紅王子と侍女姫  42

 

 

ギルバードが未だ続く舞踏会が催されている大広間に戻ると、直ぐにローヴが近付いて来て恭しく一礼し、場所を移動して話があると言って来た。その視線に「否」は許されないと知り、ギルバードは小さく頷き、案内された天蓋で覆われた場所へと足を踏み入れる。そこには王がいて、鷹揚と椅子に腰掛けワイングラスを傾けていた。 

 

「お前、まさかディアナ嬢に襲い掛かったりはしていないだろうな」

「し、して・・・いません・・・」 

 

語尾が弱くなるのは仕方がない。その上視線を逸らしてしまったギルバードに大仰な嘆息が聞こえ、羞恥に項垂れたくなる。彼女に襲い掛かることはしなかったが、はっきりとした許可もなく深い口付けをした自分だ。更に胸に触れてしまった。あれは事故だとディアナも判ってはくれただろうが、触れたことは事実。その手に視線が向きそうになり、ギルバードは慌てて強く握り締める。 

 

「して、その後ディアナ嬢の憂いを拭い去ることは出来たのか。全く・・・女性一人口説き落とすことも出来ずに、この先の執政は大丈夫なのだろうか」

「く、口説く方が難しい! 俺の、いや、私の気持ちはきちんと伝えました。一方的にではなく気持ちを込めて伝え、彼女も好きだと言ってくれました」 

 

幕の向こうから軽快なリズムのワルツが聞こえて来る。早いテンポの舞踏曲に貴族からも歓声が上がり、そろそろ舞踏会も終わりに近付いているようだ。レオンに任せたきりの使節団にも挨拶に行かなければならない。明日の午後から貿易に関する話し合いもある。ディアナも気になるが、しなければならないことが山積しているのを重々承知している。

だからこそ時間をくれると言ってくれたディアナに感謝した。

少しでも時間を作り、足蹴く通って話をしよう。彼女が憂う蟠りも悩みも、全て自分が拭去り、そして彼女から本当の笑顔を向けて貰いたい。 

 

「ディアナ嬢がお前を好きだというのは、王子としてのお前に好意を持っているという意味らしいな。それを違う意味で捉え翻弄し、泣かせたそうじゃないか。肝心なところが抜けているというか、押しが弱いというか・・・・。女性を泣かせるなど、以ての外だ」

「・・・・それに関しては・・・誤解を解きました。好意以上の感情を持ってくれているとディアナは心の内を話してくれました。しかし、それ以上は・・・」

 

ギルバードは唇を結び、眉を顰める。

好きだから一緒にいたい。側にいて欲しい。共に過ごすために結婚を。

自分が当たり前に思っていた想像は、だけど彼女の中では別次元の話で、好きだからこそ離れると考えている。俺が他の女性と共にいるのを見ているのが辛いと、この先の妃推挙を見ていたくないと思うからこそ、自領に戻りたいと願っている。

王子に求婚されることは想像もしていないと蒼褪め、困惑しながら必死に無理だと繰り返していた。側に居られたら幸せだと口にして、だけど一緒にいることは頑なに拒む。

 

妃になるのが厭なのだろうか。王太子妃となる立場は苦痛だろうか。

どれほど望んでも希っても、彼女の気持ちは変わらないのだろうか。 

 

「まあ、まだ彼女は魔法が解けたばかりです。気持ちが落ち着かない部分もあるでしょうし、侍女として長く過ごされていた。いきなり殿下から愛の告白を受けても、そのまま素直に受け止めることも受け入れることも難しいのでしょう。また、だからこそ殿下もここまで夢中になったのではないですか? 会ってみて普通の貴族息女として過ごされて居たら、ここまで御興味を持つことも好意を寄せることもなかったでしょう」

「確かに、今のままのディアナが好きだ、です。だが、好きだと返してはくれたが、それ以上は頑なに拒まれてしまい・・・・・。で、でも暫くは城に滞在してくれると約束をしてくれました。ですから、時間を作って出来るだけ、く、く、口説くつもりです」

「では、明日にでもカリーナに荷解きを手伝わせましょう」 

 

ローヴはディアナにトランクを送る手助けを頼まれていたと聞いている。そうだったと思い出してギルバードが項垂れると、楽しげな声が聞こえて来た。 

 

「明日、明後日は使節団との交渉でお前は忙しくなるだろう。それならエディとオウエンを伴わせ、王都の案内でもさせるか。気晴らしにはなるだろう」 

 

顔を向けるとそこには楽しげにほくそ笑む王がいて、ギルバードは目を眇めた。明らかに王の台詞はイヤガラセだと判るが、何も言い返せないと口籠るしかない。 

確かに好きだとは言ってくれたが、途中からディアナの表情に陰りが浮かんだ。自分が彼女を追い詰めているのかと落ち込みそうになるが、時間をくれると言ってくれたのを思い出す。納得するまで付き合ってくれると言った。望みはまだあると拳を握ると、ローヴが肩を揺らしているのが見える。 

二人にいつまでも弄られるつもりはないと幕を持ち上げ、ギルバードは会場に向かった。

 

直ぐに口角を持ち上げたレオンが近付き、仰々しく御辞儀をすると垂れ目を細めて、じっと見つめてくる。物言いたげな視線が肌に突き刺さり、ギルバードは嘆息を零す。 

 

「・・・・お前まで何か言う気か?」 

「殿下の代役として使節団の接待を行っておりました。その間、殿下が何処で何をされていたのかは存じませんが・・・・・口紅がついておりますよ」 

「・・・っ!」 

 

慌てて口を拭おうとすると、目を細めたレオンが持ち上げたギルバードの腕を押し留める。なんだと眉を寄せると小さく苦笑され、「やはり、そうですか」と呟かれた。 

 

「どうやら、やっと口付けをされたようですね」

「・・・・ひっかけたか」

「ディアナ嬢は夜着でしたか? 入浴後でしたら化粧は綺麗に落とされていたでしょう。時間も時間ですし、そんなシドケナイ姿の女性と二人きりの部屋で殿下が何もされないというのも胸が締め付けられるほど悲しい話。そうならずに良かったとお喜びを申し上げます」 

 

もう溜め息しか出てこない。どうして俺の周りは人をからかうことに至上の喜びを見出す者ばかりなんだと。会場に目を向けると使節団は席に座り、王女はまだ踊っていると判る。緩やかなターンにドレスが舞う姿がディアナに重なり、何故彼女と踊らなかったのだろうかと切なく思った。

踊りながら彼女を抱き締め、好きだと繰り返し耳に届かせることが出来たのなら、何か違っただろうか。気付くのも動くのも遅かった自分だ。今更じたばたしても仕方がない。

 

「レオン、使節団の皆様を宿泊される宮へ御連れしろ」

「御意。明日は午後から使節団との折衝が王宮第三会議室で行われます」

わかった。書類は整っているから問題はない。他に何かあるか?」

「残った問題はディアナ嬢に関して、でしょうか? そちらに関しましても、私はいつでも御手伝い致しますので、遠慮なくお申し付け下さいませ」 

「・・・・問題ない、と言えないのが悔しい」 

 

思わず愚痴めいた台詞が漏れ慌てて口を覆うが、レオンはしっかり聞いていたようで、そっと肩を掴まれる。言ってしまった言葉は正直な気持ちだ。顔を背けたが、足はそのまま動かない。知らぬ内にレオンの言葉を待っている自分に気付き、情けないような恥ずかしい気持ちを隠そうと掴まれた肩の手を振り解いた。

 

「殿下、ディアナ嬢のお好きなこと、お好きな品を探して下さい」

「え? ディアナの好きなこと・・・・品・・・」 

 

聞こえて来た言葉の内容をギルバードは頭の中で繰り返す。彼女が楽しそうな顔で過ごせるなら、好きなものに囲まれて幸せそうな顔を見せてくれるなら自分も嬉しくて幸せだと確信出来る。そう考え、出逢ってから今日までのディアナの笑顔の時を振り返った。  

ディアナを思い出すだけで自分は幸せなる。

だけどディアナを幸せにするには、笑顔にさせるのはどうしたらいいのだろうか。

ふと、姉の結婚式後に城の中に入ったディアナと話をしようと追い掛けた際、レオンに言われた言葉を思い出した。 

 

女性の御心は難解で壊れやすいですよ? まずは心からの笑顔を見られるようにお努め下さいませ』 

 

隣を見ると目を細めて口角を持ち上げた侍従長がいて、ギルバードの口がむずむずしてくる。女性心理に関しては間違いなく、レオンの方が上の立場だろう。女性に対する対応も喋りも柔和で柔軟で、誰からも好かれているのは承知している。今、聞かされた助けの言葉もレオンの鋭い観察眼あってのことだと判っているが、自分で何故思いつかなかったのかと口惜しい気がしてしまう。

しかし貴重な意見をくれたと、ギルバードは素直に受け取ることにした。 

 

「・・・考えて、探してみる。・・・・晩餐会は終わりになるから、使節団を客室へ案内してくれ。王も挨拶をしたら下がる予定だ。お前も、御苦労だったな」

「明日は午後から夕刻まで使節団との会議が予定されておりますが、午前中は書類の最終確認だけです。時間は有効にお使い下さい。では、使節団の皆様を部屋へ案内する用意を始めさせて頂きます」 

 

 

ダンスが行われていた会場を見下ろせる一段高い場所から宰相が手を叩き、集まった人々の視線が集まると同時に音楽が止まる。国王がゆるりと姿を見せてダルドード国使節団へ挨拶を行う。友好な関係がこれからも永く続くようにと笑みを向け、明日からの会議が両国にとって素晴らしい結果を齎すのを期待していますと使節団団長から返答される。頷くだけに留めた王がギルバードに視線を投げ掛けて来るが、その真意は重々承知だ。王女から熱烈な視線をヒシヒシと感じ、しかし目礼だけを返す。今考えることは時間をどのように有効的に使うかだ。ディアナの好きなこと、好きな品を思い出そうと、それだけで頭がいっぱいで気付けばローヴが隣で咳払いをしていた。 

 

「レオン殿が使節団の皆様を御誘導されております。宜しければ少しだけ殿下の御時間を頂けますでしょうか」

「・・・・余り長くは無理だぞ。考えなければならないことで頭がいっぱいだ」 

 

少しだけだと念を押され、促されて向かった先の扉を開くとローヴの私室に繋がっていた。途端、ローヴはいつもの法衣に似た衣装に戻り、雑多な物に囲まれた部屋でいつものように紅茶を淹れると椅子にゆったりと腰掛ける。 

 

「いろいろな情報が飛び交っており、たまに舞踏会に出ると楽しいですねぇ」

「ああいう場での情報は確かに得難いものがあるな。俺やレオンも密偵を紛れさせているが・・・それで何の話だ、ローヴ」 

「もちろん、ディアナ嬢のことで御座います」

 

差し出された紅茶を口に運びながら、ギルバードは来たかと身構えた。彼女を翻弄した自覚を持った今、耳が痛いだろうと背を正すが、ローヴから聞かされたのは別の話だ。

 

「あの後、魔法が解けた彼女の望み通りにアラントル領にお戻り頂くことも考えたのですが、長い間侍女として働いていた彼女の本質は変わっておりません。御自宅で慣れぬ貴族息女として日々過ごすのも可哀想でしょう。もうしばらく東宮に滞在されるというのでしたら、彼女に何か仕事を任せてはいかがでしょうか」

 「・・・・仕事? 侍女の、仕事か?」 

 

ローヴの言葉にディアナが東宮庭園で庭師にいろいろ聞きたがっていた様子を思い出し、アラントル領で花を切っていた姿を思い出した。

レオンに言われた言葉も脳裏に浮かび、ディアナの好きなことのひとつかも知れないと頷いた。庭師に話しを楽しそうに聞いていたディアナが花を部屋に飾っていたのを思い出す。あと彼女が好きなことは料理だろうか。そういえば菓子を作って欲しいと伝えていたが、魔法を解くことを優先して未だ作って貰っていない。 

 

「実は殿下には内密にしておりましたが、ディアナ嬢の気分転換になればいいと騎士団の休憩室の掃除もお願いし、三日も掛かりましたが、とても綺麗になりました」

「・・・え?」

 「その後、騎士団馬場で早駆けをしているところに殿下が向かわれ、お会いしたと聞いております。掃除の後、馬を見たいと申されて騎乗されたようですよ」

「そうだったのか。いや、それは問題ない。彼女がそれで気分良く過ごせたなら、俺が何か言うつもりはないし、問題もない。・・・・掃除と馬か」

  

ブツブツと呟き出したギルバードを見て、ローヴは紅茶を飲む。頭の中で何を考えているのかが丸解かりだが、それを本人はわかっていない。王城で行われる貴族や大臣らとの会議では無表情に近い顔で毅然と仕切る王子も、彼女に関しては年より幼い行動を取る。見ているだけで突きたくなると、ローヴは噴き出しそうになった。

  

「それと殿下に忠告です。今日はともかく、余り遅い時間帯に未婚女性の部屋を訪れるのは宜しくないとお伝え致しましょう。例えディアナ嬢が扉を開けたとしてもです」

  

顔を上げたギルバードの顔がじわじわと紅く染まっていくのを見つめながら、あの王の子なのに、どうしてこうも純真に育ったのだろうかと抑え切れない笑いが零れてしまう。

 

「殿下の御気持がディアナ嬢に届いたことは嬉しく思いますよ。あとは彼女の気持ちを尊重し、殿下の御望みの未来が来ることをお祈り致します」

「・・・・ディアナは時間をくれると言ってくれた。俺のことを考えてくれると、滞在を伸ばしてくれると言ってくれた。もちろん彼女の気持ちを尊重するつもりだが、尊重してばかりでは話が進展しないのは目に見えている」

 

眉間に皺を寄せながら拳を握りしめる。

彼女の気持ちを尊重しつつ、自分との付き合いを心から承諾して貰い、そして結婚を。

自分の告白は彼女の一生を縛り付けてしまうものとなるだろうが、それでもディアナに側に居て欲しいと望むのだ。こんなにも誰か一人の女性を求めることになるなど、思いもしなかった。この感情を彼女は魔法の後遺症だと思っているのだとしても、時間を掛けて違うと知って貰いたい。心から望むのはディアナなのだと、出会いと再会が魔法によるものだとしても、気持ちは素直にディアナを求めているのだと解かって貰いたい。

まずは彼女の好きそうなことを調べてみよう。

ディアナがここでの生活を楽しいと思って貰えるよう自分は努めるべきだ。

 

「俺は直ぐに寝る。明日、早速ディアナを散策に誘ってみる」

「それが宜しいでしょう。朝露に濡れた薔薇は一層綺麗でしょうねぇ」

 

考えを見透かされたと羞恥に顔が赤らむが、それ以上は口を閉ざして部屋を出ようとした。

 

「朝露に濡れた花を見せたいがために、余り早い時刻に向かいますとディアナ嬢が夜着で出迎えるかも知れませんよ。朝の散策など、御約束はしていないのでしょう?」

「し・・・・していない」

 

朝露に濡れた薔薇は綺麗だろうが、確かに早朝に淑女の部屋を約束もなしに訪れる訳にはいかない。窺うように振り向くと、ローヴが肩を震わせて笑いを堪えているのが見えた。

素晴らしい考えだと思ったが、言われてみれば確かにそうだと項垂れる。後日に持ち越そうかと考えた時、奇妙なほど全身を痙攣させる魔法導師長の震える片手が持ち上がった。

 

「ディアナ嬢の部屋へカリーナを向かわせることにします。殿下が部屋を訪れる三十分ほど前に伺わせましょう。ただし、今回だけですよ。他力本願では困りますからね」

「わ、解かっている。・・・・あ、ありがとう、ローヴ」

 

呟くように礼を伝えると、ローヴが堪え切れないとばかりに真っ赤な顔で噴き出した。

 

 

 

 

 

 

 

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