紅王子の侍女姫  30

 

 翌日、東宮庭園で昼食を食べた後、王子の案内で薔薇園に向かう。驚くほど広い場所一面に色とりどりの薔薇が植えられ、甘い香りと色鮮やかさにディアナは目を輝かせた。

 

「まあ、なんて素晴らしいのでしょう! どの薔薇も瑞々しく種類が多くて素敵です。こちらの庭師の方に御会いして、ぜひ育て方を御教授願いた・・・・あ」

 

薔薇を見つめながら口元を覆い隠す。しまったと思った時には既に遅く、貴族息女は花を褒めても庭師に会いたいなど言う訳がないと唇を噛んだ。王子に顔を向けることが出来ないと俯くと、肩を柔らかく掴まれ明るい声を掛けられた。

 

「俺が子供の頃からいる庭師でな、ディアナから教わった葉船を作ろうと、あちこちの葉をちぎっていたら拳骨を落とす怖い奴だ。直ぐに会わせよう」

「あの、でも殿下はこのあと政務が」

「問題ない。姿が見えないが、あの爺は奥にいるのかも知れないな。行くぞ」

 

手を握られ、どんどん歩いて行くから着いて行くしかない。薔薇園の奥で作業中だった人物は二人に気付くと腰を上げ、王子と握り合う手に視線を向けると目を細めて笑みを向けて来た。ディアナが真っ赤になり、握られた手をどうしたらいいのかと恥じらっていると庭師はいきなり持っていた如雨露で王子の腕を強く突いた。

 

「許しを得て淑女の手を握っておられるのですか? 違いますよね、殿下」

「っ! あ、ディアナ、失礼した!」

 

慌てた声にディアナが急ぎ首を横に振ると、老人が王子の前だというのに声を高らかにして笑うから驚いてしまう。その後は庭師に案内されて珍しい薔薇の説明や沢山の肥料を見せて貰ったり、最新の害虫駆除方法などを教えて頂き、更に薫り高い薔薇を幾本か頂くことが出来た。

薔薇を持ち部屋に戻ったディアナは王子に楽しいひと時のお礼を告げた。

 

「殿下の周りの皆様は、気さくで楽しい方ばかりで御座いますね」

 

部屋に戻り薔薇を飾り終えて振り向くと、王子は口を尖らせている。

肥料や害虫駆除の方法を真剣に見聞きしていた自分を思い出し、ディアナは王子の気分を害してしまったのかと慄いていると、王子から小さく呟きが聞こえて来た。

 

「あいつらは俺を弄って楽しでいるだけだろう」

「いいえ、殿下の御人柄だと思います。誰にも分け隔てなく、お優しい殿下の御心が皆様に伝わるので御座いましょう。ですから私・・・・っ」

 

自分のような者にもと口にしそうになり、ディアナは急ぎ唇を結んだ。

目を伏せたまま紅茶を淹れたカップを差し出すと、王子が身を乗り出してきた。叱責されるのかと身を竦ませると、思ってもいない言葉が耳に届けられる。

 

「四日後の舞踏会のことを説明しよう。まずは晩餐の後に歓談となる。その後に主賓が踊り始め、それから皆が踊ることになるのだが、今回主催である王は妃が亡くなってから踊ることはなく、宰相であるレオンの両親が一番に踊ることが多い。今回は俺が・・・・使節団と共に来る王女と踊ることになる」

「王女様が来られるのですか。あの・・・・エレノア様は」

「参加はすると思うが、エレノアのことは気にしなくていい。それで・・・ディアナは踊れるか? 最初のダンスは普通のワルツになるはずだが、大丈夫か?」

 

大抵のダンスは習得しているが、踊った相手はダンス講師の女性とだけだ。男性と踊った経験のないディアナは大丈夫ですと素直に頷くことが出来ない。王主催の舞踏会に参加するなら、間違っても失礼が無いよう練習をした方がいいだろうと顔を上げた。

 

「講師に習ってはおりますが、実際に踊った経験は御座いません。出来れば練習させては頂けないでしょうか。あの・・・・ローヴ様にお相手頂けると嬉しいのですが」

 

いつも穏やかな笑みを浮かべているローヴなら自分も気負うことなくダンスが出来ると思ったのだが、王子の顔が険しくなりディアナは慌てて俯いた。王宮魔法導師長であるローヴをダンスの練習相手にさせようなど、どうしてそんな考えを口にしたのかと自分の失言に蒼褪め身を震わせる。

 

「い、いえ! 大丈夫です、踊れます!」

「・・・・ローヴに練習相手を頼むくらいなら、俺に言ってくれ。夜に部屋を訪れるから、待っていてくれないか? や、夜着は駄目だぞ。ダンスの練習に夜着やガウンは駄目だ!」

 

思わぬ言葉に顔を上げると、真っ赤な顔で練習相手は自分をと言う王子を前に、ディアナは愕然とした。ふるふると首を横に振り、無理だと答える。

 

「で、殿下を相手に練習など出来ません! 御政務でお忙しいというのに、私などのために時間を割くべきでは御座いません。それではエディ様かオウエン様に御願いをして」

「今夜っ! 練習をする!」

 

そう言い放つと王子は部屋から出て行った。

残されたディアナが蒼褪めたまま立ち竦んでいると、再び扉が開き王子が顔を出す。

 

「・・・・大きな声を上げて悪かった。ディアナは俺が練習相手では厭か?」

「そ、そうでは御座いません! お忙しい殿下に申し訳ないと思い」

「大丈夫だ。俺がディアナの相手をしたいだけだ。当日は踊れないから、練習相手くらいはさせてくれ。だが・・・・、ディアナがどうしても俺が厭だというなら」

「い、厭では御座いませんっ!」

 

悲しげな口調で項垂れる王子を前にディアナが慌てて首を振ると、安堵の表情を浮かべながら窺うように顔を上げてくる。その表情に鼓動が大きく跳ね、目を瞬きながら王子を見つめていると、恥じらうように目を伏せて「そうか」と言い残して扉が閉められた。 

 

しんと静まり返った部屋で茫然と立ち竦むディアナは、治まらない動悸に頬を押さえた。今日は何度も失敗をした。庭師に会いたいと口を滑らせ、自分を貶めるような言葉を言いそうになった。しかし、それらに気付いているだろう王子には何も言われず、貴族息女らしい振る舞いも出来ていないことに御咎めもない。

魔法が解けたといっても侍女として働きたい気持ちに変わりはないし、自領に戻ったら同じような生活に戻りたいと今も考えている。ただ、ドレスを着るのが以前ほど辛くはない。半月以上着ているから慣れたのかも知れないが、それだけは母も喜んでくれるだろう。魔法が解けたと、治ったと涙するかも知れない。

 

ドレスで思い出し、ディアナは部屋の隅に置かれたトランクを見つめた。

ドレスを用意してくれたのは姉だが、トランクに詰め込まれるのを目にしただけで、姉がどんなドレスを用意したのか知らないままだ。まさかそのドレスを本当に自分が着ることになるなど想像もしていなかった。それも国王主催の舞踏会でだ。余り華美なものが用意されていませんようにと祈りながら、ディアナはトランクを開けた。

 

 

 

***

 

 

 

「レオン、今日の分は机にあるだけか?」

「あと二件、王から届けられる予定ですが、急ぎの分は昨夜の内に済ませておりますので、本日の分は机の上だけです。・・・・何かこの後予定でもありますか?」

「・・・お前に言うと掻き回されそうだから言わずにおく」

「と言うことは、ディアナ嬢に関することですね。・・・・ほぉ!」

 

途端にレオンが目をキラキラと輝かせて顔を近付けて来る。楽しい玩具を見つけたかのような興味津々の表情で見つめて来るから、舌打ちを零してギルバードは背を正した。

 

「そうだ、と言っておく。・・・・が、それ以上は聞くな。書類を寄越せ」

 

小さな哂いが聞こえて来るが無視をして書類に視線を落とし、出来るだけ早い時間に彼女の部屋に行けるようギルバードは精を出すことにした。

使節団が来る舞踏会でなければ、魔法解除の祝いだけの晩餐ならばディアナを独占して踊ることも口説くことも出来るのにと歯噛みし、そして顔を真っ赤にさせる。

 

口説く? 誰がだ? 俺が!? 

そうだと気付く。ディアナを口説かねば彼女はあっさりと自領に帰ってしまう。魔法が解けたと安堵して、二度と目の前には現れようとしないだろう。ここで上手く口説かねば、もう一生ディアナに会うことが無くなる。

それだけは厭だと思うが、女性を口説く言葉など簡単に見つかる訳もない。

 

「・・・・いや、よく考えろ」

「何か難しい案件のようですね。考察のお手伝いを致しましょうか?」

 

突然耳元にレオンの声がして、自分の考えに没頭していたギルバードは叫びそうになった。思わず持っていた書類をぐしゃりと握り締め、振り返ると口角を持ち上げて楽しげに微笑んでいるレオンがいる。からかわれていると知り、握り締めてしまった書類を手で押し広げながら顔を背けた。

 

「俺一人で大丈夫だ。というか、自分で考えなければならないとわかっている」

「殿下の御役に立ちたいと常に考えている私が御傍に居ることをお忘れなく」

「・・・・俺のことはいいから、ディアナの付き添いを頼むぞ。彼女は舞踏会が初めてだ。一曲踊れば下がっていいと伝えてあるが、晩餐からの出席となれば舞踏会が始まる頃には、緊張が過ぎて足元が覚束無い可能性もある」

 

書類にサインをして次の封筒を開く。陳情や要求は日々山積し、それらに目を通して決済をする。急ぎは昨夜済ませているが、山は崩れることなく次々に舞い込み積まれていく。中には部署が違うだろうと思うものまで混じっており、嘆息と共に横にずらす。二、三処理したところで、隣に立つレオンが大人しいことに気付き顔を上げると、ほくそ笑みながら俺を見下ろしていた。

眉を顰めて何だと促すと、小さく何度も頷き返す。

 

「そうですか、ディアナ嬢にとって初めての舞踏会ですか! 彼女のエスコートを任されたとあれば、ドレスや宝飾などを髪色に合わせてプレゼントさせて貰わねば。可憐で可愛らしいディアナ嬢を自分好みに飾り立て、独り占めしながら抱き寄せて華麗に舞わせるなど、ああ、想像するだけで胸が高鳴ります」

 

レオンの言葉に思わず立ち上がったギルバードの顔から表情が抜け落ちた。

ディアナにとって初めての舞踏会をレオンに任せることに今更ながら動揺が走る。

彼女の隣にレオンが座り、レオンに付き添われ、レオンにあの小さな手を預け、細い腰に手を添えられて、初めての舞踏会で踊る。もちろん彼女の微笑みを受けるのもレオンだけだ。それを黙って見つめる自分を想像し、思わず身震いした。

 

「エスコートは最小限でいい! ディアナがお前の過剰な誘いに乗るとは思わないが、緊張するだろう彼女を翻弄するのは駄目だ! ・・・いや、ダンスはやっぱり俺が」

「殿下はダルドード国使節団と共に参られる王女様の接待が御座いましょう。親善大使でもある王女様を置いて一領主の娘と踊るなど、失礼に当たりますよね」

 

咽喉の奥から唸り声のような呻きが上がるが、レオンは滔々と言い続ける。

 

「ディアナ嬢の付き添いとダンスはお任せ下さい。途中で退席したいと思わぬよう、心を込めて接待させて頂きましょう。早速彼女のドレスと宝飾選びに時間を頂きたいので早く政務を終わらせて下さいませ、殿下」

 

急に目の前が暗くなり、書類を持ったままギルバードは呆けてしまった。茫然と立ち尽くす王子の真横に移動したレオンが、机の縁に軽く腰を掛けながら笑みを浮かべる。

 

「さあ、書類に殿下のサインと印璽をお願いします」

 

 

 

 

→ 次へ

 

← 前へ

 

メニュー