紅王子と侍女姫  71

 

 

――――傷付いた心身を癒すために、彼女は自ら深い眠りに就いたのでしょう 

ローヴの話を聞いてから、ギルバードは出来るだけ多くの時間をディアナの部屋で過ごすようになった。いつ目覚めても直ぐに気付けるようベッド近くに机を置き、どうしても外せない謁見や会議以外は片時もディアナの側を離れずに過ごす。夜の間はカリーナが付き添い、癒しのアロマキャンドルを燈し続けた。

 

「殿下、夜はしっかりとお休みになって下さい。夜間は殆ど眠らずに政務をされていると、レオン様が心配されておりました。ディアナ嬢に僅かでも動きがありましたら直ぐにお知らせ致しますから」

 

ディアナの処置を終えたカリーナが天蓋をベッド支柱にまとめながら眉を顰めて零す言葉に、ギルバードは薄く笑みを浮かべてベッドに腰掛けた。

 

「俺は大丈夫だ。静かな夜の方が仕事が捗るし、正直・・・眠れないんだ。まあ、それに付き合うレオンには悪いと思うが、でもディアナが目覚めるまでは側に居たい」

 

柔らかな髪を撫でながら閉じられたままの瞼を見つめ続ける日々は既に十日を過ぎていた。

その間ギルバードは夜間に膨大な書類を捌き、昼間に最低限の公務を執り行う。

ディアナの部屋でレオンが運ぶ急ぎの書類に署名捺印指示を出し、あとは彼女を見つめることだけに費やすを繰り返す。レオンは何も言わずに書類を運び、そして何も言わずに退室する。物言いたげな視線を向けられることもあるが、ギルバードは気付かない振りを続けた。

 

「政務に支障が無ければ問題ないと王に許可は貰っている。だがディアナが眠りに就いてから既に十日を過ぎた。そろそろ目覚めてもいい頃じゃないか?」

「そうですね。早く・・・目を覚まして頂きたいですわ」

 

柳眉を寄せたカリーナが眠り続けるディアナに切なげな視線を向け、改めて夜に伺いますと退室して行く。自分が伝えた言葉でディアナが眠りに落ちたと、カリーナは気にしていた。しかし、それはいずれディアナにも伝わることだったと説明するが、それをカリーナが納得していないことは明らかだ。

 

行方不明となった自分を探すため、公務で視察に向かっていた王子が戻って来た。

自分がいつまでも東宮に滞在していることでエレノアが罪を犯した。

王弟がグラフィス国に誘拐の手引きをしたのも、流出が禁じられている魔道具と引き換えにエレノアの婚姻を結ぼうとしたのも、すべて、自分が原因だ。

 

ローヴが視たディアナの心には自身の存在を悔やむ言葉と悲しみが満ちており、いつ目覚めるか皆目見当がつかないという。ギルバードはエレノアを放置していた自分が悪いと、謝罪の言葉を眠り続ける彼女に何度も伝え続けた。だが、いくら心からの謝罪を繰り返しても深い眠りに沈むディアナには届かず、自分が出来ることは何かと悩んだ末にギルバードは与えられた政務を行いながら目覚めを待つことにした。

ディアナが目覚めた時、王子が政務を放り出して付添っていると知れば、更に悲しみは増すだろう。同じ轍は踏まないと精力的に政務に励んだ。そして目覚めたディアナが一番に目にするのが自分であるようにと、出来る限りの時間を作り側にいた。

 

エレノアは彼女の父である王弟が幽閉されている城に移されたと聞く。リースは母親の生まれ故郷である州に移り住むこととなり、係わっていた全ての業務を引き継ぎ終えて王都から離れた。

王弟に加担していたと判明した貴族には重税を課した上、一定期間それぞれに魔法導師が監視を行うと聞かされたギルバードは、複雑な思いを黙って飲み込んだ。

他国を巻き込み、自国の民の命を脅かした愚かで傲慢な行為は極刑に値する。しかし断罪される前にエレノアの精神は壊れ、己の内に沈み込んでしまった。そんな娘を目にした王弟は激昂し、ギルバードに対して憤怒の罵声を上げたという。彼は自ら罪を認めることも省みることも決してないだろう。刑に処したとしても反省が無ければ意味がないと、彼らたちが幽閉された城は魔法導師長であるローヴが厳重に管轄することとなった。

 

  

 

「ディアナ、今日もいい天気だ。少し窓を開けておくからな」 

窓から入る薫風がディアナのプラチナブロンドを僅かに揺らすのを、ギルバードは目を細めて眺める。ベッド横に設えた机に向かい、レオンが運んでくる急ぎの書類に目を通しながら彼女を見守る生活が二週間を過ぎた頃、穏やかな表情を浮かべたローヴが部屋を訪れた。 

「殿下、夜はちゃんと休めておりますか? 皆が心配しておりますが、体調に問題は?」

「問題ない。最近は急ぎの書類も減り、することが無いから休むようにしている」

「それでしたら結構です。殿下の体調等に問題が無いようでしたら、今から少しお時間を頂いても宜しいでしょうか。お手元の書類は急ぎではありませんか?」

 

ソファに腰掛けたローヴがゆったりと話す内容を耳にして、ギルバードは書類から目を離した。僅かに眉を寄せると、ローヴは肩を揺らして密かに笑う。

 

「ああ、殿下をこの部屋から追い出すつもりはありません。ですが、ディアナ嬢が眠りに就いてから既に二週間以上が経過しております。ディアナ嬢の体調は魔法で万全を期しておりますが、そろそろ目覚めて頂こうかと思い、殿下にその協力をお願いに参りました」

「・・・出来るのか?」

 

ローヴの言葉に思わず立ち上がり、ベッドで眠るディアナに振り返った。微動だにせず眠り続ける彼女はまるで童話に出て来る眠り姫のようで、時々本当に息をしているのかと心配になる。目覚めるのを焦がれるほど待ち続けているが、目覚めた時に彼女の憂いは消えているのだろうか。

 

「・・・ディアナが目覚めた時、俺と目が合った途端に顔を曇らせるのではないか。そう想像するだけで逃げ出したくなる。もちろん逃げる気はないが、ディアナが悩むことなどないと伝えて、果たしてそれを解かって貰えるかが心配だ・・・・」

「ではこのまま眠り続けた方がいいと?」

「そんな訳ないだろう!」 

自分でも驚くほど大きな声が出て、慌てて口を押えた。急ぎベッドに振り向くが、彼女は驚くことも目を覚ますこともなく眠り続けており、それに安堵しながら悲しくなる。

 

「殿下はディアナ嬢が抱える悩みや憂いを、取り除きたいと思われますか?」

「もちろんだ、俺に出来ることは何でもする。だが眠っているディアナの憂いを取り除く方法などあるのか? 何かいい案でも見つかったのか?」

「ディアナ嬢の身体の傷は綺麗に消えました。王弟とエレノア様の件も落ち着き、王宮の大掃除も終えました。再び面倒事が起こらぬよう、これからは次代の王である貴方が毅然とした態度で国を正しく導かねばなりません。そのためにもディアナ嬢は必要不可欠で御座いましょう? ですから迎えに行って下さい、彼女の夢の中へ」

「ディアナの・・・夢の中へ?」

「はい。宜しいですか?」

 

ローヴの言葉にギルバードは力強く頷いた。

どうやって彼女の夢の中に迎えに行くというのかまるで想像つかないが、自分が出来ることなら例え痛みを伴うことだろうが何でもやってみるつもりだ。

柔和な笑みを浮かべたローヴが袖から杖を取り出し部屋に置かれたアロマキャンドルを全て消し、窓を閉めてカーテンで陽を遮った。そしてベッドで眠るディアナの額に杖を宛がい、しばらく眺めていたが、やがて小さな頷きを落とす。

 

「今、ディアナ嬢は窓を拭かれています。その窓から見える景色はどうやら東宮庭園のようですね。時間は掛かりましたが、やっと王城に足を運ばれ、そして穏やかな表情で掃除を頑張っておりますよ」

「そうか、それは良かった。・・・眠り始めた頃は例の魔法導師にナイフが突き刺さる場面ばかりが繰り返されていたからな。やっと消えたと思ったらアラントル領の城で侍女仕事を始めた。・・・・きっと、それが彼女にとって一番癒されることなんだろう」

「心癒されるには馴染みのある場所で気負うことなく過ごすのが一番なのでしょう。彼女の一番は殿下だと思っていたのですが・・・・まあ、夢は正直なものですからねぇ」 

 

ローヴが肩を揺らして笑うたび、ディアナの額に触れている杖が揺れる。正直面白くないと口を尖らせて揺れる杖を持ち上げると、ローヴは笑いを止めて袖から水晶を取り出した。その水晶を枕元に置くとディアナの手を持ち上げ、ギルバードに握るよう指示をする。差し出されたディアナの手を握り、ベッドに深く腰掛けるとローヴが静かに口を開いた。

 

「・・・ディアナ嬢は夢の中で何度も御自身を責めていましたが、時間の経過と共に過去に降り、慣れ親しんだ日常を繰り返すようになりました。それは自身を癒すために必要なことではありますが、同時に『逃げたい』気持ちの表れでもあります。自分がいることで様々な事象が起きた。そう思う気持ちが眠りという隠れ場所を見つけ、そこから目覚めないよう夢の中で自己暗示を掛け続けているのです」

 

ローヴの言葉を、ギルバードは握ったディアナの手を見つめながら耳にした。

朝早くから夜遅くまで真面目に侍女仕事をしてきた彼女が、永い眠りに逃げ出すほどの恐怖を覚えた。そんな彼女に伝えたいことがたくさんある。だが溢れそうな思いは上手く言葉に纏めることが出来ず、今も心の中で言葉の切片が散らばったままだ。早く目覚めて欲しいと思う気持ちと、溢れそうな言葉をまとめるまで待って欲しいという気持ちが交差する。

だけどこのまま眠っていて欲しい訳じゃない。眠りという安寧に何時までも留まっていて良い訳が無い。必ず眠りを覚ましてみせると、ギルバードは持ち上げた手に誓った。

  

「ではディアナ嬢の夢の中へと殿下をお連れします。帰り道はリボンが導くことでしょう。この間と同じように手首に巻いて下さい。・・・殿下、くれぐれも無理は禁物ですからね。無理強いは却って危険です。今以上の深い眠りに陥る可能性もありますから」 

「わかった、約束する。決して無茶はしない。だが最大限の努力はする」 

「他者の精神に潜り込むのは精神的疲労が大きいです。無理だと感じたら手首のリボンを解いて下さい。・・・・では殿下。御戻りを心よりお待ち申し上げております」

 

ギルバードが力強く頷くと、ディアナの額に宛がっていた杖を水晶に向ける。

仄かな光が水晶から滲むように漏れ出してディアナの髪を輝かせるのを見つめながら、ギルバードは両手で彼女の手を握った。やがてローヴの口から呪文が流れ出すと、急激な眠気が全身を包み込む。柔らかな笑みを浮かべる魔法導師長に笑みを返し、ギルバードは重い瞼を閉じて深い眠りへと落ちて行った。

 

 

 

 ***

 

 

 

暖かい風を肌に感じてギルバードはそっと目を開く。

そして様々な花が咲き乱れる広大な光景に、一瞬ここは何処だと思考が止まった。手を伸ばすと柔らかな花弁の感触がして、これが夢の中なのかと戸惑うほどだ。しばらくの間広がる光景に呆けていたが、この夢を見ている本人は何処だと慌てて周囲を見回した。

視線の先に東宮庭園の見慣れた温室があり、その扉を開けると微かに歌声が聞こえてくる。歌っている本人は何処にいるのかと静かに足を進めて行くと、やがて温室奥に濃紺の衣装に身を包んだディアナを見つけることが出来た。 その濃紺の衣装は彼女が自城で侍女として働いていた時に着ていたものだと判り、思わず眉が寄ってしまう。ディアナが安寧と感じるのは、やはり侍女として働いていた時なのかと眉間に深い皺を作りながら、それでも歌を紡ぐ彼女に安堵した。

 

しかし彼女が振り向いた姿を見て、ギルバードは目を瞠る。

侍女服には間違いないが、その首元に差し込む陽を浴びて輝く何かが揺れているのが見え、それが先の舞踏会で自分が贈ったネックレスだと気付いた時、ギルバードの全身が一気に熱くなった。彼女の夢に自分は全く登場していないとローヴに言われ正直面白くなかったが、ネックレスとはいえ自分の存在が確かに彼女の側にあることに感動して面映ゆくなる。

 

温室外に見える近くの花壇には小さな花が咲き、遠くには陽光を跳ね返す海原が見えた。ディアナは歌を歌いながら温室から出ると野菜畑に近付き、赤く色付いたトマトやキュウリなどの野菜をカゴに摘む。彼女が温室から出ると場面は途端に騎士団宿舎の厨房へと変わり、そこで調理を始めた。テーブルには幾つもの料理が並べられ、ディアナは満面の笑みで次の調理に取り掛かる。

そんな笑顔は見たことないとギルバードが見惚れていると、今度はテーブルに乗りきれないほどの布地が広がった。ディアナは針を持ち、その布地をうっとりと見つめながら縫い始める。ギルバードが近付いてもディアナは縫うことに夢中で、そしてそれはあっという間にイブニングドレスになった。ディアナは嬉しそうに出来上がったドレスを身体に宛がい大きな鏡に映しているが、しかし袖を通すことは無い。

着たら素晴らしく似合うだろうとギルバードが首を傾げると、また場面が変わる。

今度は東宮の彼女の部屋だと気付きディアナの姿を追うと、彼女はドレスを部屋のベッドに広げ、はにかんだ笑みを浮かべながら黙って眺めているだけだ。ぜひ着たところが見たいとディアナに近付いた瞬間、彼女がくるりと振り向いた。 

 

「・・・・・え、殿下?」 

「っ! ・・・そ、そうだ、俺だ!」 

 

きょとんとした顔のディアナに問い掛けられ、激しく動揺しながらも頷き返答すると突然、視界いっぱいに布地が大きく広がり覆い被さって来た。

急なことに驚きながら目の前の布地を手で払うとディアナの姿がどこにも無い。慌てて追い掛けようと部屋を出ると、今度は山の中へ移動していた。何処の山だと眉を寄せ、同時にディアナが逃げ出したことにショックを覚える。 

互いの気持ちが通じ合い、ディアナは妃になるための前準備として、その心構えを持つための勉強を始めたばかり。柔らかな笑みで真っ直ぐに見つめてくれるようになったのも最近のことで、ようやく臆することなく東宮の厨房で菓子を作り一緒にお茶を楽しむ時間を持てるようになったというのに。 

東宮で過ごすことに慣れて来たら二人の未来を真剣に語り合おうと思っていたが、今回のことで王城で過ごすのは無理だと、王太子妃になるのは怖いと怯え慄き、帰りたいと口にするかも知れない。

夢の中では自分で無意識に押さえている感情が露呈する。

今、この場でディアナに自領に帰りたいとはっきり告げられたら俺はどうするだろう。

アラントルになど帰って欲しくない。戻らず側に居て欲しい。未来を、俺が望む二人の未来をディアナにも選んでもらいたい。そのためにはこれ以上夢の奥に逃げ込まれては困る。

顔を上げると見たことのある突き出た岩が見え、トリスト山かと歩き出す。倒れた魔法導師がいる場所だろうかと足を向けると、人影が見えた。黒い外套を身に纏ったエレノアがナイフを突き出し、侍女姿のディアナに鋭い言葉を言い放つのが聞こえて来る。

  

「お前さえいなければ、ギルバードは私を選んだのに!」 

「ギルバード殿下が魔法を使ったのは、お前が言った一言が原因だ」 

「田舎領主の娘が、いつまで東宮に住まうのか」 

「侍女が王妃になるなど、王城の誰が認めるものか!」 

 

吐き捨てられる氷の刃をディアナは黙って受けていた。項垂れもせず、エレノアを前にして薄く笑みすら浮かべている様に、それは言われて当然だと甘受しているようでギルバードの胸が苦しくなる。 

 

「お前の一言が原因でギルバードは魔法を使い、お前を大国であるエルドイド国の王城に招くことになったのよ! 本来なら一生目を合わすこともない卑しい侍女の癖に!」

  

エレノアが刃の様な言葉を放つたび、ディアナの身体に萌木色の蔓が巻き付いていく。足元からゆっくりと巻き付く蔓に包まれながら彼女はエレノアから目を離さない。

その姿を目にして、ギルバードは思わず駆け出した。 

 

「ディアナ! どうして言い返さない! どうして抗わない!」 

「殿下っ、・・・・あ」 

「逃げるなっ! もうこれ以上どこにも行くな!」 

 

蒼褪めた顔を背けて今にも消えそうなディアナの手を掴み、強く引き寄せる。身体中に絡みつく蔦を引き千切り、ギルバードは背後に立つエレノアを鋭く睨み付けた。 

 

「消えろっ!」 

 

ギルバードが一喝するとエレノアの姿と蔦は消え、周囲はディアナの部屋に変わる。

それは東宮に用意した部屋ではなく、アラントル領リグニス家にある彼女の部屋だった。質素な部屋にはベッドと小さなチェストと机、そして本棚が置かれているだけ。窓からは畑と厩舎の屋根が見え、厨房が近いのか料理中のいい匂いが漂ってくる。

腕の中で震えるディアナの背を撫でながら、ギルバードは眉を寄せた。 

 

「ディアナ、俺の声は聞こえているか? エレノアの言葉より俺の声を聞いて欲しい。頼むから、お願いだから、俺の話に耳を傾けてくれ」

 

 

 

 

 

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