紅王子と侍女姫  3

 

 

そして足音を立てないよう急ぎ足で領主がいる執務室へと向い、今にも飛び出そうな胸を押えて王子の言葉をそのまま伝えた。思わず椅子から立ち上がった領主夫妻は一気に蒼褪めてしまう。 

「そ、それで殿下は、なんと?」

「それならば仕方がないと。・・・・十年前の王宮でのことで何か伝えたいことがあるのでしょうか? それ以上は何もお話になりませんでしたので退室させて頂きましたが、本当に・・・・心臓に悪いです」

「今更十年前のことを持ち出すのは有り得ないだろう。殿下の視察は他の領地でも行われていると情報が回って来ている。確かこの地が最後のはずだ。殿下の言は、単に滞在する家の家庭状況把握だろう。そうだと言ってくれ、ラウル!」

「ああ・・・、やっぱり侍女なんてさせるのではなかったわ! 急遽、隣国から戻って来ましたと、今から無理やりにでもドレスを着せましょうか?」 

母の嘆きに父は首を振った。約束は約束だと。

その約束を反故にしたなら、ディアナは本当に躊躇せず炭焼き小屋に籠もりそうで恐いと、父は背を震わせる。

 

 

 

 

 

滞在中、王子たちのための料理草案はディアナが大半を任された。

城下の新鮮な野菜や魚、肉を使い、いかに豪華に見せるか腕の見せ所だと袖を捲って張り切る。影に徹する仕事なら喜んで行なうとディアナは指示を出した。料理長をはじめ、料理番たちが指示通りに動き、侍女頭が磨いた皿を用意し、侍女たちが食堂の設えを段取りよく行っていく。

いつもより大きな燭台を数多く並べ、季節の花を飾り、宴の用意は着々と進んでいた。

そこへカーラが厨房に顔を出し、ディアナへ声を掛ける。 

「ディアナ、忙しいところ悪いのだけど殿下に何か軽食を御用意出来ないかしら」

「まあ。先程、紅茶と一緒にラウル様がお持ちしたと思ったのですが、届いていませんのでしょうか」 

確かに執事のラウルが持っていくのを見た記憶があると、ディアナは首を傾げる。

それには直ぐにカーラが笑いながら違うと手を振った。 

「それがね、新しい紅茶を持って私が殿下の部屋へ伺った時、菓子が美味しいと全て召し上がっていたのよ。もう少しあれば嬉しいとおっしゃるから、訊いて来ますとお待たせしているの。忙しいところ悪いと思うけど、用意出来るかしら?」

「ええ、直ぐに。カーラ様、申し訳ありませんがお持ち頂けますでしょうか?」

「ディアナ。・・・・お姉さんと言って欲しいわ」 

ディアナはカーラの悲しげな顔は見ないことにした。

侍女の立場で姉を使うのは気がひけたが、今は厨房も食堂もかなり忙しい。

自分が離れる訳にはいかないし、王子の部屋には近付きたくない。

菓子を褒められたことは嬉しいが、それ以上の接触は無理だと頭を振った。

 

 

食事の用意が整いディアナが厨房でデザートの用意をしていると、王子たちがラウルに案内されて食堂に現れた。侍女たちが御辞儀をして恭しく出迎え、姿を見せた領主夫婦とカーラも着席する。皆の手元に飲み物が注がれると、領主が立ち上がり挨拶の口上を述べる。 

「ギルバード殿下、侍従長レオン様、護衛騎士様。改めて挨拶申し上げます。我がアラントル領へようこそお越し下さいました。田舎料理ではありますが、どうぞごゆっくり召し上がって下さいませ。各地の視察でお疲れと存じますが他領地の話なども」

「ありがとう。先程戴いた菓子も素晴らしく美味しかった。目の前の食事もとても美味しそうだ。温かい内に食べたいと思うが、もういいか?」

「は、はい! では」

余程お腹が空いているのか、王子は菓子の追加まで希望したと聞いていた領主は慌てて挨拶を中止して食事開始の乾杯をした。その合図に護衛騎士が嬉しそうに「待ってました!」と声を上げて手を伸ばす。

 

「エディ、オウエン! 行儀が悪いぞ」 

ギルバード王子が睨みつけるも二人の騎士は悪びれる様子もなく、すでに肉を口の中に詰め込んでいる。王太子殿下付き侍従長であるレオンは侍女たちに柔らかに接し、初めて目にする高貴な男性の甘い微笑みに、侍女たちは皿やピッチャーを何度も落としそうになった。

レオンは柔らかな栗毛色の髪に蒼い瞳の甘く整った顔立ちで、動作も言葉使いも流暢で洗練されており、優雅な物腰でワイングラスを持ち微笑まれると、侍女たちは皆呆けて見惚れてしまう。 

 

護衛騎士の二人は、領主やラウルと気さくに市内の様子について話し合いはじめた。二人とも体躯が良く、騎士らしくがっちりしているのに明るい物言いと屈託のない笑顔で親しげな雰囲気を醸し出している。二人の騎士、オウエンとエディは双子で、同じ濃茶色の髪に瞳。彼らはワインが気に入ったようで、特産のワインを出すと満足げな顔で次から次へと杯を空けている。 

「オウエン、エディ。飲み過ぎに気を付けろ。視察ではふら付くことのないようにな」 

ギルバード王子が呆れた様子で二人を嗜めるも、双子は全く気にしない様子で大丈夫だとグラスを傾け続けている。レオンが苦笑する声が聞こえ、ギルバードが睨み付けるも笑い声は止まらない。

オウエンとエディは杯を掲げながらギルバードに話し掛けてきた。 

「殿下も飲みましたか? 果実の香りが際立って酸味があるのに爽やかで、それなのにしっかりと重い。これは・・・うん、好きですね!」

「ウナギのテリーヌも絶品! このチーズもワインに合うし、いや、最高ですよ」 

そこへレオンも頷きながら感嘆の声を出した。 

「この領地は山もあり港もあり、いろいろな料理を楽しむことが出来ますね。料理自体の味も良く素材を生かしている。どの料理も大変素晴らしいですね」

「そこまでお褒め頂き嬉しく思います。後ほど料理長に伝えて置きましょう」

「その料理長を王宮仕えにしたいくらいですよ! ね、殿下!」 

声をかけられたギルバードも直ぐに頷き、領主に笑顔を向ける。

 

「実に美味しいと伝えて欲しい。先程部屋で頂いた菓子も美味しかったと併せて伝えてくれ。この城に滞在中、楽しみが増えて嬉しいと」

「ありがたい御言葉です。地方が富み豊かになれば国自体も豊かになります。それが心のゆとりにつながり、更なる発展へと繋がっていると思います。ここは田舎ではありますが、ゆとりだけは充分にありますので明日からも楽しんで頂けるよう、料理長に伝えておきます。甘いものがお好きでしたら直ぐにでも出させましょう。ラウル、伝えて来てくれ」 

ラウルが立ち上がり厨房へ向かうと、オウエンとエディが「甘いもの大好きですよね。良かったですね、ギル殿下!」とからかい気味に笑い掛ける。からかわれ眉を顰めたギルバードが口を尖らせながらも頷くと、ラウルが戻って来た。

 

「もう少しで苺とアーモンドクリームのパイが焼きあがります。それまでこちらをと」 

すでに用意されていたデザートがテーブルに並べられると、甘い香りが食堂に広がった。

イチジクとアーモンドクリームのクラップフェン、ヌガー、プラムのパイ、木苺とチーズのダリオールをワゴンからテーブルに並べると、ギルバードが目を瞠り、早速手を出した。 

「甘さは控えにしておりますと、ディ・・・・・料理長より伝え聞いております」

「こちらのヌガーは白いな。昼間食べた時も思ったが食感が軽くて美味い」

「ありがとう御座います。メレンゲを加えておりますから軽い食感となっております」 

ギルバードがパイを一切れ口に運び、目を見開いたあと満足げな笑みを零した。レオンもクラップフェンを口へ運び、「本当に王宮に呼び寄せたいほどの腕前ですね」と笑みを浮かべる。

領主が少し困った顔で視線を向けると、ラウルは表情を変えずに小さく頷いた。

 やっぱりディアナが作った菓子・・・・。 

そう解かると領主は菓子をそれ以上勧めるのが難しくなり、やめてしまった。城の料理を褒められることは嬉しいのだが、料理した者をここへと言われたら料理長を出すしかない。しかし詳細を聞かれたり、万が一にでも本当に王宮に召し仕えられることになったら味が違うとあとで問題になるだろうと、領主は額に手を当てる。

 

王子を含めた四人が料理を褒めれば褒めるほど、領主と執事が話を逸らそうと身を乗り出して話し掛け、給仕の者が必死にワインを勧めた。そのため、すっかり酔ってしまった双子騎士をラウルとレオンがそれぞれ部屋まで担ぎ上げることになってしまったほどだ。

 

歓迎を兼ねた宴は無事終了となり、領主は深く安堵しながら挨拶を終えると部屋に戻って行った。運ばれていく双子をギルバードが呆れながら見送り、自分も部屋に下がろうとして足を止める。

苺とアーモンドクリームのパイをまだ口にしていないことを思い出し、部屋に持って来て欲しいと伝えるためにギルバードは踵を返した。昼に出された菓子を含めて、ここの食事は本当に美味しい。

もともと甘いものは好きだが、これほど口に合う甘さには出会ったことがない。本来の目的を忘れそうになるほど菓子の虜になりそうだとワクワクしてしまう。片付けを始めた侍女の一人に声を掛けパイを部屋に運ぶよう伝えていると、レオンが迎えに来た。 

「まったく・・・、パイが待ち切れなくて王太子殿下ともあろう方がおねだりですか? ついて来ないから迷子になったのかと思いましたよ。酒臭いオウエンとエディを人に担がせて自分はパイのおねだりとは情けない」

「迷子の訳が無いだろう! 苺とアーモンドクリームのパイは・・・どうしても食べたかったんだ。運んで貰うよう伝えたから、部屋で明日の行程を話し合いながら一緒に食べよう」 

紅茶の追加を頼み、ギルバードは嬉しそうに部屋に戻っていった。

 

その様子を見ていた料理長は厨房の影から、そっと安堵の息を吐く。

「褒められ過ぎて全身が痒くなります!」と料理長が蒼褪めた顔を向けると、眉根を寄せたディアナが頭を下げて来るから、彼はそれ以上何も言えなくなった。

もしあの場で王子に作った者に会いたいと言われたら、料理長は恭しく進み出なければならない。しかし宴の料理草案の殆どはディアナが担当し、最終味付けや見本となる飾り付けも行い、デザートに関しては全て彼女が作っていた。しかしディアナが侍女としての立場を優先したいと望んでいるのを分かっている料理長は、黙るしか出来ない。

 

料理やデザートを褒められたディアナは、明日からも頑張ろうと気合を入れた。そこへ王子の部屋に紅茶と菓子を届けた侍女が戻って来て、嬉しそうに報告を始める。 

「ディアナ様! 菓子がすごく気に入ったから明日の視察が終わったらまた用意をお願いしたいって仰ってました。夕食もすごく美味しかったと殿下に微笑まれちゃいました!」 

侍女は今にもその場でクルクルと回りそうな勢いで嬉しそうに話した。作ったばかりの菓子を褒められ、ディアナも安心して頷く。 

「良かったですわ。では、朝食と菓子の下準備を致しましょう。ああ、明日はそこのベーコンを使って下さい。熟成が頃合だと思います。野菜は朝に私が摘み取りにいきましょう」 

次々と指示を出すディアナに料理長が微笑んで、大丈夫だと両手を振る。 

「ディアナ様は早くお休み下さいませ。今日はお疲れで御座いましょう」

「・・・・ディアナ様も皆様と御一緒にお食事をされるのが本当で御座いますのに」 

二人の気遣う言葉に、困った顔でディアナは裏方の方が楽だと伝えた。 

どう説明したら解かって貰えるのだろうと知らず眉尻が下がる。みんなの気遣いや気持ちは嬉しいが、家族と一緒に貴族子女として席に着き一国の王子と共に食事をするなんて、余りの身分違いに恐怖すら感じるのだ。貴族の娘としては自分の考えの方が間違っているのだろうが、どうしても出来ないのだと、どう伝えたらわかって貰えるのだろうかと俯いた。

料理長と侍女がはっとした表情で慌ててディアナに頭を下げる。

 

「もっ、申し訳御座いません! それが出来るのでしたら御一緒に召し上がっておりますよね。もう、何も言いません。ただ倒れないように休める時はお休みになって下さいませ!」

「いいえ、ごめんなさいと言うのは私の方ですね。皆さんからすると、おかしいのは自分の方ですもの。御領・・・・父さまや母さま、お姉様たちにも悪いとは思うのですが」 

確かに今日は疲れた。舞踏会で作る料理より気を遣ったかも知れない。

それでもあれだけ褒め続けられると素直に嬉しいとディアナは小さく微笑んだ。

 

 

厨房の仕事を終えたディアナは、いつものように各場所に燈された蝋燭を消しに回る。使用人がいくら説得しても蝋燭消しや回収を自ら行い、今ではディアナの仕事としてすっかり定着していた。

新しい蝋燭が入った籠を持ち、奥の廊下から蝋燭を消して歩き、短いものは籠の中の蝋燭と交換する。

普段は使用しない箇所まで王子のためにと明かりを灯していたので、ディアナは勿体無いと眉間に皺を寄せた。しかし王子が滞在中、領主としての体面もあるのだろうと考え、ひとつ溜め息を吐いて次の蝋燭を交換する。

そして、角を曲がったところでディアナの足が竦んでしまった。

 

本宮二階のフロアは王子たちが使用している。

この階は灯りを燈したままでいいのだが、蝋燭が消えかかっている箇所を数箇所見つけてしまった。王子の部屋の両隣とわかり、いつ何時廊下に出てくるかわからないから交換しなくてはと思うのだが躊躇してしまう。

暫らく悩んだが、自分を叱咤して足を進めることにした。

足早に行き、手早く交換しよう。それだけだ。

もう王子が部屋を出ることも無いだろう。 

各部屋には水周りもあるし、新鮮な空気を吸いたいと思うなら大きなベランダがある。王子だって来たばかりの城の中を探検したがる歳でもないだろうと自分に言い聞かせて、ディアナは消えかけている蝋燭に近付いた。

 

短くなった蝋燭の灯りを消し、新しい蝋燭と交換する。もうひとつの蝋燭は余りにも短いため、背伸びをして息を吹きかけて火を消し、その上から新しい蝋燭を立てようとした時。

     

 

 

 

 

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