紅王子と侍女姫  61

 

 

カリーナが一礼して部屋を出て行くのを、ディアナは眉を下げて見送る。

傷跡を絶対に残さないと宣言した彼女は日に何度も訪れ、瑠璃宮魔法導師特製の軟膏を持参して丁寧に処置をしてくれていた。それを申し訳ないと思いながら、断ることも出来ずに処置を受ける日々が続いている。そして、ここ数日間、ギルバード王子の訪れは無く、痛みが消えたディアナは漫然と寝て過ごすことを苦痛に感じ始めていた。  

自分が居るのは王太子殿下が住まう東宮の一室。

見上げるほど高い天井には精緻な模様が描かれ、重厚な調度品が上品に配置されている。天井まで届く大きな窓からは丁寧に手入れされた庭園が見え、怪我をしてからは広く柔らかなベッドで寝ている。高価で貴重なローズオイルを滴下した湯で身体を丁寧に拭かれ、シルクの夜着を身に纏い、まるで王女のような対応を受けている自分だ。

 

ここは田舎領主の娘が居ていい場所ではないと何度も思うのに、王子であるギルバードからの言葉が耳を擽る。好きだと、側に居て欲しいと、身分など気にしなくていいと伝えてくれた王子の真摯な態度と言葉はとても嬉しい。

だけど、自分などが王太子妃になるなど無理だと震えが走り胸が痛む。

王太子妃はいずれこの国の王妃となる。

王位継承者がギルバードだけとなった今、たくさんの子を生し国母となる女性が、侍女としての経験しかないなど誰が認めようか。それはギルバード王子を貶める原因になるだけでなく、国にとっても良いことではないだろう。

王子が好きだと、愛していますなど、どうして口から零れてしまったのか。戻れるものなら、王宮庭園で迷子になった幼い自分の口を塞ぎに戻りたいと願ってしまう。 

それなのに王子が部屋に訪れなことに不安を覚え、寂しく思う自分もいる。

太陽のように温かい笑みをいつまでも見続けたいと望む自分と、大それた望みを嗜めるべきだと叱咤する自分が交互に浮かび、ディアナは誰もいない部屋で幾度目かの深い溜め息を吐いた。 

 

遠くから何時までも聞こえるノックの音をディアナはぼんやりと聞き流していたが、この部屋の扉から聞こえると気付き、慌てて返答する。途端に胸が高揚しはじめた。

だが、ローヴの姿を目にして、大きく膨らんだ期待が一瞬にして萎むのをはっきりと自覚する。王子だと思っていた自分に羞恥さえ覚えた。

 

「ローヴ様。・・・このような姿でお会いする御無礼をお許し下さい」

「突然見舞いに来たのですから、無礼はこちらの方です。ディアナ嬢は何も気にせずに、見舞われて下さい。それよりも痛みは消えている御様子に安堵しました」

 

ローヴの言葉にディアナは笑みを浮かべた。

熱も痛みも翌日にはすっかり消え、今は傷跡が残らないようにと日に何度も処置をして貰っている。あとは自分自身の心の問題だが、そちらは一向に解決策が見つからない。

浮かべた笑みが消えていることにも気付かず、ディアナは扉に視線を向けた。

 

「・・・ああ、殿下が気になりますか? ここ最近は通常政務と今回の処理で走り回っておいでですが、ディアナ嬢が寂しがっていたと伝えましたら、何をおいても早々に足を運びましょう。私から殿下にお伝えしましょうか?」 

「いいえ、何も伝えないで下さい。・・・・痛みも消えましたし、傷も随分薄くなったそうです。ですから、もし宜しければ何かお手伝いでもさせて頂けませんか。騎士団休憩室の掃除でも、料理でも、厩舎の掃除でも・・・・・」

 

ディアナはそこで口籠った。妃になれる訳がない自分が、いつまでも東宮に滞在し勝手な行動を取るのは如何なものだろうと眉を顰める。

王太子妃になるのは無理だと悟った自分だ。それなら一刻も早くアラントルに戻るべきだと思うのだが、王子は何度も足を運ぶと仰っていた。ずっと顔を見せずにいたら諦めてくれるだろうかとも考えるが、余りにも身勝手な考えと胸の苦しさに項垂れてしまう。いっそのこと、叔母のいる他国に行った方がいいのかと考えが浮かぶが、それを実行する手段も踏ん切りもつかない。

 

「気分転換に料理はいいですね。菓子好きな殿下へ差し入れをされるのでしたら、直ぐに双子騎士に声を掛けましょう。ああ、出来ましたら私の分もお願いします」 

「いえ・・・・、やはり止めておきます。騎士様もお忙しいでしょうから」

 

視線を揺らしながら膝上の手に落としたディアナに、ローヴが紅茶を差し出す。いったい、いつ淹れたのだろうと驚きながら受け取ると、カモミールの香りが鼻を擽る。淡い琥珀色を眺めていると、グルグル回る考えに囚われている滑稽な自分が映っていた。目が熱くなり潤み出したのが判ると、ディアナは瞼を閉じて紅茶を口にする。 

数日間、どうしたらいいのかと悩んだが、やはり解決策など思い浮かばない。妃になるのは無理だと伝えることは、王子から貰った真摯な言葉を裏切ることになるようで怖い。だけど怯え竦んでいるばかりでは一歩も前に進めないと、ディアナは顔を上げてローヴを真っ直ぐに見つめた。

 

「ローヴ様は・・・・殿下の御母堂様のことをよく御存じなのですよね」 

「ええ、もちろんです。ディアナ嬢が今何をお悩みになっているのかも存じておりますよ。難しく御考えになられているようですが、あの王にして、あの王子です。難しく考えることなど何もないのです。互いを好ましく想い合い、ディアナ嬢の笑みに発奮した殿下が政務に励まれる。それだけでいいのですよ」

「私は侍女として過ごすことに喜びを感じていて、基本的な淑女教育しか受けていない貴族息女としては未熟な人間です。・・・・殿下と想い合える嬉しさはありますが、妃の器では御座いません。それが・・・・」

「辛いですか? 殿下の妃となることは」

 

ギルバード王子の妃になるのが辛いのではない。

自分などが妃となった後、王子に厭な思いをさせるのではないか、結婚は間違っていたと思われるのではないか、魔法のせいで国のためにならない婚姻を結んでしまったと悔やまれるのではないか。自分が妃になることで、王子の太陽のような笑みが消えてしまうのではないか、それが怖いのだ。

 

「私でいいと言って下さる殿下が・・・・後で後悔されるのではないかと」

「殿下が後悔される? ほぉ・・・・、っ!」

 

紅茶のカップを見つめ眉を顰めて俯いたディアナの頭上で、ローヴが大きく息を吸い込む音が聞こえた。その音に顔を上げると、そこには真っ赤な顔色のローヴが口を押え、そして全身を痙攣させる光景が見え驚いてしまう。王城に来てから何度か目にした光景だが、余りにも激しく酷い痙攣と苦しそうな息遣いに狼狽してしまう。

 

「ロ、ローヴ様っ!?」

「ひぃ・・・・はぁー・・・ぐひぃ、ひぎ・・・・ぃひ・・・っ!」

「ローヴ様、息を! 息をして下さいっ!」

 

身を屈めて苦しげに笑うローヴの姿に、ディアナは慌ててベッドから飛び出した。戦慄く背を擦りながら必死にソファへと移動させ座らせると、急ぎ水を用意する。カップを持たせようにもローヴの手が震えており、ディアナは口へカップを近付けるが笑いが過ぎて水を飲むことが出来ないようだ。赤黒い顔色となったローヴが心配で、何かないかと周りを見回し、枕元のカラクリ箱を手にする。

確か心身ともに休める工夫がしてあると言っていたはずだと、蓋を開けると軽やかな音楽が流れ出した。どういう仕掛けなのか解らないが、音楽が流れ始めるとローヴの呼吸が徐々に落ち着きを取り戻し、その様子にディアナの狼狽も治まって来る。やがて、ソファに凭れ掛かるローヴが楽しげに笑いながら、カラクリ箱の蓋に手を掛けて音を止めた。

 

「お手間をお掛け致しました。もう、大丈夫ですよ」

「それは良かったです。・・・・あの・・・・私、何か変なことを口にしたのでしょうか。ローヴ様がこのようにお笑いなるようなことを言った覚えがないのですが」

 

すっかり落ち着いたローヴが水の入ったカップをひと撫ですると、それは紅茶へと変わる。湯気を立たせるカップがローヴの口元に運ばれていくのを、ディアナは目を瞠って見つめた。柔らかな笑みが向けられ、隣に腰掛けて欲しいと促されたディアナは呆けたまま素直に腰掛ける。

 

「ディアナ嬢が後悔されるのではなくギルバード殿下が後悔されると耳にして、笑いのツボを刺激されました。ディアナ嬢が御越しになられてからは、何度も笑わせて頂いておりますねぇ。まあ、殿下が後悔するなどは絶対に有り得ませんよ。十年間もの長き間、幼き少女から奪ったリボンを持ち続けた御方ですからね。・・・ディアナ嬢は勉強が嫌いですか? 新たに学ぶこと、出会うこと、世界を知ることはお嫌いでしょうか」

「・・・・いえ、学ぶことは好きです。知らないことを知るのも好きです」

「私も好きです。知識を増やすことは新しい自分に出会う良い機会でもあります」

 

目を細めて楽しげに微笑むローヴを前に、ディアナは心が軽くなるのを感じた。

ローヴの老獪な柔らかい声と物腰に、いつも救われている気がする。

 

「殿下と共に歩む、妃になる、そういう考えに至るまで東宮でいろいろなことを学ぶ機会を設けましょう。ディアナ嬢も殿下もまだ若い。多くを学び、多くの人との出会いを経るべきです。殿下の妃になるかどうかは、それから考えても遅くはありません」

「多くを・・・・殿下のために学ぶ・・・」

「殿下のために必要なことは、身分などではありません。王も殿下も歪みのない考えを持ち、それを貫く意思がおありです。それに賛同して力を貸す者もいれば、様々な思惑で近付く者もいる。それを見極める力もある御方ですが、常に背を正しているのは疲れましょう。真面目で頑固で時に不器用な殿下のために必要なのは安寧だと、私は考えております」

 

柔らかなその声はディアナの心の奥に蟠っていた闇を一気に蹴散らかした。

王子のために必要なのは安寧だ言われ、目を瞬きながら扉を見つめる。それを本当に王子が求めているなら、本当に身分は必要ないというなら、私にも何か出来るのではないかと、知らず膝上の手を握り締めていた。

 

「殿下は暫くお忙しい様子。その間にリハビリを兼ねて、身体を動かしましょうか」

「身体を動かすのは好きです。どのようなことでもさせて下さいませ」 

「料理や菓子作りも良いのですが、出来上がった品を見て殿下が政務を放り出す可能性がありますので、それはもっと後にしましょう。・・・・ああ、ローズオイルの蒸留に御興味はありますか? 遅咲きの薔薇を使い、今年最後の作業をするそうです」 

「それは・・・秘匿なものでは御座いませんの?」 

「隠すようなことではありませんよ。魔道具を使うと言っても、基本は面倒な作業の繰り返しで、蒸すし暑いし、大変な重労働です。良ければお手伝い頂けますか?」

 

重労働と聞き、その方が嬉しいとディアナの目が輝く。

献身的なカリーナの処置のお陰で傷の痛みは既にない。王子が忙しいというならば、自分はそれ以上忙しい方が精神的に楽だと考え、庭師の手伝いをさせて欲しいと即答した。 

身体を動かしながら自分の未来を考えてみよう。

ローヴの言葉に背を押されたようで、前向きに考える気持ちになれた。ローヴが楽しげに、知って損はないから時間がある時に王宮が執り行っている催事や領地について学びませんかと訊いてくるから、ディアナは素直に頷く。頭も身体も動かして、最後に残った心の赴くまま答えを出してみよう。

そう考えることが出来たのは、ローヴのお陰だ。

 

「ローズオイルが出来ましたら、姉上様へ贈られてはいかがですか? 式が終わった後、直ぐに王城に向かわれたと聞きました。ディアナ嬢からの贈り物を姉上様も御喜びになられるでしょう。もう一人の姉上や母君にも贈りましょうね」 

「良いのでしょうか、大変貴重な品であるローズオイルを贈っても」 

「もちろんですよ。庭師が言っていませんでしたか? 魔道具を使い、例年より多くのオイルを作ることが出来たと。上手く使われてこそ、魔道具を作る甲斐があるものです。ですから気兼ねすることなく贈って下さい」

 

ローヴの柔らかい笑みにディアナは胸がいっぱいになった。考え過ぎて閊えていた胸の苦しさが解き放たれたようで、ローヴの手を取り握り締める。乾いた大きな手が温かく、感謝の気持ちを言葉にしたいが上手く見つからない。瞳の奥が熱くなり、ひどく気が昂ぶっているのを実感したディアナの耳に、ローヴの穏やかな声が響く。

 

「殿下の母君も悩んでおられました。悩み、時には逃げ、それでも自分が望む答えは一つだと気付き、愛しく想い合う王のために殿下を産む決意をした。ディアナ嬢もたくさん悩みなさい。ですが、手助けしたいと手を差し伸べている者たちがいることを忘れないで下さい。ディアナ嬢が一人で悩み苦しむ必要などないのですよ。悩みの原因である殿下を巻き込むのも、今しか出来ない楽しさかも知れませんねぇ」

「殿下を巻き込み、それを楽しむなど・・・・」

「楽しいと思えるのですよ、あとで振り返ると。・・・・その時はすごく悩み、迷い、何度も足を止めて考える。しかし、やがて顔を上げて周囲の手を借り、歩き出すことで成長するのだと思います。ディアナ嬢、私どもにそのお手伝いをさせて下さい」

 

その前に庭師の手伝いをお願いしますとローヴに言われ、ディアナの瞳からとうとう涙が零れた。穏やかな笑みを見つめながら、頬に伝わる熱いものが最後まで残っていた心の壁を叩き壊す。明日にでも庭師の許へ案内しましょうと言われ、ディアナは大きく頷きながら瞬きを繰り返し、溢れていた涙を散らした。

 

 

 

 ***

 

 

 

「殿下、宰相より急ぎの書類が届きましたので、目を通し署名をお願いします」 

「わかった。レオン、この書面の金額は見直し出来るか? 確か去年はもっと低かったはずだと記憶している。この金額で決定だと言うなら、理由を添付させろ」 

「御意。それと漁業組合長より港の報告が来ております。まあ、大した被害はないそうですが、桟橋の修理とグラフィス国商船の移動が済み、入り江奥に浮いていた船の残骸を拾い集め終えたそうです。掛かった費用は支払い済みです」 

「そうか、それは手間を掛けたな。改めて組合長に礼を伝えに行くから、時間を作ってくれ。何かみんなが喜ぶような土産も用意しておくように頼む」

 

寝る間も惜しんで政務に励む王太子へ、レオンは容赦することなく次から次へと書類を手渡す。王子のやる気に、ディアナが絡んでいることは訊くまでもない。

一心不乱に働く王子から書類を受け取ると即時に次の書類を手渡し、決済の済んだ書類を箱に片付ける。しかし、その横には山積みの書類が署名を待ち焦がれるように山積みされており、ギルバードはそれを見ないように手渡された書面に視線を落とす。

 

「そう言えば殿下。リース様は普段通りに従事されておられるとか」 

「季節風などの自然災害が起きる時期だ。その対処を例年通り、担当して貰うことにした。多少は周囲の視線がきついだろうが、それは上手くカバーするよう宰相に伝えている」

 

書類に視線を落としたままギルバードが答えると、レオンが次の書類を被せて来る。ムッとして顔を上げると目の前に次の書類が差し出され、手で払って睨み上げるが次の書類を突き出される。

 

「・・・・レオン、何か言いたいことがあるのか?」 

「ええ、御座いますとも。まずは王弟の件ですが、幽閉だけで終わりとなるのでしょうか。宰相である父は口を濁し、大臣らには箝口令を布いている。ピリピリした緊張感が漂う中、リース様は蒼褪め強張った顔で従事されておられる。しかし殿下の侍従長である私が、殿下から何も聞かされていないというのは、余りにも嘆かわしいことで御座います」

 

大仰に眉を顰めながらも次の書類を突き出すレオンに、ギルバードは目を細めた。

宰相であるレオンの父が、レオンに何も話していないというのは珍しいことだ。王宮に従事する大臣、出入りする貴族への箝口令は、グラフィス国との話し合いが終わるまで城下に余計な情報が漏れないようにするためだ。箝口令には魔法導師の呪いがかけられており、密やかにでも広がらないようにしてある。

 

「そうは言っても、お前のことだ。ある程度は把握しているだろう」 

「グラフィス国へ魔法導師が調査のためにと潜り込んだのは把握してます。かの国の魔法導師は国を離れることを決断し、その内の数人が瑠璃宮に入られるそうですね。その時にグラフィス国が集めていた火薬や攻撃性のある魔道具で何をするつもりだったのか訊き出す予定だと。リース様の今後は王弟の自白後に決定する・・・くらいですね」 

「・・・そこまで把握していれば充分だろう?」

 

ギルバードが嘆息を零すと、レオンが目を細めて恭しく低頭する。

 

「それと、エレノア様の婚姻予定が流れたのは、つい先ほど知った情報です」 

「ああ、まあ・・・・。事情が事情だから、仕方ないとしか・・・」  

 

宰相がグラフィス国へ赴き、エレノアの婚姻に関しての書類があることを告げると、それは申し訳ないが無かったことにして欲しいと深く深く謝罪された。第一王子が魔道具と引き換えに迫られた婚姻を厭い、元々の婚約者である貴族息女と出奔したと言われ、調べてみるとそれは報告通りであり、宰相も頷くしかない。

エレノアには未だ報告されていないようだが、王弟である父親が幽閉されたのだ。

彼女もそれどころではないだろう。

では魔道具の譲渡に関してはというと、婚姻の祝いだと王弟が強引に押し付けて来たと繰り返すのみで、攻撃性のある魔道具を渡されることになろうとは驚きだと嘯いている。知らなかったと繰り返すグラフィス国に対し、宰相は薄く笑みを返したと話す。もちろん知らぬ存ぜぬで逃れられる訳が無い。 

ディアナを無理やり捕縛し乗船させた件は、王弟の指示を船長が独断で請け負ったとして、エルドイド国の法令に従い船長及び船員らを我が国で処罰することが決定した。グラフィス国は是非もなく了承し、さらにエルドイド国領海への立ち入りを一切禁じられ、それも了承する。同盟国である他の国々も大陸一強国であるエルドイド国の動向には機敏に反応するため、今回の件でグラフィス国の先行きは昏いものとなるだろう。

 

「殿下、王弟の今後は如何様に?」 

「それは俺にもまだ知らされていない。身内の裏切りなど何代にも亘り無かった事例だから会議が難航しているそうだ。新たな鉱山掘削に必要だと言われ、結果、王弟に魔道具が渡ったことを知った魔法導師はかなり憤り、ローヴが落ち着かせるのに苦労したらしい」 

「幾人もの大臣や官僚の手を煩わせ偽の書類を作り、上手く魔法導師を騙して魔道具を手に入れたのでしょうが、国を離れると爆発するなど私も勉強になりました」 

「どの程度の爆発なのか、怖くて訊けないがな」

 

もしも、あのままディアナを乗せた船がエルドイドの領海域を離れていたらと思うだけで手に汗が滲む。あの時、自分がディアナの部屋を訪れようとしなかったら、それは現実になっていたのだろうか。もしもの想像に目の前が歪むほど苛立ちを感じ、手にした書類を握り潰しそうになる。どうにか詰まりそうな重苦しい息を吐き、署名の済んだ書類を渡すと、レオンが次の書類を突き出した。

 

「・・・なあ。ここ数日、俺は碌に休憩も取らずに政務に励んでいるが、一向に書類の山が減らないのは何故なのだろうか、レオン侍従長」 

「宰相がグラフィス国へ赴き、王を始めとした大臣らが連日の会議で非常にお忙しいからでしょう。全ての政務は殿下の許へ集まるよう、王の御指示を賜っております」 

「ディアナの見舞いにも行けず、執務室から出られず、書類と睨めっこか」 

「ああ。ディアナ嬢といえば、先ほどローヴ様と庭園を散策されておりましたね」 

「・・・っ!」 

レオンの言葉に、手にしていた書類が宙を舞う。

直ぐに立ち上がり扉に向かうが、レオンがその前に立ち塞がった。 

 

「大事な政務を、まさか放り投げて行かれるつもりですか?」 

「ちょ、ちょっとだけだ! カリーナのせいで、もう一週間もディアナの顔を見ていない。庭園にいるというなら体調は戻ったのだろう。少しでいいから頼む、レオン!」 

「ああ・・・・殿下から、そのように懇願されるとゾクゾク致します」

 

垂れた目を細めて笑みを浮かべるレオンを前にして、全身から力が抜け落ちそうになるが、ギルバードはぐっと手を握り締めて眉を寄せた。

ディアナの部屋に魔法をかけられ、彼女と会えなくなってから既に一週間以上が経過している。会えない間は真摯に政務に取り組んで来たが、ディアナ不足も限界だと焦れていたところだ。少しの時間でいいから会いたいと希うのは、仕方がないだろうと必死に訴える。

 

「ディアナと一緒に乗馬を楽しむ予定も、東宮厨房を貸し切って料理を作って貰う約束も、叔父とエレノアのせいで反故にされたままだ。折角互いの気持ちが通じ合ったというのに、俺はお前と二人きりで執務室に籠もり、朝から晩まで仕事ばかりだ」 

「さらに国王の誕生を祝う舞踏会では、またしてもディアナ嬢と一番に踊る権利を奪われたそうですね。ああ! 何と御可哀想な殿下でしょうか」

 

ヨヨッと悲しげに顔を伏せるレオンだが、その口角はいやらしく持ち上がっている。

何故そんなことまでレオンが知っているのかと呆れ、ギルバードはハタと思い出す。

 

「レオンっ! 女性への贈り物やドレスなどはいつも何処に注文している?」 

「おお、朴念仁だと思っていた殿下が御成長されましたね! それも王に先を越されるのかと心配しておりましたが、喜ばしいことです。お祝いに取って置きのワインでも開けましょうか」 

「いいから! 早く教えろ」 

「採寸が必要ですか? それでしたらメリー・ポエムかフラウ・エルサの店がお勧めです。宝飾は王宮出入りの業者を呼びますか? そう言えば、この間ディアナ嬢に贈ったネックレスは、どのように手に入れた品ですか?」 

「あれは・・・・急だったから、姉へ贈るつもりだった品を」

 

言い淀むギルバードの台詞にレオンが大仰にふら付き、蒼褪めた額を押さえる。

思わず口を尖らせるが、確かに情けないことだと顔を背けるしかない。

王宮出入りの商人から姉の出産祝いにと購入したが、直後に領地視察に向かうことになり渡すことが出来ないままの品をディアナに渡した自分だ。ディアナのために選び、贈った品ではないことは十分恥ずかしいと自覚している。だけど、あの時は仕方がなかったのだ。

だが今回は充分な時間がある。

彼女に似合うものを選び、贈ることが出来るとギルバードは顔を上げた。ドレスも宝飾もディアナに似合うものを選び、美しく着飾った彼女をエスコートして参加出来る。ファーストダンスは王に譲ろうとも、その後はディアナを独り占め出来るのだ。

 

「宝飾は出入りの業者から購入するとしよう。ドレスは早急に、華やかで可愛い品を仕上げてくれる店がいい。散策出来るほど体調が戻ったのなら、直ぐに呼ぶよう頼む」

「では後程、フラウ・エルサに連絡致しましょう。では政務の続きをお願いします」 

「だから、少しでいいからディアナの顔を見せてくれ!」

 

おや、覚えていたのですねとレオンが笑いながら扉前から横にずれる。

扉を開けながらレオンを睨み付けるが、飄々とした笑みが返って来た。

 

   

 

 

 

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