紅王子と侍女姫  95

 

 

ローヴが合流したため、カイトはエディと共にエルドイドへ先に戻ることになった。バールベイジの港で借りた馬の返却と、漁船を返却して借り賃の支払いを済ませて来るという。そんなことはすっかり忘れていたと頭を掻くギルバードをカイトは胡乱な視線で一瞥し、エディと共に姿を消した。まだ笑いを燻らせていたローヴがディアナを寝台へと誘い、いつもの柔和な顔を見せる。

 

「ギルバード殿下にお尋ねしたいことは多々御座いますが、まずはディアナ嬢を診察致しましょう。どうぞ、こちらに腰掛けて下さい。おや、また手に傷を負われたようですが、他に痛む場所はありますか? 吐いていませんか? 気分が悪いなど御座いますか?」

「い、いえ。手は少し痛いだけで、他は大丈夫・・・です」

「それは良かったです。ああ、診察と言っても気を楽にして下さいね。それと、飲まされたものの中身は早々に調べて解毒剤を作りますから、御安心下さいませ」

「あ、ありがとう御座います、ローヴ様」

 

ディアナはローヴの笑みに安堵して寝台に腰掛けた。落ち着いて来ると気になるのは掛布に包まれた状態のまま、床上で転がる王女配下の魔法導師達だ。そろりと視線を向けると昏倒したままの彼らはピクリとも動かない。きっとローヴが拘束を解くまで目覚めることは無いのだろう。

ローヴが診察を始めたので、ギルバードはレオンと共に周囲を探索することにして外に出た。カイト達が見つけた野草園に案内してもらう途中、ギルバードは知らず項垂れながら溜め息を吐く。

 

「なあ、レオン。もし、・・・もしも解毒剤が効かず、ディアナの目に、俺の姿が化け物に見え続けるとしたら、俺はどうしたらいいんだ。本心では恐怖に怯えながら、それでも笑みを浮かべて俺に大丈夫だと言うディアナを見るのは辛すぎるぞ・・・」

「大丈夫ですよ、殿下。瑠璃宮の魔法導師は優秀ですから」

愁眉を寄せたギルバードの背を、レオンは慰めるように叩き笑みを浮かべた。その笑みに慰められながらギルバードが背を正してレオンに向き直ると、我が国の魔法導師は世界一ですからねと、頷いてくれる。ぎこちないながらも笑みを返すと、レオンはもう一度大きく頷いてくれた。

ギルバードが『もしも』と悩むのは、捕らえた魔法導師から聞かされた言葉が胸に熾火のように燻っているからだ。強く慕う者の姿が醜い悪鬼に見える。側にいて欲しいと願う相手の姿が、恐ろしい化け物として映る。そんな作用の飲み物を研究開発したなど信じられない。

だがディアナは振り向いて俺を見た瞬間、蒼白となって後退り、激しい恐怖に襲われて泣き叫んでいた。恐ろしい化け物の正体がギルバードだと理解した今は笑みを見せてくれるが、本心ではどう思っているのか判らず、胸に巣食う不安は拭えないままだ。 

 

『殿下が近付くたびに娘は恐怖に怯え続け、やがて闇に捕らわれます。周囲のもの全てが化け物に見え、身の置き所を失い、やがて精神が崩壊します直ぐに解毒しないと、時間の経過と共に廃人になりましょう』 

 

では早く解毒薬を作り、元のディアナに戻すだけだ。と・・・思いたいが、切迫した表情で王女と婚姻を結んでくれと訴え続ける魔法導師を思い出せば、それだけでは終わらないような気がする。あの王女との婚姻など天地がひっくり返っても有り得ないが、ディアナが言うように、奴らの訴えを一度訊くべきかも知れない。魔法導師としての矜持を穢す覚悟で王女に従う彼らの、その真意が何かを知るために。

奴らはバールベイジでローヴを足止めしていたと言っていた。

王女は民を追い出してまで薬草を育てていた。

そこまでしてギルバードを欲する王女の執念は恐ろしいが、その王女に従う魔法導師も異様だ。

過去の一件で魔法を使うつもりなどなかったギルバードだが、魔法に関して最低限の知識は持つべきだとローヴから修得した。カイトが憤っていたように、魔法導師には自然を歪ませないという不文律があり、それを冒し続けると魔法導師としての根源が歪み崩れ、やがて魔法力を失することになると学んでいる。自然には天候や人の感情、生き死にも含まれ、それを魔法で左右することは基本禁忌であり、魔法を駆使する者の矜持を穢すのと同じだと。

長生する術を用い自然に寄り添い、他者とは違う流れに身を置きながら自己探求の旅を続ける魔法導師。

しかし今回捕らえたバールベイジの魔法導師の三人は己の家族と共に生きる道を選んでいた。魔法導師として探求を続けながらも、人としての生を全うしようとしてた。

その彼らが、何故魔法導師の矜持を曲げてまで王女の命に従うのか。

以前、過ぎった考えが浮かぶ。やはり彼らは王女に家族を質にされて脅されているのではないかと。大切な家族を王女の手から守るためにディアナを襲い、未来の妃になる存在だと確信したから、王女の願いを叶えるためにディアナに薬を盛ったのではないだろうか。

生涯修復不可能であろう性格を持つ王女のことだ。自分の願いを叶えるためなら、どんな惨いことでも平気で実行させるだろう。エディ達を人質にして、ディアナに毒を飲ませようとしたように。

 

「レオン・・・。ディアナは化け物が俺だと判ったから、もう怖くないと言っていたが・・・飲んだ薬の作用で、時間の経過と共に精神が崩壊し、やがて廃人になると魔法導師の一人が言っていた」

「なあっ!? な、何故それを直ぐに教えて下さらなかったのですか!」

驚愕の態で振り向いたレオンが目を剥く。

カイトやローヴにそのことを直ぐに伝えなかったのは、久し振りに見たディアナの笑みを前に、すっかり忘れていたからだ。怯え泣いていたディアナと和解し、柔らかな身体を腕に抱き、奴らの言葉など頭からきれいさっぱりと抜けて落ちていたから。

「それは・・・ディアナが」

「ああ・・・。まあ、確かにディアナ嬢の前では言い難いこと、ですね」

ディアナが可愛過ぎるからだと言おうとしたギルバードは、レオンの呟きに同調して頷いてみせた。 

 

レオンに案内された薬草園を前にギルバードの眉が盛大に顰められる。薬草園は広大な畑を潰して作られたのだろう。近くにはまだ穂にならない状態で積み重なり、無残に放置されている麦の山があった。放置されたまま枯れ腐る麦の穂を見ると、他国のことながら苛立ちが募る。追い出された領民は何処にいったのか。新たな土地でどのような生活を送っているのか。寒さに強い麦の研究結果が、民に反映されていないことに憤りを感じる。

 

「薬草園に気付いたカイト殿は嬌声を上げて薬草を調べ始め、思わぬ足止めを喰らってしまいました。子供のように目を輝かせて夢中になっているカイト殿はとても微笑ましく、可愛らしかったですよ」

カイトは三十代前半くらいの外見だが、魔法導師の殆どの者が自分の親より年長であるとレオンは知っている。さらに、魔法導師が日々探究や研究に没頭していることを知っているから、ギルバードの許へ急げとは言い難かったのだろう。

「確かに、これだけの規模の薬草園だ。カイトでなくとも魔法導師はみんな目の色を変えて調べ出すだろうな。瑠璃宮にある薬草園や温室よりも広いな」 

「領民を追い出して多種多様の薬草を育てる。民が汗水垂らして植えた穂を放置させ、領地から追い出して薬草園を作る。それも他では見ない、珍しく貴重なものばかり。それは全て愛しい愛しいギルバード殿下のため。殿下と婚姻を結ぶため、王女は権力を駆使して邪魔な障害を取り除こうとされた」

「その障害と言うのが・・・・ディアナか」 

レオンの発言にギルバードの口端は思い切り下がり、顎に皺が寄る。

その動機が何であろうと、ビクトリア王女が自分の立場と魔法導師を有効に使い、素晴らしい結果を出したのは認めざるを得ない。肥沃な土地が大半を占めるエルドイドでも、寒さに強い作物を研究開発したと聞けば、その研究結果を見たい、知りたい、手に入れたいと望む。

ただ、それは自分の婚姻と引き換えにするほどではない。たとえ婚姻が国命であろうとも断固拒否する。荒い息を吐き、湯気が立つほど汗ばんだ王女の顔を思い出すとギルバードの全身に悪寒が奔る。 

「・・・ここで研究開発された薬草を煎じ、ディアナの目をおかしくさせたのか」 

「どうせなら王女がお使いになられ、殿下を化け物と認識されたら良いですのに」 

「―――! レオン、それはいい考えだ! さすが俺の侍従長、頭がいい!」

ギルバードはすぐに手を持ち上げ、レオンの台詞をローヴに伝える。

指輪の向こうからローヴの大笑いが聞こえ、「素晴らしい! 直ぐにカイトに伝えましょう」と言ってくれた。ディアナが飲まされたものを王女に飲ませることが出来たら、婚姻申し込みは立ち消えるだろう。ディアナが狙われることも無くなる。

心から尊敬するぞとレオンに向き直り伝えると、垂れ目を一層垂れて笑みを返してくれた。

 

「あとは解毒剤と、ディアナの髪の長さか・・・。舞踏会までにどうにかなるかな」 

「殿下、それは無謀です、性急です、非道です。ディアナ嬢は間をおかずに攫われた挙句、髪を切られ、化け物に襲撃されたばかりですよ? 女性心理を習得しろと言ったのに、何をしていたんですか。少しはディアナ嬢の心情を思い遣って下さい。しばらくは穏やかに過ごせるよう、花でも愛でながら菓子を作ったり、掃除をしたり、ディアナ嬢が心から御喜びになる環境を整えるべきです」 

「そ、そうか。そう・・・だな、わかった。舞踏会の件は撤回する。だが、ディアナの立場は明確にするからな。ディアナが落ち着くまでは名も顔も出さなくていい。ただ俺の妃は決まったと国内外に公布し、現状警護のほか、これからは魔法導師の警護も就ける。万が一何かあった時、直ぐに魔法導師が駆けつけ守れるよう、魔道具の指輪を渡すつもりだ」 

「以前、カリーナ殿が愚痴って・・・いえ、申しておりました。殿下はディアナ嬢に、部屋付きの侍女を配することもせず魔道具も渡さずにいたと。それなのに、まだ渡していなかったとは、ガッカリですよ。これがカリーナ殿に知られたら、さてどうなることやら。魔道具を早々に渡していたら、ディアナ嬢が攫われる事態を防げたでしょうに」 

「う、・・・ぐっ」 

そういえば渡すつもりでいたはずなのに、すっかり忘れていた事実にギルバードは悄然としてしまう。

膝から崩れ落ちそうになり、近くの木にしがみ付く。レオンの言うことは一々その通りだ。ディアナが攫われたのは、間違いなく自分に一因がある。

ハクハクと口を開閉していると、レオンが肩を叩いてきた。 

「まずはディアナ嬢が口にされた飲み物の作用を早くローヴ殿に報告しなくては。殿下、指輪でこれから戻るとローヴ殿に伝えて下さい。ほら、さっさと手を持ち上げて」

顔色を失くしたギルバードに、侍従長であるレオンの視線は至極冷淡だ。

それも全て自分が不甲斐無いからだと項垂れたギルバードは、従順に手を持ち上げた。

 

 

 

 

ちょうど診察が終わったとローヴから報告があり、ギルバードとレオンは足早に戻る。出来るだけ早く解毒剤を作り、それをディアナに飲ませたい。そして王城に戻り、ゆっくりと休ませてやりたい。 

「ディアナ、腹は減っているか? もし減ってるなら王城に戻ってから、すぐに―――」 

レオンに、ディアナが心穏やかに過ごせるよう気遣ってやれと言われたばかり。

やっと逢えた、嬉しいぞと彼女を抱き締めるより、心身を休ませる方を優先すべきだ。今はまだぎこちない笑みを浮かべ、ギルバードは柔らかく問い掛けた。

 

「――・・・ゃああああっ!」 

しかしギルバードが笑顔で部屋に足を踏み入れ声を掛けた途端、ディアナは顔色を変え、弾けるように寝台から立ち上がった。ディアナの鋭い悲鳴はギルバードの胸を突き、逃げる姿は足の動きを止める。

寝台から立ち上がったディアナが壁に背を当て、眉を顰めて唇を戦慄かす。その変わりように、ギルバードは愕然とした。後頭部を殴られたような衝撃に声も出ない。ディアナは縋るものを見つけたとばかりにローヴの背に隠れ、ギルバードから姿を隠した。

何故、ディアナは叫ぶ? 何故、俺の前から姿を隠す? その光景は、この部屋でディアナを見つけ、安堵する間もなくギルバードを凍らせた場面を再現するかのようだった。 

「いやああっ、いやっ! あ、ああっ! 来ないでぇ!」 

「ディアナ嬢!? どうされたのですか!」 

「・・・殿下、一度・・・外へ出て下さい」 

背に縋り泣き叫ぶディアナを肩越しに見下ろしたローヴが、ギルバードに指示を出す。胸が押し潰れたかのように声が出ない。それでも重い足を引き摺りながら部屋の外へと向かわせた。

ローヴの指示に従った訳じゃない。ディアナがひどく怯えるからだ。

ギルバードを見て恐慌状態に陥り、全身で拒否する姿を―――――見るのが、辛かったから。 

怯える視線さえ合わせてくれず、来ないでと叫ばれることが胸を切り裂かれるほど辛い。

目に見えるのが化け物でも本体がギルバードなら大丈夫です怖くありませんと、真っ直ぐに見上げ、手を差し出してくれたディアナが、その手で顔を覆い隠し、再び『来るな』と泣き叫ぶ。 

「嘘だ、・・・そんな・・・」 

薬の作用で、ディアナの精神は時間の経過と共に崩壊する。

やっと探し出し、この手に抱き締めることが出来たのに。

―――――奴らの言は本当だったのか。もちろん信じなかったわけではない。王女配下が用意した媚薬は慎ましやかなディアナを驚くほど淫らに変貌させ翻弄した。ギルバードの膝に跨り、縋るようにキスをして腰を揺らすのをこの目で見ている。

だが、もう大丈夫だと信じたかった。この手に戻って来たディアナと王城に戻り、二人で歩む未来を笑顔で語り合うのだと信じていた。それなのに今の自分は何処にいる。ディアナの目を避けるように部屋を出て、彼女の泣き叫ぶ声を耳に、廊下で茫然と佇んでいるではないか。 

 

まだ恐怖が去っていないのだろう、扉の向こうから怯えるディアナを慰めようと語り続けるレオンの声が漏れ聞こえて来る。ディアナのすすり泣く声がギルバードの胸を抉り、膝を震わせた。

やがて、もう大丈夫です、騒いで申し訳ありませんとディアナが謝る声が聞こえた時、ギルバードは外へと飛び出した。

落ち着いたディアナは目にした化け物が、実はギルバードだとレオンから説明を受けるだろう。困惑しながら扉を開けようとする彼女が脳裏に浮かび、急ぎ場を離れようと足を急かせる。 

俺を目にするたび、時間の経過と共に、ディアナの精神が崩壊する。

解毒剤を飲むまで同じことは何度も起るのだ。そのたびにディアナは目の前の恐怖に泣き叫び、化け物の正体がギルバードと知らされる。まさかと戸惑いながら強張った顔でディアナは微笑み、そして・・・・いつか何もわからない状態になるというのか。 

それなら少しでも距離を置くしかないだろう。解毒剤が出来るまで、飲まされたものの効果が完全に消えるまで、ディアナが俺を見て叫ばなくなるまで、本当に大丈夫だと確信出来るまで。 

それがいつになるか判らないのが怖い。

カイトが瑠璃宮に戻りディアナが飲んだ薬の解析を終えて解毒剤を作るのが先か、捕らえた魔法導師らに作らせるのが早いか。見たこともない薬草があったとローヴが呟いていた。その珍しい薬草を用いて作ったとしたら、捕らえた魔法導師に解毒剤を作らせた方が早いかも知れない。いや、まともに作るとは思えない。彼らは王女の願いを叶えようと必死だった。

ディアナの悲鳴が未だ耳に残るギルバードは大きく首を振り、遠くまで来たことを確認して指輪を嵌めた手を持ち上げる。ローヴに捕えた魔法導師に言われたことを説明し、先に王城に戻ることを伝えた。

 

「俺が部屋に戻ればディアナはまた叫ぶかもしれない。レオンから説明を受け、化け物が俺だと理解しても恐怖は残っているだろう。もう・・・ディアナが俺を見て怯える姿を見るのが辛いんだ。大丈夫だと、叫んで申し訳ないと俺に詫びる姿も、泣きそうな顔で笑う姿も見たくない。・・・何ひとつ悪いことなどしてないのに、謝るディアナを見たくない。だから・・・今しばらくは姿を見せずにいる」 

「そう・・・、ですね。そうされた方が宜しいでしょうね。ディアナ嬢が気持ちを押し殺す必要も、心を病むこともあってはなりません。ディアナ嬢はすぐに瑠璃宮にお連れ致します。瑠璃宮に一室を用意し、カリーナを付き添わせ、解毒剤が完成するまでは御ゆるりと御休み頂きましょう」 

「頼む、ローヴ。レオンにもその旨伝えてくれ」 

「ですが国王陛下への報告は、殿下御自身からされた方がいいでしょう。舞踏会は陛下の体調が崩れたためと、ひと月順延されることが決定したそうですよ。それも殿下とディアナ嬢を気遣ってのこと。しっかりと御報告し、謝罪申し上げた方が宜しいでしょう。それと・・・置物状態の王女の件も、お忘れなく」 

「報告の件は・・・そうだな、俺から直接話した方がいいな。急ぎ戻りたいから、悪いが『道』を作って欲しい。あとはアレか・・・。アレは存在ごと消し去りたい。いっそのこと魔法で焼却してやろうか」 

ディアナを落ち着かせ終えたのか、指輪からレオンの声が聞こえて来た。

「国王様に、アイスバインをプレゼントですか」と苦笑まじりに言うから、ギルバードは盛大に眉を寄せて顔を顰めた。そんなものを贈ったら、逆にギルバードが塩漬けにされること間違いなしだ。

 

 

ディアナをレオンに任せ、集落から少し離れた場所に移動したギルバードはローヴの到着を待って『道』を繋いでもらった。ディアナはローヴが用意したお茶を飲み、泣き過ぎた顔を俯かせて寝台で横になっているという。レオンからの報告では、ギルバードの姿は黒い獣ではなく赤黒い溶岩を吐き出しながら近付いて来る化け物に見えたそうだ。そして化け物の正体がギルバードだと説明を重ねても、理解するには時間が掛かった。二度目でこれなのだ。それが三度、四度と続けば、説明されても理解出来なくなるだろう。その前に恐慌状態から帰って来れなくなるかもしれない。

自分ではどうすることも出来ない現状に胸は痞え、しかし直ぐに晴らすことは出来ない。 

 

「ディアナ嬢が落ち着きましたら同じように『道』を使い、そのまま瑠璃宮に滞在して頂きます。殿下は報告された後、国王より痛烈な言葉を賜ると覚悟なさって下さい。カリーナも辛辣な言葉を叩き付けるでしょう。それらは殿下とディアナ嬢を慮ってのこと。ですから殊勝に受け取らねばなりませんよ」

ギルバードはローヴの言葉に目を伏せたまま頷きを返した。 

「それはわかる。王もカリーナもディアナを大事に思ってくれている。だからこそ俺を叱るんだと、そう理解している。・・・カイトから、過去の王が要らぬ嫉妬で妃に近付く魔法導師を遠ざけただけで、本当は妃にも仕えていたと聞いた。それと・・・ディアナの心が綺麗だから・・・魔法導師はみんなディアナに心酔しているとも言っていた」

 

 一瞬大きく目を見開いたローヴが、今度は目を細めて笑みを零す。

「おやおや、カイトがそのようなことを? そうですねぇ。ディアナ嬢は驚くほど綺麗な、まるで幼子のような御心を持っておりますから。今は魔法が解け、殿下と共に愛情を育み、少しずつ変わりつつありますが基本的には変わらずに真白い御心のまま。そういえば、アラントルでは深窓の令嬢と噂されていたそうですねぇ、ディナア嬢は」

 

それは、まさか領主の末娘が侍女として城に従事しているなど知られる訳にはいかないと領主が箝口令を布いたためで、それがいつしかそう呼ばれることになっただけだ。

そもそもの原因はギルバードがディアナにかけた魔法のせい。何と答えていいのか判らず、ギルバードは唇を固く結ぶしかない。詳細は知っているだろうと睨み付けるが、老獪な魔法導師長は顎を擦りながら柔和な顔で目を細めるばかりだ。

 

「さて、『道』を繋げましょう。繋いだ先にはカイトがいるはずです。が、カイトだけとは限りません。殿下、覚悟はよろしいですか?」

「・・・覚悟など、しても無駄だろう。相手はカリーナだぞ? 蛇に睨まれたカエルの気分だ」

ひゅっと息を吸い込む音が聞こえ、ローヴが楽しげに笑い始めた。繋いだ先には間違いなくカリーナがいるだろう。地獄の悪鬼も逃げ出す形相で、真っ直ぐに背筋を伸ばし、ギルバードを捕えるだろう。怒らせたら一番怖い相手に散々怒鳴られ、詰られ、そして今度は国王に咎められる。

好きになった相手と結ばれたい、幸せになりたい。

そう願い、そのために努めただけだ。それが、どうしてこうなるのだとギルバードは頭を抱えた。

重苦しい溜め息が零れそうになり、しかし息を止める。過去を嘆いても仕方がない。すべきことは山積みだ。ひとつひとつ解決するため、まずは王城に戻るのだ。

大きく息を吸い、ゆっくりと息を吐く。ギルバードが頷くと、ローヴが杖を振り上げた。地面に歪んだ円が現れ、ギルバードは足を進める。ふと後ろ髪を引かれる思いで振り向けば、離れた家屋の窓に人影が見えた。白く輝く髪に、それがディアナのプラチナブロンドだとわかる。

 

「・・・ディアナの髪が切られたことも報告しなきゃな・・・。俺がカリーナに絞め殺されるのと、解毒剤が完成するの、どちらが早いだろうか・・・」

「賭けますか? 賭けにはレオン殿を筆頭に瑠璃宮魔法導師が皆、喜んで参加すると思いますよ?」

楽しげな声に舌打ちを零す気力も削がれ、ギルバードは歪んだ空間へと足を踏み入れた。

 

 

  

 

 

 

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