紅王子と侍女姫  97

 

 

「ディアナ嬢! まあ・・・まあ、髪が・・・」

ローヴが繋いだ『道』をレオンと共に潜り抜ける。直ぐに悲痛な表情を浮かべるカリーナに抱き締められたディアナは、心配をかけた詫びを言う前に瑠璃宮の一室に連れて行かれた。

温かい室内に入ると気が緩み、全身から力が抜ける。

「アラントルで他国の魔法導師に攫われたと聞き、もうどれだけ心配したことか・・・。他に痛みなどはありませんか? 先に湯を浴びますか? それとも横になりますか?」

「いえ、それよりもカリーナさんを始め、瑠璃宮の皆様方に大変なご迷惑を掛けてしまって、本当に申し訳御座いません。そして、助けに来て頂いて、ありがとう御座います」

「そんな、ディアナ嬢。・・・こうして無事でお戻り下さっただけで充分ですわ。ギルバード殿下は後で私が叱っておきますが、ディアナ嬢も文句がおありでしたら我慢する必要などありませんからね」

「私が殿下に我慢することなど、何も・・・」

話している内に、くらりと眩暈のような揺れを感じたのは気が緩んだせいなのか。

慌てたカリーナが肩を支えてくれ、衝立の向こうに置かれた寝台に座らせてくれた。ここは瑠璃宮の一室だから安心して過ごせると微笑み、夜着を渡してくれる。着替え終えると薬杯を渡され、飲むとすぐに瞼が重くなった。「まずは身体を休ませましょうね」と言われ、ディアナは素直に横になる。

だけど柔らかな闇に落ちる寸前、大事なことを置き忘れそうな気がして閉じかけた目を開けようとした。

いま眠ってしまったら、大事なそれをどこに置いたか忘れそうで、だけどそれが何か思い出せない。寝る前にもう一度考えなくては瞼に力を入れるのに、抗いがたい眠りに頭が回らない。ぶるっと寒気のようなものが全身を奔り、・・・怖いと意味もなく思った。

何が怖いのか、それを考えなくては―――――。

そう思いながら意識は闇の中へと転がり落ちて行く。

 

どのくらい眠ったのだろう。目覚めると甘い香りが部屋いっぱいに広がっているのに気付き、ディアナは眉を潜めた。どこから香って来るのだろうと寝台から起き上がって衝立の向こうを覗いてみる。

するとチェストやテーブル上だけでなく、床の上にもたくさんの花が花瓶に活けられていた。色様々な花を綺麗だと、いい香りだと思う一方で、その香りに息苦しさを感じる。ぼんやりした重い頭に手を当てると、肩先で揺れる自分の髪が目に入った。

・・・髪が短いのは何故だろう。いつ切ったのだろう。

何時の間にか短くなった髪を撫でながら、覚えがないことに動揺も焦りも感じない自分がいる。それは寝起きのせいで頭が回らないだけなのだろうか。

「・・・ここは?」

泥が詰まったような頭を持ち上げると、覚えのない部屋の風景が目に飛び込んで来た。

まず目に入ったのは大きな窓だが、厚い緞帳が下ろされていて外の様子がわからない。今は何時頃なのだろうと窓に近付いた時、扉を叩く音がした。戸惑っている内に扉は開き、現れた女性が目を丸くする。

「ディアナ嬢、目が覚めたのですね。眩暈はしませんか? すぐに食事を用意しますが、その前に熱を計りましょう。夜になり、少し冷えて来ましたので寝台に移りましょうね」

テキパキと動く女性は笑みを浮かべながら、どこか痛ましい表情を見せる。

何故そんな表情をするのか解らないまま、ディアナの胸がちくりと痛んだ。促されるまま寝台に腰掛けると女性は気遣うように上着を肩に掛けて熱を計り、深い安堵の表情を見せた。

「食事を持ってまいりますから、少しお待ち下さい」

「・・・・はい」

女性の指示に、ディアナは大人しく頷きを返した。何故熱を計ったのか、疑問にも思わない。

部屋から女性が出て行くと、花の香りが一層強く感じた。数えてみると決して広くない部屋に花瓶は十以上も置かれていて、淡い色合いの花が競う合うように活けられている。

・・・・外の空気を吸いたい。

息苦しさが増し、ディアナは緞帳を開けた。窓を開けると夜の気配を含む涼しい風が頬を撫でる。大きく息を吸い込むが、いくら吸っても楽にならない。楽になりたい、外の空気を吸いたいと、ディアナは窓に足を掛けて外に降り立った。

周囲は薄暗く、自分が今いる場所が何処なのか見当がつかない。森なのか山なのか、建物の向こう側は見上げるほど真っ暗で、ディアナは無意識に踵を返す。どこへ行こうなど、何も考えていない。ただ足が向くまま歩き出した。

しかし十分も経たない内に声を掛けられ、足を止められる。

 

「ディアナ嬢・・・ですか? このような時刻に、どちらへ行かれるのですか? カリーナ殿は御存じなのですか? まだ解毒剤はお飲みになっていませんよね。体調は良くなられたのですか?」

「・・・え、と」

声を掛けて来た男性はディアナの前に来ると慌てた顔を見せた。問いのどれひとつにも答えられずにいると、まずは部屋に戻りましょうと言われる。

目の前のこの人は誰だろう。どうして彼は自分の名前を口にするのだろうか。緩やかな衣装を身に纏い優しげな気遣いを見せる人物を前に、ディアナは戸惑った。

「外は冷えておりますのに、何か部屋で問題でもありましたか?」

「部屋、は・・・花の香りがきつくて」

「そうでしたか。では少し移動致しましょう。あの花はギルバード殿下からの見舞いの品で御座います。ディアナ嬢がお戻りになり、お休みなっていると耳にされた殿下の御心遣いで御座いましょう」

「ギル・・・、ド」

「一時間ごとにギルバード殿下が花を持参されるので、そのたびに呼び出されるカリーナ殿が愚痴を零されておりました。殿下には、もうお届けしないよう伝えておきますね」

「ギルバード・・・殿下」

「もし風邪などひいたらギルバード殿下も心配されますから、温かい部屋に戻りましょう」

当たり前のように繰り返される『ギルバード殿下』の名に、ディアナの胸が小さくざわめいた。だけどその呟きは男の耳に届かなかったようだ。顔を上げると、男は柔らかな笑みを浮かべていた。

促されるまま部屋に戻ると、「どこに行かれていたのですか!」と、熱を計ってくれた女性が慌てて出迎えてくれた。寝台に戻ると脚付きのお盆が置かれ、食事をするよう言われる。食事が終わったら飲んで欲しいと蓋付きのグラスが渡された。何だろうとディアナが首を傾げると、その説明もされた。

「これはザシャが作った解毒剤です。効き目優先でかなり苦いとは思いますが、全てお飲み下さい。引き続きローヴが持ち帰った薬草を調べておりますし、必ず元に戻りますから安心して下さいね」

「・・・・はい」

何を安心するのか判らないまま、ディアナは小さく頷いた。

食事を終え、差し出された薬を飲む。想像以上の苦さに顔を顰めるが、心配そうな視線を注がれると何も言えない。どうにか飲み干すと口直しだと蜂蜜を渡された。咥内に広がる甘さに涙が出るほど救われる。そう言えば、どうしてこんな苦い薬を飲むのだろうか。自分はどこか病気なのだろうか。

「一時間ほどしましたら様子を見に来ます。窓は少しだけ開けておきますが、外には出ないようお願いします。明日の朝、他の薬を試して頂きますので、・・・ディアナ嬢、頑張りましょう」

「・・・・はい」

やはり何を頑張るのか判らないまま、ディアナは頷いた。

二人が部屋を出ると、花の匂いが薄れていると気付く。きっと先ほどの男性が花瓶の数を減らしてくれたのだろう。だが今度は部屋の壁が迫って来るように感じて息苦しくなる。寒いから外に出るなと言われていたので、部屋の扉を開いて廊下に出た。

しかし部屋を出た途端、廊下の天井が落ちてくるような気がしてディアナの足は先を急ぐ。

訳の分からない恐怖に駆られて走り出したディアナの目の前で、突然床が波打ち始めた。急いで壁に縋るが、大きな揺れに立っていることさえ困難になる。外に出たいのに出口がわからない。それでも必死に前に進み、いくつか角を曲がる。長い廊下の果てが見えず、閉塞感に息が苦しくて苦しくて、目の前が次第に暗くなってきた。

 

「ディアナ嬢、どうれましたか?」

「あ・・・? え・・・、・・・ローヴ様?」 

ただ夢中で足を進めながら角を曲がった時、前方から声を掛けられる。一瞬、先ほど外で声を掛けてきた人物かと思ったが声が違う。

自分の名を呼ぶ人物が差し出した手を見つめて瞬きした途端、薄暗かった廊下に陽の光が差したかのように明るくなった。急に焦燥感も息苦しさも消え、顔を上げると柔和な笑みを湛えたローヴと視線が合う。

全身から力が抜けそうなほどの安堵を覚えると同時に、気まずい思いが胸を過る。

どうしてそう思うのか狼狽えながら肌寒さに腕を擦り、そこで自分の姿に目を瞠った。夜着姿で見知らぬ場所にいる自分に愕然とし、ここに至るまでの経緯が思い出せないことに膝折れそうになる。 

「え・・・。ここは・・・? どうして・・・わたし」 

「ディアナ嬢、ここは瑠璃宮ですよ。どうやらバールベイジの魔法導師に飲まされた薬の作用で、ゆっくり休むことが出来ない御様子。ザシャが作った解毒剤は効かなかった、ということでしょう」 

「飲まされた、薬? ・・・作用って」 

「おお、ここは寒い。場所を移動して、よろしければ御一緒にお茶を飲みませんか?」

激しい動悸に手先が痺れているのか、腕を掴んでいる感覚が朧気だ。それでもどうにか頷きを返して差し出された手を掴もうとしたディアナだが、手を取るための一歩が踏み出せない。もう床は波打っていないのに、天井が落ちてくる恐怖は消え去ったのに、足は少しも動こうとしない。ローヴの顔に翳りが見えたような気がして、急いで場を移らなきゃと思うほどに足が竦んでしまう。 

「あの、少し・・・お待ち頂けますか。あ、足が・・・動かなくて・・・」

「大丈夫ですよ。大きく、深呼吸してみましょう」

「ど、うして廊下にいるのか、どうして・・・怖いと走っていたのか、覚えてなくて」

「怖かったのですか。今は怖くないですか?」

「こ、怖くありません。だけど、何処から、どうやってここまで来たのか覚えが・・・」

ローヴの柔らかな声に気持ちは落ち着き、会話が出来ることに安心出来る。それなのにディアナの両足は一向に動こうとしない。しゃべることは出来るから、動かない足の代わりとばかりにディアナは今の気持ちを伝えた。口を動かしている内に、手足のこわばりが少しだけ解けてきた気がする。

「そうですか。・・・ですが怖いと逃げ惑う内に、思わぬ場所で思わぬ怪我をする可能性もありますから気を付けませんとねぇ。それとまだディアナ嬢には伝えておりませんでしたが、しばらくの間は瑠璃宮から出ることを禁じさせて頂きます。窮屈に感じましょうが御容赦下さいね」

そう言われて、そういえば『道』を通って瑠璃宮に来たと思い出す。

どうして瑠璃宮に来たのか。

それは王子の姿が化け物に見えてしまう飲み物を飲まされたからで、その作用を消す解毒剤を飲むために瑠璃宮に来たと思い出す。どうしてそんな大事なことを忘れていたのか。それが飲まされた薬の作用なのか。それさえも解らず、ディアナは茫然と立ち尽くした。

「さあ、移動しますよ」 

曖昧な記憶を探っても、ここまで来た経緯が見つからずに困惑する。ローヴの柔らかな声と差し出された手を前にしても、ディアナは視線を彷徨わせるしか出来ない。差し出されたローヴの手を前にしばらく戸惑っていたが、夜風に揺れる板窓の音に驚き、やっと手を重ねることが出来た。 

ローヴに案内された部屋へと足を踏み入れる。

静謐な空間にローヴが温かな灯を燈すと、部屋の空気が音もなく揺らいだ。その揺らぎに、ディアナの視線が自然と持ち上がる。見ると窓には厚い緞帳がひかれ、置かれた全ての家具に白い布が掛けてあり、この部屋の主は既にいないのだろうと思えた。

「・・・・」 

そうは広くない部屋だというのに、不思議とディアナの呼吸が楽になる。呼吸が楽になると強張っていた身体から力が抜け、急に泣きたくなってきた。

布が掛かったソファに座ると、堰を切ったかのように涙が溢れて嗚咽が漏れ出す。どうして涙が溢れるのか、何か悲しいことが遭ったのか、何か辛いことでもあったのか。自分の感情に振り回されていると自覚しながら、ボロボロと溢れる涙を抑えることが出来ない。袖で拭っても拭っても涙は溢れ続ける。

戦慄く唇から洩れる嗚咽を耐えることも出来ず、ローヴがいつものように袖から茶器を出して茶の用意を始めた横で、ディアナは声を上げて泣き続けた。

 

 

 

「カリーナ、ディアナ嬢はアネットの部屋で休んでいます。・・・どうやら少しも目が離せない状態へと移行したようですねぇ。彼らからは、何か情報は得られましたか?」 

顔を覆っていた手を外せないまま、カリーナは口惜しそうに首を横に振る。

部屋の様子に思わず叫び声を上げそうになった。すぐにローヴから連絡があり安堵したが、カリーナはディアナの精神状態の変化に気付かなかったことに激しく気落ちした。更に捕らえ連れて来た魔法導師の口は堅く、自白剤が効かない。ローヴが持ち帰った薬草を調べて、それぞれの薬効を調べているが解毒剤を作るまでには至っていない。薬草が育つ過程で細かに薬効が変わるものもあり、また初めて目にする薬草自体に調べが進まないのだ。 

ただ、部屋を移動したディアナはひとしきり泣いた後に落ち着きを取り戻し、今は穏やかな眠りに身を沈ませているという。その部屋がギルバードの生母、アネットの部屋であることにローヴを含め、瑠璃宮のみんなが密かに驚いている。 

その報告を受けたギルバードも急ぎ瑠璃宮に足を運び、僅かな時間だがディアナの穏やかに見える寝顔を確認した。万が一ディアナの目が覚めた場合に備え、ばれないようにローヴに見目を変えてもらった上、頭巾を被ってだ。ギルバード自身もディアナが母親が使用していた部屋に移動したと聞き驚いたが、魔法を解いたのもこの部屋だと思い出して妙な昂揚感を覚えた。亡き母がディアナをギルバードの嫁と認め、擁護してくれているように思えて嬉しくなる。

しかしローヴの私室に移動したギルバードは、椅子に座ると深い溜め息を吐いて髪を掻き毟った。 

「・・・ローヴ。解毒剤は出来そうか?」 

「ディアナ嬢が飲まされた薬の内、既に九割の薬草が判明したのですが、残り一割が見聞きしたことのない薬草。瑠璃宮にある、あらゆる文献にも載っていない薬草ですから時間はもう暫くかかるでしょう。王女の指示の元、新たに作られた新種かも知れませんねぇ」 

「あの薬草園か・・・。全く、あの王女は面倒事ばかり!」 

ギルバードが舌を打つと、ローヴが茶器を置いて「そう、そう」と顔を上げた。 

「ビクトリア王女のお国から書簡が届いたと耳にしております。して、その内容は? 王女を早く返してくれと、バールベイジ国王から嘆願でもされましたか?」 

「ああ、あれか・・・・」 

ローヴの問いに、ギルバードは深い溜め息と共に背凭れに身体を預けて足を放り出した。 

 

宰相から渡されたバールベイジ国から届いた書簡には、目を疑うような内容が認められていた。 

のんびりした時節の挨拶のあと、ビクトリア王女がエルドイドに滞在することになってから既に一週間以上経過したが、王女から未だ何の便りもないのは貴国で穏やかに過ごしているからでしょうと、目を剥くようなことが書かれていた。更に王女が恋焦がれるギルバード王子と共に過ごすことは両国の未来に大いなる利運を得ることであり、ギルバード王子が望むのであれば直ぐにでも王女との婚姻を結ぶことも支障ないと続く。 

王女同様、親であるバールベイジ国王からも思考回路が斜め上にぶっ飛んだ文章が連綿と綴られており、その上、前回エルドイド側が非難したディアナ誘拐についての謝罪は一切無い。都合の良い解釈ばかりが綴られた書簡を前に、開いた口が塞がらない。

王女がバールベイジに戻らないのは幽閉し硬直させたままだからだ。醜悪な表情を浮かべたピンクの肉塊はオブジェにしても最悪過ぎる。早く謝罪を申し出て、エルドイドに迎えに来るよう伝えているにもかかわらず、婚姻を持ち出すとは寡廉鮮恥にも程がある。唾棄しようにも一向に姿を見せず、書簡のみで更なる友好を望むバールベイジ国王に苛立ちが募るばかりだ。 

 

「・・・あの国を地上から消してしまいたい・・・」

ギルバードが項垂れながら呟く頭上で、ローヴが小さく肩を揺らすのが伝わって来る。 

「国を消すより、国王と王女を消した方が早いでしょう。毒殺ですか、それとも惨たらしい撲殺が御望みで? 以前よりザシャが試したい薬がいくつかあると申しておりましたので、そちらに回すのも楽しそうですねぇ。他の導師たちにも声を掛けてみましょうか。自白剤も効かない魔法導師より、身分貴き二人で実験する方が成果もあがるでしょう」 

「ああ、自白剤のことは聞いた。魔法導師は大抵の毒物に耐性があるからな。―――いやいやいやっ! 人体実験は駄目だろう! それは却下だっ」

「おや? 殿下は、御自身を醜い化け物に見えるようにする薬を作ることは許可されましたでしょう? すでにカイトが研究を始めてますよ。その前に少し試してみても問題はないでしょう。それとばれないように試しますし、要はディアナ嬢に二度と危害が及ばなければ良いだけのこと。違いますか?」 

楽しげに笑うローヴを横目に、ギルバードは「それはそうだが・・・」と呟きを零した。レオンからの提案に身を乗り出して、感嘆の声を上げたのは自分だ。だが一国の王と王女に怪しげな薬を試すのは、後々困ることになるだろう。だが自分の姿が化け物に見える薬は、完成したらすぐにでも王女に飲ませたい。

それよりも先に完成が望まれるのは、ディアナの解毒剤だ。

ディアナの記憶の中からギルバードが消えるなど、遇ってはならない。ギルバードが近付くたび恐怖に怯え、時間の経過と共に闇に捕らわれるなど許せるはずもない。周囲のもの全てが恐ろしく目に映り、精神を崩壊させていく・・・そうなる前に解毒剤を飲ませるだけだ。 

だが魔法導師がディアナに飲ませた薬の成分は未だ判明できず、初めて目にする薬草の薬効調べに時間が掛かっている。幾度かに分けて飲ませたことは判っているが、一度目二度目に飲んだ薬の成分が解らないことには正しい解毒剤が作れないらしい。 

「こうなったら、捕えた魔法導師に頭を下げてみるか?」

「殿下が頭を下げる必要は御座いませんよ。実は、口を開かせる用意は出来ております。正直、気乗りはしませんが、時間がありませんしねぇ」

歯切れの悪い言い回しにギルバードが眉を寄せると、ローヴは肩を竦めてバールベイジでいろいろ調べて来たのでと話す。気乗りしないと言うだけに、それは正攻法ではないのだろう。だが今は本当に時間がないのだ。ディアナの精神が崩壊する前に出来ることは全部やってやる。

 

ローヴ、レオンと共に三人が幽閉された邸へと移動したギルバードは、リーダー格らしい年長者の男を呼び出した。フランツに連れられて現れた男は、やつれた様子ながらも背を正して深々と頭を下げる。そして顔を上げると同時に、飽きることなく口から例の言葉を零した。

「殿下、ビクトリア王女との婚姻を御考え頂けますでしょうか」 

どんな状況に置いても王女との婚姻を推し進めようとする、彼らの根性には感心してしまう。背後の二人が今にも噴き出しそうに震える気配を感じたギルバードは、さっさと話しを進めることにした。

「時間がないからはっきり問う。お前たちはアレに、脅されているのか?」

ギルバードが指を鳴らすと、邸を管理しているフランツが恭しく頭を下げ、ビクトリア王女の奇怪なオブジェを場に登場させた。奇妙な笑みを浮かべたまま硬直した奇妙な王女を見上げる男は顔を顰め、静かに視線を床に落とす。

彼らには王女に逆らうことが出来ない、退くに退けない理由があるとディアナは話していた。ディアナに攫って悪かったとも言っていたそうだ。悪いと思うなら最初から攫うなと言いたいが、ディアナが彼らの話を聞いて欲しいと願うなら、譲れないことがあると伝えた上で聞くくらいはしてやろう。 

「いいか? もし・・・万が一にも有り得ないが、もし俺とディアナが結ばれないとしても、俺が妃に選ぶのはビクトリア王女以外だ。天地が引っくり返ろうとも、コレと婚姻など決して有り得ない! それを踏まえて訊きたいことがある」 

男の顔には深い嘆きが浮かび、蒼褪めた顔で「それは困ります」と呻くように訴えた。

困るのはギルバードの方だと目を眇めると、フランツが姿を消し、残り二人の男を引き連れて再び扉から現れた。二人の男はオブジェと化した王女の姿に驚き、迂回するように男の許へと足を運ぶ。

咳払いを落とすと、三人は息を荒げてギルバードを見上げた。 

「お前たちは王女に何か脅されているのだろう? その悩みを解決すると約束したら、解毒剤を出してくれるか? 頼む、もう・・・時間がない。俺はディアナを助けたい」

「大丈夫ですよ、今でしたら何を話しても王女の耳には一切届きません。安心してお話下さい。出来ましたら、我らが微笑んでいる内に・・・」

レオンの言葉に、男たちは互いに目配せをする。しかし彼らの口は堅く閉ざされたままだ。

ギルバードが唇を噛んだ時、ローヴがゆったりした動作で袖から大きな水晶玉を取り出した。

 

 

 

 

 

 

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