紅王子と侍女姫  45

 

 

ディアナが落ち込んだまま部屋の掃除を終えたと同時に、エディとオウエンの双子騎士が迎えに来た。二人の案内で騎士団宿舎の厨房に向かい、昼食と菓子作りをすることになっている。騎士団宿舎までは馬車での移動となるため、東宮正門へ向かうディアナは衛兵や侍女から注目を集めた。

半月も東宮に泊まっている上、国王陛下主催の舞踏会では一緒に踊り、王太子付き侍従長とも踊っていたのだから仕方がないとオウエンが笑うが、ディアナは皆からの視線に緊張し続ける。しばらくして少し緊張が解けた頃、エディが顔を近付けて来た。

 

「ディアナ嬢から甘い香りがするね。薔薇の匂いかな?」

「香りますか? 実は東宮庭園の庭師さんより、出来たばかりのローズオイルを頂き試させて頂いているのです。・・・あの、これから厨房に立つのに香りが強いでしょうか」

 

普段香水など使ったことが無いディアナは慌ててしまう。入浴の際使っただけだが、貴族息女が好んで使用するオイルだ。厨房に立つ者が使用しているのはおかしいし、料理をするのに余計な香りは邪魔となるだろう。

 

「狭い馬車内だから香るけど、俺は気にならないよ。そうか、ローズオイルか」 

「はい、色合いの違う品を三種、試させて頂くことになりました。・・・・姉から話だけは聞いたことがあるのですが、ローズオイルはとても高価な品なのですよね?」 

「レオンが女性に贈るっていうのを聞いたことはあるけど、高価かどうか値段までは知らないな。それに試しで使っているなら少量だろ。ディアナ嬢が気にすることは無いよ」 

「そうそう、ディアナ嬢が気にするのは料理のことだけにして。俺は魚料理希望ね」 

「俺は肉料理。それとカスタードのタルトも。材料は用意させてあるからヨロシクね」 

「あの、厨房料理人が作る、その手伝いではないのですか? 菓子は一人でも作れますが、騎士様たちの昼食準備もありますのに、勝手なことは出来ません」 

「問題ないよ。厨房のみんなには料理の上手い御嬢さんを連れて行くって話してあるし、メイン料理はディアナ嬢が作る了承も貰ってるよ」

 

事も無げに言われ、緊張が走った。だけど馬車から降りて厨房に向かい、白いエプロンと頭巾を身に着けて食材を前にすると、頭の中には料理の手順でいっぱいになる。 

騎士が食べる量は多く、見た目よりも味と量が重視だと言われ、ディアナは気負うことなく腕を振るった。食材は見慣れた品が多く、煮込み料理と焼きを指示しながらソースを作る。見たことの無い食材は他の料理人に調理法を教えて貰う。調理台から食材が消え始めた頃に騎士たちが食堂に姿を見せ、出来たばかりの料理を出すと驚いた歓声が食堂に響き渡った。

 

「おお! ちょ、今日はいつもより豪華じゃね?」 

「オウエン、お前が何でここにいるんだよ。暇なら一緒に巡回に来いよ」 

「お、エディもいるじゃん。殿下が会議中、お前らは何しているんだ?」

 

わらわらと食堂に集まって来た騎士が厨房入り口にいる双子騎士に声を掛け、二人が肩を竦めて笑うと皆が首を傾ける。

 

「今日は特別料理人がいるから、その警護中だよ」 

「超可愛い女の子が特別に料理してくれたんだ。テメエら、よぉく味わって食せよ」

 

騎士たちは双子の言葉に不思議そうな顔で、それでも皿上のいつもと違う料理に目を奪われながら席に着く。柱の陰からそっと顔を出したディアナは、席に座る騎士たちの反応を窺った。訳が判らないという顔で騎士団員は食事を始め、ゆっくりと味わうように咀嚼する。幾度か噛んだ後、周囲の者たちと目を合わせ、そしてフォークが舞うように動き始めた。

 

「な、何これ、旨い! 肉、柔らかいっ!」 

「ソース美味っ! 外はパリパリ、中の魚がほっこり! すげ旨い!」 

「だぁろ、だろー? よぉく味わって食すがいい。残すなよぉ!」

 

残さなねぇよ!の声が挙がり、今日休みの奴らは可哀想だ!の声とそれに賛同する笑いに、ディアナは恥ずかしくも嬉しくなった。王宮に従事する騎士たちからの楽しそうな声に今朝の憂いが薄れていく。いや薄れては駄目なのだと僅かに項垂れ唇を噛むと、エディが顔を覗き込んで来た。

 

「ディアナ嬢、みんな美味しいって言ってるけど、何か不安でもある?」 

「いえ。皆さまからの御言葉は本当に嬉しいです。片付けが済んだから菓子を作らせて頂きます。カスタードのタルトが御希望でしたね」 

「うん、ありがとう! あとはアラントル領のワインがあれば最高だったけど、レオンがどこかに仕舞い込んでいてさ、教えてくれないんだ。残念だよな、オウエン」

 

エディの言葉に、ディアナは領主に急ぎワインを届けて貰えるよう手紙を書こうと考えた。何度も自領のワインを褒められているのが心から嬉しい。食事を終えて戻って来た皿を洗いながら、王城に来てから家に手紙の一つも送っていないことに今更気付き、慌ただしく過ぎた半月を振り返った。

まさか自分が王太子殿下から求婚されることになるなど、アラントルを出る時には思いもしなかった。自領を出た一泊目から騒動を起こし、気付けばあっという間に東宮に居て、緊張の面持ちで国王に対面した。

魔法をかけられた経緯を知り、謝罪をしたが逆に王子に謝られ、魔法が解けた喪失感に悩む間もなく舞踏会に参加し、そして好きだと言われ―――。         

 

拭いていた皿を落としそうになり、慌てて意識を取り戻した。手が震えていると自覚し、目が潤むほど顔を赤く染めながらディアナは項垂れて羞恥に身悶える。

今はそんなことを考えいる場合じゃない。王子にはもっと身分高き教養ある見目麗しい女性がお似合いだと解かって貰うまで側に居るだけの存在のはず。厨房が似合う私などではなく、他国の王女や大貴族の息女が王子の側にいるべきだと。

 

だけど、そう思うだけで先ほどとは違う震えが指先を痺れさせる。 

舞踏会で大勢の貴族息女が熱い視線で見つめていた。ダンスを誘って貰えるように華やかな笑みを浮かべて王子を囲んでいた花のような貴族息女たち。そして王子と共に優雅に踊っていた他国の王女。エレノア様もその本心は解からない。

ギルバード王子は清廉で真摯な御方だ。夜色の髪に黒曜石の瞳。高い身長で逞しい体躯。

凛とした面差しなのに表情豊かに笑い、怒鳴り、そして真っ赤な顔になる。その顔が真っ直ぐに私を見つめ、大きな腕で包み込む。

 

「・・・、あっ!」

 

高い音が足元に広がり、手から離れた皿を取り損なって割ってしまった。

 

「も、申し訳御座いません!」 

「ああ、触らなくていいよ。怪我しちゃうからね。たくさん作ったから疲れたんだろう。この後は菓子作りをするって? 掻き混ぜとかは双子に任せなきゃ腕が上がらなくなるよ」 

「大丈夫です。それより申し訳御座いません。お皿を・・・・」 

「本当に大丈夫。皿なんか、毎回必ず割る奴がいるから気にしなくていいよ」

 

血の気の多い騎士たちが食事中に喧嘩を始めたり、フォークを皿に突き立て割ったり、鍛錬のし過ぎで手が痺れて運ぶ最中に落としたりするから皿は多く用意してあると料理人たちは笑う。今日は喧嘩も騒動もなく料理に夢中になっていから皿が割れることが無かったと言われ、今日一枚目の皿を割ったのかとディアナは逆に蒼褪めた。オウエンが食べ終えた皿を持って来て、エディがテーブルを拭き終えたと布巾を持って来る。

 

「ディアナ嬢、お菓子、すぐ作る? 何手伝えばいい?」 

「卵割る? 何個割る?」

「いえ、手伝いなど申し訳御座いません。一人で作れますから」

「どうせ双子は手伝いくらいしか出来ないよ。気にしないで使ってやりな」

 

振り返ると双子騎士が上着を脱ぎ、エプロンをつけている姿に目を丸くしてしまう。料理人たちが笑いながら問題ないと言うから、やる気を見せる双子騎士を前にディアナは今だけは何も考えずに菓子を作ろうと頭を振った。生地を捏ねたり、掻き混ぜたりを楽しげに双子が行い、料理人たちが夕食の用意をしながらソースの味見をディアナに任せる。忙しくも楽しいひと時に、王子と踊る綺麗な花たちの姿は頭から消えていた。

焼き上がりを冷まし飾り付けをして、早速双子騎士に食べて貰う。使い勝手が違う厨房で行った久し振りの菓子作り。緊張して見守るディアナに、双子騎士は目を輝かせて無言で食べ進めた。安堵して陛下用の菓子をバスケットに入れていると、エディが口周りにカスタードクリームを付けたまま振り向いた。

 

「ディアナ嬢、明日も作ってくれる? 明日は林檎のパイが食べたい」

「オレンジのケーキがいいよ。ディアナ、昼もまた作って欲しいな」

「明日も厨房に立って宜しいのですか? 皆様のお邪魔にはなりませんでしょうか。菓子作りまでさせて頂き、長居するのは厨房の皆様に申し訳ないと思うのですが」

 

厨房で夕食の用意をしている料理人へ顔を向けると、笑いながら問題ないと返された。

 

「大丈夫、大丈夫。ディアナ嬢は手際もいいし、すごく手慣れているから逆に助かっちゃったよ。俺たちにも美味しい菓子を明日も作ってくれるなら、問題ないよ」

「それで宜しければ、明日もお邪魔させて頂きます。ありがとう御座います」

 

 

 

 

東宮にある王子の執務室に菓子を置くのかと思っていたが、双子騎士は瑠璃宮近くまで足を運び、宮入り口にある木板を叩き魔法導師長の名を呼んだ。暫くして、のんびりした足取りで宮から出て来たローヴは柔らかな笑みで御辞儀をしてきた。

 

「おやおや、双子騎士殿。どうされましたか」 

「殿下が部屋に戻ったら、ディアナ嬢が作った菓子を届けて貰いたいんだ。それと明後日の午前中に殿下がディアナ嬢と乗馬をするから、用意をカリーナにお願いしたいと思って。レオンが殿下の予定を聞いたら乗馬をするって張り切っていたけど、ディアナ嬢の乗馬用衣装とかは、全く考えてないだろうから御願いしに来たんだ」 

「俺らって憎いほど気配りが出来てて偉いでしょう? だから導師長から宰相に、いい働きをする俺らの給金アップをさりげなく、でもしっかりとアピールしておいてね!」 

「他力本願は駄目だと殿下には伝えておりますが、確かに当日慌てふためく姿が容易に想像出来ますねぇ。カリーナに乗馬用衣装を用意させます。それと菓子ですね」

 

軽快な掛け合いのような会話にディアナがポカンと見つめていると、オウエンが肩を竦めて説明してくれた。

 

「余り楽しい話じゃないけどさ、食べ物に何か仕掛ける輩がいる可能性があるんだ。直接殿下に手渡すか、導師長経由で渡した方が安全だからローヴに預けに来たんだよ」 

「もちろん殿下の執務室や私室、東宮全体には陣を掛けており、不審者は入れないようにはなっておりますが、警戒は怠らないよう常に心掛ける必要があるのです」

 

ローヴが僅かに眉を寄せて話すから、ディアナは何も言えなくなる。ふと、王子が幼少時代に聞こえるような陰口に、硬い表情で強張っていたのを思い出し胸が痛くなった。王太子の立場には庶民では予想も出来ないようなことがあるのだろう。魔法導師である母を持つことで聞えよがしの誹謗中傷を耳にされながら、それでも王子は日々真摯に政務に当たられていた。さらに心身を鍛えて王宮騎士団の副団長を兼務されていると聞く。

 

「では、・・・・殿下の目の前でお好きな菓子を作って、出来上がりを直ぐに召し上がって頂くことが出来たらいいですね」

 

ポロリと零れた言葉にローヴと双子騎士が「それは、すごく喜ぶね」と軽やかに笑う。自分の言葉に驚きディアナが首を振るが、双子は早速相談を始めた。

 

「殿下に言うより、レオンに言って日にち調整をして貰った方がいいね」 

「東宮厨房の方が使い勝手がいいだろう? あとは材料か」 

「あ、プラムとチーズのダリオールが食べたい。それと梨ジャムとカスタードのクラップフェン、あとはワッフルとプディングも食べたいなぁ」 

「ディアナ、作れる?」

 

二人の声に頭を駆け巡る菓子作りの手順。もちろん、言われた品はどれも作れるが駄目だろうと蒼褪める。東宮の厨房に立ち入るなど、そんなことを一領主の娘に許してはいけない。王太子殿下に出す食事を作る場所なのだから、厳重な警戒をしているはずだ。万が一があればアラントル領地を任されているリグニス家に迷惑が掛かるだけでなく、御家断絶や極刑になることは間違いない。そんな冒険は出来ないとディアナが蒼褪めた顔を横に振るが、双子騎士は楽しそうに話を進める。王子に時間を作って貰って厨房を貸切にして二人きりで過ごそうとか、夕食を作って貰うのはどうだろうとか、どんどん話が進んで行くから口を挟むことも出来ずに痛いほどに鼓動を跳ねながら必死に首を振り続けた。

 

「じゃあ、あとでレオンに言って来るよ。明後日以降に時間が取れるだろう?」 

「厨房の都合は俺が訊いておくよ。あとは食材だな」

 

パクパクと息を吐きながら首を振り続けたディアナが目を回し始めると、ローヴが背を撫でながら大丈夫かと尋ねて来た。

 

「・・・・・ロ、ローヴ様、御忙しい殿下の邪魔はしたくありません。お作りするのは良いのですが、殿下が厨房に立つなど、それは申し訳ないです」 

「問題はないでしょう。領地巡りをしていた時、ディアナ嬢の作る食事が一番美味しかったと、菓子が最高だったと申しておりましたよ」 

「あ、ありがたいことですが、東宮の厨房を使うなど」 

「殿下がお喜びになられるのでしたら問題はありません。アラントルで殿下にお出しした料理と菓子をお作りなれば御喜びになりますよ」 

「い、田舎料理ですが・・・・・」 

「ええー! 俺らも食べたい! 殿下の分だけじゃなく、少し余分に作ってくれると嬉しいな。駄目かな、ディアナ嬢。手伝いがあるならオウエンと一緒に手伝うからさぁ」 

「下拵えとか必要だろう? 騎士団で慣れているから充分戦力になるよ、俺ら」

 

話しは決まったと二人がローヴに菓子を預けると、何が必要か買い出しに行く前にメモ書きしようと東宮図書室へと連れて行かれる。手を振るローヴに見送られ、ディアナは蒼褪めたまま図書室で料理本を揃える双子騎士と共に菓子の材料を書き出し、いいのだろうかと困惑したまま目にする料理本に興味を持った。

王宮料理から他国の珍しい食材を使った聞いたことの無い料理が書かれ、夢中になる内に灯りが必要な時間となっているのに気付く。幾冊かを借りることが出来たディアナは部屋で読むことにして、王城に来た記念だと一心不乱に書き写し続けた。何か声が聞こえて顔を上げるとカリーナがいて、柔らかな笑みを浮かべながら夕食を持って来たと言う。

 

「まあ。カリーナさんに運ばせるなど、気付くのが遅れて申し訳御座いません」

「ついでがありましたから問題ありません。乗馬服を用意させて頂きました。それよりも熱心にお勉強されておりましたね。自領では厨房で料理をされていたと聞きました。同じように書いて覚えていらしたの?」

「はい。町の図書館や城にある料理本から自分でも作れそうな料理を、自領の野菜でどのように作れるか、材料費や季節の野菜で代用出来るとしたら、どんなアレンジが出来るだろうかと考えるのが好きなのです。上手く出来たら町の食堂や宿へ伝え、領地の特産品を使った名物料理に出来るかを料理長と話すのも好きでした」

「まあ、ディアナ嬢は本当に勉強熱心ですわ。材料費のことまで御考えに?」

「出来るだけコストのかからない、だけど見目良く美味しい料理を作るのが好きなのです」

 

段々貧乏くさい話になって来たとディアナが恥ずかしさに肩を竦めると、カリーナが素晴らしいと褒め称えて来る。羞恥に俯くと、カリーナに肩を掴まれた。

 

「私たち魔法導師も同じです。コストが掛からない、安全便利な魔道具を作り、それをいかに国へ還元出来るかが必須なのです。我々も日々研究と魔法の鍛練で忙しいのですが、ディアナ嬢の勉強熱心さに感動しましたわ」

 

熱く褒められ、ディアナは瞬きを繰り返しながら御礼を伝えた。すると、カリーナが肩を掴んだまま真剣な顔を近付けて来る。

 

「何かありましたら直ぐに私を呼んで下さいね。殿下はすっかり私を呼び寄せる魔道具をディアナ嬢に渡すことを忘れておりますが、大丈夫ですわ。私の名を呼ぶだけで目の前に現れるよう『道標』を付けておきますから」

 

そう言ってディナの右手小指にそっと手を翳した。見ると小指の爪だけが赤く染まっていて、それがカリーナを呼ぶための魔法の『道標』になるのだと言う。

 

「殿下がお忘れの魔道具のことを、決してディアナ嬢から口に出してはいけませんよ。あとでしっかりと弄られるよう、導師長より王へと進言して貰いましょう」

 

妖艶な笑みを浮かべるカリーナがディアナの手を取り、約束ですと繰り返して部屋を出て行く。残されたディアナは言われたことが整理出来ずに首を傾げた。

 

 

 

 

 

→ 次へ

 

← 前へ

 

メニュー