紅王子と侍女姫  38

 

 

ギルバードは舞踏曲に乗って踊りを続ける人々の動きを笑みを浮かべながら見つめ、王宮庭園で抱き締めたディアナのことを思い出していた。

やっと・・・・やっと自分の気持ちを彼女に伝えることが出来たという感慨に耽り、踊る人々が自分を祝っているように見え、押さえようとしても口元が緩んでしまう。

 

仄かに頬を染めて見上げて来る彼女も、華やかなイブニングドレスに身を包んだ彼女も、そして真摯な表情で自分を心配げに気遣う彼女も、これからはいつでも側にいる。

嵩のあるドレスを持ち上げ垣根を飛び越えた姿を直に見たかった。彼女らしい彼女をもっと側で見続けたい。その彼女が俺の『好きだ』という言葉に嬉しいと応えてくれた。抱き締めても、頭や手の甲にキスをしても逃げずに微笑んでくれた。

そうか、人は恋をするとこんなに胸が温かくなり、幸せな気分を味わえるのか。

これからの将来を話し合うべきだが、まずは彼女の意見を尊重し、いきなり話を進めることだけはしないと誓おう。魔法は解けたばかりだし彼女はまだ戸惑いの中にいる。ここでの生活にゆっくり慣れて貰い、時間を掛けて学んで貰おう。

もし難しいとか辛いと言うなら東宮にずっといてもいい。

政務の疲れを癒す柔らかな笑みと、たまに菓子を作ってくれたらそれでいい。   

 

「・・・待てよ。滞在が延長することをディアナの両親に伝える書面を送らなければならないか。俺が直々に書いた方が、いや、ディアナと一緒に書いた方がいいな。魔法が解けた祝いを兼ねて、両親を招待するのはどうだろう? その前にディアナに似合いそうなドレスを何着か仕立てた方がいいな。淡い色合いが似合いそうだが濃い色も彼女の色の白さを引き立てて・・・・。おお、レオンが自分好みに飾り立てるという気持ちが少し解かったぞ!」

 

頬を染めながら将来の夢を語る王子の横に立ち、ローヴは額を押さえた。幸せそうな顔で妄想に耽る、余りにも痛々しい王太子殿下の姿に涙も滲み、額を押さえたローヴは身動きが取れなくなった。その強張りを解いたのはギルバードの嬉々とした小さな叫び声だ。

 

「ああ、その前に跪いてのプロポーズか!」

 

今にも東宮に走り出しそうなギルバードに滲んだ涙が零れそうになり、そっと肩を叩いた。きょとんとした顔で振り向いた王子が目を瞬かせ、そして満面の笑みを浮かべる。哀しいくらいに機嫌が良いのが伝わって来て、ローヴは零れそうな涙を留めるために目を閉じた。

 

「殿下、お話が御座います。王には既に許可を頂いており、使節団の接待はレオンが引き継ぐことになっております。このまま別室へ移動願います」

「話? この時間にローヴが俺に話しなど珍し・・・・ディアナに何かあったのか?」

 「御明察ですが、ディアナ嬢の体調に何か問題がある訳ではありませんので、その点は御安心を。ここでこれ以上話すつもりはありません。早々にお立ち下さいませ」

 

強い口調が耳に届き、ギルバードは眉を寄せた。ローヴから強い口調で指示されることなど記憶にないだけに違和感を覚え、頷きを返して席を立ちあがる。

 

 

 

移動した先は大広間から離れた静かな応接室。

ローヴが扉に手を翳して誰も立ち入れないようにしたのが判り、ディアナに関してどんな重要な話しをされるのかと唾を飲む。促されて椅子に座ると、ローヴも椅子に腰掛け優雅に足を組んだ。貴族衣装に身を包んだローヴは見慣れない感じで、ギルバードが所在無げに咳払いをすると、いつもの柔らかな笑みを見せて来た。

 

「さて、楽しげに妄想・・・・いえ、お寛ぎのところ殿下をお呼び立てしましたのは伺いたいことがあってのことです。・・・ディアナ嬢に好きだと申し伝えたそうですね」

 

ローヴの問いに真っ赤になるギルバードだが、躊躇することなく直ぐに大きく頷いた。

 

「それに対してディアナ嬢は何と?」

「ディ、ディアナは・・・・嬉しいと言ってくれた! そ、それが何だ? その確認で俺を呼び出したのか? 本当にディアナの体調に問題が生じた訳ではないのだな」

「はい。それと、先程魔法を使ったようですが、それはどのようなもので?」

 

柔和な笑みを浮かべながら質問を投げ掛けるローヴを前に、覚えた違和感が増すような気がしてならない。しかし魔法に関しての質問ならば、確かに使ったばかりの自分だ。魔法導師長であるローヴに隠すつもりはないと正直に答えようとして、再び問われた。

 

「ディアナ嬢にかけたものではないようですが、しかし彼女は泣かれておりましたよ」

「・・・え。何故?」

「何故と仰るのですか? 泣かれている理由はディアナ嬢に直接尋ねた方が宜しいでしょう。しかし、彼女は明日にでも急ぎ自領に戻りたいと荷物をまとめておりました」

 

ローヴの言葉に立ち上がり駆け出そうとするギルバードだが、足が縫い付けられたように動かない。いつの間に魔法をとローヴを睨み付けると、目を細めて観察するような視線で悠然と足を組み替える。手を翳して魔法を解こうとするが弾き返され、苛立ちに手摺りを叩き付けるしか出来ない。

 

「ローヴ! ディアナに尋ねろと言ったのに、行かせないのは何故だ!」

「まずは話をお聞き下さい。・・・・・ディアナ嬢は殿下が魔法を使ったことに気付き、罪悪感を抱いています。それと殿下の言った『好き』ですが、それは告白ではなく、自分にも好意を向けてくれる優しい王子と受け止めており、殿下の御気持は届いておりません」

「・・・・え? う、嬉しいと言ってくれたが」

「それはそうでしょう。自国の王子に『好き』と言われ、嬉しく思わない者はおりません。また、嬉しくなくとも正直に答える者もいないでしょう。それも魔法を解くために迷惑を掛け続けたと思っているディアナ嬢なら尚のことです。まあ、彼女は王子からの好意を素直に嬉しく思ったそうですがね」

 

開いた口をそのままに、ギルバードは力なく椅子に身体を預けた。

確かに好意は好意だが、ディアナに伝えた言葉の意味は恋愛感情の『好き』だ。自分では気持ちを伝え、それが通じたと思っていたが、彼女が受け取った意味が違うと知り頭の中が真っ白に染まる。その上、ディアナは魔法を使わせてしまったと罪悪感を覚え自領に戻ろうとしていると聞き、もしかして手が勝手に動くと言ったのもまだ後遺症だと思い込んでいるのだろうかと項垂れた。

 

「・・・ローヴ、ディアナと話し合いたい。足を動かせるようにしろ」

「このままの勢いで彼女の部屋に飛び込んだ殿下が問い詰めるような真似をなさらぬよう、もう少し落ち着くまではそのままで。好きだと叫びながら抱き締めるようなことが無いように、ましてやそれ以上の事に及びませんように・・・・いや、ディアナ嬢はそれも魔法の後遺症だと思い、抗うことなく殿下に身を委ねるかも知れませんねぇ」

「そ! そんなことは・・・しないっ!」

 

言われた内容に真っ赤になり憤怒するが、抱き締めるくらいはするだろう自分が容易に想像出来て知らず視線が床へと下がってしまう。

ローヴがハンカチを出して小テーブルに置き、摘み上げると薫り高い湯気を立たせる紅茶が姿を見せた。ゆっくりと口へ運びながら、ローヴはギルバードから視線を外さない。

 

「・・・・俺はディアナ嬢にここに、俺の側に居て貰いたい。好きだという気持ちが伝わっていないなら伝わるまで、受け取って貰えるまで伝えたい」

「あの頑ななまでに遜っている彼女が、未来の王太子妃になる道を選ぶと?」

「それが・・・・問題だが、俺はディアナがいい・・・・」

 

頑是無い子供のような顔で呟きを落とすギルバードを前に、ローヴは口端を歪ませる。

普段は真面目なほどに真摯に政務に従事し、また王宮騎士団の副団長として鍛練を欠かさない王子が真っ直ぐな気持ちで彼女を求めている。対するディアナも呆れるほどに真面目な性格だ。このままでは間違いなく平行線になるだろう二人の話し合いを想像し、苦笑を漏らすと今度は睨まれた。

 

「そうですねぇ・・・・。最近開発した薬があるのですが、お使いになりますか?」

「魔道具など使うか! ローヴが言うのはアレだろう? 惚れ薬とか、媚薬とか、レオンが作って欲しいと以前から申請しているという怪しげなモノだろう?」

「怪しげとは失礼な。それにレオン様からの申請は惚れ薬ではなく、心の奥底に隠したことを素直に喋れるようになる薬ですよ。所謂『自白剤』です。まあ、似たようなものと言えますかねぇ。そちらは完成しておりますが、使われますか?」

「似てるか! それに使わないと言った!」

 

吐き捨てるように言い放った後で僅かに眉を寄せるから、ローヴは堪え切れなくなって大笑いを始めた。使った場合を少しは想像したのだろう、顔を背けて口を尖らせる姿に笑いが止まらない。ギルバードがソーサーでも投げ付けてやろうかと睨み付けると、ローヴが肩を揺らしながらも漸く笑いを止めた。

 

「殿下、少しは落ち着かれましたか? 殿下からの言葉を彼女は『好意』と捉え、そして魔法を使わせたことを申し訳ないと、自分は早く離れた方がいいと考えております」

「・・・魔法は彼女を探すために確かに使ったが、申し訳ないと思うなんて・・・。それと抱き締めてしまうのはディアナが好きだからだと、離したくないからだと言ったのに」

 

視線を床に落としたまま呟きを零すギルバードの肩をローヴが叩くと、そろりと顔を上げて薄く口角を持ち上げて「そうか」と呟き、再び視線を落とした。

 

「好きという気持ちは彼女に通じていなかったという訳か。その上、ディアナを探すために使った魔法に罪悪感を・・・・。ローヴ、俺はディアナと話がしたい」

「誤解は早々に解いた方がいいでしょう。もう・・・、落ち着かれたようですね」

 

縫い止められていた足が自由になり、ギルバードはゆっくりと立ち上がった。足元に視線を落としたままで暫く動かずにいたが、顔を上げると切なげな笑みをローヴに向ける。

 

「王が『自分が発する言葉に責任を持て』と言った意味が少しだけわかる。相手に伝わらなければ意味をなさない。中途半端に彼女を混乱させた自分に腹が立つ」

「確かにディアナ嬢は混乱されているでしょう。そして魔法学を思い出して下さい。何度も繰り返して殿下にお教えしましたよね。魔法の乱用と悪用を防ぎ、世のバランスを崩すことを許しません、と。それが魔法を使う者の基本だと」

 

顔を上げてローヴを見つめる。ディアナを探すためとはいえ、自分は自らの意志で魔法を使った。それは初めてのことではあるが、悪いとは思っていない。乱用でも悪用でもないが、ローヴの言葉に大きく頷きを返した。

 

「小さなことです。殿下の母親が使った魔法に比べれば、本当にささやかなこと。ですが気を付けなさい。殿下にはその力があり、ディアナ嬢を引き留めたい気持ちが大きければ大きいほど、望むように使ってしまわぬよう押し留める自制心が必要だと」

「俺が魔法で無理やり捻じ曲げたディアナの心を望んでいるとでも? ディアナには自分の気持ちを言葉で伝えるつもりだ。何度でも、伝わるまで、心を込めて。心を伝えるのに魔法は使わない。しかし確かに探すために使ったことは認める。悪かった、ローヴ」

 

仄かに笑みを浮かべて自分の握った手を見つめるギルバードに、ディアナも王子が好きですよと伝えたくなる。後押しをしたくなるのは真っ直ぐで無垢な心が輝いて見えるからだ。くすぐったいような気持ちと羨む気持ちが混ざり合い、いつまでも見ていたような、それでいて目を逸らしたい気持ちにさせるから背を押したくなる。

 

「では殿下の御心のままに行動されなさい。・・・あ、王より伝言が御座います」

「・・・・聞きたくはないが、何だ?」

「ディアナ嬢へ『一緒に城下を歩くことと、早駆けをする約束を忘れぬように』と、伝言をお届け下さい。王なりに、彼女の滞在を伸ばそうと御考えになられたのでしょう」

「・・・・・俺より先に約束をしたのか」

「単に殿下が抜けているだけのこと。さあ、ディアナ嬢が寝てしまわれますよ」

 

ムッとした顔を見せた後、ギルバードは扉を開けて駆け出して行った。生まれた時から見て来た王子の成長が面映ゆいくらいに楽しいとローヴは笑い、そして思い出した。

 

「ああ・・・・ディアナ嬢は夜着・・・・でしたねぇ」

 

彼女の稚い姿に、落ち着いたはずの血が再び逆上せなければいいのですがと苦笑するが、もちろん追い掛ける気はない。あとは二人だけの問題で、そこに足を踏み入れるなど馬に蹴られてしまうだけだ。

舞踏会場に戻りながら、久し振りに貴族らの裏側の会話を耳にしてみようかと、ローヴは薄く笑みを浮かべた。

 

 

 

 

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