紅王子と侍女姫  31

 

 

イブニングドレスをトランクから取り出したディアナンは唖然とした。どうやって蓋を閉めることが出来たのか、トランクにはフリルたっぷりの三着のドレスが詰め込まれており、戻すことを考えるだけで眩暈がする。だが、これは姉たちの愛情だ。

早速その内の一つを広げて袖を通すことにした。

晩餐や舞踏会に参加するのは初めてだ。貴族息女らしく見えるよう、ダンスでもドレス着用でも積極的に努力しなければいけない。嵩のあるドレスを着て食事するなら、少しでも着慣れておかなければ動きようがないだろう。それに王子がダンス練習にお付き合い下さるなら、練習といえども相応しい姿で対応したい。

ふと着ている自分のドレスを見下ろす。飾り気のない縦襟のデイドレス。いつもは侍女服で過ごしていたので最初は落ち着かなかったが、最近はずいぶん慣れて来た。

 

突如、エレノアに言われことが頭に甦る。―――地味な衣装に老婆のような髪。

エレノアの豪奢な金髪と華やかな衣装が脳裏に浮かび、そして王子の艶のある黒髪を思い出して思わず項垂れた。二人が御揃いになると確かに注目が集まるだろう。王族としてだけではなく、見目良いふたりは人の目を集める魅力が溢れている。注目されることが日常で、そして注目される意味を御存じの方々だ。それに比べ・・・自分は何と地味なことか。

 

いや、自分の見目はどうでもいい。

王子が踊られるのは他国の王女様ではないか。

王子はダンス経験の乏しい自分を哀れに思って相手をして下さるだけなのに、見目を気にするなんて自分はどうしたのだろうとディアナは慌てる。しかし王の御前で公爵家嫡男であるレオンと踊るのだと思い出し、想像だけで目の前が真っ暗になった。

そして気付く。―――イブニングドレスを一人で着たことがないと。

 

「どうしましょう。持って来たコルセットでは駄目だわ。背中がこんなにも開いているなんて。・・・・カリーナさんにお願いして用意して貰えないかしら」

 

狼狽したディアナは急ぎ部屋を飛び出した。部屋前に立っていた衛兵に瑠璃宮の場所を訪ねると、王の許可が必要だと告げられる。王以外はギルバード王子しか立ち入ることの出来ない場所だと思い出し、途方に暮れてしまう。忙しい王子にお願いする訳にもいかず、部屋に戻ったディアナはフリルいっぱいのドレスを前に溜め息を吐くしかない。

 

 

夕食を終えたディアナは仕方なく普段のドレス姿で王子を待つことにした。

当日は東宮付きの侍女かカリーナに着付けをお願いすることになるだろう。その時にイブニングドレス用のコルセットの用意をお願いするしかない。

だが、今日は練習だ。このままでも問題はないはず。

そして舞踏会では一曲踊るだけ。

国王主催の舞踏会にはたくさんの貴族息女が来るだろうし、王女も婚約者のエレノアもいる。自分など誰も見向きもしないだろう。端で踊って王に礼を言って下がればいい。貴族息女らしく振る舞い、魔法は無事に解けたと安心させるのだ。それが自分の償いであり、王と王子に出来るお礼にもなる。

自分に言い聞かせるように口の中で何度も呟いていると、やがて扉を叩く音がした。

近衛兵からギルバード王子の来訪を告げられ、返答して恭しく扉を開ける。 

「お忙しいところ、お手数をお掛けすることとなり申し訳御座いません」

「いや、相手をしたいと言ったのは俺の方だ。・・・・当日着るドレスはそれか?」 

王子の視線がベッド上のドレスに向けられ、ディアナは悲鳴を上げそうになる。何故出しっ放しにしていたのかと慌てて片付けようとして、王子に止められた。 

「今着て練習するのはどうだ? その方が動きも判るだろう」

「あ、あの。普段の着慣れたドレスと違い、こちらのドレスは一人で着脱することが難しいのです。当日の着付けに誰か手配をお願いしたいと思っていたところで、出来ましたらカリーナさんにお願いしたいのですが、・・・・駄目でしょうか」

 

申し訳なさそうに項垂れるディアナを前に、ギルバードは口を開けたまま動けなくなった。彼女の部屋付き侍女を配していなかったことに気付き愕然とする。

食事の配膳以外、逆に立ち入らないように申し付けていた。ディアナが緊張したり気を遣ったりするだろうと考えていたが、貴族息女なら侍女がついて当たり前のことに気付かなかった自分が情けない。急ぎ指輪に唇を寄せてカリーナの名を紡ぎ、ここに来るよう命じる。すぐに庭園側の窓が揺れ、ガラス扉を開くとカリーナが入って来た。 

「カリーナ、ディアナの着替えを手伝ってくれ。舞踏会の日も彼女の着付けを頼む。ディアナ、何かあったらすぐにカリーナを呼べるよう、明日にでも魔道具を用意しよう。今まで気付かずに申し訳ない!」

「殿下・・・、今までディアナ嬢から何の連絡も御座いませんでしたのでおかしいとは思っておりましたが・・・、まさか彼女に私を呼び出す連絡手段も教えず渡さず、それなのに不用意に部屋に立ち入るなと命じておりましたの?」

「わ、忘れていたんだ・・・・。ディアナ、今まで不自由な思いをさせて悪い!」 

二人の会話にディアナは目を瞠って首を振った。 

「い、今まで困るようなことなど何もありませんでした。そのお気持ちだけで充分で御座います。ただ、カリーナさんに舞踏会の日の着付けをお願いしても宜しいでしょうか」

「もちろんで御座います。こちらのドレスですか? 一度袖を通してみましょう」

 

カリーナは柔らかに微笑むとベッドに置かれていたドレスを持ち上げる。淡い水色のイブニングドレスをディアナに宛がうと、ギルバードに冷たい視線を投げ掛けた。 

「着替えます」

「・・・っ! し、失礼した!」 

王子が踵を返して勢いよく部屋から出ようとするが、カリーナが宛がったドレスはいつの間にかディアナの身体に着せられていた。驚きに瞬きを繰り返すと、カリーナが優雅な微笑みを浮かべて、王子に着替え終えたと声を掛ける。 

「舞踏会は四日後ですね。ディアナ嬢、当日は朝から忙しくなりますので御覚悟をお願い致します。ところで、ドレスはこちらで宜しいので? 殿下からの贈り物では御座いませんわね? ・・・・全く、あの王の子とは思えません。嘆かわしい・・・」

「あ、姉が用意してくれた品です。このようなドレスを身に纏うのも初めてで戸惑います。着付けするのは得意なのですが、逆の立場になろうとは思ってもいなか・・・・」 

初めてのイブニングドレスを身に纏い、腕を持ち上げドレープの広がりを見つめながら、思わず零した自分の言葉にディアナは蒼褪めた。魔法が解けたのだから貴族息女らしくドレスや舞踏会を楽しみにしなくてはいけない。しかし、カリーナはディアナの髪を持ち上げると軽くまとめて上げ、宙から取り出した花を髪に挿しながら楽しそうに話し掛ける。

 

「舞踏会嫌いの貴族息女もおりますわよ。癇癪持ち、引き籠り、太った方、痩せた方。人はそれぞれ違うのが特徴です。急に変わろうとすると疲れてしまいますよ。初めての舞踏会、それも王主催となれば緊張して当然です。それを上手くフォローするのが殿下の役目と思っておりましたが・・・・。その分、私がしっかりお手伝いさせて頂きますわね」

「ありがとう御座います、カリーナさん」 

ローヴもそうだがカリーナを前にしても余計な緊張を感じることが無いと、ディアナは心から嬉しくなり笑みを零した。カリーナが袖口から丸い輝石を取り出し、ひと撫ですると音楽が流れ始める。楽しげなワルツの音楽に気持ちが楽になったディアナはドレスの裾を持ち王子に一礼した。 

「殿下、お待たせ致しました。どうぞよろしく御願い致します」 

腰を落として目を伏せ、差し出される手を待った。目線の先には王子の靴が見えるが微動だにしない。舞踏会に出たことの無いディアナは王城では習った作法が違うのかと慌てて顔を上げると、そこには顔から首、指先までを真っ赤に染め上げた王子が硬直していて悲鳴を上げた。 

「カ、カリーナさん! い、い、急いで侍医をお呼び下さいませ! ああ、ローヴ様をお呼びした方がいいのかしら? 魔法を解いたことで何か殿下の身に起きたのでしょうか!」

 

このままでは倒れてしまうと思い、ソファへ移って貰おうと王子の手に触れると異様に熱くて、ディアナは泣きそうになる。冷やさなくてはならないと思い、急ぎバスルームに飛び込みタオルを濡らして部屋に戻ると、何時の間にか部屋にはローヴが居た。 

「ローヴ様! 殿下が・・・、殿下の具合が急にっ!」 

真剣な表情で振り向いたローヴの顔を見て、ディアナは心臓が止まるかと思った。いったい何が起こったというのかと混乱していると、ローヴの眉が顰められ頬が、顔が徐々に赤らみ始め、更に肩が震え始めた。カリーナが茫然とするディアナが持っていたタオルを王子の顔に押し付けると、何もない宙から氷の塊を出し、固まったままの王子の衿へと入れてしまう。

 

「カリーナさん! なっ、何を?」

「・・・・。 うぁああ!? つ、冷たい! おわっ、ローヴ?! ど、どうした?」

 

急に意識を取り戻した王子を見て、ディアナは安堵の余り気が遠くなりかけたが、笑いを零すローヴが支えてくれた手に縋り震えながら、大丈夫だろうかと王子を見つめる。

 

「ディアナ嬢、御心配はいりません。ただの・・・・言うなれば『のぼせた状態』になっただけです。ここまで純真だと見ているこちらの方が恥ずかしくなりますね。いや、肌がザワザワして痒いくらいです。いい歳をして気持ちが悪いですね」

 

ローヴの言っている意味はわからないが、王子が背に潜り込んだ氷を取り出し、いつもの顔色、いつもの調子でカリーナに文句を言い始めたのを見て、やっと安堵出来た。

 

「い、いきなりこんなものを背中に入れて、驚かせるな!」

「殿下の様子に驚いてひどく狼狽なさったのはディアナ嬢の方です。ほら、心配のあまり泣かれてしまった。お可哀想に」

 

カリーナの言葉に驚いたギルバードがディアナを見ると確かに涙が滲んでいた。同時に驚いたディアナが首を激しく横に振り、瞬きしながら問い掛けて来る。

 

「大丈夫です、泣いておりません。 た、ただ殿下の様子に驚いただけで・・・・大丈夫で御座いますか? 顔色は元に戻ったようですが、手がとても熱くて」

 

再びジワリと頬が赤くなり始めた王子を前に、ディアナは眉を寄せる。ローヴを振り返り、やはり一度診て欲しいと伝えようとして二人の姿が消えていることに気付いた。何処に行ったのだろうと部屋を見回していると手を引き寄せられ、そのまま王子に抱き締められてしまい、ディアナは叫びそうになる。

 

「・・・ディアナ、そのままで聞いて欲しい。お、俺は大丈夫だ」

「そ、そうですか。良かった、です・・・」

 

頭上から聞こえて来る声は掠れていて、背に回った王子の手はイブニングドレスを着ているため大きく開いた背の肌に直接触れている。熱いと感じてディアナは狼狽えるが、引き寄せる腕の強さに動くことが出来ない。何度も抱き寄せられ、多少は慣れというか免疫が出来たと思っていたが、やはり突然の抱擁は心臓に悪い。

それでいて最近は胸の鼓動が驚きとは違う跳ね方をしているようにも思えていた。

こうして胸に囚われるのは何度目になるのだろう。直ぐに身体から力が抜け、預けるように凭れ掛かってもビクともしない。いつか自分が結婚するなら、王子のような人がいいなと思い描き、自分の想像に頬が熱くなった。慌てて王子の胸に手を置き、身を離そうとして再び引き寄せられる。

 

「離れないでくれ、ディアナ。は、話がある」

 

カラカラに渇いた咽喉に無理やり唾を飲み込む音が聞こえたが、それはどちらが鳴らしのだろうか。 

ギルバードはカリーナに睨まれ、着替えをすると言われて踵を返したが、直ぐに着替え終えたと耳にして振り向いた。

目に飛び込んで来たのは淡い水色のドレスに身を包んだディアナだ。

姉カーラの結婚式やリグニス城を出立する時に来ていたドレスとは違い、胸元が大きく開けられ腰の括れも悩ましく、そこからふわりと広がるドレープが彼女を可憐に包み込む。目の前で緩く巻き上げられる髪には小さな花が飾られ、プラチナブロンドの淡い輝きから目が離せない。

正直そこからの記憶が飛んでいるが、気付けば背に氷の冷たさを感じ、ローヴから『のぼせた状態』と言われ、涙目のディアナに気付く。

確かに自分はディアナに『のぼせて』いたのだ。腕の中、しどけなく身体を預けてくれている彼女をもう手放すなど出来ない。何度も唾を飲み込み、激しい緊張を覚えながらギルバードは口を開いた。

 

「ま、魔法を解くために幾度もディアナを抱き締めたり、あちこちに口付けたりしたが、正直なところを言えば・・・・、と、時々は違うんだ」

「ち、違う? あ、あの、それは・・・」

 

王子から届けられる言葉の意味が理解出来ないディアナは、自分までもがのぼせた状態なのかと回らない頭で、それでも必死に言葉を一つ一つ拾おうとした。しかし背を支える腕とは反対の手が腰を彷徨い始め、ぞわぞわした感じに変な声が出そうになる。王子の言葉を遮ってはいけないと、ディアナは全神経を言葉拾いに集中した。

 

「つ、つまりディアナが近くにいると、手が無意識に動いてしまい、だ、抱き締めてしまうんだ。こ、これは・・・その、つまり」

 

しかし聞こえたその言葉に思考が止まりそうになる。

無意識に手が動くとは、それも魔法解除の影響なのだろうか。

魔法を解いた反動で自分は胸に空洞が開いたような寂寥感を味わったが、王子の場合は身体に影響が出てしまわれたのかと、ディアナは目の前が暗くなる。

しかし自分が近くにいると、と王子は口にされた。今、背や腰で手が動いているのも魔法を解いた反動なのか。では自分が王子から離れたらその影響は消えるのだろうか。

それならば舞踏会が終わったら一週間を待たずに直ぐにでも自分は消えた方がいい。王子の身体を無意識に動かしてしまうなど、あってはならないことだ。きっと領地に戻れば王子に影響が出ることもないだろう。

そして一度離れたら・・・・・もう二度と会うことはない。

そこまで考えた時、ディアナの胸に小さな棘が刺さったような痛みが奔る。胸に手を当てようとして陛下の衣装に擦れ、こうしている場合じゃないと息を吐いた。

 

「殿下の・・・・仰りたいことは判りました。・・・・あの、それではダンスの練習を始めさせて頂いて宜しいでしょうか。もう、かなり遅い時刻となりました」

「え? ・・・・あ、ああ。そう、か」

 

柔らかく胸を押す手の感触とディアナからの言葉に思わず力が抜けた。

確かに遅い時刻だ。練習時間が減れば、それだけディアナが当日困ることになる。言いたいことはまだあるが、何となく伝わったのだろうかと声を掛けようとした時、一歩下がったディアナがドレスの裾を持ち低頭した。

 

手を差し出すと重なる小さな手は包み込むと余りにも柔らかく握り締めたくなる。引き寄せた腰に片手を添えると、カリーナが置いていった魔道具からワルツが流れ出す。

足が動き出すと、本当に彼女に触れているのだろうかと思えるほど軽やかな足取りで、腕の中に視線を落とすと前を見据える彼女の長い睫毛が揺れるのが見えた。白い肌が艶めいて見え、音楽が聞こえなくなりそうだと意識を音に向けることに必死になる。彼女が持つドレスの裾が揺らぐように足を掠め、そのたびに止まりそうになる足を叱咤しダンスは終わった。

 

「一曲目は大抵ワルツだが、ディアナは上手い。これなら問題なく踊れるな。・・・当日は俺がディアナをエスコートして一曲目を踊りたいのだが・・・・」

「男性と踊ったのは殿下が初めてです。大変、光栄で御座います」

 

頬を紅潮させたディアナがドレスの裾を持ち上げ、柔らかく腰を落とす。優雅な振る舞いは当日、周囲の目を引き寄せるだろう。その中で、彼女の横にいるのが自分ではないと思うだけで苦々しい思いが込み上げてくる。

 

「明日の夜も来る。ワルツ以外が流れる場合もあるから、練習は必要だ」

「・・・・お手数をお掛け致しまして。では明日の夜、お待ち申し上げております」

 

もう一度深く腰を落とすと、軽い咳払いを残して王子は部屋を去って行った。

踊り終えたディアナが高揚した気分のまま顔を上げると、王子は床を見つめながら苦々しい表情をされていた。慌てて目線を下げたが、胃のあたりが重く苦しくなり戸惑うばかりだ。面倒を掛けたくないが、再度練習の約束をしてしまった。王子の気遣いも一緒に踊れることも、本当はとても嬉しい。だけど目にした表情は・・・・・。

そして一人きりになった部屋で、ディアナは額に手を当てた。

 

「このドレスはどうやって脱ぐものなのでしょう」

   

 

 

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