紅王子と侍女姫  73

 

 

真白い空間がギルバードの呟きで東宮のディアナの部屋へと変わっていく。

ディアナの夢なのに自分の言葉通りになるのは、彼女が自分を受け容れてくれているからだと確信し、嬉しさの余り思わず頭にキスをした。驚いたのかディアナが顔を上げるから、頬や額にもキスをするが、途端に顔を伏せられてしまう。

もしかして嫌われたかとディアナの顔をそっと窺うと、耳や項がほんのり赤くなっているのが見える。

嫌がってはいない様子にギルバードは小さく息を吐き、浮足立つ気持ちを抑えながらディアナに語り始めた。

 

「例えディアナがアラントル領に戻っても、俺は諦めないぞ。何度も迎えに行くと言ったはずだ。俺が自分の伴侶として望むのはディアナで、ディアナがいない人生は考えられない」

「でも、殿下・・・っ」

 

ソファに深く腰掛け、抗い逃げようとする彼女を膝上で抱き締める。ディアナの髪や背を撫でながら、自分の気持ちを思うがままに全て伝えてみようとギルバードは語り続けた。

 

「今回の件は全部俺が悪い。叔父である王弟の罪を暴き幽閉した後、エレノアのことは頭からすっかり抜け落ちていた。グラフィス国の商船に拉致された時、ディアナが攫われることは二度と無いと誓ったのに・・・。これではディアナに嘘を言ったも同然だ」

「そんな・・・嘘など、殿下は・・・」

「嘘吐きだと罵倒していい。唾を吐きかけても、殴ってもいい」

 

目を瞠ったディアナが顔を上げ、首を横に振った。

いくらそう言っても、ディアナがそんなことをしないのは承知している。

ずるいことを口にしたと思いながら先を続けた。

 

「だけどアラントルには戻って欲しくないし、戻っても連れ戻す。どうか、俺の妃になって欲しい。何度も希うぞ、俺はディアナが欲しいと」

 

ディアナの大きく見開かれた瞳に大きな涙が浮かび、今にも零れそうだと指で拭う。

引き寄せて頭にキスを落とし、消えてくれるなと呟いた。

 

「ディアナはすでに二週間以上も眠っている。こんなにも永くディアナが眠り続けているのは、俺がかけた魔法の影響がディアナに残っているせいなのかも知れない。十年間もの長い間、魔法で繋がっていたからな、有り得るだろう? まだ魔法の影響が残っているのかと怒ってもいいぞ」

「・・・怒るなど、しません」

「ディアナが怒らないなら俺は図に乗るぞ? どんな形でもディアナと繋がっていられるなら俺は大歓迎だからな。だから離れるなんて言わないで欲しい。だけどディアナが・・・・何度も約束を反故にされ、再び攫われたことで俺のことが心底嫌いになった、本当は側に居たくない、顔も見たくないほど厭だ、俺を疎ましいと思うなら話は別になるが」

 

自嘲した笑いを浮かべながら自分の言葉で胸が痛くなり、その可能性もあると思い至ったギルバードはディアナから蒼褪めそうな顔を逸らす。すると袖が引っ張られ、視線を向けると膝上のディアナの衣装が侍女服からデイドレスに変わったのに気付いた。

 

「何度も言っておりますが、私が殿下を嫌うことなど・・・ありませんから」

「でもディアナはアラントル領に戻りたいと言う。それは俺の顔が見たくないからだろう? 誓いを破り何度も抱き締められ、王族に二度も攫われて怪我を負い、今は無理を強いられ勉強させられている。これでは疎ましく思うのも無理はない」

「さ、攫われたのは殿下のせいではありません! ・・・それに勉強は望んでさせて頂いていることで、殿下を疎ましく思うなど、絶対にありません」

「好きだとディアナは言ってくれるが、それは俺が王太子だからか?」

「違います! ギルバード殿下だから好きなんです。いつも優しくて強くて笑顔が素敵で、真摯に政務に励まれておられる殿下は、心からお慕いする素晴らしい御方です!」

 

ディアナから驚くほど大きな声が聞こえ、聞こえた内容を把握したギルバードの全身に甘い震えが奔った。居た堪れないほどの羞恥と地団太を踏みたくなるほどの嬉しさを覚え、そして彼女の背後に見えた光景に目が奪われる。

ディアナの背を囲むように淡い色合いの薔薇が出現し、傍らのテーブルには見覚えのある菓子が並び出した。ディアナの心情がそのまま夢に反映されると思っていたが、競うように咲き始める薔薇の多さに彼女の本心が表われているようで、目にしたギルバードは茹っているのではないかと思うほど顔が赤くなる。

 

「殿下は二年にも亘る国内全ての領地視察で見聞を広げられ、各領地の問題点を即座に改善されたとレオン様に聞きました。エディ様オウエン様からも、殿下は城内外の皆様にとても慕われていると教えて頂きました。騎士団宿舎の料理長さんや庭師の皆様も、殿下のお話を笑顔でして下さいます。殿下が皆様にどれだけ慕われているかを知ることが出来て、私はとても嬉しくなりました。殿下は立場など関係なく御尊敬出来る御方です」

 

頬を紅潮させ、きっぱりと言い切るディアナの可愛さに身悶えそうになる。

好きな相手から真剣に褒められる羞恥に背を震わせながら、ギルバードは落ち着こうと咳払いをした。ディアナがしゃべるほどに薔薇は増えて咲き乱れ、さらにデイドレスから華やかなイブニングドレス姿へと衣装を変えて真っ直ぐに自分を見上げて来る。視界に入れては駄目だと思うのに肩から胸元の肌の白さから目が離せず、背を押さえた手が強張り震えそうになった。いつもの可愛らしさとは違い、艶めいた姿のディアナが膝上にいるという事実に、ギルバードは無理やり咳払いを繰り返す。

 

「ごほ・・・。王太子の立場など関係ないと言ってくれたことは心から嬉しく思う。それならディアナも解かって欲しい。俺もディアナの身分など関係なく愛しく思っていると」

「・・・でも、私は殿下の大切な御公務の邪魔をしてしまいました・・・」


急に項垂れたディアナが掠れた声を落とす。途端に周囲の花々が揺れ、今にも散ってしまいそうな風情を醸し出す。ディアナの憂いはやはりそれかと、ギルバードは背に回した手に力を入れ、身体を引き寄せた。


「視察よりディアナの方が大事に決まっている。後で悔やむことになるのは二度と御免だ! だが・・・実際は間に合わず、ディアナに怪我を負わせたてしまった。今回の一件では王を含め、皆に胡乱な視線を向けられ無言の責めを受けている最中だ」

 

ギルバードの言葉に顔を曇らせたディアナが視線を彷徨わせながら口を開こうとする。その唇を押さえ、ギルバードは首を振った。

 

「全て俺が悪いのは承知している。ディアナが眠り続けている間、何度も何度も反省した。東宮以外では気を付けるよう伝え忘れていたし、採寸にはカリーナか東宮侍女を付き添わせるべきだった。正直エレノアが行動を起こすとは思わなかったし、グラフィス国から来た魔法導師への指導も徹底されていなかった。ああ、奴は順調に回復していると聞いたぞ」

 

最後の言葉に安堵の表情を浮かべ、しかしディアナは眉を寄せて項垂れた。

 

「それでも・・・私が王城に来たことで多くの方に迷惑をお掛けしてしまい、どう償えばいいのか、どう謝罪をしたらいいのか。・・・いくら考えても思い浮かばずにおります」

「ディアナが償いたい贖罪したいと思うなら、俺と結婚して妃になればいい」

 

項垂れていたディアナがぱちぱちと瞬きを繰り返し、きょとんとした顔を持ち上げた。

大きく見開かれた碧の瞳に笑みを返し、ギルバードは目を細める。ディアナの艶やかな唇が薄く開くが、何と答えていいのか逡巡している様子が窺え、そっと抱き締めた。

 

「夢という遮断された空間で眠り続けるより、君の目覚めを待っている人たちがいる現実に戻るべきだ。ここは居心地がいいだろうが君の居るべき場所じゃない。ディアナが償いたい謝罪したいと望むなら、俺と一緒に皆が幸せになる道を模索して欲しい。王城は慣れないが故に戸惑うことが多くあるだろう。俺や王でさえ逃げ出したいと思うことが多くある。だからこそ心の支えに求めるんだ、愛しい人の存在を」

 

強く言い切り、ギルバードは大きく息を吐いた。先ほどまで感じていた動揺は消え、言いたかったことを全て言い切った気分だ。ディアナが気負うことなく自分らしく過ごせる場所として王宮より自領を望むのは尤もだと思うが、それでも自分の気持ちを知って欲しいと訴えた。少しは伝わっただろうかとディアナを見ると艶やかな唇が薄く開いたまま、視線を彷徨わせている表情が余りにも無防備で可愛らしく、そのままその唇を塞いでしまいたい欲望が湧き上がるが、今はそんな場合じゃないだろうと自分を叱咤する。

 

「アラントル領に戻るのも、いつまでも目覚めないのも却下だ。俺の側に居たくないなら、俺のことが嫌いだとはっきり言えばいい」

「き、嫌いではありませ・・・」

「それなら攫われて怪我をしたディアナが目覚められなくなるほど悩むのは終わりだ。悪いのは攫った奴で、ディアナは文句を言う立場だ。こんなことに巻き込まれて至極迷惑だと怒ればいい。機会を設けるから王弟の顔を思う存分踏み付けてみるか?」

「そんなこと出来ません!」

「では何が問題だ?」

 

ぱちぱちと瞬きするディアナの眉が寄る。その逡巡する様子も可愛いと、思わず口付けたくなるのを堪えながら、ギルバードは笑みを浮かべた。

 

「俺はディアナが好きだと何度も言っている。好きだから側に居て欲しいと、妃になって欲しいと伝えている。それを一度は承諾してくれたのに・・・いや、そのための努力をすると言ってくれたのに、ここに来て翻すのは俺の周囲がディアナを傷付けたからだろう?」

「い、いえ! そうではなく、私がいることで迷惑を」

「迷惑を掛けられたのはディアナの方だ。迷惑といえば、ディアナに一番迷惑を掛けているのは俺だな。俺が魔法をかけたのが始まりで、それは消したくとも消すことが出来ない事実だ。何度謝罪しても足りないが、それでもディアナが納得するまで謝罪すると誓おう」

 

浮かんできた涙を散らすためか、口を結んで瞬きを繰り返すディアナが首を激しく横に振る。意地が悪い言い方になるのは、いつまでも頑固なディアナに多少なりとも苛立っているからだ。結婚に関しては相手が誰であろうと何の問題もない。第一ディアナは侯爵家の娘であり、王も既に承知している。そう何度も繰り返し伝えているのに、一向に頑な態度を変えようとしないからだ。

 

「ディアナが夢に逃げても俺の気持ちは変わらない。こうして夢の中だろうと追い掛けるからな。だから夢に逃げるより、現で俺と共に生きると誓って欲しい。皆が幸せになるために協力してくれると、時に暴走しそうな俺を諌めると言って欲しい。ディアナが是と言ってくれるまで何度だって伝えるつもりだ。俺の妃になって欲しいと」

「・・・ぁ、う」

「ディアナへの執着は誰にも負けないぞ。なんせ十年もリボンを持ち続けた男だからな」

 

顔から首、指先までも真っ赤に染めたディアナが顔を伏せると、周囲で咲き乱れていた薔薇の色が一斉に深紅へと変わり、天井からは深紅の花びらが舞い落ちて来た。彼女の心情をそのまま反映しているだろう光景を目にして、流石にギルバードも頬を染めてしまう。同時にディアナが逃げずに膝上に居てくれる事実と、彼女の心情を映し出すような鮮やかな花びらの色に身体が震えるほどの喜びが込み上げてきた。

 

「ディアナ、顔が見たい」

 

俯かれては愛らしい顔が見えないと言うと、手で顔を隠されてしまう。

途切れることなく盛大に花びらが舞い落ちる中でディアナを抱き締めると、腕の中から短い悲鳴が聞こえて来た。もうギルバードの頭の中には許可もなく抱き締めてしまったという反省は無い。言葉だけでなく行動でも示さないとディアナには伝わらないと判り、抱き締める腕に力を入れた。すると更に深紅の花びらが舞い落ちて来るから、このままでは花に埋もれてしまうと笑ってしまう。聞こえた笑い声に驚いたのだろう、顔を上げたディアナが周りの光景に目を瞠る。舞い落ちる花びらに戸惑う彼女の頤を掴み、ギルバードは顔を近付けた。

 

「その瞳を、何時までも見続けたい。この願いを叶えてはくれないか?」 

 

ディアナの頤が左右に揺れそうになるのを押え込み、ギルバードは語り続けた。 

 

「ディアナに何度も気持ちを伝え、やっと通じ合えたばかりだ。確かに王太子の妃になれと言われてディアナが戸惑うのは判る。侍女として過ごして来た期間が長い分、不安があるのも理解出来る。だけど俺を好きだと言ってくれるなら、もう一度考え直して欲しい」 

「わ、私は・・・」 

「幸せにすると誓う。ディアナだけを愛し続けると誓うから」 

 

潤んだ碧の瞳に舞い落ちる花びらが映る。今にも零れそうな涙に唇を寄せると、驚いたように顔を引かれてしまう。背を引き寄せて涙を吸い取ると、それは口内で薔薇の花びらに変わり、何故かカスタードの味がした。 

 

「ディアナの涙は甘いな。夢の中だからか? 前に舐めた時は気付かなかった。あ、だけど二度と哀しい涙は流させないぞ。・・・って、俺が言っても信用してもらえないか? 

「い、いえ! 殿下のおっしゃることは信用致します」 

「では俺がディアナを幸せにするという言葉も信用してくれ。俺を好きだと言ってくれるなら、俺を信用してくれると言うなら。・・・ディアナ、愛しているから」


髪を梳きながら懇願を繰り返す。通じてくれるように、『是』と言ってくれるように願う。目の前には真っ赤な顔のディアナが潤んだ瞳を彷徨わせながら唇を戦慄かせている。

その唇が開く時、彼女は何と答えてくれるのだろう。

 


 

 

 

 

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