紅王子と侍女姫  39

 

 

茹り切った頭を冷やそうと、ギルバードは王宮から東宮までを早足で進む。

広大な敷地を有する王城だが、歩いて行けない距離ではないし、夜気に頭が冷えるから丁度いいと黙したまま歩く。その頭の中では戸惑い泣き濡れた顔を俯けるディアナがいて、同時に自分の言葉が通じなかった事実に項垂れ、また追い詰めてしまったことに落ち込んだ。

廊下で思わずしゃがみ込み、頭を掻き毟る。

 

「あああああ! 口説くって何だ! 女性心理など、どう理解したらいいんだ!」

「殿下! 何かありましたか」

 

近くを巡回中の近衛兵が駆け寄って来るから、毅然として立ち上がり手で追い払う。

敬礼をして去っていく衛兵を見送り、ギルバードは急ぎ場を離れた。

知りたいのは女性心理ではなく、ディアナの本当の気持ちだ。自分が王太子だから好きだ、敬愛していると言われても素直に喜べない。しかし、振り返ると確かに一方的に『好きだ』と言い放ち、ディアナの『嬉しい』に舞い上がっていた自分がいた。

言葉の真意に気付かず、惚けた状態で彼女を王宮庭園に置き去りにし、自分の幸せに酔い痴れてプロポーズの言葉を考えながら宴席に座っていた自分。

 

「あああああ! すごっく恥ずかしい奴じゃないかぁ!」

 

王宮と東宮を繋ぐ回廊で円柱に縋り付きながら叫ぶと、また近衛兵が駆け寄って来た。

ただの独り言だと追い払い、腕で顔を隠しながら早足で場を離れる。

まずは好意で好きなのではなく、ディアナに対して恋愛感情を持っているのだと伝えたい。自分の側にいつまでもいて欲しいのだと、微笑みを見ていたのだと伝えたい。この気持ちが彼女に伝わるよう、何度でも繰り返す時間が欲しいとお願いしたい。

他に好きな男がいないと言うなら、自分をその対象として見て欲しい。

 

「・・・・好きな男がいないって言っていた。俺も好きじゃないということか?」

 

東宮に入った途端、自分の考えに愕然として床に膝をつく。

東宮近衛兵が驚いた顔で駆け寄って来るが、追い払う気力も尽きたようで助け起こされてから「大丈夫だ」と呟き、壁に凭れた。

彼女の言う『好意』が『恋愛感情』に移行するような素晴らしい口説き文句はないものかと考えるが、直ぐに浮かぶ訳でもない。

兎に角、ディアナに会おう。いや、会うべきだ。彼女の顔をしっかりと見つめ、正直な自分の思いを心を込めて伝えようと、頭の中を真っ白にしたまま足を進めた。

 

ディアナの部屋前に来て、扉を叩こうとして持ち上げた手が止まる。

まず最初に何と言おうか。

さっきは御辞儀をした彼女の頭や手にキスをして、意気揚々と笑顔で別れたばかりだ。自分の気持ちが伝わったと思い込み、許可も無く不埒な真似をして別れたばかりの自分を思い出し、恥ずかしさに項垂れて扉に頭を押し付ける。

 

好きだという気持ちを受け取って貰えず、ディアナが自領に戻る姿を見送る自分を想像して胸が重苦しくなり、どうしたらいいのか判らなくなる。自分では妃など無理ですと深く頭を下げるディアナが何度も脳裏に浮かび、ではどうしたらいいのだろうかと考えるも何も思い浮かばない。

今までは相手側から押し付けられるような形で妃推挙の話を持ち込まれていたが、自分から望むとなると果てしなく高い壁に臨むようだと手を眺めた。

魔法を使ってディアナを探したことに後悔はない。しかし、魔法を使ったことでディアナが罪悪感を覚えていると聞けば、浅慮な自分の行動が悔やまれる。

何をどう言えばいいのか、まとまらない考えがグルグル回る頭を思い切り扉に打ち付けると、部屋の中からディアナの悲鳴が聞こえて来た。

 

「あの・・・・ローヴ様ですか?」

「あ、いや! 驚かせて悪い。・・・・起きているなら、少し話をしたいのだが」 

何故か頭で盛大にノックした形になり、痛みを訴える頭を真っ白にしたまま慌てて背を正す。パタパタと彼女の足音が聞こえ「開けます」と声が掛かり、ゆっくりと扉が開く。扉を開けてくれたことに安堵すると同時に、見えて来たディアナの姿に思わず目を瞑った。

舞踏会から部屋に戻り、そしてこの時間だ。夜着になっていて当然だろう。

毎回毎回、どうして先触れをしないのだとギルバードは開いた扉の角に頭を叩き付けた。

 

「殿下っ!? ど、どうなさったのですか? 大丈夫で御座いますか?」

「・・・・自己嫌悪に陥っただけだ。心配は必要ない」

 

突然の奇行に驚き心配げなディアナの声に申し訳ないと思いながら、この場で話をしているとディアナの夜着姿を巡回警護兵に見られる可能性があるという『言い訳』を思い付き、部屋に入ることにした。見るとベッドの横にトランクが置かれ、その上にデイドレスが一着用意されている。何故かソファに毛布があり、眉を寄せて眺めているとディアナは慌てたように畳んでトランクの上へと移動する。

 

「あの・・・・、お話とはどのようなことで御座いましょう」 

ガウンの裾を持ち上げて腰を折ろうとするディアナをソファに座らせると、視線を下げたまま顔を見せようとしない。ギルバードは隣に座りそっと彼女の手を取った。

 

「ローヴから話を聞いた。明日、ディアナが自領に戻るつもりだと。俺が使った魔法に罪悪感を持ち、ひどく泣いているとも聞いた。それで、ディアナと話がしたくて来た」 

握った手がビクリと震える。それはローヴから伝えられたことが事実だと、ディアナが使われた魔法に罪悪感を持っていると、それにより泣いていたと教えてくれた。

震える彼女の手を強く握り締めそうな自分を制して、ギルバードは大きく息を吐く。

 

「・・・王から伝言があるそうだ。城下を一緒に散策する約束と早駆けをする約束を忘れないで欲しいと言っていた。俺もディアナと城下町を一緒に歩きたい。願いを叶えてくれるか?」

「大変・・・光栄では御座いますが、出来ることなら御遠慮申し上げたいと思います」 

思った通りの答えが返って来て、ギルバードは唇を噛む。入浴したのだろう、艶やかなプラチナブロンドから目が離せず、細い肩を抱き締めたくなる。

 

「あ・・・あのな、さっき俺が言った『好き』は、本当にディアナのことが好きだと、それを解かってもらいたいと思って伝えに来たんだ。だから、あの・・・・」

「・・・・」 

俯いたままのディアナの顔が見たいと顎に手が伸びそうになり、それは駄目だと手の動きを抑えようとして、却って握っている彼女の手を強く握り緊めてしまう。慌てて力を緩め、まずは態度ではなく言葉で伝えなければと沸騰しそうな頭で言葉を考えて紡ぐが、ディアナは俯いたままで顔を上げてくれない。

 

「お、俺が言った好きは、ディアナが好きということで、つまり・・・・だ、抱き締めてしまうのも魔法の後遺症ではなく、確かに好意は好意だが、その、俺の言いたい好きは、ディアナのことが、だ、大好きだという意味だと判って貰いたい!」

 

ピクリとディアナの肩が揺れ、唇が僅かに開いた。伝わったかと高鳴る動悸に手が震えそうになり、浅い呼吸を繰り返す。逡巡するように彼女の唇が結ばれ、そして再び開いた。 

「殿下からの御言葉・・・・大変嬉しく、とても光栄で御座います」 

その言葉に安堵し力が抜けそうになるが、俯いたまま震えるディアナに気付き、眉が寄る。

 

「ディアナ。・・・・言っていることが通じているだろうか」

「はい。殿下からの御言葉、とても嬉しく思います」

「・・・・俺はディアナが好きだと言った」

「はい。私も殿下を御尊敬申し上げます」

 

俯いたまま更に頭を下げてゆくディアナの肩を掴み、顔を上げさせた。驚きに目を大きく見開き、じっと見つめて来る彼女を前に顔が歪みそうになる。どのくらい泣いたのか、目尻が紅く染まっているのがわかり、指を伸ばす。顔を背けようとするから肩を掴む手に力を入れて、動かずにいて欲しいと口にすると視線を落として頷かれた。

 

「俺は・・・何度もディアナを泣かせているよな。ディアナを探そうと魔法を使ったのは確かだが、衝動的に使ったつもりも悪いことをしたつもりもない。ただ・・・・言葉が足りなかったと反省している」

「いいえ。殿下の前から突然駆け出すなど、貴族息女にあるまじき行動を取った私が迷惑をお掛けしたのが原因で御座います。大変申し訳御座いませんでした」

 

紅い目尻を指でなぞっていると、ディアナから震えが伝わって来る。よどみない言葉とは裏腹に、未だ侍女のような物言いと仕草に胸が痛んだ。

 

「・・・俺が魔法を使ったのはディアナを離したくないと思ったからだ。ディアナに何度好きだと伝えても言葉が足りないような気がして、つい抱き締めてしまう。初めて好きになった女性がディアナで、俺はとても嬉しい。俺の言っている好きは、そう意味での好きだ」

「・・・え」

 

大きな碧の瞳が俺を見上げる。零れ落ちそうな宝石を受け止めようと、眦をなぞっていた手を頬に移し、そっと包み込んで繰り返した。

 

「俺はディアナが好きだ。ディアナにずっと側に居て欲しいと思っている。俺と結婚して、俺の妃になって欲しいと希う。・・・そういう意味での好きなんだ」

 

大きく見開いた碧の双眼が真っ直ぐに俺を見つめる。指先に触れる柔らかに濡れた感触を撫でると、まとめ上げられていた髪が解けて静かに肩へと流れ落ちた。

細く開かれた唇を見つめながら、彼女から零れ落ちる言葉をじっと待つ。

幾度か瞬きをしたディアナが視線を泳がせた。ギルバードが頬を包み込んでいるため顔を下げられずに、困った表情で唇を閉じる。このまま強く抱き締めてしまいたい衝動を抑えつつ、激しい鼓動が聞こえないよう願いながら待っていると、ディアナから掠れた声が聞こえて来た。

 

「で、殿下にはエレノア様や・・・王女が・・・それに、他にも妃候補の方々がいらっしゃると聞いております。エレノア様は未来の正妃になられると仰っておりましたし、他の国の王女も多く名が挙がっていると聞いております・・・」

「違う。俺が望むのはディアナだけだ。・・・・この望みを叶えてはくれないか?」

「そ・・・それは、無理で」

「俺はディアナに側に居て欲しい。ディアナが好きだから、一緒に居て欲しい」

 

目の前の王子からの言葉にディアナは困惑した。頬を包まれたまま、強張る身体が震えそうになる。これは夢なのかと、それとも王宮庭園から自分はずっと魔法にかかったままなのかと震えそうになる。

自国の、それも大国の王子から告げられた言葉の意味が理解出来ない。自分は何て大それた夢を見ているのだろうか。目を開けながら夢を見るなんて、それも頬を包む手から温かさを感じる夢なんて初めてだ。

 

「王女・・・と踊っていらした殿下は、とてもお似合いで」

「もう踊るのはディアナだけにする。ディアナ以外と踊りたくないし、ディアナが他の者と踊るのを見るのも厭だ。例え王でも、無理だ」

「エレノア様は・・・・殿下の婚約者で、未来の王妃だと」

「そんなのは戯言だ。第一エレノアは俺を心底嫌っているし、婚約など俺は承認した覚えはない。それに関しては王にも苦言申し立てた。俺に婚約者などいないから!」

「た・・・他国からたくさんの妃推挙の話があると」

「確かにあるが、受けたことはない。俺の妃は俺が決める。望むのはディアナだ」

「いえ・・・・それは無理、です」

「無理じゃない! 好きな人と一緒になるのが一番だと俺は思っている。結婚するなら好きな相手としたい。そのための努力なら幾らでもする。ディアナのためなら・・・・・俺は何でも出来る気がする」

 

肩を掴む王子の手が熱い。いや、この熱は自分が発しているのだろうか。

耳に入る言葉の意味を理解してはいけないと思うのに、王子が何度も好きだと繰り返すから動悸が激しくなり目が回りそうになる。まるで大鍋で煮詰められているように熱くて熱くて逃げ出したいのに、目の前の黒曜石のような双眸から目が離せない。

王子が私を好きだと真摯に伝えて来る。

数多の王女や貴族息女が待ち望む言葉を自分に向けて繰り返す。胸の鼓動が抑え切れないほど跳ね回り、身体中が熱くて息が上手く出来ない。肩から離れた王子の手が背に回り、強く抱き締められる。こうして何度も王子の腕の中に捕らわれる内に、心まで囚われたのだろうか。引き寄せられたディアナはグルグル回る頭の中で好意と好きの違いを探す。

 

「俺はディアナを・・・・あ、あ、愛しているんだ!」

 

頭上から落とされる言葉に頭の奥がぐらりと酩酊する。晩餐で飲んだワインがまさか今頃になって廻って来たのかしらと目を閉じると、頭に何かが押し付けられた。背が撓るほどに抱き締められ、きっと自分はワインに酔っているのだと、だから王子に凭れ掛かっていてもいいだろうと全身から力を抜いた。 

 

腕の中のディアナから強張りが抜けていくのを感じる。跳ねる鼓動で耳鳴りがしそうだと思いながら、必死に言葉を紡ぎ続けた。レオンのように上手い口説き文句など思い付くことも出来ず、ただ思い浮かぶ言葉を必死に口にする。ディアナを抱き寄せてから、また不埒な真似をしてしまったと思ったが、腕を解く気になれない。

もう、彼女を離せない。離す気などない。

柔らかな身体を包み込むだけでは満足出来ずにディアナの頭にキスを落とし、落とした後で許可もなくまたやってしまったと羞恥を誤魔化すように抱き締める腕に力を入れた。

 

「ディアナは・・・・俺が抱き締めたりするのが厭じゃないだろうか」

「・・・いや、など・・・・思っておりません」

「少しは、その・・・・恋愛感情を持ってくれるだろうか」

 

答えを待つギルバードは、乾いて貼り付いたような咽喉に無理やり唾を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

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