紅王子と侍女姫  70

 

 

ディアナが倒れたまま動かない魔法導師の身体に手を伸ばすと、直ぐに王子に制される。 

「で、でも、導師様が」

「今の状態では動かさない方がいい。ローヴ、聞こえるか? グラフィス国の魔法導師が倒れている。至急処置が必要だ、直ぐに【道】を繋げろ。王宮医師にその旨伝えて欲しい」 

王子が耳飾りで王宮のローヴと話をしている間、ディアナは今にも泣きそうな顔で魔法導師の手をそっと持ち上げ、その冷たい手の感触に震えながら掠れた声で話し掛けた。

 

「導師様、どうして動かれたのですか・・・。でも、もう大丈夫ですからね。王城に戻りましたら直ぐに処置をして頂きましょう。このまま動かず、無理はなさらずにいて下さい」

「貴女は・・・・無事、ですか」

「っ! お気が付かれましたか? い、痛みは・・・・いえ、もう何も話さずにいて下さい。私は無事です。殿下が、王城からギルバード殿下が探しに来て下さいましたから」 

魔法導師から弱々しい掠れた声が聞こえ、ディアナは目を潤ませながら現状を伝えた。

ディアナの言葉に驚いたように目を開く魔法導師の冷たい手を擦っていると、背後から鋭く低い声と共に王子の手が伸びて来る 

「ディアナ、その手を直ぐに離せ!」

「申し訳御座いません! 動かさない方が良いと殿下に言われましたのに心配で、つい」

「い、いや・・・ディアナが謝るのは・・・。大きな声を出して・・・すまない」

 

王子の戸惑うような声色にディアナはまた迷惑を掛けてしまったと項垂れた。すると何処からか苦笑と共に柔らかな声が耳に届く。 

「ディアナ嬢、殿下は貴女が他の男性と手を繋がれていることに悋気されているだけですから、放って置いていいですよ。それよりも御無事で何よりで御座います・・・と申し上げていいのか、その御衣裳では少々疑問ですがねぇ」 

聞こえて来るローヴの声に顔を上げると、岩場近くに大きな泉が見えた。先ほどまで泉など近くになかったはずだと首を傾げると、その泉から湧き出るように白煙が立ち上がり、そしてローヴが姿を現す。驚きに目を瞠るディアナだが、首を傾げ困ったような表情に自分の姿を思い出し慌てて胸元に手を宛がう。 

「お見苦しい姿で申し訳御座いません! ドレスは・・・あの、今探して来ます!」

「ディアナ、まずは先に俺の上着を着ろっ!」

「でも、それでは殿下の上着が汚れてしまいます」

「汚れたら洗えばいいだけだっ、そんなことより、すぐに隠してくれ!」 

王子が上着をディアナに被せたと同時に、頭上から羽ばたきが聞こえ三羽の大きな鳥が降りて来た。

大きな翼で身を包むとそれは人の姿に変化し、恭しく御辞儀しながら王子に話し掛ける魔法導師たちの姿にディアナは呆然となる。 

「殿下、ディアナ嬢を発見されましたら直ぐにお知らせ下さるよう申し伝えましたのに」

「・・・ちょっと忙しくてな。やっと騒動が落ち着き、ローヴに連絡したところだ」

「それは下着姿のディアナ嬢と関係が?」

「おい、そこは突っ込まない方がいいだろう?」

 

楽しげに顔を見合す魔法導師がギルバードに視線を移すと、慌てたようにディアナを背に隠すから肩を揺らしてしまう。ムッとした顔は子供の頃と同じだなと互いに目配せし、導師たちは王子の背後に隠されたディアナに聞こえるような大声で話し始めた。

 

「先ほど山中で見つけたドレスはディアナ嬢のもののようですねぇ。と、いうことは・・・・まさか殿下が? いやいや、殿下に限ってそのようなこと・・・ねえ?」

「いえ、あのっ」

ディアナが慌てて口を挟もうとするが、魔法導師たちは楽し気に会話を続ける。

「まあ、現状を見るにイロイロあったようですが、そのような姿で負傷されているディアナ嬢を巻き込むようなことはなさっておりませんよねぇ、ギルバード殿下」

「そうではなく、あのっ」

「それより殿下、早く釦を留めて差し上げたらいかがですか?」

「いやいや、そう急いては可哀想だ。ゆっくりじっくり留める時間を差し上げよう」

「・・・お前ら、あとで覚えておけよ・・・」

 

軽快な遣り取りを耳にして、ディアナの全身から力が抜けた。

振り返った王子が上着の釦を留めながら真っ赤な顔で口を尖らせるから、もう安心していいのだと安堵のあまり涙が溢れてくる。薄く目を開けながら周囲の様子に困惑している魔法導師に、もう安心していいのだと手を擦ると、彼から吐息と共に全身から力を抜くのが伝わって来た。

 

「殿下、急ぎ城にお戻りになって下さい。その上着だけではディアナ嬢も心許ないでしょうし、怪我の治療を急いだ方が宜しいかと。待っているカリーナも焦れていますよ、きっと」

「お寒くはないですか、ディアナ嬢」

「温かい飲み物を用意致しましょうか?」

「い、いえ、私は大丈夫です。導師様方、お気遣い頂きありがとう御座います」

 

確かに寒いが、それよりも上着で隠しきれない下肢が恥ずかしいと身を屈めると、一人の導師が袖から温かそうな外套を出してくれた。王子が外套を受け取りるとディアナの全身を包み、当然のように抱き上げるから慌ててしまう。

 

「殿下っ! あ、歩けますから」

「ローヴが繋げる空間を通る。魔法力が無いディアナは俺に掴まっていた方がいい。それに手も足も震えている。・・・寒さより何より、怖かっただろう?」 

外套の中で震えている自分に気付き、ディアナは確かに怖かったと俯いた。

自分が関わったことで誰かが傷付く。それは自身が傷付くよりも、ずっと怖い。

異国から来た魔法導師は全身に傷を負い、エレノアは心に傷を負った。

エレノアが望んでいた王妃の座は、突然現れた田舎領主の娘に奪われる。そうさせまいと誘拐を企て、しかしそれは悉く失敗し父である王弟は幽閉された。エレノアは次の行動を起こし、他国の魔法導師を巻き込み、挙句に彼の命を・・・・。

自分は王子の妃になるべく勉強をしていても、その覚悟も自信も未だ持てずにいる。その不甲斐無さが原因だと思うだけで目の前が暗くなっていく。原因である自分が王城から去っても彼女の罪が消えることはない。過去には戻れない、全て無かったことにすることも出来ない。

だけどこのままでは・・・・・。 

答えの出ない考えに囚われていると急に周りが暗くなり、そして目映い光に包まれる。きゅっと瞑った瞼でもわかる眩しさに戸惑っていると柔らかな手に頬を包まれる感触がして、目を開くとカリーナが今にも泣きそうな顔でディアナの頬を包み込んでいた。

 

「カリーナさん。御心配をお掛けしてしまい」

「ディアナ嬢、よくぞ御無事で! 王宮より連れ出されたと聞き心配で胸が張り裂けそうでした! 寒く無かったですか、いえ寒かったでしょう。一晩も山中で、こんなにも髪が乱れて・・・首に・・・傷が。これは・・・いったい何があったのです?」

「カリーナ、一度にいろいろ尋ねてもディアナが困るだけだ。それよりも急ぎ着替えの用意と食事を頼む。いや、その前に傷の手当てが必要か。全身隈なく診てくれ」

 

ディアナをソファに降ろした王子がカリーナに指示を出す。

いろいろ考えている間に王城に戻っていることを知り、顔を上げるとそこは瑠璃宮ローヴの部屋だった。恭しく頭を下げて三人の魔法導師が退室すると、処置の言葉に表情を変えたカリーナがディアナから外套を外し、王子の上着と汚れた下着姿を目にして何故か王子を睨み付けた。 

「お、俺が脱がした訳じゃないぞ!」

「・・・ディアナ嬢、直ぐに全身を確かめさせて頂きますね。痛みはいかがですか?」

「大きな傷は無いが細かな傷が多数ある。魔法の痕跡があるから、よく診て」

「勿論、しっかり診ますわ。でも肌着の下に大きな傷が無いなど確かめもせずに・・・まさかとは思いますが殿下、・・・ご覧になりましたの?」

「みっ、見てない! それどころじゃなかった!」

「では私に御任せを。殿下、上着をお返ししますので後ろを御向きなって下さい」

 

ギルバードが笑い過ぎて身悶えるローヴを叱咤して一緒に背を向けると、カリーナは一転柔らかな笑みを浮かべてディアナから王子の上着を剥ぎ取った。しかし首だけでなく、腕や足に残る多数の細かな傷を目にして顔を曇らせる。

 

「カリーナさん、殿下が仰ったように大きな傷はありません。傷も殆どが自分で付けたようなものですし、痛みも然程感じませんから」

「・・・先ずは部屋に戻りましょう。ディアナ嬢・・・一晩、御辛かったでしょう」

「いえ、私は・・・。それより異国から来られた魔法導師様の御様子は」

「彼は王宮医師が診ております。大丈夫ですから御安心下さい」

 

優しい言葉と共にカリーナは袖から取り出した大きな柔らかな布地でディアナを包み、杖を振り上げローヴの部屋の扉を開けた。扉の向こうに見えたのはディアナの部屋で、驚いている間もなくカリーナに連れられ浴室へ向かう。既に湯が張られたバスタブの横に立つとカリーナが手を叩き、宙にたくさんの花が舞い踊った。幾種類ものハーブや花びらが湯船に浮かぶと湯気と共に鼻を擽るような香りが浴室に充満し、ディアナは思わず笑みを浮かべる。

促されて下着を脱ぐと擦り傷や巻きひげの吸盤で負った傷の他、背や腰などに浮かぶ打撲の痕を目にしたカリーナが呻き声を上げた。しかし大きな傷は無い。

大きな痛手を負ったのは・・・・。

 

「ディアナ嬢、入浴の後に傷の処置を行います。私は食事と処置道具、薬湯を用意してきますから、手足を伸ばして、まずはゆっくり温まって下さいね」

「ありがとう・・・・御座います」

 

湯船に入り息を吐くと、身体中が沈みそうになった。一気に疲労が押し寄せたようだと腕を擦り、見える多数の傷に自分の身に何が起こったかをまざまざと思い出す。温かな湯に浸かりながら、しかしエレノアの心情を思うと身体の芯から凍えそうになる。

王子が自分を助けに来てくれたことは嬉しいが、その陰でエレノアがどれだけ自分を邪魔に思っているかを考えると素直に喜んではいられないと気分が重苦しくなった。

王子が自分を探しに奥深い山まで足を運んだのは、エレノアが捕えられたためだろう。

捕えた彼女から居場所を聞き、そして・・・。

「・・・っ!」

王子は視察に向かわれていたはずだと思い出し、ディアナは蒼褪めた。

大切な御政務で他国に向かった王子が今この王城に居るのは、自分が姿を消したからだろう。自分を探すために瑠璃宮の魔法導師までもが動いていた。警護をしてくれていた双子騎士にも迷惑を掛けただろう。その前の誘拐でも周囲の皆に迷惑を掛けたばかりだ。妃候補として正式に名前が挙がっている訳でもない、ただの一領主の娘が王城に従事する人たちに迷惑を?

 

「湯から上がったばかりですのに顔色が悪いですわ。逆上せました? 冷たい水を用意しますね。それとも先に薬湯を飲みますか?」

「いえ、大丈夫です。それより、あの・・・私・・・」 

答えが見つからない長考に逆上せた感は確かにあるが、足元から這い上がる寒気に震えそうになる。今回の件に係わった人たちに、どう謝罪したらいいのか思い当たらず動悸が激しくなり、吐気までしてきた。冷たい水を飲み落ち着こうとするが動悸は治まらない。

 

「カリーナさん、・・・エレノア様は」 

ディアナが尋ねると、カリーナは途端に顔を顰めた。

黙したカリーナに手招きされソファに座ると傷の処置をしますと細かな傷に軟膏が塗られる。背や腰には膏薬を貼られ、ジワリと広がる冷たさに息を吐くと「打撲がこんなにも・・・」と呟かれた。食事を終えて薬湯を飲み終えたディアナがもう一度尋ねると、カリーナは大きく息を吐いた。

 

「・・・エレノア様は今朝方、全てを自供されました。王太子妃の座欲しさにグラフィス国の魔法導師を騙し、ディアナ嬢を魔道具にて山奥へ連れ出したと。今は王弟エメリヒ・フォン・アハル様と共に幽閉されております。今後のことは王がお決めになられるでしょう」

「カリーナさん、あの・・・」

「今後、ディアナ嬢の前に姿を見せることは二度とありません。ですから御安心下さい」

  

エレノアの存在に怯えていると思ったのか、気遣う声を聞きながらディアナは視線を落とした。

父親である王弟と一緒に幽閉されていると聞かされ、目の前が真っ暗になる。

考えても仕方がないと承知しているが、自分が王城に来なければ彼女はこんな罪を犯さなかっただろうと思えてしまう。それは王弟も同じだろう。王子が王城に連れて来たのが誰もが知る大貴族の息女、または他国の姫だったなら結果は違っただろうか。

今更なことを何度も考えてしまうのは、今後王子のために自分に何が出来るかがはっきりしていないからだ。側に居たいという思いだけでは足りないのだと、今の自分に解かるのはそれだけで、だけど具体的な指針が見えない。

 

「あの・・・、傷の手当てをありがとう御座います。どうか異国からいらした魔法導師様の手当てもよろしくお願い致します。・・・殿下はどちらに・・・・」 

「殿下はディアナ嬢発見の報告をされるため、国王の許へ行かれているはずです。報告が終わりましたら、ディアナ嬢のお顔を見に足を運ばれますわ」

「・・・殿下は大切な御政務で他国に行かれていましたのに、私のためにお戻りになったのですね。あの導師様が怪我をされたのも・・・わ、私が居たから」

 

思考はどうしても悪い方向へと流れ落ちる。

あの時、隣室に控える双子騎士を呼んでいたら今回のことは防げたのだろうか。

その前に、私が王城に来なければ王弟息女の心を惑わすこともなく、こんな事態にならなかったのだろうか。王子がアラントル領の城に来ると知った時、直ぐに伯母の許へ行っていたなら。

もっと前、幼少時、王城で迷子にならず王子に会わなければ。

いや、そもそも自分がいなければエレノアは罪を犯すことなど・・・・・。

 

「ディアナ嬢? 顔色が・・・」

 

顔を覆う手が震えるほど怖い。自分が係わることで周りの誰かが傷付く。

この後、国王はエレノアにどのような断罪を下すのだろう。王弟と同じように姪を幽閉するだけで終わりにされるだろうか。そして、王子の政務を妨げた私に罪はないのか。

 

「・・・ひ、く」

「ディアナ嬢! ゆっくり、落ち着いて息を吐いて下さい! ・・・ローヴ!」

 

一番に裁かれるべきは私ではないのか。私の存在が王子を翻弄し政務の邪魔をして、それなのに東宮で手厚い看護を受けている。それは赦されないことだ。きっと、初めから間違っていたのだろう。

間違いは正さなくてはいけない。

王子のためにならないこと、王子の邪魔になるもの、それは排除されなければ――――――。

 

 

  ***

 

  

「・・・何があった?」

「それが突然・・・。エレノア様のことをお尋ねになり、その後は殿下が・・・視察途中で御戻りになったことを知り、ひどく・・・動揺なさって」

「ディアナ嬢の意識はとても深い場所まで沈み込んでおりますねぇ。殿下が政務よりもディアナ嬢を優先されたこと、エレノア様が魔法導師を傷付けたこと、その原因を辿り・・・。それらが心に暗い影を落としている御様子です。カリーナ、このオイルを蝋燭に混ぜて下さい。ディアナ嬢の心が癒されるよう、このまましばらく深く眠って頂きます。・・・殿下、御政務は大丈夫ですか?」

 

深い眠りに落ちたディアナの髪を何度も撫でるギルバードに、ローヴは静かに問い掛ける。

振り向きもせず頷く王子にカリーナが低頭した。

 

「殿下、申し訳御座いません。・・・何もお答えせずに場を離れるべきでした」

「いや、何も答えずに場を離れるなど出来ないだろう。俺が側に居たとしても同じことになったはずだ。もっと早くエレノアを軟禁するべきだった。ディアナに傷を負わせ、気を失うほどの悲しみに沈ませたのは俺にも責がある」

「・・・殿下、何かありましたら御呼び下さい」


ローヴが用意した蝋燭と幾種類ものハーブから抽出したオイルを魔法で混ぜ、火を燈す。

その灯りの上でカリーナは杖をゆっくりと回し、ディアナが安らかに眠れるように呪文を唱えながら肩を震わせた。その肩を叩き、ローヴがカリーナを伴い部屋を出て行く。 

ギルバードの背後で静かに扉の閉まる音が聞こえ、やがて甘く切ない香りが漂い始めた。

 

 

 

 

 

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