紅王子と侍女姫  5

 

  

「お美しい淑女へ、自己紹介する機会を頂きたい。私はギルバード殿下付き侍従長、レオン・フローエ。 セント・フォート公爵家子息です。以後お見知りおきを」

「わ、私はこの城で働いております侍女で御座います。で、殿下の侍従長でもある公爵様に籠を持たせる訳にはいきません。お願いですから、籠をお返し下さいませ」 

ディアナが籠に手を伸ばすと、今度はその手を掴まれ、急いで引こうとすると何故かそのまま上に持ち上げられて、くるりとその場で一回りさせられた。驚いてレオンを見ると嬉しそうな表情で顔を近づけてくるから思わず目を瞠る。

 

「ふわりと舞ったスカートから垣間見える白い足首。細く頼りなげな首筋。そしてその美貌。ただの侍女では勿体無い。貴女を着飾りたいと思う私の願いを叶えさせては頂けませんでしょうか」

「御許し下さい」 

ディアナが間髪いれずに返答すると、レオンの瞳が大きく見開いた。困ったと思案顔を俯けた時、二人の背後から驚くほど低く鋭い怒声が周囲に響き渡る。

 

「レオンッ、お前は一体何をしているんだ! 馬を繋いで来るだけのはずが、世話になっている城で従事している女性を口説くなど、エルドイド国の品位を貶めるつもりかっ!」

 

怒りを露わにした王子の怒鳴り声に驚き、ディアナは急いで低頭した。レオンは慣れているのか、怒鳴り声に対して少し肩を竦めただけで優雅な笑顔のままギルバードへ声を掛ける。

 

「おや、殿下は部屋で美味しい菓子を召し上がっていたはずでは?」

「手綱にクラバットを結びっぱなしだったのを思い出した」 

そして取りに戻ったら、自分付きの侍従長が侍女に迫り翻弄しているまさかの事態が見えたと続く。 

「殿下、そこに美しい女性がいたら口説くのは紳士として当たり前のことでしょう? そして彼女は口説くに値すべき美しさを持っていらっしゃる。ああ、お美しいお嬢さん。私に是非、あなたの御名前を教えて下さいませんか」

「御許し下さい」 

ディアナが即答すると、レオンから「残念です」と苦笑された上、何故か繋がれたままの手が引き寄せられていく。何をされるのかと目を瞠ると、ギルバードが勢いよく近付いて来て、レオンとディアナの手を切り離した。離された手を寂しそうに見つめ、レオンが眉根を寄せて溜息を零した。 

「いい雰囲気でしたのに、殿下に二人の愛を断ち切られてしまいました。残念ですが、殿下が居ない時に改めて貴女へ愛を紡がせて頂きます」

「御許し下さい」

 

ディアナはスカートを摘まみ上げ、丁寧に挨拶をしてレオンから籠を返して貰い、踵を返して急ぎ厨房へと足を向けることにした。王都の人間は皆あのような物言いなのだろうかと首を傾げると、背後から強く腕を掴まれる。

侍従長が自分を追掛けて来たのかと振り向くと、そこにはギルバード王子がいてディアナの腕を掴んでいるのがわかり、慌てて低頭すると頭上から謝罪の言葉が聞こえて来た。

 

「侍従長の不躾な態度、大変申し訳ない。奴の主として謝罪をさせて貰う」 

その言葉に、王子が侍女に謝罪だなど有り得ないとディアナは俯いたまま慄いた。 

「殿下からそのような! 畏れ多いことで御座います。御気になさらないで下さいませ」 

王子から謝罪されてしまったディアナは目の前が真っ暗になりそうなほど戸惑った。

そして未だ腕を掴んだままの手を離して欲しいと、眉を寄せる。どう伝えるべきか悩み、仕方無しに少し腕を揺すると、ギルバードが慌てたように手を離した。

 

「失礼! また貴女の許可も無く触れてしまい申し訳ない! し、しかし、引き止めて謝罪をするためであって、レオンのように、ふ、不埒な真似をするつもりではないからな!」

 

頭上から聞こえる王子の声は明らかに動揺しており、ディアナの方が慌ててしまった。今まで自分を翻弄していた侍従長と違って、王子の手には疾しさが一切無いのだから、そこまで動揺されると逆に申し訳なく感じてしまう。

 

「は、はい、大丈夫です。・・・あの、昨夜殿下より頂きました軟膏、とてもよく効きました。ありがとう御座います。後ほどお返しさせて頂きます」

「いや、それはそのまま持っていてくれ。まだ余分にあるから返す必要は無い」

「そのような訳には参りません。是非、お返しをさせて頂きたく・・・・」

「傷が癒えたのなら、それでいいから気にするな そのまま使ってくれ」

「その御心遣いだけで充分で御座います。お返しさせて下さいませ」 

 

俯いたディアナと、彼女を見下ろすギルバードの間で返す返さないの応答が始まると、レオンが面白いことを見つけたたとばかりに満面の笑みを浮かべ、二人の間に乱入して来た。

 

「殿下? オクテだと思っていた殿下が私より先に城の女性に手を出したのですか? 許可無く触れたなど、なんと淫靡且つ、魅惑的な言葉でしょう! やっと王太子としての責務を思い出したのでしょうか、ギルバード殿下」

「・・・・レオン。とうとうお前の口を縫う時が来たようだな」 

脅しとも思える台詞を、怒気を孕んだ低い声でレオンに告げるも、やはり彼は少しも気にしない様子でディアナの手を持ち上げる。 

「何処をどのように、どのくらいの時間、殿下に触れられたのか、あとでこの私に手取り足取り腰取り、御教え頂けますでしょうか」

「御許し下さい」 

レオンの言葉にギルバードは慌ててディアナに振り返る。

 

「レオン、腰取りって何だ! 俺はそんな不埒な真似はしてないぞ。な、そうだよな」

「は、はい! 殿下はそのようなことはしておりません」

「では、彼はどのような不埒なことを?」

 

問い掛けながらレオンはディアナの手を攫うように持ち上げると、その甲に口付けようとする。それこそ不埒な真似ではないかと、ディアナは声なき悲鳴を上げて手を引こうとした。しかし相手は王太子殿下付き侍従長。抗ってもいいものなのか、ディアナの手は強張り、頭の中が真っ白になる。しかし寸前でギルバードの手がレオンの顔面を押しやった。

 

「お前のその性格はどうにかならないのか! 若い女性と見れば空気を吸うように口説こうとするのは止めた方がいいぞ。俺の侍従長として見苦しい!」 

レオンは軽い笑い声をあげると、ディアナの手を握ったままギルバードに向き直った。 

「女性を愛でるのは男として生を受けたからには当然のこと。そうでなければ人類は滅び行くだけです。ですから殿下が彼女の何処に触れようと、合意であるならば一切問題はありません。しかし殿下をからかう材料を放置するのは勿体無いこと。出来ましたら今夜出来るだけ遅い時間に、私の部屋にお越し頂き、じっくりと時間を掛けて教えて頂きたいです」

「御許し下さい」

 

一刻も早く厨房に戻りたいとディアナは切望したが、レオンの手は少しも離れない。

じっとりと撫で回すように触れてくるので、荒れた自分の手が少し気になる。どうしたらいいのだと困り果てていると、卵を取りに行ったきり戻って来ないディアナを心配した料理長が迎えに来た。

 

「あ、こちらでしたか。・・・って、殿下!?」 

ディアナを確認した料理長はその背後にいる人物に驚き、急ぎ低頭した。どういう状況なのか理解は出来ないが、城の末姫と一国の王子とその侍従長が歓談している場に自分がいて良い訳がない。 

「た、卵を取りに来ただけですので、どうぞお話をお続け下さいませ!」 

頭を低くしたまま料理長がディアナの持つ籠に手を伸ばそうとするから、ディアナは慌ててその手を押し止める。 

「私が厨房にお持ちします。お話は終わりましたので問題御座いませんから!」 

しかし、ディアナの手は未だレオンが掴んだまま。

そっとレオンを窺うと、「残念です」と呟き、やっと手を離してくれた。  

「しかし、このままではやはり名残惜しいですね。のち程、ゆっくり時間を頂戴致しましょう。ああ、私の部屋が厭でしたら、私が貴女の部屋へと忍び込みましょうか?」

「御許し下さい」

 

背後からレオンの後頭部を思い切り叩いたギルバードが、ディアナと呆然としたままの料理長に向き直ると右手を胸に当てて丁寧に頭を下げる。 

「臣下の無礼は私が詫びる。仕事の邪魔をしてしまい大変申し訳ない」 

それは王子からの正式な謝罪だ。

頭を下げられたディアナと料理長は口もきけないほど驚き固まってしまった。先に意識を取り戻したディアナは、突然の謝罪に驚いて上げた顔を急ぎ下げ、「勿体ない御言葉で御座います!」と深く頭を下げる。侍従長の驚きの振る舞いに、ディアナの頭から昨夜の不思議な水のことはすっかり抜け落ちていた。

 

 

 

 

 

厨房に戻った料理長は料理番に水を頼むと深く椅子に腰掛け、盛大に息を吐く。  

「ディアナ様の手を取られているから、本当、心底驚きました」 

料理長は額にびっしりと汗を浮かべ、緊張の余り張り付いたように乾いた咽喉を何杯もの水で潤した。厨房に戻ってから、やっと身体から力が抜けたディアナも頷いて同意する。 

「王都に住む方の礼儀作法が全く理解出来ません。でもこんな機会はもう二度とありませんでしょうから、今後は理解に苦しむこともないでしょうね」 

料理長には王子付き侍従長が明らかにディアナを誘惑していたとしか見えなかった。

しかし、当の彼女が理解していない上、余り気にしていないとわかり、それを伝えていいのか首を傾げてしまう。あれは王都の礼儀作法ではなく、あなたは侍従長に言い寄られていたのですよと伝えたところで、この末姫は理解してくれるのだろうかと。一応、今見たことは執事であるラウルに伝えておこうと、料理長は小さく溜息を吐き調理を開始することとした。 

 

 

 

夕餉の直前、予定通りにカーラの婚約者ロンが城へと到着した。

王子の前に赴くと騎士らしく片膝をつき深く頭を下げて恭しく挨拶を述べる姿に、カーラが頬を染めてうっとりと見つめている。

 

「エインズワース家三男 ロン・エインズワースと申します。アラントル領リグニス家次女カーラの婚約者です。ギルバード・グレイ・エルドイド殿下にお目にかかれ、光栄に存じます。滞在中、微力ながら領主と共にお手伝いをさせて頂きたく馳せ参じました」

「リグニス家ご息女との結婚後、跡継ぎとしてこの領地を統治すると聞いている。視察に関しては私の護衛騎士より役に立ちそうだな。滞在中、手を借りることがあるかと思うから、その時は頼む。滞在中は遠慮なく忌憚なき意見を聞かせて欲しい」

「ありがたいお言葉です。殿下の役に立てるよう尽力致します」

 

ロンが到着したことで昨夜より賑やかな夕食となったが、試飲のし過ぎで未だ酔いが醒めない双子の護衛騎士は昨夜と打って変わって大人しく食事に集中していた。ただ、魚料理が気に入った様子で何度も美味しいを繰り返し、料理長が気に入ったと褒め続けている。

 

「殿下、本当に美味しい料理ですよね。ワインは美味しいし、魚料理は最高だしさ。俺ら、ここがすごく気に入りましたよ。視察はのんびり行ないましょうね!」

「オウエンとエディに同意しますよ、殿下。それに、女性は皆綺麗ですしね」

 

レオンがそう言いながら周囲に微笑みかけると、給仕に入っていた侍女たちがきゃあきゃあと声を上げ、皆一斉に頬を染め上げた。ギルバードが眇めた視線をレオンに向けるも、彼は気にすることなく艶めいた笑みを浮かべ続け、給仕に入る侍女を見つめ続ける。 

見目良い高貴な男性に見つめられた侍女らは手元が震え、何度も皿やピッチャーを落としそうになるほどだ。そして、ふと周囲を見回したレオンがおもむろに口を開いた。 

「そう言えば厩舎近くで卵が入った籠を持った侍女が居たのですが、今はどちらにいらっしゃるのでしょうか。いま、この場にはいないようですが」

 

何気なく言っただろうレオンの言葉に、食堂は一瞬にして水を打ったかのように静まり返った。ギルバードやレオンを始め、オウエンとエディも驚いて領主に視線を向けると、彼はグラスを持ちワインを一気に飲み干した。同時にラウルが乾いた咳払いをしながら、ぎこちなく領主にワインを注ぎ、自分のグラスにも慌てて注ぎ入れている。

 

「卵の入った籠を持った侍女ですか? 何か特徴はありますか」 

ラウルの乾いた咳とワインを注ぐ音しか聞こえない静まり返った中、ロンが温和な笑みを浮かべながら侍従長に問い掛けると、レオンが目を輝かせて説明を始めた。 

「ええ。年はたぶん十五歳から十七、八歳くらいでしょう。プラチナブロンドをきっちりと纏め上げ侍女帽に押し込めているが、あの艶やかな髪はぜひ広げるべきですね。そして透けるような白い項に、ふっくらとした赤い唇、新緑のような碧の瞳。華奢な肢体でありながら豊かな胸の、足首が細い可愛らしいお嬢さんです」

 

その説明に領主とラウルが一斉にワインを噴き出した。  

「きゃああっ! お父様、大丈夫ですの!」 

慌ててカーラや侍女がタオルを持ち拭き始めるが、クラバットやシャツをワイン色に染め、更に激しく咽込むため、揺れる手がグラスを倒してしまう。慌ててグラスを戻そうとしてテーブルクロスを捩り、そのため皿から料理が零れ、テーブル上はひどい有様となった。テーブルの上の料理を片付けようとする侍女達も何処から片付けていいのか、ひどく狼狽し右往左往している。

その惨状の横でギルバードがレオンの襟を掴み引き寄せ、睨み付けながら低い声で怒鳴りだした。

 

「レ、オ、ン・・・! お前のその口を縫ってやりたいと常々伝えていたはずだが、今日こそは実行してやろう。大体、お前の説明は余計な注釈が付き過ぎる!」

「おや、殿下もご覧になったでしょう。あの可憐な女性を簡略に説明することなど、私には出来ませんね。他にどう説明したら良かったのでしょうか。それに特徴は間違っていないと自負しております」

 

ギルバード王子の叱責など慣れたものだとばかりに、レオンは胸を張って堂々と言い切ると、ロンに振り向き「判りますか?」と尋ねた。目を瞬かせたロンは直ぐに目を細めて食堂内の侍女たちを見回した。

 

「ここで見当たらないということは休憩中か、そうでなければ他の仕事をしている最中だと思います。その侍女に何か特別急ぎの用事でも御座いますか?」 

ロンからの問い掛けに、ギルバードの手を襟元から外したレオンは肩を竦めて首を振った。 

「綺麗な女性でしたので気になっただけです。では、偶然の出会いを楽しみに待つことにしましょう。偶然の出会いを待つのも楽しいことです」

「・・・ロン殿、すまない。レオンは病的なほど女好きなんだ。何故こいつが侍従長なのか不思議なのだが・・・・。領主殿、奥方にも下世話な言葉を聞かせてしまい、大変申し訳なく思う」

 

ギルバードが席から離れて頭を下げそうになるから、領主をはじめとして皆慌てて席を立ち、大丈夫ですからと必死に押し止める。自国の王太子殿下に謝罪されるなど、一領主としてあってはならないとジョージは必死だった。

ロンが苦笑しながらカーラを見ると、テーブル上を侍女らと片付けながら困った顔で視線だけを厨房へと向ける。その仕草に笑顔を浮かべたロンは明るい声で王子たちに話し掛けた。

 

「レオン殿の女性を褒め称える言葉は素晴らしいですね。私も愛しいカーラへ饒舌に愛を囁けるよう、参考にさせて戴きたく存じます。宜しければ、あとでご教授戴けますか?」

 

ロンがにっこりと笑いながらそう言うと、カーラが「まあ、ロンったら!」と頬を真っ赤に染め、その様子に皆が一斉に強張った笑顔を浮かべた。ロンからの褒め言葉に満足そうな笑みを浮かべるレオンを、ギルバードは苦虫を噛んだような表情で睨み続ける。 

ラウルがデザートを直ぐに出すよう指示し、領主とロンが他領地での視察状況を聞きたいと話しを変え、各領地の特色や特産物、視察時のハプニング話などで場は盛り上がり、どうにか落ち着きを取り戻すことが出来た。

   

 

 

 

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