紅王子と侍女姫  26

 

 

ローヴの部屋に入ると、いつものように雑多な品々が出迎える。

ソファにディアナを下ろすと小さな声で礼を言われ、口を聞いてくれるということは嫌われていない証拠だろうかと顔を覗き込もうとして思い止まった。淑女の顔を覗き込むなど、王に言われるまでもなく失礼な態度だと承知している。

ただディアナに対しては無意識に身体が動いてしまうのだ。ギルバードはこれ以上嫌われそうなことは極力控えようと、彼女の顔を見ないように強く意識しながら並んで腰を落とした。 

「ディアナ嬢、どうやら足は靴擦れのようですね。薬を貼っておきますので、二、三日で治るでしょう。頬の傷も同じくらいで治りますから御安心下さい」

「ありがとう御座います。お恥ずかしい話ですが、履き慣れない靴で広い庭園を歩いたため擦れたのだと思います。御面倒をお掛け致しました」 

仄かに頬を染めてお礼を言うディアナに手が伸びそうになる。ギルバードはどうにか自分の膝に拳を縫い止めることに成功するが、今度は彼女の顔から目が離せない。視線に気付いたディアナが顔を上げるが、頬を染めながら直ぐに俯いてしまう。

 

「えー・・・こほん、殿下。では治療が済みましたので魔法の解除を行いましょう。殿下がかけた魔法は彼女を突き飛ばすだけのはずでしたよね。その後自分が発した言葉に魔法が混ざっているとは思ってもいなかった。ですね?」

「あ? ・・・ああ、そうだ。自覚しているのは突き飛ばしたことだけだ。だが、その後に言った自分の言葉も覚えている。その通りになっていて、愕然とした」

「ディアナ嬢、思い出してから何かその身に変わりはありましたか? 」 

ローヴの言葉にディアナは息を飲みながら顔を上げた。その動作は何かあったと言っているのと同じだ。ギルバードはディアナに向き直ると肩を掴み、問い掛けた。 

「ディアナ、魔法を解くのに隠し事はなしだ。何があった?」

「む、胸が・・・・」 

彼女の手が胸を押さえているのを見て、その手を掴み下ろす。しかし縦襟の服を着ているので、その下で何が起こっているのか判らない。じっと胸を見つめる自分から顔を背けたディアナが真っ赤になっていることなど、ギルバードは気付かない。 

「痛むのか?」

「いえ、あ、熱いのです。胸が先ほどから熱くて・・・・、でも」

「火傷みたいに熱く感じるのか? ローヴ、これはどういう現象だ・・・痛っ?」 

ディアナの手を掴んでいた右手が急に熱く感じて、ギルバードは手の平を見た。手の平には黒い染みのようなものがじわりと滲んでいるようで、見ている内に形を作り始め、その見たこともない痣にギルバードは首を傾げる。その手の平をローヴが覗き込み、ディアナの顔を見つめながら手を差し出した。 

「ディアナ嬢、どうぞこちらの部屋へおいで下さいませ」 

何があったのか判らないディアナは戸惑いながらローヴの手を取り立ち上がり、促されるまま隣の部屋へと足を進める。ローヴが声を出さずに口元で何かを唱えると、部屋奥の扉からカリーナが現れた。

 

 

「カリーナに熱いという場所を見せて下さい。御自身でも熱いと感じた場所に何があるのか、よくご覧下さい。それが魔法を解く鍵かも知れません」

「殿下の手には何が浮かばれていたのですか?」

「黒い痣のようなものが浮かんでおりました。三方が尖っている、第一指くらいの長さの痣のようなものです。何か心当たりはありますか?」 

直ぐに思い浮かばすにディアナが首を横に振ると、カリーナが柔らかく微笑んだ。 

「ローヴから映像を頂きました。殿下の手に浮かんだものと同じかどうか、ディアナ嬢の胸元を見せて頂きますね。痛みなどあるようでしたら教えて下さい」 

王子の手の平に浮かび上がった黒い痣と同じものが自分の胸にあるとすると、それが魔法を解く鍵となるかも知れない。過去の言葉を思い出すだけが鍵ではなかったのかとディアナは項垂れてしまう。自分が思い出すことによって、すんなり魔法が解けるのだと思っていた。

まだ王子に面倒を掛けるのかと項垂れ、さらには王子の手の平に痣のようなものが浮かんだと聞けば、申し訳なさにどうしていいのか判らなくなる。 

その上、急に王子の顔を見ることが出来なくなっている自分に戸惑ってしまう。

今までも身分や立場を考えると顔を伏せていることが多かったが、それとは心境が違うような気がして落ち着かない。国王に対する敬い畏れる気持ちとは少し違う気がする。

きっと王子と口付けをしたから、そういう気持ちになっているだけだと思うのだが、思い出すたびに頬が熱を持ち、胸が痛くなる。厭な訳じゃない。困っている訳でもない。

ただ・・・・・目が潤みそうになるのだ。

咽喉元を熱いものが込み上げて来て、苦しいような気持ちになる。

この気持ちが何だか解からないけれど、決して口に出してはいけないことは判る。口にしたら駄目だと飲み込むしかないから、余計に苦しくなる。 

カリーナが襟元の釦を外していき、シュミーズから肌を覗くと胸の谷間にギルバードと同じ形の黒い痣が浮かんでいるのを確認した。

 

「今も熱いですか?」

「温かいと熱いの中間くらいです。痛みはないのですが、殿下と同じ形なのでしょうか」

「同じですね。何の形でしょうか。ディアナ嬢はご覧になって何を意味するか、見当がつきますか?」 

胸元を覗くと、確かに黒い痣が浮かんでいた。今朝まではなかったその痣に眉が寄ってしまう。ローヴが言ったように三方が尖っている、親指くらいの大きさの痣。ディアナが首を傾げると、カリーナは手早く釦を掛けながら 「殿下の手の平を見た方が解かりやすいでしょうか」と話してくる。

最初の部屋に戻ると王子がソファから立ち上がり、大股で近付いて来るのが見えた。思わず俯くと、近くまで来た王子の足が止まり、手を差し出される。 

「ディアナ、これと同じか? 俺には心当たりがあるのだが、どう見える?」 

差し出された手に視線を向けると、確かに同じ痣の形が浮かんでいた。自分の胸に浮かんでいた痣と同じだが、見る方向で違うものに見える。

手の平全体を差し出され、じっと見ていると脳裏に噴水が思い浮かんだ。

小さな少女とそばで見守る少年。二人は何をしている? 

少女が作った葉船が噴水の波にユラユラ揺れているのを眺めているようだ。

王子が自分でも作ろうとして上手く出来ず、作るのに失敗した幾つかの葉が足元に落ちていた。

ようやく上手く出来たと葉船を水に浮かべた瞬間、噴水から水飛沫が舞い上がり二人は顔を上げて歓声を・・・・。

 

「ディアナ?」

「・・・・あ、失礼しました。これは・・・・葉で作った船の形に似ています」 

その後に私は王子の心を傷付ける言葉を口にした。だけどそれは過去のことだと、謝らなくていいと王子が笑うから、動揺を映す瞳を伏せて手の痣だけを見つめる。静かに息を吐きながら、手の痣に触れると少し熱いように感じた。同時に胸の痣もチリッと熱くなる。 

「ローヴ様、殿下の痣と私の胸のものは同じ形で御座います。殿下と初めてお会いした時に葉で作った船の形に見えますが、これで・・・・魔法が解けるのですか?」 

ディアナが振り向くと、ローヴは柔らかな笑みを浮かべながら首を傾げて来た。つられたように首を傾げると声を出して笑われ、「困りました」とはっきり言われてしまう。

 

「ディアナ嬢が思い出すことによって何らかの現象が現れるとは思っていましたが、正直それで魔法が解除されるのだと思っていたのですよ。当時の記憶がないのは魔法のせいですからねぇ。思い出せたなら、それで終了と」

「そう、ですか。・・・・もし魔法が解けなくても私は構わないのですが、殿下と繋がったままでは不都合があるとのことでしたね」 

幼い自分が口にした言葉とその時の光景を思い出し、王子に謝罪をするのは至極尤もなことだと思った。しかし、王子が笑いながら自分の方が悪いと明るく話すから・・・・いや、頬を掴んでいた手がいろいろ動き出し、話に集中出来なかったと思い出す。

泣きながら謝罪していたはずが手の動きに戸惑い、そして唇が重なっていた。

急に思い出した柔らかな感触と手の内の温かさに視線を移すと、王子の手を握ったままでいる自分に気付き、ディアナは悲鳴を上げそうになる。 

「も、申し訳御座いません! 私、殿下の御手に触れておりました!」

「い、いや、か、構わない」

 

 

ディアナが吐息を落としながら手を伸ばして来て、痣に触れる。

痣のように浮かび上がる葉船の形を、彼女の指がなぞるたびに熱が高まる感じがした。彼女の艶やかな唇が薄く開いている様から、目が離せない。離れない。

不埒な行いをした自分を嫌っていたらこんな風に触れてはくれないだろう。少しだけ気持ちが浮上してきたところで、彼女が真っ赤な顔になり謝罪しながら手を離してしまう。

離されてしまったと思う残念な気持ちが顔に表れていたのだろうか。

肩に手を乗せたローヴから震えながら笑いを堪えているのが伝わって来て腹が立つ。 

「ローヴ。ディアナが過去を思い出すことが魔法を解く鍵になると言ったが、今度は痣だ。二人に共通した過去が痣となって現れた。ということは、まだ魔法が繋がっていると、そういうことになるのか?」

 

笑いを必死に耐え続けるローヴは答えることが出来ず、そんな様子にカリーナが呆れた顔を見せる。

ディアナが眉を顰めて心配そうにローヴを見つめるから、気にしなくていいと伝えたくて手が伸びそうになり、慌てて手を押さえ込む。

漸く笑い終えたのか、ローブが大きな水晶を運びテーブルに置いた。 

「お二人とも、片手を水晶の上に置いて下さい」 

言われた通り、目の前の水晶に片手を乗せると透明な内側に白い筋がゆらりと浮いて見え、徐々にそれが紅い靄へと変わっていくように見えた。じっと見つめるディアナが胸を押さえているから、痛むのだろうかと見つめていると視線に気付いたのか俯かれてしまう。知らず顔が強張ったようで、ローヴが頬を突くから憮然として顔を上げると、目の前で盛大に噴き出された。 

「ひぃ、ひ・・・・・で・・・・でんっ」

「ローヴ! 水晶に手を乗せ、それで、何がわかったのだ!」 

王もローヴも人をからかうのが趣味なのか、普段は冷酷ともいえる表情で他者を寄せ付けない雰囲気を醸し出す癖に、こういう時の顔は似た者同士のようで性質が悪い。 

いつまでも痙攣しながらしゃっくり上げ続けるローヴにカリーナが叱責を落として部屋を出て行くと、どうにか笑いは落ち着いて来たようだ。

 

「はぁ・・・・、長い人生を歩んでおりますが、ここまで短期間に何度も笑うことになったのは初めてです。腹が痙攣を起こして痛いほどですよ、殿下」

「・・・・魔法が解けていない内は、そのまま昇天するなよ」

「ええ、その予定はまだ先ですので御安心を。水晶に手を置き、紅い渦が浮かびましたね。これは殿下の魔法力を示しています。その渦がディアナ嬢の手へと伸びているのが見えますか? 私が考えるに、ディアナ嬢が過去を思い出したことが鍵なら、お二人に同じような痣が現れたのが扉となりましょうか」

「扉と言うには、それを開けたらいいという訳か? 開けたら解除となるのか?」 

首を傾げるローヴは「さあ、判りません」と笑みを零した。

ギルバードが睨み付けるが逆に大きな溜め息を吐かれ、額に指を差し向けられる。 

「殿下の親であるアネットから受け継いだ魔法の力が、どのようにディアナ嬢を縛り付けていたのか、殿下はお考えになったことがおありですか。手から放った魔法力だけではなく、言葉での魔法力をも彼女に向けたのです」 

差し向けられた指先が額をなぞり、今まで声も出ないほど笑い転げていた人物が途端に魔法導師長としての威厳溢れた態度で直視してきた。眉間に皺を寄せてローヴの言葉を重く受け止めるが、十年間も彼女を侍女として働かせていたことなら充分承知している。だからこそ一刻も早く魔法を解きたいと王城へと連れて来たのだから。 

「二重に魔法をかけたことは、つい最近判ったことだ。俺も自分の言葉がディアナを苦しめていたなんて思ってもいなかった」

「あ、あの! 何度もお伝えしておりますが、本当に私は苦しんでなどおりません。魔法が解けなくても問題は御座いませんので、このままでも一向に構わな」

 

 

ディアナはローヴと王子の会話に慌ててしまう。

縛り付けていたとか、苦しめていたとかの言葉が交わされたが、侍女として過ごしていた十年間、自分は好きに生きて来ただけだ。親が泣こうが姉が諌めようが、自分が好きなことをして過ごしていた。

魔法がどうしても解けないというのなら、それでも構わないとディアナは考えているのだが、振り向いた王子の表情を目にして何も言えなくなる。 

「魔法による強制は是正すべきだ。侍女として過ごした十年間をディアナに詫びることは出来るが、過去を巻き戻すことは出来ない。不自然な繋がりを解くことも必要だし、これから歩んでゆくディアナの未来は、本来の姿で過ごして貰いたいと思う」 

ディアナは水晶に目を向け黙るしかなかった。

そのために王城に連れ来られた自分だ。王子がそうすべきだと言うことに対して否はない。

本来の姿と言われても、まだ貴族息女として過ごす自分を想像出来ないが、以前王子と繋がっているという魂の共有を解く必要があると言われたことを思い出す。

魔法が解かれたら今の自分の考えが変わるかも知れない。

まだ自信はないが、それを王子が望んでいるならどの様な試しでも受ける覚悟はある。

 

「ローヴ、では扉を開けるには新たに魔法をかけるのがいいのか? 例えば、魔法が解けるよう願いながら十年前のようにディアナに手を向けるとか?」

「ですから判りませんと申し上げたではないですか。実行あるのみです」

「魔法導師長ともあろう者が、そんな行き当たりばったりのような」

「ような、ではなくて、行き当たりばったりそのものです。・・・ああ、そう謂えば殿下は王城へ向かう道中、ディアナ嬢に幾度か魔法をかけられたそうですね。その時に行った解除方法も試した方が宜しいでしょう。確か、ディアナ嬢への身体に接触・・・・」

「っ! 気がっ散るから、試しは別部屋に移動する!」

 

顎を擦りながらローヴが楽しげな視線を向けて来るのを見て、ディアナは王子に手を握られると同時に、飛び出すように部屋を出た。 

 

 

 

 

 

 

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