紅王子と侍女姫  32

 

 

 一晩かけてどうにかドレスを脱ぐことに成功したが、背を鏡に映しながら必死に手を動かし続けたので、朝食を持参した侍女に戸惑われるほど疲労していた。カリーナが魔法で絞めたコルセットはきつくないのに驚くほど腰の括れが際立ち、ドレスが緩いと感じるほど。他のドレスも合わせてみたが、どれも少し緩く感じ、裁縫道具を出して詰めていると扉をノックされた。返事をするとエディとオウエンが箱を持って入って来るから首を傾げてしまう。

 

「殿下から届けるように言われた品を持って来たよ」

「まあ、ありがとう御座います。・・・・これが魔道具、ですか?」

 

二人から渡された長細い立派な箱を開けると、中にはネックレスが入っていた。

大きなダイヤモンドの周りに小さなダイヤと真珠が飾り付けられ、少し箱を傾けると窓から差し込む光に目を細めるほどの豪奢な輝きを放つ。思わずディアナは首を振った。

 

「で、殿下は指輪をされていましたわ! 指輪にキスをしてカリーナさんをお呼びしていました。ネックレスではキスが出来ません!」

「ディアナ嬢、これはたぶん魔道具じゃないよ。殿下からの贈り物だろう」

「舞踏会に出席するディナア嬢にプレゼントを贈っただけだろう?」

 

二人の言葉にディアナは箱を閉じて、もう一度大きく首を振った。 

「い、頂けません! こ、こんな高価なお品を頂く理由が御座いません!」

 

蒼褪めて震えるディアナを前に二人は笑いながら箱をテーブルに置き、エディが恭しく手を持ち上げた。カリーナが置いて行った輝石をオウエンが撫でるとワルツが流れる。

 

「プレゼントはともかく、今の内に俺とダンスの練習をしようよ」

「次は俺と踊ろうね。当日は護衛も兼ねて側にいるから、一曲だけでも踊ってくれる?」

「い、いえ! 練習はありがたいのですが、当日は一曲だけ踊って下がろうかと思っております。国王様から招待されただけで動悸と眩暈がして、もう私いっぱいいっぱいで」

 

困り果てたディアナの様子を目にして楽しげに笑うエディのリードで、部屋の中をゆるりと回る。オウエンと交代し、もう一度踊っている時、ふと気になることを尋ねてみた。

 

「エレノア様も御出席されるそうですが、殿下とは踊りませんの?」

「たぶん踊らないと思うよ。今までも踊っているところなんか、見たことが無いし」

「今回は使節団の王女の接待がメインだろう? 踊るとしたら王女と踊るんじゃないのかな。今回来るダルドード国の王女も、ギルバード殿下の妃候補とも言われているしね」

「エディ!」

 

オウエンの鋭い声にエディが口を隠す。目にしたディアナは王弟の娘だけではなく、他国の王女も妃候補として挙がっているのを知り、どうしてか胸が苦しくなった。ここ最近、同じような胸の痛みに何度も襲われていると思いながら顔を上げると、オウエンが困ったような顔に笑みを浮かべる。

 

「殿下は王位継承者だろう? 唯一の男子ということもあり、国内外から妃推挙の話が来ているのは確かだよ。だけど本人と王はのんびりしててね。一応、何度か候補者には会っているようだけど、各領地視察があって暫くは静かだったんだ」

「殿下は若いから、まだ結婚する気はないようだけど、持ち込まれた話を放置する訳にはいかないだろう? 他国からの王女となれば余計だよね。大変だと思うよ~」

 

その言葉にディアナは目を瞠る。

各領地視察は私と繋がっていた魔法を解くために王に命ぜられたものだと聞いた。その領地視察前にもたくさんの王女や貴族息女にお会いしていたと思った瞬間、思わず足が止まりそうになる。王位継承者に妃推挙の話があるのも、婚約者がいるのも普通のことなのだろう。王弟の娘だけではなく、他国からも話が来ているのはエルドイド国が大国だからだ。大国であるがゆえに王子は政務に忙しく、それなのに領地視察をされ魔法を解く策を探し続けた。その上、田舎領主の娘である私を王城に招きダンスの練習にまでお付き合い下さっている。

しかし魔法は解けたはずなのに勝手に動き出す手足に戸惑われている姿を思い出し、申し訳ないとディアナは目を伏せた。

 

「政務が忙しいって言い訳しながら、その実、本当は面倒がっているだけだよ」

「今回の舞踏会で王女の接待をするのも政務の一環だから、ディアナ嬢は気にしないでいいからね。使節団と友好な関係を結ぶのも殿下の仕事だからさ、ね?」

 

踊りながら頷くと、オウエンとエディが揃って安堵の息を吐く。それぞれ一曲ずつ踊り終えると、二人は持って来た箱を置いて部屋から出て行った。静かになった部屋で、ディアナはテーブルの上の箱をなぞる。王子からのプレゼントだという品は高価すぎて自分には似合わないが、無下にお返しする訳にもいかない。

大国の王子であるギルバードの許に届けられているという妃推挙の話もディアナの気持ちを重くし、どうしてそう思うのだろうと目を閉じた。窓から降り注ぐように差し込む日の光が肌を温めてくれるのに、心だけが沈んで冷たく固まって行くように感じる。

 

 

 

昼食後にはレオンが訪れた。

 

「ディアナ嬢、初めての舞踏会のエスコートを任命された貴女のレオン・フローエですよ。ああ、痛々しそうだった頬の傷も綺麗に消えたようで何よりです」

「ありがとう御座います。当日はよろしくお願い申し上げます、レオン様」

 

大股で近付いて来たレオンに手を持ち上げられ、エディたちのように早速ダンスを踊るのかと思ったら、手の甲に唇が掠める。突然のことにディアナが目を瞠って固まると、妖艶な笑みを浮かべたレオンがテーブル上の細長い箱に視線を向けた。

 

「舞踏会でディアナ嬢を飾り立てる品を殿下が送ったそうですね。その箱の形状から察するにネックレスでしょうか。では、私からは是非ドレスを贈らせて下さいませんか?」

「いえ、ドレスは姉が用意してくれましたので結構で御座います。殿下からのネックレスは余りにも素晴らしい御品ですので、私には似合わないと・・・・・」

 

掴まれたままの手を離して欲しいと引っ張るが、レオンは気にすることなく手を握った状態で考え込み、そして蒼い瞳を輝かせてディアナを覗き込む。

 

「では私からはその美しい髪に映える髪飾りを贈らせて下さい」

「御許し下さい、レオン様。お、畏れ多いことで御座います。これ以上、何も必要御座いません。一曲だけお相手頂けたら、私は部屋に戻らせて頂きたいと思っていますので」

 

ディアナが真っ蒼になって首を振るが、レオンは楽しそうに笑みを零す。

 

「美しい女性に贈り物をするのは当たり前のこと。女性はそれを微笑み受け取るだけでいいのです。贈り物を受け取り、身に着けて貰う。それだけで単純な男は喜びます。ただし贈り物を受け取ったと見返りを求める男には、くれぐれもお気を付け下さい。単純な私などはディアナ嬢の微笑みだけで貢ぎたくなりますが」

「御許し下さい」

 

急に手を高く持ち上げられたディアナが驚き上を向くと、レオンが腰を引き寄せる。そして輝石を二度撫でると、テンポの速い曲が流れ出した。

 

「ディアナ嬢、当日は馬車で東宮から王宮へ向かいます。部屋まで迎えに参りますので、安心して御待ち下さい。晩餐では私の横の席を用意してあります。殿下侍従長であり宰相の息子でもありますので、王にも殿下にも近い席となります」

「・・・っ!」

 

ステップを踏みながら、レオンの言葉に息を飲む。魔法が解けたとはいえ自分自身は何一つ変わっていない。侍女として過ごすことを未だに願っている自分が、国王主催の舞踏会に出ること事体信じられないというのに、国王や王子に近い席に座るなど無理だ。

 

「で、でも他国の方々がいらっしゃると聞きました。殿下はその接待をされると」

「ああ、ダルドード国の王女は殿下の近くに着座されます。・・・気になりますか、ディアナ嬢。お耳に入っていると思いますが、王女は殿下の妃候補としても訪国されます。まあ、視察を兼ねた見合いですね」

「・・・・国内外から妃推挙の話が来ておられるのでしょう。エレノア様もそのおひとりと聞いております。たくさんの御話が殿下の許に・・・・集まっているのでしょうね」

「ディアナ嬢は殿下にはどのような妃が望ましいと思いますか?」

 

速いステップと回る景色の中、レオンからの質問を耳にしたディアナは眉を顰めた。

レオンのリードは巧みで、とても踊りやすい。ディアナは足を動かしながら流れる音に身を任せて思い浮かんだことを素直に口にした。

 

「殿下を・・・・敬える方が宜しいと思います。互いを敬い、互いに愛しく思える方と出会えたら、それはとても素晴らしいことだと私は思います」

 

長い間、十年もの長い間、過去を悔やみ何度もリボンに謝罪していた王子を幸せにしようと思う人が側に仕えてくれたら、その人を王子も愛おしく思えたら、それだけで充分幸せだろうとディアナは思った。そこに国や政が絡んでいてもいなくても、きっと王子なら大丈夫だと思う。あの腕でしっかりと抱き締め、守ってくれるだろう。

曲が終わり、レオンがディアナの手を持ち恭しく持ち上げる。柔らかく見上げられ、紅潮した頬を強張らせながら笑みを作って腰を落とす。

 

「大変お上手ですね。これならどんな曲が流れても問題はないでしょう」

「レオン様のリードがお上手だからです。当日はどうぞよろしく御願い致します」

「あとはディアナ嬢のお気持ち・・・ですね。ああ、髪飾りはガーネットにしましょうか。合せてドレスも真紅の物を贈らせて下さい」

「御許し下さい。ドレスは姉の用意したものがあると先ほどお伝えしております」

 

ウエスト部分を詰めていた最中にレオンが来たので、三着のイブニングドレスがソファに広げたままだ。レオンが近付き、どれを着るのか尋ねて来る。ディアナが着る衣装に合わせた正装をするから教えて欲しいと。

 

「姉が用意したドレスはどれも素敵なので困っておりました。昨夜殿下との練習でこの淡い水色のドレスを着ましたので、他のものをと思っております」

「では、こちらのドレスがいいでしょう。御贈りするガーネットに合います」

「レオン様・・・・」

「殿下の御気持ちを、贈られたネックレスを、まさかお返しするなど考えておりませんよね。そして、私からの贈り物だけ受け取らないとも仰りませんよね?」

「御許し下さい」

「いいえ、駄目ですよ。では、明日にでも贈らせて頂きましょう」

 

レオンが部屋から笑みを残して出て行くと、ディアナは床に座り込みそうになった。

高価な贈り物に、国王と王子に近い晩餐会での席。そして妃候補として来られる王女の話。王宮庭園で会ったエレノア姫は王妃になるのは自分だと強く言い放っていた。

レオンに答えたように、出来ることなら王子には幸せな結婚をして欲しい。互いを幸せにしたいと思える方と出会って欲しいと思う。

 

心からそう思いながら、また胸の奥に痛みが奔る。その鈍い痛みに胸を押さえると、押さえた指先までが痺れたような感覚に何故か泣きたい気持ちになり、再び心が沈んで行くように感じた。

 

 

 

 

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