紅王子と侍女姫  74

 

 

問われて簡単に答えが出せるなら、悩むことも眠り続けることなどなかったはずだ。

侍女としての挟持を持ち、領主のためにと日々真面目に従事していた彼女に、魔法が解けたからこれからは貴族息女として過ごせというのは酷だっただろう。魔法が解けても彼女の本質は何も変わっていない。人のために尽くすことを喜びとするディアナは、騎士団休憩室の掃除や食事作り、ローズオイル抽出作業を楽しそうに行っていたと聞いた。魔法を解いて変わったことといえば、真っ直ぐに見つめてくれるようになったこと。それはギルバードが何よりも望んでいたことだ。

 

「ディアナは俺を好きで、俺が好きなのはディアナだ。前に伝えただろう。皆が幸せになるためには、まず自分が幸せになるべきだと。俺が幸せを感じるのはディアナの笑顔を見た時だ。だから俺が幸せだと感じて日々尽力出来るよう、一番近くで笑顔を見せてくれ」

 

顎から手を離して両手で頬を包み込み、ギルバードは笑みを浮かべた。

ふと気付けば咲き乱れていた薔薇や床上の花びらが全て消え、部屋の床一面が緑の野原に変化する。

ディアナが消えないように急ぎ彼女の腕を掴むと同時に部屋の壁が消え、広い牧草地が目の前に広がった。驚きながらも何処か見たことのある風景に注視していると、膝上のディアナが小さな呟きを落とす。

 

「望みを叶えたいと、・・・思ってもいいのでしょうか」

「当たり前だ、いいに決まってる! それで、ディアナの望みは何だ?」

 

東宮の一室にいたはずの自分たちが、どこまでも続く青々とした牧草地でソファに座っている不思議な光景。夢とわかっていても周囲が気になる。もっと気になるのがディアナの望みだ。ここに来て、アラントルに戻るのが望みだと言わないで欲しい。

ギルバードは腕を掴んだ手に力が入りそうだと、ディアナの唇をじっと見つめた。

 

「私は・・・殿下の・・・側にいたいと、望んでおります」

「ッ! そ、それがディアナの望みか? 間違いなく?」

 

引き寄せたディアナが凭れ掛かっている胸から僅かだが頷く動きが伝わる。夢なら覚めないでくれと強く願ったギルバードは、直ぐにここは彼女の夢の中だと気付いた。

自分はディアナを目覚めさせるために彼女の夢の中にいるが、今聞いた言葉は夢じゃないと確かめたい。

 

「それがディアナの望みなら、直ぐに叶えると約束する! 他にはないか?」

「え? ・・・あ、では、殿下ともう一度乗馬を・・・」

「乗馬か、よしっ! 今度は俺の馬にも乗ってくれ! 他は?」

「他? ・・・え、と」

 

困ったように口籠るディアナの髪を撫でている内に、前に髪を触りたい紅い瞳が見たいと言われたことを思い出し、手を掴んで自分の髪に押し付ける。

手触りに驚いたのか顔を上げたディアナと目が合った瞬間、ギルバードは彼女に口付けていた。

 

「んんっ!? ぁ・・・は、・・・っふ」

 

柔らかな感触を舌でなぞり啄ばむと、薄く開いた唇から洩れる吐息に煽られ、いつしか貪るような口付けに変わる。胸を押し出す感触に彼女を感じたギルバードは、ディアナの吐息と咥内から溢れる甘さに酩酊し、気が付けば彼女をソファに押し倒していた。

短い悲鳴を耳にして目を開けると真っ赤な顔が驚くほど間近に見える。今自分は何をしたと困惑しながら離れると、ディアナが顔を背けて噎せ込み出す。顔を背けられる瞬間、彼女の口元が濡れているのが見え、ギルバードは声無き悲鳴を上げた。

 

「っ! あ、わ、わ、悪いっ! 気が付いたらっ」

「い、いえっ。・・・驚いた・・・だけで」

 

即座に手で顔を隠したディアナから離れようとして、見事にソファから転げ落ちてしまう。行動で示すにもこれでは遣り過ぎだ。謝罪しようと慌てて起き上がったギルバードは、目の前に差し出された手に目を大きく見開いた。顔を上げると真っ赤な顔のディアナが心配げに見つめているから、その小さな手を引き寄せて身体を掻き抱いた。

 

「ディアナ、大好きだっ!」 

「きゃああっ! で、殿下っ!?」

「ああ、ディアナは可愛くて優しくて甘くて・・・、俺はディアナがいないと駄目だ! 触りたいと望むなら髪だけじゃなく、顔でも手でも足でもどこでも、全身隈なくディアナの好きに触っていいからな。俺も、もっと触りたい!」 

 

ぎゅうぎゅうに抱き締めてくる腕の中、ディアナはこのままでは死んでしまうと胸を押さえた。動悸が激しくて息が出来ない。降り注ぐ言葉に、嬉しい気持ちより恥ずかしさが勝る。もうこれ以上しゃべらないで欲しいと思うのに、王子は抱き締めたまま更に声を張り上げるから羞恥に涙が浮かんできた。 

 

「もう、他の誰にもディアナの可愛らしさを見せるな! ああっ、舞踏会でディアナを見ていた奴らの記憶を抹消したい。ディアナを見ることが出来るのが、触れることが出来るのは俺だけでいいのに!」 

「あのっ、もうそれ以上は・・・」 

「あとは目か? ディアナの夢の中なら好きに出来るな。どうだ、紅いか?」

 

キスだけでも息が止まりそうなのに言葉でも攻めてくる王子に、それ以上しゃべらないで欲しいと伝えようとして、耳に届く言葉にディアナは思わず目を瞠る。

魔法を使った時だけ変化する王子の瞳。

黒曜石の瞳も綺麗だが、ルビーの輝きを宿した瞳は胸が締め付けられるような美しさだ。

王子の言葉に顔を上げると、目の前には紅く煌めく双眸が見えた。輝く宝玉が二つ、間近で輝いているのを目にしてディアナは細く吐息を漏らす。意志の強い双眸が紅く神々しく煌めく様に魅了される。

息が止まりそうなほど綺麗な輝きを前にして、温かいものに包まれているような幸福感がディアナの胸いっぱいに広がった。 

 

「きれい、です。・・・とても」 

「この目が綺麗だと言うのはディアナくらいだろうな」 

「殿下の瞳は宝石そのものです・・・。綺麗で・・・目が離せない」

 

恍惚とした表情で見つめてくるディアナが不意に手を持ち上げた。その指先がギルバードの頬を滑り、瞬きもせずにじっと見上げて来るから動けなくなる。嬉しそうに笑みを浮かべた彼女が細く白い指先で頬を撫で、自分の目を熟視している姿を前に動悸が激しくなる。

押し倒し噎せ込むほど口付けたばかりだ。望むのは俺の側に居ることだと気持ちを聞いたばかり。だけどそれでも足りないと思うのは、彼女から明確な言葉を貰えていないからだ。

 

「ディアナが綺麗だ、目が離せないと言うのなら、何時までも見つめ続けていいぞ。何度も言うが俺はディアナと共に幸せになりたい。どうか、この望みを叶えると言って欲しい」

私でもいいと・・・殿下が望んで下さるなら、・・・こんなに嬉しいことはありません。何度殿下を諦めようと思っても、こうして私の心ごと捕まえに来て下さる。・・・もう諦めようなど思いません。私も殿下を幸せにしたいと望みます」

「・・・ディアナ。俺は・・・今、泣きそうなほど嬉しい」

「あの・・・何度も殿下を翻弄させ、このような場所にまで足を運ばせたことを深くお詫び申し上げます。これからは殿下の御心に副えるよう、心から御仕え申し上げます」

「そこはっ! そこは・・・仕えるとかじゃなしに、ほら・・・」

 

焦るギルバードの態度に小首を傾げたディアナが、言われた内容を理解してジワジワと頬を染めていく。潤んだ瞳を瞬きながら赤く染まった頬を押さえる愛らしい姿に思わず口付けたくなるのを必死に堪えていると、震える唇から望む言葉が零れるのが聞こえて来た。

 

「・・・いつ・・・までも、御側におります・・・」

「それは俺の妃になることを、結婚することを承諾してくれるということか?」

「・・・はい」

「結婚の申し込みを受け入れるということでいいんだな?」

「・・・・・・はい」

「俺と結婚して俺の妃となり、ずっと王城で過ごすと、俺と添い遂げると?」

「・・・・・・そう、です」

「俺の子を産んでくれるということだな!」

「っ! え、そっ、・・・は・・・はいぃ・・・」

 

ディアナが真っ赤な顔を伏せると、周囲の牧草地は一瞬にして花畑へと変貌した。

色様々な薔薇を始め、ネルケやアネモネ、フリージア、紫陽花、ダリア、モーン、トルペ、ダーリエなど季節を無視した草木花がいきなり背丈ほども伸びて取り囲むように咲き出す。ディアナを抱き上げソファに逃げ込むと足元で鈴蘭が軽やかな音を奏で、背後では桜やハナミズキが幹を撓らせ揺れ始めた。

目を瞠っていると緑色の蔓が伸びて近くの樹木に巻き付き、あっという間に葡萄を実らせる。周囲を見ると葡萄だけじゃなくキュウリやキウイがたわわに実り、足元にはカボチャやスイカが転がっていた。

顔を上げたディアナも周囲の光景に驚き、二人は顔を合わせて呆けてしまう。

 

「ディアナの夢は、何というか・・・賑やかだな」

「こんなに沢山実っていても、夢から覚めたら食べられないのですね。・・・勿体無い」

「っ! そ、そうだな! ここは夢の中だからな!」

 

本当に残念そうな口調でディアナが呟くから、ギルバードは腹を抱えて笑ってしまう。大きく目を見開くディアナが恥ずかしそうに顔を伏せようとするのを止め、笑い過ぎて涙が浮かぶ顔を近付けた。顔を逸らそうとするディアナの額にキスを落とし、頬を持ち上げる。

 

「王宮東宮の庭園にある温室は薔薇だけじゃないぞ。野菜用の温室や果樹園もある。戻ったら案内しよう。温室の野菜を使い、アラントルで出された料理をリクエストしていいか? もう一度食べてみたい煮込み料理がある。もちろん、菓子も頼みたい」

「野菜用の温室ですか? 果樹園も?」

「ローヴ達、魔法導師専用の温室もあるぞ。時々実験の結果だと、季節外れの野菜や果実が実るそうだ。中には野菜か果物か、果たして食べ物なのかと迷うモノもあるが、興味があるなら行ってみるか? 俺と一緒に行くなら迷うことなく入ることが出来るから」

 

碧の瞳が輝くから嬉しくなる。その輝きを得るためなら、何でも叶えてあげたいと思う。

同時にもっと触れたいと手が伸びそうになり膝上で握り留めると、彼女の細い指先が留めようとする熱を解くように触れてきた。

 

「・・・目覚めたら、まずは謝罪させて下さい。必要ないと殿下は仰って下さいますが、いくら謝罪しても足りないくらいです。夢の中まで迎えに来て下さり、側に居ても良いと言って下さいました。宝石のように綺麗な瞳も見せて頂き・・・」

「それなら謝罪なんかじゃなく、礼がいい。ディアナから好きだと言ってキスしてくれるのが何より嬉しい。それに何処にだって迎えに行くぞ。・・・って、もう二度と攫わせないと誓った俺が言っても・・・信じてもらうのは難しいか、な。は、ははは・・・」 

 

自分の言った言葉に自身が傷付き、ギルバードから自嘲するような乾いた笑いが零れる。 

思い返せば感情に任せ魔法をかけてたあの時から、ディアナには迷惑を掛け通しだ。 

侍女衣装から貴族息女らしいドレスに身を包んだ彼女はコルセットに苦しみ、宿では酒臭い男に連れ去られそうになった。過去を思い出させようとして魔法で眠らせてしまい、目覚めた彼女の声を奪った。慣れない場所で戸惑いながら、それでも厭うことなく試しを受けようと努力する。だがエレノアから罵倒を受け頬に傷を負いながら初めて出逢った場所に足を運んだディアナは、過去の会話を思い出して全身を震わせ泣き崩れたのだ。

自分が全て悪いのだと嗚咽を漏らし、何度も許しを請い続けた。 

魔法が解けてやっと安寧を与えられると思ったのも束の間、王と躍る彼女が注目されたことに焦り、自領に帰ろうとする彼女に気持ちを押し付け戸惑わせてしまった。

その後、王弟とエレノアが魔道具と交換に他国王子との婚姻とディアナの誘拐を企て、救出することが出来たものの大きな傷を負わせてしまった。しかし彼女は悲痛な顔で俺に頭を下げたのだ。俺を諌めるためとはいえ王子に対して暴言を吐いてしまったと。時間を掛けて必死に説得を繰り返し、再びディアナと互いの気持ちを繋ぎ合えたと思ったのに、再び彼女を攫われてしまった。

何一つ悪くないディアナが自分を責めて眠りに陥ってしまったのは、自身の不甲斐なさだと自覚している。だからこそ深く反省し、二度と悲しませないと心に深く刻むのだ。 

 

 

急に沈痛な面持ちとなった王子の横顔を見つめながら、ディアナは眉を顰めた。何度も謝罪はいらないと言われてきたが、夢の中まで足を運ばせたことはどうしても謝罪したい。自ら望んで永い眠りに就いた訳ではないが、王子を始め多くの人に迷惑を掛けたことだろう。

でも王子は謝罪より礼が欲しいと、キスしてくれたら嬉しいと言っていた。

王子が喜ぶというなら何でもして差し上げたいのだが、しかし『キス』の言葉に躊躇ってしまう。不意に船上で激昂する王子を御諫めしようと強引に口付けたことが脳裏に浮かぶが、あれは違うとディアナは慌てて打ち消した。あの時は王子の意識を他へ向けようと無我夢中だったし、キスの意味合いが違うと頭を振る。王子が望んでいるのは愛情を確かめ合うためのキスだ。

そこまで考えたディアナは全身に熱が帯びるのを感じて、潤みそうな視線を落とす。 

そろりと横を見ると眉を寄せた王子が足元のカボチャを足先で突いていた。程良い大きさに育ったカボチャを見て、王子にパンプキンパイを作って差し上げたいと考える自分を急いで叱咤する。それよりも今は王子の憂いを拭うのが先決だ。

憂いを拭うため、互いの気持ちを重ねるためにキスをする。

だけど自分から王子に口付けるなど、自分に出来るだろうか。足元のカボチャに意識を向けている王子の顔を自分に向けさせ、そして頬を包み唇を近付け・・・・・。

そこまで考えて強く目を瞑った。それ以上は無理だと、熱を放つ頬を押さえる。もちろん厭な訳じゃない。ただただ、途轍もなく恥ずかしいだけだ。 

しかし恥ずかしがっていては何一つ進展しないのも判っている。何度も気持ちを伝えてくれる王子に、私も同じ気持ちですと応えたい。そのために行動を起こすべきだと判っている。眠り続ける自分の許に来てくれた王子が望むなら・・・・。 

 

「・・・ディアナ」 

「はぁあああいっ!」 

 

突然名前を言われ、心臓が口から出たのではないかと思えた。実際に口から飛び出したのは引っくり返った悲鳴のような返答。大きく目を見開いた王子が唖然とした表情で振り返るから、ディアナは思わず立ち上がった。恥ずかしくて居た堪れなくて逃げるしかないと踵を返して地面を這う草に足を取られ、転倒する寸前に抱き締められる。 

 

「あ、慌てるなっ! 急に声を掛けた俺が悪い。逃げることないから、落ち着け!」 

「わたっ、私っ! できな・・・無理っ」 

 

腕の中のディアナはひどく気が動転していて、蒼白となった顔を隠すと全身を震わせながら首を振った。そんなに驚かせてしまったのかと反省しながら、何が無理なんだと動悸に襲われる。ソファに降ろすとディアナの髪がふわりと風に靡き始めるから、慌てて掻き抱く。 

 

「ちょっと待て、ディアナ! 消えるのは無しだ! 何だ、何が無理だ? 俺の妃になるのが無理だと、そう言うのか? やっぱり・・・俺の今までの素行が悪過ぎたせいで」 

「違います! 私から殿下に口付けるのは無理だと・・・あっ!」 

「・・・え?」 

 

思いも掛けぬ返答と、真っ赤に染まったディアナの顔にギルバードはポカンと口を開けた。直ぐに彼女が何に動揺したか理解したギルバードは、自分が少し前に何を言ったかを思い出して破願し、狂喜のあまり叫びながら力いっぱいディアナを抱き締める。 

 

「そうか、そっちの無理か! 無理ならいいっ。ディアナが恥ずかしいと身悶えるのは嬉しいが、それで消えられては困るからな。キスなら俺から幾らでもするから!」 

「そっ! あ、・・・あぅっ」 

「そういえばローヴにも注意されたよな。ディアナから好きだと言ったり、抱き締めるのは恥ずかしくて無理だろうと。忘れていた俺が悪い、悩ませて悪かった」 

 

王子にがっちり抱き締められた状態で、告げられる言葉に悲鳴を上げそうになる。確かに逃げ出そうとするほど恥ずかしかったが、身悶えていると言われて羞恥が増す。王子が自領に来てから今日まで、今まで知り得なかった様々な感情に振り回されているような気がする。泣いたり、大声を出したり、恥ずかしさで顔を赤くするなど、侍女として過ごしていた日常には無かったことだ。 

肩を掴まれ熱が離れる。顔を見られると思い、急ぎ目を瞑ると額に柔らかなキスが落ちた。軽い音を立てながら眦や頬にも唇が触れるから動けなくなる。結んだ唇を掠めるキスに身体が大きく震えると、温かな腕に柔らかく抱き締められた。 

 

「悪い・・・、ディアナが可愛過ぎて抑えが利かなくなりそうだ。だけど二度と悲しませたりしないと誓からな。それと、俺が贈ったネックレスをしてくれて嬉しいよ」

「え? ・・・あ」

 

届く言葉に胸元に視線を落とすと、そこには確かに王子から贈られたネックレスが飾られていた。そして舞踏会で着ていたドレス姿でいる自分にも驚き、これが自分の望みなのかと目を瞬く。持ち上げられるネックレスに意識が戻ると王子の黒髪が間近に迫り、胸元に温かな吐息が触れた。王子が手にしたネックレスに唇を近付けるのが見えたディアナは、退こうとしてソファの背に退路を塞がれる。 

 

「・・・っ!」 

「ディアナ・・・」 

 

途端、寒気に似た肌をざわめかせる感覚が背を這い上がる。幾度も耳にした王子が紡ぐ自分の名前と、肌に落ちる吐息に頭が真っ白になり何も考えることが出来ない。それなのに腕が勝手に持ち上がり、王子の頭を包み込むように撫で始めるからディアナは戸惑ってしまう。

黒髪を滑る自分の指が柔らかな何かに触れて、驚いたように離れる。指が触れたのは王子の耳だろうか。自分の行動が信じられないと呆けていると、顔を上げた王子と目が合った。

黒曜石のような双眸は一瞬大きく見開き、そして二、三度瞬くと視界から消えてしまう。

気を悪くさせたかとディアナが口を開こうとして、首に痛みが奔った。

思わず身体を捩るとソファに押し付けられ、再び襲って来た痛みから逃れようと王子の肩を押すが逃げられない。王子に何をされているのか理解出来ず、次々と襲い来る痛みに顔を歪めていたが、不意に手から力が抜けていくのに気付いた。急に目が霞み始め、王子の黒髪が朧気に見えてくる。

何故と考えることも出来なくなるが、首に奔る痛みだけははっきり感じて・・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

「殿下っ! ディアナ嬢が可哀想ですよ!」 

「・・・だっ!」 

 

大きな声が間近で聞こえ、目を開けると艶やかな黒い波のようなものが見える。 

先ほどまで自分がいた牧草地の草が風に靡いているようで、黒く見えるのは暗いからだろうと思った。身体に圧し掛かる重みに眉を寄せ、何が覆い被さっているのかと手を動かそうとした瞬間に重さが消える。大きな息を吐き目を瞬きながらぼやけた視界を見回すと、そこは東宮の一室で、自分はベッドに横たわっているとわかる。自分が長い間眠っていたことを思い出したディアナは、聞こえた声に顔を向けた。

 

「ディアナ嬢、お目覚めですか」 

「・・・ローヴ、さ」 

「ああ、無理に喋ろうとなさらないで結構です。今、薬湯を用意させますからね。長く眠っていたので身体が思うように動かないでしょうが、直ぐに回復されますよ」

 

眩しさに目を眇めて見上げると、柔和な笑みを浮かべたローヴが杖を仕舞うところだった。

魔法を使って目覚めさせてくれたのだろうと申し訳なさに眉を寄せると、その表情に気付いたローヴがある一点を指差す。指差された先を見ると、ベッド下で頭を抱える王子の姿があり、ディアナは悲鳴を上げる代わりに激しく噎せ込んだ。


  


 

 

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