紅王子と侍女姫  88

 

 

翌日、東宮にあるギルバードの部屋を朝から訪れたのは宰相と魔法導師長で、その後ろにレオンが立っている。何だと眇めた視線を向けるとローヴが恭しく御辞儀をして口を開いた。

「公正を期すために、オーラント国より王宮仕えの魔法導師に急遽お越し頂きました。殿下も、我が国がオーラント国に送ったという書簡が気になりますでしょう?」

「・・・それは、書簡に魔法がかけられている可能性があると?」

ギルバードが眉を寄せて尋ねると、ローヴが目を細めて問いに答えた。

「はい。王より届けられたという書簡を見せて頂き、その片鱗を感じましたので、直ぐにオーラント国へ鳥伝を出しました。先ほど魔法導師が到着したとのことですので、王宮第一応接室へ御越し下さい」

「わかった」

 

しかし、ギルバードが部屋を出ようとすると、レオンが押し留めた。

「オーラント国の王女が目を輝かせないよう、衣装は地味なものに着替えましょう」

「・・・レオン、それは必要なことか? 書簡に魔法がかけられていると分かれば、こんな茶番は終わりだろう。誤解が解けば、直ぐに帰って貰うことになるんだから」

部屋に押し込まれながら文句を言うが、レオンはそうはいかないと肩を竦める。

王女は舞踏会で婚姻が発表されると思って意気込んで来ているのだから、書簡に魔法がかけられていようが無かろうが、強引に話しを推し進めてくるだろうと笑いを零す。世の中の肉食系王女を舐めてはいけないと笑うから、ギルバードは眉を寄せた。文句言いたげなギルバードを放置して、レオンは衣装部屋に入り、焦げ茶色の上着を取り出す。お忍びで領地内を視察する時や城下で仕事をした時に使用した地味な衣装だ。トラウザーズとブーツは黒を選び、更に髪を乱してレオンは満足気に頷く。

部屋から出るとローブと宰相が呆れたように口を開けて見つめるから、本当にこんな格好で王女の前に出ても大丈夫なのかと心配になる。

「これでも不安なくらいです。相手はビクトリア王女と同じと思って下さい」

「・・・わかった」

 

王宮第一応接室に入ると、ギルバードの姿に王が一瞬目を瞠り、レオンの澄ました顔を見て楽しげに笑みを浮かべた。オーラント国の王女と大臣は僅かに驚いた顔を見せたが、直ぐに恭しく挨拶してくる。短い返事を返して椅子に座ると、大臣が自国の魔法導師に振り返った。

「ごほんっ、エルドイド国の魔法導師長が、この書簡には魔法がかけられている可能性があるとおっしゃるので、我が国の魔法導師立会いの下、調べを行います」

「お願いします」

「オーラントの国王陛下にも報告してますが、とても驚いておりました。まさか国を挙げての喜びが、たった一晩で悪夢に変わろうとは思いも寄らぬことで・・・・まったく何が何やら」

 

憤懣遣るかたないと言いたげに大臣はテーブル上の書簡を指差した。眉間には深い皺が寄り、ブツブツと文句を呟き続ける。かたや王女は精彩を欠く衣装で登場したギルバードに驚きはしたが、今は熱い視線を注ぐことに夢中で、惚けた視線を王子に固定していた。

国王が王女の表情に少しだけ呆れながら、指示を出す。

「ではローヴ。オーラント国の魔法導師と共に、その書簡を調べてくれ」

「御意。――――アルノルト殿、杖を」

 

オーラントより来たばかりの魔法導師アルノルトは、ローヴに促されて杖を取り出し、書簡の上に翳す。ローヴも同じように杖を翳し、共に短い呪文を唱えた。

テーブル上の書簡が少しだけ宙に浮き、そして引っくり返る。赤い蝋印がどろりと溶けると同時に、赤と黒の煙がゆらりと立ち上がった。ローヴが杖を動かすと書簡から書類が出て来る。その上にアルノルトが杖を翳すと、音もなく開かれた。

紙の上の文字が滲むように揺れ、そしてゆっくりと文字が変化していく。それは見たこともない文字で、皆の視線が紙上に集中する。見つめていないのは王女だけで、彼女はギルバードの顔を飽きることなく熱く惚けたように眺めていた。

 

「・・・これは古代魔術の文字ですね。とても古い時代に用いた魔法の言葉ですが、書かれている内容はわかります。揺れ動いて、少し読み難いですが・・・」

アルノルトという魔法導師は困ったようにローヴに振り返り、杖を袖に仕舞った。ローヴは楽しげに文字を見つめ、小さく何度も頷きながらギルバードに問い掛ける。 

「殿下、読めますか?」

「うぅ、一応ひと通り習ったはずだが、正直覚えていることは少ないぞ。ましてや古代魔法で使われていた文字や呪文など・・・・。ローヴ、これは」

揺れ動いていた文字が紙に定着すると、急に読めるようになった。知らないはずの文字の羅列だが、読むというより見て解かるといった感じで理解する。

「これは『呪』ですね。ずいぶん古い魔法ですが、今も使用している者がいるのは存じています。数少ないですが、周囲を海に囲まれた離島に住む魔法導師のはずです。やはり、オーラント国へ出された書簡は偽造された物であり、おまけに読めば読むほどに信憑性を増して、急ぎエルドイドに赴きたくなる呪いも施されている。素晴らしいですねぇ。あとは魔法の痕跡を上手く隠せば良かったのですが、まだ若い魔法導師なのでしょうか、残念ですねぇ」

「ローヴ。では、術を施したのは・・・バールベイジ国の王女が集めたという魔法導師か?」

その可能性があると言われ、ギルバードは目を瞠った。

 

「ではこの書簡に術をかけたのは、ビクトリア王女配下の魔法導師なのか? 何故、こんな手間をかけてオーラント国の王女を呼び寄せた? 幽閉されているのを知って尚、何がしたいというんだ」

ギルバードが戦慄く手を膝上に縫い止めると、レオンが眉を顰めて口を開いた。

「エルドイド国で騒動を起こし、殿下の足を止めるのが目的・・・とも考えられますね。その間に行動を起こすとしたら、ビクトリア王女を取り戻すために―――――」

俯き話すレオンの言葉に、ギルバードの全身が総毛立つ。

行方が判らない魔法導師は三人。彼らは王女を取り戻すために動いている可能性がある。その王女を取り戻すために必要なのは対価だと考えるだろう。対価として脳裏に浮かぶのはディアナだ。

「っ! ローヴ、鳥伝を放てっ! 今直ぐにだ!!」

 

 

 

***

 

 

母親が戻り、オウエンが出立した翌日の午後。リグニス城に、休暇を終えた従事者が戻って来た。

皆、ディアナのドレス姿に驚き、令嬢らしい姿に喜んだ顔を見せる。しかし以前と変わらず厨房に入り、手伝いを始めようと袖を捲るディアナを目にして、大きな変化が無いことに苦笑した。

 

「まあディアナ様、お変わりになったのは御衣裳だけですか?でも厨房に立たれるディアナ様を見ると、不敬とは存じますが、何だか安心致しますわ」

「そうそう。ディアナ様が王城に行かれてから、領主様が御寂しそうでしたよ」

「食後のデザートを作っても、カーラ様から『何か違う』って文句を言われ、料理長は困っていましたしね。だけど本当に、この王都土産の菓子も美味しいけど、ディアナ様の作る菓子の方が美味しいわね」

「ディアナ様も座って。ほら、町で買って来たクラップフェンを召し上がって」

「アプリコットジャムが絶品ですよ! ああ、また太っちゃうわぁ」

 

食堂は侍女や料理人が集まり、持ち寄った土産を広げて楽しそうに話に花を咲かせる。皆の分のお茶を淹れ終えたディアナも一緒に座り、菓子を食べながら話に耳を傾けていた。

やがて皆が喋り終えると、今度は王城での話が聞きたいと、せがまれる。

領主である父親から、ディアナが王宮主催の舞踏会に参加したことを聞いていると目を輝かせ、ドレスはどうしたのか、ダンスは踊ったのかと興味津々だ。ディアナが口籠りながら、ダンスは国王陛下と続けて二回踊ったと話すと、ぽかんと口を開け、そして悲鳴が上がった。魔法が解けた祝いに御誘いを受けたと話すと、侍女頭はハンカチを取り出して顔を覆うほどだった。王宮騎士団の宿舎の厨房で食事を作らせて貰った話をすると大笑いされ、馬場で護衛騎士の馬を駆らせた話をすると目を丸くされる。

皆、自分のことのように笑い、驚いてくれるのを嬉しく思いながら、ディアナは笑みを浮かべた。

 

「ディアナ嬢ー、ちょっと来て!」

大きな声を出しながら、バタバタと食堂に走り込んで来たのは双子騎士のエディだ。その姿に侍女たちは菓子を詰めて込んでいた口を慌てて押えて立ち上がった。御辞儀をしようと立ち上がるが、気さくな笑みを浮かべるエディに「これ、食べてもいい?」と訊かれ、真っ赤な顔で大きく何度も頷く。

嬉しそうに笑う王都から来た護衛騎士であるエディの笑みに侍女たちは惚け、そして料理人が食べようとした菓子までも奪って差し出した。

 

「エディ様、お茶をお淹れしますね」

「ありがとう、ディアナ嬢。ストレートがいいな、菓子が甘いから。んんっ、これ、すごっく美味いね! ・・・っと、食べに来たんじゃなかった。ディアナ嬢、ローヴ様から鳥伝が来たんだよ!」

「え? ローヴ様から何が」

口に菓子を詰め込んだエディに手を掴まれ、訳が分からないままディアナは外に連れ出された。玄関を出ると前庭に連れて行かれ、馬を模った石像のそばで立ち止まる。エディが口笛を吹きながら片手を持ち上げると一羽の鳥が姿を見せ、その手首にそっと降りて来た。真白い鳥は額に金の模様があり、ディアナが目を丸くして近付くと小さく囀った。

 

「あのね、オウエンがディアナ嬢のお母さんが話していたことを殿下に報告したら、すごい驚いた顔をしたって言ってた。殿下はオーラント国の王女との婚姻なんて知らないって。やっぱり殿下が結婚したいのはディアナ嬢だけだよ。だから何の心配もしないでいいからね、ディアナ嬢」

「エディ様・・・」

「俺も気になっていたし。殿下が好きなのはディアナ嬢だけだって分かっていても、まだ内緒の立場だろう? ディアナ嬢の顔色も悪かったし。あ、お礼はアラントルのワインでいいからねー」

早口に話し出すエディを前に、双子騎士に心配掛けたことを心から申し訳なく思った。

そしてエディからの報告を耳にして、ディアナは心から笑みを浮かべた。

 

昨日、厨房裏で何度も冷たい水で顔を洗っている内、まるで何かを洗い流したように気持ちが楽になっていた。背を正すと頬を流れ落ちる水が顎を伝い、服を濡らしていく。濡れた手や顔に、少し冷たい風が吹き抜け、見える景色に秋らしさが増していると思った。遠くの山々が僅かに色付き始めたのが見え、その斜面に広がる牧草地を眺めていると口端が自然に持ち上がる。

その風景を目にして大きく息を吐くと、肩からすとんっと力が抜けていくのを感じた。

いったい何を悩んでいたのだろう。もう悩む時期は過ぎたはず。自分が望むのは王子の側にいることで、それを王子も望んでいる。長く眠り続けた夢の中、王子は何度も、幾度も、繰り返し伝えてくれた。

共に幸せになりたいと。

その時、自分はもう諦めないと、自分も王子を幸せにすると言ったはずだ。他国の王女の存在に怯え、自分を卑下して自分の存在を疎むなど、自分を好きだと言ってくれる王子に失礼じゃないか。

王子の側にいたいと願い、その願いを叶えるための努力をしたいと思った。

そして、その努力を王子の側でしたいと願ったのは攫われた先の小屋の中でのこと。王子は何度も助けに来てくれた。何度も何度も、必ず王子は自分の許に来てくれた。いま自分に出来るのは、信じて待つだけだ。王子を信じる。それは何の迷いもなく自分が出来る、唯一のことだ。

 

「あ・・・れ? ディアナ嬢、昨日と表情が違うね」

「はい、エディ様には御迷惑と御心配をお掛け致しましたが、もう大丈夫です。こちらが鳥伝、ですか? とても綺麗な鳥ですね。雪のように綺麗ですし、額の模様と囀りはとても美しいです」

エディの肩を止まり木にしている鳥を見つめていると、じっと見つめ返され、そして嘴が開いた。

 

『ああ、ディアナ嬢。突拍子もない話を耳にされ、御心を痛めているのではないかと苦悩しておりましたが、元気そうな美声を聞き安堵しました。出来ることなら今すぐにでも駆け付け、私の腕の中で慰めたいところですが、面倒事に巻き込まれてしまい、このささやかな願いを叶えることが出来ません

鳥から聞こえて来たのは人の声で、ディアナは驚いて目を瞠った。

「レオン様? ・・・まあ、鳥からレオン様の声が聞こえます」

『何故俺より先にレオンがしゃべる、どけっ! ディアナ、エディから聞いたか? 何だか突然妙なことになっているが、俺が好きなのはディアナだけだからな! 何も心配するなよ? 俺が妃にしたいと望むのは、俺が結婚したいのはディアナだけだ! 約束したよな、俺の子を産んでくれると!!』

「・・・っ! ・・・っ」

今度は王子の声が聞こえてきて、その声の大きさと内容にディアナは息が止まる。

突然、王子は何を言い出すのか。

この場で「はい、産みます」と返答出来る訳もなく、ディアナは鳥を見つめたまま固まった。しかし狼狽するディアナに気付くはずもなく、王子の声は徐々に大きくなっていく。

『ディアナ? ディアナ、どうした? ディアナ、声が聞こえないぞ。おい、ローヴ! 向こうの声が聞こえない、もう一羽飛ばせ! ディアナ、本当に大丈夫か? 具合でも悪いのか?』

 

ディアナは真っ赤になり、だけど心配そうに自分の名を繰り返す王子の声に返答しなくてはと震える唇を開けようとした。その時、自分を覗き込む影に気付き、エディの大きく見開いた目と目が合い、声なき悲鳴を上げてしまう。

「ふぅん。ディアナ嬢ったら、もう殿下とそんな約束をしたんだぁ」

「・・・っ、・・・っ!」

エディの揶揄する声に、ディアナは頭が真っ白になり、はくはくと口を開閉して固まる。

王子は間違ったことを口にしている訳ではない。確かに約束した。だけど恥ずかしくて恥ずかしくて堪らない。顔を覆って隠してもエディからの視線を熱いほど感じ、思わず足が後ろへと退いてしまう。

 

『殿下、落ち着きなさい。ディアナ嬢は殿下の発せられた言葉に驚き、ただ声を失っているだけですから御安心を。それよりもエディ、そこは城の玄関前ですか?』

 

ローヴの声にさらに羞恥が増し、ディアナはエディに背を向けた。

確かに夢の中とはいえ、王子から子を産んでくれるのかと問われ、「はい」と返事した自分だ。

だけどそれは二人だけの密事のようなもので、皆に聞かてしまったことに目が潤むほど恥ずかしくて仕方がない。熱い頬に戸惑いながら、城の誰かに聞かれなかったかしらと周囲を窺うと、正門前の跳ね橋近くで今にも零れそうなほど沢山の荷物を載せた押し車が見えた。

城へ何かの配達なのかと見つめていると、押し車からカボチャが転げ落ちてしまった。荷物を押す人物は落ちたカボチャに気付かないのか、俯いたまま足を進ませている。落ちたカボチャは跳ね橋の方へと転がり、そのままでは堀の水路に落ちそうだと、ディアナは慌てて駆け出した。

 

「うん、城の玄関前の庭だよ」

『実はバールベイジ国王女の配下にいた魔法導師の内、三名の行方が知れません。今回の件に係わっている可能性が高いと思われます。リグニス城周囲に結界を施しておりますが、くれぐれも城外には出ないよう充分気を付けて下さい。行方不明の彼らが新たな騒動を起こし、ディアナ嬢を再び攫い、ビクトリア王女の釈放を要求する可能性がありますので』

 

ローヴの言葉にエディは頷き、背後のディアナに振り返った。告げられた言葉を伝えようとして、驚愕に目を瞠る。当の本人が門から外へと走っているのが見え、エディは疾走した。

肩から鳥が羽ばたく。

「ディアナ嬢、外に出ては駄目だ!」

鋭い言葉に振り向いたディアナは、もう少しでカボチャに手が届くところだった。

エディの声の険しさに目を大きく見開いたまま、――――――彼女の姿は掻き消えた。

 

「ディアナ嬢っ!」

門から飛び出して跳ね橋を渡り、もう少しで彼女に届くと思えた手はしかし何も掴まず、エディは愕然とする。ディアナだけでなく彼女が追い掛けていたカボチャも、押し車も側に居たはずの人物も忽然と姿を消していて、その場には何の影も残っていない。

羽ばたきが聞こえ、鳥が戻って来てエディの肩に止まった。

「・・・殿下、ディアナ嬢が・・・――――消えた」

肩上の鳥に目の前の事態を報告すると、王子が息を詰まらせるのを感じる。

ローヴから注意を受けたばかり。その直後、まさか自分の目の前で、警護すべき対象が消えた。

 

「門の外で大荷物を載せた押し車から何かが零れ落ちたようで・・・ディアナ嬢はそれを拾おうと門から出てしまった。ディアナ嬢が消えると同時に、拾おうとした何かも、押し車も、押していた人間も姿が―――何処にもないのです! ・・・申し訳御座いません、殿下!」

この場にいない王子に向かい、エディは膝をつき低頭する。

直ぐに追い掛けたいが、何処に連れ去られたか皆目見当がつかない。直前に聞かされた魔法導師が相手かと思えば、対処法が異なって来る。

『・・・エディ。領主に、ディアナ嬢に王城に来て頂く用件が出来たため、馬車にて御連れしたと伝えて下さい。舞踏会で着る衣装が届き、その調整のために至急呼ばれたのだと。舞踏会が終わり次第、アラントルに御戻りになりますと。出来る限り穏やかな声と態度を心掛けて下さい』

「はい」

レオンの穏やかな、しかし強い口調にエディは立ち上がった。

『殿下、魔法の痕跡を追うため、カイトをアラントルに向かわせます。私は水晶でバールベイジ国の様子を探りましょう。もし殿下が動かれるのでしたら、その旨を王へお伝え下さい』

『わか・・・た。エディ、カイトがアラントルに到着するまで待機しろ。レオンは王に会う時間を作るよう、伝えてくれ。それから――――― ・・・っ!』

声を詰まらせた王子の嘆きが聞こえて来るようで、エディは強く目を瞑り拳を震わせた。一番近くに居たのは自分だ。それだけに悔やまれてならない。その心情が伝わったのか、ローヴが話し掛けて来る。

『先に重要な件を伝えるべきでした。・・・エディ、ディアナ嬢が乗ったように見せかけ、馬車を王城へ向かわせて下さい。直ぐに戻るから荷物はそのままでいいと、いつもの笑顔で伝えて下さいね』

「わかりました。では」

大きく息を吸い、そして思いきり吐き出したエディは踵を返して城内へと向かった。

 

 

「さて、殿下。ディアナ嬢は明らかに魔法導師により攫われました。オーラント国の王女は宰相に任せることにして、殿下はどうされますか? 王に会って、直ぐにアラントルへ?」 

鳥伝での通信を終えたローヴが滔々と問うてくる。

ギルバードは激しい怒りに目の前が揺らぎ見え、握り締めた拳の震えが止まらない。見える世界の全てが紅く歪んでいる。 何度目だ? 何度、ディアナは攫われた? また、―――自分が原因か。 

顔を覆っても歪んだ世界は消えない。深い場所から何かが這い上がって来るようで、憤りに吐気と耳鳴りがして、震える指先が額に爪を立てる。今にも走り出しそうな足を抑え込むのが難しい。

どうしてディアナばかりが狙われる。久し振りに実家に戻り、両親と穏やかに過ごして欲しいと願っているのに、どうして!

答えの出ない苛立ちに立ち上がった時、荒い息でレオンが戻り、王宮執務室で王が会うと報告する。

 

「王に話した後、直ぐにアラントルに向かう。・・・レオン、馬を用意するよう指示を出せ」 

「殿下は王城でカイトからの報告を待つのは難しいようですねぇ。ではレオン、これを渡しておきますので、何かあった時には遠慮なく御使用下さい。私とも、殿下とも話が出来ます」

ローヴから渡されたリングを指に嵌め、レオンは部屋を出た。廊下に立つ近衛兵にギルバードと自分の馬を騎士団専用門へ急ぎ用意するよう伝え、最低限の荷物を用意するために走り出す。

レオンを見送ったローヴが、ギルバードに向き直る。王の許へ駆け込む前に、少しでも苛立ちを抑えようと苦しげに息を吐くギルバードを見つめ、静かに袖から杖を取り出した。

 

「・・・・殿下、幾度もディアナ嬢を攫われ、傷を負わせ、御心痛とは存じますが、怒りに己を囚われたまま駆け出しては悪しき結果しか生みません。難しいとは思いますが、今一番必要なのは冷静さです。皆、殿下とディアナ嬢のために動いております。それをお忘れなく」 

穏やかな、それでいて低く力強い声に、ギルバードは顔を上げて拳から力を抜いた。

まだ指先は震えている。それでも幾度か息を吐き、頷くことが出来た。確かに今すべきことは怒りに身を任せるのではなく、冷静に状況を把握することだ。 

「・・・気を遣わせて悪かった」 

「ディアナ嬢が攫われと聞き、殿下に落ち着けというのは不可能でしょう。・・・エディの目の前で消えたというなら、話していた懸念通り、王女とディアナ嬢の交換要求をするつもりでしょうかねぇ」 

「たぶん、そうだろう。・・・それ以外、今は思い付かない」

 

しかしビクトリア王女とディアナを交換したいと、何処に訴える気なのか。こちら側にも魔法導師がいることを相手だって承知のはずだ。エルドイド城には強固な結界があり、近隣国随一の力を持つローヴもいる。相手は三人と聞くが、たった三人で一国に刃向う気なのだろうか。 

リグニス城にも同じようにローヴが結界を施していた。魔法導師が立ち入ることも、何か術を仕掛けることも出来ないように。だからこそ虎視眈々とチャンスを窺っていたのだろう。そしてディアナが城の外に出るきっかけを作り、そして攫った。

そうまでしてビクトリア王女を取り戻したいのか。あれを? あの螺子のぶっ飛んだ肉の塊を? 

 

「・・・ローヴ、王に出立の許可を貰ったら、まずは幽閉している魔法導師たちに話しを聞きたい。どうして王女の意向にそうまでして従うのか、何か裏や意味があるのかを知りたい」 

「結構ですよ、殿下。落ち着かれた御様子で何より。周囲に意識を向けるのは良いことです。前ばかり見るのではなく、周囲や背後もしっかりと見定めることが必要です。ではレオンの戻りを待ちましょうか。また置いて行くと、後が大変ですからねぇ」 

それもそうだと、ローヴが差し出すカップを受け取った。

しばらくしてレオンが戻り、馬の用意が出来たと報告するのを聞き、先に幽閉されている魔法導師らに話しを聞くと伝える。頷いたレオンは近衛兵に、馬にたっぷり飼葉を与えておくよう指示を出した。

 

王の許へ向かうと、額に手を宛がい大げさなほど落胆する態度を見せつけられる。

「さっさとディアナ嬢を取り戻し、リグニス侯爵に結婚の許可を貰い、盛大な挙式をして内外に知らしめろ。エルドイド国の王太子妃はディアナ・リグニス嬢だと。・・・・それと、次の舞踏会でディアナ嬢と踊る権利を没収する。お前は今までのことを深く反省し、指でも銜えて見ていろ」

「っ! い、今までのことを反省って、俺が・・・私が全て悪いと?」

「発端は間違いなく、お前だ。舞踏会への参列は許す、ディアナ嬢と話すのも許す。だがダンスは私だけだ。お前は壁の花になって、恨めしそうな顔で眺めているがいい」

王から辛辣に言い放たれ、ギルバードは悄然として項垂れた。

背後でローヴとレオンが肩を揺らしている。

「しかし王よ。殿下が猪突猛進にアラントルに向かわず、まずは幽閉されているバールベイジ国の魔法導師の話を聞きに行こうとするのは、多少成長したと褒めてもいいのではないですか? あまり殿下を苛めますと、アネットとの昔話しを御教えしますよ。宜しいですか?」

ローヴが笑いながら口を挟むと、途端に王の顔が顰められた。

ギルバードが何だと顔を上げると、王が面白くなさそうに片手を振って、「一曲なら許す」と呟く。その言葉に思わず笑みが浮かび、王に深々と頭を下げて礼を言った。

「その代わり、残った面倒事を人に任せる分、休む間もなく働かせてやるから、今から覚悟しておけ」

「・・・御意」

眉を寄せながら、それでもギルバードは安堵の息を漏らした。

 

 

  

 

 

 

 

 

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