紅王子と侍女姫  79

 

 

「あ、ディアナ嬢、大丈夫? 何処か痛いところはない?」

「え・・・。あ、だいじょう・・・え?」

 

目覚めると、そこは小屋のような場所だった。目の前には心配そうな顔のエディとオウエンが居て、上手く回らない頭を押さえて何があったか思い出そうとした時、足首に痛みを感じて眉を顰める。 

「もしかして、足? 悪いけどドレスの裾を持ち上げてくれる?」

「ごめんね。ローヴが用意したネックレスの効力で、ディアナ嬢に触れることが出来なかったんだ。前もって緊急時は触っていいよって、許可を貰っておけば良かった」

「仕方ないよなー。まさか馬車ごと攫われるなんて想定外だよ」

「馬車、ごと? ・・・な、何があったのですか?」

 

説明する前に触る許可をちょうだいと言われ、ディアナはネックレスを掴みながら二人の名前を紡いだ。しかし王子が名を紡いだ時と違い、ネックレスは何の変化も見せず、エディとオウエンは恐々と手を伸ばしてディアナの手に触れた。 

「お、何ともない! いや~、突然馬車が揺れて、ディアナ嬢を守ろうとして手を伸ばしたんだけど弾かれちゃってマジ焦っちゃったよ! 左右の揺れが激しいのに、押さえることも出来なくてさぁ」

「たぶん、その時に足を座席にぶつけたのかもね。ああ、・・・腫れがひどいな」

「外に出たら薬草があるんだろうけど出られないんだよぉ。今は冷やすしか出来ないけど、ごめんね」

「い、いいえ。大丈夫です」

 

本当に困ったよねと言いながら双子が明るく笑うから、ディアナの身体から、すとんっと力が抜ける。

見回すと狩猟小屋は合同で使用しているものらしく広い部屋で、簡易な水回りと暖炉、テーブル、寝台があり、窓外には乗っていた馬車が見えた。だが、どうやっても外には出られないという。 

「鍵がかかっている訳じゃないんだけどドアは開かないし、窓も割れないし、他もすげぇ頑丈で」

「・・・思い出しました。急に馬車が揺れて、座席から放り出されて・・・、何があったのでしょうか。オウエン様エディ様に怪我はありませんか?」

「俺たちに怪我はないよ。まあ、打撲くらいは仕方がないね」

 

取り敢えずと濡れたタオルを渡され、足に巻き付ける。鬱蒼とした木々が小屋の周りを囲んでいるのか、今の時刻が判り難い。夕刻に近いようでもあるが、早朝にも見える。

 

「いや~。急に馬車が激しく揺れてさ、竜巻かと思ったよ、ホントに」

「馬車には外から開くことが出来ないよう術が掛けられているから、中にいれば大丈夫って思っていたんだけど、馬車の下で薬草を焚かれてね。煙が入って来て、もうびっくり!」

「で、思わず外に出たところで気を失っちゃって、気付けば小屋の中って訳」

「荷物も剣も無しでさ、ディアナ嬢には触れないしさ、攫った奴は姿を見せないしさ」

「時間は丸一日経過しているみたいだね。もう、腹が減って困っちゃうよ」

 

双子が肩を竦めながらディアナに状況を説明していると、小屋に置かれたテーブルに突然食べ物が現れた。湯気が立つスープとパンと茹でたばかりのソーセージの他、幾種類かの果物があり、双子は素早く窓に駆け寄る。ディアナに人差し指を立てて静かにするよう指示し、暫くの間、黙って外を窺い続けた。 

「・・・人影は無し」

「こっちもないな。第一、突然現れたんだ。魔法としか考えられない」 

では誰が、となるが、それは誘拐した者しか考えられない。

ふとカリーナが付けてくれた『道標』を思い出し、小指の爪に口付けてみる。しかし何も起こらない。

もう効力が切れたか、外に出られない小屋には結界のような魔法がかけられているのではないかと考えながら周りを見回す。しかしただの小屋にしか見えず、ディアナは項垂れるしかない。

 

「殿下やローヴ様にお知らせする方法もありませんね」

「そうだね。でもディアナ嬢がアラントルにいないと知れば、直ぐに捜索を開始するだろう? だから今出来ることは、しっかり食べて体力温存! それと足の痛みが取れるよう、しっかり冷やすこと!」 

オウエンの言葉に驚いて顔を上げると、二人が忽然現れた食べ物に手を伸ばすところだった。

そして躊躇なくパンやソーセージに齧り付き、スープを飲んだ。大丈夫かと目を瞠るディアナに振り向いたエディは、口端を舐めながらパンを差し出してくる。

 

「大丈夫だよ、ディアナ嬢。たぶん毒は入ってない。もし殺したいなら馬車から出た瞬間か、小屋に連れ込んだ時にやっているだろう? それより空腹で倒れる方が困る」

「そうそう。この先、何が起こるか判らないから、食べられる時にしっかり食べる!」 

渡されたパンを手にして、ディアナは二人に頷いた。

確かに周りは鬱蒼とした木々が生える山中で、自分たちがいるのは密閉された小屋の中。

どのくらい気を失っていたのか確かに空腹を感じる。ここから逃げ出せたとしても、体力が無くては走ることも出来ないだろう。護衛騎士の言う通りにするのが一番と、ディアナはパンに齧り付いた。

 

窓から見えていた光景は夕刻だったのか、夜になり気温が下がると双子が小屋の暖炉に薪を焼べる。薪は多くないが二晩くらいなら問題はない量で、しかし何日も続くようなら困ったことになるねとオウエンが笑う。テーブルや椅子を焼べるしかないかとエディが肩を竦め、「それより問題はこの状況だよな!」と二人は声を揃えて溜め息を吐いた。 

「仕方がないって解かってもらえるだろうけど、密室にディアナ嬢と一晩共に過ごす状況って、絶対後で殿下に睨まれるよなぁ。困ったよな、どうしよう?」

「ましてや怪我させたなんて知ったら、どんだけ睨まれることか。考えるだけで震えちゃうー!」

「そんな。殿下がオウエン様エディ様を睨むなんて」

「「するよ、絶対!」」

 

明るく笑いながら言い切った双子は、寝台の毛布を持ち上げてバタバタと叩く。細かい埃が暖炉の灯りにキラキラ輝くのを、ディアナは呆けたまま眺めた。二人の言うように、王子は二人を睨んだりするのだろうか。思うように動きが取れない状況で、側に居るのは全幅の信頼を寄せる王宮警護騎士。それでも面白くないと思ってくれるだろうか。自分などに妬いてくれるだろうか。

烏滸がましい考えに羞恥と罪悪感が胸を過ぎり、視線が床に向けられる。すると畳み掛けるように双子が殊更明るい声を出した。 

「レオンがディアナ嬢の手を持ち上げるだけで、殿下は焼きもち妬いていただろう?」

「そう! 俺たちが先にディアナ嬢の菓子を食べただけで鍛練を倍に増やすんだぜ」

「「この状況を知ったら、不条理だと理解しても殿下は絶対に睨むね!」」

 

こんな状況だというのに、二人が笑うと周りが温かくなる。

肩から力が抜け、今自分に出来ることは怯えずに体力を温存することだろうと笑みを浮かべた。問題は逃げられる状況となった時、双子騎士に迷惑を掛けずにいられるかだ。ローヴが術を施してくれた馬車が襲われた。襲ったその目的は間違いなく自分だろう。幽閉されたという王弟やエレノアが脳裏に浮かび、ディアナの視線が暖炉に向けられる。

王太子殿下の妃になる、その気持ちは変わらない。だけどそれはまだ公にはなっていない密約のようなものだ。まだ心のどこかで、自分でもいいのだろうかという懸念は拭い切れていない。レオンを始めとして周りの人は好意的に受け入れてくれているようだが、それを良しとしない人たちがいるのも事実。

・・・・もっと自分に自信を持ちたい。

誰に何を言われても、どんな風に見られても、自分は王子の側にいますと胸を張って堂々と口にする自信を持ちたい。そのためには更なる努力が必要だ。自信を持つための努力を、私は王子の側でしたい。 

「オウエン様エディ様。どんなことをしても、必ず殿下の許に戻りましょうね」

「勿論だよ! その前にアラントル領でワインの試飲を忘れずにね! 持ち帰り分も頼みます!」

「俺はさっきも言ったけど、羊肉のパイ! それと菓子ね。梨のタルトがいいなぁ」 

二人が楽しげに笑うから、ディアナも大きく頷き返した。

迎えに行くと言ってくれた殿下のために、何より自分のために、必ず戻ると強く心に刻む。

 

 

***

 

 

「殿下、遅くなりました。カイトです 

深夜近くに魔法導師がひとり、リグニス城に到着する。応接室のギルバード、レオンに軽く挨拶をすると柔らかな笑みを零しながら外套を脱ぎ、ゆったりとした動作で袖から杖を取り出した。

彼はディアナが二度目に攫われた時に鳥に変化し捜索に携わった魔法導師で、ローヴに次ぐ力がある。 

「カイト、他の魔法導師は道を辿りながらアラントルに向かっているんだな」

「はい。すでにディアナ嬢たちが御泊りになられた宿は調べ終え、問題なしと判明しています。出立した宿からアラントルまでを詳細に調べながら向かう予定ですので、到着までには時間を要します」 

報告すべきは他にないと言われ、ギルバードは静かに息を吐く。

アラントル到着予定より三日過ぎている。通常より早い馬車だというなら、四日過ぎていると考えてもいいだろう。その間、三人はどこで夜を過ごし、どのような対応を受けているのか。悪い考えばかりが脳裏に浮かび、駆け出したくなる。しかし何処に向かえばいいのか判らず、行き場のない憤りが渦を巻く。落ち着くべきだと解かっていても焦燥感は増すばかりで、目に見えるもの全てを叩き壊しそうな拳を押さえるのが精一杯だ。

 

「殿下、すぐに【道】を作ります」

「カイト様、来られるのはローヴ様だけですか?」

「はい、道を探りながらこちらに向かっている者が二名。それ以上になりますと、王宮で何かあった時に対処が遅れますので。・・・ああ、カリーナより殿下に伝言が御座います」

「・・・・カリーナ、から?」 

握っていた拳がビクリと震えた。そろりと振り返ると、カイトが楽しげに目を細め、訊きますかと口端を持ち上げる。思わず視線が床を彷徨うが、意を決して頷いた。 

「『ディアナ嬢を愛しく思われているのでしたら、早急に対応なさって下さい』とのことです。万が一にも、また処置をするような事態に遭わせぬように、とも言っておりました」

「わかった・・・。必ず、と伝えてくれ」 

目を細めたまま、カイトは杖を床に叩き込む。その杖を中心にテーブル上のカップが転がるほどの風が巻き起こり、目を逸らしている内にローヴが姿を見せた。手に持つのは大きな水晶玉で、場にいた者へ軽く頷くと呪文を唱えながら水晶を覗き込む。水晶に何が映っているのか、やがてローヴは肩を竦めて大きく息を吐いた。 

「ローヴ、何が・・・見えた?」

「まずはリグニス様の御体調は如何でしょうか」 

レオンが、領主は流石に食事量は少なかったが今は自室で休まれていると伝えると、柔らかに微笑みを浮かべる。領主の憔悴は見てて胸が痛むほどで、それなのにギルバードへ一切の文句が無い。自国の王子に対して、どんな文句も言えない立場だというだけでなく、今は娘であるディアナの心配が領主の頭を占めていることに申し訳なくなった。

 

「王よりリグニス様の御心痛を慮るよう申し遣っております。そのためにはディアナ嬢を早急に救い出すことが先決です。殿下の魔法使用は許可しますが、以前同様、あとでディアナ嬢が嘆かれないよう御注意下さい。いいですね」

ギルバードが深く頷くと、ローヴは「まず先に」と、ビクトリア王女に関しての話しを始めた。 


エルドイド国王太子の気を惹くために、王女は毎月欠かさず自分の絵姿を送り続け、それだけでは足りないと同盟国としてあらゆる便宜を図るよう父王に懇願する。さらに多くの魔法導師を集め、王子を振り向かせるために画策し続けた。王子の日常が知りたいと密偵を送り込み、しかしそれは瑠璃宮魔法導師の術により足を踏み入れることさえ叶わない。

唯一、情報を得られる機会だとエレノア主催の舞踏会に出席するが、その舞踏会にギルバードが顔を出すことは無い。王子が二年間の全領地視察に出掛けているとは知らず、しかし王女は諦めなかった。同盟国にしては寛容過ぎる様々な譲歩も、寒冷地に強い小麦も、ギルバードに会いたいが為に魔法導師に開発させた結果であり、王女の本気が垣間見える。

 

ローヴの話にギルバードが粟立つ肌を擦っていると、カイルが片手を挙げた。  

「今、馬車の辿った道を調べている魔法導師より報告が入りました。アラントル領に入った途端、馬車ごと気配が消えているそうです。我が国の魔法導師が使う術ではないことは確認できました。しかし複数の術が重なっており、特定が難しいとのことです」

「我が国の魔法導師以外の複数の術。・・・そうなりますとバールベイジ国の王女がディアナ嬢を攫った可能性が高くなりましたね。どうにか係わっている魔法導師を捕まえることが出来たら、あとは何をしても吐かせることが出来ますのに・・・・。ローヴ様、それは無理無謀なのでしょうか」

「それを今、水晶で確認したところです」 

ギルバードとレオンが目を見開きローヴを見る。彼は水晶を撫でながら眉を寄せた。いつもの余裕ある表情とは違い、物言いたげな顔付きにギルバードは息を飲んだ。 

「アラントル領地に入り、術を施した馬車が忽然と消えた。誰が施した術かを知り、それでもそれを実行した輩は二人。見覚えのない衣装・・・騎士のような、それも袖や外套にフリルが飾られている妙な衣装ですねぇ。馬車はアラントル領地内には検知出来ません。・・・しかし、そう遠くでもない」

「捉えることは出来ないか?」

「二重、三重に術を施し、『見えない』ようにしています。ディアナ嬢のリボンが殿下の手元にありますので、正直探すのは手間がかかるでしょう。・・・策が無い訳ではありませんが、難しいですねぇ」

 

言い難いことなのか、眉を寄せたまま紅茶を口へと運び、ローヴが黙ってしまった。だが策が無い訳ではないと知り、ギルバードは詰めていた息を吐く。いくら難しくても諦めるつもりはない。

ギルバードは隣りに座り、飲み終わるのを凝視したまま待ち続けると、ローヴが袖に手を突っ込み何かを取り出した。それは出立前にディアナの胸に飾られた水晶の首飾り。

 

「・・・これを殿下の首に。ディアナ嬢に渡したものと同じではありませんから、これで彼女を追うことは出来ません。ただ、彼女の身に何かあれば知らせてくれます。・・・これを作るために私は遅れて来たのですよ、殿下」

「ディアナに・・・・・何かあればとは、どういう」

「短時間で作りましたので疲れました。【道】を使い、こちらに来たのはそのためです」

頭の芯がぐらりと揺れる。策とはこれかと手にした水晶の首飾りを見下ろす。

レオンが首にかけてくれたが、ディアナの命そのもののような気がして、ひどく重く感じた。


「殿下の許に持ち込まれる見合い相手はひとりひとり、入念な調べが入ります。もちろん、ビクトリア王女も同じ。彼女ほど執拗な求婚はありませんでした。ただ確証がありませんので動けません」

「捜索中の魔法導師にはアラントル領地近くを詳細に調べるよう伝えております。崖下、大木の洞、廃墟などを重点的に。・・・殿下、大丈夫です。ネックレスは輝いておりますでしょう?」

「あ、・・・ああ」 

視線を下すと、確かに淡く輝いていた。ディアナのリボンが発する輝きと似ていて、ギルバードの頬が柔らかく緩む。握り締めると不思議と温かく感じ、顔を上げると皆が力強く頷くのが見えた。胸から小さな巾着を取り出しリボンを取り出す。レオンがそれを手首に巻き付けると、大丈夫だと笑う。

 

「こちらも淡く輝いております。双子騎士もおりますし、無事なのは間違いないです」

「そう・・・だな。ディアナのリボンも水晶も輝いているのに、俺が心折れては駄目だな。出来るだけ早く領主に良い報告がしたい。皆の協力を頼むぞ!」

「協力といえば、グラフィス国より来た例の導師が今回の件を知り、協力したいと申しておりましたが、いかが致しますか?」


それはエレノアに唆され、ディアナを山中に連れ出した魔法導師だという。

傷が癒えた今、瑠璃宮で日々新たな魔道具の製作に携わりながら、眠り続けたディアナに謝罪を繰り返していたと聞き、ギルバードは思わず眉を顰める。協力は嬉しいが、ディアナには二度と会わせたくない人物だ。もう危険はないだろうが、彼女が奴の怪我を気にしていただけに胸がムカムカしてくる。

「では・・・すぐに来るよう、【道】を使い」

「殿下ぁ、協力はいくらでも欲しい今、度量の狭い男は嫌われますよ」 

レオンから、心情を察した台詞が胸を突く。咳払いで誤魔化そうとするが、ローヴもカイトも目を細めて口端を持ち上げているのが解り、ギルバードは顔を背けるしか出来ない。 

【道】から現れた魔法導師は瑠璃宮の衣装を身に纏い、ギルバードを見ると跪いて深く低頭した。震える身体の下から、導師は低く掠れた声を絞り出すように零す。 

「・・・殿下にはどのように処分されても何も言えない立場で御座います。それを咎めなしに厚い治療を施され、感謝の言葉も御座いません。ディアナ妃殿下の捜索には全力を尽くす所存です!」 

「ああ、まだディアナ嬢は正式に妃殿下と決まった訳ではありませんよ」 

「そうですねぇ。殿下より好い男がいたら、そちらに心動かされるやも知れませんねぇ。懐の大きな、不埒な真似をされない、立派な騎士道精神を御持ちの気高き御方の方が良いに決まっておりますから」 

「・・・視察出立前のことなら、反省した・・・」 

レオンとローヴが肩を揺らしながら笑い始めるから、それどころじゃないと睨み付けた。

「では、いまから直ぐに馬車が消えた場所へ向かいます。術の痕跡が何かしら残っている可能性もありますし、その後、二人と合流し、アラントル領地周囲を探って参りましょう」

二人の魔法導師が窓から姿を消すと、ローヴがギルバードの背を撫でた。柔らかな瞳に強張っていた身体から力が抜ける。ソファに身体を沈めると、ローヴが口を開いた。

「まず、馬車に施した術は解かれております」

「・・・それは“目隠し”が消えているということか」

「それは攫われた事実で消えているのは判りましょう。それと外から開けられないよう仕掛けていた術も解かれております。何か不慮の事態に遭遇し、双子かディアナ嬢が扉を開けた可能性もあります。馬車は壊れていないのは感じますが、今現在どこにあるか、それは見えませんでした」

「不慮の・・・事態」


足元から這い上がる悪寒に声が震える。攫われた馬車から出なきゃならない事態など何がある。頭に浮かびそうな最悪の考えを押し留め、ギルバードは大きく息を吐いた。しかしリボンも水晶も淡く輝いている。今は大丈夫だと信じるしかないが、胸に渦巻く闇が増殖しそうで唇を噛んだ。

もし最悪の事態となった場合、自分の自我が保てるか・・・・自信など無い。

甘い香りに目を開けると、ローヴがカップを差し出して来る。

受け取ると甘い香りと温かな湯気が口元を歪ませ、鼻の奥が熱くなった。

「・・・レオン。王女がディアナを攫った可能性があるとして、それが明確になった場合、どのような対処がバールベイジに相応しいか、いくつか挙げておいてくれ」

「御意。では少し休みましょう。回らぬ頭では粗忽な行動を起こしかねません。リグニス様が安心出来る報告が出来るよう、まずは殿下がしっかりされるべきです」

「そうだな。・・・配慮が足りなくて悪いな、レオン。お前が居てくれて助かるよ」

「殿下とは長い付き合いですが、そのような御言葉を頂けるとは、正直気持ちが悪いですね」

「・・・・・・」

渇いた咽喉に落ちる甘さに瞼が重くなる。怒涛の一日だったと振り返り、明日はディアナの親が安心出来るよう、毅然とした態度で挨拶しようと目を閉じた。


 

 

 

 

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