紅王子と侍女姫  6

 

 

その様子を厨房で聞いていたディアナだけが蒼褪め、笑えない状況にどうしようか悩み始める。姉の婚約者であるロンが居てくれたから流れは変わったが、ボロが出る前に今からでもドレスを着て娘として過ごして欲しいと母に泣かれることを想像すると、頭痛がしてくる。しかし幾ら泣かれてもドレスを着ることは難しい。やはり炭焼き小屋に移動した方がいいのだろうかとさえ考えてしまうほどに。

 

食事が終わる頃には和やかな雰囲気となり、王子たちを含め領主夫婦が食堂から離れていく。片付けと同時進行で翌朝の準備を始めたディアナの許にロンとカーラが姿を見せた。 

「皆の様子で想像出来たけど、レオン殿が話していたのはディアナだろう? 大変だったね。卵を取りに行った帰りに捕まったようだけど、娘とはばれていないんだ?」

 

ロンとカーラが、料理長から話を聞いたラウルも心配していたよと話すと、ディアナは柳眉を寄せて肩を落とした。 

「突然話し掛けられ驚き、その後レオン様に手を取られ場を離れることが出来ず戸惑うばかりで、殿下にもきちんとした対応が出来なかったと思います。そのことで皆様にご迷惑をお掛けしたこと、本当に心から申し訳なく思います」 

ディアナが身を竦めて頭を下げると、軽い笑い声が頭上から落ちて来る。  

「レオン殿は・・・・なんというか、女性に対してとても積極的なお方のようだね。それに関してはディアナが迷惑なんて思うことは無いよ。逆に君の方が対応に困っただろう」

 

ロンの言葉に頷き、ディアナは口に手を当て暫し思案した。あれを積極的と捉えるのが普通なのかしらと。王都に住まう人の常識は理解出来ないわと視線を落とす。

 

「王都に住まう貴族の礼儀作法に関して、勉強不足だったのかも知れません。でも、この先会う機会はないでしょうから、あとは出来るだけ陰に徹して働きますわ」

「う~ん。何をされたのか解らないから想像しか出来ないけど、二人きりにならない方がいいかも知れないね。・・・・ディアナは、まだドレスを着ることに抵抗があるのかな?」

 

義兄となる彼は、カーラと婚約した時に未来の妹となるディアナが侍女として城で働いていることを知らされたが最初は到底信じられなかった。過去、家族が何度説得しても生活スタイルを変えられなかったというが、やはり義理の妹となる城の娘が侍女としてこの先も働き続けることには戸惑いがある。貴族子女として過ごせと強制はしたくないが、このまま侍女として過ごし続けるのは止めさせたいとカーラと共に悩み続けていた。

 

「抵抗と申しますか、禁忌に触れている気がして苦しくなります。皆様のお気持ちは嬉しいのですが、こればかりは・・・・。 申し訳御座いません」 

肩を竦めて頭を下げるディアナの肩を、姉のカーラがそっと柔らかく包み込み、小さく息を吐いた。この遣り取りは何度も繰り返して来た。そのたびにディアナは申し訳なさそうな顔で俯くのだ。そんな顔を見たい訳ではないと抱き締める。

 

「ディアナが苦しいなら無理に勧めることはしたくないの。でも結婚式には貴女に似合うドレスを贈るから、それだけは私の気持ちと思って着てちょうだい。ね?」 

ディアナは姉をしばらく見つめ、そして頷いた。

長女の結婚式でもドレスを着ている。家族として式に参列し、新たに増えた家族に妹として挨拶を交わし、貴族子女らしく一緒に食事をした。しかし自分のような者がこんな華やかな場に居ていいのかと終始吐き気に襲われ、長女に心の中で詫びながら一刻も早く逃げ出したかったのが本当だ。

あの時の居た堪れない気分が蘇り蒼褪めそうになる。ディアナは目の前の二人に気付かれないよう息を整え、「楽しみにお待ちしております」と微笑みを見せた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 

「レオン侍従長、少し自分の言動に節度を持つよう厳命する! お前の女好きは承知しているが、世話になっている城の侍女にまで手を出そうとするとは情けない。遣り過ぎだろう。今すぐに騎士道精神を思い出せ! おまけに領主の前で、それも奥方様や娘たちがいるというのにあの説明は何だ? ロン殿が機転を利かせてくれなければ、奥方様はあの場で倒れていたかも知れないぞ!」

 

レオンはギルバードが十一歳の時から王太子殿下付き侍従となった。その三歳年上の、今は侍従長であるレオンを部屋に引き入れ、ギルバードは懇々と叱責を続ける。

しかし、ソファに深く座り優雅にカップを持つレオンは意に介さず、紅茶の香りを堪能しながら王子を見上げた。

 

「殿下。私の女性に対する言動を、御自身の伴侶選びに参考にして下さい。殿下は政務に対して誠に真摯であり頭脳明晰。その上、剣術や体術の腕前も大変素晴らしい。ああ、しかし・・・・。殿下は残念なことに恋愛に関しては精神年齢が五、六歳の子供並ではありませんか。これでは国王が世継ぎの心配するのも仕方がありませんねぇ」

 

レオンに悪びれもせず言い返され、更に参考にしろとまで言われ、憤怒に頬を引き攣らせたギルバードは佩いていた刀に手を伸ばしそうになる。ちらりと視線を送るレオンはカップをテーブルに置くと大仰な溜め息を吐き、わざとらしく首を振った。そして立ち上がると王子に微笑みを向け「そんな短気では、この先女性と付き合うのは大変ですよ」と嘯き、急に真面目な表情を見せる。

ギルバードが訝しむ視線を返すとレオンは踵を返して部屋の奥へと向い、寝台で足を止めると枕元を指差した。ギルバードが瞳を大きく見開き大股で近付く前に、レオンは枕をひっくり返して、そこにあったベビーピンクの紐を取り上げる。

 

「・・・・・レオン、それから手を放せ。すぐに、だ」 

ギルバードの怒気を孕んだ声色にも躊躇せず、レオンは両手を広げたくらいの長さの紐を目の前に下げると王子を見つめた。 

「残念でしたね、目当ての彼女が不在で。隣国の伯母の家で淑女教育をされていると聞きました。会って上手くいくとは限りませんが、まずは御会いすることが目的でしたのに」

 

ギルバードはレオンの手から紐を荒々しく取り上げると丁寧に畳み、目にしたサッシュの小袋を紐解いた。それは枕の下に置かれていたラベンダーの匂い袋。その袋の中に紐を入れると自分の胸ポケットへとしまい込み、レオンを冷たく睨み付ける。睨まれても表情を僅かにも変えず、レオンは王子を見つめ返した。

 

「どうされますか?」 

柔和な笑顔を浮かべたレオンが問うと、視線を背けて小さく息を吐いたギルバードが肩を落とす。ギルバードが肌身離さず持ち歩く、いまやただの紐と化したリボンを何故大事にしているのかレオンはよく知っている。各領地視察を行ないながら、ようやくこの地へ来ることが出来たと緊張しているギルバードの心情を、一番に理解しているのも長年行動を共にしているレオンだろう。

ギルバードはソファに戻ると深く腰掛け、冷め切った紅茶を一気に飲み干した。

 

「彼女が・・・・、ディアナ嬢が不在だというなら改めて足を運ぶか、王城に呼び出すしかないだろう。呼び出す理由は未だ考えていないが、会うのは決定事項だ」

 

眉間に深い皺を寄せたまま視線を床に落とすギルバードは確かに緊張しているように見えた。レオンの視線の先にある彼の指先が微かに震えているのが判る。

 

「しかし、ディアナ嬢は存外すっかり忘れているかも知れませんよ? 伯母の許で普通の淑女として過ごされているなら、過去のことなど蒸し返さずにそのままでいる方がお互いのためではないですか? 時間の経過と共に効力が消えた可能性もあると私は思いますがね」 

「・・・だといいのだが、瑠璃宮の魔法導師たちが未だに通じている可能性が高いと、いや繋がっているのだと言うからには、やはりしっかりと確認した方がいいだろう」

 

可能性がある内はどうしても確かめる必要があると何度も伝えられた。瑠璃宮魔法導師の意見が間違っていることを祈っていたこともあった。

何しろ子供の時の突発的な『言葉』による発動だ。

何も起こらなかった可能性もあるし、その方がいいというのはわかる。子供だったとはいえ、思い返すたびに酷い言葉を発したと何度も繰り返し自分を責めた。自分の言葉に責任を持つということと、自分の感情を抑えるということをその時改めて痛感させられた。

王族としての言葉だけではない、もう一つの重要な意味を。何度もそれは教えられていたことであり、自分でも充分理解していたつもりだった。

それなのに―――。

 

もしも、あの時、あの場所で、彼女に会わなければ。何度も繰り返し思った今更な言葉が脳裏に浮かび、ギルバードは自嘲気味に口角を持ち上げた。

 

 

**

 

 

リグニス侯爵一家が王宮に来たのは、初夏に近い頃だったと覚えている。

幼い彼女は大人同士の会話に飽きて王宮の庭を探索しようと足を伸ばしたのだろう。そして親から離れた彼女は沢山の花々に目を奪われ、初めての場所に目を輝かせながら、少しずつ奥へと足を進ませて行く。 

明るい日差しの中、指定された場所に向かって歩いていたギルバードは茂みの影から垣間見えたプラチナブロンドに目を奪われ足を止めた。何故こんな場所に子供がいるのだろうと近寄ると、振り返った少女の大きな瞳が自分を真っ直ぐに見つめてくるから酷く驚いたのを覚えている。それ以上開くと落ちるのではないかと思うほど大きなその瞳は、自分を見て更に大きく見開き、ふっくらとした赤い唇が小さく開いたと同時に、その少女は一歩大きく自分に近付いて来た。

 

「・・・・王子様?」

 

王宮内では聞かれない小さな女の子の声に、一瞬息が止まる。

自分より小さな女の子からの言葉のどこに驚いたのかも判らず、ギルバードは頷くことしか出来なかった。それでもその頷きに少女は嬉しそうに微笑み、ドレスの裾を持ち上げるとちょこんと頭を下げて可愛らしくお辞儀をしてくる。

 

「はじめまして王子様。わたしはディアナ・リグニス、六歳です。今日は王様のおうちに、みんなをお招きしてくれて、ありがとうございます」

  

王族が話し掛ける前に勝手に話し掛けるのは本来なら不敬罪にあたる。 

しかし目の前の少女はそんな事を知るよしも無く、楽しそうに微笑みながらギルバードが再び小さく頷くのを目にすると、堰を切ったかのように話し出した。

 

「初めて王様のおうちに来たけど、すごく広くてきれいなお庭ですてきです。いろいろなお花がいっぱいで、さっき食べたお菓子もすごくおいしいかったの。ディアナね、あんなにおいしいお菓子、はじめて食べた。料理長さんにお願いしておなじのを作ってもらえたらいいな。でね、カーラ姉さまのお茶に花びらが浮かんだのよ。風が吹いてお茶のカップに花びらがふわーって落ちてきて、だからお花はどこかなって探しているの」

「・・・・花なら、こっちにも沢山植えられている」

 

楽しそうに喋る少女の話は取り留めなく、話しが迷走しながらもこの場所に来た経緯を伝えてきた。

目線を少女から離さずに前方を指差すと、すっと伸びたディアナの手が、力なくぶら下がっていた自分の手を握り、「どこ?」と問い掛けてくる。

その小さな手の感触に驚き、思わず手を弾くように振り解くと、大きく目を見開いた少女は自分の手を見つめて小さく首を傾げた。

 

「あ、いや・・・・。すまない。ちょっと驚いて・・・・」

「ううん。王子様、どこか痛かった訳じゃないの? 大丈夫?」

 

振り解かれた手をおずおずと隠そうとするのが判り、急いで少女の手を掴んだ。

しっかり握るとディアナは安堵したのか、あどけない笑顔を浮かべる。

 

「痛くない、ちょっと驚いただけだから。・・・・ああ、花の咲いている場所に案内する。すごくいい香りがする花があるから気に入ると思う」

「じゃあ、その花をお茶に入れたら、もっと美味しくなるね!」

 

小さな手は温かく、四つも年下の女の子の嬉しそうな顔に酷く動揺しそうな自分に戸惑う。

今が満開の、女の子が好みそうな花壇に案内すると、小さな叫び声と共にディアナは駆け出し、噴水と花壇を見比べて嬉しそうに振り返った。

その笑顔に自分の顔もつられて緩んでしまう。

本来なら父である国王と共に王城に招いた客の相手をしなければならず、各領主の顔を覚え、また世継ぎである王子としての自分を見知って貰うことが必要な時間だ。それが王位継承権を持つ自分の責であり、そのために皆がいる庭園へと足を運んだはず。

それなのに、出会ったばかりの幼い少女とともに奥の庭園へと足を向け、コロコロと表情を変えて笑うディアナと話し込んでいた。

 

「ディアナは姉が二人か。女ばかりが集まるとすごく賑やかだろうな。僕も姉が二人いるけど、歳が離れているからあまり遊んだ記憶が無い」

「それに王子様は男の子だから女の子とは遊びが違うでしょう? 私も、男の子と遊んだことはないけど。・・・・あ、これは知ってる? 出来る?」

 

近くの葉をちぎると口に当てて草笛を吹き出したディアナに驚き、真似をして同じように口に当てる。しかしいきなり音が出る訳も無く、掠れた息が漏れるだけ。それを見て彼女は葉の当て方から息の吐き方を教えてくれ、ギルバードは少しずつ真似ながら練習をする。高い音が葉を震わせ鳴り響くと、ディアナが嬉しそうに拍手をしてくれた。

そして立ち上がると今度は少し細長い葉をちぎり取り、器用に折り曲げて船を作ると噴水に浮かべる。水しぶきに揺れながら浮かぶ葉の船にギルバードが目を瞠ると、噴水の縁に乗せた手に小さな自分の手を重ね、ディアナは楽しそうな声を掛けてきた。

 

「男の子も女の子も、これなら関係ないでしょう? ラウルに習ったの!」

「ラウルって、君の家にいる男の子?」

「お父様といつも一緒にいる執事さんよ。王子様のお父様にも執事さんっているの?」

「いるよ、宰相って言って厳しいし怖いけど・・・・。いい人だというのはわかる」

 

自分の言った言葉に、ふと自分が何時までも遊んでいていい訳ではないことを思い出す。

もう行かなければならないと立ち上がるとディアナも立ち上がり、じっと自分を見つめてきた。陽光に彼女のプラチナブロンドがよりいっそう輝きを増す。

 

「王子様の髪の色も目の色も、真っ黒なのね。さっき見た王様は明るい金色だったから、王子様のお母様が黒い色なのかな。目も黒いけど、でも・・・・」

 

その言葉に思わず息を呑み、顔を逸らした。

直接言われたことはないが、影で何度か聞いたことがある言葉。自分の母親が王宮に侍従する魔法使いであった事実。その魔法使いが王を誑かし、当時王妃を亡くしたばかりで失意に暮れる王に擦り寄ったと聞こえよがしに、嘲るような悪意のこもった言葉で影から聞かされていた。

それを耳にするたび何度胸が苦しくなったことだろう。

充分わかっていることを王宮のあちこちで何度も耳にし、そのたびに酷く苛立った。しかし成長と共に動じていない振りだけは出来るようになったはずだ。それなのに、それが今、少女の口から零れるのを聞くと胸を深く抉るように突き刺さり、動悸が激しくなる。

 

「王子様の目はお日様に当たると紅く見える」

 

その瞬間、隣で自分を見上げていた彼女を鋭く睨み付ける。湧き上がる憤りと共に、自分より遥かに幼い、会ったばかりの何も知らないディアナを憎しみと共に睨み付けていた。 

その時、風が彼女の髪を巻き上げ、自分の怒気を孕んだ視線を受けることなく、ディアナは肩で揺れる自分の髪を見ながら言葉を紡ぎ続ける。

 

「ディアナの髪はね、お母様と同じなのよ。今日はお母様にリボンを結んでもらって、お姫様みたいに綺麗で可愛いって褒められたの。このリボンは今着ているドレスと」

「綺麗じゃない! お前がお姫様みたいだと? 王宮に呼んで貰った身分の癖に何を言っている! お前なんか姫なんかじゃない! そんなドレスを着る資格もない、ただの侍女だ。王子に向って無礼にも程がある! ・・・・こんなもの!」

 

知らず手が伸びていた。

彼女が自慢したそのリボンを掴み、無理やり引っ張るように解いた。

急激な態度の変化に追い付けず驚きの表情を浮かべて目を見開くディアナの、その瞳にさらなる苛立ちが昂り、自分の胸にも届かない幼い少女に向かって手を突き出した。

途端、弾けるようにディアナが声も出さずに背後へと倒れ込む。解けた髪が宙に舞い、尻もちをついた彼女は驚いた顔のまま何が起こったのか理解出来ずにただ自分を見上げている。

その大きく見開かれた瞳と目が合い・・・・・自分が何をしたのか判り、驚愕した。

   

 

 

 

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