紅王子と侍女姫  86

 

 

食事が終わると食器を片付けるディアナの手伝いをする。

ラウルが「殿下に片付けをさせる訳にはいきません!」と慌てた顔を見せるが、これから一週間も離れなくてはならないのだ。ディアナと二人きりにさせてくれと言ってラウルを厨房から押し出した。

焼き菓子の火加減を見ながら手早く皿を洗うディアナを見ながら、彼女が気兼ねなく使える厨房を妃用の部屋に設置しようと決める。妃になってもディアナには気負うことなく過ごしてもらいたい。王宮行事に顔を出さなければならない他、特に妃の仕事は決まっていない。今の国王に妃が居ない期間が長くなり、以前は妃が請け負っていた王宮貴族の交流会も廃された。無駄金を使うことが無くなったと王は歓迎していたから、たぶん復活する予定もない。

だが・・・とギルバードは考える。

ただ側に居てくれるだけでいいのだが、それは今まで侍女として朝から晩まで動き続けていたディアナにとって、ただ退屈で窮屈なだけだろう。それならばローヴとの勉強会を続けながら少しずつ王宮に出入りする貴族と顔見知りになり、妃として円滑な交流が築けたらいいなと考える。それには舞踏会や晩餐会を催す必要がある。面倒だがディアナのためだ。それと料理や掃除をするだけでなく、庭師と歓談する時間もあった方がいいだろうか。いずれ子が出来れば育児に忙しくなる。ディアナのこれからの人生を預かるのだ。自分に出来ることを精一杯考えて試みてみようとギルバードは拳を握りしめた。

 

「アプリコットジャムとクリームを使ったロールケーキ。ナシのタルト、葡萄のコンポート、サクランボの蒸留酒がありましたのでキルシュヴァッサーのトルテ、林檎とジャガイモのパンケーキにチーズクリームと苺ジャムを添えたものを作らせて頂きました。殿下、他に御希望はありますか?」

「いや・・・、すごいな。次から次へと」

「簡単なものばかりで恐縮です。また東宮で作っても、いいですか?」

「もちろんだ! で、食べていいのか?」

 

早く食べたいと訴えると、では紅茶を用意しますと言うから、急いでレオンとローヴを呼びに行った。

ギルバードが応接室に入ると、驚いたようにローヴが目を見開き、笑い出そうとするから眉を顰める。何だと問う前にレオンが口を開いた。

 

「殿下、白い粉が胸から膝にまで・・・。顔には生クリームですか?」

「ん? ・・・これはチーズクリームだな。菓子が出来たが、こっちに運ぶか?」

粉を叩き落としながら尋ねると、レオンが呆れた顔でハンカチを差し出す。

「幸せそうなのは結構ですが、食べ終わりましたら直ぐに王城に戻り、面倒事を片付けてしまいますよ。あちらでは陛下がいい加減に焦れている頃でしょうからね。それと、媚薬は一過性の品と判明したそうですよ。持続性はないので、ディアナ嬢の御体に問題はないとのことです」

「そうか、それは安心した。記憶を移動したことに気付いた様子はないし、夢で魘されてもいないというから大丈夫だな。――――残る問題はバールベイジ国の王女と今後の国交問題か。それは王と話し合って決めよう。それにしても・・・婚約発表は延期かぁ」

 

ギルバードはハンカチで顔を拭いながらソファに沈み込んだ。やっとディアナを婚約者として公に知らしめることが出来ると思っていただけに、自分でも思っていた以上に落胆した。早く彼女が自分の大切な存在だと周知徹底させたい。

「殿下、菓子は食堂にて頂きます。こちらまで運ばせるのは申し訳ないです」

ああ、二人を呼びに来たんだったと思い出し、ギルバードは溜め息を吐きながら立ち上がった。レオンが楽しげに肩を叩き、「本当にディアナ嬢は可愛らしい」と嘯く。

 

「・・・レオン、俺をからかうだけならいいが、不用意にディアナに近付くな」

「それは聞けませんね。現在の彼女の立場は王と殿下の賓客であり、確かな相手などいない可憐で未婚の貴族令嬢です。誰が彼女の心を奪おうと、それを止める権利は殿下といえど御座いませんよ」

「う・・・ぐぅ」

「レオン殿、殿下弄りはそれくらいにして、早く出来たての菓子を頂きに参りましょう。殿下、食べ終わりましたら速やかに王城へ戻りましょうね」

 

ローヴの声に再び溜め息を零す。解かっていると片手を上げ、二人より先に食堂へと足を向けた。

皿やカップを用意していたディアナの姿を見て、ギルバードは両手を広げて彼女を強く抱き締める。驚きに顔を赤らめるディアナにキスを落とし、情けないと思いながら懇願めいた願いを口にした。

 

「ディアナ、王城に戻ったら王の生誕祝いの舞踏会だ。・・・王の次でいいから、俺と踊って欲しい。そして今度はレオンとは絶対に踊らないと約束してくれ。前のように無理やり手や腰を攫われるようなら、脛でも股間でも思い切り蹴り上げて逃げ出すんだぞ。・・・約束してくれるか?」

「え? は、はい」

ディアナが目を瞬かせながら頷くと、そこへ顔を顰めながらエディとオウエンが現れた。ワインを飲み過ぎたのだろう、頭を押さえながらフラフラした足取りでテーブルに近付いて来る。

「うう・・・いい匂い。・・・てぇ」

「ディアナ嬢、ナシのタルト・・・・食べるぅ」

 

慌ててディアナが水差しを持ち上げ、椅子に腰掛けた二人にグラスを渡す。そんなに頭が痛むなら寝ていればいいのにと文句を言おうとしてレオンの楽しそうな視線に気が付いた。レオンの言いたいことはわかる。双子が目覚めたから、早く王城に戻りましょうと言うのだろう。しかしディアナの菓子を口にしない内は絶対に戻らないぞと睨み返した。レオンは肩を竦めるだけで、薄く口端を持ち上げる。

ディアナが紅茶を淹れている間にレオンもローヴも席に着き、厨房からテーブルへと運ばれる芳しい香りの菓子に感嘆の声を上げた。

 

「うわ、美味いっ! 出来立てなの? 温かくて超おいしいよぉ!」

「ナシが甘くて美味しいっ! あ、紅茶のおかわり、お願い!」

「お前たち、少しは味わって食えよ! ディアナ、俺にも紅茶を頼む」

 

次々に口の中へと消えゆく菓子に、ディアナは足りなかったのかと愕然とした。王子がたくさん召し上がるのを知っているから、いつも以上に多く作ったはずなのにテーブル上の菓子はもう既に残り少なくなっている。何か肉でも焼こうかと厨房に視線を向けると、双子が満足そうな声を出した。

 

「御馳走様っ! ディアナ嬢、めちゃ美味しかったよ! ・・・で、悪いけど夕飯までもう少しだけ寝かせて貰っていい? あとで水汲みでも何でもやるからぁ」

「買い出しでも掃除でも何でも手伝うよ。だけど今は腹がいっぱいで・・・とにかく眠いんだよぉ」

 

腹を擦りながら双子が申し訳なさそうに笑うから、大丈夫ですとディアナは頷いた。するとギルバードがそうかと満面の笑みを浮かべて、では双子が起きるまでアラントル滞在を伸ばそうと張り切って口を開こうとしたが、即座にレオンが冷たく言い放つ。

 

「国王陛下が詳細な報告を御待ちで御座います! 報告が遅くなればなるほど、面倒事は広がりますよ? ディアナ嬢が心配なのはわかりますが、いい加減、腹を括って戻りましょう!」

「だが、警護が・・・」

「大丈夫ですよ、殿下。リグニス城に好からぬ輩が侵入しないよう結界を施しました。城の住人や従事している者は問題なく城に入れますが、領主の許可なく他者は入れないようにしましたから御安心下さい。さあ、王城に戻りましょうかねぇ」

「ローヴ・・・」


もう時間切れです、速やかに戻りましょうと通達してくる二人に何を言おうかと逡巡していると、厨房に向かったディアナが籠を持って戻って来る。籠の中には小さなアップルパイが幾つも入っていて「少しですが」と微笑まれた。ディアナにまで王城に戻るのを促され、ギルバードは立ち上がるしかない。

 

「ディアナ・・・、一週間したら双子と共に王城に来てくれ。舞踏会では一貴族の息女として対応することになる。だけど俺と踊るのは忘れないでくれ。すごく楽しみにしているから!」

「はい、私も・・・楽しみにしております」

 

ディアナが嬉しそうな笑みを浮かべる。今度はレオンから邪魔が入らず、ギルバードはディアナを抱き締めながら頭や頬にキスを落とす。恥ずかしそうに真っ赤な顔を伏せるディアナの耳にキスをして好きだと繰り返すと、そっと顔を上げた彼女が小さな声で、私もです、と甘い囁きを返してくれた。でも直ぐに潤んだ瞳を隠すように顔を伏せてしまう。感激の余り、テーブルにディアナを押し倒して両頬を掴んだ時、レオンに後頭部を思い切り殴られた。

 

応接室に繋がれた【道】の前にローヴが立ち、レオンが書き留めた書類を手に持つ。

半月以上も眠り続けたディアナと改めて互いの気持ちを話し合い、通じ合い、婚姻の意志を確かめ合ったというのに、ディアナの親の戸惑いを前に断念せざるを得ない状況になった。その上、アラントル領の実家に戻る途中で攫われた事実。これは馬車に魔法をかけたローヴを怒らせ、幽閉された異国の魔法導師は厳しい尋問を受けることになるだろう。普段から魔法を使用する者が他者の心身を攻撃する、またはそれに準じた行為を行うのをローヴはひどく厭う。それを知っているギルバードは幽閉された魔法導師への厳しい尋問を想像し、苦々しい笑いを浮かべた。

次に思い浮かべたのは、自分自身のこと。

今回の詳細な報告を受けた王が、どんな誹りを浴びせて来るか想像するだけで気落ちしてしまう。


 


案の定、王城に戻り王の前に姿を見せると胡乱な視線で見下ろされ、深く長い嘆息を吐かれた。

ギルバードは項垂れそうになる顔をしっかりと上げ、何を言われても受け止めようと唇を固く結ぶ。王からの嫌味まじりの嘆息は二度三度と続き、そして呆れたしぐさで大仰に首を振られた。。


「ギルバード、お前は自分の嫁も守れないのか? それで好きだ、守りたい、一生側にいてくれと口にしていたのか。ディアナ嬢が可哀想だと思わないのか? やっと実家に戻れると思った寸前で攫われ、また怪我を負ったそうじゃないか。ディアナ嬢がどんな気持ちでいたかを考えたか?」

「このような事態になるとは思ってもおらず・・・。もちろん、彼女と領主には深く謝罪しました」

「それは当たり前だ。ああ、ディアナ嬢が出した手紙も、王城からの書簡も届いていなかったそうだな。それはバールベイジ国にしっかりと責任追及するが、早々に王太子妃は決定したと婚約者の存在を明確にしなかったお前の責でもあるよな?」

「・・・ディアナの親にきちんと承諾を得てからと思っていたので」

「それも当たり前だ。婚姻は、特にお前の結婚は一個人だけの問題ではないからな」

「・・・・」


じゃあ、どうすれば良かったんだとギルバードが唇を噛み床に視線を彷徨わせると、王から楽しげな声が聞こえた。

「ディアナ嬢はお前との婚姻を受け入れてくれたそうだな」

を上げると王の表情が柔らかに綻んでいるのが見える。その時になって、ギルバードは親である王が自分のことを心配していたのだと気付き、急に恥ずかしいような面映ゆい気分になった。


「はい、ディアナは私の妃になることを心より了承してくれました。しかしディアナの父親である領主は戸惑いが強く、奥方や次期領主夫婦が留守ということもあり、明確な承諾は未だ得ておりません。王城からの書簡が届かなかったため、生誕を祝う舞踏会への参加も・・・見送ることになりそうです」

「まあ、いきなりは無理だろうな。アラントルの領主は王宮に出入りする貴族らとは違うから」

 

次の舞踏会では前回同様、ディアナは王の賓客として舞踏会に出席することとなり、折角作った揃いの衣装を着る機会は延期されることになった。ギルバードが悄然とした顔を見せると、正式な発表前に周囲からの嫉みや妬みでディアナが危険に晒されるのを避けた方がいいと説かれ、次回もレオンを側に置くのが一番いいだろうと提案される。

 

「それは駄目だっ・・・です! レオンは公爵家の嫡男。彼の婚約者かと周囲が誤解する可能性がある。ディアナの側には俺がいます。ダンスもディアナとだけ踊ります! 領主に承諾を得ていないとはいえ、ディアナと心が通じ合っていることは知って貰いました。ですから、ディアナの側には俺・・・私が」

「・・・はっ!」

 

ギルバードが眉間に皺を寄せて強く言い切ると、王が耐えられないとばかりに肩を震わせ、真っ赤な顔で笑い出した。ローヴもそうだが、自分の周りには王子弄りを趣味としている人間ばかりいるようで嫌になる。溜め息を吐きながら不貞腐れた顔を向けると、笑いが治まらない王は肩を揺らしながら手を上げた。

 

「ひっ、ひぃ・・・。ま、まあ、私の誕生を祝う場だからな、最初のダンスはディアナ嬢に相手して貰うが、その後は誰と踊ろうと文句はない。周囲に憚ることなく彼女を独り占めするといい」

「殿下とダンスをされている間、彼女が殿下の婚約者候補ではないかと、それとなく噂を流しておくのはいかがでしょうか。前回の舞踏会でディアナ嬢は注目されておりましたから、殿下と踊ることで納得する者も、執拗な接見を取り止める者もいるでしょう」

 

宰相が笑い続ける王の背を擦りながら提案するのを耳に、それがいいとギルバードは大きく頷いた。隣りに座るレオンに視線を向けると、了承したと頷きが返って来る。

では次に」と宰相が咳払いして謁見の間から隣室の国王陛下執務室へ場を移るよう促して来た。

 

「バールベイジ国の国王より書簡が届いております」

宰相がテーブルに、バールベイジ国より早朝に届けられたという書簡函を置き、金糸入りの紐を解く。

蓋を開けると金に輝く箱が出て来て、更に蓋を開けると大粒のダイヤモンドがごろりと転がっていた。それを除けて書簡を取り出し広げると、まずは謝罪の言葉が長々と並び、侘びとして少しだが金とダイヤモンドを受け取って欲しいと書かれている。謝罪内容はビクトリア王女が正式な手続きなしにエルドイドに足を運んだこと、自国の魔法導師が王女の切ない想いを間違った方向に取り勝手な行いをしたことを詫びており、そして王女を無事に帰してくれと書かれていた。

 

「・・・何だ、これは」

「ディアナ嬢拉致に関しては何一つ謝罪の言葉がありませんね」

「それに早朝に書簡が届けられるとは・・・・どこから情報を得たのでしょう」

 

書簡には王女が無断入国をしたことは悪かったとあるが、ディアナを拉致したことや王城からアラントルへ送られた手紙や書簡を奪ったことに関しては一切謝罪の記載がない。仰々しく長ったらしい文章には、王女は自国発展のために魔法導師を集めて日々研究に邁進している賢く真面目な良い娘だと褒め称え、今回のことはギルバード王子を恋慕う王女を可哀想に思った魔法導師が勝手に行動したためで王女に非はないとあり、今後の国交を円滑にするためにも今回のことは水に流して欲しいとあった。

反省の色は何ひとつ見えず、最後の締めには正式に王女との見合いの日取りを決めたいとまで書かれている。その内容に呆れて口を閉じられずにいるギルバードの横で、レオンが我慢も限界と笑い出した。

 

「ほぉ。・・・つまり、ビクトリア王女が我が国に無断侵入し、書簡を盗み、ディアナ嬢を攫うような蛮行に走った原因は、ギルバードに恋焦がれるあまりだという訳か。じゃあ、悪いのはお前か?」

「ば、馬鹿なことは言わないで下さい! 散々な目に遭ったというのに、書簡で止めを刺されるとは思ってもいなかったですよ! なんだ、あの国は! 国王からして馬鹿なのか!?」

ギルバードが激昂して立ち上がると同時に、扉を叩く音がした。宰相が扉を開くと、ローヴが鷹揚に姿を現し、国王に恭しく膝を折る。

「陛下、バールベイジ国より書簡が届いたそうですねぇ。王女の動きに国が関わっているかどうかの調べを行い、その報告に来たのですが。―――かの国よりの書簡が届くのが早いこと早いこと。行動の速さには驚くよりも、むしろ笑ってしまいますねぇ」

 

テーブル上の書簡に視線を落としてローヴは楽しげに笑う。

眉を顰めたギルバードに気付くも、笑いは治まらずに肩を揺らし続け、ゆったりとした仕草でソファに腰を下ろした。書簡を一瞥したローヴは袖から大きなポットを取り出し、レオンが受け取ると今度はカップを取り出し、最後にシュガーポットを出してテーブルに置いた。

 

「王女が何を仕出かすのか、どう動くのか、バールベイジの王は解かっていたようですねぇ。王女が我が国の民、それも王城に滞在している令嬢を攫うことを承知で、・・・そしてそれを止めなかった」

「上手くいけば王女が用意した媚薬でエルドイド国の王子を手に入れることが出来る。・・・そう思っていたのでしょうか。失敗しても謝罪すればいいと? そんな簡単に事が運ぶと、あの国の王が考えていたとしたら、それは我が国を侮辱するのと同じです。で・・・どうされるおつもりですか?」

 

レオンが辛辣に吐き捨てると、宰相が肩を竦めて薄く笑みを浮かべた。

「我が国を軽く見ているつもりはないでしょう。ただ王女が所望した王子を、王女の考えで手に入れることが出来たら幸運だ。それくらいの気持ちだったのでは? 王は王女を目に入れても痛くないというほど可愛がっておられましたし、うちの王女は近隣国で一番美しいと褒め称えていましたよ」

 

実際に王女を目にしたことのあるギルバードとレオンは目を瞠って驚き、ローヴが紅茶を噴き出しそうになった。ギルバード達が二年間の領地視察に行っている間、エルドイド王城で催される舞踏会には欠かさず参加していたビクトリア王女は誰よりも着飾り、多くの従者を引き連れ目立っていたらしく、親であるバールベイジ国王は同盟国会議の際には毎回、娘自慢を声高にしていたと宰相は肩を竦める。

 

「バールベイジ国の王も脂肪の塊のような体格だが・・・。しかし、あの王女のどこに褒めるところがある? 賢いだと? どこが賢いというんだ! アレは浅ましいというんだ!」

「浅ましいといえば、視察で訪れた一国の王子に媚薬入りの紅茶を差し出しましたね。そのように頭の螺子が吹っ飛んだ者が王女など、悪夢としか思えません。王女がどのように画策して王妃の座を望んだとしても、王宮騎士団を総動員させてでも阻止しましょう。未来の王妃はディアナ嬢の方が数万倍もいい!」

「アレとディアナを比べるなっ、気持ちが悪いっ! ・・・本当に・・・気持ちが悪い」

「は・・・吐き気を催すほどの香水と脂肪の塊が思い出されて・・・私も気分が・・・」

「言うなっ! ・・・・うぅ」

「お前たち、落ち着け。そういえばローヴ、幽閉した王女や魔法導師はそのままか?」

 

ギルバードとレオンが一気に蒼褪めて口元を押えて震え出したのを見た王が、呆れたようにローヴに話を振る。ゆったりした仕種でテーブルにカップを置いたローヴが袖から書類を取り出した。

 

「ザシャ達に王女配下の魔法導師がどのような経緯でバールベイジに来たか、主にどんな研究をしていたか、何をディアナ嬢に飲ませようとしたか、媚薬に使用した薬草の種類などを調べてさせております。今のところ判明していることを書類にまとめて来ました」

 

ローヴが差し出した書類を見ると、王女の配下には海を渡った異国から来た魔法導師もおり、総勢八名が日々王女が出す課題を研究していたという。中には名も知らぬ島から来た者もいて、ずいぶん多方面から集めたものだと驚いた。媚薬の内容は主に雄牛鞭、雄牛腎、鹿の角を含め動物の性器を使用した精力増強を目的とする粉に欲望草などのハーブや蜂蜜酒などが混ぜられており、しかし持続性や常用性が無いことが判り安心する。レオンから報告を受けた通りだと安堵したギルバードだが、書類を捲った途端に手が強張り動きを止めた。

ディアナに最初飲ませようとした記憶錯乱の薬にはコカの葉やケシから摂れる乳白色の液体を混ぜていたと記されており、目にしたギルバードの肌が総毛立ち、視界が一気に赤く染まる。

 

「・・・・ローヴ、ディアナは最初に出された杯を口に含んだという。双子は直ぐに吐き出したと言っていたが、問題は・・・本当にないか? 極少量でも・・・こんなものを飲んでいたら」

「殿下、ディアナ嬢の御身体に問題はありませんから御安心下さい」

 

ローヴからの穏やかな声色を耳にしても少しも安心など出来ず、ギルバードは咥内に広がる錆鉄の味に震える拳を強く握り緊めた。しんっと静まり返った執務室にローヴの咳払いが響く。

 

「―――総勢八名の魔法導師の内、幽閉した者は五名。バールベイジ国王城内を隈なく調べておりますが残り三名の行方が知れません。幽閉した魔法導師に問い詰めたのですが知らないの一点張りで、先ほど自白剤を飲ませたのですが、相手も魔法導師ですので効きが弱く難儀しております」

「王女の許で様々な研究をしてきた輩。怪しげな薬を作り、その対抗策も万全という訳ですか」

「急ぎ強力な薬を作っておりますが、バールベイジ国から届けられた書簡の速さに・・・焦りますねぇ。アラントルに出向いた魔法導師と繋がっていた者がいたのでしょう。そして王に報告した、王女が幽閉されたと。その後、水面下で動き始めている可能性がありますね」

 

静かに立ち上がるギルバードの瞳が紅く揺れるのを目にして、王が大きな溜め息を吐いた。 

「ギルバード、心落ち着けて行動しろ。ローヴ、アラントルの城の守りは万全だろうな? そう何度もディアナ嬢に危害を加える輩を近付ける訳にはいかん」 

「ええ。魔法力を持つ輩が近付けば、一発で黒焦げですよ」 

「ではギルバード。ビクトリア王女はどうする?」

 

ギルバードは荒ぶる気持ちを抑えようと細く息を吐き、切れた唇を手の甲で拭う。チカチカと目の前で爆ぜる紅い火花を、目を閉じることで消し去りながらソファに腰を下ろした。しかし強く握り過ぎた拳は小さく揺れ続け、震える唇から言葉を発するのが難しい。

ローヴがポットを傾け、自分のカップに新たな紅茶を注ぎながら口を開いた。

 

「現在、ビクトリア王女は硬直したままの状態で、王女配下の魔法導師と万が一にも接触出来ないよう二重結界を施した部屋に居ります。今はフランツが邸にて警戒中。硬直させたまま、バールベイジ国に送ることも出来ますよ?」 

「恐ろしいほど勘違いも甚だしい王女だと双子より聞きました。殿下に纏わり付く貴族息女を成敗しようと攫い、薬を飲ませて山に放置し、殿下には媚薬を飲ませて既成事実を作ろうとしたそうで。ディアナ嬢がアラントルに送った手紙に殿下の婚約者になるとか婚姻を申し込まれたなどの文字が無かったため、ただ邪魔な存在を消そうとしただけのようですね。・・・それ以上の愚行に至らず、幸いというか」 

「・・・レオン、それ以上は言うな。いまは・・・」

 

もしも手紙に二人の将来について書き記されていたら、ディアナは即座に殺されていた可能性もあると示唆され、ギルバードは足が勝手に動き出さないよう、震える膝を押さえ込む。

 

「出来ることなら・・・、王女は永遠にあのままの状態で幽閉させておきたい。しかし我が国に王女の気配があることさえ耐え難い苦痛。・・・出来るなら公の場で王女自身に語って貰いたい。何を考え、誰を攫ったのか、何をしようとしたのかを!」 

「誰を攫ったのか。・・・それはエルドイド国の未来の王妃だと、そう言えたらいいな」

 

王が顎をしゃくりながら薄く笑みを零す。

解決しなければならないことが一度に転がり込んで来て、面倒だと大声をあげたくなる。この苛立ちをどこに向けたらいいんだと紅茶を一気に飲み干した時、レオンが「忘れておりました」と立ち上がり、謁見の間に向かった。 戻って来たレオンの手には籠があり、こういう時には甘いものが一番ですねと目を細める。籠はディアナが持たせてくれたもので、布巾を取ると中には幾つもの小さなアップルパイ。丁度人数分あり、ローヴが袖から出した皿に取り分ける。 

ディアナと別れてから丸一日も経過していない。それなのにもう逢いたくて逢いたくて堪らない。

頬張ると口中いっぱいに甘酸っぱい果肉と蕩けるように甘いカスタードが広がる。

 

「・・・泣きたい」

 

正直な気持ちを零しながら、ギルバードはゆっくりと咀嚼した。

 

 



 

 

 

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