紅王子と侍女姫  43

 

 

翌日、突然カリーナに起こされたディアナは、ソファの上で蒼白になった。

 

「・・・ディアナ嬢、ベッドでお眠りになりませんと身体が休まりませんでしょう」

「あの・・・き、昨日はいろいろあって考え事をしていたら、いつの間にか・・・」

 

悲しげな顔を浮かべるカリーナから静かに溜め息が零れるのが聞こえ、ディアナは固まってしまう。夜着の上にガウンを羽織りソファの上に掛布を広げて寝ているのを見られてしまったと、蒼褪めた顔を俯いた。どうしても客室の大きなベッドで寝るのに気後れを感じる。自分がこの広い部屋にいることさえ、未だ慣れないでいるディアナだ。

困惑した顔を上げると、カリーナが柔らかな笑みを浮かべて訪れた用件を切り出した。

 

「まあ、昨日はいろいろあったご様子ですが、今晩はベッドでゆっくり身体をお休みになって下さいね。―――早朝から私がこちらに伺ったのは、これから殿下が庭園を御一緒に散策しようと、ディアナ嬢を御誘いに参りますと伝えに来たのです」

「庭園へ散策、ですか。では、直ぐに着替えを済ませます」

 

ソファで寝たのは昨夜だけと思ってくれているようだと、ディアナはそっと息を吐く。昨夜は確かに横になるのが遅くなり、横になってからも頭の中がグルグル回った状態で浅い眠りとなった。しかし、東宮庭園に足を運べるとなれば嬉しくて目も覚める。用意された朝食と紅茶を急ぎ口に運び、身支度を整え終えた時に扉がノックされた。

 

「ディアナ、お・・・起きているだろうか」

「殿下、お・・・・おはよう御座います」

 

扉を開くと目尻を朱に染めた王子がはにかむような笑みを浮かべて立っていて、途端に昨夜のことが思い出され、ディアナは御辞儀をしたまま羞恥に動けなくなる。

目の前に王子の手が差し出され、戸惑っているとドレスの裾を持つ手が掴まれた。

 

「そ、早朝の庭園は綺麗だぞ。どうしてもディアナに見て貰いたいと、朝早くから悪いと思ったが呼び出してしまった。・・・・昨夜は眠れただろうか」

「ね、眠れました。散策のお誘い・・・・大変嬉しいです」

 

庭園の見える外回廊を歩くと、早朝の冷たい空気が身を引き締める。

昇り始めたばかりの太陽が庭園を輝くように照らす中、二人は黙って歩き続けた。部屋からずっと王子は手を離さない。扉を開けた瞬間の王子の顔を思い出し、ディアナは自分の頬も染まりそうだと俯いたまま手を引かれ歩き続ける。

しばらく歩いていると庭園奥の薔薇園から庭師がにこやかな笑顔で出迎えてくれた。

既に棘を抜いた薔薇がたくさん用意されてバケツに入れられており、様々な色合いと香りにディアナは目を丸くした。後で部屋に運んで置きますと言われ、素直にお礼を伝える。

 

「とても綺麗です。これから開く花をこんなもたくさん、ありがとう御座います」

「殿下の部屋に飾っても少しも喜ばれない花です。御嬢さんが嬉しそうに笑ってくれると、花も一層綺麗に見えてくる。ああ、この間話した品もあるが、持って行くか?」

「まあ、ローズオイルをですか? でも、それは」

「なんだ、それは?」

 

薔薇の花弁を水蒸気蒸留法によって蒸留して採取したオイルのことだと説明するが、王子は眉を寄せて首を傾げた。たくさんの薔薇を使用しなければならない上、蒸気の温度や量、蒸気を当てる時間調節で出来上がりがまるで違って来るので作るのが難しく、大変貴重で高価な品だと説明するが、「そうか」と説明のたびに頷かれるだけだ。たぶん興味が無いのだろうが、ディアナの説明に一生懸命耳を傾ける姿に思わず笑ってしまい、不敬に当たると慌てて低頭すると肩を掴まれ、謝ることはないと笑われた。

 

「殿下、大量の薔薇を使っても少量しか取れない品ですが、今年は新たな魔道具で搾取量が倍に増えました。是非、御嬢さんに今年分を試して頂きたいのですが宜しいでしょうか」

「み、見るだけで充分で御座います! たくさんの薔薇が御座いますので、もしかしたらと話をさせて頂いただけです。大変高価で貴重な品と存じておりますから!」

 

高価で貴重だと言われても興味がないギルバードは鷹揚に頷くだけだ。

それでディアナが喜んでくれてるならいい。肌に潤いを持たせる他に、香りで心を落ち着かせることも出来ると聞けば、逆に使ってくれとお願いしたくなる。

 

「ディアナが使ってみて良いと思えば、姉上たちに贈らせて貰う。試しで悪いが、使ってみてくれ。ディアナの姉に贈るのもいいな」

「勿体無いことで御座います!」

「ローズオイルは薔薇の種類によって大きく質が変化します。今年は三種の薔薇からオイルを搾取しましたので、まずは入浴時に少し垂らして香りを比べて下さい。それぞれの香りや感触など、実際に試してみないと判らないこともありますのでね。一度、若い女性が実際に使ってみた感想が聞いてみたいです」

「・・・確かに、こんな爺から高貴な香りが漂って来てもなぁ・・・・」

 

如雨露で頭を叩かれるギルバードに声も出ないほど驚くが、王子は気にした風もない。

なんて懐が大きな御方でしょうと見つめていると、「使ってやってくれ」と微笑まれた。自分には過ぎたる品だと思うが、試しだと言われると動揺しながらも頷いてしまう。

 

「では、今夜早速使わせて頂きます。庭師様、ありがとう御座います」

「どの程度の量を使って、どの程度香るのか。他には肌に使った量と肌への伸び、その後の肌の状態も教えてくれると助かるのだが、いいだろうか」

では、それらを後程報告させて頂きます。こんな素敵な試しは初めてです」

「良かったな、ディアナ」

 

ディアナが庭師に嬉しそうに頷くと、その微笑みにギルバードが思わず手を伸ばす。

頬をなぞるように撫でられたディアナが驚きに固まっていると、視界の端に庭師が如雨露を大きく持ち上げるのが見えた。

 

 

 

 

午後になるとエディとオウエンが部屋を訪れ、一緒に街に出掛けようと誘いに来る。王子が政務で忙しい時に自分だけ出掛けるなど出来ませんと告げるが、国王よりディアナを城下を案内するよう言われていると伝えられては断りにくい。

見ると双子騎士は町でよく見る人々の衣装を身に着け、既に決定したことだとわかる。

馬車に乗り、城下町近くまで来ると徒歩に変えて町を歩く。アラントル領の町しか知らないディアナは、初めて目にする王都の人の多さと活気に驚いた。

様々な人種や職種の者が多く行き交い、聞き慣れない言葉が交わされている。高台にある王城から城下町、そして港町へと続く真っ直ぐな道と賑やかな街並み。時折擦れ違う町の警護兵。明るい笑顔で商品を売る人々の声。道はしっかりと舗装され、馬車が荷物や人を運ぶ。遠くの港には大きな船の姿も見えた。

ディアナがあちこちに目を奪われていると、エディが肩を突く。

 

「街にはたまに菓子を買いに来るけど、ディアナ嬢が作った菓子の方が美味しいな」

「そうだ! ディアナ嬢、城でお菓子を作る気、ない?」

 

二人の屈託ない笑顔に、思わず喜んで作らせて頂きますと口から零れそうになるが、舞踏会での豪華な食事とデザートを思い出してディアナは唇を閉ざして大きく首を横に振る。

自分の作る田舎菓子など、恥ずかしくて出す訳にはいかない。

それに魔法が解けたばかりで厨房に立ちたいなど、王子やローヴに変な心配をさせてしまうだろう。立ち並ぶ店々に視線を向けるとディアナの地元では目にしたことの無い華やかで珍しい品々が並んでいた。

 

「見たことの無い品々が売られていて、驚きです」

「港があるから他国から運ばれて来る珍しい商品もあって、見ているだけでも飽きないだろう? 何か手にしたいものがあったら店に入ってみようよ。楽しいからさ」

「殿下に買う土産を忘れないよう、先に買って来るか。来ると必ず買う菓子があるんだ」

 

二人に誘われて足を進めると、大きな通りに出た。城下に三つある大通りは真っ直ぐに王城正門から三つの大きな港へと続き、途中には一際目立つ噴水があり綺麗な水が音楽と共に噴き上げられていた。一定の時間になると青空に届くのではないかと思われるほど高く噴き上げる水飛沫は、日の光を浴びて輝きながら落ちて来る。何処からか軽やかな音楽が聞こえ、それは噴水から聞こえてくるようだった。

 

「音楽は魔道具だよ。ほら、水の噴き出し口に魔道具の珠が据え置かれていて、その珠が水の流れに反応して音を奏でているんだ。水の浄化作用も兼ねているから直接飲めるよ」

「とても素晴らしいですわ。・・・・私、殿下たちがアラントル領に来られるまで、魔法の存在さえ知らずにいましたので、目にする魔道具に驚くばかりです」 

「魔道具に関しては王都近隣の貴族しか存在を知らないかも。便利な品だけど勝手に売買されたり悪用されないように魔法導師が厳しく管理をしているからね。城に従事している俺らにとって魔道具は、単なる生活便利道具としか見えないけどな」

「使いどころは余りないし、身近にあるのは休憩室の空気清浄器代わりくらいか?」

「あとは嵐の時に厩舎の馬たちが怯えないよう遮音効果があるとか? 魔法導師たちは領地視察に魔道具を使っているけど、俺たちは足で廻る地道な試練を与えられたよな。まあ、あちこちの料理を堪能出来たからいいけどさ」

 

魔法導師たちが住む瑠璃宮には王と王子しか出入りできないと言っていた言葉を思い出し、悪用しようと考える人物から魔道具を守るために必要なのだとディアナは理解した。そして初めて瑠璃宮を訪れた時は殿下に抱き上げられていたことや、東宮に戻る時にも抱き上げられていたと思い出し、じわりと頬が熱くなる。噴水を眺めながら二人の面白い語りを聞いていると笛の音が流れて来て、オウエンが立ち上がって指差した。 

 

「移動販売のパン屋が来たよ。ここのドーナツがすごく美味しいんだ」

「人気があるから早目に並ばないと品切れになる時もあるんだよ」

 

子供たちに混じって双子騎士が行儀良く並ぶ姿にディアナは目を丸くした。

二人は並んでいた子供たちが驚くほど多くの菓子を買い、噴水近くのベンチに腰掛けると早速口にする。一緒に食べようと差し出されたドーナツを口に運び、ふわりと香る蜂蜜風味と口中でほろりと崩れる触感に笑みを浮かべて顔を上げると、二人が嬉しそうな顔で「美味しいだろう?」と自慢するから可笑しくなった。

頭の中で作り方を想像していると次に来た移動販売の菓子屋に連れて行かれる。

移動販売の菓子屋が来るたびに買う結果、エディとオウエンの手には買った菓子の袋が幾つも重なり、どの店にも立ち入ることなく城に戻ることになった。

 

「えっと・・・・ごめんね? もっと街中を案内するつもりだったんだけど」 

「殿下やレオンの分や俺らが後で食べる分を買うと、いつもこうなるんだよね」

「いえ、すごく楽しかったです。ありがとう御座います」

 

馬車の中で手早く買った菓子を分ける二人に、ディアナは笑ってしまう。

自城でも侍女たちが町に出掛けるとたくさんの菓子やリボンや生地を買って来て、皆に見せたり買って来た菓子を広げて食べることがある。

 

「今日食べた菓子はどれも、とても美味しかったです」 

「食べたくなったら、また一緒に買いに来ようね。というか、俺はディアナ嬢の作った菓子が食べたいな。カスタードのたっぷり入った焼き菓子みたいなやつ」 

「アラントルのワインって持って帰って来たよな? レオンのところか?」 

「食事もディアナ嬢が指示していたんだよね。あの肉料理、もう一度食べたい!」

「俺は魚料理がいいな。・・・・ちょっと思い出したら涎が出て来た」

 

そう言われると思わず作りますと頷きそうになり、だけどそれは無理だと慌てて首を振る。

しかし双子騎士は顔を見合わせ、ディアナに懇願を繰り返した。

 

「魔法が解けたら、もう作るのが厭になった? 材料なら用意するよ」 

「東宮の厨房なら殿下に言って貸し切ることも出来るから、作って食べさせて」 

「で、でも・・・・やはり、東宮の厨房に私が立つことなど畏れ多くて出来ません」 

「じゃあ騎士団の官舎で作ってよ。その後、馬場でまた早駆けしよう? この間はオウエンの馬に乗ったから、今度は俺の馬に乗ってあげて? うん、決まりだね!」

 

王宮に従事する騎士団の官舎で勝手なことは出来ないとディアナが蒼褪めるが、騎士団長に許可を取るから大丈夫だと双子騎士が笑う。騎士団長は双子騎士の叔父で、融通が利くから問題はないと。二人は目を輝かせて何を作って貰おうかと相談を始め、ディアナが涙目で無理だと伝えると、騎士団官舎の厨房なら見習い侍女として一日厨房に立つことくらい訳ないから頼むと何度も何度も懇願してくる。その懇願に返事が出来ず困惑していると、双子騎士が窺うように小さな声で尋ねて来た。

 

「俺ら、もしかしてディアナ嬢を困らせているかな?」

「本当は作るの厭なのかな? もう作るのが厭だって思ってる?」

「いえ! 作るのは厭ではありませんし、困ってなどいませんから!」

 

肩を竦めて眉を下げて悲しげに言われたディアナは急いで否定した。

途端、双子騎士が揃って口角を持ち上げるのが見える。

キラキラ輝く双眸がディアナをじっと見つめ、目を瞬くとエディが小声で呟きを落とした。

 

「この間、騎士団休憩室を綺麗に掃除してくれたよね」 

「え? ええ」 

「掃除のこと、殿下には内緒にして欲しいって言ったよね」 

「・・・・はい」 

「内緒にするって約束するから、俺らの御願いも聞いてくれるよね!」

「え・・・・あ、でも!」

 

にっこりほほ笑むエディが決定したとオウエンと握手を交わし、ディアナは目を瞬いた。

 

  

 

 

部屋に戻ったディアナはどうしようと落ち着きなくソファの周りを歩き続きける。

早速、明日の昼前に双子騎士が迎えに来て、騎士団官舎の厨房で昼食作りを手伝うことになってしまった。その後、菓子作りもすることになり、本当にいいのかしらと戸惑いながら、何を作ったらいいのだろうと頭の中でレシピが踊る。

半月ぶりの厨房仕事に、王子には悪いと思うが嬉しいと胸が高鳴っている自分だ。頬が緩みそうになるたびに足を止め、王子に内緒ごとを作るなど申し訳ないと首を振り、だけど騎士団休憩室を掃除していた事実を知られるのは困ると眉を寄せる。一度作るだけならいいかしらと思う自分にまた首を振り、出来ることなら王子にも食べて貰いたいと考え、もう一度慌てて首を振る。

 

落ち着くために入浴しようとして、ポケットに入れっぱなしの小瓶に気付いた。

ローズオイルは大変高価な品で、普通の貴族息女では滅多に手に入らないと姉が話していたのを聞いたことがある。手に入らないこそ皆が憧れ、一部の貴族が買い占めたり高値で求められる品だ。そんな逸品を自分が使用していいのかと思うが、庭師のおじさんに試して欲しいと言われて了承したのだから、しっかりと報告すべきだろう。

湯船に湯を溜め、三種類のうち淡いピンクの小瓶から一滴だけ垂らす。鼻を擽るような甘い薔薇の香りがバスルームに広がり、ディアナは目を閉じた。

瞼の裏に庭園の淡い色合いの薔薇が広がっているようで、大きく息を吐く。 

 

「これは・・・甘い香りね。きつ過ぎない甘やかさで・・・・とても素敵だわ」 

 

湯船に浸かると全身から力が抜け、香りに包まれているようだと目を閉じる。一緒に薔薇の花弁を浮かべると更に素敵だろうなと考えながら湯を楽しんでいると、いつもより長湯になってしまった。湯上りに丁寧に髪を拭き、肌と髪にもオイルを使ってみる。伸びも良く、もちろん香りも最高だ。早速、香りや使ってみた感想を書き記したディアナは、別のオイルを使うのが楽しみになった。

 

この香りが薄れる前に王子にも嗅いで貰いたいとぼんやりと考え、直ぐに自分の考えに恥ずかしくなる。真っ赤な顔で慌てて首を振り、自分は何てことを考えたのだと頬を押さえ、そろりと扉に視線を向ける。 

 

「今日はお越しには・・・・ならないわよね」 

 

気付けば指先が触れているのは自分の唇。何故と驚きながら指を離して、そして王子と思いかけず深い口付けをした昨夜を思い出してしまう。羞恥に身を焦がしながら、思い出さないようにしようと思うほどに鮮明に脳裏に浮かんでくる。口付けのたびに近付く黒曜石のような瞳が思い出され、頬を押さえると酷く熱く感じてしまう。

逆上せた気分で横になったディアナは、だけど一向に訪れない眠りに困惑し続けた。

 

 

 

 

 

 

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