紅王子と侍女姫  50

 

 

港に到着すると黒塗りの馬車が移動を始めようとしているのが見えた。

ギルバードが双子に視線を投げると、エディは直ぐに手綱を引いて馬車を追い、オウエンは港管轄局へと向かう。黒塗りの怪しげな商船が桟橋から離れて行くのを睨み付けながら、ギルバードは指輪に指示を出した。

 

「悪いがローヴ、カリーナを連れて第二大港へ来て欲しい。ディアナを乗せたと思われる商船が既に出航してしまった。万が一に備えるため、協力してくれ」 

『時間外労働手当てを要求しますよ、殿下』

 

指輪からローヴの苦笑が聞こえ、背後ではエディが引留めた馬車の御者の悲鳴が港に響き渡る。馬上からエディが馬車の扉を蹴飛ばすと、中から抱き合う二人の男が転がり落ち、その背後からローヴとカリーナが眉間に皺を寄せながら顔を出した。男たちは互いに抱き着いたまま身体が離れないようで、馬車内に突然現れた魔法導師らに蒼褪め、月明かりを背にした黒髪の王子に気付き悲鳴を上げる。 

鞘から離れた剣を手にしたギルバードが石畳に切っ先を引っ掛けながら近付くと男たちはさらに盛大な悲鳴を上げ、夜目にも判るほど震え始めた。エディが縄で縛り上げた男たちの身体を王子に向けると、剣の切っ先が男たちを捕える。

 

「ひっ、ひぃいいいいっ!」 

「叫ぶ暇があるならディアナの居場所を言え!」 

「馬車にディアナ嬢はおりません。殿下が仰るように、出航した船の中でしょう」 

「ディアナは船か? あれはグラフィス国の船で間違いないな!」 

「ひぃいいいいいっ!」

「首謀者はエレノアか? ディアナを何処に連れて行くつもりだ!」 

「ひぃ・・・っ! ひいいいいいっ!」 

「ひいひい、ばかりじゃ話にならんっ! エディはコレを馬車に乗せて王宮刑吏に引き渡して来い! ローヴは俺が万が一暴走した時、港に被害が生じないようにしろ!」 

 

ギルバードは怯えるだけの男たちから興味を失うと、港に視線を投げた。苛立ちと焦燥感に紅い揺らめきを湛える目を細め、乾いた唇を舌でなぞる。

その背後でローヴとカリーナが揃って袖から杖を取り出した。 

カリーナは杖を繰り、港に停泊している漁船を桟橋から離れた場所へと移動し始め、ローヴは魔道具を宙に放り投げる。宙に放られた幾つもの球体は第二大港全体に散り、被害が生じても最小限に留まるよう魔法による結界を敷いた。

 

「殿下、どうされますか?」 

「魔法で船を引き寄せるのは容易いが、引き寄せている間に異常に気付いた船員がディアナを盾にする可能性がある。だから俺が直接船に乗り込み、ディアナを救出してから港に引き寄せ、騎士団に船員を捕縛させようと思う」 

「あの商船は、一応交流ある国の船。ディアナ嬢を攫われて御怒りなのは重々承知しておりますが、国交を有利にする材料になるかも知れません。考慮が必要では?」 

「ディアナを攫うのに加担した奴らだ。考慮も躊躇も必要はないだろう。必要なら、それは宰相とレオンに任せる。あいつらの方がそういうことは頭が回るからな」

 

紅い瞳を細めて薄い笑みを浮かべるギルバードにローヴは肩を竦め、手首に巻かれたディアナのリボンに手を翳して淡く輝かせると、真摯な表情を向ける。

 

「出来るだけ被害が生じないよう魔法による結界を第二大港全体にかけましたが、ここは民が使う港ですから、魔法が暴走しないよう気を付けて下さい。自分を助けるために殿下が港を破壊するようなことになれば、ディアナ嬢がどれだけ嘆かれることか。・・・・それと遅くなりましたが、東宮近衛兵に使われた魔道具の持ち主を見つけて御座います。詳細報告は既に宰相へ済ませ、王宮警護兵が動いておりますので御安心を」 

「そうか。まあ、奴らが大人しく捕縛されてくれるなら港を荒らすことはないだろうが、相手次第だな。ただ、ディアナに泣かれるのは困るから・・・・気を付けよう」 

「よろしいですか、殿下。ディアナ嬢を泣かせますと、国王をはじめとして宰相やレオン様、双子騎士や騎士団員たちから、執拗な苛めを受けることになりますよ。その覚悟をもって行動されて下さいね」 

カリーナからの言葉にギルバードは苦虫を噛んだような表情で、桟橋へと向かった。

雲間に月が隠れると、黒一色に染まる海原。雲が流れ姿を出した月の明かりは波のありかを浮かばせるのみで、湾から出て行こうとする船の姿は朧気にしか見えない。その船に向かい勢いよく桟橋から飛び出したギルバードの身体は高く宙へと駆け上がり、音もなく皆の視界から一瞬にして消えた。

 

「・・・・殿下のあの御様子では、魔道具の数が足りないような気がしてきましたわ」 

「魔法のセーブを御教えしたのは十年以上前のことで、ディアナ嬢に魔法をかけられてから、殿下は魔法学を遠ざけておりましたからねぇ。カリーナ、こんな時間に起こすのは忍びないのですが、漁業組合の長に声を掛けてくれませんか」

 

カリーナが頷き姿を消すと、港管轄局からオウエンが夜番をしていた漁師とともにローヴの許へ姿を見せた。やはりグラフィス国の商船が夜中に出航するなど聞いておらず、許可もなく勝手なことをしやがってと怒りも顕わに怒鳴り出す。

言葉も通じない上に大きな商船を無理やり桟橋に寄せて来た異国の船。

出て行くのは構わないが、何の報告もなしに出航されては腹が立つと地団太を踏みツバキを飛ばす。

そこへカリーナが寝間着姿の漁業組合長と共に姿を現し、組合長は話を聞くと夜番の漁師同様、真っ赤な顔で怒鳴り出した。漁場を荒らし、迷惑を掛け、その上断りもなく夜間に出航。さらには殿下の大事な客人を攫って行った可能性があると聞かされた彼らは、奴らを捕らえるためなら港が荒らされようが破壊されようが一切の文句はないと胸を叩く。

 

「俺は最初から怪しいと思っていたんだっ! 訳の判らない言葉を捲し立てて無理やり停泊しやがって、おまけに人攫いだぁ? 港を壊そうが海が干上がろうが、奴らを捕えることが出来るなら被害がどれだけになろうと文句は言わねぇ! 思い切り、やっちまってくれ!」 

「組合長、すげぇカッコイイ~! でも大事な港に迷惑は掛からないようにするよ。そのために王宮魔法導師長に来て貰っているし、港に何かあるのは殿下も本意ではないしね」 

「ただ、明日の漁港の使用は無理と御理解下さい。大事な漁船は被害を受けぬよう移動しましたが、捕えた船の内部調査などで港を貸し切ることになるでしょうから」

「文句は無いと言ったばかりだ。全て納得するぞ」

「マジかっこいいっ! 街の御婦人方に、今の組合長の台詞を広めとくわ、俺」

「そうか? 女房が妬かない程度に頼むぞ!」

 

豪快に笑う組合長と漁師、ローヴ、オウエンの横でカリーナだけが呆れた顔を見せる。

早速、早朝から仕事をする漁師たちへ魔道具を使って港への立ち入り禁止とその経緯を知らせると、就寝中だっただろうに漁師の皆は快く了承してくれたちから。

その結果にオウエンは、「殿下が人気者で臣下は嬉しいよ」と笑う。 

「ギルバード殿下は昔、何度も何度も仕事の手伝いに来てくれたしなぁ。ここ数年は国内中の領地視察に行って、戻って来たばかりだろう? 次は愛しいお妃様探しかぁ」

「その愛しい想い人が攫われたんだよー。だから応援してね」

「何ぃ!? ・・・・よし、俺らが許可する! 船を破壊しろっ!」 

夜番の漁師と組合長が真っ暗な海原に向かって「ぶっ潰せーっ!」の怒号を放つのをカリーナが真夜中ですから御静かになさって下さい! と諌め、どうにか帰宅させた。

ローヴは大笑いを始め、笑い過ぎて激しく噎せ込み、オウエンが慌てて背を擦る。

 

「・・・ひぃ、はぁ。まったく、腹が捩じ切れるかと思いました。ああ・・・・、殿下がかなり苛立っているようですね、感情が昂り始めました。カリーナは港に被害が出ないよう結界の強化をお願いします。私は殿下の手伝いに参りますので、オウエンは騎士団が到着したら状況を説明して下さい」 

「了解です。港を壊さない程度にしっかり暴れるよう、殿下に伝えてね」

 

オウエンの言葉に満面の笑みを浮かべたローヴは杖をひと回しして姿を消す。

月が雲に隠れ闇に包まれた大港にいるオウエンとカリーナのもとに届けられるのは、波の音と共に微かに聞こえてくる異国の言葉。そして船の甲板らしき場所で揺れるランタンの灯りが確認できるだけだ。 

「ディアナ嬢に傷ひとつでもあったら・・・・。それって、考えるだけで笑えるね」 

「オウエン、それは少しも笑えません。恐ろしい想像が万が一にも現実化しないよう、他の魔法導師にも協力を仰ぎます」 

肩を揺らし笑っているオウエンを睨み付けたカリーナは、瑠璃宮の魔法導師に結界強化の魔道具を至急送るよう指示を出す。遠くに浮かぶ船から悲鳴が聞こえ出し、オウエンは口を尖らせた。 

「あーあ、俺も殿下と一緒に暴れたいなぁ」

「殿下は暴れに行った訳ではありません」

「でも最後には暴れるだろう? もう少ししたら盛大な破壊音が聞こえるはずだよ」

 

それを聞いたカリーナは呆れたように溜め息を吐く。

そして直ぐにオウエンの言葉通り、闇一色の海原から何かが爆発したような音が響き聞こえ、カリーナは結界を強化するために杖を振り上げた。

 

 

 ***

 

 

グラフィス国の商船に近付いたギルバードは、見つからないようにと船首下に身を隠した。

まずは船の動きを止めるため、周囲の海を凍らせようと動き出す。深く海底まで凍るよう呟きながら手を翳すと硬質な音を立てながら海が凍り出し、船はゆっくりと速度を落とし外海に出る手前でその動きを止めた。 

直ぐに頭上から 「一体、どうしたんだ」 と訛りの強い異国の言葉が聞こえ始め、ギルバードは身を隠しながら甲板へ飛び乗る。船員らが何故船が止まったのだと訝しみ、小舟を下ろして確認しようと動き出した。帆柱に隠れながら船倉へ降りたギルバードは、しかし、完全に途絶えてしまったディアナの香りに舌打ちを漏らす。

船内の何処かにいるはずだが、この船は乗員、物資、貨物を運ぶため広く大きな造りになっている。今自分がいる船の大きさから、探すには手間がかかるだろうと予測したギルバードは大きく溜め息を吐きながら手首のリボンに視線を落として、気を落ち着ける。 

早期解決する手段としては、船を持ち上げ強制的に港に移動させることだが、その際生じる大きな揺れにディアナが怪我をしては困る。身を隠しながら次々と部屋を探し回るが容易に見つけることが出来ず、まさか荷物と一緒に船底にでも置かれているのかと廊下に飛び出した時、グラフィス国の船員とばったり出会ってしまった。

 

「な、・・・・みっ、密航者だっ! 密航者がいるぞ!」 

「誰が密航者だーっ!」 

突然現れた相手に思わず怒鳴り返したギルバードは、踵を返して仲間のもとへ向かおうとする相手の足を素早く払い、倒れる寸前に項へと手刀を落とした。

だが、これで静かになったと安堵するギルバードの背後から、いま昏倒させた船員の叫びにやって来たのだろう男が剣を突き出す。即座に抜刀して受け流したギルバードは苛立ちも露わに舌を打った。 

「思ったよりも早く見つかったな。ディアナを探す暇もない!」 

ギルバードは文句を言いながら相手の右腕に剣を突き刺す。剣を落として戦意喪失した船員に安堵すると、次の船員が姿を見せる。次から次へと姿を見せる船員たちを前に、狭い廊下では分が悪いと甲板へと走り、苛立ちに髪を掻き毟りながら帆柱を思い切り叩いた。

 

「おい、お前ら、よぉく聞けっ! いま、この船はエルドイド国の管轄下にある。俺の調べが済むまでは出航などさせない。もちろん船が動かないのは既に承知だろうが、ついでに・・・・」 

指を鳴らすと全ての帆が一瞬にして無数の蝙蝠に変わり、一斉に闇夜に羽ばたき飛び去って行く。船員たちが帆が消えた事実に愕然としている間に、ギルバードは再び船倉へ急いだ。

確証がないまま船底へ向かおうとすると、新たな船員たちが現れて通路を塞ぐ。剣を手に近付いて来る船員たちを前に、ギルバードは我慢も限界だと大声で叫んだ。

 

「ああああっ! 次から次に出てくんなっ! 船くらいは無傷で返してやろうと思っていたが、そっちがその気なら、こっちも遠慮しないからな!」 

薄暗い通路に犇めく船員たちを睨みながら壁に手を叩き付けると、耳を劈くような破壊音とともに壁が外へと弾け飛び、船周囲に広がる凍った海原の上に破片が落ちていった。

突如爆発して大きな穴が開いた壁と、そこから見える光景に驚き呆ける船員らをギルバードは躊躇なく蹴り落とす。悲鳴を上げて逃げようとする船員の襟首を掴み外へ放り投げていると、気付けば周囲に船員の姿は消えていた。

それに安堵したギルバードが船底への階段探しを再開すると、厨房職員がナイフを振り上げ襲って来るから鍋をぶつけ、船医がハサミを振り上げるから足払いをして昏倒させ、いい加減にしてくれと廊下に出ると新たな船員が怒号を上げながら駆け寄って来る。 

「ちくしょー、次から次へと! 埒が明かねぇ!」 

再び壁を破壊して大穴を開け、向かって来る船員たちを突き落とし、階段を探すより早いと床を壊して階下へ飛び降りた。ひときわ重厚な扉を開くと、そこには船員とは異なる衣装を着た恰幅の良い男がいて、悲鳴を上げながら慌てて机の下に隠れようとする。

 

「他の輩とは衣装が違うな。お前がこの商船の長か?」 

「い、いやっ、違っ! そ、それよりお前は誰だ! 何故船が動かない、船に何をした!? 一体、何が目的だというんだ!」 

「それをお前が問うのか? 国の大事な港に許可もなく入港した上に勝手なことをやらかしておいて、この俺に、何が目的だと訊くのか。心当たりは充分あるだろうがっ!」 

ギルバードが椅子を蹴り飛ばしながら激昂した声を上げると、蒼白になった男が机の下から隠しきれない大きな尻を震わせて掠れた声を張り上げた。 

「そんなことはないっ、せ、正規の入港許可は取った! そ、それなのに、指示された港に到着したら許可は下りていないと難癖を付けられ、品が来るからと夜中まで待たされた挙句に、今度はさっさと出航しろと言われたんだ!」

「・・・・誰に指示を受けた? どんな取引をした?」

「取引内容は言えない。極秘と厳命されている。さ、逆らうことなど出来ない!」 

「はっ、語るに落ちるだな。他国の商船が逆らうことが出来ない相手など大貴族くらいだろう? 取引相手は王弟のエメリヒ・フォン・アハルか? それとも王弟息女のエレノアか? そんな輩と取引して、結果大事な商船を足止めされて破壊され、お前は大損をしただけだ」

「なっ、何故その名を・・・・ぐぅううっ!」

 

机下から引き摺り出した男の襟首を片手で掴み持ち上げ、空いた片手を薙ぎ払うと机が弾かれたように壁に激突して無残なまでに壊れた。

瓦礫と化した机の上に椅子が宙を移動し横倒しに置かれ、蒼白となった男は痙攣でも起こしたかのように全身を震わせながら、目の前のギルバードに覚束無い視線を向ける。

 

「ま、まさか・・・・この国で魔法を使えるのは魔法導師と呼ばれる者達の他、王位第一継承者のギルバード王太子殿下だけのはず・・・・。そ、そんな」 

「俺が魔法を使えると知っているなら、船が動かない理由が理解出来るか? 運ばれた彼女は何処だ! さっさと口を割らないと、次は船を二つに叩き割るぞ!」 

「お、女なら・・・・ふ、船底の食糧貯蔵庫に・・・・・・」

 

やはり船底かと舌打ちしたギルバードは床に置かれた縄で男を縛り上げ、階下へ向かう階段の在り処を問う。厨房横の扉からと訊き足を向けようとした時、目の前の空間が歪み、ローヴが姿を見せた。

 

「おやおや、思ったほどは暴れておりませんでしたねぇ」 

「船が揺れてディアナが船酔いをしたり、怪我をするのは困るからな。それよりディアナの場所が判ったから急ぎ向かう。ローヴは船員らを全て縛り上げておけ。船の外に放り出した奴もいるから、全て抜かりなく捕縛するように」 

「いきなり扱き使われるとは・・・・。殿下には年長者を敬うよう再教育が必要ですね」

 

呟きを無視して走り出した王子の背を見送り、ローヴは男を引き摺りながら甲板へ出た。

甲板にいた船員たちは恰幅の良い船長を軽々と引き摺りながら現れた壮年の人物に一瞬たじろぎ、剣で威嚇しようとして悲鳴を上げる。甲板にいた船員たちへと重く頑丈な縄が生き物のように蠢き出したからだ。驚きに逃げ惑う船員たちに容赦なく縄が襲い掛かり、あっという間に捕縛され、何が起こったのか理解出来ないまま床に転がることとなった。

 

「おや、ちょうど騎士団も港に到着したようですね。残りの船員を縛り上げたら、まとめてあちらに運ぶとしましょうか。ディアナ嬢のことは殿下に一任するのが良いでしょう。私も馬に蹴られるような真似をするつもりはないですしねぇ」

 

ローヴはこの騒動で二人の間に何か良い方向での進展があればいいとほくそ笑みながら、王子に突き落とされた船員たちの回収を始めた。

 

 

 

 

 

 

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