紅王子と侍女姫  2

  

 

王子が滞在する部屋を担当することになったディアナは黙々と掃除を行い、王子に落ち着いて過ごして貰えるようにラベンダーを中心としたポプリを作り小袋に入れるとベッド下やチェスト下に配置する。王子が来られるまでには少し強めに感じる香りも落ち着き、安眠出来るだろうと用意したものだ。

しかし部屋の設えといっても、正直親戚が珠に泊まるくらいの経験しかない。 

貴き身分の男性が泊まるというなら父を含めた男性の意見を聞きたいと思うが、側近である執事を始め男性使用人は皆忙しそうで、急遽呼び寄せることになった姉カーラの婚約者ロンが到着するのは王子が来た翌日になる。とてもじゃないがそれでは間に合わない。王子から文句があれば、その都度調整するしか無いだろうと、ディアナは諦めることにした。

担当した自分の役割を終えると、城内の皆が慌しく走り回る中、ディアナはどうにか父に時間を作って貰い、執務室に入るとすぐに深々と頭を下げる。

 

「御領主様、お願いしたいことが御座います。少しお時間を頂いても宜しいでしょうか?」

「ディアナ! そうだ、お前はドレスに着替えるのだ。まさかそんな侍女服で王太子殿下を迎える気か? それに殿下が滞在中、『御領主様』と言うのは禁止だ! 『お父様』と言ってくれ!」

「その件ですが、私はこのまま侍女の仕事を続けたいので末娘は既に嫁いでいないとか、いっその事死んだとかにして頂けると助かるのですが、お願い出来ますでしょうか?」

 

愛しい娘からの突然の言葉に、父親は驚愕の表情となった。 

ディアナを見ると真摯な表情を浮かべており、とても冗談とは思えない。

親の欲目かも知れないが、彼女は透き通るような肌に姉達同様の豊かなプラチナブロンド、大きな碧色の瞳にふっくらとした紅い唇、華奢で可愛らしい自慢の娘だ。 

それなのに本人は侍女服に満足し、髪は纏め上げて侍女帽に押し込み、日々働くことに喜びを感じており、水仕事で手は荒れ、ダンス授業以外で彼女が着飾ったのは長女アリスンの結婚式の時だけ。それも式が済むと直ぐに脱いでしまうほどの徹底振りだったのを悲しく思い出した。

部屋も厨房近くが動きやすいと勝手に移動してしまい、ディアナの本来の部屋には使われないドレスが数点ぶら下がっているだけだ。いつもの侍女服姿で両手を組み、ディアナが必死にお願いを繰り返してくるのだが、頷けるわけがない。

 

「私は親として、お前を嫁がせたことにしたり、死なせたりなぞしないぞ、ディアナ」

「御領・・・・お父様、しかしドレスを着て過ごすことは酷く苦痛なのです。ですからこのまま侍女として過ごすことを御許し下さい。・・・・お父様が駄目だとおっしゃるのでしたら、私は裏山の炭焼き小屋で、王太子殿下が王城へ戻るまで過ごさせて頂くつもりです」

 

後半は脅しのようなその言葉に更に驚いた父親は眉間に皺を寄せ、力強く娘を抱き締めた。

 

「貴族の娘として過ごす、その当たり前がこんなに辛く感じるとは、まるで悪い魔法にかけられたようだ。もしかしてお前に覚えがないだけで、王城を訪れたあの時に何処かで魔法をかけられたのだろうか」

「御領主・・・・・お父様。魔法なんて幻想的なものは置いておいて、それより侍女として城内で過ごす許可を頂けるのでしょうか。駄目だとおっしゃるのでしたら炭焼き小屋での滞在をお許し下さい」

 

ディアナの冷静な物言いに深い溜め息が零れる。

少しでも彼女が微笑めば、その微笑みに冬の湖だって溶けるだろうと思えるほどなのに、侍女の仕事を始めた六歳過ぎから、ディアナが笑うことは少なかった。

 

「ディアナ・・・・・。王城には魔法導師という魔法や魔導具を使い王の為に従事している者がいると聞いたことがある。そのための宮殿まであり、エルドイド国がこれまで繁栄してきた影には魔法の力が働いているとも言われている。だからお前が王宮で私達から離れた時、知らぬ間に魔法にかけられたのかも知れないと悩んでいたのだよ。子供たちを王城に連れて行かなければ良かったのかもと」

 

父からそんな話が出るとは思わなかったディアナは唖然としてしまう。

魔法が存在するなんて今時の市井の子供だって信じはしないだろう。眉根を寄せて心配げな表情を見せる父親の顔をしばらく見つめていたが、要点はそこではないと思い出し、ディアナは小さく息を吐いた。

 

「お父様、過ぎた事は過ぎた事として、それより侍女として働くことを御許し下さいますか? もしもその事でお悩みになられているというなら、侍女として過ごすことを御許し下さるだけでいいのです。魔法が掛けられていたとしても私には文句も問題もありません」

「お前がいくら言っても、死んだことにするのも嫁いだことにするのも駄目だ。それに、もし娘の数が違うと王子に問われたら、どう答えたらいい? 娘はお仕着せの侍女服を着て働いております、炭焼き小屋に籠もっております、じゃ困るぞ?」

 

王子と聞き、ディアナは眉間に皺を寄せて視線を彷徨わせた。 

 

子供の時の微かに残る記憶が思い出され、睨み付ける強い視線と、そして悲しげに揺れる手が甦る。幼かったとはいえ、一国の王子に私は何をしたのだろうか。今更謝罪を申し出て受けてくれるだろうか。 

しかし、あれから十年も経過したのだ。 

相手だってきっと忘れているだろう。

第一、十年も前に会った一介の田舎城伯が連れて来た娘を突き飛ばした過去をほじくり返されても困るだろう。子供時分のことだから覚えていない可能性も多分にある。その場合困ったことになるのは目に見えている。別に謝罪を要求している訳ではないが、もしそう捉えられたら父の立場が困ったことになるのは明白だ。

 

「では・・・隣国の伯母様のところに預けて淑女勉強をしているというのはどうでしょう。伯母様には私から急ぎ手紙を書きますので、お父様、お願い致します!」

「しかし・・・」

 

娘の普段は見られない必死な表情と言葉に困惑を呈する父に、ディアナは両手を合わせ、深く御辞儀をした。

 

「お父様、お願いで御座います。・・・お父様!」

「ディアナ・・・・。 それほどまでに嫌か」

 

普段『お父様』とは決して言わないディアナの必死な様子にとうとう父は折れ、妻や次女カーラ、執事、侍女や使用人たちにもディアナを王子滞在中は侍女として扱うように指示を出した。母親は末娘の願いを夫が受け入れたことに驚愕して泣き崩れるが、申し訳ない気持ちになりながら無理なものは無理だと集まってくれた皆にディアナは頭を下げる。

どうしてもドレスを着ることや貴族の娘として振舞うことに恐ろしいほど罪悪感に悩まされる。あの記憶が始まった時から、貴族息女としての振る舞いを拒む気持ちは成長と共に強くなり、貴族の娘として過ごそうと思うことは何故か『してはいけないこと』で、『身分や立場が違うのだ』とさえ思えてしまう。

 

 

そして王太子殿下一行が、アラントル領地へと到着する日がやって来た。

城内へと続く跳ね橋を先に護衛騎士二人の黒馬が通り、続いて王宮の飾りをつけた豪華な馬車が二台続く。驚いたことに馬車の御者を除くと王子付きの従者は全部で三名と聞き、馬車の御者をいれても総勢六人と思ってもいない少人数に驚かされる。一国の、それも王位第一継承者である王子なのにと、思わずみんなが唖然とした表情を浮かべてしまった。

 

「ギルバード王太子殿下、よ、ようこそアラントル領地へ御出で下さいました。私は領主のジョージ・リグニスで御座います。田舎町ですが、滞在中は御ゆるりと過ごせるよう配慮させて頂きます」

 

城伯である両親が丁寧な挨拶をして王太子殿下一行へと低頭する。姉も執事も、城で働く者は皆総出で出迎え、揃って恭しく低頭した。下馬した護衛騎士二名が同じように頭を下げ、馬車から先に降りた侍従長が背後に立つ王子の紹介をする。

 

「急遽な訪問にも拘らず、このような出迎えをして頂き嬉しく思います。ギルバード・グレイ・エルドイド王太子殿下におかれては、自国全ての領地を視察し、御自身の知識を高めると共に、我が国のためにより良い政策を御勉学中です。短い間ではありますが、よろしく頼みます」

 

柔らかな栗毛色の髪をふんわりと靡かせた侍従長レオン・フローエが柔和な笑みを浮かべて通る声で挨拶と紹介をした。痩躯ながら背の高さと見目の良さに場にいた侍女達は艶めいた溜め息を零す。

そして侍従長と騎士達が横にずれ、ギルバード王太子殿下が姿を見せた。

二十歳になったばかりの王子は背が高く、漆黒の髪に黒い瞳の端正な顔立ちをしている。体躯の良さもあり、金と銀の組紐で作られた肩章や飾緒のある濃藍の軍服のような衣装に、黒の肩布を纏わせた気品あるその姿は、清廉で一部の隙もないように見えた。

妙齢の女性ならば、誰しもが目を奪われ頬を染めるだろう。

 

「エルドイド国王太子、ギルバード・グレイ・エルドイドだ。侍従長レオンが伝えたとおり、しばらくの間世話になる。よろしくお願いする」

 

王子の挨拶にみんなが更に深く頭を下げる。 

ディアナはその声を耳にして、目の前が一瞬暗く感じた。

強く目を瞑り息を整えて耳にした声を頭の中で思い出す。十年も前だが、耳にしたことのある声だから既視感を覚えるのだろうか。以前も聞いたことのあるはずの声だが、それは十年も前のことで今耳にした声を覚えているはずが無い。それなのに何故こんなにも胸が締め付けられるのかがわからない。そして漆黒の髪の少年が噛締めていた唇が赤かったことは覚えているのに、瞳の色は覚えていないのが残念だと思った。あの時しばらく見つめ合っていたような記憶が残るのに、全てが曖昧にしか覚えていない。 

 

「慌ただしい訪問、滞在となり申し訳ない。これも我が国エルドイド発展のために必要なことであると理解し、協力を頼みたい。リグニス侯爵、宜しく頼む」

「滞在中、殿下が御ゆるりと過ごせるよう心より努めます。では執事にお泊りになる部屋へと案内させましょう。ラウル、宜しく頼む」

 

執事のラウルが恭しく低頭し、ギルバード王子を城の中へと案内していく。王子が侍従長とともに城内に消え、護衛騎士が周囲を見て回るために跳ね橋から姿を消すと、侍女たちが想像でしか考えたことのない王子一行訪問に一斉に騒ぎ出した。

靴からして王族は違うわねとか、見目が良くて二十歳に見えないほど威厳があるとか、濃紺の軍服が良く似合っているわとか、護衛騎士の柔らかな笑みが素敵とか、侍従長が私を見て微笑んでくれたとか、きゃあきゃあと高い声を出して互いが感じた印象を話し出す。給仕する時に震えてしまわないかしらとか、リネン交換時や廊下で偶然会うこともあるだろうと騒ぎ出し、声を掛けられたらどうしようと若い侍女たちが頬を染めて夢見がちな顔になった。リグニス家自体が庶民的で形式張るところのない、どちらかと言えば親しみのあるほんわりした領主で、働いている使用人たちにも気負いがない。

普段の日常では目にすることも、まして声を耳にすることもないはずの高貴な存在が現れたことに、いつまでも楽しげにお喋りに花を咲かせ、とうとう侍女頭に怒られてしまうほどだ。

 

ただ、ディアナだけは緊張に包まれた表情で一人黙々と仕事を開始した。

エルドイド国には王子が一人だけ。

正妃との間に王女が二人。そして正妃亡き後しばらくしてから後妻を娶られ、その妃との間にギルバード王子が御生まれになった。その妃も既に亡くなったと耳にしている。王女様方は既に嫁がれており、現在王子は王と共に政務に係わり素晴らしい手腕を発揮されていると長姉アリスンから聞いた。その一環で領地視察を行なっているのだろう。さらに王宮騎士団の副団長を兼任し、その剣技は凄いらしいと次姉カーラが話していたのを思い出す。

そんな王太子殿下がアラントル領地に視察に訪れたのだ。みんなが騒ぐのは仕方がないだろう。

ただ興奮したり見惚れて手元を滑らせ、王子用に買ったばかりの高い食器を割らないで欲しいと秘かに願うばかりだ。

自分自身、王子に会う機会はないだろうが、それでも滞在中は出来るだけ影に徹して見ないように、見られないようにして過ごすようにしようとディアナは強く思った。

 

ラウルがギルバード王子を部屋へ案内すると部屋の内装をしばらく眺めてから、柔らかな笑顔を見せた。

 

「心地良い内装に感謝する。急な訪問にもかかわらず、申し訳ないな」

「お褒め頂き大変嬉しく思います。侍従長殿と護衛騎士殿の部屋は殿下の御部屋前と左右に用意しております。何か御用命がある時はこちらの紐を御引き下されば、すぐに参ります」

 

ラウルが水周りや呼び出し紐などの説明を終え、お茶の用意を始めると王子が手を上げた。ラウルが恭しく頭を下げて何かと問うと、王子は暫し沈黙したあと口を開いた。

 

「間違いが無ければリグニス家には娘が三人いたと記憶していたのだが、今日領主と共に並んでいたのは奥方の他は一人だけだった。一番上の娘は既に嫁いだと聞いているが、残る娘はあと二人いるはず。一番下の娘は挨拶の場に居なかったようだが、具合でも悪くて臥せっているのか?」

 

頭を下げていたラウルの背が瞬時強張った。が、顔を上げた時にはいつもの柔和な笑顔を王子に向けて、領主との打ち合わせとおりの答えを告げる。

 

「末姫のディアナ様は隣国に嫁がれたジョージ様の姉宅に居ります。不在のため殿下の出迎えが出来ず、大変申し訳御座いません」

「隣国へ、か。それならば仕方がない。・・・・・そうか」

「皆様方が御戻りになられてから御食事を始めさせて頂きます。では、私はこれで失礼致します。何か御用名がある時は先ほどの紐をお引き下さいませ」

 

窓から外を眺め出した王子にもう一度頭を下げてラウルは退室した。  

 

 

 

 

 

 

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