紅王子と侍女姫  37

 

 

靴音が遠ざかり、ディアナがゆっくりと背を正すと庭燈より明るい灯りが宙に浮かんでいるのに気付き、魔道具なのかしらと手を伸ばしてみた。ふわりと浮いたまま、避けるように宙に浮き続ける光の球に、もしかしてと鼓動が跳ねる。浮いたままの光の球を見つめながら、どうして王子は自分のいる場所が判ったのだろうと考え、また涙が零れてしまう。零れた涙を拭うこともせずにカリーナを待っていると近くの茂みから彼女が姿を見せた。

 

「ディアナ嬢、お待たせ致しました。ダンスを終えましたらレオン様に送って頂けるのではなかったのですか? 何故、こんな庭園奥で・・・・どうかされました」

「カリーナさん・・・・私、部屋に戻りたいのです。案内をお願い出来ますか」

「こんなにも震えて泣いてらっしゃる。ディアナ嬢、何がありました?」

「・・・・これは魔道具ですか? それとも」

 

カリーナが指差された光の球を目にして驚きの表情を浮かべたのが判り、ディアナはやはり魔法かと笑いそうになる。少年だった王子に不躾な発言をして感情を昂ぶらせ魔法を使わせたのも、十年以上も使わなかった魔法を再び使わせたのも自分。きっと自分の居場所を見つけたのも魔法を使ったのだろう。薄闇の中から自分を探すために魔法を使ってまで好意を伝えてくれる王子に、自分は何を返せるのだろうか。

 

王子から『好き』と言って貰えたことに心は大きく跳ねて舞い上がった。

そして自覚した、自分は王子が言ってくれた好意以上のものを感じていると。

妃候補の姿に胸が苦しくなったのも、王子の姿を探してしまうのも、追い掛けて貰えて嬉しいと思うのも、全て王子を慕っているからだ。王子に恋しているから、他の女性と踊る姿に苦しくなり、妃候補だという王女と共にいる姿を見たくないと思い、勝手に動くという王子の行動に悲しくなった。今の自分は、王子からの『好き』を勘違いしそうになるのを押さえるだけで精一杯だ。

 

しかし同じ思いの、いやそれ以上に王子を慕う女性は多い。

舞踏会では多くの貴族息女が恋焦がれた視線で王子を見つめていたし、王女も熱く見つめておられた。妃推挙に上がっている女性はたくさんいて、多くの貴族が話題にしているなら、妃をお選びになる日も近いのだろう。

そう思うだけで胸は重苦しくなり、涙が止まらなくなる。

 

「カリーナさん、部屋まで送って頂き、お手数をお掛け致しました。ダンスでは指輪のお陰で宝飾が落ちる心配もなく踊ることが出来ました。ありがとう御座います」

「・・・・何があったのかは存じませんが、目が腫れてしまいますよ」

「直ぐに・・・冷やします。本当にお世話になりました」

 

カリーナにドレスを脱がせて貰い、宝飾をそれぞれの箱に戻す。靴についた汚れを取り、綺麗な状態に近くなったと安堵して荷物をまとめ、入浴を済ませた。

滞在を伸ばすよう国王に言われたが、一刻も早くアラントルに戻った方がいい。

魔法が解けたのに、再び魔法を使わせてしまった。解くために王城に招かれたのに、何度王子は魔法を使うことになっただろう。申し訳ないと項垂れるより、早く離れた方が王子のためだ。それに、話に聞いた時は動揺などしなかったのに、たくさんの女性に囲まれる王子を実際に見て、こんなにも胸が痛くなるとは思いもしなかった。

好きと言われた言葉がまだ頭に残っているが、王子が言ってくれた『好き』は好意の表れであり、魔法をかけた相手に対し謝罪を兼ねた言葉だ。魔法により侍女をしていた自分に対して申し訳ないと、気遣う気持ちが込められた言葉。

それを、自分が持つ恋情と同じように考えては駄目だ。

王子が伝えたい『好き』の意味は、ただの好意なのだから。

 

早く王城から離れて、アラントルに戻った方がいい。だけど元の生活には戻れないと判っている。自領に戻り侍女として働きたいと伝えると、魔法は解けなかったのかと両親が気にするだろうし、城の皆がまた気を遣わせてしまう。だけど貴族息女として生活するのも難しい。全てを一度に整理するのは難しく、漠然とした不安が浮かぶ。

問題は自領に戻るのに、この荷物をどうしたらいいのかだ。

城下に下りて荷運びの業者に頼むしかないだろうが、あいにく持ち合わせがない。恥を忍んでカリーナに借りようかと考えていると扉を叩く音が聞こえ、扉を開けると、そこに居たのはローヴだった。

 

「遅くに淑女の部屋を訪れるなど、申し訳ないねぇ」

「いいえ。・・・・ローヴ様、どうされましたか」

「カリーナからディアナ嬢がひどく泣かれていると聞き、魔法を解いたことによる支障が出たのかと心配になりまして伺った次第です」

 

その言葉に思わず顔に手をやるが、既に涙は止まっている。ただどうしていいのか戸惑いが顔を曇らせ、小さく息を吐いた。

 

「ローヴ様、カリーナさんから聞いたと思いますが、殿下が光の球を魔法で出されました。それだけではなく私を探すために・・・・魔法をお使いになったと思います」

「はい、聞いております。そうですか、殿下が魔法を使った波動を感じて不思議に思っておりましたが、ディアナ嬢を探すために使われたとは存じませんでした」

「長い間、殿下は魔法と無縁の生活をされていましたのに、王城に来るまでも、来てからも私のせいで魔法を使うことになってしまい、面倒ばかりお掛けしています。・・・・魔法を解いてから五日も経ちますし、明日、戻ることに決めました」

 

纏め終えた荷物を振り返り、しかしディアナは溜め息を吐く。姉が用意した三つの大きなトランクを部屋から出すことさえ苦労しそうだと困り果てていると、ローヴが軽やかに笑い声をあげた。

 

「ディアナ嬢に関してだけは殿下も気持ちを抑えることが出来ないようですね。そのように仰るとは、また殿下がディアナ嬢を困らせることをされたのでしょう」

「殿下は何もされていません。ただ・・・私が欲深なだけです。ですから早く自領に戻りたいと、離れたいと思うのです。これ以上は辛くなりますから」

「辛いとは?」

 

ローヴの柔らかな視線が自分を真っ直ぐに捉え、ディアナは顔を歪ませた。

 

「殿下が伝えて下さった『好き』と・・・・、私の想う『好き』は違うのです」

「ほぉ! 殿下がディアナ嬢に好きと告白されましたか」

「告白ではありません。殿下の御言葉は・・・・この様な私にも呆れずにいると伝えてくれただけで、好意の意味です。でも、私は愚かにも身分を弁えずに・・・・」

「ディアナ嬢、身分など殿下は気にされない御方ですよ。もちろん、国王もですが」

 

楽しげなローヴの声に視界がぼやけ、また涙が溢れそうになっていると気付く。魔法が解けてから涙腺が緩み続けているような気がする。王子の『好意』と自分の『恋情』の違いに、ただ恥ずかしく、そして哀しくなった。

 

「魔法を解いて直ぐ、胸に穴が開いたような喪失感がありました。時間の経過と共に私は落ち着きましたが、殿下から殿下の手や足が勝手に動いてしまうと聞き、魔法を解いた後遺症が続いていると知り驚きました。殿下は後遺症ではないと仰っておりましたが、私が自領に戻りましたら・・・・・時間の経過と共に全て落ち着かれることでしょう」

 

田舎領主の娘にこれ以上王子が係わるべきではない。国王からの好意もレオンやエディ、オウエンからの親切も自分には過ぎることばかりだ。平凡だと思っていた人生に突然舞い降りた出来事は、きっと死ぬまで忘れない。知らなかった世界を体感させて戴いたお礼は自領で大人しく過ごすことだけだ。時折お気に召したというワインを贈らせて貰おうか。いや、そのたびに思い出させるのは申し訳ない。記憶の中からも消えた方がいいだろう。

 

「・・・明日、自領に戻りますが、荷物をどうしようか悩んでまして、ローヴ様にお頼みするのは大変申し訳御座いませんが、馬車の手配をお願い出来ないでしょうか」

「ディアナ嬢はそれで宜しいのですか?」

 

泣き濡れた顔を、それでもしっかりと上げて頷くディアナを前に、ローヴはただ困った顔で見つめ続けた。ギルバードがどんな状況でどんな風に告白したのかわからないが、一筋縄ではいかない相手に惚れたものだと苦笑してしまう。

ギルバードのことだ、きっと「好きだ」を伝えただけで満足したのだろう。

呆れるほど純朴で抜けている少年と、頭を抱えたいほど真面目で控えめな少女のすれ違いの恋に、ローヴは背中がゾワゾワとしてくるとほくそ笑んだ。周囲の皆が二人をどのような気持ちで突いているのかを知ったら、どんな顔をするだろう。ギルバードは自分が弄ばれつつも応援されているのを自覚しているようだが、対象者がこれでは押しが足りないと罵倒されるのは目に見えている。それは余りにも可哀想かとローヴは目を細めた。

 

「今日はお疲れでしょうから、明日のことは私に任せて早くお休み下さい」

「・・・・ありがとう御座います、ローヴ様」

 

純朴と純真相手じゃ、話は進まないだろうなと苦笑を残してローヴは部屋を出た。

 

 

 

 

王城の大広間ではまだ舞踏会が続いているのだろう。

遠くから流れ聞こえて来る舞踏曲を聞きながら、ローヴは身に着けていた法衣に似た衣装と髪をひと撫でし、貴族らしい姿へと変える。衣装を整えたローヴは近くの扉に手を翳して「繋がれ」と呟き、扉を開くと王城にある応接室近くのレストルームに出た。

 

「さて、まずは自分の気持ちは伝えたと自己満足に浸っている殿下の顔を伺いに参りましょうかねぇ。・・・・笑いすぎないよう、注意しなければ・・・・」

 

既に笑いを零しながら歩くローヴだが、酒や音楽で盛り上がる大広間では誰も気にする者はいない。舞踏会はさまざまな者たちと交流を図る場であり、他領地の状況や新しい情報を得ようとする者や、出会いの場として女性を口説く貴族子息、口説かれるのを待つ貴族息女、ダンスを踊る者などがそれぞれ楽しんでいる。その舞踏会場、一段高い場所に設えた席に座る目的の人物を見つけた。

 

気品も威厳の欠片もない緩んだ口元と朱に染まる目尻で椅子に深く座る人物は、隣に座る王女から話し掛けられ相槌を打っているが、きっと内容は頭に届いていないだろう。

 

「ギルバード殿下、もう一曲踊っては戴けませんか」

「・・・・少しワインに酔ってしまったようで、休ませて下さい」

「まあ、確かに殿下の目元が赤くていらっしゃる。では私が扇いで差し上げましょう」

「赤いですか? ・・・・そうですか・・・。いえ、扇ぐのは結構です。王女はどうぞ我が国の者とのダンスをお楽しみ下さい。王女と踊りたいと希う者が熱く見つめ続けておりますので、その願いを叶えて差し上げて下さい」

 

丁度一人の貴族が近寄り、跪いて恭しく王女をダンスに誘う。王女は何度も王子を振り返りながらもホールに足を進め踊り出した。一見すると酔ったように見える王子に、給仕の者が冷たい果実水を運び、王女がいなくなった隙を狙うように貴族息女がじりりと近寄り声を掛けて貰える機会を待つ。

その様子を目にして、想像通りだとローヴは全身を笑いに震わせる。そこへ背後から声が掛かり、振り向くと目を瞠って自分を見つめる王の姿があった。

 

「ローヴじゃないか。お前が舞踏会に参加するとは珍しいこともあるものだ」

「参加する訳がないでしょう。それより陶酔中のギルバード殿下に話があります」

「ああ、陶酔中とは的を得ているな。そうか・・・奴は言うだけ言って満足しているのか。思春期の頃はどっぷり悪意ある噂に振り回され、頑なに政務と鍛錬に明け暮れていた奴を煽るだけ煽ったからなぁ。どうもディアナ嬢には悪いことをしてしまったようだ」

「自覚があるのですか。それは驚きで御座います」

 

ローヴが目を細めて笑いを零すと、咳払いをして王は眉を顰める。

多少引っ掻き回した自覚はあるのか、口を尖らせた王が「しかし」と零す。

 

「あの二人は周囲が動いて突かないと進展がないだろう。放って置いたら何の進展も見られないまま、ギルバードは指を銜えてディアナ嬢が自領に戻るのを見送るだけとなる。やっと自覚出来たと思ったが、政務や接待を理由に暫くは逃げ続けていたしな」

「頑なな性格ですからね。それで、いまのあの顔は?」

 

二人が視線を向けた先には、高座に座り注目を浴びているにも拘らず緩んだ顔を晒している王位継承者がいた。

 

「今のディアナ嬢の心情を知らず、言うだけ言って満足されているようですね」

「・・・・情けない。あれが我が息子かと思うと、全く・・・」

「それと魔法を使われております。感情的に使ったのではなくディナア嬢を探すために短時間ですが、それも少し困ったことです。まあ王の時にアネットも幾度か使っておりますし、審議に掛けるほどのことではありませんが、流石親子と申しますか・・・」

「いやぁ、それを言われると辛いなぁ」

 

少しも辛そうな顔を見せず、逆に僅かに懐かしむような笑みを浮かべた王は、にやけた顔で未だ惚けている王子に視線を向けた。どんな情けないデレ顔をしていても王子は王子。

貴族息女は熱い眼差しを送り、その親たちは娘が少しでも王子の目に留まればいいと、王弟や宰相に話し掛けながら機会を窺う。エレノアはそれらを睥睨しながらも取り繕った顔で澄ましているのが良く判る。

 

「それで、ディアナ嬢はギルバードに告白されて困惑中か?」

「残念なことに彼女には伝わっておりません。どのように伝えたのは存じませんが、殿下がディアナ嬢を探すために魔法を使ったことで自責の念に駆られており、抱き締めるのも魔法で繋がっていたからだと思っていますね。ですから自分が離れたら殿下が魔法を使うこともなくなり、日常が戻って来ると言っておりました。殿下が彼女に伝えた『好き』は恋愛感情ではなく、親愛の情を意味するものだと受け取っているようです」

 

はっ、と短く笑い声をあげる国王にローヴは肩を竦めた。

ギルバードの方はすっかり告白したつもりで満足し、更にディアナがそれを了承したと思い込んでいるように見える。彼女が自領に戻る用意を済ませているとも知らずに、仄かに頬を染めて意識を遠くへ飛ばしている王子を、二人は痛ましいものを見るように嘆息を零した。

しかし、ただ眺めていても仕方がない。

 

「殿下を御連れしても宜しいでしょうか。使節団の接待があるのは承知しておりますが、殿下はともかくディナア嬢をそのままにしては置けません。それに、殿下が激しく意気消沈して、しばらく使い物にならないのも困りますでしょう」

「万が一、魔法を暴走されても困るしなぁ。・・・・まあ、赤い顔をしているからワインを飲み過ぎて体調不良になったとしよう。使節団のことはレオンに引き継がせるから、あの莫迦息子を頼むぞ。それとディアナ嬢には約束を守るよう伝えて置け」

「・・・・・何の約束ですか?」

「一緒に城下を歩くことと、早駆けをする約束だ。その約束を忘れぬように伝えておけ」

 

一方的な宣言を約束とは言わないだろうと思ったが、ローヴは賢くも黙って一礼した。

 

 

 

 

 

 

 

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