紅王子と侍女姫  25

 

「昼間から淑女を抱き締めるとは殿下も御成長されましたね。宰相より殿下がディアナ嬢を探していると伺いましたが、それは会えた喜びの抱擁ということなのでしょうか?」

「・・・ッ!」

 

突然の声にディアナを抱え込んだまま振り向き、ギルバードは悲鳴を上げそうになった。レオンの声に悲鳴が上がりそうになった訳じゃない。原因はレオンの背後にいる人物に対してだ。

まさか、何故ここに、この人物がいるのかと目が点になる。

 

「ギルバード・・・。どういう流れでそうなったのかはわからないが、昼間から堂々とお預かりしている令嬢を抱き締めるなど、もちろん相手の承諾を得てのことだろうな」

 

ディアナを胸に掻き抱くように抱き締めていたギルバードは、言われた言葉を頭の中で咀嚼した後、無言のままゆっくりと両手を広げた。

 

「ディ・・・ディアナ。い、今更だが、何度も・・・・申し訳ない」

「い、いいえ。殿下が謝罪なさる必要など・・・御座いません・・・・から」

 

蒼褪めていいのか、今以上に深紅になればいいのか判らないまま、ギルバードは薄ら笑いを浮かべる二人を前に背筋にだらだらと汗を掻いた。広げた腕の中には頬を押さえて俯いたままのディアナがいて、いきなり離れるのも変だろうと思うと動けなくなる。

王が顎を擦りながら顔を近付けて来るから、咽喉から変な音が出そうだと急ぎ顔を背けるが、王が顔を近付けたのはディアナの方へだった。

 

「ディアナ嬢、不肖の息子が何度も貴女を抱き締めていると白状したが、厭なことは厭だとはっきり伝えた方がいい。こいつは間違いなく、図に乗るぞ?」

「い、いいえ。・・・・い、厭なことなど何も御座いません・・・・」

「お優しいディアナ嬢に付け込む不埒な殿下を、皆で吊し上げようと思っておりますのに、そのように助け舟を出すとは、ディアナ嬢はなんとお優しい女性でしょう! ・・・殿下、助かりましたね」

 

ギルバードは揶揄する二人の言葉よりディアナが言った内容に目を瞠り、離れたことを忘れて思わず肩を掴み、彼女の顔を覗き込んだ。 

「ディアナ、本当か? 厭だったらそう言ってくれて構わないぞ?」

 

真っ赤な頬を押さえるディアナが目を丸くして短い悲鳴を上げた瞬間、ギルバードの手が彼女の肩から叩き落とされる。痛む手とディアナを交互に見つめると、王がディアナを庇うように立ち、ギルバードに「お前は馬鹿か」と叱責し、大仰な身振りで額に手を宛がった。

 

「これの教育係りは誰だ? 女性に対する態度が幼児並みだぞ」

「殿下の情操教育を指導する者など、誰もおりません。しかし殿下の精神年齢が幼児並みだという点に関しましては、国王様の御意見に激しく同意で御座います」

 

即答で答えるレオンが肩を震わせて笑っているのに気付き、ギルバードは自分が何をしていたのか理解した。叩き落された手をそろりと擦りながらディアナを見ると、眉を寄せてひどく戸惑っているように見える。彼女の目の前にはこの国の国王がいて、隣には笑いを耐えている王子侍従長、そして俺だ。

決して広いとは言えないガゼボにて、国の重鎮ともいうべき男三人に囲まれている図は、彼女にとって有り得ないことだろう。まだ魔法が解けていないディナアは王と王子と王子付き侍従長を前に息をするのも苦しそうで、緊張に表情が強張っているのが判る。一刻も早く瑠璃宮に向かいたいと思うのに、ディアナに仕出かした数々の醜態を思い出すと、ギルバードは二人の失笑を前に動けなくなっていた。

そこへガゼボの外から、柔らかい声が四人に届けられる。

 

「何やらお話が弾んでおりますが、殿下はともかく、そのままではディアナ嬢が御可哀想だと御思いになりませんか? どうやら全てを思い出された様子ですので、宜しければ彼女を開放し、魔法を解くための時間を頂きたいと存じます」

 

ローヴの登場に明らかにほっとした顔を見せるギルバードへ向き直り、王が至極楽しそうな表情を浮かべて突っ込みを入れる。

 

「ローヴ、私も魔法を解く場に同席してもいいだろうか」

「だっ、駄目だ、です! 王は忙しい身の上でしょう!」

 

ギルバードが慌てて制すると、肩を竦めた国王がレオンに振り返りながら嘆息を零す。レオンが肩を震わせて涙を拭っているのが見え、ディアナが蒼褪め始めた。

 

「・・・ディアナ、嬢が緊張するので、どうか王には政務へと戻って頂きたく存じます。あとで私から詳細報告を必ず行いますので、御了承願いたい、です」

 

恭しい態度で国王へ願い出るが、鼻で笑われた。

しかしこれ以上からかいのネタを提供するのは勘弁だし、どのように魔法を解除するのかは不明だが、国王が同席するとディアナの緊張が増して上手くいかない可能性もある。記憶を思い出したというのに解く機会が失われるのは本意ではない。

 

「ギルバードがそこまで言うなら諦めよう。では魔法が解けたら、ディアナ嬢とゆっくり話す時間を設けよう。それでいいか、ディアナ・リグニス嬢?」

「・・・は、はい。私で宜しければ・・・・こ、光栄で御座います」

 

王から言葉を賜った上に誘いを受け、今にも倒れそうな顔色で、それでもドレスの裾を持ち丁寧な挨拶を返すディアナに手を伸ばそうとして、また叩かれた。

 

「むやみやたらに淑女に触ろうとするな」

「・・・・・」

 

王の言葉に叩かれた手を引っ込めるしかないが、ディアナの身体が揺れたのを見て目が離せなくなる。しかし、レオンがそれに気付き彼女の肩を支えて 「大丈夫ですか」 と問い掛けると、安堵の笑みを浮かべて頷くディアナの姿にギルバードの眉が寄ってしまう。

滅多にないディアナの微笑みだというのに、自分に向けられないことが酷く悔しいと思うのは何故だろう。眉を寄せたまま首を傾げると、王が顔を寄せて囁きを落とす。

 

「ギルバード。以前、お前に『自分が発する言葉に責任を持て』と言ったが、自分の言葉に責任が持てるなら好きにするのもいいぞ? 自ら動かねばならぬ時もあるからな」

「・・・・・何を好きにするというのか、意味が判らないのですが」

 

憮然としたままの顔を向けると、目を大きく見開いた国王が急に笑みを浮かべて人の腕を強く叩き出す。ギルバードが眉を強く顰めて、どういうことだと言われた意味を考えるが理解が出来ずに唇を尖らせると、国王が耳元に囁きを落とした。

 

「私は自ら欲するものを手に入れるために動いたぞ? 私の子なら良く考えてみろ。これは深い愛情をもってお前に伝える親心だ」

 

もう一度腕を叩かれたギルバードは、意味有り気な笑みを浮かべる国王がいつまでも笑い続けるレオンを伴い、王宮へと戻って行くのを見送りながら首を傾げる。

回廊奥から宰相が迎えに来たようで、やはり忙しいのだろうと眉を顰めた。忙しい中、一体何をしに来たんだと目で追っていると一度振り向いた王が楽しげに片手を振って寄越す。つられたように手を上げて振ると、肩を揺すって笑う姿が見えた。

 

親子とはいえ、父である前に国王である彼は日々とても忙しい日常を送っている。

以前は東宮に寝泊まりすることもあったが、妃が亡くなり娘たちが嫁ぐと東宮をギルバードの管轄下に置き、今は滅多に足を運ぶことはない。たまに東宮に来たと思ったら担当政務の粗を探したり、余計な仕事を置いて行ったり、いきなり剣を合わせて暇潰しを楽しもうとするのが判るので、忙しさを理由に出来るだけ会おうとはしなかった。

実際にギルバード自身が忙しいというのもある。騎士団副団長に据え置かれてからは鍛練のための時間も必要で、次期国王として任される政務も勉強もあり、大貴族と交流をかねた舞踏会への出席、大臣との会議、城下商工会との会議、漁業組合との話し合いなど休む暇がない。

その上、忙しい政務の合間に足を運ぶ国王に何度苛められたことか。それを「愛情」だと豪語して、満足そうな笑みを浮かべるのだから始末に悪い。

きっと奴はストレス解消に息子弄りをしているだけだ。

 

ギルバードが国王が残した言葉の意味が解らないまま、口の中でブツブツ文句を繰り返していると、ディアナが恭しく御辞儀するのが目の端に映る。

 

「殿下、・・・あの、お陰様で落ち着くことが出来ました。よろしければ魔法を解くために、殿下の御時間を頂きたいと思いますが・・・よろしいでしょうか」

「あ、ああ・・・・。そ、そうだ、ローヴ! ディアナが思い出したそうだ!」

「先ほど私はそのように話しましたが、お聞きになられておりませんので?」

 

うぐりと口を閉ざしたギルバードはローヴに先に行くよう促し、ディアナに振り返った。

すっかり涙は止まったようだと安堵の笑みを零すと、ディアナが俯いてしまう。どうして俯いてしまうのかと無意識に手が伸びそうになるが、今度は自分で止めることが出来た。

そして思い出す。彼女をまたも抱き締め、そして口付けていたことを。

すっかり自分の愚行を思い出したギルバードはディアナから目が離せなくなり、俯いたままの彼女の口元を見つめていると、彼女の頬がじわりと染まり出すのがわかった。慌ててガゼボから飛び出し、王宮へと向かう二人の背を追い掛ける。あの二人はディアナに俺が口付けていたところを見たのだろうか。

王は兎も角、レオンが目にしていたら好機とばかりに俺に絡むだろう。

絡むこともせず、話題にもしなかったということは見ていないということか?

しかし、何処に目や耳があるのか判らないレオンのことだ。油断は出来ないが、彼女にしてしまったキスに関しては何一つ弁明出来ない自分がいて、地団駄を踏むしかない。

 

「殿下、何に関して意気消沈されているのか判りませんが、やるべきことを終えてから落ち込んで下さい。 ・・・・それとも、今伺った方が宜しいですか?」

「何も聞くな! 何も・・・ない!」

 

ローヴの言葉に真っ赤な頬を腕で隠しながら踵を返してギルバードが瑠璃宮へ足早に向かおうとする。穏やかな笑みを浮かべて、瑠璃宮に向かおうとするギルバードの背を眺めていたローヴは、その背後で俯いたままのディアナがどんな表情を浮かべていたか知る由もない。

 

「では、ディアナ嬢。魔法を解きましょうか」

「よろしく・・・お願い致します」

 

ローヴに促され瑠璃宮に向かい始めたディアナは、足の痛みより自分でもどうすることも出来ない胸の痛みに戸惑い眉を顰めた。何故か王子が言った言葉が胸を突く。

 『何も聞くな』『何もない』と王子が言ったのは、自分のような者と唇を重ねてしまったことを無かったことにしたいということかと、目の前が歪んで見えてくる。

そして王子には王弟の娘という高貴な婚約者がいると思い出し、胸は更に痛み出す。

どうして胸がこんなにも痛むのだろうと押さえると、押さえた胸がとても熱く感じた。胸の内からではなく、肌がちりりと痛むような違和感に知らず足が止まってしまう。

 

「ディアナ、どうした?」

 

王子の声に顔を上げると唇が目に飛び込んで来た。急ぎ視線を逸らし、大丈夫だと伝えようとして唇が戦慄き、どうしてか判らないがそのまま動けなくなった。胸の痛みが強まり、咽喉が詰まり、王子からの問い掛けに答えることが出来ない。

 

「足が痛むのか? 厭じゃなければ、ディアナが厭じゃなければ、その・・・抱き上げてもいいか?」

 

心配げな言葉と共に差し出される王子の手が見えるがディアナは顔を上げることが出来ず、自分は一体どうしたんだと胸の痛みと動悸にますます視界が歪んで見えた。涙腺が壊れてしまったのか、また泣きそうになる自分に戸惑うばかりだ。

泣いている場合じゃない。これから魔法を解くために忙しい王子の時間を割いて貰うのだから足は痛くないと伝え、しっかりと歩こうと思うのだが、ディアナは溢れそうな涙と胸の痛みに動くことが出来ない。

 

「・・・・抱き上げるからな。頬と足の治療を済ませてから魔法を解く」

 

口を開いたら涙は零れ落ちるだろう。急に胸を圧迫するような感情にディアナは頭の芯から揺さぶられ、何をどう考えていいのかわからない。戸惑いは身体を震わせ、咽喉を詰まらせる。自分に対して謝罪や抱擁を繰り返す王子に対し、何も出来ない情けなさと申し訳なさに打ちのめされるだけだ。

力強い王子の腕の中、ディアナは口を押えて震え続けた。

 

 急に黙り込んだディアナに手を差し出したギルバードは、口から心臓が飛び出そうな思いでそっと抱き上げた。こうして何度彼女の身体に触れたことだろう。

彼女がそのたびにどう思っていたのかを考えると、背に厭な汗が流れそうになる。そろりと彼女の顔を覗くが、引き結んだ唇が僅かに震えているのと頬が上気しているのが見えた。

やはり抱き上げられるのは恥ずかしいだろうかと考えるが、このまま痛む足で歩かせる方が可哀想だと思い直し、兎に角急ぎローヴの部屋へ向かうことにした。

 

まずは彼女の頬と足の傷を治してから互いを繋いでいる魔法を解き、それから自分の気持ちをゆっくりと整理したい。いや、もう何となく解かったような気持ちにはなっている。あとはそれを明確な言葉に置き換えるだけだ。

過去、レオンが女性に対する心構えを暇さえあれば語っていたが、その都度右から左へと流していた。自分にはまだ関係ないと、そんな感情を持つことはないだろうと考えていたからだ。それがディアナに会ってから、一変したことに正直戸惑っている。

こんな気持ちになったのが初めなので、どうしたらいいのか判らない。

目の届くところに居て欲しいと思い、目の届くところに居ると触れたいと思い、無意識に何度も抱き締めたり抱き上げていた。その無意識がとうとう彼女の唇を奪う形になったのか。それも合意もなく、無理やりというか不意打ちでだ。

その上、ちゃんと謝罪した記憶もないし、彼女が納得出来るような説明が出来たかも判らない。いや、どう説明したら彼女が納得出来るのか、誰か教えて欲しい。

とんでもないことをした自分を、せめて嫌わないで欲しいと心から願うしか出来ない。  

 

 

 

  

 

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