紅王子と侍女姫  49

 

 

 

しかし手の縄を解く前に馬車の扉が開かれ、布に包まれ何も見えない状態でディアナは引き摺り下ろされた。乱暴に地面に降ろされ布が取り払われるとランプが近付き、眩しさに顔を背けるが、顎を無理やり掴まれて上を向かされる。

体躯の良い赤ら顔の男が薄く嗤いながら不躾な視線で見下ろして来るのを、ディアナは息を詰めて耐えた。異国の言葉が頭上で交わされるのを耳に顔を動かすと大きな船が見え、まさかと蒼褪める。背後で括られた腕を持ち上げられ立たされると、何も言わずにどこかへ連れて行こうとするから必死に抗う。 

猿轡で声が出せない分、唸り声を上げて足を踏ん張り、今自分に出来る精一杯の抵抗をする。気付くと大柄な男の人数が増え、意味の通じない言葉を荒げながら手を伸ばして来るのを身を捩って抵抗するが、長くは続かずに担ぎ上げられてしまった。

 

「面倒事が起こる前に直ぐに船を出すようにと、通訳しろ。出航に必要な申請書類は作っておいた。万が一、我が国の船に追い付かれても問題が生じないような内容になっていると船長に伝えてくれ。但し、出来るだけ早く我が国の領海域から離れるようにな」

 

自国の言葉が聞こえ、ディアナはその声に耳を疑った。その人物は部屋に王子の手紙だと言い迎えに来た人物の声だと解かり、エレノアがこのことに関与しているのだと思うと胸が苦しくなる。エレノアにとって、それほどまでに邪魔な存在と見做されている自分は異国の船に乗せられて一体どうなるのだろう。 

這い上がる恐怖と胸の痛みに、ディアナはギルバード王子の顔を思い浮かべた。

もしかしたら二度と会えなくなるかも知れないと思うだけで目の前が歪んで見えてくる。

 

「この娘を早く船内に隠して、出来るだけ遠くの国に売り飛ばすように通訳して伝えろ。万が一の時は海から投げ捨てても構わない。・・・・それとこれは例の品だ」

 

ディアナは侍従の言葉に身体を強張らせ、顔を上げると大きな船が浮かんでいるのが見えた。人目を避けるためか仄暗いランプの灯りの許、船上では意味の分からない言葉が飛び交い、再び布を掛けられ周りが見えなくなる。

ギシギシと桟橋から船へと移動している音と揺れ、そして聞こえて来た侍従の言葉に動悸が激しくなり全身の震えが止まらない。船上に到着すると床に降ろされ、布に包まれた上から幾重にも縄が打たれ、再び身動きが取れなくなる。少し緩んだかに思えた背後の腕も動かすことが出来なくなり、このまま耳にした言葉通り異国に売り飛ばされるか、海に投げ捨てられるのだろうかと這い上がる恐怖にくぐもった声を漏らすしか出来ない。

 

思い浮かんだのは、ギルバード王子の顔。

王子は、急に東宮の部屋から消えた自分をどう思うだろう。王子からの求婚に嬉しそうな顔を見せない田舎領主の娘。魔法を解くために王城に招いた田舎領主の娘が勝手に出て行ったと、直ぐに忘れてしまうかも知れない。まさか嘘の手紙で呼び出され、従妹であるエレノアによって港に連れ去られたなど思いもしないだろう。 

 

周囲が見えないディアナの耳に扉が閉まる音が響いた。走り回る男たちの足音が聞こえ、やがて転がされた床上で船が大きく揺れるのを感じ、出港したのだと知る。周囲が見えない夜に動き出すなど危険極まりないことだが、そこまで自分はエレノアに邪魔に思われているのだと思うと辛くなる。

知れず出航した異国の船が向かう先は、アラントル領しか知らないディアナにとって未知な世界だ。突然攫われ船に乗せられ、二度と王子に会えない国へ連れて行かれる。

 

「・・・・っ!」

 

鼻の奥が熱くなり、ボロボロと涙が溢れ出した。 

このまま王子のいない場所に連れて行かれるのは厭だと、素直な心が涙を零す。いろいろな表情を見せてくれた王子が自分を好きだと言ってくれた宝物のようなあの夜を思い出し、もう一度だけでいいから会いたいと強く願った。

ローヴに王子の過去を見せて貰った時から何度泣いたことだろう。

こんな感情が自分にあるなど今まで知らなかった。

 

優しくて強い、綺麗な黒髪の王子にもう一度会いたい。会って王子の笑顔を見たい。 

十年もの長い間、ずっと想い続けてくれて嬉しかったと自分の気持ちを伝えたい。

王子のことが好きだと・・・・・・黒曜石の瞳を見て伝えたい。

 

だけど床は大きく揺れ波音が変わり、船が港から離れて行くのを感じる。涙は止まらず、揺れる床上でディアナはしゃっくり上げるしか出来ない。

扉が開き、誰かが近付く足音が聞こえても、どうすることも出来ずにいると抱え上げられ別の場所へと移動を始めた。階段を下りているようで、船底へ向かっていると思えたが布に包まれていては周りを見ることも出来ない。話し掛ける男の言葉も判らず、どこかに降ろされたと思ったら閉じる音がして深い闇に包まれた。身体を動かすと直ぐ壁にぶつかり、衣装箱のような物に閉じ込められたのだと判る。

 

これで本当にもう王子に会えなくなると解かり、ディアナは今まで以上に涙を零す。

胸が痛くて痛くて、声も出ない。

いつの間にこんなにも好きになっていたのだろう。人を好きになると感情がいろいろな方向に交差し、胸が熱くなり苦しくなるなど知らなかった。何処かに連れて行かれる恐怖よりも、王子に会えない悲しみにディアナは涙を零し続けた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

ギルバードは香りの筋を追い、王宮庭園に辿り着く。 

静まり返った庭園に足を踏み入れた時、王宮から宰相とレオンが追い掛けるように近付き、恭しく一枚の書状を差し出す。それは国王からの書状で、ディアナ捜索に関して全ての権限をギルバードに一任するという内容だった。

 

「おそらく、ディアナ嬢は殿下の妃選びに巻き込まれた可能性があると国王はお考えです。それと、国王からの伝言を預かっております」 

「・・・・・聞きたくないが、言ってみろ」 

「コホン、では失礼致します。 『まぬけ! へたれ! 抱き癖王子! 自分の嫁くらい、自分の力でしっかりと守れ! それでも俺の息子か!』 ・・・・伝言は以上で御座います。ところで殿下は庭園にどのような用事があるので御座いますか」

 

宰相から聞かされた王からの伝言に羞恥と共に殺意が湧くが、咳払いをして背を正す。

レオンが全身を戦慄かせているのが見えたが、それを無視してディアナの部屋から具現化したローズオイルの香りを追って王宮庭園まで来たと、それまでの経緯を話し伝えた。

 

「ローヴから話しを聞いていると思うが、ディアナの部屋に配していた近衛兵に魔道具が使われた。ローヴには魔道具の種類とそれを所有する者を探し出して貰うが、王宮側では何か動きがあったのだろうか」 

「今、密偵を動かしていますので、報告が上がりましたら随時お伝え致します」 

「俺はそのまま香りを辿り、ディアナの後を追う。判ったことはローヴを介して伝えるようにする。騎士団を動かせるよう団長に指示を出した。レオンは双子に連絡を取れ」 

「御意。・・・・殿下、ディアナ嬢を早く安心させて下さいませ」

 

レオンの言葉にギルバードが力強く頷くと、親子は同じような柔和な笑みを浮かべた後、踵を返して王宮へ向かった。二人を見送ったギルバードも香りの筋を追い掛けるように庭園奥へと向かう。

 

点在するガゼボが庭燈に浮かぶ静まり返った庭園を見回し、ディアナが辿った道を追う。

王子に呼び出されたと信じて庭園に足を運んだ彼女は、どんな気持ちだったのだろう。

俺からの呼び出しだと思い、少しは嬉しそうに足を運んだのだろうか。

それとも夜遅くに王宮側まで呼び出すなど、迷惑な王子だと思っただろうか。 

王子が放置し続けた妃推挙に巻き込まれたと、ディアナは気付いただろうか。

まさか傷を付けられてはいないだろうか。

もしかして俺が攫うよう指示したと思ってはいないだろうか。 

厭な考えばかりが頭を過り、胸の動悸は激しくなるばかりだ。精一杯時間を工面して作り、好きだから一生を共に過ごしたいと納得するまで繰り返し語り続けていたら、こんな事態になることなく望む言葉を手にすることが出来たのだろうか。今更な考えばかりが浮かび悔やまれるが、今は悔やむよりも先にディアナを助け出す方が先だと足を進める。

あとで何度も真摯に謝ろう。

巻き込んで悪いと、それでも側に居て欲しいと伝えよう。自分の気持ちを伝えるためにも、今は彼女を取り戻すことだけに集中しようと奥歯を噛み締めた。 

 

ローズオイルの香りは少し開けた場所にあるガゼボで途切れた。 

ガゼボの柱に触れたギルバードは一度深呼吸をして、ゆっくりと目を閉じる。

 

「ディアナがここに来て、何があったかを全て見せろ」

 

呟きを落とすと足元から風が舞い上がると同時に、脳裏に映像が浮かぶ。

白い布が掛けられたガゼボの中にいるのは女性で、その周囲に侍従服を着た男が三人。驚きの表情を見せるディアナの前にいるのはエレノアで、深く御辞儀する彼女に何か問い掛けていた。言葉は聞こえてこないが、深く低頭したまま狼狽するディアナの様子から、エレノアに何を言われているのかは容易く想像出来る。

叔父である王弟からエレノアを正式な婚約者にとの話を受け流していた結果がこれなのかと、ギルバードは顔を顰めた。

 

何を言われたのか、突然顔を上げたディアナの背後から侍従服を着た男の手が伸びて彼女の口を塞ぎ手足を縛り上げ、ガゼボに掛けられていた布で彼女を包み込む。

男たちがエレノアの指示で庭園からディアナを連れ出し移動を始めたのを最後に光景は途切れ、ギルバードはゆっくりと目を開いた。

直ぐに指輪でローヴに今見た光景を伝え、このまま香りを追い掛けると伝える。

 

『殿下、馬は門に用意出来ております。各関所への伝令も済んでおりますが、今現在怪しい人物や馬車が通過した報告はありません。魔道具は記憶操作系の香り玉と判りました。所有者も直ぐに判明するでしょう』 

「わかった。連れ行かれた方向が特定出来たら、また報告する」

 

顔を上げると香りの筋はディアナが布に包まれたせいか霞んで見え、これ以上追えなくなる前に急いだ方がいいと駆け出した。王宮庭園から一番近い門に着くと門兵がギルバードの馬に鞍を付け終えたところで、待機していた双子騎士と共に城下街へ駆け出す。

 

「ディアナが使用した香りを追っている。飛ばすから遅れるな!」

「了解っと あ、殿下、もしかしたらだけどグラフィス国の商船が関係あるかも!」 

「俺も同感! 商人が来るって言っていたけど全然現れなかったし、どうしても第二大港に停泊したいって頑張っていたしな。それって王城から一番近い港だからと考えると」 

「・・・ちっ!」

 

双子騎士の言葉を裏付けるように香りの筋は真っ直ぐに第二大港へと向かっている。ギルバードは指輪に向かい、怒鳴り声を上げた。

 

「ローヴ、騎士団長に第二大港へ来るよう伝えろっ! それと王城内に居るはずのエレノアを逃がさないよう王に伝えてくれ。ディアナを攫った一味の首謀者だ!」 

「ええ!? エレノア様が関与してるの? 殿下、それって」 

「それ以上は言うな! 飛ばすぞ!」

 

ギルバードは愛馬に呟きを落として速度を増した。闇に乗じてグラフィス国の船が出港してしまえば追うのが難しくなる。焦る気持ちが馬を急かし、今の感情で魔法を使えばどうなるか、流石にまずいと脳裏を翳めた想像に舌打ちをした。

 

 

 

 

 

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