紅王子と侍女姫  46

 

 

翌日も騎士団宿舎の厨房に立ち、ディアナはこうして働いている方がやはり自分には合っていると考えながら手を動かし、皆が美味しいと笑みを零すのを影から眺めた。

王子に相応しい人が側に来る日まで、王子がそれが当たり前だと気付くまで、こうした日は幾日続くのだろう。

今朝も自ら手折ったという薔薇を持ち、王子は部屋を訪れた。あれから王子からのキスは無く、触れられることもない。柔らかな笑みを残して部屋を去る王子に、お礼の言葉を告げるのが精いっぱいで、自分の感情を持て余している。

たった数日、王子から触れられないことが物足りない気持ちにさせていると判り羞恥に頬を染めた後、自分の傲慢な考えに蒼褪める。王子は自分のような一介の貴族とは身分が違うのだと心に刻むが、気さくな笑みに貴族息女らしからぬ態度を取っているだろう自分に項垂れてしまう。今からでも貴族息女としての講義を取り直した方がいいだろうが、それは自領に戻ってからだ。

 

王太子殿下を尊敬し、互いを敬い、互いを愛しく思える方と出会えたら素晴らしいことだと自分はレオンに伝えた。国のためである婚姻だとしても、誠実な王子にはそれなりの立場や気品ある女性がお似合いになる。王子を尊敬する気持ちはあるが自分では駄目だと思う考えが頭の中を回り、真摯に好きだと言ってくれた王子に申し訳なく思ってしまう。身分は関係ないと言ってくれたが本当だろうかと考える自分を直ぐに叱咤し、自分でもどうしていいか判らない感情を持て余し続けた。 

 

 

「エディ、オウエン。どちらか一人でいいから、港の応援に行けないか?」

 

菓子作りをしている時、慌てた声を上げて騎士の一人が顔を出した。

エプロンをつけたエディが顔を出すと、騎士は一瞬目を丸くしたが直ぐに真剣な面持ちに変わり、港で他国の商船と漁師が揉めているという。

漁師たちが漁場を荒らされたと騒ぎ港から応援要請が来ているが、ダルドード国の使節団を国境まで見送った王子がそのまま周囲の領地視察をする予定で多くの騎士団が付き従っているためと、更に西側領地で崖崩れの恐れがあるため魔法導師と騎士が現地に移動しており、港の騒ぎを治めるのに人手が足りないという。

 

「あちゃあ! 重なったね」 

「おまけに言葉が通じない。一応面識ある国だが、訛りが強くて漁師の怒りに油を注いでいる状態らしく、語学に長けた者が必要なんだ。手伝いに来てくれるか? 出来れば港に近いフリック家から騎士一個部隊を引き連れて来てくれると更に助かるのだが」 

「うううう・・・、仕方がないか。エディ、お前はここに残ってディアナ嬢を見ててくれよ。俺は急ぎ家に向かって、念のために邸の警備隊を借りることにする」

「行ってらっしゃい。ちゃんとオウエンの分の菓子は残しておくよ」 

「いいえ、エディ様も行って来て下さいませ。私は大丈夫ですから」

 

エディのエプロンの紐を外し、ディアナが背を押す。

「でも」と振り返るエディに、ディアナははっきりと告げた。

 

「お二人は王宮騎士団で御座いましょう。港で難儀されておられる方々のためにも急いで向かって下さいませ。私の警護など二の次で結構で御座います!」

 

菓子よりも先ずは自国を守る方が先だと真剣に言い放つディアナの勢いに、双子は目を瞠って頷いた。出来たばかりのヌガーを袋に詰め、二人に渡すと「いってらっしゃいませ」と柔らかな笑みを浮かべる。

 

「ああ~~~、もうっ! じゃあ、ディアナ嬢は沢山お菓子作っておいてね!」 

「ヌガーも好きだけど、オレンジケーキを楽しみにしているからね!」

 

後から来た騎士が連れて来た馬に跨った二人が騎士専用の門へと駆けて行くのを見送り終えたディアナは、じわじわと激しい動悸と込み上げる嘔気を感じた。

王太子殿下付きの護衛騎士である二人に、自分は何を言ったか思い出して近くの柱に縋り付く。頭の中いっぱいに驚きの顔を見せる双子騎士の顔が増殖し、普段大きな声を出さないディアナは蒼白になった。いつも親密に話し掛けてくれているが彼らは王宮に従事する貴族であり、考えるまでもなく高い身分だ。どうしようと、畏れ震えるディアナに料理人が水を手渡してくれる。

 

「さて、双子騎士が戻って来る前にオレンジケーキとアップルパイを作ってしまいましょう。一緒にアプリコットのロールケーキやスコーンなども作りませんか?」 

「あ、ありがとう御座います。・・・・あのような物言いをした自分が信じられません。お二人には、お帰りになったら急いでお詫び申し上げます。皆様も驚かれたことでしょう。大きな声でお騒がせ致しまして、本当に申し訳御座いません」

 

ディアナが頭を下げると、料理人たちが明るい笑い声を上げる。

 

「騎士たちに何を言っても気にすることはありませんよ。いつもは騎士団長にもっと手酷く怒鳴られていますから。それよりも早く作りましょう。菓子が出来上がってなければ、その方が機嫌悪くなります」

 

軽く笑って促して来る料理人と共に厨房に戻り、お詫びの気持ちを込めようと菓子作りを再開することにした。ディアナは作りながら料理人に尋ねてみる。 

 

「先ほどのような要請はたまにあるのでしょうか」 

「たまに、ね。滅多にないけど、ここの漁師は気が短くて荒いから。海の男は何処もそうなのかな。御嬢さんの居た町はどうなのかな?」 

「そうですね、同じ・・・だと思います。漁師さんや猟師さん、農場の方々が自警団を作っているのですが、隣国からの盗賊などはあっという間に捕まえると聞きます」 

「どこも同じだねぇ。うちの漁師は海賊も逃げ出すってくらいに凶暴らしいよ」

 

その話に双子騎士は大丈夫だろうかと窓の外を眺めた。

そんな凶暴な漁師の許に、自分が背を押し出して二人を向かわせたようなものだ。万が一にでも怪我をして戻ってくるようなら、どんな御詫びをしたらいいのだろうか。

上手く治めることが出来るならいいが、応援要請が来るくらいだ。きっと騒ぎは大きいのだろう。狼狽するディアナに料理人たちは大丈夫だと声を掛けてくれる。

 

「だけど大丈夫。自国の者たちはみんな仲がいいから、心配はいらないよ」

「そうそう、双子騎士は街でも有名でね。漁師たちにも知られた顔だから問題ないよ」

 

料理人たちの気遣いにディアナは頷くしか出来ない。

オレンジコンポートを乗せたケーキが焼き上がり、オレンジの果汁を振り掛ける。ロールケーキのスポンジを焼きながら、パイ生地を捏ねて幾層にも折りたたむ。林檎が煮えたと聞き味見をして砂糖を足し、アーモンドチーズクリームを塗り、林檎を広げてパイを成型して焼き窯へと入れる。普段は菓子作りなどしていないという料理人たちと一緒に作る菓子は、自領で新しい料理をみんなで作っている時を思い出させ楽しくなった。パイ生地の残りを使い、カスタードパイも作ってみる。

 

王子好みの味になっているかしらと焼き窯に入れた時、厨房が大きくざわついた。 

ディアナが顔を上げると国王陛下が厨房入り口に立っていて、皆恭しく低頭している。まさかの人物の登場に頭の中を真っ白にして、それでも震える手でドレスの裾を持ち御辞儀しようとした時、柔らかな低い声がディアナの動きを制する。

 

「ああ、作っている最中に御辞儀などいい。皆も作業を続けてくれ」

 

どうして国王陛下が騎士団宿舎の厨房に来たのだろうとパニックを起こすディアナの横で、料理人たちが御辞儀を解いて作業を再開する。狼狽えるディアナに、指示を求める料理人は笑いながら国王が来たことは気にせずに料理を続けていいと言う。先触れもなく国王が王宮騎士団長の許へ遊びに来ることは偶にあり、ついでに食堂で御忍びの休憩をされることがあるのだと教えてくれた。

ディアナが紅茶と出来たばかりのオレンジケーキを給仕すると国王は目を輝かせる。

 

「お、出来立てか! ギルバードも出来立ては食べたことが無いだろう?」

 

問い掛けられてディアナは思わず正直に首を横に振った。

姉カーラの結婚式の後、城で行われた披露宴で出来立てを王子にサーブしたことがあると伝えると、国王は口を尖らせてテーブルに肘をつく。同じテーブルに腰掛けるのは一般的な貴族衣装を身に着けたローヴで、ケーキを口に運ぶと美味しいと笑ってくれた。

 

「双子騎士が港に向かったと聞きましたので、殿下へお渡しする菓子を預かりに来ました。まあ、宰相を振り切って逃げ出した国王を追い駆けて来た、とも言いますがねぇ」 

「ローヴ、それは人聞きが悪い。可愛い御嬢さんが美味しい料理を作っていると聞けば、それを見たいと思うのも味わいたいと思うのも当たり前のことだろう。そう言えばディアナ嬢が菓子作りをしてる姿を、ギルバードは見たことがあるのか?」 

「いいえ。それは御座いません、国王様」 

「よしっ! あとで自慢してやろう」

 

国王の言葉に料理人たちが一斉に笑うから、ディアナは困惑してしまう。

一介の貴族息女が一日だけ騎士団宿舎の厨房に立つだけの話しだったはず。

それが二日続けて厨房に立つ許可を頂いたが、そこへ突然国王が来て、楽しげに話し掛けて来るのを、誰も驚かないことにディアナは眉を寄せて戸惑ってしまう。 

ディアナの表情を見て、ローヴが手招きをして呼び寄せた。

 

「ディアナ嬢が厨房に立たれているのを殿下は承知ですよね。もちろん、騎士団宿舎の厨房職員はディアナ嬢が殿下の賓客であることを存じておりますよ」 

「この間の舞踏会にも参加していたそうですね。双子騎士が話していましたよ」 

「そうそう、私と二曲踊ってくれたんだよ。楽しかったよな、ディアナ嬢」 

「そ、その節はありがとう御座いました、国王様」

 

ドレスの裾を掴み急ぎ腰を折ると、王が礼など必要ないと手を払う。 

ローヴが「料理や菓子作りは楽しいですか?」と尋ねて来るのを、ディアナは心臓を跳ねさせながら唇を噛んだ。魔法は解けたが、やはり貴族らしく優雅な暮らしに憧れる気持ちにはなれず、料理や掃除をしている方が自分らしいと思う。

だが王の前で楽しいと正直に肯定することは、王子が解いた魔法が完全ではないと吐露するのと同じだ。眉を寄せて口籠っていると、ローヴがディアナの手を包み込んだ。

 

「ディアナ嬢が気兼ねなく過ごせるなら、掃除でも料理でも好きにされて過ごされるのが一番だと殿下と話を致しました。ですから楽しいと言って貰えた方が嬉しいのですよ」 

「で、でもそれは魔法が解けたとは言わないのでは」 

「魔法は完全に解けております。料理がお好きな貴族の娘様もおりますよ。掃除や裁縫が好きな方もいらっしゃるでしょう。ディアナ嬢は何も心配なさらずに、好きなことをされてもいいのですよ」

 

その言葉にディアナは包まれた手を見下ろした。温かい大きな手が包み込むのは、王を前にして震える自分の手だ。厨房に立つ自分を見て楽しげに笑う王に対し、どうしていいのか判らず、ローヴの問いに正直に答えられずに震える自分の手。だけど楽しいと言っていいと柔らかく包み込む温かさに、目の前がぼやけて見えてくる。

 

「た、楽しいです。・・・・貴族息女らしく出来ず・・・・申し訳御座いません」 

「楽しいなら結構です。ディアナ嬢、貴女の幸せが私の喜びです」

 

項垂れたディアナの頬から顎へと、手を包む温かさと同じものが滴り落ちる。

しゃっくり上げながらエプロンで泣き濡れた顔を覆うと、大きな腕に抱き締められた。ローヴに抱き締められているのだと思ったが、未だ手は温かく包まれたままなのに、自分を抱き締める腕は二つだと気付く。 

 

「ディアナ嬢、不肖の息子の不甲斐なさを代わりに詫びよう。一方的に振り回すだけで、何一つ進展していない。だから逆にギルバードを思い切り翻弄してやれ。私が許す」 

「こっ、国王様! お、お放し下さいませ。御衣裳が汚れます!」

 

頭上から聞こえる声から、自分を抱き締めているのは国王だと判ったディアナは蒼白になった。胸を押し出すのも躊躇われ、それでも菓子作りの最中だったディアナは粉塗れだと、身体を必死に屈めようとする。背を撫でられ慈しむような態度を取られるが、緊張が過ぎてどうしたらいいのかわからない。

 

「殿下に注意なさっている王が未婚淑女をそのように抱き締めるなど、なさってはなりませんよ。ディアナ嬢がひどく困っておりますから放して下さいませ」 

「そうか? 厭か、ディアナ嬢」 

「い、厭では御座いませんが、国王様の御衣裳に汚れが付いてしまいます!」 

「ほら、厭ではないと言っている」

 

国王の腕の中から助け出されたディアナが激しい動悸に襲われながらローヴに縋り付く。ほっと安堵すると、国王が顔を近付けて来て明るい笑顔を見せた。

 

「涙も止まったな。ディアナ嬢、今日ここに来たのは招待状を持って来たからだ」 

 

王宮魔法導師長であるローヴに縋り付くのもどうなのだろうと、慌てて背を正すディアナの前に白い封筒が差し出される。封蝋には王の印璽が押されており、驚きに顔を上げると殊更明るい笑顔が近付いて来た。

 

「私の誕生月が近くてな、毎年祝いの宴を催している。その誘いだ」 

「・・・・わ、私は宴に参加出来る身分では御座いません」 

「もちろん王主催の宴だから断るのは無しだぞ。今度こそドレスを贈らせて貰おうか! 好みの色やデザインはあるか? 直ぐに仕立てさせよう」 

「ド、ドレスは持っております! ですからお気持ちだけ受け取らせて頂きます」

「揃いの正装にしようと思っていたのだが、気持ちだけでいいとは残念だ。では次回の催し物には必ず贈らせて貰うとしよう。ディアナ嬢、次は断らないようにしてくれよ」

 

王からの言葉に何と返事をしたらいいのか頭の中はいろいろな断りの言葉が迷走し、だけど口にすることが出来ないまま差し出された招待状を受け取るだけで精一杯となる。ローヴに背を撫でられ、涙目で振り向くも取り消すことなど出来ないと知るだけだ。 

追加で出来上がった王子用のケーキを運ぶ料理人が、「御嬢さんとまた踊るのですか?」 と国王に尋ねると、大きく頷かれた。

 

「ディアナ嬢はダンスが上手いからな。今度も一番に一緒に踊ると約束をしてくれ」

「お・・・・」

 

御許し下さいと拒否することが出来ないディアナは、強張った笑みを浮かべて目を瞬かせる。バスケットに王子用の菓子やケーキを詰め込み終えると、国王とローヴは丁度迎えに来た侍従の馬車に乗り王宮へと戻って行った。厨房の職員と共に見送った後、手にした封筒を見つめたディアナは、涙を散らすために何度も瞬きを繰り返し続けるしか出来ない。

 

 

 

 

  

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