紅王子と侍女姫  91

 

 

漁に差し障りのないという小型の船を、無事に借り受けることが出来た。

ギルバードは猫に変化しているカイトに馬は王宮に向かわせるよう小声で指示を出す。レオンが手紙を認め馬の鞍に差し込み、走り出した馬達を見送りながら船に乗り込み、漁師たちに仕事を中断させた侘びと礼を伝える。無事に全てが終わったら直ぐに船を返しに来ると、借り賃を支払いに来ると伝えると、漁師たちに「いや、そんな」と手を振られた。

「そんなことより殿下、ただ無事にお戻り下さいませ!」

「そうですとも、殿下の御顔を拝することが出来ただけで、わしらは充分で御座いますから」

「あとは御無事に、そして攫われた御方を必ず取り戻して下さい!」

強く頷くと、漁師たちはいっせいに船を押し出し、そして港から手を振って見送ってくれた。

 

しばらくの間、漁師たちにエディが笑顔で両手を振り返していたが、流石に手が疲れたと持っていたカバンを置くと、もそりと出て来たカイトが猫の姿のままで船上を歩き回り始める。しばらくは猫の姿のままでいたが、船が港から遠く離れると変化を解いて導師の姿に戻った。袖から杖を取り出し、船の舳先に宛がい呪文を唱え始めると、船の向きがゆるりと変わる。

「ふむ、海上で目晦ましの魔法を使ったようです。速度を出すためでしょうか」

「じゃあ、ここからは、その痕跡を追えるってこと?」

「正直、・・・どこまで追えるかまでは」

エディが身を乗り出して尋ねると、カイトは困った顔を浮かべた。

向かった先は検討を付けたが、そこから先はわからない。着いた港が特定出来なければ、広範囲での捜索となる。もう既に日数が経過しているからこそ、慎重にならざるを得ない。

何しろ相手は他国の魔法導師で、攫われているのは愛しいディアナなのだから。

「目晦ましの術は周囲から見えないようにするものですから、すでに姿が見えない以上、追うのは難しいのです。しかもローヴ殿が馬車に施した目晦ましの術を見破り攫うような輩がかけた術。一人ではなく、複数が同時に詠唱して術をかけた場合、追跡はより困難を極めます」

「術の内容はどうでもいい。それよりもカリュス国に降り立つのに無許可というのは不味い。カイト、急ぎこの場からローヴと話せるか?」

 

他国に入国する際、本来ならば王か宰相の認証印の入った許可証書、あるいは相手国からの認可状が必要となる。他国を渡り歩く商人などは命より大事にする証書だ。だが、緊急時は魔法導師長の出番となる。滅多にないことだが天災や戦などで急を要する場合、魔法導師長が越境許可を貰えるよう、相手国の魔法導師長あるいは国王へ伝令を飛ばすことが出来る。

昔習ったことを、よく覚えていたと自分を褒めたいくらいだ。

カイトが水晶を取り出し、ローヴへ見えない回線を繋ぐ。国内では指輪で事足りるが、今現在ローヴはバールベイジ国を調査中のはず。他国にいる魔法導師と話すのに指輪だけでの心話では弱過ぎるため、増幅器となる品が必要になる。繋ぎ終えたのかカイトが頷くのが見え、ギルバードは指輪に話し掛けた。

「ローヴ、聞こえるか? ディアナがカリュス国内に連れ去られた可能性が高く、今そちらに向かっている最中で、急ぎ上陸許可を貰いたい。ローヴからカリュス国の魔法導師長に連絡を入れてくれないか」

『・・・・・』

「ローヴ? 俺の声が届いているか? カイト、声が届かない!」

カイトが眉を寄せて杖を持ち上げると、急に楽しげな笑い声が聞こえて来た。

『殿下、大丈夫です。聞こえておりますよ。いやいや、殿下が昔御教えしたことを覚えていて下さったことに深く感銘し、殿下の教育係りとして感動の余りむせび泣いておったところです』

「・・・こっちはそんな暇じゃない。・・・頼むぞ」

楽しげな笑い声に苛立ちを感じる。

口を尖らせながら船先に視線を投じた時、カイトが肩を掴み鋭い声を発した。

「殿下っ、いま・・・魔法の波動が」

「カリュス国からか? それはディアナを攫った奴らが使った魔法なのか?」

「いえ、そこまでは・・・」

舌打ちして前を見据えるが、何処までも続く海原しか見えない。

レオンとエディが「港からずい分離れましたよ」と形ばかり舵を握りながら告げる。

港に人が立っているのが朧気に確認出来るだけとなったのを見計らい、カイトが袖から三角柱の黒水晶を取り出して舳先に据え置いた。同時に、ぐんっと速度が増した船上でエディが尻餅をつき、レオンが帆柱を掴みながら文句を叫んだ。

「いきなり何ですか! 速度を上げるなら上げると」

「カイトが魔法の波動を感じた! 急ぐぞ!」

ギルバードの怒声に、レオンとエディは船の縁にしがみ付き、大きく頷きを返した。

 

真っ直ぐ顔を上げていることも出来ないほどの速度の中、ギルバードとカイトだけが目を細めながら前を見つめる。バールベイジの隣に位置するカリュス国は万年雪の群峰が国の三割近くを占め、勾配地が残り半分を占める小国だ。その勾配を利用したワイン畑が有名で、あとは漁業が盛んな同盟国。その国の何処かにディアナがいる。攫われ、もしかすると怪我をしているかも知れない。考えたくはないが、もしもを想像するだけで握った拳が震えてしまう。

「そうそうカイト殿、港についたら船に目隠しすることは出来ますか? お借りした船が万が一にも盗まれ無いよう、傷付けずにお返ししたいので」

「わかりました。御任せを」

レオンの気配りにカイトが笑みを浮かべる。やがて日が傾き黄金色に染まったカリュス国の港が見えてきた。船の速度を落とし、カイトがレオンの貴族衣装を商人用のものへと着替えさせる。そしてレオンと同じような衣装に着替えたカイトがギルバートを眺め、首を傾げて問い掛けた。

「そういえば・・・今まで気にしておりませんでしたが、どうして殿下はそのような地味な御衣装なのでしょう。身分を隠して町の視察でもされていた最中なのですか?」

「それは・・・、オーラント国の王女に会う前にレオンが、その・・・」

口籠ったギルバードの肩を押さえ、レオンが瞳を輝かせて衣装の説明を始めた。

「はい、私がこの衣裳を用意させて頂きました。我が国に意気揚々と婚約者気分でいらした王女に、これ以上余計な期待を持たせぬよう、殿下には地味な衣装を着て頂いた次第です。しかし・・・王女の視線は殿下の顔だけに注がれておりましたので余り意味はありませんでした。残念なことに、いくら有能な私でも殿下の顔の造作を変えることは出来ませんので」

モテる男は大変だねとエディが笑うのを耳に、ギルバードは苦々しい思いで視線を逸らした。

ウェストコートの色合いが気に喰わないようでダラダラと文句を零すレオンを無視し、まずは馬を借りるために宿場へと急ぐことにする。港の宿場でカイトが袖からカリュス国の臨時入国許可証を取出し、人数分の馬を借りた。そしてカイトが指し示す方向に馬を駆らせながら、すっかり日が暮れて街道の家々に明かりが灯るのを目にしてギルバードは口を開いた。

「ここまで気配を隠し続けていた奴らが突然魔法を使った。・・・何か意味があるのだろうか」

「・・・確かにディアナ嬢を攫ってからは魔法を使うことなくエルドイドから離れたというのに、何か使わざるを得ないことでもあったのでしょうか」

「相手の考えなど分かりかねますが、・・・気配は薄れております」

カイトが口惜しげに眉を寄せるのを見て、ギルバードは舌打ちした。

ここで焦ってはいけないと、負の感情に飲み込まれてはならないと自身を律するが、今にも噴き出しそうな自身の魔力に視界が紅く染まり出す。何があったか想像するだけで動悸が激しさを増し、皆を置いて疾走したくなる。


港町を通り抜けると、傾き始めた日に金色の穂が僅かに揺れる畑が目の前に広がった。

作業を終えて帰路に就く農夫が土煙を上げる馬に驚いた顔を見せ、足元からは鳥が飛び立つ。緩くカーブする先に見えて来たのはぼんやりと灯りを燈す大きな教会だ。振り返るとカイトが、あれですと頷くのが見えた。教会の敷地内に入るとギルバードは駆けている馬から飛び降り、その勢いのまま教会の扉を荒々しく開け広げた。祭壇近くに人影を見つけると大きな声を張り上げ、睨みつけながら咆哮を上げる。

「その場を動くなーっ!」

「ひぃ!?」

ギルバードが息を荒げながら腰に佩いている物に手を宛がいつつ、身を竦めた人物に近付こうとする直前、背後から強く腕を引かれた。怒気を孕んだ顔で振り返った瞬間、頬に思い切りエディの鞄がぶち当たり、ギルバードはそのまま会衆席に勢いよく倒れ込む。突然何をするんだと目を剥くと、レオンが片手を額に宛がい大仰な嘆息を零す姿が見えた。

「よく見て下さい、彼は祭司様ですよ。神職の御方を脅すなど、なんと嘆かわしい」

「―――え? ・・・あ・・・ああっ、申し訳ない! ひ、人違いを・・・」

 

祭壇の香炉を片付けようとしていた祭司は、突然扉を破壊するかのような勢いで現れた人物が怒声を上げて近付いて来るのを目にして悲鳴を上げた。男の手が剣に伸びているのが見え、恐慌に身体が強張り逃げることも叶わない。このまま斬られるのかと頭が真っ白になった瞬間、男が同行者に鞄で吹っ飛ばされるのが見え、祭司は片腕で顔を隠そうとした状態で固まった。

大きな溜め息を吐き、倒れた男を叱咤する商人風の男は柔和な顔をしているように見える。そして慌てたように謝罪を繰り返す四人組を前にして、祭司は少し引き攣らせながらも笑顔を浮かべることが出来た。

「あの、・・・ど、どなたかをお探しですか?」

「そうなのです、祭司様。その前に、突然訪問した上に騒ぎを起こした無礼をお詫び申し上げます。実は込み入った事情があり詳細をお話しすることは出来ないのですが、我らは人探しでこの地を訪れました。探している人物は十六歳の可憐な少女、それも月から降りて来た女神かと見紛うプラチナブロンドの麗しき佳人。ああ、彼女を探して遥々異国より足を運んだ我らに、どうか神の思し召しを」

祭司の前に跪き、滔々と語り出したレオンは悲しげな表情を見せながら垂れ目を潤ませる。

すると燭台を手にした祭司がレオンの台詞に「プラチナブロンドですか」と目を瞬いた。そして少しお待ち下さいと言葉を残して香部屋に向かうと、包み紙を手に戻って来た。ギルバードが包み紙を受け取り広げると、そこには指先から肘近くまでの長さのプラチナブロンドの髪がひと房。

「こ、れは・・・どこに?」

驚愕の視線を向けると、司祭は今朝教会内を掃き清めている最中に見つけたと話し、その時は淡く光っているように見えたので紙に包んで保管したのだと教えてくれた。

ギルバードが急ぎ巾着袋からリボンを取り出すと、同じように淡く輝いているのが判る。

「・・・ディアナ嬢の髪で間違いないでしょう」

「殿下・・・っ」

ワナワナと震えるギルバードを落ち着かせようとしてか、エディが強く腕を掴んだ。

だがディアナの髪を目の前にして、止まりそうな鼓動と揺れる視界。

胸の裡の濁った感情が今にも噴き出しそうで、息が荒くなる。ディアナの髪は、明らかに他者によって切られたものだ。刀を向けられ、彼女はどれだけ恐ろしく思ったことだろう。

切られたのは髪だけか。もしかして、まさか――――。

「光り輝いているってことは、殿下に探して欲しいって言ってるんだよ!」

「そうですよ。ですから急ぎ次の手を考えましょう!」

「よく見て下さい。血など、どこにもないでしょう?」

「・・・・あ、ああ」

確かに血など何処にも見えない。だけど指先の感覚が乏しくなるほど震えが奔る。脳裏にちらりと浮かんだ最悪の想像に、ギルバードは全身の血の気が引くのを感じた。それでもレオンたちの声に一度強く目を瞑り、大きく息を吐き出す。ゆっくり目を開けるとレオンが肩を擦りながら「大丈夫です」と笑みを浮かべ、エディが何があったか解らずに狼狽する祭司に落ち着くよう伝えた。

「あのぉ、これはどこに?」

「こ、こちらの会衆席です。・・・昨日は隣町の教会に赴く用事があり、留守の者もいなかったので施錠して出たのですが、今朝この髪が・・・。お探しの方の髪、なのでしょうか?」

「ええ、たぶん。―――この髪を頂けますか?」

レオンがお願いすると、司祭はギルバードの手の内にあるリボンと紙に包んだ髪の束を見比べ、快く頷いてくれる。髪と同じように淡い光を放つリボンと、焦燥感に眉を寄せるギルバードの様子に何か事情があるのだろうと考えただろう。しかし司祭は何も問わず、胸前で十字を切ってくれた。

 

教会を出るとカイトがディアナの髪を二、三本摘まみ取り、袖から出した紙に挟んで何やら畳み始める。皆で見守る中、それは形を変えて鳥となり、カイトの手の平の上で羽ばたき始めた。

「今日、船上で感じた魔法でディアナ嬢の髪を切った訳ではない様子。しかし魔法の波動はこの地で感じられました。髪とリボンが淡く光を放っているなら、そう遠い場所に移動した訳ではなさそうです」

「それで、この鳥に追わせると?」

上手くいけば、と前置きしたカイトが紙製の鳥に呪文を掛けて空に飛ばせた。

髪の主であるディアナの許へ誘うよう呪文を掛けた鳥は白く光りながら空に舞い上がる。

ディアナの綺麗な髪を切ったことに憤りはあるが、これで追うことが出来るねとエディが安堵の表情を見せると、カイトが眉を寄せた。

追うことは出来るが、追跡していることを相手にも知られてしまうと可能性があるのだと。

相手は魔法導師三人。今までは出来るだけ魔法を使わずにカリュス国まで移動している彼らが、追跡されていることに気付いた時、追うことが困難になるだけでなくディアナに危害を加える場合がある。いや、もう加えられている。彼女の柔らかな月光色の髪が無残なまでに切り落とされたのだ。何故、髪が切り落とされ、残されたのか。意味はあるのか。どれだけ怖かったことか。

ギルバードが奥歯を噛み締めると咥内に鉄の味が広がった。

 

 

 

***

 

 


「落ち着け! ・・・ここで魔法を使うな」

「っ! ・・・あ、ああ・・・、悪かった」

杖を振り上げた男の手が、背後から現れた男の手に掴まれた。

仲間だろうか、三十代後半と見られる黒髪の男が眉を顰めて杖を振り上げた男を制する。その背後には赤銅色の髪を項でまとめている男が立っていた。三人とも町の商人のような恰好をしていて、張り詰めた緊張感を滲ませている。

「み、皆様はビクトリア王女様に仕える魔法導師の方々、でしょうか」

「・・・・」

返答はないが否定もされず、ディアナは先ほど杖を振り上げた男に話しことを身を乗り出して繰り返した。ビクトリア王女の王子への気持ちを、行動ではなく話し合いで伝えるべきだと。

一国の王女からの申し出だ、エルドイド国も正式に話し合いの場を設けて真摯に耳を傾けることだろう。その結果、王子が王女の気持ちを受け入れることになり、妃の件は無かったことにして欲しいと言われたら、魔法が解けた今、一領主の娘として王城を去ることになるだけだ。

でも王子はそうはなさらないと信じている。国の未来を鑑みて王子が決めたことなら、自分はどんなことでも受け入れることが出来る。ディアナは強く目を瞑り、自分が信じる王子の笑顔を脳裏に浮かばせた。

「ギルバード殿下はお優しい御方です。このようなことをされるより、まずは互いの忌憚無き意見を交わし合うべきです。その方がきっと互いのためにもなりましょう」

「しかしギルバード殿下はお前を東宮に住まわせ、舞踏会用のドレスを仕立て、王宮御用達の宝飾屋を招いたと聞く。妃候補の筆頭に挙がっているのは間違いないのだろう?」

「エルドイド国王の生誕を祝う舞踏会で公布するつもりなのではないか?」

「い、いえ! それは・・・あの、まだ・・・」

ディアナは何処まで知られているのだろうと困惑してした。そして殿下が王宮御用達の宝飾屋を招いたと聞いて一気に蒼褪め、前の舞踏会で高価な宝飾を贈られたことを思い出して目が潤み出す。

ディアナが口籠ると、男たちがざわめき始めた。

「まだ、ということは、やはりお前が妃候補に挙がっているのは間違いないのか」

「エルドイド国王も御承知か? もう決定したことなのか?」

「いえっ、し、しておりません」

急ぎ否定するが、男達は顔を寄せ合い眉を顰める。

「娘の里帰り用馬車に目晦ましの術を仕掛けていたんだ。この娘が殿下にとって大事なのは、それだけで証明されよう。それに娘救出のために殿下自らがアラントル領に足を運び、魔法導師長であるローヴまで来た。やはり最初に決めた通りに事を運ぶしかあるまい」

「では・・・」

目を瞠るディアナの前で、黒髪の男が腰から短剣を出した。

赤銅色の髪をした男がディアナの頭を押さえ、「怪我をしたくなくば動くな」と低い声を落とす。

髪を掴み引かれたことに怯えながら、ディアナは胸の裡でギルバードの名前を叫んだ。命までは奪われないと思っていても、短剣の輝きに息が止まりそうになる。

動かずに強く目を瞑るディアナの髪が後ろに引かれ、ザリザリと挽かれるような音が耳元で響く。髪を掴んでいた手が離れると同時に、大きく息を吐き出した。そっと目を開き視線を向けると肩口で揺れる短くなった髪が見えて、ディアナは息が止まりそうになる。

身体を傷付けられた訳じゃない、無事に王子の許に戻ることが第一で、これくらい大丈夫だと思いたいのに、鼻の奥が熱くなり視界に映る髪がぼやけて見えてきた。まさか自分がこれくらいで泣きそうになるなど驚きで、そう思うことが余計に視界を潤ませる。

 

「必要な薬草はあと一種類。やはり・・・バールベイジに戻らなければ」

「ここまで極力魔法を使わずに来たが、アラントルの城で護衛騎士に見られている。急がねば追って来るのも時間の問題だろう。移動には魔法を使うか?」

「いや、バールベイジにはエルドイドの魔法導師がいるだろう。ギリギリまで気付かれたくはない」

「いまのところ王宮騎士団が動いている気配はない。追って来るとしたら殿下直属の部下か、瑠璃宮の魔法導師。先の件で動いていたローヴが出て来る可能性もある」

「くっ・・・」

男達が言葉を切り、重苦しい沈黙が広がった。ローヴの名に思わず顔が上がってしまう。

黒髪の男が唇を引き結び、ディアナから顔を逸らしながら切った髪を持ち上げた。

「まずは、この娘の髪を餌にして術をいくつか仕掛ける。いくらローヴ相手とはいえ、あと二日くらいは行方を眩ませよう」

切り取られた髪の一部が会衆席に置かれた。

何をするのだろうと男たちを見上げると、強張った表情で見返された。男たちの表情を目にして、もう何を言っても無駄なのだろうかと眉が寄る。それでもディアナは口を開いた。

「あ、あのっ! ・・・で、殿下と話し合うことは出来ませんか? 魔法導師の皆様がこのようなことをされるのはいけません。皆様が退けない理由を知れば、きっと殿下は協力を」

「お前には、・・・本当に悪いことをしたと思う。後でいくら恨んでもいい」

「だが、こちらも急ぐ必要があるんだ」

男が取り出した布が目を覆い、口を封じられる。腕を持ち上げられ立たされたディアナは、また移動すると耳にして、無力な自分を口惜しく思った。

 

大きな布袋に入れられ、藁を敷いた荷馬車に転がされる。その上から隠すように藁を乗せられ、動くなと強く告げられた。荒目の布袋に入り込んだ藁がチクチク刺さり、だけど手足を縛られた状態では身を捩って痒みに耐えるしかない。ゴトゴトと揺れる荷馬車で運ばれながら、今のディアナが出来ることは考えることだけだった。

何度も耳にした男たちの言葉。

悪いことをした、すまない、―――掠れた声で、赦せとも言われた。

それは自分を攫ったことに対する言葉だろうか。悪いことをしていると自覚しているのに、どうしてと思ってしまう。彼らの表情は苦しんでいるようにも、辛そうにも見える。小屋で王女に付き従っていた騎士然とした魔法導師たちとは違うように見え、だからこそ王子と話し合って欲しいと何度も訴えた。

だけど彼らは話しを聞いてくれない。どうしたらいいんだろうと一生懸命考えようとするが、不規則に揺れながら進む荷馬車の上では考えをまとめることが出来ない。

何かを作ると、そのための薬草を用意すると言っていた。小屋で飲ませようとした、あの記憶を失うという薬を作るつもりなのだろうか。それを飲んだら、本当に記憶を失うのだろうか。王子のそばに居る私を排し、それで王女は満足なのだろうか。

それは違うと訴えたくても、縛られ布袋の中にいる状態では、まさに手も口も出しようがない。考えは堂々巡りで同じ場所に戻るばかり。出来ることといえば、助けが来るまで飲ませようとしている薬を拒否しながら体力を温存すること。そして王子を信じることだけだ。それならいくらでも信じることが出来るとディアナは笑みを作ろうとして、猿轡に阻まれる。

今の自分は手足を拘束され、猿轡と目隠し、更に布袋に入れられ藁を乗せている馬車の上。上手く縄が解けても直ぐに動くのは難しいだろう。いざという時、王子の邪魔にならないようにするにはどうしたらいいのか。思わず零れた嘆息さえ猿轡に阻まれ、ディアナは眉を寄せるしかない。


 

 

 

 

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