紅王子と侍女姫  62

 

 

久し振りにベッドから解放されたディアナは、体をほぐすために部屋の掃除を始めた。ここ最近は部屋で大人しく過ごしていたが、今日は東宮庭師の手伝いが出来ると頬が緩んでしまう。ベッドメイキングを終え、家具や窓を拭き終えたと同時にローヴが訪れ、ディアナは明るい笑みで出迎えた。 

「ローヴ様。お陰様でとても身体が軽いです」 

「それは良かった。ですがディアナ嬢の体調は戻ったばかりですので、必ず庭師の指示通り、きちんと休憩と水分を取ること。かなり蒸し暑い作業ですので御覚悟されて下さい。汗を掻いたままですと、今度は風邪を召しますよ」

 

東宮庭園の庭師の許へ向かいながら、ローヴが約束ですよと繰り返す。確かに汗を掻いたまま作業を続け、風邪でもひいたら却って迷惑となる。

作業用の衣装を受け取り、庭園に到着すると庭師が日焼けした顔に深い笑みを刻み近寄って来た。

 

「やあやあ、お嬢さん。ローズオイルの手伝いをしてくれるそうだが、どうやってローズオイルを作るのかは御存じかな?」 

「すいません。前もって勉強してから伺うべきでした。私が知っているのは薔薇を摘み、大釜で煮詰めて蒸留し、ローズオイルとローズウォーターが出来る・・・・くらいです」 

「おお、それだけ知っていれば上等だ。だが解かる通り、大釜で薔薇を煮詰める作業はとても熱い。薪を焼べて、ただひたすら煮詰め続けるのだからね。そして蒸気から抽出する」

 

その前に薔薇摘み作業があると案内された。そこは王子と共に来たことのある薔薇園のさらに奥、細かな網が人の背丈よりも高く掛け巡らされた場所で、限られた人しか出入り出来ない特別な薔薇園だという。ローズオイルを抽出する薔薇には害虫除けの薬が使えない。そのため細かな網を一角の薔薇園を覆うように掛けたのだと説明してくれた。それでも入り込む害虫に毎年悩まされていたが、今年は魔道具を用いて多くの薔薇を使用することが出来たと庭師が説明してくれる。 

ローズオイルを作るには大量の薔薇が必要であり、抽出するには大量の綺麗な水と、それを沸かすための薪が必要。それらの用意と手伝いをお願いすると言われ、ディアナは頷いた。

 

「薔薇を摘むときは、葉と棘に気を付けるように」 

「例え、僅かでもディアナ嬢が傷付いたと知れば、ギルバード殿下がどれほど驚嘆されることか。そして政務を放り出して駆け付け、ディアナ嬢の傷を見て叫び、抱き上げて医務室に駆け込むことになる。そのような姿を国王やレオン達に弄られる殿下を見た瞬間に間違いなく私の息は止まり、腹が捩じ切れます」 

「ほぉ! そんな殿下なら、腹が捩じれてもいいから見てみたい」

 

ローヴと庭師が楽しげに笑い声を上げるから、ディアナは頬を淡く染めて俯いてしまう。

確かにそうなりそうだと想像してしまう自分も恥ずかしく、せめて忙しい王子の邪魔にならないよう気を付けようと手にした着替えを胸に引き寄せた。 

作業しやすい服に着替えたディアナは、やる気に満ちて庭師の許へ足を運ぶ。今日は手順を覚えて明日からの用意をしましょうと言われ、まず薪の用意を始めた。薪を運び終えると今度は庭園から少し離れた場所にある泉に案内され、明日は大釜に桶で水を何度も運ぶから忙しくなると説明される。桶は水を入れても重く感じないよう魔法をかけてあるとローヴが笑う。ディアナが筋肉痛になったら、それこそ王子が飛んでくると庭師と顔を見合わせ哂うから、羞恥に顔を上げることが出来ない。

あっという間に昼を過ぎ、一休みをしようの声に顔を上げると、カリーナが薔薇園近くのガゼボでお茶の用意をして待っていた。カリーナはディアナに椅子に座るよう勧めると、心配げな表情を浮かべる。

 

「ディアナ嬢、無理はしておりませんか?」 

「はい、カリーナさん。お陰様で身体が軽いですし、もう痛みもありません。久し振りに身体を動かすことが出来て、ほんとうに嬉しいです。それもローズオイルの蒸留を手伝えるなど、貴重な体験をさせて頂けることになり、心から感謝申し上げます」 

「それなら良かったです。では今日の作業は終わりにして、部屋に戻り入浴をされて下さい。最後の処置を行いましょう。今日で傷の処置は終わりになりますから」

 

傷の処置をするため先に部屋に戻り汗を流すよう言われ、ディアナは自分の姿を見下ろし頷いた。

確かに、薪を運んだり大釜を掃除したりしていたので衣装も手も酷く汚れている。東宮の客室に滞在しているとは思えない姿だが、それを目にしてもディアナの気持ちは落ち着いていた。

自分が今まで生きて来た中で培ってきた考えを変えるのは難しい。十年も侍女として過ごすことを当たり前だと過ごして来た自分だ。働くことが好きで、仕えるのが当たり前だと思っていた自分を直ぐに変えるなど出来ない。

だけど今のままの自分でも出来ることがあるなら、それを王子が望んでくれるなら、努力してみたいと考えることが出来るようになった。王子が求める安寧を、自分が努力することで差し上げることが出来るなら、どんなに嬉しいことだろう。

そう前向きに考えることが出来るようになった切っ掛けはローヴの優しい言葉のお陰だ。

王子を好きだと恋い慕う気持ちと王子の妃になるということが、今はまだ結びつかないが、出来る範囲で歩み寄ろうと思えるようになった。難しいと逃げるより、一歩前に進もうと思うだけで違う考えや道が見えて来るのかも知れない。

もし時間の経過と共に王子の気持ちが自分から離れたとしても、学ぶことは自分のためにもなる。

ディアナは目を閉じて、バラの香りに身を委ねた。

  

 

部屋に戻ったディアナは急ぎ入浴する。カリーナが最後の処置をすると言っていたので、バスローブだけを羽織った状態でバスルームの掃除も済ませた。処置が終わったらデイドレスに着替えて図書室に行き、長く借りていた料理の本を返却して、ローズオイルに関連した書物を探そうと考える。

明日使う分のタオルを用意をしていると、扉が勢い良く叩かれた。 

「どうぞ、お入り下さいませ」 

ちょうど良いタイミングだと返答したが、勢いよく扉を開いたのは、ギルバード王子だった。

あまりの勢いに目を見開いて固まっていると、顔を赤らめ荒い息を吐く王子のさまに、また何か善からぬことがあったのだろうかとディアナは蒼褪める。

次の瞬間、駆け寄って来た王子の両手が伸びて来て強く抱き締められた。 

「ディアナッ!」 

「でっ!?」 

伸ばされた腕に強く引き寄せられ、ディアナの顔は王子の胸に押し付けられる。

何があったのかと蒼褪めたままのディアナは、王弟の一件で忙しいはずの王子が突然来たのは、やはり何かあったに違いないと、それも悪いことがあったのだろうと身体を強張らせた。

しかしディアナの名を紡ぎながら背を撫で回す手の動きに違和感を覚え、強く束縛する腕の中からどうにか顔を上向けると同時に、額にキスが落ちて目を瞠る。驚くほど近い場所に王子の顔があり、満面の笑みを湛えながら目尻や頬にキスを落としてくるから、ディアナは狼狽した。

 

「ディアナ、久し振りだ! ローヴと庭園を散策しているとレオンから聞き、急ぎ足を向けたのだが、庭師の爺に部屋に戻ったばかりだと言われて急いで来たんだ」 

「あ、あのっ、殿下!」 

「もう傷は痛まないのか? 傷跡は残らないようカリーナに伝えておいたが、どうだ? 体調は戻ったのか? 庭に行くならローヴじゃなく、俺を呼べば良かったのに」 

「傷はもう痛みません。それより」 

「痛まないのか、それは良かった。ディアナ、・・・逢いたかった!」 

 

やっと顔が見えたと思ったのに、再び強く王子に抱き締められてしまう。背を引き寄せる手の力が驚くほど強くて、痛いと口から零れそうになった。

だけど心配していたという王子の気持ちが伝わって来て、ディアナは素直に嬉しいと息を零す。 

政務で忙しい日々を過ごされている王子が、私が散策していると聞き足を運んでくれた。怪我の心配をして、こうして抱き締めてくれる。

制御出来ない感情に振り回され勝手に落ち込んだり悲しんでいた自分の許に、相手の気持ちや考えから目を逸らそうとしていた自分の許に、心配していたと逢いたかったと王子は来てくれた。

強く抱き締められ、その強い束縛に眩暈を覚えながら胸が温かくなる。急な抱擁には驚かされたが、王子からの気遣いが嬉しいと、ディアナは素直に頬を摺り寄せた。

 

「・・・・歩けるようになったんだな。元気になって良かった」 

「御心配をお掛け致しました。それで庭師さんのお手伝いをさせて頂けることになり」 

「庭師の爺の手伝い? ローヴと散策に出掛けていたのではないのか?」 

「あの、殿下にお伝えもせずに申し訳御座いません。今年最後のローズオイルを作る手伝いをさせて頂けることになり、ローヴ様は庭園まで案内をして下さったのです」 

「そうか。ディアナはローズオイルに興味があるのか。・・・今もいい香りがする」

 

降り注ぐようなキスに惚けていたディアナは、自分の姿を思い出し、息が止まりそうになる。王子に抱き締められている自分は入浴を終えたばかりのバスローブを羽織っただけの姿だ。

その上、バスローブの下は夜着も下着も身に着けていないと思い出し、ディアナは目を瞠ったまま固まった。王子を押し退けることも出来ず、どうしたらいいのかと蒼褪めてしまう。

しかし、このままでは恥ずかし過ぎると、どうにか唾を飲み込んだ。  

「ディアナに会えず、辛かった。会えて本当に嬉しい・・・・」 

「そのように言って頂けて、う、嬉しいです。あ、あの、殿下・・・このような姿で大変申し訳ありませんが、宜しければ殿下にお茶を淹れさせては戴けませんか?」 

「このような姿? ・・・っ!

 

 

ギルバードが視線を下げると、腕の中にはバスローブ姿のディアナがいて、その姿に息を飲み固まってしまった。腕からスルリとディアナが抜け出して紅茶の用意を始めるのを呆然と目を丸くしたまま見つめ、回らない頭を必死に動かそうとする。ギルバードの回らない頭に浮かぶのは、疑問と後悔だ。 

何故、こんな早い時間に彼女は入浴したのだろうか。

何故、自分は懲りずに先触れも出さずに彼女の部屋に飛び込んだのか。 

毎回深く反省するのだが、ディアナに関しては落ち着いた行動がとれない。

顔を見るなり抱き締め、ディアナの意見を訊く余裕もない自分だ。

 

「あの、殿下には事後報告で申し訳御座いませんが、先ほどお伝えしたようにローズオイルの蒸留の手伝いをさせて頂けることになり、今日は薪運びをして来ました。それで少し汗を掻き、カリーナさんに言われて処置の前に入浴をしたのです。あ、処置は今日で最後になると言われ、ですから、あの・・・・このような姿で」

 

説明しながら紅茶を淹れるディアナが、そっと胸元を手繰り寄せる。

ほんのりと朱に染まっていた首や鎖骨が見えなくなり、そこで自分は何処を見ていたんだと慌てて視線を逸らした先に、目を疑いたくなる人物が立っていて思わず悲鳴を上げた。

 

ひぁあああっ! カ、カ、カ・・・ッ!」 

「・・・・・殿下。ディアナ嬢に何をなさいましたか? 正直に仰らないと・・・」 

「何もっ、何もしていない! なあ、ディアナ、俺は不埒な真似などしていないよな? ただディアナが部屋から出たとレオンから聞いて、それで庭園に向かったが戻ったと言われて、それで部屋に来たんだ! そ、それでこれからお茶を飲もうと・・・・」

「カ、カリーナさん?」  

表情を落としたカリーナが袖から杖を出しながら近付いて来るから、ギルバードは蒼褪めたまま下がるしかない。視界の端に驚いた顔のディアナが見えたが、少しでもカリーナから視線を外すと何が起こるか判らない状況だ。 

「あの、カリーナさん。処置が終わりましたら、殿下ともう少し御話しをさせて頂いても宜しいでしょうか。殿下にお時間がありましたらで結構なのですが」 

「時間はある、大丈夫だ! 廊下にいるから、しょ、処置が終わったら教えてくれ!」

 

*

 

カリーナを見据えながら大声で返答し、王子は脱兎の如く部屋を飛び出す。直ぐに部屋から姿を消した王子に、ディアナは本当は忙しいのではないかと思い、急いで処置をしてくれるようカリーナにお願いをした。ディアナの願いに、杖を仕舞いながらカリーナが眉を顰めて溜め息を零す。 

「いいですか、ディアナ嬢。そのような姿で不用意に扉を開けてはいけません! たとえ相手が殿下でもです。何かお困りになるようなことはありませんでしたか?」

「い、いえ、ありません! あの、私、カリーナさんだと思って返事をして、まさか殿下が御越しになるとは思ってもいませんでした。一週間程お顔を御見せになりませんでしたし、とてもお忙しいと聞いてましたので、・・・・・本当に驚きました」

 

 ディアナが目を瞬きながら赤く染まった顔を俯くから、カリーナは口を閉じて処置を始めた。

王子が彼女を翻弄しないよう、彼女が彼女自身の考えをまとめる時間を与えようと王子が部屋に入れないよう魔法を施したが、ギルバードに会えたことに頬を染めて嬉しそうな表情を見せるディアナを前にして、魔法は余計なことだったかしらと笑うしかない。 

処置を終えたディアナは急いでデイドレスを着る。カリーナが髪を緩やかにまとめ上げ花を飾り付けてくれたのに礼を伝えて扉を開くと、目尻を染めた王子が所在無げに立っていた。

 

「殿下、申し訳御座いません。お待たせ致しました」 

「い、いや、問題ない。カリーナ、ディアナの傷は消えたのか?」 

「・・・既に殿下がお確かめになられたのだと思っておりましたが、そこまで不埒な真似はされておりませんでしたのね。大丈夫ですわ、傷はもちろん綺麗に消えております。ですが殿下、浴後の淑女の部屋にいつまでも滞在するのはお止め下さいませ」

「きっ、消えたのならいいっ! ディアナ、場所を移ろう

 

真っ赤な顔の王子に手を引かれ、真っ赤な顔のディアナは黙って後に従う。

少し前までバスローブ姿だった自分を思い出し、そして背の傷を確かめる王子を想像してしまい慌てて顔の前を手で払った。 

「どうした? 虫でもいたか?」 

「いえっ! 申し訳御座いません!」 

とんでもない想像をしてしまったと羞恥に真っ赤な顔を逸らすと、足を止めた王子が手を引き再び抱き締めようとする。今は恥ずかし過ぎて王子の胸に顔を埋めることなんか出来ないと手で押し返すと、王子の身体が大きく震えるのが伝わって来た。 

「ディアナ。・・・・しばらく顔を見ていない間にもしかして気持ちが変わったか? 俺に抱き締められるのはイヤになったか? もう、顔も見たくないか?」 

「そ、そうでは御座いません。あ、あの、カリーナさんの言ったことを思い出してしまい、ああっ! あのその・・・・申し訳御座いません」 

「え? ・・・いやっ、心配ないぞ! 俺は許可なく、勝手にディアナの肌を見ることはしないからな! そ、そんな不埒な真似は絶対にしないからな!」

 

*

 

掴んだままの手がビクリと大きく震えるから、ギルバードは更に慌ててしまう。 

しかし許可なく肌を見ないと口にしたが、ディアナがいいと言ったら目にしたいと望む自分がいる。傷は本当に綺麗に消えたのか、真珠よりも真白いディアナの肌に僅かでも傷跡が残っていないかを自分の目で確かめたい。 

「・・・・ディアナは自分で傷跡を確かめたのか?」 

「いいえ、ずっとカリーナさんに身体を拭いて頂いていたので、自分では確かめておりません。先ほど入浴した時も処置があると急いでいたので鏡を見ることなく・・・」 

自分の咽喉がこくりと鳴る音にギルバードは慌てて深呼吸した。

身体を拭いて貰っている姿が脳裏に浮かび、王宮に向かう馬車の中でコルセットの紐を解いた時に目にした肌を思い出してしまう。廊下でナニを思い出しているのだと自分を叱咤し、ギルバードは慌てて他の話題を持ち出すことにした。

 

「いや、こ、今度の舞踏会でドレスを着る時に支障がないなら問題ない! っと、そうだ。その舞踏会で着るドレスだが、俺に贈らせてくれないか?」 

「いいえっ! 姉が用意したドレスがありますので、お気持ちだけで充分で御座います」 

「ディアナ、俺が贈りたいんだ。・・・・いや、だろうか?」

 

弱々しい声色に顔を上げると、握り締めた手を弱々しげに見つめる王子がいて、ディアナはどうしようと眉を寄せた。王子を始めとしてレオンや双子騎士に贈られた宝飾を思い出すと、贈りたいと言われるドレスがどれほど高価な品になるか血の気が引いてしまう。

だがそれほどまでに言われるのは何か理由があるのだろうかと考え、蒼白になる。

 

「も、もしかして先の舞踏会で着たドレスは・・・場にそぐわぬものだったのでしょうか。田舎育ちなもので王宮での流行など知らず、もしや国王様に恥を掻かせたのでは」 

「そんなことはない! ただ俺が、ただ・・・・俺の・・・・」

 

顔色が悪くなったディアナに驚き、実は自分色に染めたいのだと口に出しそうになる。

今まで女性のドレスなどに興味など持ったことは無いが、自分が贈ったドレスを身に纏ったディアナが見たいと思い始めた自分だ。次の舞踏会ではドレスに合わせた髪飾りやイヤリングや靴、全てを贈り、それを身に着けて貰いたいと望んでしまう。

いきなりそう言って引かれるのは恐ろしいので、ディアナが納得するよう上手く説明しようとすると身体を拭いて貰う姿が再び脳裏に浮かび、強く目を瞑るとコルセットを緩めた時の肌の白さと細い腰が頭いっぱいに広がり、ギルバードは頭を振って慌てて歩き出した。

 

「お、お、俺だってドレスの流行など知らないし、この間のドレスはとても似合っていて綺麗だった。ただ、今度の舞踏会では俺からの贈り物をぜひ着て貰いたいと思ったんだ。だから、ディアナが厭でなければ受け取って着て貰いたい」

「あ、ありがとう御座います。でも、本当に御気持ちだけで、私」 

東宮図書室の扉を開き、中央に置かれたソファにディアナを座らせる。ギルバードは困った表情を浮かべたままのディアナを前に跪き、握り締めた手に唇を寄せた。

 

「俺は・・・・ディアナを困らせているだろうか」 

「いいえ、殿下の御気持ちは本当に嬉しいのです。・・・でもその前に聞いて頂きたい話が御座います。もし、殿下にお時間があるのでしたら、お聞き頂けますでしょうか」 

一国の王子が跪き、自分に向けて真摯な視線で見上げて来るのを、ディアナは少しの困惑と多くの嬉しさで見つめ返す。いつも率直に気持ちを告げて来る王子に自分は戸惑い、自分も王子が好きだと、側に居られるのは嬉しいと告げながら、何一つ努力せずに逃げ出そうとしていた。自分などが側に居るのは王子のためにならないと言いながら、本心は未知の世界が怖いと畏れていたのだと気付かされた。

 

「何でも言ってくれ」 

「私の気持ちに・・・・ギルバード殿下の側に居たいと思う気持ちに偽りは御座いません。ですが私を御望みになる殿下の御名前に後々傷が付かないか、ものを知らぬ私にいつか呆れてしまうのでないか、そう考えると、正直・・・・胸が潰れそうに辛いのです」 

「待ってくれ。俺の名に傷が付くとか、ディアナに呆れるとか、そんなことは」 

「話を・・・・お聞き下さいますか?」

 

きゅっと握られる手と少し震えて聞こえるディアナの声色に、ギルバードは口を閉ざす。 

目を逸らすことなく見つめて来る彼女は眉尻を下げ、それでも柔らかな笑みを浮かべているように見えた。悲しげにも映るその表情に心臓が跳ね上がり、手を伸ばして腕の中に閉じ込めたいと思った瞬間、ディアナが唇を開いた。

 

 

 

 

 

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