紅王子と侍女姫  68

 

 

「ローヴッ! どういうことだ!」

「殿下、申し訳御座いません。既に捜索は開始しております」

 

王宮の一室からディアナの姿が消えたと連絡があり、視察先である隣国から馬を駆らせ夜も明けきらぬ時刻に王城に戻ったギルバードは直ぐにローヴを問い詰めた。いつもは温和な表情を見せるローヴが眉を寄せてギルバードの手を強く握るのを目にしたレオンが落ち着くよう肩を叩くが、それらを振り払い更に詰め寄る。ローヴが扉に向かい声を掛けると、一晩中捜索のため走り回っていた双子騎士が憔悴しきった顔を見せた。

 

「お前たち、ディアナは・・・・」

「まだディアナ嬢は・・・・見つかっておりません」

「殿下、俺たちの処断は後程。まずは説明を致します」

 

ディアナを仮縫いの場へと案内した後、隣室に控えていたエディとオウエンはいつも聞こえてくる甲高く騒々しいマダムの声が全く聞こえないことを不審に思い、急ぎ王宮侍女を呼び部屋を確認させたところ仕立屋たちはソファで深い眠りに就いていた。部屋を捜索するもディアナの姿は何処にも見当たらず、急ぎ瑠璃宮ローヴの許へ向かい事情を説明して王城全域の捜索を頼み、同時に王子の許へ早馬を出す。

舞踏会で王が踊ったことと王弟が企んだ騒ぎでディアナの存在は王宮従事者らに知られているが、未だ彼女の立場は曖昧で大仰に騒ぎ立てる訳にはいかない。

 

「残念ながら仕立屋の三人と部屋に魔法の痕跡がありました。それも瑠璃宮の者が使う魔法とは少し異なるようで、グラフィス国より来たばかりの魔法導師が係わっている可能性が浮上しました。その者の行方も並行して捜索している最中です」

「何故グラフィス国の魔法導師が? 係わっていたのは一人か?」

「はい。昨夜より年若い魔法導師一人の行方が判っておりません」

 

人の出入りが多い王宮で、しかし誰にも気付かれずにディアナは姿を消した。部屋に残っていたマダム達はディアナが来たことさえ覚えておらず、何故ソファで寝いていたのかと酷く狼狽していた。そして部屋には魔法の痕跡があるとローヴは言う。何故グラフィス国の魔法導師がディアナを攫うのか理由が思い当たらず、困惑している王子の許に次の報告が飛び込んで来た。

 

「殿下、リース殿が急ぎ拝謁したいと願い出ております」 

「リースが? 内容は訊いたか? 後に出来るなら明日に回して」 

「エレノア様のことで至急話をしたいと申しております。・・・・殿下」

 

レオンの強張った声色にギルバードは顔色を変えて立ち上がった。ローヴがディアナと魔法導師捜索を強化すると言い残し姿を消すと、レオンがリースを招き入れる。

蒼白に近い顔色で全身を震わせるリースは入り口で一礼すると真っ直ぐに走り寄って来た。レオンが間に入り腰に携えた物に手を掛けるのを押し留め、話す許可を与える。

 

「い、妹が・・・エレノアがまた何か大変なことをしてしまったかも知れません! 父が居ない今、王城内では大人しくしていろと何度も繰り返し伝えていたのですが・・・」 

「リース、どういうことだ? 何があった?」

「そ、それが・・・・っ」

 

ギルバードの問いに大きく震えたリースは、膝を着いて床に崩れ落ちた。血の気が引き戦慄く唇を押さえる手もガクガクと震える様に、ギルバードとレオンは顔を見合わせる。

ひどく蒼褪め狼狽するリースに、脳裏に恐ろしい映像が浮かびそうになり、それを否定したくてリースの肩を揺さぶった。

 

「何があったのか言えっ、リース!」 

「・・・・血塗れの・・・ナイフがあったのです。・・・昨夕、黒い外套を着たエレノアを見て違和感を覚え、王宮の彼女の部屋に行くと、エレノアは私を見るなり笑いながら父の幽閉は直ぐに解かれると、自分は未来の王妃だと言い出しました」 

「・・・ナイフはエレノア様のものですか?」

 

落ち着いた声でレオンが問うと、リースは床を見つめたまま頷く。 

そのナイフは元々観賞用として王都にある邸に飾られていた品だと言う。大粒のダイヤモンドの周りに多数のルビー、サファイアが鞘と柄に装飾された煌びやかなナイフは、エレノアのお気に入りとして飾られていた。それが王城内の居室に無造作に置かれていることに訝しみ、試しに鞘を抜いてみると血と思われる赤黒いものが滴り落ちる。

目にしたものに驚き何があったのか問うと、エレノアは目を細めて口角を持ち上げた。

ナイフを持ち震えるリースに向かい、エレノアは直ぐに父は王城に帰って来て元の地位に戻るのだと歌うように繰り返す。そんなことは絶対に有り得ないと肩を揺するも、エレノアは自分は王太子妃となり皆に傅かれる日々を過ごすのだと楽しげに繰り返し、やがて焦点の合わない目を宙に向けて気が触れたように笑い始める。何を言っても言葉が通じず、リースは部屋から逃げ出した。

 

「あんな・・・壊れたように笑い続ける妹を見るのは初めてで・・・。いつナイフを王宮に運んだのか、ナイフで誰を傷付けたのか、何処に行っていたのか、何度問い詰めても私には答えてはくれません。ですから殿下・・・どうかエレノアを、妹を捕えて下さい」

 

苦渋の思いを告げたリースの目から涙が零れ落ちた。床に置かれた手が痙攣を起こしたように震えているのが見え、彼の悲痛な決心が伝わって来る。

ディアナが何者かに王宮より連れ去られたのを知る者は限られている。

もちろんリースが知る由もないが、彼は王弟が幽閉される原因の一つに王子が連れて来たディアナが関与していることを知っている。だからこそ急ぎ足を運んだのだろう。

エレノアの異常な言動がディアナ失踪と絡んでいるのではという懸念が過ぎり、ギルバードの腹底から何かが噴き出しそうで必死に抑え込む。

 

「・・・レオン、エレノアを捕縛しろと王宮近衛兵に指示を出せ。可能な限り彼女から詳細を聞き出し、何かディアナに繋がる糸があるなら直ぐに報告をしてくれ」 

「殿下、私は近衛兵と共にエレノア様の部屋に向かい、直々に何があったか調べましょう。何かわかりましたら直ぐに報告致します」 

「頼む、レオン。・・・・リース、お前は王宮の部屋で蟄居するよう命ずる。エレノアのこと、知らせに来てくれて助かった。だが、彼女が俺の妃になることはない」

 

無言で頷くリースの口端が僅かに歪む。そんなことは最初から解かっていると言いたげな微かな笑みに、ギルバードの顔が顰められた。そしてエレノアが傷付けた相手が誰なのかのを考えるだけで今にも目の前が紅く染まりそうだと息を吐く。 

しかし―――――、今はまだ何もはっきり解かっていない。 

だからこそ短慮な行動で後悔するようなことだけは避けたい。 

万が一も考えなくてはいけないが、悪い方向ばかりに思考が傾くのを今は必死に押し留める。今にも爆発しそうな感情を押さえ込むのは、グラフィス国商船の甲板でディアナに言われた言葉。自分が為すべきことを思い出せと、碧の瞳は強く訴えていた。

その瞳から零れ落ちた涙と震える唇を思い出し、ギルバードは胸のポケットから小さな巾着を取り出す。見ると中のリボンは淡く輝いていて、ディアナは大丈夫だと伝えているように思えた。ぐっと迫り上がる感情に視界が歪むのを感じて俯くと、レオンが腕を掴んだ。

 

「まずは出来ることから行ないましょう」 

「ああ、そうだな。俺はローヴの部屋に向かう。見ろ、ディアナのリボンが輝いている。これは探して欲しいと、無事だと言っているみたいだろう? ディアナの捜索には俺も出る。レオンは王に、多少勝手をするが許せと伝えてくれ」 

ギルバードが巾着からリボンを出して見せると、レオンが柔らかな視線を向けて来る。腕を掴んだレオンの手に力が入るのを感じ、ギルバードは力強く頷いた。

 

「俺は・・・・俺が望むものを決して失いはしない」 

「私はディアナ嬢が御無事でいらっしゃると信じてます」 

「ああ! 俺もそう信じている」 

踵を返したギルバードの背後で、レオンが双子騎士に指示を出し始めた。

瑠璃宮に向かうとカリーナが蒼褪めながら出迎える。強く結ばれた唇が戦慄いているのを目に、ギルバードは黙したままローヴの部屋へ向かった。

 

「ローヴ。リースの話しからエレノアが関与している疑いが濃いため、捕縛するよう指示した。行方が判らないグラフィス国の魔法導師はどうした?」 

「彼に渡したランタンが王宮に戻って来ております。しかし本人の気配は、未だ王宮内にはありません。エレノア様が関与しているなら、彼女が彼に何か命じた可能性がありますね」 

「レオンがエレノアの調べに入る。何か判明次第、直ぐ報告してくれ。ローヴ、ディアナのリボンが輝き出した。・・・・俺は、これを頼りに探しに向かうつもりだ」

 

ギルバードが持ち上げたリボンの仄かな輝きに、ローヴは目を細める。

ディアナの気配を辿るには最適だろうと頷き、机上からあるモノを探し出しギルバードに差し出した。ローヴが差し出したのは耳飾りで、王城で何か動きや報告があれば直ぐに伝えることが出来るようにとギルバードの耳に装着した。

 

「ある程度の魔法は許可しましょう。しかし大きな魔法は常を捻じ曲げることがあります。自然の声を耳にして、無茶や無謀は決してなさらないようお願い致しますよ。暴走した結果、ディアナ嬢が御嘆きになるのは不本意でしょう?」 

「ディアナを泣かすつもりはない。いや、泣いている顔でも彼女の顔を見られるならそれでもいい。後でいくら罵倒されても構わない。無事に俺の元に戻ってくれるなら」 

「カリーナは自白剤をレオン様へ届けて下さい。殿下には数名の魔法導師を配します」

 

扉から現れた三人の魔法導師は深く低頭し、ローヴの部屋から瑠璃宮の庭へ移動すると一羽の大きな鷲の姿に変化した。ギルバードが巾着からリボンを出すとカリーナが手首に巻き付ける。リボンを見つめるカリーナの視線には焦燥感が漂い、ギルバードは決意を新たに鷲の翼へと足を掛けた。

 

「港や国境には既に魔導師が配されています。人の出入りや動きは全て私に届くようになっております。何かありましたら耳飾りにて報告致します」

「わかった。では一度上空に上がり、そこでリボンの輝きが増す方向へ向かうことにする。そちらからの良い報告を待っている。頼んだぞ、ローヴ」 

「殿下、くれぐれも魔法を暴走させぬように。ディアナ嬢の御無事を祈っております」 

「ディアナ嬢とご一緒の御帰りを御待ちしています、殿下!」

 

カリーナの声に力強く頷くギルバードを乗せた鷲が翼を大きく羽撃かせると、あっという間に上空に駆け昇った。白い雲間に消える鷲の姿を見送り、ローヴとカリーナはそれぞれの仕事に取り掛かる。

 

 

 

ギルバードは鷲の背でリボンが巻かれた腕を突き出し、一層強く輝く方向を探る。

何処までも広がる大地に濃淡の緑が覆い、陽の光を反射し海原が白く輝く。目を細め海原を眺めるギルバードに鷲に変化した魔法導師が話し掛けてきた。

 

「導師長の指示により近隣海上全ての船舶を調べていますが、今のところ怪しい動きの船舶やディアナ嬢の姿はありません。引き続き調べております」 

「国境および関所を出入りする全ての人物を調べておりますが、今のところ報告すべき情報は得られてません。何か報告がありましたら耳飾りから即時に伝えられます」 

「そうか、ありがとう。・・・・王宮から姿が消えたのは俺の妃になる人だと言えたら王宮騎士団を動かせたのだが。まだはっきりした返事を貰えていないのは俺が不甲斐無いからだと承知している。瑠璃宮の皆にも迷惑を掛け、申し訳ない」

 

ギルバードが自嘲しながら謝罪すると、鷲は大きく旋回しながら苦笑を零した。

 

「ローヴ様より御話しを聞かせて頂いております。殿下の良き理解者になられる御方とか。時に殿下を叱責出来る強さをお持ちだとも伺っておりますよ」 

「その話を伺い、私は殿下の母上であるアネットを思い出しました。アネットも普段は大人しいのに国王が瑠璃宮に来ると真っ赤な顔で怒っていましたからね。自分に構うより国王として政務を優先しろと怒鳴り、王宮庭園の噴水を破壊したこともありましたよ」 

「それでも国王が嬉々として日参するから、姿隠しや記憶混乱の魔道具作りに精を出していたのを思い出します。・・・・まさか殿下を身籠るとは、誰も想像出来ないことでしたが」

 

鷲に変化している三人が楽しそうに両親の思い出話を始めるから、ギルバードは羞恥に身悶えするしかない。今更両親の話をされるとは思っていもいなかったかったし、当時の国王の執着ぶりが自分と重なり何を言っていいのか言葉が出ない。

 

「瑠璃宮の魔法導師は皆、ディアナ嬢をよく存じておりますよ」 

「え・・・?」 

「よく瑠璃宮の入り口に花を飾って下さるのです。それと導師長を通じて手作りの菓子も下さります。優しい味の菓子とディアナ嬢の御気持ちに、皆心酔しております」 

「え・・・?」 

「殿下はディアナ嬢の柔らかい笑顔に惚ける兵や従者がいることを御存じで?」 

「え・・・えええっ!? 何だ、それは! 初耳だぞ?」

 

驚きにギルバードから大声が零れると、魔法導師が盛大に笑う。自分以外の者がディアナの微笑みに惚ける姿を想像して面白くないと口を尖らせていると、鷲に変化した魔法導師から固い声が届けられた。

 

「殿下、右前方より魔法の発動を感じます。これは我が国の魔法導師が使う魔法とは異なるものですね。グラフィス国より来た魔法導師のものか、あるいは他の国の魔法導師か」 

「・・・・ディアナのリボンが強く光り出した。周囲に警戒しながら降りるぞ」 

「御意。少し開けた場所を探しますので、殿下は導師長へ連絡を」

 

魔法導師からの指示を受け、指輪でローヴを呼び出すと王宮でも動きがあったと返って来た。ローヴの声にレオンの声が重なり、エレノアより聞き出した情報を伝えてくる。

 

「殿下。エレノア様はグラフィス国同様、王宮に従事する魔法導師は王族に使役するのが役目だと、常にグラフィス国より来たばかりの魔法導師の一人を従わせていたと判りました。その者は昨夜より行方が判らない者です」 

「エレノア様が魔法導師と何処に行っていたのか、自白剤を使用しても明確な場所の特定は難しい状況です。ただ山の中だと繰り返すのみで、何処の山かまでは判りません。ナイフについても、・・・自白剤であらゆることを取り留めなく喋り続けるため、その意味を掴むのに苦労している状態です」

 

悔しげなレオンの声に、ギルバードは腕に巻かれたリボンを見つめた。

淡く輝くリボンに額を寄せ、ディアナは無事でいると強く強く信じ込む。

 

「レオン、大丈夫だ。これからディアナのリボンが強く輝き出したトリスト山の南側斜面に降りる。多分、ここで間違いないと思う。見つかり次第、直ぐに連絡するから」 

「殿下、国王より伝言が御座います。山でも谷でも好きに破壊していいが、民に迷惑だけは掛けるなとのことです。そして、必ずディアナ嬢と共に戻って来いとのことで御座います」 

「ちょっと待て、ローヴ。俺はディアナを見つけるために来たのであって、山や谷を壊すつもりなどないからな。・・・しかし王城に戻りエレノアを見ることがあれば、俺は何をするか判らない。エレノアは俺の目の届かない場所に移動しておけ」

 

苦々しい気持ちになり、吐き捨てるような口調になるのは仕方がない。

エレノアは従妹とはいえ滅多に会うことは無く、会えば侮蔑の視線を投げ掛ける相手としか覚えがない。王弟と共に、自分の思い描く理想を実現するためなら誰を犠牲にしても構わないと考える、ギルバードとは相容れぬ相手だ。だが、エレノアだけでは何も出来ないだろうと放置していた自分にも責があると、唇を噛み締める。

 

「ではトリスト山に降りる。レオン、ディアナが戻った時のため、温かい食事と入浴の用意をしておけ。念のため、侍医を待機させておくように」 

「御意。引き続きこちらでもディアナ嬢捜索を続け、同時にグラフィス国より来た魔法導師の行方を探ります。殿下からの吉報をお待ちしております」

「ディアナ嬢とのお戻りを心よりお待ちしております、殿下」

 

通信が切れた耳飾りから手を放し、ギルバードは大きく息を吸い込んだ。降下を始めた鷲の背で、迫る緑の木々を見つめながら誓いを立てる。必ずディアナをこの手に取り戻すと。

 

  

 

 

 

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