紅王子と侍女姫  81

 

 

双子が引留めようとするのを断り、ゆっくりと息を吐いたディアナは王女の前に立つとドレスの裾を掴み、出来るだけ丁寧に深くお辞儀をした。

 

「ビクトリア王女様。初めまして、ディアナ・リグニスで御座います」

「話す許可など出していないわ。・・・まあ、何か言いたいことがあるのでしたら、どうぞ?」

 

手を払う仕草で顔を背ける王女は、背後の騎士が差し出したハンカチを受け取る。

王女はヒールのせいか背後の騎士と同じくらい背が高く、そして驚くほど体格が良かった。

よくぞ扉から入れたと驚いてしまう体躯は背後の騎士よりも一回り以上逞しく、王女に縋られたら流石のギルバード王子も後ろにひっくり返ってしまうだろう。

王女のローズピンクのドレスは通常の二着・・・、いや三着分の生地が必要と思われ、腕や腰回りを隠すためか高級なレースやフリルでふんだんに飾り立てられていた。大振りのイヤリングは盛り上がった肩に乗り、ネックレスは首周りの肉に隠れ、かろうじてトップ部分のダイヤモンドが見える。

王女がハンカチで顔や首周りに浮かぶ大量の汗を拭いながら手を振ると、背後の騎士たちは懐から一斉に扇を取り出して膝を着き、王女に涼やかな風を送り始めた。

知らず凝視していたディアナは慌てて視線を落とし、汗を拭い続ける王女に再度低頭してから口を開く。

 

「王女様はエディ様オウエン様が殿下付き護衛騎士と御存じの御様子。そこでお願いが御座います。どのような用件があって私共をこちらへ御留めになったのかは存じませんが、二人はギルバード殿下の大切な臣下です。直ぐに・・・解放しては頂けませんか?」

「ディアナ嬢、何を馬鹿なことを!」

「まったく、・・・ちょっと来て!」

 

双子騎士に肩と腕を引かれ、そのまま小屋奥へと連れて行かれる。眉間に皺を寄せた、見たこともない表情に怯みそうになったが、ぐっと唇を噛み二人を見つめ返した。

 

「俺たちの任務はディアナ嬢の護衛だよ?」

「それなのに解放しろとは、どういうことだよ!」

「でもお二人がなさるべき本来の任務は、ギルバード殿下の警護のはず。ですから・・・っ!」

 

じりっと近付く双子に壁に押しやられ、ディアナの顔が歪む。護衛騎士の彼らに護衛対象の自分を置いて逃げろと言うのは騎士の矜持を踏みにじる行為に等しいだろう。だけど他国からアラントルまで騎士を連れて来た王女の目的が自分だけなら、二人には直ぐにでも逃げて欲しいと見上げる。

 

「い、今は他国の王女様が来られたのですから急ぎ殿下の許に向かわれた方が・・・。あの、外交とかもありますでしょうし、ここで何か問題が生じるのは困ると思うのです。ですから、直ぐに小屋から」

「それは絶対に無理! 今の俺たちの任務はディアナ嬢の護衛。護衛対象であるディアナ嬢から離れるくらいなら、この場で直ぐに自害しろと言われた方がましだ」

「敵前逃亡なんて、騎士として有り得ないよ。だからディアナ嬢は黙って守られていてね」

「でもっ、あちらには帯刀された騎士が!」

「そうだった。エディ、火掻き棒でいい?」

「今の内に椅子の背も叩き割っておくか。灰掻き出しも奪っとけ」

「駄目です! 御二人は殿下の大切な護衛騎士です! 早くここから」

 

くんっと前のめりに引っ張られると双子騎士の胸にぶつかり、顔を上げると焦げ茶色の双眸と目が合う。目を瞠るディアナの前で二人の口元が笑みを形づくり、顔が近付くと小声で囁かれた。

「殿下が迎えに来るまでの我慢だよ」と。

 

「まぁあ、栄誉ある王宮騎士団の騎士様にしな垂れかかるなど、なぁんて浅ましく慎みのない田舎猫かしら。絹の下着一枚も持っていない貧乏侯爵の娘が、何故国王主催の舞踏会に招待され、いつまでも東宮に居据わるのか、教えて頂けるかしら?」

「・・・っ!」

 

王女の言葉にディアナの顔は真っ赤に染まる。

やはり頼んだ下着や小遣いが届かなかったのは、姉に出した手紙を途中で奪われたためだったのか。

手紙には国王生誕祝いの舞踏会に出ることも書いていた。イブニングドレス用の絹の下着、コルセットも頼んだ。侍女として過ごすのが当たり前の日常では必要なかった品。その品をレオンに用意されたことまで思い出し、羞恥に顔も上げられない。

ディアナが俯いていると慰めるように肩を叩かれ、双子騎士が王女に声を張り上げた。

 

「ビクトリア王女、ディアナ嬢を侮辱することはお止め下さい」

「彼女は我らが警護する、殿下の大切な賓客で御座います」

「まっ! ・・・清廉なギルバード殿下だけでなく王宮騎士団である御二人を惑わすなど、どんな育ちをなさっているのかしら! 慎みなく男性に縋り守ってもらおうなど、性悪女の代表のような方ね!」

 

辛辣な言葉の羅列が耳に届くが、今は口を閉ざして耐えるしかない。

王女の気持ちは理解出来る。大国の王太子殿下と懇意になりたいと、王太子妃にして欲しいと望む女性は多いだろう。舞踏会で目にした、王子が他国の王女と踊る光景が甦るが、ディアナは首を振ってドレスの裾を強く握った。

 

「ビクトリア王女、我らが姫を罵倒するのはお止め下さい」

「何をおっしゃるの? この女が姫とは笑止! だいたい田舎領主の娘が王城に招かれるなど、ましてや舞踏会に招待されるなど、何故なのです? それに殿下付き護衛騎士がこの娘に従うなど、いったいどのような理由があってのことなのですか?」

 

部屋にいた騎士が椅子を二つ引き、そこへ王女が座る。ふわりと広がるドレスの陰で、騎士が跪き懐から取り出した杖を振った。二つの椅子が一つの大きく高級な椅子に変わるのを目にして、ディアナたちは騎士が魔法導師だと知る。馬車を攫い、自分たちを小屋に閉じ込めたのは王女が連れている魔法導師と確信し、再び双子がディアナの前に出た。

 

「その娘が言うまでもなく、殿下付き護衛騎士の御二人に危害を加えるつもりはありません。私の大事な愛しい殿下を守って下さる大切な騎士ですもの。・・・・邪魔なのは田舎娘だけですわ」

 

王女が前のめりになると椅子が軋む音がする。魔法導師の騎士が慌てたように杖を振り、椅子の足が床と一体化するように密着するのが見えた。背後に控えていた騎士がテーブルに近付き杖を振ると食事が綺麗に消えて、そこへ布を被せたトレーを置く。別の騎士が近付き恭しく布を取り除くと、ブクブクと泡立つ青緑色の液体を湛えたグラスが現れた。

 

「う、げぇえっ! な、何だよ、この臭いはっ!」

「騎士団遠征時の班長の靴より酷い! は、吐きそ・・・」

 

口を押えて呻き声を上げる双子騎士の言う通り、グラスから漂い始めた匂いは小屋に充満する甘ったるい匂いと重なり、形容しがたい悪臭と化して襲い掛かって来た。

思わず窓に駆け寄りたくなるが、王女の背後に控える騎士の衣装に身を包んだ魔法導師は総勢五人。双子騎士に剣は無く、ひどい悪臭で息をするのも目を開けているのも辛く難しい状況だ。出来るだけ匂いを吸いたくないと浅い呼吸を繰り返す内に、眩暈がして膝から力が抜けそうになる。

 

「そこの娘。いつまでも殿下付き護衛騎士に色目を使っていないで、これを飲みなさい。全部飲み干し、そして殿下の邪魔にならぬよう姿を消すのよ!」

「な、うわっ! ちょ、エディ、まずいっ!」

「ディアナ嬢、逃げて・・・って、無理か!」

 

テーブルの下から幾本も這い伸びて来た縄が双子に襲い掛かるのを、ディアナはどうすることも出来ずに見ていた。手にした火掻き棒や灰掻き出しをあっという間に落とされ、強制的に背に回された手を縄で括られ、そのまま胸に巻き付くと膝と足首に回り、そして二人は床に転がされる。直ぐに上体を起こそうともがくが、手足に自由はない。

騎士の一人が逃げようとしたディアナの腕を捕らえ、二人の騎士が身動き取れない双子の口を幅広の皮で覆う。双子が王女と騎士らを睨むと、王女は優雅に微笑みながら汗を拭った。

 

「飲み干したのを確認しましたら、お二人の縄は直ぐに解きますわ。それに、飲んでも娘が死ぬ訳ではありませんから御安心を。殿下付き護衛騎士の前に醜い骸を晒す訳にはいきませんもの。それは愚かな娘の立場を思い知らせるための品ですわ」

「私の・・・立場、ですか?」

 

ディアナは蒼褪めながらも気丈に問い掛けた。

飲めと言われて素直に飲めるはずもなく、それより前に匂いが酷すぎる。しかし腕を捕える魔法騎士の存在と縛られた双子を前にして、飲まざるを得ないだろうと覚悟した。耳鳴りがするほどの動悸と足の震えを感じるが、死ぬ訳ではないの言葉に落ち着きを取り戻す。

今は少しでも時間が欲しい。きっと自分を探しに来てくれる王子の到着を待つ時間が。

 

「そう、田舎領主の娘がいつまでも東宮に居座り、国王様生誕祝いの舞踏会に出るなど、厚かましいにも程があります。そこはきっぱりと断るべきではなくて?」

「それは・・・国王様直々に招待状を賜りましたので、断るなど」

「王宮に仕立屋が来たそうだけど、それはお前のドレスを作るためだそうねぇ」

「そ、その通りです。ギルバード殿下がお呼び下さり、その・・・」 

「では、先ほども聞いたけど、何故お前如き娘が王城に?」

「そ、それは・・・ギルバード殿下との約束で」

「ああーっ、もう、いいわ! さっさとソレを飲んでしまいなさい! 田舎領主の娘がギルバード殿下の御名を何度も口にするなど、なんて烏滸がましいの!?」

「え? あ、申し訳御座いませんっ」

「んぐぅう~~~っ!」

 

怒り心頭の王女の剣幕にディアナが思わず謝罪を口にすると、背後で双子が床を踏み鳴らす。その行為の意味に気付き、理不尽と思える台詞に謝罪した自分を恥じながら二人に振り返ると、双子が目を細めて笑みを浮かべたように見えた。その姿を見て、ディアナは唇を噛んだ。

 

「・・・私が・・・それを飲みましたら、護衛騎士の御二人は無事に王都に帰して頂けますか? 馬車も王宮のものですから、一緒に戻して頂けると助かります」

「ぐぶっ、んんんーっ!?」

「もちろん、宜しくてよ」

 

嬉しそうに口端を持ち上げる王女に頭を下げ、ディアナは首に下がる水晶を握り締めた。背後で床を踏み鳴らす双子に振り返ると、眉間に皺を寄せて激しく首を横に振るのが見える。

ディアナは笑みを浮かべて双子に近付いた。

 

 

 

***

 

 

 

チリッと首筋に奔る何かを感じ、ギルバードはソファから勢いよく立ち上がると応接室の窓を開け放ち、外を注意深く伺う。抜けるような雲一つない青空の下、窓を開け放つ音に驚いたのか、鳥が一斉に飛び立つ音が前庭に響く。

 

「殿下、何が?」

「いや・・・。急に胸騒ぎがして・・・」

 

昼をとうに過ぎた時刻となったが王宮へ戻ったローヴから便りは無く、バールベイジ国と小屋周辺を探りに向かった魔法導師も戻らないままだ。相手が使う魔法の種類が判らない内は下手な動きが取れないと言われ、広げた地図上で小屋までの最短距離をレオンと話している内に感じた突然の気配。

しばらく黙したまま変わらない景色を眺めていたが、胸騒ぎは治まることなく増すばかりで、ギルバードは居ても立っても居られないと苛立った。

指輪に口付けてローヴを呼ぶと、少しだけ待って欲しいと言われる。

 

『バールベイジ国からの報告が来ました。御懸念通り、やはり王女が援助していた魔法導師五人の行方が判りません。さらにビクトリア王女の姿も見えず、その後の行方と目的を引き続き調べております』

「それなら、術を仕掛けた小屋のどちらかにいるのだろう」

『ディアナ嬢と双子騎士が分けられている可能性もあります。勢いだけで近付き、最悪の事態になっては困りましょう。王女配下の魔法導師はどの分野が得意なのか、調べが済んだら直ぐに戻りますから』

「・・・胸騒ぎが強くなった。悪いがローヴ、動くぞっ!」

 

足元から這い上がる正体のわからない悪寒が全身を粟立たせる。

項に奔る痛みにも似た焦燥感は強くなり、ギルバードは開け放した窓から見える景色を睨むように見つめた。何か察したのか、レオンが部屋へと引き込むように腕を掴む。

 

「動かれるのでしたら領主に言付けて来ます。何も伝えず城から皆がいなくなれば、何があったかと御心配されるでしょう。それと、御一人で動かれるのは駄目ですからね。絶対に私も同行します!」

「そう・・・か。確かに領主に断りなく部屋を留守にするのは駄目だな。ではレオン。悪いが領主に伝えて来てくれ。少し城を離れると」

「直ぐに戻りますから、勝手に出て行かれませんように!」

 

念を押してレオンが応接室を飛び出した瞬間、ギルバードの手の平に突然痛みが奔った。何だと手を広げるが、掌には何ひとつ変わりなく、幻の痛みに全身が総毛立つ。

窓から身を乗り出して空を見上げ、指輪に口付けてローヴに叫ぶ。

 

「ローヴ! ディアナに何かあったかも知れない。調べが済んでいないのは解かるが、もう待てない! 小屋の近くまで・・・取り敢えず、そこまで向かう」

『相手は複数の魔法導師、どのような術を駆使するか解らないまま近付くのは得策と思えません。近くに行くだけでも察せられましょう。私もそちらに向かいますから、少しだけお待ち下さい』

 

傷もない手の平に再び痛みが奔り、ギルバードは窓枠に足を掛けた。しかしローヴの言葉とレオンの険しい表情が足を留め、苛立ちを噛み締めた時、今度は急な吐き気に襲われる。

 

「・・・?」

胃の底から迫り上がる急な嘔気と激しい気分不快。

間違いなくディアナに何かあったと感じたギルバードは、迷うことなく外へ飛び出した。窓下の花壇を走り、城壁に飛び移り、ベルクフリートの屋根へと向かう。胸の水晶を握りながら、鬱蒼とした森が広がる隣国境の方向へ視線を向けた。

 

「何処、だ。・・・水晶、同じ波動へと俺を導け」

ギルバードが声を張り上げて首から外した水晶を高く放り投げる。水晶は直ぐに自由落下を始め、そして屋根に落ちる寸前、その方向を変えて森へと放たれた矢のように向かって行く。

ギルバードは屋根を蹴り、流れ星のような軌跡を追い掛けた。


「ギルバード殿下ぁっ!」

耳に届くレオンの声に、忘れていたと思い出すが、もう止められない。悪いと思うが、ディアナの無事を確認する方が先だとレオンの雄叫びを放置した。

城全体が見渡せるほど上空に上がり、水晶が向かった方向を確かめる。

頭の中で地図を広げ、水晶が谷川の小屋に向かっていると把握して指輪に口付けた。

 

「ローヴ、急に手の平に痛みと吐き気を感じた。ディアナに何かあったのかも知れない。水晶が示す先は谷川側の小屋だ。時間が出来次第、こちらに向かってくれ! 他の魔法導師にも連絡を」

『動かれますか・・・・はぁ』

 

指輪を介してローヴの呆れたような嘆息が聞こえてくるが、早計な行動は後で幾らでも反省する。

しかし、これ以上待つことなど出来ない。

宙を駆けるように森へと向かう水晶。

空色に透けて見難いが、水晶の行方は判る。ディアナのリボンと同じ色の糸のようなものが仄かに輝きながら水晶と繋がっているから追うことが出来る。だが、それがいつまで繋がっているか確証がない。

這い上がる焦燥感に苛立ちそうになり、今は冷静さが必要だと深呼吸を繰り返す。

飛行移動することが出来ないギルバードは、上空から方向を確かめ、勢いよく望む方向近くへ落ちていくしかない。そして着地と同時に大きく飛び上がり、少しでも近付けるよう繰り返す。問題は着地する場所だが、幸いにも酪農や農業が盛んな土地柄、牧草地や畑に着地することが出来た。

しかし幾度か繰り返す内、目の前には森林地帯が広がり着地することが困難になってくる。どこまでも鬱蒼と茂る森林に着地場が見つからない。仕方なく小屋方向から少し離れた場所の川岸を目指して降り、そこからは周囲に警戒しながら徒歩で進むことにした。

川を挟んで向こう側は隣国だ。

間違っても魔法を暴走させて川を堰き止めたり、森を燃やすことが無いよう自戒する。

水晶はすでに目的地に到着したのか、頭上には見えない。だが胸に繋がる淡い輝きを感じて川岸から崖を登り始める。崖を登り切ると辺りが厭に静まり返っているのを感じ、ギルバードは目を眇めた。森奥にぼやけて見える景色があると判り、崖下の川の流れる方向と形を頭の地図に照らし合わせる。

 

「ローヴ、下流に向かって右曲がりしている谷川近くに来た。谷川の上の森、南東方向にぼやけて見える箇所がある。きっとその辺りだろう。これから・・・・近付いてみる」 

『もう着いたのですか? いいですか、慎重に事を運んで下さいよ』 

「ああ、わかっている。ディアナがどんな状況か解からないのに、下手に魔法なんか使えるか。それより手の痛みと吐き気が消えた今、ディアナたちの今の状況が心配だ」 

『私は万が一にでもディアナ嬢が怪我をされていた場合、殿下がどんな風に暴走するかが心配です。カイトがもう一つの小屋に到着し、調べを始めました。・・・ほぉ、二重三重の目晦ましは、存外脆いもののようですねぇ。こちらは囮なのか、それとも用済みか・・・』 

「何か判ったら知らせてくれ」

 

ローヴとの会話を中止し、ギルバードは静かに足を進めた。ぼんやりと感じる魔法の結界に、近付き過ぎないよう注意しながら近付いて行く。

小屋の方向を確かめ、胸に手を当てると微かに暖かく感じた。

ディアナと繋がっている縁を信じ、一度目を閉じる。傷付けられたのは手と咽喉だけか。それはどの程度なのか。それ以上何処も傷付くなと念じながら、ギルバードは目を開けた。  

大木が幾つも林立する森は秋の到来で葉が随分落ちているとはいえ、やはり薄暗く感じる。

陽が傾き出した時刻。一、二時間もすると夕刻の闇が近付き、夜には冷えるだろうと思えた。

こんな山奥の小屋に幾日も監禁され、ディアナはどれだけ心細かっただろう。早く助け出したいと焦りが生まれるが、いま必要なのは冷静さだ。もう一つの小屋は囮の可能性があると言っていた。何故二つの小屋に目晦ましの術を仕掛けたのか、中には誰もいないのか。

 

「ローヴ、カイトの調べはどこまで進んだ? もう一つの小屋に、誰か居たか?」 

『殿下。急く気持ちは解かりますが、くれぐれも慎重にと繰り返しますよ。カイトの調べた小屋に人影はありません。他国の者が使う魔法の気配が残っているそうで、まだ気配が消えてからは間もないだろうと報告が来ております』 

「では、その小屋にいた者たちが、もう一つの小屋に移動した可能性があるな。そして移動した先の小屋に、ディアナたちがいる可能性も・・・・」

 

幹に身を隠しながら小屋のある方へと進む内、妙な不快感に足が止まる。

右か左に逸れたい気持ちが生じ、これが目晦ましの術かと納得した。この境界を越えるにはどうしたらいいだろうと首を傾げると、ローヴの声が耳に届く。

 

『カイトが調べを終え、小屋に【道】を繋げました。直ぐにそちらに向かいます』 

「そうか、では到着を―――――」

 

待つと言おうとして言葉が途切れた。

頭の芯が揺れるほどの眩暈に襲われ、近くの木にしがみ付いて頭を押さえる。

激しい動悸はディアナに何かあったと知らせるものなのか。

ギルバードは幹に爪を立てて眩暈を振り払う。眉を寄せて『紅い目』を凝らすと、水面に浮かぶ油のような膜の結界が見えた。しがみ付く木が揺れるのを感じ、顔を上げると上部が大きく撓るように揺れているのが見える。大きく跳躍して木の天辺まで飛ぶと、小屋の上部には膜の結界が無いとわかった。

これなら容易に近付くことが出来ると判り、ローヴに伝えようとした瞬間、動悸がさらに激しくなる。さらに全身が汗ばむほど熱くなり、鼓動が跳ね上がった。

 

「―――ディアナ!?」

 

  


 

 

 

 

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