ける背を擦る。胸の内で弱々しく首を振る彼女が呟くように何度も繰り返すのが聞こえて来た。

・・・・・悪いのは自分だと。

 

「ローヴとの試しで何を見た? 俺が君から奪い取ったリボンを持っている事だけではなく、何かを見たのだろう。自分が悪いと思うのは? 悪いのは俺だと言っているのに」

 

胸を押し出して離れようとするディアナを強く引き寄せる。幾度も胸を押し出そうとするが、背を引き寄せたまま問いを繰り返すと、胸を押していた手から力が抜けた。

 

「君は何も悪くない。一方的に魔法をかけて、十年間も君を束縛し続けたのは俺だ。それを解きたいと王城にまで連れて来たのに、政務に追われて碌に時間も作れない不甲斐無さだ。それなのに、何故自分が悪いと思い込む?」

 

柔らかな髪は当時と同じ輝きを放つ、淡い色合いのプラチナブロンド。その髪を撫でながら震える背を強く引き寄せ続けた。彼女が泣く理由は自分の過去も関係しているのだろうが、何を見たとしても、やはり謝罪すべきは自分にあるとしか思えない。

 

「わ・・・私は殿下の過去を見せて頂きました。見て良かったのか判りませんが、その時に何度も殿下がリボンに謝罪している姿を・・・。でも、あの庭園で私が言った言葉で殿下が深く傷ついたのは確かです。殿下が私に怒るのは当たり前だと判りました」

「違うだろう! ディアナは見たままを口にしただけだ。何も間違ったことはしていない。リボンに謝罪する暇があれば、すぐにでも君の許へ行き直接謝罪すべきだったんだ。そうすれば魔法で繋がっていると判り、侍女などさせずに」

「殿下・・・・お許し下さい」

 

胸の内からディアナの悲壮な声が聞こえて来た。

その声を耳にしてギルバードは彼女の身体をぎゅっと強く抱き締め、唇を噛んだ。何度も繰り返される謝罪がディアナの唇から零れ続けるのを耳にして、胸が痛くなる。

 

「頼むから・・・・謝らないでくれ。悪いのは俺だと言っている」

「申し訳御座いません。わたし、殿下の・・・・御心を・・・」

「ディアナ、許すと言えば納得するのか? 謝罪を受け取れば君は楽になれるのか?」

「許されるなど、そんなこと思っておりません。・・・だけど私は」

 

彼女の肩を掴み顔を覗き込むと、泣き濡れた瞳から新たな涙が零れ落ちた。

肩から手を離し、頬に流れ落ちる涙を指で何度も拭う。

しかし、いくら拭っても零れ落ちる涙にギルバードは無意識に唇を寄せて、それを吸った。ディアナが小さな声を上げて身体を離そうとしているのが伝わり、ギルバードは両手で彼女の頬を掴んだ。

 

「ディアナが許してくれないと魔法は解けない。本当に悪いのは俺だ。幼い君が言った言葉は日々聞かされていたことで、聞き流すのも慣れていたはずなんだ。・・・魔法導師が国王を誑かした結果、生まれた王子が王位継承者かと散々皮肉を言われていたが、その後に王と母親の馴初めを聞き酷く驚かされた。噂とは違い、二人が愛し合って俺が生まれたのだと知った。だから、ディアナにかけた魔法は・・・・無知だった俺の八つ当たりだ」

「・・・・殿下」

「魔法導師が王を誑かして生まれたのが俺だという噂を鵜呑みにして、いじけていたんだ。いじけて拗ねてディアナに魔法をかけた。・・・・何とも情けない話だろう?」

 

眉を顰めて苦笑を落とす王子の顔が間近にあり、ディアナは何度も目を瞬かせた。

八つ当たりだと、いじけていたと言われ、どう答えていいのか判らない。頬を掴まれたまま、ただ小さく首を横に振るしか出来ずに、じっと王子の瞳を見つめ続ける。

 

「両親のことを知ってから、今まで出自に悩んでいた自分が馬鹿らしくなり、同時に幼いディアナに対してとった態度がひどく恥ずかしいものだと落ち込んだ。何度もリボンに謝罪をしたよ。情けない自分を戒める、いい機会にもなった」

 

口端を持ち上げながら話す王子の顔に、ローヴとの試しで垣間見た少年時代の、人影のない場所で悔しげにリボンを額に当てていた、あの悲壮な感じは見られない。

そういえば初めて国王に会った時も、王からは気さくな雰囲気がしていた。ひどく緊張している自分に対し、息子が悪いと謝罪の言葉を口にされていたのを思い出す。一領主の娘に、国王陛下が謝罪の言葉を口にするなど有り得ないことだ。

しかし国王は事も無げに口にされ、二人の遣り取りにお笑いにもなっておられた。

謁見の間から離れる時、『自分が発する言葉に責任を持て』と王子を嗜む言葉を掛けられていたが、その言葉に王子は真摯に頷かれていた。国王は全てを御承知で、それでいて互いを御信頼されているのが今頃になって理解出来る。

何故今になって思い出すのだろうとディアナは呆けた。それだけ緊張していたのかと恥ずかしくなり俯こうとして動かない顔に、王子に両頬を掴まれたままだと気付かされる。

 

「ディアナに初めて会ったのは、まだ両親のことを知らずにいた頃だ。王を誑かした魔法導師の息子と揶揄され、心がささくれ立っていた。自分に魔法力が備わっていることはローヴから教えられていたし、制御することも習っていた。周囲から聞かされる噂を聞き流すことにも慣れていた・・・はずだったんだ」

「そんなこと・・・・、慣れる訳が御座いません」

「表面には出さずに隠すのが上手くなったと言った方が・・・・合っているかな」

 

徐々に声のトーンが下がり、視線を落とした王子が自嘲しながら無意識に指を動かす。

いつの間にかディアナの涙は止まり、滔々と語る王子の言葉を真剣に聞いていたが、頬の上をそろりと動く王子の指が気になり戸惑い始めた。

温かい手が両側から頬を包み込みながら話し続けるため、どうにも動きが取れずに狼狽してしまう。

時折、頬の上からゆるりと動き出した指が耳朶をなぞり、項へ落ちていく。

ゆったりした指の動きを繰り返しながら語るため、ディアナは動けずに固まるしかない。

 

「聞き慣れた言葉だというのに、幼い少女に言われただけで頭に血が上った。魔法を使ったのは魔法導師に知られたが、どんな言葉でどんな魔法を使ったのかまでは恥ずかしくて口に出せなかった。だけど、まさかディアナが俺が言った通りに侍女として自分の城で働いているなど思ってもいなかった。自分は魔法で突き飛ばしただけだと思っていたから・・・・。気付けば、十年も経過してしまった」

 

過去の愚かな行為を悔いているのだろう。眉を寄せて視線を落とした王子は、まるで何かを確かめるように指を蠢かしながら話し続ける。滔々と語り続ける王子にくすぐったいなど言える訳もなくディアナは耐え続けるしかない。

 

「その後、俺が何度もリボンに額を寄せて呟いているのが見つかって、そのたびに淡く光るリボンを見たローヴが俺たちが魔法で繋がっていると知り、それを解く必要があると王に進言した。それで王国内の全ての領地視察を兼ねて魔法を解く策を講じながら、ディアナのいる城に向かったんだ。そして侍女として働いているのがわかり、自分が言った言葉を思い出して・・・・、愕然とした。だから、本当に謝るのは俺の方だ」

「あ、あの・・・でも」

「何の気なしに言った言葉だろう? 魔法のことさえ君は知らなかったんだ。俺が一方的に怒って、一方的に魔法をかけた。だからディアナは俺に怒っていいんだぞ」

「お、怒るなど致しません。で、でも」

 

もう王子の言葉より手の動きが気になって仕方がない。耳朶から滑り落ちた指が項をなぞり上げ、すっかり涙の止まった目元を彷徨う。片手は髪を梳きながら引き寄せる動きを見せ、何時の間にかディアナは王子の胸に頬を押し付ける体勢となっていた。

 

「君は見たままに俺の姿を口にしただけだ。その他愛無い言葉に怒って魔法をかけた俺は、癇癪を起した、ただの子供だ。・・・・子供の戯言に君が謝ることはない」

 

頭上から響く王子の声が少し掠れて聞こえ、ディアナは顔を上げた。

いつまでも「でも」を繰り返す自分に、教え込むように過去の自分を自嘲気味に語り続ける王子を見上げると、その瞳は柔らかに微笑んでいるのがわかる。その微笑みに思わずディアナが口角を持ち上げると、その瞳が次第に大きく見開かれていった。

真っ黒な瞳が映し出しているのは自分だ。

瞳の中に映っている自分の姿が徐々に顔だけになり、目だけになり、そして王子の瞳が閉じられた。閉じられた瞼から伸びる睫毛の長さを見つめ続けていたディナは、ぼんやりしていたのかも知れない。柔らかなものが唇を覆う感触に驚き、無意識に離れようとして頬を掴む大きな手に動けなくなる。

柔らかな感触はディナアの唇を柔らかく啄ばみ、そして離れた。

目を見開いたまま茫然としていたディアナが、柔らかなその感触は王子の唇だと気付いたのは、一度離れた感触が再び唇を塞いだからだ。自分の唇に王子の唇が重なっていると理解しても、いや理解したからこそディアナは目を瞬くことも出来ずに固まってしまう。

 

「ディアナ・・・・」

 

彼女の微笑みを目にした瞬間からギルバードの頭の中は真っ白だった。

真っ白な頭のまま重ねた唇に軽い酩酊感を覚え、僅かに唇を離して名を紡ぎ、そしてもう一度重ねる。どうして彼女の名を紡いだのだろうと思うが、触れている唇の感触に酩酊し考えは直ぐに霧散した。頬から離れた手がディアナの髪へと伸び、その髪の柔らかさと指に伝わる彼女の温かさに胸が高鳴る。幾度も柔らかな下唇を啄ばみ、そして再び唇を重ねる。

 

「・・・んっ。・・・ふ、ぅ・・・」

 

微かに聞こえてくるディアナの吐息に煽られ、ギルバードの手が彼女の背を引き寄せると胸を押し出すような動きが伝わって来る。押し出された胸が痛みを訴え、離したくない離せないと強く引き寄せた。胸に閉じ込めるように腕に力を入れ、幾度も啄ばむように唇を重ね続ける。

 

「んっ、んん・・っ!」

 

二人の唇が重なっているとは理解出来たが、ディアナはどうしたらいいのかわからない。

何故こんな事態になったのだろうと目を瞬きながら、王子を突き飛ばす訳にもいかず、胸に押し当てた手に力を入れてみたが更に引き寄せられてしまう。

次第に重ねられた唇から熱が伝わり、幾度も角度を変えて何かを探すように啄まれるたびに胸の鼓動が痛いほどに跳ね出した。王子と唇を重ねている自分が信じられないと大きく見開かれた瞳は閉じることなく、閉ざされたままの瞼を注視し続ける。

やがて僅かに離れる唇から零れる吐息に肌が擽られ背が震えた瞬間、ようやく声を出すことが出来た。

 

「んぅ・・・、で、殿下!」

 

そして重なっていた唇がゆっくりと離れ、大きく目を見開いたままのディアナは同じように大きく目を開いているギルバードを前にして茫然とした。目の前ではディアナの背からゆっくりと両手を離した王子が、ゆっくりと背を正し、自分の口を押さえてジワジワと肌を赤く染め始めていく。

 

「で・・・、殿下。・・・・あ、今・・・?」

「・・・っ!」

 

真剣な表情で自分を見つめる顔も、大きな声を出す顔も、侍従長を叱責される顔も今まで何度も目にしていた。自分を抱き締めた後、真っ赤になる顔も目にしたことがある。

だけど、ここまで深紅に染まる王子の顔は見たことがない。

頬も目尻も、口元を押さえる手も、首までもが鬱血しているのかと心配になるほど深紅に染まり、そして私が漏らした呟きに肩を大きく震わせた。どうしてだろうと考え、そしてキスされていた自分を思い出す。思わず唇を押さえるが、目は王子から離れない。

瞬くのも惜しいと思うほど見つめていると、王子が視線を泳がせながら唇を震わせたのが見えた。

 

「ディ・・・、あ・・・・断りもなく、その・・・」

 

深紅に染まっていく顔を見ているのが急に恥ずかしくなり、ディアナが一歩退きながら俯くと、王子が慌てたように大きな声を出した。

 

「わ、悪気はない! な、何故か急に吸い寄せられるように、そのっ!」

 

ディアナは狼狽しながら、王子の声に何度も頷く。

胸の鼓動はかつてないほどに跳ね続け、何を言えばいいのか、言うべきではないのかも解からない。ただ王子の言う「悪気はない」という意味だけは解かった。泣き続けた私をいつものように気遣っている内に、つい・・・・ということなのだろう。

わからないけど、わかったような気持ちになり頷くが、ゆっくりと閉じられていく王子の瞳と近付く顔、重なる唇がより鮮明に思い出され、ディアナは顔を上げることが出来ない。

 

ギルバードは頬を染めて唇に手を当てるディアナを前に、頭痛に襲われた。

あの庭園で魔法をかけてしまった経緯を話し、悪いのは自分の方だと彼女にわかって貰うよう説明をしていたはずだ。それが何故彼女の許しもなく唇を貪ることになったのか。

そして、今思い浮かんだ言葉に羞恥を覚える。

そう、まさに貪るように幾度も唇を重ねてキスをしていたのだと。

早く魔法を解いて自領に戻りたいと言った彼女を離したくないと思った。魔法を解くために王城に招いたが、魔法を解いた後にディアナが自分から離れていくのは駄目だと、急ぎ追い掛けていた。

ようやく見つけたディアナが過去の記憶を思い出して謝罪の言葉を紡ぐから、自分の方が悪いのだと説明をしていたはずだ。

それが何故、許しも無く唇を重ねることになるのか。

動揺の余り大きな声で弁明をすると、ディアナは頷いてくれたが口を押えたまま俯き、更に退いてしまう。ギルバードは慌てて彼女の身体を引き寄せ、背を撫でた。

 

「あ、謝るべきなのか? いや、でも・・・・あ、許しもなくしたことは悪いと思っているが、何だろう、離したくないと思っていたら目の前にディアナの唇が・・・・。いや、許しもないのにこんなことをしたのは間違いなく俺が悪い!」

「で、殿下・・・」

 

ディアナは何と答えていいのか判らないまま再び引き寄せられた王子の胸の中で、グルグル回る目を閉じることも出来ずにいた。こうして何度王子の胸の内に閉じ込められたことだろう。本来なら近付くことも出来ない立場の人だ。

その御方が自分を何度も抱き上げ、抱き締め、そして唇を・・・・。

途端に真っ赤になったディアナは手を持ち上げ顔を隠した。身を苛む羞恥と、今までの自分では理解を越えた現実に、頭が追い付かない。強く抱き締めて来る腕の中に自分がいることさえ夢の中のようで、熱を持つ頬を押さえる手が湿り気を帯びる。

 

「ゆ・・・許しも無くしたことは本当に悪いとは思うが、ディアナがいつまでも俺の浅慮な行いで謝り続けるのを止めたかった。悪いのは俺だと解かって貰いたかった。 いやっ! だ、だからといって、いきなり・・・・その、あの・・・・」

「いえっ! あ、あの・・・・」

 

必死に弁明を続ける王子の声に応えなきゃと思うのだが、何と答えるのが正解なのか頭に浮かばない。羞恥に逃げ出したいと思うのだが、抱き締める腕に力が入り動くことさえ侭ならない。

少し痛いくらいに感じるが、それを伝えることさえ出来ずに強く目を閉じた。

昼下がりの瑠璃宮近くの庭園にある真白いガゼボで、二人はしばらくの間、ただモジモジと抱き合っていた。

 

   

 

 

 

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