紅王子と侍女姫  57

 

 

王弟から発せられた言葉に謁見の間に集まった大臣らが一斉にざわめき、壁際の騎士たちが抜刀した剣を王弟へ向ける。息子のリースが蒼白を呈して椅子から飛び降り、跪くと王に向かって額ずいた。 

「こ、国王陛下! 父上は乱心しております! 申し訳御座いません!」 

リースの戦慄く口から悲痛な声が上がるが、大臣たちのざわめきに掻き消されてしまう。

大臣の大半は憤り、王弟が起こした失策や地方領主たちとの様々な揉め事、王都商工会や漁業組合からの抗議で迷惑を被って来た過去を持ち出し、その彼がこの場で何を言おうと聞く必要はないと声高に言い放つが、一方では確かに過去の王位継承者は皆血筋正しき貴族との婚姻により生した子が受け継いでいたと声を潜めて話し始める。

エレノアは悲痛な声を張り上げ大仰に泣き出し、謁見の間は蜂の巣を突いた状態となった。 

 

莫迦らしいと放置する訳にもいかず、皆に落ち着くよう伝えようとギルバードが一歩足を進ませると、袖を掴まれ王に止められる。振り向くと王は愉しそうに目を細めて顎をしゃくり、黙って見ていろと合図して来た。 

終わりの見えない不毛な議論を、互いに己が正義と信じて論じ始めた大臣たちだったが、その内一人二人と高座で薄く笑みを浮かべたままの王に気付き目を瞠る。王弟の戯言に乗ってしまったと蒼褪める大臣もいれば、自分は始めから王太子殿下を支持していたと諂うような表情を浮かべる者もいる。

やがて痛いほど静まり返った謁見の間に、王のワザとらしい咳払いが大きく響き渡った。

 

「日々、自国のため真摯に従事してくれている大臣たちの貴重な意見交換は終わりか? ・・・さて、エメリヒ。魔法導師の作る素晴らしい品々を、近衛兵の洗脳や攻撃に使うのは困るぞ。それに、ローヴにも私にも内密に手に入れるなど、以ての外だ」 

「・・・王族である私が、何故卑しき魔法導師の許可を取らねばならぬのか理解出来ない。その卑しき血を受け継いだギルバードを次の国王になど、誰が認めるというのか!」 

「この国の王である私が認める。政務に関しても騎士団に関しても特に問題が生じたとは聞こえてこないが、他に問題があるか? 確かに頼りない部分はあるだろうが、それを補うべく支えてくれる者達を持つ息子だ。ああ、お前自身も息子を影から幾度も鍛えてくれたようだな。お蔭でかなり忍耐強くなったぞ。エメリヒに協力した貴族の顔もよく覚えている」

 

軽い口調で明るく話す王と対照的に、歯噛みをする王弟と、蒼褪め俯く大臣の姿を目にしてギルバードはどんな顔をしていいのか解らずに呆けてしまった。

顔を背けて笑いを噛み殺そうとする宰相、侍従長、魔法導師長が肩を震わせるのを視界の端に、ギルバードは床に蹲り項垂れたままのリースに気付いた。 

我の強い叔父やエレノアと比べると、息子であるリースは本当に血の繋がりがあるのかと思うほど大人しい性格をしている。任された政務は真摯に対応しているが、親に振り回され陰で悩んでいる場面を幾度か見たことがある。彼とは特別に仲が良い訳ではないが、悪い訳でもない。どちらかといえばリースの方が年上なのに一歩退いた感じが見受けられ、それが叔父からすると更に腹立たしく映っていたのだろう。

 

「ち、父上、それ以上はもう・・・・」

 

泣き喚くエレノアの横では、震え掠れたリースの声は届かない。王弟は激昂し、赤味を増した顔色で周囲を一瞥すると更に憤慨した。

 

「では陛下が認める王太子殿下の妃が、田舎領主の娘でもいいと謂うのかっ! 血筋正しき我が娘を差し置き、特筆すべきものを持たぬ小娘でも構わないと?」

 

何故そこにディアナが出て来るのだと、ギルバードが思わず足を踏み出すと、王が椅子から身を乗り出して大きく頷いた。

 

「ギルバードがそうと決めた相手なら私に異存などない。ディアナ嬢は可愛いしな。だが、まだ正式には射止めていなのだから余りそう煽るな。焦って下手を打つと困るだろう?」 

「い、今はそんな話をしている場合ではないでしょう! それとディアナに関して言わせて貰えば、本人の意向を無視して勝手に他国の船に乗せるなど、誘拐としか思えません」 

「それは先ほども伝えた。小娘の領地へ送り届けるつもりだったと」 

「彼女は私の賓客です! この件に関しては王弟といえど厳しく罰しますので、御覚悟を」

 

ギルバードの言葉にリースの背が揺れ、エレノアが号泣し始めた。ギリギリと奥歯を噛みながら立ち上がろうとした王弟は、しかし騎士に長槍で押さえ込まれる。睨み付けるも騎士たちの槍は動かず、王弟は今にも憤死しかねないほどだ。

 

「いろいろと遣り過ぎだ、エメリヒ。王宮内での行動にとやかく言ったことはなくとも、城外での言動には譴責して来ただろう。しかし、その厳しさも通じていなかったとは残念だ」 

「私は・・・国のために充分これまで尽くして来た! だからこそ多少の見返りは」 

「王族は国のためにあり、王宮は国のためのものであり、従事する者は真摯であるべき。そう父王に習ったはずだが、お前は利己的過ぎたな。―――― ローヴ、例の邸へエメリヒを連れて行け。宰相は諸々の手続きを頼む」

 

王が手を払うと、騎士たちが槍を離して後方へ退いた。目を瞠った王弟が立ち上がった瞬間にローヴが近寄り、彼の肩を掴むと同時に二人は謁見の間から姿を消す。

 

「お父様!?」

 

泣き叫んでいたエレノアが突然姿を消した父親に驚き立ち上がろうとすると、両脇に騎士が近寄り着座するよう指示を出した。騎士たちにきつく睨み付けるエレノアだが、王から穏やかに声を掛けられると悲しげな表情を見せて泣き濡れた顔を上げる。

 

「エメリヒには後で会えるから心配は必要ない。別の場所で審議をするため、他者と連絡が取れぬように一時的に幽閉しただけだ。ところでエレノア、ギルバードの名を騙りディアナ嬢を呼び出して他国の商船に引き渡そうとしたこと、間違いないな」

「そ、それは・・・・」

 

柔らかな笑みを浮かべる国王を前に、エレノアの表情が悲痛に歪む。鮮やかな紅を噛み締め視線を床に彷徨わせていたが、隣のリースが彼女の肩を掴み、はっきりと告げた。

 

「エレノア、もう全て包み隠さず正直に話すことだ。これ以上隠し立てしても何ひとつ好転しない。お前が陰で殿下を蔑み罵倒していたのは周知の事実だし、ましてやお前が殿下に対して切ない恋心を持っていたなど、誰も信じやしない」

 

兄であるリースが頑なな妹を必死に説得しているというのに、リースの台詞を耳にした騎士たちやレオン、宰相までもが肩を揺らして笑いを堪え始めるから、ギルバードは無性に腹が立った。

 

「エレノア、東宮近衛士が彼女の部屋に訪れた者の口上を覚えている。これ以上の隠し立ては不利になる上、ディアナ本人からも事情を聞いている。それを踏まえて答えよ」 

 

どうしたってディアナを想うと口調がきつくなるのを自覚しながら問うと、リースが被せるようにエレノアを揺さ振り説得を重ねる。憎々しげに見上げて来る彼女より、治療が終わった頃だろうディアナの様態が気になって仕方がない。

素直に早く喋って全て認めてしまえと強く睨み返すと、エレノアは途端に蒼白になりガタガタと震え出した。背後からレオンが「相手は女性ですよ」と呟いて来るが、怒鳴った訳でも激昂した訳でもない。全く心底面倒な女だと溜め息を漏らしながら頭を掻くと、脇腹を鋭く突かれた。

 

「大臣らの前で、それが王太子の態度か」

「・・・と、言われても」

 

王にから叱責を落とされ腹立ちが増す一方だ。リースが必死に説得を繰り返し、渋々といった態でエレノアは認めた。ディアナを王子の名を騙った偽りの手紙で王宮庭園に呼び出し、他国の商船に拉致監禁したと告白し、その告白に場に居た大臣らが騒ぎ出す。

この先は自分がいなくてもいいだろうと、ギルバードは背後に控えるレオンに視線を投げ掛けると、奴は口角を上げて垂れ目を更に垂れながら頷いてくれた。その表情にイラッとしたがぐっと堪えて、王に断りを入れる。

 

「国王陛下。私は一度この場から離れます」 

「ディアナ嬢の許へか? そろそろ夜明けの時刻だ。起こさずに、ゆっくり休ませてやったらどうだ。未婚女性の寝姿を見る性癖があると言うなら医師を呼ぶが・・・治るかな」 

「・・・・様子を見に行くだけです」

 

満面の笑みを浮かべる王を無視して高座を降り、リースとエレノアの横を通り過ぎる。

項垂れたままのエレノアは何も言わないが、リースが小声で謝罪をしてきた。足を一度止めて顔を見ると蒼褪め憔悴しきったリースが、それでも毅然とした態度で妹の肩を掴んでいる。王弟とエレノアには処断が下され何らかの刑が科せられるだろうが、リースには今まで通り王宮に従事して貰いたい。それも王の裁量によるだろうが。 

ギルバードは無言のまま、謁見の間を離れた。

 

 

 

 **

 

 

 

ディアナの部屋に到着する頃には東の空は濃藍に染まり始め、夜明けが近いと報せて来る。近衛兵が背を正し、医師らが部屋を出たばかりだと告げてきた。

室内には誰もいないのかと問うと、魔法導師がひとり残っていると言う。それが誰のことか直ぐに理解して目の前が一瞬暗くなったが、それでも意を決してギルバードは扉を叩いた。

 

「・・・・・どうぞ、殿下」

 

抑揚の無い声に恐々と扉を開くと、天蓋が下ろされた寝台近くにカリーナが座っているのが見えた。冷ややかな視線に足が竦みそうになるが、天蓋の中が気になる。

 

「寝て・・・・いるのか?」 

「少し熱が御座います。・・・・殿下にはお話したいことが多々ありますが、まずは彼女が受けた全ての傷が跡形もなく消えるよう、治療に専念させて頂きます」 

「よろしく頼む、カリーナ。跡形もなく綺麗に戻してくれ」 

「いいですか、殿下。お眠りになっているディアナ嬢を間違っても起こすことのないよう、くれぐれもお願いします。私は塗布薬と飲み薬の調合のために離れますので」 

「わ、わかった。大人しく見守っている」

 

カリーナはディアナが随分気に入っているようで、その分ギルバードはまるで仇のように盛大に睨まれてしまう。しかしカリーナの薬草や治療に関しての知識は瑠璃宮でも随一だと承知しているギルバードは、どんなに睨まれても構わなかった。

船上の闇の中、急いで血を止めようときつく縛り上げたが傷口をはっきり見た訳ではない。どのくらいの深さなのか、状態なのか判らないのだ。

医師と共に彼女の傷の具合を診たカリーナなら、傷跡を綺麗に消してくれるだろう。

 

天蓋をそっと払うと、敷布に深く沈み込んで眠るディアナの顔が見えた。

昇り始めた朝日で目覚めないよう、ギルバードは寝台に静かに腰掛けると天蓋を下ろす。

繰り返される規則正しい寝息は、王城に連れ来る馬車の中を思い出させる。

何時までも目を覚まさないディアナを馬車の中で抱きかかえ、プラチナブロンドの髪と同じ色の睫毛を見つめ続けた。その瞼が開いた時、彼女は大きな碧の瞳で真っ直ぐに自分を見つめてくれた。すぐに俯いてしまうことが多いが、最近は真っ直ぐに見つめて来ることが多いような気がする。あの透き通った碧の瞳に見つめられるだけで鼓動が甘く跳ね上がったのを思い出す。

 

振り返れば、燭台の芯で火傷した侍女姿のディアナに会った時から気持ちが傾いていたのかも知れない。厩舎近くでレオンに言い寄られて困っていた彼女を庇い、姉の婚約者と話をしていた彼女に焦れた自分を思い出し、今は静かに眠るディアナに視線を向けた。

 

「もっと・・・・俺を叱ってくれ。もう、君がいない世界など考えられない」

 

起こさないよう囁くように呟いたつもりだ。もちろん触れてもいない。

だけど呟きを零して直ぐ、ディアナの瞼がゆっくりと開き、ギルバードが焦がれる碧の瞳を向けてきた。

 

「殿下・・・・御無事で?」 

「お、起きてしまったのか! 起こすつもりじゃなかったのだが、いや、俺のことより痛みはどうだ? 熱があると聞いたが咽喉は乾かないか? 腹は減ってないか?」

 

ディアナの目覚めに、思わず興奮して声が大きくなった。直ぐに自戒し慌てて声を潜めるとディアナが小さく頷きながら笑みを浮かべるから、その表情に安堵する。

 

「本当に突然大きな声を出してしまって悪い。俺はディアナが庇ってくれたから何の問題もない。それより傷の痛みはひどくないか? いや・・・、痛いに決まっている」

 

顔を顰めるとディアナが慌てたように首を振り、痛みは感じないと伝えてくれる。

しかしそれはディアナの気遣いだろうし、今は痛み止めが効いて感じないのかも知れない。何より船上で背後から襲われたばかりだ。その恐怖を思うと、ギルバードはそれ以上何と言っていいか判らない。

 

 

 

 

 

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