紅王子と侍女姫  36

 

 

そんなに自分と踊るのが厭なのかとショックを受けたが、部屋で練習相手になった時は初めて踊ったのが自分で嬉しいと言ってくれたことを思い出す。その時は世辞で言った言葉とも思えるが、今この場で申し訳ないと謝罪するのは意味が違う気がした。 

「俺はディアナに何かしてしまったのだろうか。もちろん、な、何度も抱き締めたことは確かに許しもなく悪かったと思うが、あれは気付けば手が勝手に、あの・・・。それと、あちこちに口付けてしまったのも謝るべきではあるが、その」

「・・・・殿下からの謝罪は必要御座いません」

 

悲壮な表情で見上げるディアナの瞳が潤んで見え、掴んだ手を引き寄せそうになる。

しかしディアナは直ぐに俯き、小さな声で謝罪の言葉を繰り返すだけだ。彼女に謝罪される理由が判らず、困惑しながら握る手に力を入れた。 

「そ、そんなに俺と踊るのが厭か? 抱き締めたことも厭だったか?」

「そうでは・・・・そうでは御座いません」

「俺はディアナがこれ以上他の男と踊るのを見るのが厭だ。踊るなら」

「・・・もう、直ぐに部屋に戻らせて頂きますから」

 

繋いだ手を振り払いディアナが立ち上がろうとする。ガゼボから出て行こうとするのがわかり、慌てて彼女の手を引き寄せ強く抱き締めた。大きくドレスの裾が舞い、ゆっくりと脚に絡みつく。ディアナが腕の中で身体を固くするのが伝わって来るが、このまま離しては駄目だと警鐘が鳴る。

 

「俺の何が厭だ? そんなに離れたいほど、嫌いか?」

「違・・・っ、殿下をお嫌いになることなど決してありません。しかし殿下の手足が勝手に動かれるのは私がお側にいるからなのですよね」

「あ・・・・う。そ、そうだ。それは」

「それは魔法を解いた後遺症で御座いましょう。ですから・・・原因である私が自領に戻れば、殿下の手足が勝手に動くことはなくなるはずです。魔法はしっかりと解けました。私はアラントルに戻り、殿下がこの先もお幸せにお過ごしになれるよう、祈り続けます」

「・・・・後遺症」 

ディアナの言葉に頭の中が一瞬真っ白になった。

するりと腕の中から抜け出た彼女がドレスの裾を持ち上げて駆け出すのを、茫然と見送り、そして意識を取り戻して急ぎ追い掛ける。言葉が足りない自分だと自覚していたが、彼女がどうしてそんな風に捉えてしまったのか今は判らない。ただ、自分の気持ちを全く伝え切れていないのは判る。

勝手に動く手足が魔法を解いた後遺症な訳がない。

恋しい愛しいと思う気持ちが言葉よりも先に手足を動かし、彼女を腕の中に囲い込んでしまうのだ。しかしその気持ちを言葉にして伝える方が先だと気付いても未だ伝えていない不甲斐ない自分に苛立ち、このまま噴水に頭を突っ込みたくなる。

ダンスにしたってそうだ。父である王や、自分で頼んだレオンと踊ることにすら嫉妬を覚えた自分を振り返り、何故人任せに出来たのだろうと今頃になって悔やむ愚か者だ。今頃になって悔やむくらいなら王女の接待を宰相に任せてでも、彼女と一番最初に踊り、他の男が近寄るのを牽制しておくべきだろう。いつまでも側に居て欲しいと望んでいる癖に、伝えるべき言葉も伝えず翻弄させ続け、また泣かせてしまったのか。

 

庭燈が仄かな明かりを投じる王宮側の広大な庭園は、小さなガゼボや低木が影を作り、隠れられたら探すのが容易ではない。夜の庭園では遅い時刻になるとあちこちの茂みで密やかな男女の睦みごとが行われている可能性もある。そんなものを見せたくないし、万が一不埒な輩にディアナが誘い込まれたらと思うだけで頭の血管が切れそうになる。

 

「ディアナ! 頼む、話を聞いてくれ!」

 

王やレオンが不甲斐無い自分を嘲笑い、そして冷やかに罵倒する声が頭に響く。

煩わしいが頭から追い出す暇もない。耳を澄ますとガサりと茂みが揺れる音がして、足を向けるがどこかの貴族が女性を熱心に口説いているところだった。

紛らわしいと腹立ちを覚えながら探し続けるが彼女の姿は見当たらない。

焦る気持ちは悪い方にばかり考えを持って行く。

このままディアナがアラントル領に戻ってしまったら呼び出すのは余程の理由がない限り難しいだろう。第一、人を呼び付けて「好きだ」と伝えるのは間違っている。

それなら自分がアラントル領に足を運び気持ちを伝えた方がいい。しかし、突然訪れるのは失礼にあたるし、前触れを出すと炭焼き小屋か下手すると隣国の叔母屋敷に閉じ籠ってしまうかも知れない。いや、そんなことを考える前にディアナに会って、自分の正直な気持ちを伝えるべきだろう。

 

ギルバードは足を止めて息を整えた。このまま闇雲に探すより、自分の中の魔法力を使おうと目を閉じる。十年前のように突発的に放つのでもない、宿の中や東宮の部屋で思いも掛けずに使うのでもない。内にある自身の魔法力を捉え、自発的に使うのは初めてのことだ。だが、魔法で繋がっていたディアナのために使うのは容易な気がしていた。不思議と確信めいた自信があり、ギルバードは身体から力を抜く。

 

視界が紅く揺らぐのを感じながら、ディアナの姿は何処に向かったのかを探るよう庭園内の植物に命じると、足元の芝生がざわめいた。小さなつむじ風が足元から巻き上がり髪を撫で上げるのを感じながら、何処だと問う。周囲の低木が風に揺れる中、気配を感じて振り向くと、朧気な淡い人影が浮かび上がっていた。その人影は直ぐに消え、少し先へと移動する。ギルバードが近付くたびに消えては先に出没するを繰り返し、人影は一度膝をついて近くの庭燈に縋るのが見えた。

淡い人影はディアナだ。その人影の痕跡を辿るように追い駆けていると、庭園の奥へと向かっていると判る。そしてドレスの裾を持ち上げ直して垣根を越えたのだろう、靴が脱げて慌てている姿が見え、そしてそれを最後に人影は煙のように消えてゆく。

 

ギルバードが足を止めると、垣根の向こう側から「靴・・・・靴は?」と探している声が聞こえた。手を掲げて「灯りを」と呟くと掌に光の球が浮かび、垣根の上に赤水晶の飾りのついた靴が見え、垣根の向こうから明りに驚いたディアナの泣き濡れた顔が振り向いた。

 

「ディアナ・・・・。逃げないで話を聞いて欲しい」

「直ぐに! 直ぐに王城を出ますから、殿下はお仕事にお戻り下さい!」

「ディアナ、話をさせて欲しい。いや、その前に自分の気持ちを伝えずに、ディアナを振り回していたことを詫びさせて欲しい。・・・申し訳ない」

 

上手く垣根を飛び越えることが出来たと思ったのに足が引っ掛かりローヴから贈られた靴が脱げてしまった。夜露に濡れた芝を走って来たから汚れてしまったかも知れないと、必死に探していると急に周囲が明るくなり、顔を上げると王子の姿が見えた。慌てて顔を伏せるが手を掴まれ、情けない泣き顔を覗かれてしまう。

痛いほど締め付ける胸の痛みに唇は戦慄き、溢れ出た涙が頬を濡らす。どうしてこんなにも感情が昂ぶるのか、自分でもどうすることも出来ないまま駆け出した自分を王子は追って来てくれた。大きく跳ねる胸の鼓動がはっきり告げる。来てくれたことが嬉しいと。

同時にまた迷惑を掛けてしまったと苛む気持ちもあり、あんな行動を取れば優しい王子は追い掛けて来るに決まっているではないかと悔やんでしまう。早く大広間に戻って大切な仕事をして欲しいと伝えながら、それなのに掴まれた手から伝わる熱が嬉しいと思う気持ちを抑えきれない自分がいる。そんな驕った考えを持つ自分が信じられないと膝から力が抜けそうになり、このままじゃ駄目だと身体を捩じると抱き締められ、王子からの謝罪を耳にディアナは声が出なくなった。また謝らせてしまったと息が苦しくなり、余りにも情けない自分から離れて欲しいと王子の胸を押し出す。

 

「逃げようとしないでくれ。俺はずっと・・・十年間もディアナを振り回して来たんだな。やっと魔法が解けたというのに、今度はこんなにも泣かせている」

「・・・・いいえ、違・・・・」

「後遺症なんかじゃない。俺がディアナを何度も抱き締めるのは、ディアナが好きだからだ。ディアナが好きだと思う気持ちが俺の手を動かしていたんだ。離れたくない、離したくないと思う気持ちが手を動かし、ディアナを抱き締めてしまう」

 

頭と背を包み込むように抱き締めて来る王子が、ディアナの頭上から掠れた声を落とす。驚きに涙は止まり、目を瞬いていると頭を撫でていた手が肩に移った。

 

「自覚する前に赦しも無く何度も抱き締めて、キスをして、本当にごめん。・・・ようやく自覚出来たのに、ディアナに上手く伝えることが出来なくて、悩んでいる内に舞踏会になってしまった。レオンに任せたのは、奴は俺の気持ちを知っているからだ。余計なことをしそうな予感があったが、まさか王を担ぎ出すとは思いもよらなかった」

 

肩を引き寄せられたディアナの顔は王子の胸に押し付けられ、豪華な盛装の釦や徽章が頬に食い込む。少し痛いと思うが、痛みを感じるということは夢じゃないとディアナに伝えて来るから、どうしていいのか判らず身動きも取れない。

耳から入ってくる言葉をゆっくりゆっくり噛み砕くように頭の中で繰り返す。

王子が自分を好きだと言っている。

魔法を解くために必要な過去を思い出した時も悪いのは自分だと言って慰めてくれた王子が、十年間もリボンに謝罪を続けていた王子が、自分を好きだと口にした。

ぐるぐると回る頭の中は整理するのが難しく、ディアナは必死に息をする。必死に息を吸い込みながら、必死に頭の中で冷静になれと自分に言い聞かせるが、痛いほどに跳ねる鼓動は言うことを聞いてくれない。

 

「本当は使節団の歓迎会とは別に晩餐や舞踏会を開けば良かったんだ。王に言われた時に、何故そう思いつかなかったのだろう。ディアナを独り占めして踊ることが出来たのに」 

沸騰寸前のディアナに、使節団の言葉が冷静さを取り戻させる。

当時に頭の中に、妃候補の王女の顔と婚約者であるエレノアの顔、そして貴族息女に囲まれた王子の姿が浮かんだ。他国からも妃推挙の話があがっているとも思い出す。

 

「好きだと伝えないまま、ディアナを翻弄させることばかりしてきた自覚はある。申し訳ない、恥ずかしいと思う。だけど好きだと伝えないまま離れるのは厭だと、アラントルに帰って貰いたくないと切に願う自分がいる。それを伝えたくて、解かって欲しくて・・・」

「・・・殿下」

 

陛下の胸にある自分の指先が痺れたように感覚を失っていく。今自分を抱き締めてくれているのは、たくさんの妃候補の中から王太子妃を選ぶエルドイド国の王太子殿下だ。好きだという言葉を自分の思うように考えてはいけない。王子からの好意を勘違いしてはいけないと、ディアナは強く目を瞑った。

 

最初から王子は誰にでも分け隔てなく優しい。火傷した侍女に軟膏を分け与えてくれたこともあった。コルセットの紐を緩めて欲しい、食事や着替えのために背中の釦を外して欲しいと、敬うべき相手に信じられないことを口にした私にも王子は紳士的に対応して下さった。酒に酔った男に連れ去られそうになった時には助けてくれた。いつまでも鍵となる言葉を思い出せない自分にゆっくりでいいと慰めてくれた。

 

抱き締められるのも口付けされたのも、最初は驚いたが嫌悪など全く感じていない。

抱き締められることに戸惑いはあるが、それは王子の感情表現なのだろうと理解した。言葉よりも態度で示されるのが王子流なのだろう。魔法をかけてしまった償いの気持ちが態度に出ているだけだ。離れたくないという気持ちは十年間も続いた魔法による繋がりが消えたことで感じる喪失感なのだろう。

自分もそう思ったのだから、同じような気持ちに王子もなっているのかも知れない。

 

「私・・・本当に・・・・厭なことなど何もありませんから」

 

上品な紫のドレスがふわりと舞い、王子と手を取り王女がダンスを踊る。

白藍のドレスのエレノアが扇を閉じて、嫣然と笑みを零す。

瞼の裏に浮かぶ姿に眉を顰め小さく息を吐き、ディアナは王子の胸を押した。

 

「あの、靴が脱げてしまい探さねばなりません。どうぞお放し下さいませ」

「靴なら垣根の上に落ちている。このドレス姿で飛び越えるなんて、ディアナはすごいな」

 

笑いながら王子が近くの噴水の縁へディアナを抱き上げ移動してくれ、靴を取りに行ってくれた。まさか垣根を飛び越えるところも見られていたのかと蒼白になっていると、靴を持った王子が戻って来るなり跪き、履かせてくれようとする。慌てて自分ですると言ったのだが足を持たれ、そのまま履かされてしまいディアナは泣きたい気持ちになった。

この優しさも全て勘違いだと自分に言い聞かせないと、何を口にするか判らない。

 

「殿下、あの・・・勝手に走り出して殿下に探させてしまい、申し訳御座いませんでした。それにレオン様に飲み物を頼んだままで・・・・。私はカリーナさんに迎えに来て頂きますので、レオン様にお詫びと、そして殿下はお仕事をお続け下さいませ」

「・・・・確かに戻らなきゃならないとは思うが。そうだな、ディアナは部屋に戻って休んだ方がいいな。カリーナにはすぐ来るよう指輪で伝言を飛ばしたから直ぐに来るだろう。それより、あの・・・・ディアナ、一方的に喋りまくったが、その」

「殿下の御言葉・・・・大変嬉しゅう御座います」

 

ディアナが立ち上がりドレスの裾を持ち上げ腰を屈めようとすると引き寄せられ、王子が頭に口付けを落とす。思わず固まった自分の手を持ち上げ、今度は手の甲に口付けを落とされた。目を瞠って固まったままのディアナに、王子が気を付けて戻るように声を掛けて茂みを掻き分け消えていく。

その姿が胸の痛みと共に再び溢れ出した涙で見えなくなるが、ディアナはいつまでも見つめ続けた。

 

 

 

 

 

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