紅王子と侍女姫  77

 

 

今日より三日間、城下のみならず、意見のある領主や主だった貴族、商工議会に所属している商人が集まり、各種陳情及び打開策や改善策を話し合うために集まる。

つい最近まで王太子が各領地を視察していたため、問題が解決済みの領地が多いが、王城で行われる議会には新たな繋がりを広げようとする思惑で集まる者も多い。表沙汰にはなっていないはずだが、耳にした王弟失脚の噂に関して何か知ることが出来るのではないかと緊張漲らせる者も多くおり、議場に赴いたギルバードは嘆息した。 

「では議会を始めます。まずは隣国で流行している牛の病気に関してから」

 

ギルバードの長姉が嫁いだ公爵家当主が今回の議事進行役として議題を読み上げ、重い静けさと緊張感が会議室に広がって行く。しかしギルバードの頭に広がるのはディアナのことだけだ。王太子妃となることを快く了承してくれたディアナが零す吐息に酔い痴れ、無意識に伸ばされた自分の手。

その手が何に触れて、何をしたか!

直後、全身を震わせて羞恥に染まる顔を隠したディアナが何を思ったかなど容易に知れる。

そんなの、めちゃめちゃ恥ずかしいと思ったに決まっているだろう! 

ああ、俺はなんてことをっ! 俺の騎士道精神は何処に行ったんだ! 

「ああ、・・・はぁ」

「・・・殿下、顔・・・」 

目の前に書類が差し出されると同時に、レオンに脇を突かれた。

しかしギルバードの頭の中には羞恥に顔を背けたディアナと、楽しそうにアラントルに戻る準備をしているディアナが浮かび、再び深く大きな溜め息が零れる。 

「・・・はぁ・・・」

「皆が注目しておりますよ。溜め息など吐かずとも、終われば会えるではないですか」 

呆れたような小声も右から左へ抜けていく。どうにか議会の進行は耳に入るが、緊急性のある議題はないはずだとギルバードは溜め息を零し続けた。

各領地の問題は視察の間にある程度指針を立て、各大臣や領主に指示し、それぞれ解決の目途は立っている。緊急性があるとすれば城下商工会からの陳情、そして皆の関心は王弟に関することだろう。

港でのことは漁業組合長が穏便に済ませてくれたが、やはり全てが穏便にはといかなかったのは否めない。漁師たちが酒場で酒のつまみに話せば広がるし、夜間に騎士団が王城と港の往復しているのを見ていた者もいたようだ。

主だった者たちが集まるこの場で、掻い摘んで話しておくべきだろうかと眉が顰められる。あとで王に確認をと、レオンに見えるよう書類に走り書きをすると、隣りで僅かに頷く気配がした。あとは遠方から来た領主たちをもてなすための宴への参加だ。

全て終わる頃には、淑女の部屋を訪れるには遅い時刻となる。今まで時刻を考えずに訪室していたが、これからはその態度、行為を改めよう。特に今日は行くべきではない。昨日の今日ではどんな顔をしたらいいのか、何を言っていいのか・・・・。 

「一度休憩を挟みますか? 皆の関心が、殿下の溜め息ばかりに向いております」

「・・・始まったばかりだろう」

「同じことを殿下にお伝え致しましょう」 

気を取り直すも、頭の中には丸い彼女の肩と白い背中が浮かび、イブニングドレスから覗く胸元が浮かぶ。自分はこんなにも不埒者だったのかと溜め息が出る。

レオンに足を踏まれて顔を顰めると、公爵から咳払いが飛んで来た。

 

「次の議題に移らせて頂いて宜しいですか、殿下」

「・・・問題ない」 

公爵の鋭い視線に背を正して頷き、ギルバードは次の書類に目を落とす。

 

 

***

 

 

王城に来る際に持参したトランクからイブニングドレスと最小限の荷物だけを部屋に残し、あっという間にアラントルに戻る用意は完了した。姉達と母親に渡すローズオイルはすでに丁寧にタオルに包み、トランクに入れてある。

魔法が解けたら直ぐに自領に帰れるものだと思っていたが、気付けば季節が移ろい、遅い時刻になると薄手の上着が必要な時期が近付いていた。

ディアナは王子が視察に出立する日に、アラントルに向かうことになっている。

家族の許にはギルバード王子とディアナからそれぞれ魔法が解けた旨の報告をしているが、詳細はどう説明したらいいのか悩み、省いていた。滞在が長くなった理由は遅れて報告しているが、領主である父からは舞踏会は辞退出来なかったのかと震える字で返事が来た。畏れ多いことだと書かれており、それに関してはディアナも同感だと思った。

は魔法の存在を知っていたようだが、王都から離れている地では魔法が存在するなど誰も知らない。ましてや王太子殿下の母親が魔法導師だったとか、王子に魔力があるなど、想像すらしないだろう。もっと信じられないのが田舎領主の娘が王太子妃になるということだ。

今、やっぱり夢だったのかと目覚めても納得出来るだろう。だけど、きっと夢を反芻して締め付けられるような胸の痛みに顔を歪め、泣きながら夢の続きを希う自分が想像出来て、それだけで目の前が歪むほど悲しくなる。十年前の魔法が原因で王子と再び出逢うことになり、いつしか互いに惹かれ合い、共に歩んで行こうと誓い合ったが、未だ夢のようだとディアナは荷物を眺めた。

どのくらい呆けていたのか、微かに響く扉を叩く音に気付き、胸が高鳴る。

 

「・・・お、遅くに悪い」

「いいえ、起きておりましたから」 

やはり訪れたのは王子で、しかし、こんな時刻まで政務に励まれていたのかと眉が寄ってしまう。長く眠り続けていた間も側に居てくれたとと聞き、迷惑を掛け申し訳ないと思うと同時に嬉しくも思った。目覚めてからは戸惑うほどの愛情を示され、今日も政務で御疲れだろうに、こうして足を運んで下さる。

ただ、心から嬉しいと思うのに王子の顔を見ることが出来ない。視線を下げると自分の胸が視界に入り、ディアナは慌ててお茶の用意を始めた。 

「昨夜は・・・あの、本当に悪かった。こんな時間に訪れるのは悪いと思ったが、もう一度ディアナに謝りたくて・・・。もう・・・アラントルに戻る用意をしていたのか」

「はい、もう終わりました」

 

王子の視線がトランクに向けられ、ディアナは頷いた。ローズオイルを姉たちに直接渡すことが出来ますと話しながら、紅茶を淹れる。ローズオイルは貴重で高価な品だ。自城とはいえ侍女として過ごし続けることが出来たのは姉たちの助言あってのことで、その礼として渡すつもりだと話した。今回その手伝いをさせて頂けて嬉しいと、その時の話も土産話にすると伝えると、何故か王子は口を尖らせる。

何時の間にか王子の顔を見ていることも忘れ、何か変なことを口にしたかしらと首を傾げた。 

「・・・それはディアナが頑張った成果だ。母上や姉上たちもきっと喜ぶだろう。だけどディアナが俺以外に笑みを見せると思うと正直面白くない。心が狭いと思われるかも知れないが、面白くないのだから仕方がない。視察が終わり次第、直ぐにアラントルに行くからな。久し振りに会うのだから家族と抱擁するのはいいが、家族以外とは駄目だ。料理長や従事する他の者とは握手くらいにしてくれ」

「はい、家族とだけに致します」

 

真摯に告げられる内容が、思わず顔を伏せてしまうほど面映ゆい。

だけどアラントルでの自分は、家族と抱き合うことも手を握ることも殆どなかったと思い出す。

自分は使用人が使う別棟に寝泊まりし、食事時間も家族とはずらしていた。どうしても家族全員揃わねばならない時以外、一緒に出掛けることもしなった。侍女としての仕事を頑固なまでに優先し、貴族息女として振る舞うことが苦痛で仕方がないと、その心情を隠すこともしなかった。

振り返ると、自分はなんて親不孝な娘だったのだろう。

だけど今ならアラントルの両親や姉に素直に手を差し出せると思う。そう思えるようになったのも王子のお蔭だ。しかし、そう伝えると王子の眉間には深い皺が刻まれ、髪を掻き毟り始めた。 

「ディアナに出会えたことには感謝するが、元々の原因は俺の暴走だ。あれから何度も反省し、繰り返さないと自分に言い聞かせている。感情に振り回されて魔法を使うなど、いい結果を産む訳が・・・ああ、船の上では暴走したな。だけど、ディアナが側に居てくれるなら三度目は無いと誓うから・・・って、信用出来ないか・・・」

「船の上では私が勝手に飛び出し怪我をしたのですから、原因は私にあります。殿下のおっしゃることに嘘はありません。殿下は・・・ずっと私を妃にと・・・・」

「ああ、その誓いだけは破ることが出来ないな。魔法より強い、運命だから」

 

柔らかな視線に誘われるように近付くと、手を引かれて王子の隣に腰掛けた。温かい手が頬を包み込み、そっと触れる唇の熱に頭の芯がくらりと揺れる。 

「・・・自重すると誓ったけど、軽いキスなら、いいよな?」 

食むように唇を啄む王子から問われ、思わず笑いそうになりながら頷いた。軽く啄ばむように繰り返されるキスには愛おしいという気持ちが溢れている。優しく柔らかなキスにディアナから力が抜け、引き寄せられるがまま王子の胸に凭れ掛かった。 

「ディアナ・・・、好きだよ」

「・・・殿下、私も」

「ギルバードと、名前を言ってくれ。敬称も様もなしだ」 

ぎょっとして目を開けると真摯に見つめる視線に絡め取られる。肌が総毛立ち、知らず首を振っていた。互いの気持ちが通じても、目の前の人物は王位継承者の王太子殿下だ。様付けも駄目だと言われては口を閉ざすしか出来ない。望みを叶えて差し上げたいと思っても、自分からは口付けの一つも出来ない。では名前くらいはと考えてみても、それも無理だと眉を寄せた。

 

「ああ、今は無理でも、いつか、その唇から俺の名前を紡いで欲しい。そのための時間なら、これからいくらでもあるから。な?」

「い、今直ぐには無理、ですが、努力させて頂きます」

「うん、待っている。ディアナはアラントルで、俺の到着を待っていてくれ」 

それはもちろんですと頷くと額にキスが落ちた。くすぐったいと肩を竦めると引き寄せられ、顎を持ち上げられると再び唇を塞がれる。

痺れるような甘さに酔っていると扉が叩かれ、聞き慣れた怒声が聞こえて来た。 

「殿下ぁ! こんな遅くに淑女の部屋を訪れる暇があるなら、明日分の書類には目を通されていますよねぇ! 明日、明後日は真面目に公務が行えるよう、ディアナ嬢を背負って参加されますかぁ!?」

 

 

 

 

 

他国へと小麦の視察に出立される日。

王子と侍従長が、ディアナが乗り込む馬車前で揉め続けていた。 

「どうせ王は滅多に使わないんだ。アレを使った方がいいだろう」

「余り華美になると逆に目を付けられますよ。王城から出立する馬車が王族用で、それも田舎方面に向かうなど、盗賊に襲ってくれというようなものではありませんか。それとも騎士団を配されますか? それこそ目立つでしょうし、ディアナ嬢が心易く自領に向かえるとは思えません」

「しかし、それでも万が一という懸念がある。それにディアナは俺の妃になるのだから、騎士団にもその心積りで警護に就くよう指示を出して」

「それでは宿の手配などが間に合いませんよ。第一、ディアナ嬢が気遣われて心労が増してしまいます。それより早く視察に向かいましょう。到着が遅れると、相手国に迷惑です」

 

ディアナがアラントルに戻るに当たり、見送りに来た王子が馬車を見て駄目出しをした。

だが王太子妃になるといっても、まだ正式な公布も王への報告も挨拶もしていない立場の自分。

確かに王や大貴族が使用する馬車は大きく丈夫だが、レオンの言う通り華美であるために注目されるだろう。貴族が乗る馬車が盗賊に襲われることも山中では侭あることで、しかし一領主の娘の帰郷に騎士団を配する訳にもいかない。視察さえなければ一緒に行けるのにと王子は言い、出立直前だというのに馬車の前から離れようとしない。アラントルへの出立をずらそうとまで言い出し、しかし帰郷すると書簡を出してしまった。もう既に書簡は届いているだろうし、荷物も馬車に詰め込んだ。 

「殿下、警護には双子騎士もおりますし、馬車には魔道具で“目隠し”を施します。愛情ゆえの心配も過ぎますと、ウザいと思われますよ。ねえ、ディアナ嬢」

「・・・ローヴ様、ウザいとは、どういった意味でしょうか」

 

ディアナが隣に立つローヴに問うが、顎を擦りながら楽しげに笑うだけ。

王子に東宮侍女を連れて行けと言われたが、それは丁重に断った。一領主の娘が東宮侍女と共に帰郷するなど、畏れ多くて出来ないとディアナは懇願した。カリーナを、とも言われたが、彼女も王城瑠璃宮の魔法導師だ。個人的里帰りに付き添わせるなど申し訳ない。 

「御者は魔道具、警護には双子騎士。目立たぬよう町の辻馬車を用意し、さらに術を仕掛けてあります。盗賊に目を付けられぬように細工済みです。それと王城に来る前、宿で不逞の輩に連れ去られそうになったと聞いておりましたので、こちらを用意しておきました」

 

ローヴが袖から出したのは親指ほどの太さと長さの透明な水晶の首飾り。

それをギルバードに差し出すと、キスをして名を紡げと伝える。眉を寄せたままギルバードが言われた通りにキスをして名を紡ぐと水晶は仄かに輝き、淡い真珠色へと変わった。 

「これで殿下以外がディアナ嬢に触れることは出来なくなります。ああ、ディアナ嬢が許す相手は別ですよ? 御両親や、長年苦楽を共にされていた方々に触れられないのでは、違う魔法がかけられたのではないかと不審に思われてしまいますからねぇ」

「ローヴ、よくやった! これで俺の心配は少し減ったぞ。あとは宿に着いたら部屋から出ずに、部屋に誰も入れずに、しっかり食べて、怪我や病気に気を付けるようにな」

「はい。では直ぐに出立致します。ローヴ様、御手数をお掛け致しました」 

魔法導師長として忙しいだろうローヴからの心遣いに、ディアナは感激した。レオンも急ぎ王子を連れて出立したいだろう。これで王子の御懸念が無くなったと笑みを向けると、王子の顔が顰められる。何事かと戸惑うディアナに、王子が片手を振って問題ないと告げた。 

「・・・いや、何でもない。オウエンとエディはしっかり警護の任に就けよ・・・」 

掠れた声色と寂しげな表情にディアナが眉を寄せて王子を見ると、レオンと双子が呆れたように笑う。

 

「殿下ぁ、ディアナ嬢は早くアラントルに戻りたいって考えている訳じゃないよ」

「そうそう。殿下がいつまでも視察に向かわないから、心配しているだけだよ」

「双子の言う通りです。騎士団を何時までも待たせる訳にはいきませんからね。殿下、もう心配事はないですね? あとは暫しのお別れだと、ディアナ嬢とキスでもされますか?」

「それは・・・御許し下さい」

 

そんなこと出来ないと断ると、王子が驚愕に見開いた目で「何故だ!?」と問う。

王子とのキスが厭な訳ではなく皆様の前では恥ずかしいのですと目を潤ませながら伝えると、突然抱き上げられた。いつの間に馬車の扉が開いたのか、そのまま奥へ詰め込まれるように座らされ強く抱き締められる。

驚きに呆けていると王子が腕を解き、しかし安堵する間もなく唇が塞がれた。

王子は視察に行かなければなりません。

・・・そう伝えようと開いた唇に舌を挿し込まれ、発すべき言葉は喘ぐような吐息に変わる。蠢く舌の動きに漏れる息が熱を持つ。濡れた舌が咥内を蹂躙するたびに肌をざわめかせる音が耳に届き、羞恥に顔を背けようとして舌を軽く噛まれた。痛みに驚くと、あやすように舐められ強く吸われる。このままでは唇も舌も痺れそうだと王子の胸を押すが、手を掴まれ更に引き寄せられた。 

「んぅ・・・ふ、は・・・ぁっ」 

角度を変えて何度も繰り返される深い口付けに、瞑った眦から涙が滲む。

苦しいような、だけど全身がぞくぞくするような気持ち良さに陶然と震える頃、外から扉を幾度も激しく叩く音が馬車内に響いた。反射的に目を開くと王子の顔が間近にあり、驚きに口が開くと再び塞がれる。 

「んん――っ!」

「殿下―――っ!」 

激しく扉が叩かれると同時にレオンの怒声が聞こえ、被せるようにローヴの引き攣ったような笑い声、双子騎士の壊れたような笑い声が馬車内にまで響いて来た。

 

 

 ***

 

 

 

ディアナが乗る馬車にはローヴが“目隠し”を施しているそうで、通常の馬車より早い速度を出すのに、周囲にはそれと判らないのだと説明された。道端に転がる石のように、山中の一本の木のように、違和感なく速やかに目的地に向かうのだと。

魔道具の御者が繰る馬車の中、双子騎士がディアナの真向かいでゆったりと足を組む。 

「見た目は普通の馬車だけど、魔道具のお蔭で早いし、揺れは少ないし、すげぇ楽だよな。二年間の視察の時にも貸してくれたら良かったのにぃ」

「あれでも普通の馬車より揺れは少ないらしいよ。あとは道の問題だろう? そこも視察内容に組み込まれていたらしいし、もう各領地で整備が始まってるって」

「アラントルに着いたら、ワインが飲みたい!」

「ディアナ嬢は厨房に立たないの? 羊肉のパイが食べたい。梨のタルトも!」

「魔法が解けたのは本当かって、疑われちゃうかな」 

二人は楽しげに喋り続けるが、ディアナは羞恥に顔を上げることが出来ずにいた。

ギルバード王子は平然と、いや憮然とした顔で馬車の扉を開き、レオンと共に視察に向かったが、馬車に取り残されたディアナは呆然としたまま暫くの間動けずにいた。やがてエディ、オウエンの双子騎士から「身なりが整ったら扉を開けてね」と言われ、髪を触ると乱れていることに気付き、羞恥に泣きたくなったのは、ついさっきのことだ。 

「・・・殿下って、すげぇあからさまな愛情表現をするんだね」 

オウエンがぽつりと零せば、エディが「本当、ビックリだよ」と相槌を打つ。

益々顔が上げられず、ディアナが背を丸めていると二人が明るい声で慰めてくれた。 

「ディアナ嬢。あとは慣れだよ。うん」

「そうそう、慣れていくしかないよね」 

慰めと受け取っていいのか判らないが、気遣わせているのは解かりディアナは顔を上げた。目を瞬きながら視線を窓に向けると、確かに驚くほどの速度で馬車が進んでいるのがわかる。流れる景色をポカンと見つめていると、エディが声を掛けて来た。 

「二泊する予定が、この調子だと一泊だけで良さそうなんだ」 

「早過ぎるとアラントルの皆は慌てちゃうかな? 少し速度を落とす? どうする?」 

「そんなに早く到着するのですか? ・・・一日早く着いても問題はないと思うのですが、驚きはするでしょうね。でも大丈夫です」  

天候によって多少遅れる場合もあるとは手紙に書いたが、到着が早まるとは思わなかった。だがのんびりしたアラントル領地において、特に問題はないとディアナは頷く。もし部屋の用意がまだだと言うなら自分が整えてもいい。だけどそんなことをしたら魔法が解けていないのかと心配されるかしらとディアナは苦笑した。

ふと、王子が御泊りになる部屋は前と同じ場所かしらと目を伏せる。

思い出すのは、枕下に置かれていた自分のリボンだ。くたびれたリボンは十年もの間ずっと王子が持っていてくれたという。何度も額を摺り寄せ、謝罪の言葉を呟かれていた。

その王子は後からアラントルに来る。魔法が解けたことは前もって報告してあるが、王子が領主に直接会って経緯を報告したいと、アラントルに足を運ばれることは既に伝えてある。王子が本当に報告したいことは魔法に関してではないと知っているディアナは、頬が熱を帯びるのを自覚して顔を伏せた。 

 

「それでね、ディアナ嬢。折角早く到着するから、ちょっとだけ寄り道してもいいかな? アラントル領が一望出来る高台に行って、葡萄畑とか眺めたいなって思っているんだけど」  

二人の提案に顔を上げると、双子は口元を緩めながら瞳を輝かせている。目的はワイン醸造所だと判り、ディアナは笑みを浮かべて頷いた。出来ることなら、その後に町に寄りたいと伝える。町で菓子作りの材料を買いたいと。 

 

「俺たちの分も作ってくれるなら菓子の材料代は俺たちが持つよ。ディアナ嬢、お金持ってないだろう? そういうところ抜けているよな、殿下は」 

「ありがとう御座います。・・・そうですね、王城に戻る前に貯めていた給金などをまとめなくてはなりませんね。荷物など殆どないのですが、部屋の掃除もしたいです」  

そう言えばと思い出す。姉に絹の下着や多少の金銭を送ってもらうよう頼んだが、それらは今日まで届かなかった。もし手紙が届いていないなら、母か姉に話をして用意して貰おう。それくらしか荷物もないだろうと考えていると、オウエンが嬉しそうに手を叩いた。  

「ディアナ嬢、王城に行く、じゃなくて、戻るって言うんだね! 殿下が聞いたら、めちゃめちゃ喜ぶと思うよ。殿下がアラントルに来たら、直ぐに教えなくちゃ」 

「王太子妃になるって聞いたら、ディアナ嬢の両親は腰抜かしちゃうかな?」 

 

何の気なしに零した自分の言葉に目を瞠り、ディアナは顔を真っ赤に染めた。いつの間に自分の考えは変わったのだろう。双子騎士に言われて気付き、そして蒼褪めるよりも先に胸が熱くなった。これから先の人生を王子と共に過ごす。その自覚が芽生えて来たのだと感じ、恥ずかしさと嬉しさが混じった高揚感がディアナの身を包み込む。 

 

「エディ様オウエン様、まだ両親には内緒にして下さいね。殿下が直接御話しされるそうですので。それと・・・おっしゃる通り、腰は抜かすと思います」  

ディアナが目を細めて笑うと、二人も嬉しそうに頷いてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

→ 次へ

 

← 前へ

 

メニュー