紅王子と侍女姫  7

 

 

この国の王子として厳しく律してきたはずの自分を忘れ、感情の赴くまま、初めて会ったばかりの幼い少女の言葉に激昂したのだとわかった。

王宮内のあちらこちらで、過去何度も耳にしてきた言葉だというのに。

感情を押し殺し対応する術も既に身についていた筈なのに、何も知らない幼いディアナの言葉に抑えるべき感情の針が振り切れてしまった。

自分よりも幼い彼女の言葉に、何故あれほど心が揺さぶられたのだろう。

幼い少女の口から零れたのは、裏など知らない素直な、見たままを語る言葉。

何度も耳にしていた悪意の含まれた言葉ではない。

それなのに幼い少女からのひと言に、手を出すほど怒りを覚え、その憤りのままに卑怯な汚い言葉を吐き捨てた。そして振り切れた感情のままに手の平を少女に向けて・・・・・。

 

あの時、ディアナは何も言い返さなかった。

ただ大きな瞳を更に大きく見開き、自分を注視していた。

揺れることなく自分をじっと見据え、そして徐々に悲しげな瞳に変化したのを思い出す。

怒りに我を忘れて吐いた自分の言葉に、彼女が驚きだけではない表情を見せたのが解り、息が詰まった。

その瞳から逃げることが出来ずに強張る身体をもどかしく思いながら潜めるように息を漏らした瞬間、聞こえて来た大人の声に呪縛が解ける。

しかし動けるようになった身体は、情けないことにその場から逃げる方向にしか動かなかった。まさに脱兎の如く、ディアナを放置し謝罪の言葉も無く、ただその場から逃げたのだ。

 

 

 

 

** 

 

 

 

 

知らず詰めていた息を吐き、ギルバードは空になったカップを見つめた。

 

「彼女に何も無いならそれでいい。ただ時間は掛かったが、ここまで来たんだ。会わないまま、確かめもせずには戻れないし、戻りたくは無い。正直、怖いと思うのも本当だが」

「おや、そのような吐露が殿下から聞けるとは驚きました。私も是非その少女に御会いしたいものです。ギル殿下の心を鷲掴みした上、幼女から奪い取ったリボンを未だに持ち歩く、変な性癖を植え込んだその少女に御会いして、それを知った今の心境を伺いたいものです」

 

金属音が聞こえ、鞘から取り出された鈍い輝きがレオンの眼下で蝋燭の灯を跳ね返す。

手の平を見せて、降参ですと呟きながら薄笑いを浮かべるレオンは、それでも喋り続ける。

 

「カーラ嬢を拝見して、ご姉妹であるディアナ嬢に御会い出来るのが楽しみになりました。まあ、お会いした時の殿下を拝見するのが一番の楽しみですがね」

「では、まずその目を抉っておくか?」

 

そういいながらギルバードは剣を鞘に納め、レオンに部屋から出て行くように手を払う。恭しく低頭したレオンは、顔を上げると不意に何かを思い出したとギルバードを見つめて来た。その表情にギルバードが眇めた視線を送ると、レオンは少し首を傾げて呟きを落とす。

 

「いえ、厩舎で御会いした侍女は奥方やカーラ嬢に似ていたなと思い出して。目元や口元が特に・・・。気のせいだと言われたら、それまでですが」

 

レオンが同意を求めるように視線を向けてきたが、ギルバードは眉根を寄せて黙り込むしか出来ない。髪色は確かに領主の奥方や娘に似ていたかも知れないが、目元口元といわれると返事の仕様がない。

先ほど会ったばかりだというのに俯いている彼女しか思い出せず、白いエプロンと折り返した袖口の白さだけが思い浮かんだ。

更にレオンが知っているその顔を、自分がはっきり思い出せないのは何故か不条理な気がした。

最初の晩に会話を交わし突発的とはいえ手も握ったというのに、自分だけが彼女の顔を知らないという事実が無性に悔しいとも思う。 

いや、そもそも自分は今まで女性の顔をじっくりと見たことがあるだろうか。 

城に訪れる貴族息女たちはその背後関係もあり、顔や名前を熟知して接するのは基本だ。王宮主宰の舞踏会では幾人かと踊ったこともある。女性に触れなければダンスなど踊れない。レオンがよく使う台詞のように手取り腰取り、さらに顔を近寄らせてだ。

しかし貴族子女らの顔を知っていても親の名前は諳んじられても、どんな印象かと尋ねられると、皆一様に「貴族らしい女性」としか答えられないだろう。印象など香水がきついかそうでないかくらいで、みんな同じように見える。ダンスをしていても会話をしていても、その背後関係にばかり意識が向けられ、興味など浮かびようも無かった。

女性をその気で見るつもりも見たこともないのに、覚える必要のない侍女の髪の色を覚えている自分に驚くくらいだ。

 

口を尖らせていると、ふと厩舎でのことが思い出された。

好みの女性を見ると直ぐにふしだらな誘い文句を口にするレオンに、止めるよう注意の声掛けをしたことは幾度もあるが、その相手を追い駆けてまで謝罪したことは今までなかったなと振り返る。自分の行動を思い返すと違和感を覚えるほどだ。

追い駆けて、正式な謝罪をしたいと肘を掴み、振り向かせ・・・。 

いやいや、他意はない。レオンのように『そんなつもり』で侍女に触れた訳ではない。それよりも考えるべきことはアラントル領地にいないディアナ嬢のことだ。

 

「あー、くそ! 何でタイミング悪く出掛けているんだ?」

「殿下にしては珍しい愚痴ですね。まあ、このままでは埒が明かず、王城に呼び出さねばならないでしょう。その際は呼び出す、尤もらしい理由を考えて下さいね」

 

全ての領地視察が終わった今、王城に戻れば日々の政務に追われて城を出ることは難しくなる。今回の件は絶対に必要なことであり、彼女に会えないなら王城へと呼び出すしかない。

 

「まずは次女カーラ嬢の結婚式日時と、ディアナ嬢の帰国予定日を訊こう。滞在期間の延長は多少融通が利くだろうが限度がある。こちらとの都合が合わなければ、彼女が帰国すると同時に王城へと来て貰うよう呼び出すしかないな」

「御意。ではディアナ嬢に御会いした時、少しでも楽しい会話が出来るように私を手本にして、よく勉強をされて下さい。一国の王子として生まれたからには、何時如何なる時も女性に注目されるよう心掛ける必要が御座います。朴念仁では今後困りますよ?」

 

その言葉に厭そうに舌打ちをすると、レオンが極上の笑みを浮かべてやっと退室した。

 

 

 翌日から牧場や漁港などの視察にロンを伴い、午後には早々と城に戻り、夕刻近くまで視察報告を元に問題点や見直して考察した結果を丁寧にまとめて書き記す。今年はどの領地も概ね豊作傾向にあり、疫病などの心配も無い様子に安堵した。

 

そして最後の視察となる今日は、なだらかな斜面にある果樹園を訪れた。楽しげに果実園に入って行く王子と護衛騎士を見送りながら、ロンは隣を歩く侍従長に微笑んだ。

 

「ギルバード殿下は本当に熱心で御座いますね」

「国王様より各領地の把握と現状報告を義務付けられ、ここ二年間は王宮で過ごすより各地方を回っている時間の方が長いですね。殆どの時間をこの四人で回っております。この地が最終でして、長期に渡っての領地視察巡りは終了となります」

「存じませんでした。二年も掛けて全ての領地を少人数で巡られていたとは」

 

ロンが視線を移すと王子が護衛騎士達と果実を摘みながら農場主と気さくに話をしている様子が見える。置かれた籠に果実を入れ、手伝っているようだ。その楽しげな様子に、ロンとレオンは互いに視線を合わせて笑みを零す。

 

しばらくして幾つかの果実を手に戻って来たギルバードは、なだらかな丘の果樹園から見える港を見つめながらロンに声を掛けた。

 

「そういえば、ロン殿とカーラ嬢の結婚式はいつになるのだ」

「来月始めを予定しております。 あと一か月と一週間となりました」

 

王子からの問いに目尻を染めたロンが嬉しそうに答えると、ギルバードは港を見つめたまま「・・・・来月か。では先に祝辞を述べよう」と呟いた。

王子からの言葉に恭しく低頭するロンは、ギルバードが秘かに眉を顰めたのを知らない。

 

帰城したギルバードはいつものように直ぐに視察結果をまとめ、レオンと共に内容に不備が無いかを見直す。そして全ての書類をまとめ終えると封書に詰め、王城へ配達して貰う準備をして仕事は終わった。

 

「殿下、これでこちらでの仕事は全て終わりました。あとは荷物の片付けを済ませて、明後日には王城へ出立出来ます」

「ゆっくり出来るのは明日だけか。 ・・・・戻ったら地獄だな、きっと」

 

ソファに寝そべり、ギルバードは深く溜息を吐く。

王城に戻れば各領地視察の報告書類をまとめ上げながら、今まで同様の政務を行うため、考えるのも厭になるほど忙しくなるのは承知だ。ただ、それよりも問題なのは、以前から言われている見合い話を真剣に考えなければならないということだ。幾人かの大臣や貴族から見合い話を勧められていたが、視察があるからと逃げていたのも事実。

 

アルフォンス・グレイ・エルドイド国王は、世継ぎである王子の結婚に関して大らかな態度を示し、息子の意見を尊重すると言っていたが、勧められたものを見もしないで断る不調法者には育てていないと言い切った。 

・・・・・いや、振り返ってみると自分は王に育てられた覚えはない。 

自分が生まれて一月くらいで亡くなった母親の代わりに育ててくれたのは乳母で、歳の離れた姉たちで、侍従たちだ。時折、前触れもなく尋ねてくる男が父親だと知ったのは三歳を過ぎた頃くらいだろうか。剣を習い出すと、ふらりと現れて大人気ない剣技で翻弄し、何度怪我を負わされたことか。   

各講師や博士からの宿題に辟易していると更に山のような宿題を課してくるし、自主的に勉強していると身体を動かせと馬場に連れ出す。剣術に夢中になると将来のためだと言ってダンスを習わされ、庶民の気持ちを勉強しろと下町で身分を隠して働かされたこともある。

王からはイジメとしか言いようのない嫌がらせをされた記憶しかない。

それを育てたというのかと文句を言うと「そうだが、何か文句あるか?」と言われ、愕然としたのを思い出す。「叩いて鍛える、そういう主義だ」とまで言われた。心底、息子をからかうことを楽しみ、それでいて国務に関しては誰からも文句を言わせない素晴らしいとしか言いようのない手腕を発揮し、国は確かに豊かさを増している。

 

見合いを最初に申し込んで来たのは王弟で、相手は彼の娘、エレノア・フォン・アハル。

王位継承権第三位のリース・フォン・アハルの妹で二つ年下だ。従兄妹とはいえ顔を合わせたことは殆ど無く、彼女に関して思い出すのは王弟である父親に似てキツイ表情だったとしか印象が無い。レオンがいうには性格もキツイということだ。王弟の娘として王城での舞踏会などに参加しているはずだが、彼女と踊った記憶は無い。相手が自分をどう思っているのか判っているだけに気が重い。出来れば会わずに断りたい相手だ。

他にも有力貴族から多数縁談が来ているそうで正直うんざりしている。

王族として生まれたからには血脈を残すためにも結婚は必要であり、それに関して文句はないのだが、正直気は乗らない。跡継ぎ問題に周囲が躍起になっているだけで、更にレオンがそれをからかいの材料として日々楽しみとしているから辟易しているのが現状だ。

王城に戻れば蒸し返されるように見合い話が持ち込まれるだろう。

それは政務以上に鬱陶しい。

 

「ロンから結婚式は来月の始めと聞いた。ディアナ嬢も参加するだろうが、それを待つことも出来まい。まさか一国の王子が一領主の娘の結婚式を急がせることも出来ないだろうし、ここで会うのは諦めて王城に来て貰う理由を考えるしかないかな・・・」

 

ソファに寝そべったまま、漏らした声は宙を彷徨い、答えを出せずに溜息となり落ちる。レオンも小さく嘆息すると「では戻りましたら、いくつかの案を宰相とともに考えましょう」と呟くに留めた。

前以って書簡で家族全員を揃えておくようにと伝えておけば良かったのか。

伝えたとしても彼女は隣国の伯母の邸からどのくらいで戻れたものなのか。

いまさらなことを考えても頭が痛くなると、ギルバードは起き上がった。

 

「ここでの食事もあと少しか。ちょっと城の周囲でも散策してくる」

「出来ることならついでに侍女の一人や二人、口説いて来て下さい。このままでは国の進退にも関わりますよ。それかディアナ嬢を呼び出す理由を考えるか、ですね」

「彼女に会う理由が先だ。女性を口説く方法など思いつかん」

「・・・・・何と情けない」

 

呆れた物言いのレオンを睨むも背を向けられ、それ以上は反論する気も起きずに部屋を出ることにした。部屋を出て階下に降りるとオウエンとエディが空の麻袋を片付けている最中で、嬉しそうに「あの果実で菓子を作って貰うようお願いしてきた」と騒ぐ。そのまま馬車のある厩舎へと向かったのを見て、ギルバードは逆の方向へと足を向けることにした。

 

 

 

 

 

 

 

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