紅王子と侍女姫  41

 

 

羞恥に身悶えしながら顔を隠しているとベッドが軋み、僅かに眉を寄せたディアナが肘で体を起こそうとするのが見える。何があったのかまだ解らないような顔で、浅く息をしながら焦ったように起き上がろうとしていた。

 

「も・・・、申し訳ありません、殿下。もう大丈夫で御座います」

「いや、まだ起きるな!」

 

揺らぐディアナの肩を押さえて、まだ寝ていろと伝えるつもりだった。それなのに手が押さえ込んだのはディアナの胸だ。思ってもみなかった柔らかな感触に固まるギルバードと、朦朧としてそれを見つめるディアナは、静まり返った部屋でゆっくりと目を合わせる。

沈黙が重く圧し掛かる中、そろりと胸から手を離して口を開いたのはギルバードだ。

 

「も・・・・申し訳ない。わ、ワザとでは・・・ないのだが、その」

「わ、判っております。・・・・殿下は私を御心配されて、あの」 

ガウンを掻き寄せてベッドから慌てて降りようとするディアナが狼狽の余り膝から落ちそうになり、急ぎ手を伸ばして抱きかかえ、ギルバードは再び固まってしまった。勢いでキスをしてしまったが、ディアナから許可を貰ったかが思い出せない。その上事故とはいえ胸に触れてしまったと、頭の中では溶岩流が流れるほど沸騰している状態。

 

「その・・・い、今も、ディアナから許可を貰う前にキスをしてしまったが・・・あの、ディアナは俺とキス、するのは厭じゃ・・・ない、か?」 

腕の中でびくりと震えが伝わり、許可もなく口付けをしてから俺は何を訊いているんだと、自分の愚かさにギルバードはこのまま遁走したくなる。しかしディアナを抱きしめる腕を離すことが出来ず、唾を飲み込み話しを続けた。

 

「な、何度もディアナを抱き締めたりキスするのは、ディアナが好きすぎて勝手に動いてしまうんだ! あ、これは魔法の後遺症じゃないぞ。好きだからだ。ディアナが好きでキスしたいなと、抱き締めたいなと思っていると、気付けば、あの・・・・」

 

王子の大きな声とその内容に、ディアナは胸が詰まり息も出来ない。鍋で煮詰められていた自分が今度は火で炙られているようで、頬だけでなく全身が熱くて仕方がないと思った。好きだと繰り返されながら王子に身体を抱き締められ、ここ半月程で何度抱き締められたのかしらと、考えが違う方へ走り出す。

好きだと繰り返される言葉に惚けていると、王子の手が髪を優しく梳き始めた。

 

「ディアナ・・・。俺とキスするのは厭じゃ・・・ないか?」

「・・・・厭など、思いません」

「今も許可なくしてしまったが、怒ってないか?」

「・・・・怒るなど、致しません」

「お、俺のことが好きだと言った。それは恋愛感情を含んだ好きだと、そう受け止めていいのだろうか。俺ばかりがディアナを好きだと、そうではないんだよな?」

「私も・・・・殿下が好きです」

「俺の側に、ずっと一緒に居たいと思ってくれるか?」

「・・・・殿下の御側に居られたら幸せだと、思います・・・」

「居て欲しいと望めば、叶えてくれるだろうか」

「・・・・殿下にそのように望まれるのは嬉し・・・・え?」

「じゃあ、一緒に居よう! ディアナ、一生側に居てくれ。絶対、幸せにする!」

 

惚けた頭で自分は何を言ったのだとディアナが息を飲んだ瞬間に強く抱き締められ、王子の胸に顔が押し付けられた。慌てて胸を押し、顔を上げると嬉しそうな笑顔でキスをされる。

 

「ディアナの気持ちが嬉しい。・・・・一生、大事に慈しむから」

「あ、あのっ! む、無理で御座います! 御許し下さい!」

 

一気に蒼褪めたディアナが急ぎ低頭して首を振ると、ギルバードが肩を掴んで顔を覗き込んできた。何を言われたか、自分がどう返事をしたかをディアナが頭の中で繰り返していると、嬉しそうな声が耳に届けられる。

 

「好きだと言って貰えて・・・・幸せだ」

「あ、あ・・・・。わ、私の気持ちと殿下の妃は別で御座います!」

「どうしてだ。好きな者同士が結婚するのが一番いいに決まっている」

 

結婚の言葉にディアナは固まってしまう。低頭したままの顔が持ち上げられると、目の前には蜜を溶かしたような笑みを浮かべる王子がいて、その嬉しそうな顔に胸が痛くなる。

駄目と言うより無理だと首を振るが、王子は大きな手でディアナの頬を愛おしげに撫でながら笑みを浮かべ、大丈夫だと繰り返す。

 

「ディアナが俺の妃になってもいいと思ってくれるまで俺は待つ。待てる。だが、時々でいいからキスの許可が欲しい。い、今更と思うかも知れないが、これからはちゃんとディアナに伺ってからキスするようにするから!

「ほ、本当に無理なのです! 私は長い間侍女として働いておりました。ですから貴族息女の教育も振舞いも未熟なままなのです。殿下への気持ちと、それとは別で御座います!」

 

王子の腕を押して必死に無理だと訴えるが、嬉しそうな顔は崩れない。

どうしてこうなったのだろうかと蒼褪めたディアナが王子を押し退けて立ち上がろうとするが、抱き締められてしまい、逃げ場を失ってしまう。

 

王子に好きと言われたことは嬉しい。好意以上の気持ちを告げられ、心臓が止まりそうだとディアナは思った。だけどそれ以上は無理だ。必死に王子の腕から逃げようとするが、息が上手く出来ずに苦しさが増す。怖い・・・・と背に這い上がる思い。両親や姉たちは互いに好きな者同士が結ばれた。侍女の立場で祝いの席に出たことは苦しかったが、見ていて気持ちの良い嬉しいことだと思う。

自分の将来など、一生侍女として城で従事出来たらいいと考えていただけで、他には何も考えたことはなかった。ましてや王城に来ることになるなど、東宮で世話になるなど、王子に好きだと言われるなど考えたこともない。

 

「本当に・・・あの、御許し下さい。わ、私は田舎領主の娘です・・・。殿下の御側に居ることさえ夢のようで御座いますのに、これ以上は考えることも」

「考えて欲しい。身分など考えずともいいから、頼むから側に居て欲しい」 

王子に幾ら請われても立場というものがある。

王子が王女と踊る姿を見て辛いなど、口に出すべきではなかった。夢だと思って心の想いを吐露した自分を消してしまいたいとディアナは首を振る。

 

「俺の望みはディアナが側に居てくれることだけだ。ディアナだけを望み、他は望まない。お願いだ、ディアナ。・・・好きだと言ってくれて、俺は本当に嬉しかったんだ」

 

抱き締めた腕の中でディアナが抗う。上手い口説き文句も浮かばず、ただ逃げないで欲しいと抱き締め続けるしかない。 

「十年前からずっとディアナが気になっていた。あんな短い時間でと思うかも知れないが、本当に自分が為すべきことを忘れるほどディアナと過ごした時間は楽しかったんだ。それなのに・・・・その時間を壊したのは自分自身だ」

「そ、それは私が不用意な言葉を殿下に伝えたからで」

「ディアナは見たままを口にしただけだ。あんなにも感情を爆発させるなど、あってはならないことだ。それだけディアナに気を許していたのだろう。だからこそ感情が抑えられないほどに爆発したんだ。俺が未熟者なだけだ」 

ギルバードはお願いだと繰り返す。

 

「時間をくれないか。本当に身分など気にすることなどない。気になるのはそれだけか? しつこいと・・・・俺を嫌いにならないか?」

「殿下を嫌うなど、ありません。だけど私では!」

「頼む、ディアナ。時間を・・・、ディアナを納得させる時間をくれないか」

 

切ない声色にディアナは胸が痛くなった。抱き締める腕から伝わる熱と、繰り返される懇願に先を考えることが出来なくなる。互いに同じ言葉を繰り返し、一向に話は終わらない。

互いに自分の意見を譲ることなく、平行線を辿っているだけだ。

ディアナは王子からの時間が欲しいという言葉に唇を噛む。時間の経過とともに解かって貰えるかも知れない。何も持たない自分では王子に添わないと。

そう考えるだけで胸が裂かれるように痛むが、このまま断り続けても埒が明かない。

本来なら目を合わすこともなく声すら聞くことがないはずの王太子殿下と自分が出会うことになったのは、自分たち家族が王城に招かれ、そこで自分が勝手に庭園に足を向けたからだ。王子の人生を間違った方向に捻じ曲げたのは自分だ。このままでいい訳が無いが、互いの話は同じことの繰り返しが続く。

ディアナは一度目を閉じて息を吐いた。

 

「・・・・殿下が御納得されるまで、御付き合いさせて頂きます」

 

途端背から離れた手に強く肩を掴まれ顔を覗かれる。間近に迫った王子の顔に目を瞠ると、ひどく安堵した表情が見え、どうしてとディアナは泣きたくなった。

どうして自分に王子がここまで執着するのだろう。

それはやはり魔法の影響としか思えない。高貴で清廉な王太子殿下が、田舎領主の娘に懸想するなど有り得ない。最初に迷惑を掛けたのは自分だ。王子のことが好きだからこそ正さなければならないとディアナは眉を寄せた。

 

「ディアナの憂いを俺は絶対に晴らすから。だから・・・心配はいらないから」

 

ギルバードは今にも泣きそうな顔のディアナを前に、胸が痛んだ。

どう伝えたら解かって貰えるのか。

憂いなく、身分を気にせずに側に居てくれると頷いてくれるだろうか。それは政務よりも難しく鍛錬よりも苦しく、しかしそれでも心から望むのだ。ディアナが欲しいと。

 

言葉は貰えたが彼女の表情を前にすると不安が残る。ディアナから離れたくはないが、ダルドード国使節団の接待をレオンに任せたままだ。耳を澄ますと遠くから円舞曲が聞こえてくる。一旦宴の席に戻り、自分がすべきことを終わらせた方がいいのは解かる。自分の責務を思い出せば、このままディアナを抱き締めている訳にはいかない。

 

「寝ようとしているところに来て申し訳なかった。俺は一度舞踏会に戻らなきゃならないのだが、ディアナ・・・・。ほ、本当に付き合ってくれるか? まとめられた荷物が気になるのだが、あれは解いてくれるか? 俺が納得するまで・・・・本当にいてくれるか?」

 

王子の問い掛ける声が胸に響く。駄目だと、無理だと思うのにその声色と懇願に泣きたいくらいに嬉しくなる。優しい王子に添うべき女性は他にいる。もっと陛下を幸せに出来る、そして国のためになる女性が、王子とお似合いの方がいらっしゃる。それに王子が気付くまででいい。側に居られるなら、黒曜石のような瞳を見ていられるなら、こんな幸せはない。

 

ディアナが頷くと、安堵の息が王子が漏れ、手を握り締めたまま持ち上げられた。手の甲にそっと触れるだけのキスが落ち、それが泣きたいほど嬉しいと瞼を閉じた。

今の現実がすべて夢だと言われても自分は幸せだ。いや、これが夢だったらいい。

目が覚めたら自領の城で、そして侍女服を着て厨房に向かう。そんな日常が当たり前の世界に戻れたら・・・・・・。他には望まない。もう二度と誰にも迷惑を掛けたくない。

 

王子が退室され、 ベッドに出来た皺を丁寧に直し、ソファで毛布を広げて寝る準備をする。

ふとテーブルの上に置かれたままの宝飾に目を留め、明日にでも贈ってくれた皆さんに丁寧に挨拶をして、そしてお返し出来ないかと考えた。自分には分不相応な品々だ。

しかし、この考えも貴族息女らしくないと思われるかも知れないと、肩を落として息を吐く。

やはりどう考えても王子の想いに応えることは無理だと、ディアナは胸を押さえた。

 

 

 

 

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