紅王子と侍女姫  55

 

 

カリーナがディアナを連れて船上から姿を消すとローヴが甲板上の消火を始め、ギルバードは船が港まで問題なく動けるかを調べた。だが船が動けるかどうかなど、正直今はどうでもいい。

心の大半を占めるのはディアナのことだけだ。 

ディアナが負った傷は深くないだろうか。医師の診立てはどうだろうか。

傷が残らないよう処置出来るだろうか。痛みはないだろうか。熱は出ないだろうか。

本心では俺を・・・・・恨んではいないだろうか。

彼女のドレスを剥いだ時、背を流れる血に視界が真っ赤に染まるのを感じた。そしてディアナに叱咤されるまで怒りに飲み込まれ魔法を暴走させていた愚か者を、本心ではどう思っているだろうか。少しも成長出来ていない自分が情けないと歯噛みした途端、唇に痛みが走った。

初めてディアナから貰ったキスが魔法の暴走を止めるためとは悲しすぎる。彼女は血が出るほど勢いよく口付けすることにより、意識を自分に向けようとしたのだろう。彼女がそう行動に出ざるを得ないほど、自分は暴走していたということだ。

真っ直ぐに見上げる碧の瞳から零れ落ちる涙と、強く掴まれた手首。

改めて思い返すと激しい羞恥と後悔に、このまま海へと身を投じたくなる。しかし投じたところで彼女の気持ちが救われる訳ではない。いまの自分がやることは海に飛び込むことではなく、一刻も早く船を港へ運び、王宮に戻って詮議の場に赴き、船上で見聞きしたことを報告することだ。

何も解決しないままディアナの許へ行っても、逆に心配させてしまう。 

気持ちを切り替えたギルバードが、商船が動かないよう周囲を凍らせたことや帆を蝙蝠に変えてしまったことを伝えると、ローヴが殆どの帆柱が燃えて炭化寸前だというのに帆の心配かと、腹を抱えて息も絶え絶えに大笑いした。

 

「ひっ、ひぃ・・・。こ、これだけ盛大に壊しておいて帆の行方など、些末なことを御気にされるとは、笑うなと言うほうが・・・・無理・・・ぐふっ! まあ、自国側の港に被害はありませんので問題はありませんよ。そうそう、漁業組合長が船をぶっ潰せと・・・・ぶふっ!」 

「・・・・それ以上笑うと寿命が縮むぞ、ローヴ」

「漁業組合長には、殿下がしっかり破壊されたと報告をしておきましょう」

「しなくていいっ! それより凍った海を解するから揺れるぞ」 

ギルバードは口を尖らせながら甲板から下を見下ろし、船周囲に張られた氷に手を翳した。硬質な音を立てて氷が割れ、船から離れた氷は海水へと戻り、その反動で大きく揺れる。

 

「船倉近くの穴から海水が入らないよう、魔道具で応急処置をして参ります」 

「このまま浮かせて港へ持って行った方が早いのではないか」

「穴の開いた大きな商船を港に浮かせたままで、誰が管理すると仰るので?」

「そ、そうか。では・・・・・応急処置を頼む」

「船倉で少々調べたいこともありますので、港に着きましたら連絡をお願いします」

「わかった。穴が塞がったら教えてくれ」 

ローヴが船倉へ向かうと、ギルバードは直ぐに甲板の床へ膝をつく。穴を塞ぐまでの間、少し船を浮かすためだ。魔法の発動と共に視界が紅く染まり、視界の端で手首のリボンが揺れ始めたのが見えた。その揺れに気が昂ぶっているのを自覚し、息を深く吐いて落ち着くよう自分に言い聞かせた。

全てを終わらせ、一刻も早くディアナの許に足を運びたい。ディアナの顔を見て、触れて、無事だと感じたい。ふと魔法を使って止血だけでもしておけば良かったかと思い浮かべると、頭の中に突然ローブの硬質な声が届けられた。

 

『殿下、ディアナ嬢の傷を魔法で治そうなどとは考えませんように。それは初期の魔法学で御教えしておりますよね。生命と感情には魔法を使うことを禁ずと、自然の理を捻じ曲げることは赦されないと。そして永き間、殿下は悔やまれていたはずです』 

「大丈夫だ。厳しい魔法導師たちに叩き込まれた、思い出すと身震いするほど厳しい教えのお陰で、あの場では考えに及ばなかった。まあ、魔法の暴走でディアナに迷惑を掛けたが・・・・解かっている」 

『解かっているなら結構です。ああ、王城にお戻りになりましたら王と侍従長からの誹りを覚悟なさって下さい。カリーナからもまだ話があるでしょうね』 

「・・・・だ、大丈夫だ。それも・・・・解かっている」 

背を這い上がる寒気に躰を震わせ、ギルバードは唾を飲み込む。

しかし、こうなるまでエレノアを放置したのは確かに自分の責であり、どんな誹りも叱責も全て受けるつもりだ。カリーナが言うように、救出したディアナを直ぐに港へと移動させるべきだった。突然目の前に出された魔道具に意識が向き、船を固定していたことを失念していた。逃げる方法を奪っておきながらディアナを誹られたことで頭に血が上り、してはならない暴走をしてしまった。その暴走を止めてくれたのはディアナで、俺のせいで攫われたというのに怪我まで負わせ、それなのに彼女は俺を止めてくれた。

思い返すと申し訳なさに胸が詰まるが、同時に毅然とした態度の彼女を思い出し、改めて惚れ直したと口元が緩んでしまう。 

『・・・・殿下。解かっていると仰りながら、その顔では反省の色が』 

「船倉から人の顔を覗くなっ! 穴は塞げたか? そろそろ動かすぞ」 

頭に響く声にからかいが混ざっているのを感じ、羞恥にジワリと頬が赤らむ。

ギルバードは深呼吸をして床に手を置き、ゆっくりと船を動かし始めた。

 

 

 

**

 

 

 

最後の船員が荷馬車に乗せられ港から出発してから間もなく、双子騎士がいる港に白煙を薄く棚引かせる今にも沈みそうなグラフィス国の商船が姿を見せる。その船影に、エディとオウエンは唖然とした表情で船首に立つギルバードに力なく手を振りながら出迎えた。 

「・・・・殿下、お帰りなさい。全部の帆柱が炭で出来てる船なんて、初めて見たよ」 

「帆も無いし穴も開いている。もしかしてこれが最新式の商船なの? あれ、魔法導師長は? 突然消えたから殿下の許かと思っていたんだけど、違った?」 

「お前たち、その言い方は絶対ふざけているだろう。・・・ローヴは船倉にいるが、直ぐに出て来る。それより商船の船長を含め、船員たちは皆すでに王城か?」 

「そう、いま最後の船員を移動したところ。それより殿下、・・・・ディアナ嬢は?」

 

エディに問われてギルバードの眉が寄り、オウエンに首を傾げられて顔をそむけた。

港に到着した商船の現状と王子の表情から何かあったと察した二人は、それ以上言わない方がいいと直ぐに理解したようだ。王子がディアナを抱き上げていないということは間違いなく何か事件が起こり、そしてカリーナにより先に王城に送られたのだろう、と。

王子の顰められた表情から、いまは訊かない方がいいだろうと、双子は賢くも口を噤むことにする。

 

桟橋に降り立ったローヴが船に向き直り、袖から出した杖を大きく振り回すと船のあちこちから大小様々なシーチェストが飛んで来た。もう一度杖を振ると、今度は樽に入った火薬が飛んで来るから双子騎士は蒼褪めて後方に逃げ出す。他にも杖を振るたびに雑多な物が船がら運び出され、オウエンが急いで王宮に運搬援助要請を求めに向かった。 

エディがギルバードのもとに馬を運び、レオンからの伝令を報告する。 

「殿下、王宮謁見の間へ急ぎ足を運ばれるようにと、指示が来ております。王命により、先ほど王弟とエレノア様を捕縛したとのこと。他の大臣らも召集されてます」 

「王が叔父を捕縛? ・・・・ずい分思い切ったな」

 

国王は以前から王弟が陰で何をしても、ある程度は放置していた。

自国の王太子を批判するような噂を流しても、勝手に舞踏会を開こうとも、エレノアが王太子妃になると吹聴して回っても、国民に迷惑が掛からない範囲なら好きにしろと放置していた。

国民の代表との揉め事に関しては厳しい態度を見せていたが、王宮内での揉め事は当事者同士で決着を付けろとばかりに目を瞑る。 

いつも面倒事を持ち込む王弟を王が何故放置するのか理解出来なかったが、ずいぶん後になってレオンから報告が上がる。王が娶った最初の王妃は、王弟が永く恋い焦がれた相手だったそうだ。ただその想いは一方的な偏愛で、その後王弟が娶った妻は王の妃推挙に上がっていた女性だったらしい。

自分が好んだ女性はみんな王である兄の方を望む、その現実に男としての何かが崩れたのだろうか。王である兄は何もかも好きに出来ると臣下に愚痴り、叔父の一方的な思い込みで憎しみを募らせていたことは周知の事実だ。

馬鹿らしいと思うが、叔父は王である実兄に少年時代から激しいコンプレックスを抱えていた。暴走しなかったのは王には娘しかおらず、王位継承に最も近いのは自分と、自分の息子だということ。

しかし王の再婚により王子が誕生し、燻っていた怒りに油を注いだらしい。もちろん怒りの矛先は常に王子であるギルバードへと向けられていた。

 

 

 

双子騎士とローヴに港を任せて王城に戻ると、レオンが片眉を持ち上げて出迎えた。恭しく低頭し、そして急いで歩けと促して来る。 

「お疲れ様です、殿下。ディアナ嬢は医師が治療を開始し、カリーナ殿が付いておりますので御安心を。まずは急ぎ、王宮謁見の間へ足を運んで下さい」 

「王弟が捕縛されたと聞いた。・・・・揉めるだろうか」 

「それは調べが進みませんと何とも言えませんね。全ての大臣に召集が掛かり、王宮第一、第二騎士団が揃っており、謁見の間はとても賑やかですよ。見応えがあります」 

楽しそうにレオンが言うから、肩を竦めると腕を掴まれた。 

「幸いにも殿下がディアナ嬢の部屋へ行かれようと思い立ったため、今回の王弟たちの悪事が露見し、グラフィス国の商船を確保することが出来ました。ディアナ嬢と流出されようとした魔道具を取り戻せて何よりです。・・・が、偶然や奇跡など何度もあるものではありません。この先どうすべきか、最善の策を良く御考えになって下さい。出来るだけ早急に」 

「・・・・承知している」

 

反省も謝罪も、後でいくらでもする。まずは王弟とエレノアの詮議だ。

その後で直ぐにディアナの許へ向かい、心からの謝罪と礼を伝えたい。彼女が望むならどんなことでも叶えよう。もしもアラントルに帰りたいというなら、それでもいい。これ以上、彼女が哀しむことのないよう、憂うことのないよう・・・・・。

だけど本当に伝えたいことがある。今度は言葉を違えずに、真っ直ぐに伝えたい。

 

「王宮第一謁見の間にて、皆様お集まりです。その前に」 

歩きながら、レオンが知り得たことを報告し始める。 

ギルバードがエレノアを娶るつもりがないことが明確となり、王弟は次の策を講じ始めた。

以前より我が国の魔道具に興味を持っていたグラフィス国に、エレノアを第一王子の妃にする条件で攻撃性のある魔道具を渡すことになったという。攻撃性のある魔道具とは、ローヴが言っていた鉱山掘削用の品だろう。実際、攻撃を受けたギルバードは眉を顰めてレオンに続きを促した。 

王弟の憎しみに油を投下したのは先日執り行われた舞踏会が原因だと、レオンは肩を竦める。

王弟は、近年は人前で踊ることの無かった王がギルバードが連れて来た娘と躍るのを目にして、もしや王太子妃が決まったのかと蒼褪めた。さらにディアナが田舎領主の娘と知った王弟は、尊き血統の我が娘が軽んじられたと激怒し、憤懣を隠そうともせず周囲に当たり散らしたらしい。

エレノア自身もディアナに反抗された経緯がある。

グラフィス国との取引が成立し秘密裏に寄港させた王弟は、ついでにギルバードが連れて来た娘を他国に売り飛ばしてエレノアの鬱憤を晴らそうとしたのだろうと続けた。報告にはレオンの推測も含まれているが、概ね間違ってはいないだろう。

身勝手な輩の暴動に、ギルバードは足を止めて苛立ちを吐き出した。

 

「あいつらは、昔からネチネチと嫌味ばかり! 人の仕事を勝手に増やす癖に、鬱憤が溜まっているのは俺の方だ! おまけにディアナを売り飛ばそうなど勝手なことを!」 

「ディアナ嬢に関しては、殿下の采配が遅れたことが原因。そこは重々反省をして下さい。以前から王弟に関しては何度も忠告しておりましたし、女性心理で解からないことは手伝いますよと進言させて頂きましたのに、無視なさった殿下が悪い」 

「・・・・・・・」 

同じようなことを王からも言われるだろう。それも輪をかけて辛辣に。 

しかしディアナが受けた傷に比べれば、王に何を言われても、最悪王位継承権を剥奪されても文句は言えない。いっそのこと王子じゃなくなればディアナも身分を憂うことなく結婚に同意してくれるだろうかと思い浮かぶが、直ぐにそれを打ち消す。

彼女はそれを望んではいないし、喜ぶはずもない。彼女が何を望み、どんなことで喜ぶかを少しずつ判り掛けて来たはずだ。彼女の笑みを得るため、自分が何をすべきか。

もし彼女がアラントル領に戻りたいというなら、それを叶えよう。あとは自分が努力するべきだ。遠かろうが、政務があろうが、彼女の笑顔を独り占め出来るなら何度だって何年だって通ってやる。どんな試練だって、政務だって耐えることが出来るはずだ。

ふと、王である父から言われた台詞が頭を過る。

 

――――『自分が発する言葉に責任を持て』と言ったが、自分の言葉に責任が持てるなら好きにするのもいいぞ? 自ら動かねばならぬ時もあるからな 

 

言われた時はわからなかった意味が、今は痛いほど理解出来る。

そうだ、あとは自分で動くのみ。動き、責任を持って望むものを得るのだ。

 

 

 

 

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